●星空の下、にぎやかな夜
夕暮れ少し前。水竹 水簾(
jb3042)は五合目の少し上で観測ポイントを探していた。
折角の機会だから星を見ながら鍛錬でもしたい。長く戦場に出ることをやめていたから、感覚が鈍ってしまっているだろうし。
それなら、人目のないところでやりたかった。
(だって、失敗しているところを見られたら恥ずかしいじゃないか)
そんな乙女心である。
藪を分け進むうちに思いついた。
(何か山の幸が採れたら持っていこうかな。山芋を炭で焼き芋のように焼くとほくほくで美味しいんだ)
バーベキューと一緒に食べたらおいしいだろう。探索のついでに山芋を探してみることにした。
五合目近く、登山者から『見晴台』と呼ばれる場所に巡回を終えた撃退士たちが集まりつつあった。
「記事のネタにもなりそうだし、ついでにキャンプも楽しめる! ……っと来ちゃあ、参加しねェ訳にはいかないぜ」
小田切ルビィ(
ja0841)は上機嫌だ。テントの準備よし。寝袋の準備よし。カメラの準備よし。
「寒い時期のキャンプってのは星空はキレーだし、虫もいねーし、焚火はあったけーしで最高なんだよなぁ」
後ろで荷物持ちに連れて来られた妹・巫 聖羅(
ja3916)がじとっとした目を向けているが気にしない。ルビィは早速、炉の設営などを手伝い始める。
月乃宮 恋音(
jb1221)はバーベキュー用の食材を広げて調理準備にかかっていた。あらかじめ筋を切り叩いておいた牛肉や豚肉を取り出し、タッパーに張ったコーラに漬けていく。こうするととろけるように柔らかくなるのだ。
「全くもう……私は寒いのは苦手なのに……」
つぶやきながら聖羅も手伝う。兄から渡された包みを開けると、中には『ルビィ謹製・ヨーグルト漬イベリコ豚』が入っていた。重さもずっしり、食べ甲斐がありそうだ。
野菜や肉を焼く煙が夕空に上がり始める頃、少し離れた場所では樒 和紗(
jb6970)が大きな鉄板をコンロで熱していた。くぼみに油を塗り、かきまぜておいた材料を流し入れると……たこ焼きの焼ける美味しそうな香りが漂い出す。
「最近慌ただしくて焼いてませんでしたからね。……日常は大切です」
呼吸をするように自然に、次々にたこ焼きを焼き上げていく彼女に、
「ああ……そだね。和紗の日常だね、それ」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はややぎごちなくうなずいた。
「竜胆兄。何か言いたいことでも?」
軽く睨まれ、ジェンティアンは今度は本当に微笑んだ。何であれ彼女が平常運転ならば安心である。
「火はあるだろうけど、暖かくしてなね」
手にしたストールを細い肩に優しく掛ける。山上の風は冷たくなり始めていた。
空は薄青から濃紺に色を変え、初めは数えられるほどだった星がいつの間にか空いっぱいに広がる。
見晴台は食事をとる者たちで賑わった。恋音と聖羅が次から次へと串を焼いていく。和紗はたこ焼きを量産する。越野や真夜たち斡旋所の面々も望遠鏡の調整にバーベキューの手伝いにと忙しい。
忙しく働く彼女たちや美味そうに食事をする参加者たちの姿をルビィがカメラに収めた。
「真夜ちゃん久し振り! 今度、高校生になったお祝いに可愛い服見にいこ!」
厚手コートにポンポンの付いたニット帽をかぶった木嶋 藍(
jb8679)が真夜に声をかける。
「お久しぶりです。ありがとうございます」
頭を下げる真夜に微笑んでうなずき、
「土星の輪っか見てみたいな」
と望遠鏡をのぞく。
「土星を見るなら明け方が良さそうよ」
越野が天文カレンダーを見ながら答えた。早起きしなきゃ!
「坂森ちゃん、たこ焼き食べて?」
ジェンティアンが紙皿を差し出した。真夜が礼を言って受け取ると、
「おまけでホワイトデー♪」
桜色ストールがふわりと肩にかけられる。
「ん。桜色似合うね、やっぱり」
微笑みかけられ真夜は赤くなってもう一度頭を下げた。以前にもらった物より厚手で暖かい。
「センセも高校進学祝とかしたの?」
ジェンティアンは近くにいた矢松に声をかけた。荷物持ちとして連れて来られたフリー撃退士は大変不機嫌だった。
「久遠ヶ原は持ち上がりだろうが。いちいち祝う必要はないだろう」
つっけんどんに言うのを、
「ダメでしょちゃんとお祝いしなきゃ。全くぼっちの三十路は」
とからかう。恰好のオモチャである。
「俺に構っていないでたこ焼きでも配ってろ」
「やー、遊べるのも残り少ないかもなので。目標を見つけてしまったから」
笑って言いながら、色違いの双眸は一瞬遠い夜空の更に先へ向けられた。
「どこかへ行くのか?」
興味を引かれた様子の矢松が聞いても「内緒☆」と笑って答えない。
そこへ、
「嫌いでなかったらどうぞ」
ジェンティアンを押しのけ、和紗がたこ焼きの載った皿をずいっと矢松に差し出した。放っておくと漫才が延々と続くので、先ほどから頃合いを見ていたのだ。
「荷物運び、お疲れでしょう? ……何だかんだで良い人ですよね」
矢松は咳払いして皿を受け取った。和紗は真夜にも、
「もう一皿どうですか?」
とたこ焼きを渡す。真夜は喜んでいただいた。
「おいしいです……」
幸せそうに食べる真夜を見ながら、和紗はふと質問する。
「そろそろこの戦いが終わったら……何て考え始めても良いのかもしれませんね。坂森は何か考えていますか?」
「え? えーと……あの、樒さんはどうですか?」
問い返されて和紗は「そうですね」と首をかしげる。すぐに答えは出た。
「俺は、今のまま進めたら」
自分の選んだ道をまっすぐに。それが彼女の望む未来。
「こんばんは、樒さん」
黄昏ひりょ(
jb3452)が足を止めて挨拶した。
「いい匂いだね。たこ焼き?」
「こんばんは、黄昏。どうぞ食べてください」
ひりょにたこ焼きを渡してから、和紗は離れたところで星空を見上げながら珈琲ミルをひたすら回している不知火あけび(
jc1857)に気付いた。
「あけび。良かったらどうぞ」
「ありがとうございます!」
満面の笑顔でたこ焼きを受け取りさっそく頬張るあけび。焼きたてなので熱々だ。
美味しくて身も心も温かくなると思いながら、手際よくたこ焼きを焼く和紗の手際に感心する。
「マイたこ焼きピック……さすが大阪出身!」
道具一式そろえているのがさすが。そして自分も頑張ろうとまた珈琲ミルを回し始めた。
「あっ、藍ちゃん!」
さぶい……と夜風に震えていたユリア・スズノミヤ(
ja9826)は、友人の姿を見つけてぎゅーっと抱きついた。ピンクパール色のニットコートと、大切にしている耳あてで防寒対策はばっちり……のはずだが、やはり寒いものは寒い。
「うわ、ユリもんのほっぺた冷たい。ミルクティ飲む?」
藍は大きなポットいっぱいに作ってきたミルクティを紙コップに注ぐ。湯気と一緒にジンジャーの香りが広がった。
「うみゅぅ……ミルクティがあったかーぃ」
ひとくち飲んでユリアはほーっとため息をつく。
「ジンジャーも身体をぽっぽさせてくれるからいいねん。あ、金平糖どぞー☆ 星を眺めながら星屑食べちゃおう☆ なんて」
ユリアは自分の荷物から金魚鉢ほどもある大きな巾着袋を取り出した。中には色とりどりの金平糖がたっぷり詰まっている。二人は小さな甘い星屑を口に含んで微笑みあう。
「クリスちゃん達にもお裾分け」
藍は、クリス・クリス(
ja2083)とミハイル・エッカート(
jb0544)の『親子』にもミルクティを注いだ。
「お、すまんな」
「ありがとうございますー!」
クリスは白い息を吐きながら温かい飲み物を口にする。
「澄んだ空気の中で、みんなでふーふー言って飲むの楽しいね!」
にっこり微笑む藍。
「流れ星こいこーぃ」
ユリアが言うと、
「よっし、流れ星を見つけよう!」
藍もやる気になる。夜空をあちこち指差しながら、二人は楽し気に笑い声を上げた。
ミルクティと一緒に山盛りのたこ焼きもいただき、はおなかの底から暖まったクリスとミハイルは望遠鏡に向かった。ミハイルがクリスを膝に乗せ一緒にブランケットにくるまる。
「わぁ……暖かい……」
クリスがはしゃぐ。望遠鏡をのぞいて見ると、オリオン座大星雲もすばるもはっきり見える。
「あれは双子座だが、俺には寄り添う仲睦まじい夫婦に見える。つまり俺と婚約者のように。これからあれは夫婦座だ!」
大声でのろける彼の後ろを通ったラファル A ユーティライネン(
jb4620)が、
「お、あそこに見えるのはピーマン座じゃねーのか?」
と口を出した。天敵()の名を聞いてミハイルは、
「そんな星座はいらん!」
思わず大声を出してしまう。ラファルはにっと笑って姿を消した。
咳払いして仕切り直し。
「クリスは学校で星座も習っているだろう。パパに教えてくれないか? 冬の三角形はどれだろうな?」
「冬の大三角? どれだろ……オリオンはすぐ判るけど……」
クリスは手にした星座図鑑をめくろうとして、くすりと笑った。
(この子も魔具でなく本来の使い方されるの久しぶりかも)
本から顔を上げると、眼下に広がる森の向こうに街の灯りがまたたいていた。
「あの灯り一つ一つの幸せをボクたち守ってるんだね」
小さく呟く。その灯は頭上に広がる冴えた星空と同じくらい美しいとクリスは思った。
「遅くなったけどバーベキュー……良かった、まだやっているな」
泥だらけになって見晴らし台にたどり着いた水簾が取り出したのは何本もの立派な山芋。
初めての山なので芋探しから手を付けなければならず、これだけの収穫を手にするのは大変だったが。掘り出すのは撃退士の力をもってしても長い戦いになったが。
それでも水簾はやりとげた。
ホイルに包んで焚火に入れる。しばらくすればほくほくの焼き芋が食べられるだろう。
目の回るような忙しさの中、聖羅は額の汗をぬぐおうと顔を少し上げた。すると星々の明るい光が目に飛び込んできた。
兄に有無を言わさず連れて来られた天体観測。それなのにこうして実際に夜空を目にすると心が躍る。
ふと思った。
(星空と言えば星座、星座と言えばギリシャ神話よね?)
ギリシャ神話と言えば―― 『アテナ』や『ゼウス』。
わずかな側近だけを頼りに学園に助けを求めた天界の姫を想う。
(私達の世界の神話と彼等は何か関係があるのかしら? それとも、神話のモデルが彼等なの?)
まあ実際はいろいろ混ざっているわけだが。
遠い昔は天魔と人との距離は今よりずっと近かったという証拠なのかもしれない、と聖羅は思った。
●それぞれの夜
食事を終えた後、パトロールを再開する者もいた。
逢見仙也(
jc1616)は一人、ゲート痕周辺の調査をしていた。彼が見たところでは、このゲートは消失寸前だった。夏まで持たずに痕跡すら消え去るだろう。この山の調査も今年限りかもしれない。
「……寒い」
こたつが恋しいと思いながら、仙也は倒木に腰を下ろした。寒いのは苦手だからロングコートでしっかり防寒してきたが、やっぱり寒い。
しかしこんな時のために秘密兵器が!
仙也は『耶蘇』と書かれた瓢箪を取り出し、蓋を外して中の液体をぐびりと飲んだ。きりりとした辛口の強い酒が喉を通り抜けていく。
以前暮らしていた村の名残。それを味わいながら彼は空を見上げる。
まだ魔界に暮らしていた頃、人界好きの変わり者に武器を作ってもらっていた。その男が好きな星座があると言っていた。
輝く星に目を凝らす。せっかく来たのだから、彼の言っていた星座を見てみたい。
……まずはその星座を思い出さないといかんのだけど。珈琲にお汁粉と温かい飲み物は他にも持ってきている。のんびりと時間をかけて記憶をたどるのもいいだろう。
星杜 焔(
ja5378)と星杜 藤花(
ja0292)は、夜空を見渡せる場所で座って星を眺めていた。
「この時期の空も綺麗ですよね、焔さん」
星には一入の思い入れがある藤花が北斗七星を指し、ひしゃくの柄に寄り添う小さな星のことを話して聞かせる。
「添え星、なんて素敵な響きですよね」
藤花の言葉に焔も微笑んだ。
「あ、さくらジャムを練り込んだクッキーを作ってみたよ〜」
「焔さんのお手製、期待してました」
幸せなお夜食タイム。
(天魔との戦いも随分変化しているけれど、こうやってともに過ごせる平和な時間が増えている気はする)
藤花は思う。
のんびり夜空を眺めていれば、そのうち乙女座が天高く昇ってくるはずだ。白い一等星のスピカを二人で眺め、春の訪れを感じたい。
焔は、藤花が作って来てくれた紅茶をしみじみと味わっていた。温かさが体にしみる。
それと同時に子供の頃の記憶の断片がひらめいた。風邪を引いた自分のために、母が紅茶を淹れてくれた情景。
「アウルに目覚めてからは風邪とは無縁だね……」
それをちょっと寂しいと思った。
ドニー・レイド(
ja0470)とカルラ=空木=クローシェ(
ja0471)は昼の内に目星をつけておいた観測ポイントにいた。自前の観測機材をドニーが調整している間に、カルラが二人用テントの設営をする。
二人で星を見るのは初めてではない。けれど自分が防寒よりちょっとだけお洒落を優先していることに彼は気付いてくれているのだろうか……そんなことが気になるカルラである。
持って来たサンドイッチを広げ、温かいスープを用意しながらちらりとドニーの横顔を見る。カルラは本当は、「星を見る」より「星を見ている彼を見る」方が好きだったり。
空を見上げる。入学してからの五年間、いろいろなことがあった。今夜はいつもと違った気持でこれまでの時間に思いを馳せてみようか。
「寒い日程、星が綺麗と言うのは本当、だねぇ?」
水無瀬 快晴(
jb0745)は空を見上げて囁くように言った。
「空気が澄んでいるから,星も綺麗だね♪」
水無瀬 文歌(
jb7507)はうなずいて夫に寄り添う。
木立の間に見えるのは降るような星空。二人の息は白い。
「私の誕生星座のふたご座が綺麗に見えるよ。こうして見ると仲良く寄り添う夫婦の様にも見えるね?」
「んむぅ。冬の大三角形もよく見えるねぇ?」
星座早見盤と空を見比べ、文歌が魔法瓶に入れて持って来たお茶を飲む。
「……暖まるねぇ」
星を指差し言葉を交わし、時間は過ぎていく。
やがて夜風が枝を揺すると、文歌は「寒い……」と快晴に寄り添った。山は寒いからとしっかり厚着をしてきたのだけれど。懐炉を持たせてくれたのも文歌だったけれど。
快晴は微笑んで、
「うりゃ、ぐるぐる巻きにしてやる」
長いマフラーを取り出して文歌の頭も首も包み込むようにぐるぐるぐる。
「はわ」
言いながら文歌はされるがままに。目が合って互いに微笑んだ。
「もっといっぱい星空を見に行くよ!」
雪室 チルル(
ja0220)は星空を見上げ、青い瞳をキラキラときらめかせた。
ところは五合目近くの登山道。ここからでもこんなにきれいな星が見えるなら、もっと高いところに登ればもっと素敵な光景が広がっているに違いない。
そういうわけでチルルは山頂に向け進軍を開始した。
「お、悠司じゃん」
気の向くままに巡回を行っていたヤナギ・エリューナク(
ja0006)は友人の姿を見て歓声を上げた。
「アレ? ヤナギさん? 偶然だね」
鈴木悠司(
ja0226)は足を止めて振り返る。
「何かお前ェと喋るの、マジ久々な気がするワ」
ヤナギは嬉し気に肩を組んだ。
一緒に巡回しようと提案され、悠司は反対するでもなくついてきた。だが口数は少なく表情もほとんど変わらないのはいつも通りだ。
友人になった頃はこうではなかった。変わったのはいつからだったか。それでもヤナギは以前と態度を変えることなく、友人が再び心を開いてくれる日をひたすら待ってきた。
しばらく二人で夜道を歩く。話すのはほとんどヤナギで、悠司は黙りっていた。
木立を抜けると目の前に星空が広がった。二人は思わず足を止め、まばゆく輝く星々に目を奪われる。
「……ねぇ」
夜空を見上げたまま、呟くように悠司が言う。
「ヤナギさんってさ、何の為に戦ってるの? 戦って得た力、ヤナギさんなら……如何使う?」
「何の為、か……」
ヤナギはチラリと悠司を見てから、また星を見た。
「突き詰めりゃ、エゴ、だろうな。そこに大義名分も綺麗ゴトも使い方も無ェ」
悠司はうつむく。
「俺は……分からなくなった。未だ力を求めている。それだけ。力ってさ、何だろうね」
精一杯の苦笑い。それを感じてヤナギは口調を変えた。
「力……俺は、ヒトやモノから与えられるモノだと思うゼ? な、音楽やってた時のこと思い出してみ?」
目を閉じて思い出す。腹に響くベースの音、客席の歓声。
「客から、音自体から、貰えた『何か』。それって力、じゃね?」
その言葉に悠司はハッとしたように顔を上げた。ヤナギは目を閉じてハミングを始めている。
(皆、それぞれに、強い)
低い歌声を聞きながら悠司は思った。
(俺は如何だろうか。力に縋るしか出来ない俺は……)
目を開けたヤナギは再び悠司を見た。斜めに背を向けうつむいた、その横顔が泣きそうに見える。魂の音が、震えている。
「俺はお前ェの力になれねーか?」
ヤナギの声は静かだった。
「お前ェは俺の力、だゼ?」
中天高く輝く月が、何も言わずに二人を見下ろしていた。
●星空の下の演奏会
ドリップを終えた珈琲を持ち、あけびは和紗たちを探した。手回しのミルでひいた豆から抽出した渾身の作である。
あけびは珈琲好きだが、詳しいというわけではない。それでも好みの豆を使い、淹れ方に拘った。
「ありがとうございます。いい香りですね」
和紗は飲む前に香りを楽しんでいる。絵になるなぁとあけびは思った。隣に立つジェンティアンともども、カップを持つ姿が決まっている。
「いい珈琲だね。あれ、あけびちゃんもブラック?」
ジェンティアンがたずねる。あけびは胸を張った。
「大正浪漫好きが高じて珈琲好きに……無糖の方が格好良いよね! って頑張って克服しました」
その様子が微笑ましい。三人の周りをゆったりとした時間が流れていく。
静まりつつある見晴台に、Rehni Nam(
ja5283)の声が響いた。
「星を見るのも良いのですが、折角の機会です。満天の星空の下の演奏会、開きます。どうか何方様もお楽しみになられますように」
礼をして、構えるのはヴァイオリン。その横にはサックスを持った藍が立つ。この音楽会のため二人で相談して曲を選び、準備してきたのだ。
空の下だから、奏でるのは星をテーマとした曲を中心に。まずはしっとりゆったり、ジャズのスタンダードから。
(題名は月、ですけど、歌詞では星も歌われているのです。……ヴァイオリンだって、ジャズも出来るんですよ?)
Rehniの弓が弦の上を優しく滑ると、月まで連れて行ってとヴァイオリンが甘く歌う。サックスが雰囲気を盛り上げる。
続いてはサックスが前に出て、古い映画で使われた懐かしく切ないナンバーを奏でる。ヴァイオリンは低く優しくさざ波のように主旋律を彩る。
(今だけは戦いを忘れて……)
思いを込めて藍は演奏する。
サックスが奏でる月の川の曲を、ユリアは少し離れた木の上で聞いていた。藍のミルクティを飲みながら、太い枝に腰掛け足をぷらぷらさせる。
夜風に乗って届く演奏が心地よい。目を閉じて音楽に身をゆだねる。
幸せな音、幸せな一瞬、幸せな想い出。心の中にいつまでも留めておきたい時間……。
クリスは星を見ながら演奏会を聞いていた。『ぱぱ』と一緒のブランケットの中はとても暖かくて、いつしか眠くなってくる。
(寝ちゃダメ……寝ち……)
「クリス? しょうがないな」
眠ってしまったクリスをミハイルは抱き上げ、テントの中で寝かせた。寒くないよう毛布で包んでやる。
『娘』の寝顔を見ているうちに、自分も変わったものだと思った。学園に来る前は星空を鑑賞する気にもならなかった。それが今ではこの通りだ。
良い家族に出会えた。そう思いながらミハイルは大きな手でクリスの銀の髪をそっとなでた。
曲はJ-POPのアレンジに変わっていた。ヴァイオリンとサックスがハーモニーを奏で、流れ星の歌を共に歌う。
どの曲にも惜しみない拍手が贈られた。
最後にRehniが黒漆塗りの龍笛『莫邪』を取り出した。ソロ演奏だ。
龍笛の神秘的な音色は鋭く、それでいて静かに、夜の空に向け響く。
最後の音が消えてもしばらくの間、見晴台は静まり返っていた。
それから雨のような拍手と歓声が沸き起こった。
少し頬を上気させ、Rehniは頭を下げそれを受けた。
「おつかれさま!」
ひと息ついてから、藍とRehniはミルクティで乾杯する。
「温かい飲み物はほっとしますね」
Rehniは微笑んだ。演奏で疲れた体に、甘い飲み物がありがたい。
●流れ星
「あ」
どこかで声が上がる。顔を上げると、一条の閃光が夜空を走って消えた。
ユリアは木の上で。藍は見晴台から。水簾は山の中で鍛錬をしながらそれを見た。
(私の『大切』がいつまでもハッピーでいられますように)
(大事な人と一緒に倖せになれます様に)
(大切な人たちとずっと一緒にいられるよう)
それぞれの胸に浮かんだ願いは、流星に届いただろうか。
そして。
「あっ,流れ星っ!」
文歌が空を指したのと、
「おや、流れ星、だねぇ?」
快晴が呟くように言ったのはほぼ同時だった。顔を見合わせた時にはもう、一瞬の光芒は駆け去った後。
「あのね。『カイとずっと幸せに過ごせますように』ってお願いしたよ」
「ん、そっか。良い願い、だねぇ?」
文歌の言葉に快晴は穏やかに微笑む。
「カイは何をお願いしたの?」
「俺? ……俺の願いはもう色々叶ってるから、さ。もう、充分、かなぁ?」
快晴の手が文歌の黒い髪に触れ、彼はそのまま優しく妻にキスをする。唇が離れると、今度は文歌がお返しのキスをして。
二人の甘い時間はまだ続きそうだ。
カルラとドニーも流れ星を見ていた。
「流れ星か、何か願った?」
ドニーに聞かれ、寄り添って暖を取っていたカルラはドキッとした。
「うん。……あの……け、結婚の、こと……っ」
それはずっと心に秘めていた願い。けれどどんどん激しくなる戦いの前に言い出せずにいた。不意に視界を横切っていった流れ星にうながされるように口にしてしまったけれど。彼はどう思っただろう?
ドニーは驚いた様子で彼女を見ていた。だがそれが笑顔に変わるのに時間はかからなかった。
「……そうだな。この戦いが終わったら――いや、終わらせたら」
力強い両腕が、カルラの細い躰をしっかりと抱きしめる。
「互いの気持ちに応えよう、カルラ」
輝く星と月が祝福するように二人を照らしていた。
流れ星を指差そうとして焔は、藤花が自分の肩によりかかったままうつらうつらしているのに気付いた。
「寝ちゃったかな」
呟いてそっと彼女を抱き寄せる。山の空気で冷えないように、こうして抱いていよう。
あどけなく見える寝顔。大好きな本の中に出てくる鉄道に乗って、夢の中で星空を旅しているのだろうか。
彼女と、息子と、愛犬と。いろいろなものを失った彼が得た、新しい家族。
(いつだったか、君は俺の添え星になれているだろうかと訊ねたね)
柔らかなウェーブを描く茶色の髪をそっとなでる。
(いつも心ごと寄り添ってくれる君はそれに違いない。けれどそれと同時に、夜闇の中にいる俺を照らし導いてくれる北極星でもあるのだよ)
眠る彼女は焔の腕の中で幸せそうに微笑んでいる。
(どうか大切なきみを、君たちを。最後まで守りきれますよう)
藤花の体温を感じながら、星空の下で焔は静かに座っていた。
●そして夜は更けて
やがてあちこちに点けられた明かりも細くなり、山の夜は深まっていく。
恋音はバーベキューの片付けを一手に引き受けていた。
余った食材はそれぞれ明日の朝食やお土産になるように保存のきくように調理しておく。ごみもばっちり分別。下山の時に手分けして持って降りられるようにきちんと整理。
「申し訳ないわね、まかせちゃって」
「……好きでやっておりますので大丈夫ですぅ……」
越野に礼を言われて恋音は恥ずかしそうにした。そして斡旋所が忙しいなら伝わせてもらいたいと申し出た。
「ありがとう。いつでも歓迎よ」
越野は軽くうなずいた。その後、恋音の指導によりこの斡旋所支部の事務処理効率は爆発的にアップすることになるのだが……それはまた別の話。
妹と並んで寝袋に入ったルビィは、眠りに落ちる前にふと縁あるおかしな悪魔たちのことを思い浮かべた。海上の空挺に住まう彼らが夜空を見上げることはあるのだろうか。
(――冥魔界には星空ってあんのかね? ジュルヌ達に人間界の夜空を自慢してやりてーなー……。驚くのか、悔しがるのか……はたまた素直に感動すンのか)
どちらにせよ、この満天の星空を一緒に眺め、一緒に美しいと思えるのならそれは素敵な事の筈。きっと……。
あけびが毛布にくるまり珈琲を飲みながら星を眺めていると、ラファルがやって来て横に座った。
「ラル?」
声をかけたがラファルは答えない。あけびもそれ以上は聞かず、珈琲の入った紙コップを渡した。
二人の少女は黙ったまま寄り添って夜空を見上げる。
あけびはかつて戦ったヴァニタスのことを思い返していた。他の敵の事は思い出さないのに、彼のことだけはふと思い出す。
(倒した事に後悔はないけど……もっと話したかった)
いつか自分がこの世を去った時には、再び彼と会うこともあるのだろうか。
(戦死なんてしたら馬鹿にされるね、きっと)
だから会いに行くのは天寿を全うしてから。そう彼女は心に決めた。
ラファルは近頃、暇になったと感じていた。少し前までは義体の開発や実験が繰り返され、依頼の最中もそれに関するサブミッションを抱えていることが当たり前だった。だが、最近はそれも少なくなった。今日だって本当にただ星を見るだけなのだ。
ラファルはそれが、たまらなくわびしい。
(もう自分はいらなくなってしまったんじゃないか)
そんな風に感じてしまうことさえある。
そのせいかは分からない。けれど今夜は友達の傍にいたかった。
「坂森さん、寒くない?」
夜が更けて風が冷たさを増したと感じて、ひりょは持って来た手袋を真夜に差し出した。頑張り屋だが空回りしがちな所が何だか自分を思い起こさせて、この後輩の支えになれていたらいいなと彼は思っている。
「そういえばこうして寒さを気にして……って前にもあったっけ」
「あの時は寒かったですね」
それから一年以上も経っていることに気付き、ひりょはちょっと驚いた。
二人並んで星を見て、他愛ないおしゃべりをする。
「坂森さんにとって実りのある一年だった?」
と尋ねると真夜は、アルバイトばかりしてサボってたかもしれないと困ったように笑う。
自分はどうだろうとひりょは自問する。
(なんか不意に人恋しくなる時があるんだよな)
星空を眺めるのも久しぶりだった。戦いが激化していく中、気付かないうちに余裕を失っていたのかもしれない。
今回はいい機会なのかもしれない。明日もわいわい騒いで、皆から元気をもらえたら良い。そう思った。
ジェンティアンと和紗は少し離れた場所で星を見ていた。
「ひしゃくの柄のカーブをそのまま伸ばすと赤い星があるでしょ。もっと先へ行くと白い星につく。あれが春の大曲線。その先には……」
夜空に見えないカーブを描くジェンティアンの星語りを、和紗は目を輝かせて聞く。その様子を見て、子供の時のようだなとジェンティアンは思った。体が弱くてあまり外に出られない和紗に、いろいろなことを話して聞かせていた。
「その先には、何ですか?」
「うん……からす座とかもあったな」
いつも黒い仕事着の友人を思い出してひとり微笑む。嘘の付けないあのバーテンには、似合わない神話だけれど。
そのまま言葉が途切れて、ジェンティアンの瞳がとても遠い場所を見つめているように和紗は感じた。
いつまで一緒にこんな時間を過ごせるのだろうか。心をよぎったその想いは胸の中に留めて、再開された星語りに和紗は耳を傾けた。
チルルは山頂にたどり着いていた。昼間ならちょっとしたハイキングコースだが、準備をしていても夜の登山にはやはり時間を取られた。
けれどそうやって手にしたものは……
頭上三百六十度に広がる星は、手を伸ばしたら届きそうな場所で輝いている。足元遠くには人里の灯り。まるで宇宙の真ん中に立っているよう。
その光景に疲れも寒さも吹っ飛んだ。
「やっぱり登って来て正解ね!」
今夜はここで星を見て夜を明かし、ついでに朝日も拝むことにしよう。
彼女の天体観測はこれから始まる。
山裾の深い森の中。
冬芽を伸ばした樹々の向こうに広がる星空の下、水色のワンピースの裾をひるがえして少女の形の影が踊る。
深く積もった枯葉を踏む足は靴を履いていない。白い素足が傷付くのも構わずに、桜庭愛(
jc1977)はひとり歌う。
「ここは冥府につづく森、深い深い暗闇。しかし、傷つき疲れた身体を、その重荷を置く場所。鎧の帳を外し、私と踊りましょう。あなたの夜明けがいい日でありますように」
それは戦で死んだ敵に贈る鎮魂歌。道半ばに斃れた味方へ贈る安息の歌。
こんな明るい星空の下だから、愛は彼らを想って踊り続ける。
戦士たちの魂が、安らかであるように。
山の夜は昏い。
だが夜が明ければまた、にぎやかな一日が始まるだろう。