●その力は正義か
葉守庸市は、ヘッドセットから流れるニュースに聞き入っている。
「んー?」
彼の起こしている事件の解説を中断して。別の街で起きた一家惨殺事件のニュースが報じられていた。犯人は覚醒者の疑いがある、とアナウンサーが報じる。
葉守の口許に、暗い嗤いが浮かぶ。
「ほら、な? 結局いつでも、力のあるヤツがやりたい放題。俺もここで都合よく覚醒とかしねえかなあ。その方がカッコいいじゃん。そう思わない?」
膝に乗せた人質の少女に、半ば独り言のように話しかける。ナイフが、顔面に突きつけられている。葉守の気分ひとつで刃は消えない傷をそこに刻む。その恐怖で、彼女の神経は焼き切れそうになっている。
「ようやく来たか」
葉守はまた、呟いた。久遠ヶ原の撃退士が六人、この場に到着した、と。報道が告げた。
「ここで待ってて」
浪風 悠人(
ja3452)は妻に、優しくそう言った。浪風 威鈴(
ja8371)の緑の目が、不安に揺らぐ。ついて行きたい。彼を一人にしたくない。でも。
悠人の瞳が。必ず帰って来ると、言っている。だから。
「ボク……警察に……報道……犯人の位置や動き……仲間の位置や状況が常に分かる様にしてもらう……」
そう言って、ヘッドセットを握りしめる。悠人はうなずいて、自分も同じものを装着した。
「情報、待ってるよ」
いつも通りの微笑みに。威鈴はうなずき返した。
そうして。五人の撃退士が、百メートルのラインを越え、犯人に近付く。声が届く地点まで来ると。葉守が止まれ、と言った。
「そこまでにしておいてくれよ。撃退士ってアレだろ? 一般人なんか簡単に制圧出来ちゃうんだろ。でもさあ、気を付けろよな。下手なことすると、コイツの目玉や鼻が飛び散るぜ。そういうの、正義の味方としてはダメだろ? だからさあ」
細い目が。獰猛な光を帯びる。
「殺しあえ。お前らの力が本当に正義なのか、俺が見定めてやるよ」
「仲間同士で殺し合えとは、全くの茶番ですね」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)が金の瞳を炯炯と光らせて言った。銀白の長い髪が潮風に吹かれる。
「別にそれが必要なら是ですが。今の貴方の姿が正義に準ずると? まぁ、正義の形など人それぞれと、言ってしまえばそれまでですが」
葉守は返事をしない。
「俺たちが正義……か」
黒ずくめで装ったルナ・ジョーカー(
jb2309)が口許を歪める。黒い目が、厳しく葉守を見据える。
「今のお前はただ、自分を認めてほしいだけだ。自分にくだらない力が欲しいだけだ。刀が、力が正義か? お前の心の中の曲がった刃……俺たちの熱で叩き直してやるよ」
言い捨てて、背を向ける。その視線の先には、金髪と翠の瞳の彼の妻、華澄・エルシャン・ジョーカー(
jb6365)が立っている。夫と目を合わせ。彼女は、固い表情でうなずいた。
「秩序を乱した外道と、話す舌は持たない。さっさと始めましょう。終わりを」
翡翠 雪(
ja6883)が冷ややかに言う。
それが。死合開始の合図だった。
●死合う撃退士1・死の舞踏
「来いよ、華澄」
光纏したルナの瞳は赤く、犬歯が伸び、さながら吸血鬼のような面持ちに変化する。
「お前の全力の一撃で」
華澄の全身を、淡い桜色の光が風の流れのように覆う。
「他人に殺させるなら私がこの手にかける。あなたに殺されるなら本望。お揃いの愛刀の使い始めなら上等よ」
白雪と月牙の二刀を両手に構える。二人の絆を示すはずの揃いの武器が、今、互いの体に切っ先を向ける。
「あなただからこそ本気で戦う。ルナ。覚悟はいい?」
「アンタら、恋人とか?」
葉守は子供にナイフを突きつけたまま、面白そうにたずねる。テレビでも見ているような気楽さだ。
「夫婦だ」
ルナは短く答えた。葉守はへえ、と声を上げる。
「そりゃいい。日頃の鬱憤とかさ、ここで晴らそう。夫婦喧嘩、万歳。リア充爆発しろ」
「葉守さん」
いつもは穏やかで優しい華澄が、射抜くように葉守を見る。
「撃退士は戦場に出たら自分達の命は戦えない人の盾と思ってる。自分も愛する人の命もね。護るべき人を忘れて生き残ったり自分達の死を嘆く程度の覚悟や力は正義じゃないわ。 敵を殺して終わりでもない。非情でも、胸が破れそうでも。誰かを生かすためには……戦う」
華澄の双刀が七色の光を帯びる。一気に距離を詰め、彼女は愛する夫にそれを打ち込んだ。ルナは咄嗟に魔法の障壁を作り出し、防御する。華澄の勢いが勝った。刃が黒い服を切り裂く。
すかさずルナは反撃する。最大の威力を込めたファイアワークス。広範囲に散った色とりどりの炎が華澄の身を包む。
双方、容赦はなかった。既にどちらも血に彩られている。それでも二人は見つめ合い、微笑みあった。
信じ、愛しているから。全力をもって相手を迎え撃つ。
それで自分が斃れても。相手が、その死を無駄にはしないことを知っている。
だからこそ、どこまでも凄惨な戦いを。睦みごとの如く笑みを浮かべて続けられるのだ。
揃いの刀が、互いに火花を散らす。一合ごとに互いの傷は深くなっていく。
だが、それは。どんな恋人たちよりも深く熱い、愛の交歓だった。
●死合う撃退士2・鍔迫り合い
「すっげー、派手ー。血まみれだよ、血まみれ」
ルナと華澄の戦いを、葉守は楽しげに見守る。
「おっもしれーなー。な、そう思うだろ?」
人質に話しかけるが、答えはない。葉守はつまらなそうに息をついて、たたずんでいるマキナに目を向ける。
「アンタは戦わないわけ? タイマンじゃなくても全然構わないんだけど」
マキナは挑発には乗らない。金の目で、ただ葉守を冷たく眺める。
「見ているだけではありませんよ。待っているのです。そも、この場で私と互するのは彼ぐらいですので。一方的に倒す姿を見せても、貴方には仕方ないでしょう?」
淡々とした言葉に、葉守は肩をすくめる。
「欺瞞だね。いいじゃん、一方的な殺戮、大歓迎だよ」
それから彼は。マキナの視線の先を見る。そこには悠人がいる。
「でも、へえ? あの眼鏡くん、そんなに強いわけ?」
「悠人様とこのような形で戦うというのも、因果なものです」
戦友と向かい合って、雪は淡々と言った。
「お覚悟を。私は盾。決して砕けぬ我が盾を前に、膝を折りて屈するがいい!」
彼らの戦いは。互いの刃を全身で受け止めあうようなルナと華澄のそれとは、全く趣が違う。どちらも守り巧者である二人の攻撃は容易に相手の体に届かない。金属の激しくぶつかり合う音のみが、橋上に谺する。
「おーい。お姉ちゃん、頑張れ」
葉守は無責任に声をかける。
「撃退士なんだろ? 力があるんだろ? 俺とは違うってとこ、見せてくれよ」
そんな簡単なことではない。そう、雪は考える。斡旋所では互いに手加減をして、という話だったが。
(無理な話だ。悠人様は強い方。強者を前に、加減など出来ようか)
だから、彼女も躊躇はしなかった。これは茶番。しかし、向かい合う相手は演技をしているのか?
否、この殺気は本物だ。
(悠人様、さぁ。見事捌いて、終わらせましょう)
そうして彼女は、その力をもって作り出したヴァルキリージャベリンを。悠人に向けて投擲する。
だがその一撃を。銀白の髪の青年は受け切った。大技を防ぎきられ、雪はさすがと舌を巻く。
命がけの鍔迫り合いを演じながら。二人はそれぞれに、動くべき時を待っていた。
●死合う撃退士3・捨て身の計略
「おお?」
葉守が目を見開く。その先には、ルナがいた。
妻に斬りつけられるのも構わず、いったん剣を鞘に納めた彼。続けて、神速で抜き放たれた刃が、華澄の体を斬り裂く。金の髪が風になびき、大量の血が夏空に舞う。
だが、彼女もただやられはしない。夫の手の内は知っている。彼が納剣した瞬間から、居合技が繰り出されることは予期していた。
「ルナ。捕まえた……」
華やかに微笑む。彼女の白い手から放たれたブラスが、ルナの双剣の片方に絡みつき、締め上げている。
そして、彼女も双剣使い。ブラスを持たぬ方の手には、月牙が握られている。その刃が再び、虹色に輝く。再び斬撃が放たれる。
今度、橋上に大量の血をぶちまけたのはルナだった。
「いいねいいね! 殺しあえ殺しあえ!」
ほくそ笑む葉守。抱き寄せた人質を、まだ離そうとはしない。
青白い光を全身に纏いながら、悠人は。慎重に、自分の位置を確かめていた。
ヘッドセットからは、威鈴の声。人見知りする彼女が、警察や報道の人間と交渉し。回してもらった情報を逐一、実況してくれている。おかげで、戦いの最中にいても自分と仲間たち、そして葉守と人質たちの位置関係が手に取るようにわかる。
離れていても。二人の絆が、ここにある。
剣を交えながら。悠人と雪は少しずつ、防壁に近付いていた。剣をまた合わせ、それを一度弾き。それが、合図となる。
雪が押され気味とみて、また葉守が声をかけた。
「なあ、やられるにしても、あっちの二人みたいにさ。どばーっと血を流せよな」
「正義は力だと。そう言ったそうですね」
雪は静かに言った。
「貴方の力と、私たちのそれと、何が違うのかと。……私には、命に代えても譲れない誇りがある。貴方とは、戦う理由の『格』が違うんですよ」
葉守が何か言おうとした時。
悠人が動いた。『ウェポンバッシュ』を使用した痛烈な攻撃。雪はまともにそれを受けた。細い体が跳ね飛ばされる。防壁を越え、海面へと落ちていく。遅れて、水音が聞こえた。
「落ちたか。つまんねえ終わり方」
葉守は舌打ちする。
彼は知らない。これは事前に計画されたもの。海に落とされて捜索もままならぬ人質の身を案じた雪が自ら提案したこと。
しかし、葉守の目を欺くため、落とした悠人に一切の手加減はない。彼女が今の攻撃でどの程度のダメージを受けたか。知るすべはない。
人質を離さない葉守を見て。悠人は口を開く。
「マキナさん。お願いします」
名を呼ばれて、マキナはゆっくりと前に出た。指先から肩口まで包帯で隙間なく巻かれた右腕。そこから、黒い焔の如くアウルが立ち上る。
二人の目が合い。次の瞬間、戦闘が始まった。
悠人は迅い。大剣の刃先が銀白の長い髪をかすり、彼女の体に食い込む。
マキナはすかさず後ろに下がって距離を取り、そこから右拳の渾身の一撃を叩きこむ。
が。それさえも、一度は悠人は受け切った。涼やかな口許に、にやりと笑みが浮かぶ。大剣が走り、またマキナの体を傷付ける。
次は外さない。マキナは拳を構え直す。加減する気などない。それは相手を軽んじることにもつながるのだから。
狙い澄まして、今度こそ叩き込む。
爆発的な威力。意識が朦朧としたところを逃さず、彼女は更に攻撃を加える。ついに悠人が倒れる。
「茶番劇も終わりですね」
倒れた相手の胸ぐらをつかんで引き起こし、マキナは言った。ルナと華澄も、既に満身創痍である。
「如何です? 殺し合いと言うモノを見た感想は。倒され打ち捨てられる者を見た感想は」
金の瞳が、無表情に葉守を見る。そのまま。葉守の足元に、ぐったりとした悠人の体を放った。
「一つ、貴方の正義を説いて貰えませんか?」
「俺の?」
人質を引き寄せたまま。葉守は足元に倒れる撃退士を見下ろす。
「覚悟と言ってもいい」
マキナは言う。
「私たちには、殴る覚悟もあれば殴られる覚悟もある。もう十分に、それは示したでしょう。今度は貴方の番です。貴方はその力で、何を為します? 力が正義だと言うなら、彼を殺しますか?」
葉守は悠人を見下ろした。そして。嗤った。
「ふざけんな。このガキを離したらどうなるかくらい分かってるんだよ。俺はさあ。正義を振りかざすお前らに、力があるからって偉いわけじゃねえってことを分からせたいだけなんだよ。だからさあ」
ピンクの舌が。薄い唇を舐める。
「お前が、殺せ」
「怖気……づいた……のか?」
その足元から。絶え絶えに、声がした。気を失ったかに見えた悠人が。地べたから彼を見上げ、笑っていた。
「臆病、者。力が正義なら、その力で……俺を、殺してみろ」
葉守は感情が沸騰するのを感じた。挑発に乗るのは莫迦げている。だが、止まらない。ボロボロの姿で涼やかに笑うこの男を、ぶちのめしたくてたまらない。
スキル「挑発」。それが敵の注意をひきつけ、攻撃をせずにはいられなくなるものだと。葉守は、知らない。
これも計略。悠人が望んで描いた筋書き。だが、受けたダメージは本物だ。
怒りに任せ、葉守は子供を突き放し。日本刀を手にする。
「だったら死ねよ」
『悠人……っ』
動けない悠人の体に刃が振り下ろされる。胸元から血が噴き出し、服を赤く濡らす。
「これだけか?」
悠人は。再び、笑った。
耳元では愛する妻が悲痛な声で自分を名を呼んでいる。そうだ。彼女の呼ぶ声がある限り、何度だって。
「その程度の攻撃で……俺の信念は、砕けはしないっ!」
天地が逆転したような気がした。気付くと、葉守は悠人に取り押さえられていた。マキナが彼の武装を解除する。人質たちは、既にルナと華澄が遠ざけている。
白昼の悪夢は。こうして、終わりを告げた。
●ANSWER
すぐに、警察や救急隊がやって来た。葉守の身柄は警察に引き渡され。力尽き座り込む悠人に、威鈴が駆け寄る。
「悪い」
いつものように微笑んで。彼の手が、威鈴の髪をなでる。手当てをしながら、威鈴は泣きたくなる。死なないでいてくれた。くれたけれど。それは、僥倖に過ぎない。
緑の瞳が。連行されようとしている葉守をにらみつける。狂犬のように。殺気を宿して。
「力が……正義……。なら……ボクも……やろうか……」
人形のような白い腕には。小さな歯型が血をにじませている。見守るしか出来ない中、猛る己を抑えるために噛み付いたのであろう。
「獣だな」
その姿を見て。葉守は、力なく嗤った。
「結局、同じじゃん。お前らには力がある。俺にはない。だから負ける。俺もお前らも、同じなんだよ」
「違う」
威鈴を抱き寄せ、はっきりと。悠人が言った。
「信念無き力が正義な物か」
「信念? 何ソレ?」
葉守は嘲う。
「おい、葉守」
横から声がした。血まみれのルナが腕を組んで立っている。同じく血に濡れた華澄が寄り添う。
「俺は自分勝手な人間だが。一つだけ、信条があるのさ」
胸元のペンダントに、指が触れる。
同じ過ちを、繰り返すな。重く深く、彼の魂に刻まれた言葉。
「信じるからこそ、この刃を振れる。信じるからこそ、全力を出せる」
葉守は鼻で笑う。ルナは肩をすくめた。これ以上は、言っても無駄だろう。
「お前がそうなれない理由は、牢屋でじっくり考えろ」
葉守が護送されて行った後。救急搬送される人質の傍には、びしょ濡れの雪がいた。
「おばあさんは見つけました。病院に運ばれていますからね」
彼女の言葉に。人質になっていた母親は、涙をひとつこぼし、その手を握る。
「あり……がとう……」
その言葉に。雪は重ねられた手を優しく握り返した。
力の意味。その問いに、正解はない。それは各々がその身に、心に刻むもの。
だが、この日の彼らの闘いは。それを見た人々にきっと、何かを伝えたことだろう。