●祭囃子の呼び声
「……ふぇ?」
目を開けた雪室 チルル(
ja0220)はぼんやりと辺りを見回した。
夜の空気が肌に心地よい。風に乗る太鼓のリズムと笛のメロディ。空を彩る花火とにぎやかな出店の列。OK、だいたい把握した。
「なんかよくわからないけどお祭りね!」
ふわふわした気分のまま、お囃子に誘われるようにチルルは参道を進んでいく。気付くと広場に立っていた。いつの間にか羽織った法被でお祭り気分も盛り上がる。
「これって夢かしら。だったら何をしても大丈夫ね!」
広場の真ん中のステージにチルルはひょいと飛び乗って、太鼓と笛をバックにかっこよく踊りだす。曲はもちろん盆踊り。
「夏休みと言えばこれよね!」
たくさんの提灯に照らされて、チルルは楽しく踊るのだった。
祭囃子に前を向く。目を落とすと自分は織部色の浴衣を身にまとっている。
(あぁ、夢だ)
と夏雄(
ja0559)は思った。石段に腰かけ、映画を見る気分で行き来する人の流れを眺める。見上げれば花火が空を彩っている。
(おや)
見知った顔が近づいてきた。
白地に鮮やかなアザミの緑の浴衣の木嶋 藍(
jb8679)と、黒地に雪のような白牡丹を描いた浴衣のユリア・スズノミヤ(
ja9826)だ。
通り過ぎるであろう二人に向かって手を振った。すると、
「なっちゃん、行こう」
「ほらほら、座り込んでないで」
その手をつかまれ引っ張りあげられる。
「……なるほど」
友人たちにはさまれて、
(どうして、何時もの彼女達だ)
歩き出しながら夏雄の口許には我知らず笑みが浮かんでいた。
雫(
ja1894)と不破 十六夜(
jb6122)は手をつないで広場に立っていた。
二人は生まれた時から……いや生まれる前から一緒の双子。だからこうして手をつないでいるのも何の不思議はない。当たり前のはず、だ。
「良く判りませんが、久しぶりな気がしますね」
祭りの様子を見回して、雫はつぶやくように言う。
「そうだねえ〜」
十六夜はうなずいてから、何が久しぶりなのだろうと考えた。祭りが? お囃子が? それとも。
「あのステージに上がってみましょう」
引き寄せられるように二人は舞台に上がる。途端にお囃子が神楽を奏で始めた。
二人の手には儀式用の剣。手になじんだ感触に、舞いに来たのだと自然に思った。
「十六夜」
「うん、お姉ちゃん」
神を宿す剣を持ち、前に後ろに右に左に二人は自在に舞い踊る。腕の動き、踏み出す足のタイミングもぴたりと合っている。
(これは夢ですね……。無骨な私が此処まで上手に舞えるとは思えませんから)
隣りで踊る妹の横顔を見ながら、雫はそう思う。
(でも、偶にはこんな夢を見るのも良いでしょう」
二人の息の合った舞いは続く。
●出店の灯りはどこまでも続く
ああ、これは夢だな。
浴衣に下駄で歩きながら、ミハイル・エッカート(
jb0544)はそう思った。明晰夢というやつだろう。目が覚めるでもなく深い眠りに落ちるでもなく、彼の意識はそのまま祭りの空間を彷徨う。
「またか。もう一度だ!」
人ごみの中から罵り声が聞こえた。
「ああ、また破れた」
金魚すくいの屋台の前に小太りの中年男が座り込んでいる。その横顔に見覚えがあった。ケッツァーの悪魔グムル。縁あったヴァニタスの主だった者。
「金魚がほしいのか?」
グムルの壊滅的腕前に呆れ、ミハイルは悪魔の横にかがみこんだ。
「手伝おう」
伊達に学園で何年も過ごしてはいない。日本の夏祭りの基礎科目くらいマスター済みだ。撃退士の能力をもってすれば金魚など敵ではない。(多分)
それにこれ、夢だしね。
樒 和紗(
jb6970)は屋台でたこ焼きを焼いていた。
「夢だと思ったのですが……日常でしたか」
たこ焼きこそは日常。日常とはたこ焼き。今夜も和紗が手にしたたこ焼きピックは華麗に舞い踊る。
呼吸する如くに大量のたこ焼きを作成していると、桜をあしらった浴衣に身を包んだ不知火あけび(
jc1857)が現れた。
「姫叔父、和紗さんのたこ焼き美味しいんだよ!」
同行の不知火藤忠(
jc2194)の浴衣を引っ張る。生成りに黒のゆらり縞に身を包んだ藤忠はとても美しい。
「姫叔父と呼ぶなと言っているだろう」
ため息をついて異議を唱えるが妹分は聞いちゃいない。
「和紗さん、二パックください!」
「ありがとうございます、あけび。今ならもう一パック付きます」
真顔で告げるが、これは友人へのサービス精神。
「さすが和紗、手際が良い」
三パック分のたこ焼きを焼く和紗の手元を二人で感心して見つめる。
「お待たせしました」
熱々のたこ焼きが手渡される。青のりとソースがいい香り。
「これが噂のたこ焼きか」
藤忠が完成品を眺めている横で、我慢できなくなったあけびは一個をぱくり。
「熱、でも美味しい!」
「立ちながら食べるな」
藤忠は苦笑しつつ、自分も一個いただく。やはりこういうものは出来立てを食べないと。
……うん、美味い。
からんころんと下駄が鳴る。親友たちの体温を掌に感じながら藍は参道を歩いていく。髪に挿した桜の簪が不思議に暖かさを伝えてくる。まるであの人もすぐ傍にいるかのよう。
手にしたホオズキの灯りに導かれるように歩くと、石段の横にりんご飴の屋台が見えた。
「あ、あそこ見てみたいな!」
青い瞳を輝かせて走り出そうとする藍に、
「はぐれぬようにな」
夏雄が声をかける。
並んだ赤いりんご飴。藍は美味しそうなものを選んで、
「はい、プレゼント!」
友人たちに一本ずつ渡す。
「おや、ありがとうだ」
「みゅ、ありがとーぅ! 私も何か買おうかにゃー」
ユリアが手にした提灯にはいつしか白百合の柄がひとつ。ゆらゆら揺れる灯りを持って、あちこちの屋台を見て回る。
並んで歩く三人は、若竹な空と濃紺の海と深緋の雪。
(広くて澄んだ空は何時も皆を穏やかに見守ってる。深くて温かい海は何時も皆を包んでくれてる。空気や音に弾む雪は……)
皆にどう映ってるかな。
「ではこれを藍ちゃんへ。りんご飴のお礼だよん」
差し出すのは薄紅色の桜の形をした飴細工。
「夏えもんには京紫地のちりめん柄の風車をあげよう」
にっこり笑うユリア。
風車を受け取った夏雄は、
「ふむ、折角だから回してみるか。風は……どっちだ」
上に下に、右に左に、前に後ろにと動かしてみる。
「……回してるようで回されてるよね、夏えもん」
ふふっと意味深に笑うユリアに、夏雄は小首を傾げた。
十六夜と雫はおそろいの浴衣に着替えた。
「髪、結ってあげるね」
浴衣を羽織った姉の後ろに回り、長い銀の髪を指で梳き上げる。
「相変わらずお姉ちゃんの髪は長くて綺麗だね〜。ボクも今から伸ばしてみようかなぁ〜?」
「綺麗、ですか。私の髪が?」
不思議そうな雫に「うん」とうなずく。
「さてと、次は何処に行こうかな〜」
その後は屋台巡り。
「おっ、良さそうなお店を発見〜。行ってみようか」
「まだ回るつもりですか」
「もちろんだよっ!」
「何軒目ですか!?」
そろいの浴衣でしっかり手をつないで、引っ張りまわされながらも屈託なく笑う姉に自分も微笑んで、十六夜は人ごみを進んでいく。
……本当は薄々わかっている。これは全部夢かもしれない。
(でも誰かが傷付いてる訳じゃ無いんだし)
これが現実だろうと夢だろうとどうでもいいんじゃ無いかな?
だから今は、姉妹の時間を楽しもう。
「ほら」
金魚が入ったビニール袋を悪魔に渡し、ミハイルは再び金魚をすくおうとポイを構える。背中を向けたままで、
「俺は、葉守を倒したメンバーの一人だ」
と明かした。
息をのむ気配に、
「金魚取ってやっただろ。何もしないから安心しろ」
と声をかけ、ポイをさっと振ると三匹の金魚が薄い紙の上に乗った。それをボウルに落とし込み、次を狙う。
「その後、ケッツァーはお前の帰りを温かく迎えてくれただろ?」
「あ……まあ……」
ぼそぼそと答えが返ってくる。
「誰にも責められなかった……」
良かったじゃないかと言って、獲った金魚でいっぱいになったボウルを店の親父に渡した。親父は金魚をビニール袋に入れる。それをまたグムルにやり、話を続ける。
「最後はひどい目に遭わされたようだが、お前、あいつを気に入ってたんじゃないか? あいつは戦うより生き残ることに能力が優れていた。それに人間部分が多く残っていた。普通は取っ払っちまう部分だぞ? 扱いやすく素直な性格に改造も可能だろう?」
「生存能力は……そう設計した」
金魚の鮮やかな色に目をやりながら、グムルはやはりぼそぼそと答える。
「わしの魔力はあまり多くない。それを分け与えるのだから簡単に壊れられては困る。あれは戦闘用というよりこの世界のガイド役だった。作った時は状況が切迫していて細かい調整が出来なかった。だから有用な記憶を失わせないために人格をいじらなかった。それだけの話だ」
グムルは言葉を切る。それから声の調子が少し変わった。
「だが……あれはいろいろ面白い話をしてくれたし、よく尽くしてくれた。わしらはうまくやっていると思っていたのに、どうしてあんな……」
その声は悔しげでも哀しげでもある。
ミハイルはその疑問には答えられない。死んだ男だけがその答えを知っている。
「なあ」
大きな出目金の入った袋を悪魔に渡し、まっすぐな眼差しを向けた。
「もしお前も同じ夢を見ているのなら、起きた後も覚えておいて欲しい。葉守は心行くまで戦い、満足して死んだぜ。それを伝えたかった」
グムルは小さな目をまばたきし、ミハイルの顔と出目金を高速で見比べる。
それから、
「そうか」
と小さな声で言った。
ホオズキの灯りを片手に持ちお宮への石段に向かう人影、いや熊影(?)が一体。熊の着ぐるみ(自作)の上に紺の浴衣を羽織り黒い鼻緒の下駄をはいた上野定吉(
jc1230)は、明るい光に顔を上げた。
次々に上がる花火が華やかに空を彩っている。
「マヤカどのと見たいのう」
大切な人の名前が思わず口からこぼれた。
石段の横にりんご飴の屋台があった。真っ赤な飴を見ると何だか嬉しくなってひとつ所望する。
「マヤカどのへの土産じゃ」
あの子は喜んでくれるだろうか。
恋人の笑顔を思い描きながら、定吉はゆっくりと石段を登った。
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は、涼やかなグレー地に麻の葉縞の浴衣姿で鼻歌を唄いながら出店の間を散策していた。
人ごみの中に目指す相手を見つけてにんまり笑う。
「勿論いるよね、夢なんだから」
ということで、うろうろしているアルファール・ジルガイア(jz0383)とその従者ジュルヌをレッツ捕獲。
「や☆ 祭り見物かい? だったらドレスコード守らないと……ね?」
一瞬で場面が飛んで、悪魔たちは浴衣にお着替え。
「ふむ。珍しい装束だが、この前の(オタク服)よりは良いな」
墨地に利休縞の浴衣を着たジュルヌは腕を広げて自分の袖を眺める。
一方アルファールが着ているのは白×黒×紫の大市松に薔薇模様の、どこから見ても女物だった。
「いいね。綺麗じゃない」
しかし本人はまんざらでもない模様。
「うむ、似合う似合う。僕の見立ては完璧」
ジェンティアンも上機嫌でサムズアップした。
ということで三人で屋台めぐり。
「あ、ねーこれ、前にリンドウがくれたやつ!」
アルファールが足を停めたのは色とりどりの金平糖が並んだ屋台。
……以前ジェンティアンが金平糖を贈ったのはアルファールではなくその友人だったのだが。そしてアルファールがそれをためらいなく横取りしたのだが。
「どれも美しいな。全部欲しい」
「何でも欲しがるんじゃない。しぼれ」
「ほらアルちゃん、これとこれ混ぜたら綺麗じゃない?」
屋台の前を占拠して三人で騒いでいると、
「殺気?!」
カカカカカッ! 石畳に突き刺さる無数のたこ焼きピック!
「外しましたか……ちっ」
舌打ちするたこ焼き流KUNOICHI和紗。
「Σ当たったらしぬでしょ!?」
石畳割れてるし。
「そんなところで騒いでは他のお客に迷惑です」
「そこはまず言葉で伝えて!?」
これもまた二人の日常ですね☆(生温かく見守るスタイル)
●影と過ごす時間
山頂。小さなお宮の前の鳥居の上に、古めかしい巫女装束を身に着けた桜庭愛(
jc1977)が座っている。 傍には出店で買った食べ物があるけれど、次々に上がる花火と行き交うホオズキの灯を見つめる瞳はどこか寂しげだ。
歩いていく人ごみの中に、懐かしい人々の影を見た気がする。
幼い頃はこんな風に巫女装束で夏祭りを眺めていた。その後、故郷は天魔に蹂躙され彼女の一族はみな戦って討死していった。
祭りの景色に、小さな自分が過ごした楽しかったあの夜を重ねる。
(みんなが命を賭けて願った平和がやっと訪れた)
いつも明るく元気な少女の瞳から涙がこぼれる。
これからも撃退士をしていくという誓いを胸に、愛は夏祭りの風景を見続ける。
……涙はこの夢の中だけに留めておけるように。
意識の傘を開く様に、飛鷹 蓮(
jb3429)はふと目を開けた。
宵闇を撫でる凪。遠くで祭囃子の音が聞こえる。提灯の灯が小さな命の重ね火のように見えた。
自分は石段に座っている。着ているものは濃紫に白百合の浴衣。彼女が見立ててくれたものだ。
打ち上げ花火が真正面に見えた。ここはどうやら特等席だ。
花火を肴に酒でも飲むか。と思うとすぐ横に酒と盃が置いてある。
好みの酒のようだと手を伸ばすと、隣りで春の調べの香りがした。ひとりだと思っていたが、どうやら連れがあったようだ。
石段に置いたままの提灯の淡い光にぼんやりと気配が浮かぶ。見ずとも“彼”と分かる。
黙ったまま盃に酒を注ぎ差し出す。きっと彼はいつものように優しく微笑んでいる。
……貴方は、一歩進む度にどれほど傷ついているのだろうか。どれほど自分を殺しているのだろうか。
他人が恵まれなくとも、貴方は倖せになればいい。
春の色に、不幸は似合わない。
言葉に出さず、ただ願いを込めて。二人は静かに盃を重ねる。
人ごみの中、ロジー・ビィ(
jb6232)はひとりで花火を見上げていた。
光の華が大きく咲く。夜空にゆっくり浮かび進む。
大きな光の華。こんなにも大きいのに、咲いてはすぐ散る。
その儚い炎の花に、彼女はいつか知っていた面影を重ね合わせていた。
それはアイスブルーの瞳の撃退士か、爪を血に染めたヴァニタスか。
(この花は……彼らは……どう思って生きて、お互いに何を見て……そして対峙していたのでしょうか)
深い夢の中だから言える。
『もう止めて』と。『自分を傷付けるのはもう止めて』と。
雑踏の中に、追いかけ続けた背中を見た気がした。大声で呼んだが、すぐにその姿は人ごみに消えていく。
呼んだ名前は誰のものだったのか。自分でも分からない。
けれどひとつだけ分かっていることがある。
互いの姿に自分自身を映している、鏡合わせのような似て非なる彼ら。
でも、二人は違う存在なのだと言い切れる。あんなに一緒に居たのだから……。
橘 樹(
jb3833)は夜店の間をぶらぶらと歩いていた。途中で買ったたこ焼きを口に運びながら夜空を見上げると、眩しい大輪の花が咲いた。
「綺麗だの……」
遥か昔、人間の女の子と並んで花火を見たことを思い出した。
その子は穏やかでいつも微笑んでいて、けれど身体が少し弱くて。
泡沫の夢のように樹の前からいなくなってしまった。
あれはきっと初恋だったのだと思う。
もしもう一度会えたら、自分はなんと声をかけるのだろう。次々に上がる花火を見つめながら想う。
会えたら。……会いたい。
隣りに人の気配を感じて顔を向けると彼女がそこにいた。
(ああ)
こみあげる嬉しさと同時に、
(これは夢なんだの)
そう理解する。
「……一緒に花火見るかの?」
懐かしい影に微笑みかけると、彼女もあの頃と同じように微笑んだ。
手を伸ばし、手をつなぎ。人ごみの間を抜け、花火が良く見える場所を探す。
微笑んで微笑み返し、天を指さし声を上げ、光の華に手をたたく。
彼女がいて自分がいる、ただそれだけの時間。
やがて彼女が手を離す。別れの時間が来たのだろう。
「会いに来てくれてありがとうであるよ」
遠ざかっていく影に届くように声を張り、
「わし今幸せだの。だから心配しないでの♪」
笑顔で大きく手を振った。
一度だけ振り返ったあの子は、笑っていたと思う。
「まさかこんな所で会うなんてね。祭りとか、本当は好きそうだもんね」
鈴木悠司(
ja0226)は偶然会った知人と立ち話をしていた。
いつ、どこで知り合った相手だったか。記憶はぼんやりしているが、良く知る相手であるのは確かだ。最近には珍しく、悠司は饒舌になっている。
「なあ、アンタの求めた力って、どんな力……? 奪う為? 守る為?」
相手の薄い唇が動くのを、悠司はじっと見ている。
その答えにうなずいて、更に問いを重ねた。
「自分を含めた誰かを守るには力が不可欠だろ。……力無きが為、守れなかったから。アンタは……?」
赤い髪が揺れる。相手の答えにやはり自分とは違うと納得する自分と、どこか通じるものがあると感じる自分がいる。
「俺は……ただただ、力が欲しかった。そうすれば、何もかも、消せるだろうと思うから。罪も、悔いも……そう、今在る弱い自分すらも、ね」
赤い髪の男が何か言っている。その言葉は持って帰れないものなのだと悠司はどこかで気付いている。
それでもあるはずのなかった再会に、久々に微笑んだ。
花火がまた上がる。二人を照らす。浴衣姿の人々の中、普段と変わらない格好の自分と相手。
「花火も上がってるんだね」
悠司は言った。
「少し見ていこうよ。鮮やかに咲き、ただ消えるだけの光を」
●花火の下で
天を轟かす音に真白 マヤカ(
jc1401)は顔を上げた。
人の頭越しに広がる鮮やかな打ち上げ花火に見とれる。何てきれいなのかしら。
下駄を鳴らしてからころ歩く。軽やかな音が楽しい。
裾にアサガオの花をあしらった薄紫の浴衣を纏い、深い青の髪は簪でまとめて。
石段の下の屋台でりんご飴を買い、ホオズキの灯りに導かれるように石段を登る。
この上ならきっと、遮るもののないところから花火が見られる。
程よい場所を見つけて足を停めた。足元には出店の灯り。正面に花火。
でも、ひとりがちょっと寂しい。大好きな熊さんと一緒に見たかった。
しんみりしていると、石段の下から近づいてくる足音が聞こえた。そちらに目を向け、マヤカは微笑む。そうだ、そうでなくては。
「遅いわよ」
声をかけ、笑った。
思いがけず出会った思い人の、いつもと違う浴衣姿に定吉の心臓は高鳴った。とっさに言葉が出てこなくて、手に持ったりんご飴の袋を差し出す。
「土産じゃ」
マヤカは嬉しそうに口許をほころばせ、
「それじゃこれは熊さんの分ね」
自分の買ってきたりんご飴を差し出した。
「浴衣、おそろいね」
微笑む彼女に定吉は全力でうなずく。表情のないはずの熊の着ぐるみが、花火に照らされ喜びに輝いているように見えた。
二人並んで花火を見上げる。ふと視線に気づいてマヤカが隣りを見ると、自分を見ていた定吉と目が合った。
「熊さん?」
首を傾げたその顔に定吉は大きくため息をつき、照れたように小声で言う。
「……花火よりもおぬしが眩しいのう」
マヤカの白い肌は真っ赤に火照る。
「どうしたの? 今日は何か変ね」
ドキドキする心臓をおさえつけるようにしながら、少しだけ彼に寄りかかった。
「マヤカどの?」
「少し疲れたの」
「そ、そうか。それならば仕方ないのう」
心臓の音が相手に聞こえそうだと思いながら、定吉は肩にかかる重さを受け止める。
その優しさを感じながら、マヤカは『一緒にいること』に安心していた。二人でいる時間がいつでも一番自然に感じられる。夢のような、だが永遠の二人の時間がゆっくりと過ぎていく。
お茶に牛タン串に、とうもろこし林檎飴チョコバナナ、そしてたこ焼き。たっぷり買った食べ物を横に置き、あけびは石段に腰を下ろした。
「ずいぶん買ったな」
呆れたように言いながら、藤忠は缶ビールのプルタブを引き上げる。しゅわっという音が夜に響く。
「二人分だもん。お祭りは楽しまなくちゃ!」
嬉しそうに笑うあけびを見ながら、藤忠はビールをひとくち喉に流し込んだ。花火にはビール。大人としてここは譲れない。
祭りの味を楽しみつつ打ち上げ花火を楽しんでいると、
「姫叔父、大好きだよ」
不意にかけられた言葉に藤忠は驚いて妹分を見た。
「姫叔父は私に救われたと思ってるみたいだけど、私だって姫叔父に救われたよ。姫叔父が兄貴分になってくれて本当に良かった」
真剣な赤い瞳に、藤忠はもう一度微笑んだ。そうやってこの子は何度でも自分を救い上げてくれるのだ。
「姫叔父とお師匠様とまた一緒に暮らせるのが嬉しいよ」
頬を少し染めてそう言うあけびの表情は、忍びではなく年相応の少女のそれだ。
「夢なんじゃないかと不安になる位に。私ね、二人と一緒なら何でも出来る気がするんだ」
瞳を輝かせて言う姿は、あの幼い日のままで。
あの日、自分が贈った簪を目の前でたたき折られて姉に憎まれているのだと思い知らされた。その自分の前に、師匠からもらった簪をつけたあけびが無邪気な笑顔で現れた。
随分酷い言葉を喚いた気がする。信頼し合う二人が羨ましくて、そうせずにはいられなかった。
なのにこの子は言ったのだ。
『じゃあ私がお兄さんの妹になってあげる!』
あけびと自分が兄妹で、あけびの師匠が……自分の親友が友達。三人で、家族。
姉と家族になることが出来なかった自分が、それにどれほど救われたことか。
「夢じゃない」
藤忠は低く言って、妹分の頭を優しくなでた。
「私、大切な家族を護りたいんだ。改めてそう思った」
少しくすぐったそうにあけびは言い、
「俺も二人と恋人を護りたい」
藤忠もうなずく。
大切な人たちと行く未来を想いながら、二人の花火観賞は続く。
和紗はホオズキの提灯とたこ焼きをもってジェンティアンの待つ石段に向かっていた。
花火は見たいが店をどうしようかと思ったところに、ちょうどよく知人が現れた。
「良いところに通りがかってくれました、矢松。少し店番をお願いします。報酬はたこ焼きで」
つけていたエプロンをはずすと紫紺地に月下美人の浴衣姿が艶やかさを増す。あ、辞退は認めない方向で。
「いや断る。たこ焼きの焼き方などしらん」
矢松は抵抗するが、和紗は輝く笑顔でとどめを刺した。
「矢松“先生”がたこ焼を売っていると、坂森にも教えておきますね」
繰り返すが、断る権利とかないので。
ということで、石段の途中でジェンティアンたちと合流。
「お待たせしました」
とたこ焼きを差し出し、悪魔二人の浴衣姿を改めて見る。
「二人とも浴衣似合っていますね。……でもジルガイアのそれは女物ですよね?」
今まで誰も触れなかったことをナチュラルに指摘。
「道理で。やけに派手だと思った」
ジュルヌが渋面を作る。しかし本人は、
「別にいいよ、美しいから。美しい僕には美しい衣装がピッタリでしょう」
やはりまったく気にしなかった。
「似合えばいんじゃない?」
軽く流すジェンティアン。良いトリオかも。
わいわい花火見物をしているうち、飽きてきたアルファールが『もっとよく見えるところに行きたい』と言い出した。
「飛ぼうよジュルヌ」
「えー。アルちゃんたちばっかりずるーい」
ジェンティアンが口をとがらせる。
「僕たちも連れてってよ。抱えて飛んでくれるとか?」
「重いからヤダ。そっちの娘なら抱えてやってもいいけど」
「和紗に触るのは僕が許さないよ!?」
平常運転の二人に、和紗とジュルヌがやれやれとため息をつく。
「そうだ」
ジェンティアンはひらめいた。何しろこれは夢である。夢であるなら何でもアリだ。
「夢なら、僕らにも翼が生えないだろうか」
「あ……夢なら俺たちも飛んで花火を見られる?」
和紗も瞳を輝かす。
その途端、二人の背にパッと大きな翼が現れた。
「和紗」
「はい、竜胆兄」
二人は手を取り合い夜空に舞い上がった。
行く手に広がる景色は、幼いころに空想した楽しい夢物語のようだった。
「坂森さん、こっち」
花火が良く見える場所を見つけ、黄昏ひりょ(
jb3452)は真夜に手を振る。走ってくる撫子柄の浴衣姿を見て、
(誕生日の時にプレゼントした浴衣、似合ってるなぁ)
と嬉しくなった。
何よりサイズが合っていて良かった。女の子にサイズを聞くのもはばかられるので目測で購入したのだが。いや、前に温泉でディアボロ討伐をした際に何かあられもない姿を見たような、見てないような気もするけど……。
(気のせいだっ)
ひりょはぶんぶんと頭を振った。そんなことを考えていたら、平常心で会話が出来なくなる。
「どうかしましたか?」
聞かれて笑ってごまかした。
「こうやって浴衣で歩くの久しぶりだと思って」
「線香花火大会以来ですね」
「懐かしいね。そうか、もう出会ってから二年経つんだな……」
記憶の中の情景をたどり、彼は不意に決心した。
「ある意味記念だ。これを機に真夜さんと呼ばせてもらってもいいかな」
(これは夢かもしれない)
ふわふわした祭りの情景がそう思わせるのか。
(夢ならば今まで言えなかった事も言える気がするから)
思い切って言ってしまおう。
「最初会った頃は過去の自分を見ているようで放っておけない気持ちがあった気がする。でも、今は違う気もする……傍にいたいから傍にいる、そんな気がするんだよな」
提灯に照らされた顔が少しびっくりしたように自分を見ている。
「これからも真夜さんの傍で君の成長を見守って行きたい。駄目、だろうか?」
「いえ、嬉しいです」
真夜は大急ぎで返事をした。
「じゃあ私もひりょさんって呼ばせていただこうかなあ」
出会って二年。二人の距離が少しだけ近づいた。
……夢が覚めてもきっと。
どーんどーんと花火の音が空気を揺るがす。
「花火が見たいな」
と藍は言った。
その声が次の花火にかき消され、
「何か言ったかい藍君」
夏雄が聞き返す。
「花火が見たいって言」
どーん。
「んー?」
「夏えもん。藍ちゃんは花火が」
どーんどーん。
「聞こえな」
どーん。
「花火!」
「花火がどうした?」
どどーん。
大きな声で訊き返し、大きな声で答え返す。それだけなのにどうやら楽しい。
楽しい自分は今どんな顔をしているのだろう、と夏雄は思う。見知った顔を捕まえて、さらりと変われば分かるだろうか。
(あぁ、まぁたぶん)
笑い転げている友人たちと同じように。
(笑顔だろうさ)
花火がよく見えるように石段を少し登った。藍は近くにあった石灯籠に腰を下ろす。空の華とそれを指さし笑い合う親友たち。ずっと心に留めておきたくなる景色。
(夢が覚めてもきっと忘れない。花火の様に艶やかな心優しい白百合の笑顔も、いつも道を教えてくれる瞭然たる織部色の佇まいも)
懐かしい香りがした。
昔、母が彼女と弟に作ってくれた淡いネロリの精油の香り。
石灯籠の反対側に気配がある。振り返ったらきっと消えてしまう淡い気配に胸が締め付けられる。
(わたし、家族を作っていいのかな)
大切な人を心に思い浮かべ、藍は想いを紡ぐ。
(その人はわたしはもう失わないって言ってくれた。……今度一緒に会いに行くね)
そう囁くと、石灯籠の陰の誰かがやわらかく微笑んだ気がした。
「大柳な花火が七色の雨みたいねん。大輪の菊と牡丹にも触れそう」
ユリアは空に向けんーっと両手を伸ばすが、
「あー、やっぱり届かない」
分かってはいたけれど、ついやってみたくなった。夢だし、もしかしたらと思ったのだが。
ふと手元に目を落とす。白百合の描かれた提灯がそこにある。
その隣にはてるてる坊主の提灯が。振り返れば石灯籠の横には鳥の描かれた提灯。
名を呼ばれた気がして上を見る。石段の上の方で蓮と桜の提灯が並んで輝いていた。
そちらに向けて大きく手を振る。
手にした絆。空の花には触れなかったけど、私の花は傍にいる。
石段の下から聞こえる風鈴の様に心地良い三つの声音に、蓮は手を振り返す。
彼女たちが倖せならそれでいい。
隣りに座る人も、微笑みを浮かべて手を振っている。
夏の褪せる香りがした。
雑踏の中で名を呼ばれ樹は振り返った。両手に金魚が入った袋をやたらにたくさん持ったミハイルがそこにいた。
「取りすぎた。少し持って行かないか」
金魚の袋を差し出され樹は目を丸くする。それから、
「ではいただくかの。ありがとうだの」
たこ焼きのパックをひとつお礼に渡す。水槽を買って帰らなくては。
しかしそれにしても、
「まだいっぱいいるであるの」
「部室にも水槽を置くか」
ミハイルは苦笑する。樹も笑った。
過去の影がもたらしたほんの少しの寂しさも、友人達と過ごす時間が彩ってくれる。
今、自分の周りにいる人達に感謝。
「たーまやー!」
空に上がる花火に向かって、チルルの元気な声が響く。
思い切り踊った後は屋台巡りを楽しみ、今はいろいろ買った食物をお供に花火鑑賞中であった。
やはり花火と言えばこの掛け声がなくては締まらない。もちろん、
「かーぎやー!」
も忘れない。ちなみにこの掛け声は元々江戸時代に存在した花火屋の(以下略)。
「あたいってば物知りね!」
これからは知性派撃退士を名乗るのもいいかもしれない、とご機嫌でかき氷を頬張る。キンとした冷たい感触が口内からこめかみに抜ける。
「あ、また! たーまやー!」
次々に上がる花火に向けて声を掛ける。結構忙しい。
この終わらない祭りの夜が、誰にとっても良い夢でありますように。