●戦いの地へ
「人質取って卑怯なやつね! あたいがやっつけてやるわ!」
動画を見た雪室 チルル(
ja0220)は憤慨してこぶしを握り締めた。
浪風 威鈴(
ja8371)は、夫の浪風 悠人(
ja3452)に目を向ける。妻の視線に、悠人は黙ってうなずいた。
親子を人質にとったこの状況は、二人の記憶を刺激する。一年と少し前、まだ人間だった葉守が初めて起こした事件に二人は関わっていた。
威鈴は眉をギュッと寄せる。
あの時、彼女の役目はバックアップだった。……だから。大好きな大好きな悠人が葉守に刺された時、傍にいられなかった。何もできなかった。
その時の悔しさが、悲しみが。あの時と似た状況を目にしたことで生々しく蘇り、胸の内を吹き荒れる。緑の瞳が怒りと憎しみに暗く輝く。
「……敵なら……ボクは……お前を狩り獲る……」
悠人にも聞こえない声で、威鈴は低く呟いた。
「……よくも毎回飽きもせず同じ手口だね」
鈴木悠司(
ja0226)は乾いた声で言った。アイスブルーの瞳は興味もなさそうに画面から離れる。
(人質とかとるの、面白いのか)
そう思い、すぐにつまらなそうだなと首を振る。画面に映る男の目は、鏡の中で飽きるほど見たものと同じだ。
(どうでも良いんだろうね。誰が死のうが生きようが)
依頼仲間から離れて部屋の外に出て、秋の空を見ながら煙草に火をつける。
(……アンタが死のうが、俺が死のうが)
ロジー・ビィ(
jb6232)は悠司が部屋を出ていくのを見ていた。ロジーはひそかに彼を想っている。けれど追っていくことが今日は出来なかった。
依頼のことに頭を切り替える。
(葉守……)
ずっと、悠司とどこか似ていると思っていた。
(人間らし過ぎるヴァニタス……それは幸せ、なのでしょうか)
彼女には分からない。
(未来永劫……其の儘でも……?)
華澄・エルシャン・御影(
jb6365)はミハイル・エッカート(
jb0544)と話をしながら持って行く装備を選んでいた。
白い指が対の双剣に触れる。白雪月牙。始まりの事件に彼女もまた居合わせた。この剣で最愛の夫と切り結んだ。
黙ったまま華澄はそれを選び出す。
(たとえ殺されても葉守さんの冷酷の仮面は私が剥ぐ。彼の素顔を彼に返すために)
虐殺は終わらせよう。そう決意した。
不知火あけび(
jc1857)は紫の長い髪に簪を差す。揺れる飾りは名前と同じ花を模したもの。
(伝えたい事は華澄さんがきっと言ってくれる)
そう確信できるから、あけびは自分の役目に徹することが出来る。
(私は忍らしく……北風らしく彼を止めるだけだよ)
それぞれの思いを、決意を乗せて。
また戦いが始まる。
●突入
施設の見取り図を確認し、一行は二手に分かれることにした。片方が正面から突入して葉守の気を引いている間に、通用門から入ったもう一方が隙をつき人質を奪回する。
隠しマイクの音声でそれを確認したら、待機している別動隊が突入し施設内に残された人々を救出する手はずだ。
通用門を使うミハイル、あけび、悠司の三人は他のメンバーに先行して目的地にたどり着いた。従業員用の駐車場を横切って門に近付く。波音に紛れ、不快感をかきたてる低い音が聞こえてきた。
無数の蜂を模したディアボロが黒く渦巻く三本の柱のように群れ集い、うわんうわんとうなるような羽音を立てていた。
「私が昏倒しちゃったら、ビンタかスキルで起こしてくださいね」
あけびが大真面目に言う。
それで目が覚めれば良いが、とミハイルは口元を緩めた。まずは自分自身に『聖なる刻印』を使用し、それから阻霊符を展開する。
蜂の毒はかなり強いと分かっている。時間をかけず一撃で仕留めたい。
悠司が動いた。慎重に蜂の群れに近付く。一定の距離まで近付くと群れが一斉に動いた。
誘導された三つの群れが一ヵ所に集まった瞬間を狙い、ミハイルが『氷の夜想曲』を放った。
アスファルトが白く凍り付いていく。蜂の動きが鈍くなっていき、黄色と黒の雨のようにぱらぱらと音を立て、数十匹の個体が地に落ちる。
だがスキル発動の瞬間に逃げた蜂も多かった。一度バラバラになったそれらが再び渦を巻いて一つになる。そこへ影で編まれた無数の手裏剣が襲い掛かった。
あけびの『影手裏剣・烈』だ。アウルで作られた手裏剣は次々に標的を貫いていく。
動く蜂がいなくなったのを確認してから、三人は素早く門をくぐった。
残る五人は頃合いを見計らって正門前に姿を現した。
既に閉園時間は近く、空は薄灰色を帯びている。正門前のフェンスからは砂浜と海が一望できた。寄せて返す波の音が絶え間なく聞こえてくる。
ここでも蜂の柱が三本、不快な羽音を立てながら蠢いていた。
その向こう側、無人になったゲートの中には大勢の背中が見えた。
ロジーの背に、青いオーラを纏った白い翼が出現した。潮風の中、彼女はふわりと飛び上がる。
空中でヒヒイロカネからショットガンを取り出した。蜂の群れに近付き様、銃が火を放つ。散弾が蜂の群れを掃討する。
そのまま上空へ離脱すると見せて再び急降下。追ってくる蜂の群れを仲間の攻撃範囲に誘導する。
「ほらほら、邪魔よ!」
チルルが叫んだ。愛用の大剣を振りかぶる。次の瞬間、他が止まって見えるほどの圧倒的な速さで彼女は動いた。氷結したかの如き世界で、チルルは刃で蜂を地に叩き落としながら駆け抜けていく。
悠人と威鈴も二人に続いた。威鈴の銀の毛先がオレンジに染まる。呪符が無数に貼られた大きな弓を手にした彼女の緑の瞳が獰猛に輝く。
暴風が吹き荒れるが如き猛射撃が広範囲に打ち込まれた。敷石が破壊され、粉塵が舞い上がる。
悠人の体を青白いオーラが包む。彼はゲート向こうにたむろする人々に攻撃が及ばないよう入念に計算して、『アンタレス』の燃え盛る劫火を出現させた。妻の攻撃を逃れた蜂が焼き尽くされていく。
蜂が苦手な華澄は、それをなるべく目に入れないよう攻撃の中をただ走る。
上空のロジーも掃射を続けていた。蜂が減ったと見たところで、狙いがそれたフリをして園内に散弾を撃ち込む。
悲鳴が上がった。もちろん狙ったのは人垣の遥か手前だが、突然の銃撃が人々に恐慌を起こしたようだ。
これで危険を感じて、戦場となる広場から退去してくれれば……とロジーは願った。
「……来たか」
突如響いた銃声と人々の悲鳴に、葉守は顔を上げた。焦がれた相手がやっと来たとでも言うように、薄い唇の端を吊り上げる。
「さあ、こっちに来な」
泣き叫ぶ人質の子供の腕をつかみ、抱き上げる。撃退士の登場を彼は待った。
●人質奪回
徐々に暗さを増していくゲート前広場が再び明るく照らされる。普段通り照明を付けてもらえるよう、悠司が事前に依頼しておいた。
ロジーの射撃で十人余りが逃げ出したが現場にはまだ人が多く残っている。特に施設の奥に続く、葉守の背後に当たる部分の人垣はほぼそのままだ。
「危ないですから離れてください」
広場に入った華澄が声をかけるが、誰も動かない。子供を抱え返り血を浴びたヴァニタスと現れた撃退士たちを無言で見比べるのみだ。
「一、二……ちょっと少なくない?」
現れた撃退士たちを数えて、葉守は言った。口元を歪める。
「結構な人数を押さえたと思ったんだけどなー。あ、この人たち別にどうでもいいって判断? それならそれで俺は別にいいけど」
「あんたみたいな卑怯者、あたいたちだけで十分よ!」
チルルが葉守の顔をまっすぐ指差した。
「むしろあたいだけでも十分ね、あたいはさいきょーの撃退士なんだから! けど、人質を解放して降伏すれば、今だったらお仕置きだけで許してやってもいいわよ」
殊更に偉そうに言うのは、そうすれば相手の注意を引き付けられるだろう……というチルルなりの計算だ。
「さいきょーねえ……」
葉守は苦笑して彼女の更に後ろを見る。
「撃退士ってのもいろいろいるよな。そこんとこどう思ってんのメガネくん」
悠人はゆっくりと進み出た。葉守と真正面から向かい合い、十メートルほどの距離で止まる。
「橋の上の再現か? だったらまた俺を刺しに来いよ」
悠人はにやりと笑いながらスキル『挑発』を使用する。
葉守は昏く嗤い返した。
「やらねえよ。アンタの挑発に乗るのは一度で懲り懲りだ。俺はアンタらと真正面から殴り合うほど強くないんだよ」
効いていないと見て、悠人は更に『挑発』を重ね掛けする。
「俺達の決着に人質なんか無粋だろ、怖いのか?」
葉守の眉が動いた。子供を抱えたまま、一歩前に出る。
「……何かしたな、メガネくん。不自然にイライラするぞ」
もう一歩。
「アンタを殺したくてたまらねえ」
かかった。悠人は内心でほくそ笑む。
「来いよ葉守、人質なんか捨てて掛かってこい!」
「イヤだね、このガキは俺の盾だ!」
葉守が走った。悠人は構える。首にかけた獄炎珠から炎が走る。
葉守は子供を盾のように突き出した。怯える幼児の泣き声が広場に響く。
悠人が放った焔は子供のいる場所をはるかに逸れ、葉守の頭のてっぺんをかすめて背後の建物にぶつかる。
とっさに狙いをそらした……ように見せかけただけで、初めからここで当てるつもりはない。こちらが焦っていると見せかけ、油断を誘うための演技だ。
だが葉守は訝しげな顔で足を止めた。
「何を企んでる? ガキがいるのにわざわざ撃って来るなんてメガネくんらしくないじゃん」
脅すように左手を子供の首のあたりに持って行く。その目は注意深く悠人を観察している。
その瞬間、仲間たちが一斉に動いた。
飛び出したロジーが置きっぱなしになっていたビデオカメラやノートパソコンを破壊する。
威鈴は倒れたままの女性の元へ駆け寄った。骨に異常がないか確認してから『応急手当』で止血する。
そして葉守の背後の人垣の中から、二つの影が飛び出す。
一人はミハイル。一人は悠司。先行して通用門から侵入した彼らは、スキルを使って気配を押さえ、人垣の中に紛れ込んでいたのだ。
ミハイルの『スタンエッジ』と悠司の『薙ぎ払い』が連続して葉守の体に叩きこまれる。
意識を刈られた葉守の動きが止まる。
すかさず華澄が『ウェポンバッシュ』でその体を吹き飛ばした。
落ちてくる場所に、地獄の如き業火を拳に纏わせた悠人が飛び込んでくる。カオスレートを大きく上げる『アーク』の一撃が鳩尾深くに食い込む。
二人が離れると同時に、飛んできた矢が深く葉守の脇腹をえぐった。威鈴の『アシッドショット』だ。
「ただでは……狩り獲ってやらない……」
緑の瞳を燃やし、彼女は低く呟いた。
腕から落ちた子供は、やはり気配を殺し隠れていたあけびがすべりこんでキャッチした。
一瞬きょとんとし、また泣きそうになる子供にあけびは微笑みかける。
「大丈夫? 怪我してない?」
すぐに葉守から距離を取りながら、子供の状態をチェックする。ひどく怯えているが、体に異状はないようだ。
母親の元へ連れて行くと、親子はひしと抱き合った。
●風に消える言葉
「今のうちに退場してよ」
再び葉守から距離を取った悠司は、周りに残っている一般人たちを冷たく見回した。
その声に、何人かがばらばらと後ずさり始めた。目の前で本格的な戦闘が始まったことで怖気づいたのだろう。それでもまだ倒れたヴァニタスをスマホで撮影しようとする者もいる。
悠司は肩をすくめ、ヒヒイロカネから大剣を取り出し抜き放つ。
「邪魔だよ。さっさと帰りな」
剣先を向けられ、しぶとく残っていた者も悲鳴を上げて逃げ始めた。これでいい。そろそろ別動隊が突入を始めるはずだ。
あけびと威鈴は母子を警備員に預けた。彼らにも退去するように言う。
ミハイルは倒れて動かない中年男に駆け寄った。動画でも一番ひどい状態だったので生死が心配だ。
だがひとわたり状態を確認して拍子抜けした。傷は重いし意識はないようだが……脈拍も呼吸もしっかりしており、生命を危ぶむ状態ではなさそうだ。その様子はとても一般人とは思えない。
「誰か、レート見破り系のスキルを持ってないか」
大声を上げる。
「『中立者』ならあるわ」
華澄が答えた。
「それでいい、頼む」
ミハイルはぐったりした男を改めて眺めた。葉守から、主は『オタク系きもいオッサン』だと聞いたことがある。……まさかとは思うが。
その間に、葉守は意識を取り戻し立ち上がった。
「いてぇ……」
あちこちをさすりながら、損傷を確認する。じゅくじゅくと膿み始めている脇腹の傷が一番重い。
「はもりーん、また撃退士に会いたくて騒動起こしたのか」
中年男をかばう位置に立ちながら、ミハイルが軽口をたたく。
「うるせえ。アンタはピーマン食ってろよ」
葉守は悪態で返した。
「葉守さん、会いに来ましたよ」
あけびは前に出た。
「言いたい事は空挺で全て言いました。貴方に引導を渡します」
友人から譲られた愛用の軍刀を構える。
葉守は改めて集まった撃退士たちの顔を見た。それから足元に唾を吐き捨てる。
「けっ……今回も見た顔が多いぜ。お前ら暇なの?」
返事はせず、ロジー、あけび、悠人が動いた。
ロジーは武器を散弾銃から大剣に持ち替え斬りかかった。
「天使さんさあ……毎度毎度器物損壊するのやめてくれない」
切っ先を避けながら葉守はぼやく。
「こっちもセットアップしたりカスタマイズしたり大変だから! モノはゲート内の量販店で放りっぱなしのヤツをパクって来るだけだけどさ、人に迷惑をかけちゃいけませんって天界では習わないのかよ?」
軽口には答えない。葉守が回避型であることは承知している。
だから彼女はサポートに徹する。回避されることを計算に入れた上で、葉守を仲間たちの攻撃範囲に誘導する。
死角に回ったあけびが目にもとまらぬ速度で二連撃を撃ちこむ。『羽断ち』……かつての師匠直伝の技だ。
攻撃を終えると素早く間合いの外に去り、次の攻撃の機会を狙う。
「うぜぇな」
葉守は呟き、じゃきんと音を立て右手の爪を伸ばした。
「レートは冥界寄り。普通の人間じゃないわ」
スキルを使用した華澄の言葉に、ミハイルは眉根を寄せる。
元撃退士かもしれないし、退魔の家の出身などで生まれつきマイナスのレートを持った者もいる。この結果だけで男が敵だと断定できるわけではないが。
もし悪魔だとしたら罠ではないのか。葉守はずる賢い。何か企んでいる可能性もある。
手足をベンチに縫い付けている武器を慎重に取り外し、スキル入れ替えした『応急手当』で手当てを行う。どの傷も深かったが、ある程度傷口が塞がるとミハイルは頬を叩いて起きろと声をかけた。
「おい、幻の白い鯨がいるぞ!」
耳元で大声を出す。それがうるさかったのか、血まみれの男は身じろぎをした。
「……くじ……ら……。まぼろ、し……?」
くぐもった声が切れ切れに言う。
クジラに反応するということは、やはり葉守の主なのか?
「おい、名前は?」
ミハイルはたずねた。しかし相手は、
「目が……わしの……目が」
顔を押さえてそう呟くばかりで会話にならない。視力は回復していないようだ。
チルルはなるべく派手に、と思いながら範囲攻撃を繰り返した。
散っていった野次馬たちが戻ってきたいと思わぬように、そして野次馬たちをヴァニタスが追っていかないように。
道を塞ぐように攻撃をかけていく。
『氷静「完全に氷結した世界」』を撃ち終わったら次は『氷砲「ブリザードキャノン」』だ。一般人の姿がなくなったから直線攻撃も使用できる。
大剣の先から放たれたエネルギーがヴァニタスに向かう。夕闇を照らすライトの下で、氷の欠片のようなアウルがキラキラ光る。
葉守は皮膚を硬化させてそれを耐えた。黒い目に苛立ちが宿る。
「使わせたな、『さいきょー』。そう数使えないって言うのに」
だがチルルは聞いていない。聞く必要もない。この瞬間を待っていた。
「とどめよっ……!」
氷剣『ルーラ・オブ・アイスストーム』。今のチルルに出来る最高の技のひとつ。
アウルで作られた氷の剣が、ヴァニタスの肩口に突き立てられる。
だが敵は倒れない。大きく飛びすさって彼女から離れる。
葉守を知る者たちの間に緊張が走る。大きなダメージを食らえば逃げるのが常のヴァニタスだ。今度こそ逃がしたくはない。
矢が宙を奔った。葉守の移動経路を予測した威鈴の射撃だ。それを辛くも避けて、葉守は嗤う。
「最初に会った時の顔してるぜ、ケモノ嫁。狩人とか言ってたけど、アンタやっぱりケモノじゃん」
威鈴は相手にしなかった。相手は獲物。自分は狩人。ただひたすらに狩る、それだけ。
軍刀が風を切る。双刀が煌く。
あけびと華澄が左右から攻撃をかける。紫の髪が花弁を散らしながら『羽断ち』の連撃を撃てば、金の髪が桜色を纏い『神速』で二振りの剣と踊る。
その挟撃を、葉守は両手の爪を広げて止めた。五本の爪を武器を絡めとるように動かす。武器破壊を警戒して退こうとした二人の脚が斬りつけられる。葉守の両足指の爪が伸び、刃となって襲い掛かったのだ。
二人はいったん距離を取る。
あけびは軍刀を鞘に納めた。紫の花びらが舞うようなアウルが見る間に両手足を包む。
次の瞬間、目にも止まらぬ速度の居合切りが葉守を襲った。続けて流れるような二連撃。
「葉守さんの為に磨いた技です」
赤い瞳は静かに光り、痛みに耐えながら彼女はそう言葉を紡ぐ。
「言ったでしょ? 今となっては斬るだけだって」
「クソガキ、痛ぇんだよっ」
葉守は伸ばした爪を振り上げ、あけびに襲い掛かる。それを華澄の双剣が止めた。
「ずるいわ葉守さん。一度も自分の望みを口にしてない」
翠色の瞳はまっすぐに葉守を見上げる。
「おねーさんか」
葉守は口許を歪めた。
「いつも何か聞いてくるんだな。俺のノゾミ? ……知らねえよ、そんなこと。言ったら叶うのか?」
「私は撃退士である前に華澄という女だわ。誰も蹂躙されないように護りたい……その生き方がこの道を歩かせただけ」
五本の爪を両剣で食い止めたまま、華澄は言い募る。相手の重みに負けまいとこらえる脚からは血が流れ続けるが、ここは意地でも退かない。
「望みが何かわからない? 叶わない? 自分が自分の心をを見てないもの」
わかるはずない。そう言葉を叩きつけ。
「私はあなたを冥魔とも撃退士候補とも見てない。他の誰でもない『葉守さん』……ただそう思ってまっすぐ見てたら、一緒に普通に過ごす姿が自然に浮かんだ」
友人として共に学園で過ごせたら。叶わないと知りながらそれを願った。
「……あなたに教わった事がある」
翠の瞳が、色を変える宝石のようにかすかに薔薇の色を帯びた。
「敵でも共に生きられるなら剣を引く。味方で愛してても、その人が虐殺を選ぶなら戦う。命令にも夫にも頼らない。自分の心で考えて戦うのが私の道」
あなたの道は? と桜色の唇が問う。
「聞かせて。あなた自身の想いを全部」
「俺は……」
葉守は躊躇った。
「俺はもう選んでしまったから。こうしなきゃ立ち行かねえ。だけど……」
海風が強く吹いた。そのせいで葉守の低い声はハッキリと聞き取れなかったけれど。
薄い唇が『アリガトウ』と動いたように華澄の目には見えた。
●決着の秋
「お前は葉守の主なのか? だったら交渉だ」
ミハイルは粘り強く中年男の相手を続けていた。
「この場で俺に殺されるか、俺たちに協力して葉守を始末するか。選べ」
「ハ……モ……」
中年男はぼんやりと繰り返す。血まみれの顔が怒りに歪んだ。
「ヨウ……チ……わし……を……! 殺……す……殺……ヨウイチ……人……間……皆殺し……だ……」
確定だ。ミハイルは思う。葉守の下の名前を口にした。
「葉守の活動を止めろ。協力すれば、拘束されることにはなるだろうが動物の図鑑やDVDを差し入れてやるぞ。存分に研究するがいい」
そう言って返事を待ったが、相手は『殺す』を繰り返しながら傷付いた手足を無様にバタバタさせるだけだ。まだ意識が混濁しているのか、それともこういう性格なのか判断がつかない。
残念ながらすぐには役に立たなさそうだ。ミハイルは諦めて一度抜いた武器を手に取った。
「悪いな」
逃亡させないため、再び足を縫い付けておく。中年男が叫び声を上げた。
後で地元署に引き渡そう。そう思ってから、戦況に目を向けた。
華澄と話す葉守の背後から悠司が襲い掛かった。
一度きりの『十字斬り』。利き腕を落とすつもりで飛び込む。縦は外されたが、横薙ぎの攻撃が葉守の背を切り裂く。
葉守は舌打ちした。
「いたのか、ご同類。今日はずいぶんと静かだったじゃねえか」
そのまま左腕を伸ばし、がしりと悠司をつかまえる。
「ちょうどいい。言いたいことがあったんだ」
「こっちにはない」
悠司は乾いた口調で答える。
「そうかい。俺にはあるんだよ」
言うなり、悠司の腹に重い衝撃が走る。黒い棒手裏剣のような武器が葉守の手の中にあり、彼の体に食い込んでいた。中年男を縫い付けたものと同じ武器だ。まだ何本か隠し持っていたらしい。
「ははは! いいざまだ」
ヴァニタスは高笑いする。
「俺はさあ……ずっとお前ら撃退士が憎かったんだよ。俺が欲しかった力を最初っから持ってる奴ら。力のないヤツのことなんて思いもしないヤツら。……そしてそれなのに、さ」
目を細める。黒い瞳が底光りする。
「俺と違うくせに……本物の力を持っているくせにそんな目をしているアンタのことは、つくづく殺してやりたいよ」
悠司は黙って傷口を確認する。致命傷ではない。十分に戦える。
構え直そうとした時、二人の間に上空から急降下したロジーが飛び込んだ。
「葉守。手にした力は……貴方の『本当に欲しかった力』でした、の?」
「さあな。どうだろうね」
葉守は嗤う。
……あの人と似ていると思っていた。でも、違っていた。
どちらが求めるのも哀しい力。だとしたら。
(その哀しみ、全てを受け止める)
大剣の攻撃はかわされた。瞬時に武器をワイヤーに持ち替え襲い掛かる。
ワイヤーは葉守の体にかすり傷をつけただけだった。肩口に固く冷たい金属が突き刺される。
「甘いよ天使さん」
武器が抜かれると傷から血が流れ出す。ロジーは顔をしかめ、後ろに跳ぶ。
その後ろから、再び悠司が葉守の懐に飛び込んだ。
右腕を突き出して、渾身の一撃を敵の鳩尾に打ち込んだ。『徹し』。奥の手として用意してきた、装甲の固い天魔と戦うために特化したスキル。
「ぐうぅ?!」
葉守の口から呻き声が漏れる。たたらを踏んで後ろに下がる。
ロジーはもう一度突っ込んだ。全力の『ウェポンバッシュ』で敵を吹き飛ばす。
その先には悠人が待ち構えていた。持ち替えた白夜珠はカオスレートを大きく上げる。その力を利用して『ラストジャッジメント』を放つ。
アウルに貫かれ、葉守は血を吐いた。
「トリはメガネくんか」
それでも立ち上がる。防御力はさすがに強い。
「お前は俺からすればまだ人間だ」
悠人は静かに言い、白夜珠を構え直す。
「そしてこれは、俺の最初で最後の人殺しだ」
葉守は眉を上げた。
「なあ葉守。こんな人生で、お前は満足なのか?」
問いと同時に再び『ラストジャッジメント』の光芒が奔る。
「二度は食らわねえよ!」
葉守はそれを避けた。手に持った武器で悠人に斬りつける。血しぶきが飛ぶ。
「満足かって? そうだな」
その手を朱に染めながら、葉守は考えるように言う。
「人間だった『葉守庸市』は、何もかも上手くいかねえって思ってた。けど、そうだな。今の俺は」
にんまりと嗤う。
「結構……悪くなかったんじゃねえ?」
「そうか」
悠人はうなずいた。
「それじゃ、最後までお前の人生に付き合ってやる」
魔具を獄炎珠に戻す。燃え盛る地獄の業火が彼の全身を覆う。
珠が生み出す火の玉は明るく燃え上がり、敵へと向かった。
レート差がダメージを拡大する。葉守は石畳に膝をついた。
「あの日の忘れ物だ!」
悠人は叫び、最後の『アーク』を敵の顔面に叩きつけた。
ずっと後悔していた。惨劇が繰り返されるたびに。
あの時、自分が罪を犯すことをためらわなければ。
炎は敵を包み込み。
ヴァニタスは倒れ、動かなくなった。
●終幕
勝ったのか。
悠人は慎重に葉守に近付き、その顔を見下ろした。
悪辣で狡猾なヴァニタスは仰向けに倒れて目を閉じたまま微動だにしない。
「……あれ」
その顔を見ているうちに、熱いものが頬を伝った。何故だかは分からなかった。
もう一歩ヴァニタスに近付こうとした彼を、
「待て」
ミハイルが肩をつかんで止める。
薄く、本当に薄く。葉守は目を開けていた。
「……何て顔してんの」
ぼんやりした表情で彼らを見上げ、少しだけ口許を歪める。
「撃退士様が悪い冥魔を倒したんだ。それだけの話じゃん……ちゃんと証明しただろ。その力が……正義……だって……」
語尾は濁り、小さくなっていく。
「お前を救うにはこれしかないんだ。もう休めよ、成仏しろ」
ミハイルは葉守に銃口を向ける。相手が相手である。おかしな挙動をしたら即座にとどめを刺すつもりだ。
「ああ……そうだな……」
半開きの瞳は、とっぷりと暮れた空を見上げる。
「あの時は……青空だったな……」
声が細くなり、そのまま消えた。
そして今度こそ、再び動くことはなかった。
開いたままの瞼は、かがみこんだあけびの白い手がそっと閉ざした。
「もっと早くに出会って、貴方を止めたかった」
彼女はそう呟いた。
華澄は持って来た久遠ヶ原の制服を遺体の上に置いた。
威鈴は涙を流す夫をじっと見ていた。
自分は泣くことはない、けれど。
悠人の涙が、彼女の中でたぎっていた憎しみを少しずつ洗い流していく。
かがみこんで葉守の血を指に取った。舐めると鉄の味がした。
「地に還り……樹木の……糧となれ……」
口にしたそれは祈りの言葉。狩人は獲物に対する敬意を忘れることはない。その命に感謝し、丁重に葬るものだ。
死んだ男が何を言おうとも、浪風 威鈴はケモノではなく狩人なのだから。
祈る彼女の横で、悠人も共に頭を垂れていた。
悠司は最後に骸に近付いた。動かなくなったその姿をしばし見下ろす。
(期待してたんだけどね。でももう飽きた。アンタはアンタ。俺は俺。違って当然だろ?)
「……結局何がしたかったの?『葉守庸市』サン」
問いかけてみても、もう答えはなく。
(力が欲しい。それは全てを消せるモノ)
(アンタも俺も何もかも)
(どれだけの血が流れても、どれだけの屍を踏みしめても)
狂おしく探し求めて来たその答えは、やはり自分で見つける他はなく。
「……これで終幕」
呆気ない、ただのよくあるお話だと。
自分にそう言い聞かせて、彼はその場を去った。
繰り返す波の音が、いつまでも静かに響いていた。
後日、ミハイルは学園から、『人間』葉守庸市の父親の連絡先を聞き出した。
「全て終わった」
と連絡した。初老の父親は電話口で泣いていた。
遺髪を郵便で送った。母親の墓に供えてもらいたかった。
手紙を投函する。
戦いの記憶に一瞬だけ思いを馳せ、ミハイルはすぐに気持ちを切り替えた。
一つの事件が終わっただけだ。戦いはまだ続いている。
斡旋所の掲示板には今日も、新しい依頼が張り出されていることだろう。