●開始前の挨拶
「はじめまして。今日はよろしくお願いします」
深々と頭を下げた真夜は、集まってくれた先輩たちを見た。
小麦色の肌に銀色の髪、緑色の瞳が印象的なエルム(
ja6475)。その横には綺麗な黒髪に白い肌、驚くほど見事な胸をした月乃宮 恋音(
jb1221)。長い前髪の間からのぞく顔立ちは、人形のように整っている。
(二人とも綺麗……)
同性ながら見とれてしまう。エキゾチックなエルムと、美少女という言葉の似合う恋音の組み合わせは、お互いをより華やかに見せる。
それから、男性陣に目を向ける。背が高く、真面目そうな表情の龍崎海(
ja0565)。眼鏡をかけ、穏やかそうな黄昏ひりょ(
jb3452)。
そして。狩衣姿、長い髪、頭には二本の角のある橘 樹(
jb3833)。
真夜がアウルに目覚めたのは、天魔に襲撃された時だった。そのため学園に来てからも、天魔とはあまり接触を持ってこなかったのだが。
樹はのんびり、おっとり、にこにこと人が良さそうに微笑んでいる。とても話しやすそうな雰囲気だ。
やっぱり、いろいろな人に会ってみるって、大事だ。以前に教えられたことを、かみしめる。
「あの、今日ですがぁ……」
恋音がおずおずと口を開いた。
「浅い水で水に入る事に慣れてもらう、水に顔をつける事に慣れてもらう 、実際にプールに入ってみる……と段階的に進めていったら、と思うのですぅ……」
おどおどした口調だが、超一流の事務能力を持つ彼女はきちんとした計画を立案済みだ。
皆もそれに同意し、特訓が始まった。
●その一:ビニールプール
「おお、皆かわいいんだの!」
水着になった女性陣を見て、樹が声を上げた。
エルムの小麦色の肌に白のワンピースが映え、とても魅力的だ。緑の瞳が陽光に煌めく。
恋音は桜色のビキニにパーカーを羽織っている。水着になると、豊かな胸の迫力が二倍増しで、同性異性問わず目を引かれずにはいられない。視線を感じたのか、頬を染めるのが可愛らしかった。
ちなみに真夜は学校指定の水着。
プールサイドには南国風の音楽が流れていた。リラックスしたムードを出そうと、樹が用意した。
「これくらいなら、お風呂(腰湯)と同じだし……」
ビニールプールに足を入れる真夜。底にお尻を付けた、と思ったら。背中にビシャッ、と冷たい水がかけられた。
「うきゃあ?!」
謎悲鳴を上げて振り返ると。背後には、水鉄砲を構えた海がいた。
「坂森さん。これで水に慣れよう」
真面目な表情である。
水を使って遊ぶことで水は怖いものじゃない、と思わせ。突発的な出来事にも慣らす。そう考えての選択だった。
水鉄砲を渡され。真夜も真面目な顔でそれを構えた。特訓である。真面目なのである。
とはいえ、真夜はすぐに遊びに夢中になり、笑ってきゃあきゃあ言い始めた。ひりょとエルムも参戦。水鉄砲を撃ったり、水のいっぱい入った風船を真夜に投げつけたり。そのたびに「ひゃあ」「ぐきゃあ」と謎な悲鳴が上がる。
どうやら慣れた、と思われる頃に次のステップへ。『水に顔をつける』である!
「では、三秒間、顔を水につけていただきたいのですぅ……」
恋音に言われ。真夜は早くも怖気づいた。
「三秒ですか」
恋音は厳粛にうなずく。
「坂森さんは、水が怖いんですか?」
その様子に、エルムが尋ねた。
「私には水が怖い、という感覚はわかりませんが。水に相対した時にパニックにさえならなければ、泳げるようになるはずです。もともと人間の身体は水に浮きますし、撃退士の身体能力があれば泳ぐことは可能です。要は、平常心を保てるかどうか、です」
緑の瞳が笑う。
「依頼でも同じ事ですよ。先日、はじめての戦闘依頼を経験したそうですね」
ある先輩から聞きました、と言われ。名前を聞いた真夜は目を輝かせる。
「はい、お世話になりました!」
その表情に、エルムは微笑んだ。
「自分の力をどれだけ出せるか、ですよ」
そうだ、落ち着いていつも通りに振る舞えば。先輩たちもいるし、大丈夫なはず。
真夜は思い切って顔を水に突っ込んだ。
特訓は順調に進み、真夜は十秒間、顔を水につけることに成功した。
●休憩タイム
「真夜殿やったんだの! 少し休憩にするんだの」
樹が言って、皆にスポーツドリンクを配る。
「海水浴の持物ですが、日焼け止め、バスタオルがまずは必需品ですぅ……。着替えた水着を入れるビニール袋や、お財布とは別に小銭入れを用意しておくといいのですぅ……」
恋音に教えられ、真夜はメモする。
「坂森さんは可愛い水着が欲しいんじゃないの?」
エルムに言われ、うなずく。
「そうなんです。スクール水着しか着たことなくて。どんなのが流行なんでしょうか」
「月刊yagisの夏号を持ってきたですよぉ」
恋音の雑誌をみんなでのぞきこみ、ああだこうだと盛り上がる女子たち。
「ピンク色のフレアビキニなんでどうでしょう」
写真を指してエルムが言う。こんな可愛い水着が自分に合うのか、真夜は心配だ。
「ピンク、月乃宮さんにはとっても似合ってますけど」
「そ、そんなことはないのですよぉ」
自分の魅力を知らない恋音は慌てて否定するが。エルムはにっこり笑う。
「綺麗な黒髪の大和撫子さんには似合いますよね。坂森さんも、きっとよく似合って可愛いですよ」
そこへ。
「先生っていう人のことはよく知らないけど、堅物系なら特訓って話だし、あまり泳ぐのに適さないのは好ましく思わないんじゃないかな?」
通りかかった海が言った。そういえば、海に行く目的は特訓だった。遊びではない。
「そうですねぇ。そのことと、坂森さんの年齢を考えると、丈夫で露出の少ない水着がいいのではないか、と思いますぅ」
「スポーツ水着も可愛いのがありますよ。よかったら、今度一緒に買いに行きましょうか?」
「そうですねぇ。練習が成功したら、みんなで行きましょう」
二人に言われ、真夜は目を輝かせる。
「が、頑張りますのでお願いします!」
気合が入ったところで。特訓も後半である。
●その二:競泳用プール
しかし。いざ、プールを見ると真夜の足はすくむのだった。
「安心するんだの。浅い場所を作ってあるんだの」
樹が微笑む。水泳教室などで使われるプールフロアという用具で腰以下の水深〜腰まで〜胸まで〜本来の水深、となるように調節済みだ。
「先日水難救助の訓練に参加してきた。パニックを起こしていたりすると、救助とかもすごく大変だろうな、と思わずにはいられなかった」
その訓練では、他にもいろいろあったのだが。ここは真面目に、ひりょは言う。
「そういう意味でも、水に慣れて貰った方がいいだろうな。まずは水に足をつける事から、少しずつハードルを上げていこう」
真夜はびくびくと爪先を伸ばす。ビニールプールでは平気だったことが、この深い水の前だと怖くなる。
「そのまま、くるぶしまで水に足をつけて」
冷たい水に足を突き入れる。緊張してクラクラするが。頑張らなくては、と思い直し。思い切ってズボッと膝の下まで足を入れた。震えが走る。
「うん、出来たね。そのことを自信に変えて欲しい。『自分はやれるんだ!』ってね」
そう言ってから。彼は気恥ずかしそうに付け加える。
「これは、俺も自分に自信がなくてね、今心がけてる事なんだ。頑張ろう! 坂森さん、君はなりたい自分になっていけると思うよ!」
励ましてくれる笑顔が温かく。力付けられた。
しばらくそこで、足をバチャバチャさせたりして水に慣れる。
「頑張ってるんだの、真夜殿。少し休むんだの」
樹が声をかけ、二本目のスポーツドリンクをくれた。
「あのな」
のんびりした口調で言う。
「わしは悪魔であるが、飛ぶのが凄い下手なんだの。飛べない自分を情けないと思う事もあったから、泳げない歯がゆさもよく分かるであるよ」
「橘さんもそんなことが?」
驚いた真夜に、樹はうなずいた。
先輩撃退士たちはみんな万能でカッコ良く見え、そんな悩みとは無縁だと思っていた。
でも、黄昏さんも『自分に自信がない』と言った。そういえば、月乃宮さんはあんなに綺麗なのに、どうして顔を隠しているんだろう。
もしかしたらみんな。それぞれ悩みがあるのだろうか。それを努力して、乗り越えようと頑張っているのだろうか。先輩でも新人でも、人間でも天魔でも。それは変わらないのだろうか。
だったら。
「私、頑張ります!」
真夜は立ち上がった。
「プールに入ってみます! ……とりあえず、一番浅いところに」
こうと決めたら突撃。なるほど、これが噂の突撃型新人ダアトさんか。聞いた話を思い出し、納得するエルムだった。
とはいえ、一人でいきなり水に入れるのは危ない。体型上浮くのは得意、と言う恋音が寄り添う。ひりょとエルムも近くに待機し、海と樹はプールサイドからいざという時に備える。
手を繋ぎ。真夜を驚かせないよう、恋音はゆっくりと水に入っていく。腰まで水につかると、真夜は思わず目をつぶった。
「大丈夫、怖くないですよ」
優しい声がした。それを聞いている内に、段々と落ち着いてきた。
(あれ……。思ったより大丈夫かも?)
意外だった。子供の頃はあんなに水が怖かったのに。
(皆さんがついててくれるおかげかな)
それから、みんなでビニールいかだで遊んだり、浮き輪を投げ合ったり。そんなことをしているうちに、緊張も解けて行く。
(水が怖い、が。水の中って不思議、楽しいかも? に変われば、希望が見えてくるだろう)
ひりょは思う。
(頑張り屋さんみたいだから、水に入る楽しさが掴めれば、楽しみながら泳ぎも上達していくんだろうな)
浮き輪が誰もいない方に飛んだ。エルムがきれいなフォームでそちらに泳いで行く。あんな風に泳ぎたいな。真夜はそう思った。
(頑張らなきゃ。それに)
来てくれた皆さんのためにも、成果を見せないと。
そして。思い切って、彼女は自分から一段深い場所に向かうと決めた。
「平常心……人は水に浮く……撃退士の能力があれば泳げるはず……」
唱えながら歩いて行く。それに気付いて、ひりょは止めようと手を伸ばす。
その時、真夜が足を滑らせた。
一瞬であご近くまでが水に浸かり。小学校の時の記憶がフラッシュバックする。パニックに陥って、夢中で見えたものにしがみついた。それが誰かの手だと、分かっていなかった。
暴れたせいで、更に足が滑り。ひりょを道連れに、彼女は水の底に沈んでいく。
しがみつかれながら。彼は自由な片手でプールの底に狙いを着け、すかさず掌底を打ち込んだ。衝撃でプールフロアが破壊される。が、反動で二人の体は水底から水面へ、更にそれを突き抜けて、空中へ飛び上がる。
真夜は目を開けた。高く上がった水飛沫が陽光を受け、キラキラと輝いていた。
再び二人は水の中に落ちる。異状に気付いた海が、樹を連れて飛行し、二人で素早く救助に当たった。助け上げられた真夜をひりょは引き寄せ。その頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だから。俺も君も大丈夫だよ?」
繰り返される、優しい声。海が使用したマインドケアも効果を発揮し、真夜は急速に理性を取り戻した。
そして、自分がやってしまったことを理解し。一気に血の気が引いた。
「あ、あの……ごめんなさい……」
小さな声で言う。
「とにかく、いったん上がった方がいいんじゃないかな」
海が言った。
●反省、そして
「勝手なことして、ごめんなさい」
真夜はうなだれる。初依頼でも同じような失敗をした気がする。どうして自分はこうなんだろう。
「私、早く泳げるようになりたくて」
気合いは空回り。情けない。
「坂森さん。無理する必要も急ぐ必要もありません。自分のペースで、少しずつ慣れていったらいいんですよ」
エルムが静かに言った。
「わしも練習して少しずつ飛べるようになったんだの。だから、真夜殿も焦る必要はないであるよ」
樹も言う。
「辛いと思うとますますできなくなるからの。まずは楽しむ事からはじめよう、であるよ」
「誰にでも失敗はある。問題は、それからどうしたいか、どうなりたいか? だと思う」
眼鏡の奥から、まっすぐに真夜を見て。ひりょが言った。
「どうする? 今日はもう、やめておく?」
真夜は顔を上げた。一番迷惑をかけてしまった人。そんな風に言ってもらえるなんて、思わなかった。
「まだ、付き合っていただけるんですか?」
「頑張っている人を応援したい。俺の出来る事で支えよう。そう思って、来たんだよ。真剣に頑張っている人には真剣に対応する」
「が、頑張りたいです。お願いします!」
真夜は叫んだ。それから。
「私、焦ってました。泳げるようになったところを、皆さんに見せたかった。でも、今日はまず、プールを楽しめるようになりたいと思います。だからもう少し、遊んでください」
そう言って。深く頭を下げた。
その姿に。
「じゃあ、もう少しやってみるか」
海が立ち上がり。
「嫌な思い出を塗り替えていこう。俺が出来る手助けは精一杯させてもらうから」
ひりょが微笑んだ。
●海へ
夕方まで先輩たちと水の中で遊び。真夜は『肩までの水に入ってパニックにならない』をクリアーした。
「今日は本当にありがとうございました」
改めて、全員に深く頭を下げる。
「頑張ったね。おつかれさま」
ひりょにねぎらわれて、ホッとし。
「三人で水着、買いに行きましょうね」
エルムの言葉に、力いっぱいうなずく。
「あなたに似たダアト、私も一人知ってます。坂森さんも、きっといいダアトになれますよ」
そう言って、彼女は笑った。
その人はきっと。とても素敵な人なんだろう。
そう思った。そんな風に言ってもらえて嬉しかった。
「あの……水恐怖症の方の場合、プールに慣れても海はダメ、というケースがあるそうなのですよ……。『波の音のCD』と、『海のDVD』を用意して来ましたので、これを視聴して海で楽しむイメージを掴んでもらったら、と思うのですぅ……」
恋音が言って、バッグから二枚のディスクを出す。こまやかな気遣いに感激した。
「不安になったら、何時でも電話してくださいね」
電番とアドレスを交換する。真夜は何度も何度も頭を下げた。
「楽しんで来てほしいな。海はいいものだよ」
海の言葉にも、大きくうなずく。
最後に、樹が傍にきた。
「真夜殿。わしは綺麗な景色を見てもっと飛べるようになりたいと思ったんだの」
数枚の写真を渡す。
「真夜殿にもこんな綺麗な景色をぜひ見て欲しいんだの」
掌には、明るく輝く紺碧の海。
それは、空中で見たあの水飛沫を思い起こさせて。
憧れをかき立てられた。
「今度、一緒に海へ遊びに行こうの」
そう言われて。真夜は笑顔で「はい」と返事をした。
後日。イメトレをし、見立ててもらった水着で真夜は海に向かった。
その顛末は定かではないが、水難事故が起きなかったことだけは確かである。