●奇跡は始まった
「なになに? 入っていい? 恋のお話だぁ〜い好き♪」
そんな満面の笑顔と共に、それは始まった。
涙を拭きながら、依頼を書き上げ女性職員に渡した。その瞬間に、茶色の髪と小麦色の肌、左目の下の泣きぼくろが特徴的なタレ目の少年、藤井 雪彦(
jb4731)が、後ろから声をかけたのだ。
「わかるな〜☆ ボクも紗雪ちゃんに告った時はドッキドキだったよぉ〜☆」
明るい声。軽いノリ。
それに、今の今まで沼底に沈みこんだ気分だった千晶は、圧倒されてしまう。
「あっ。ボクのこと、軽そうなのに、って今、思ったよね?」
笑顔で言われるが。千晶は返事が出来ない。
「ほんとに好きになっちゃうと気持ちに逃げ場がないからね」
それなのに。ぽつりと言ったその声は、何だか今までの軽い印象とは違う人のようで。
千晶は驚いて彼を見直す。
「揺れ動く。乙女の心と。雨模様。……うまいこと言った」
別の、声がした。
振り返ると。鮮やかな桃色の髪をツインテールにした少女・平野 渚(
jb1264)の、右が赤、左が青のオッドアイがまっすぐに千晶を見ていた。
自分の言葉に納得したようにうなずいている彼女を、千晶は目を丸くして見守った。
「奇跡を起こすために……ですか。これは一本取られましたかね」
更に、第三の声が。
制服に、麦わら帽子をかぶり、足元は下駄。という一見ミスマッチな、だがなぜかそれが渋くまとまって見える男子生徒、和菓子(
ja1142)が涼やかな表情で立っている。
「それでは。 粛々と打ち合わせをいたしましょうか」
●あなたはどうしたい?
雪彦の恋人、駿河 紗雪(
ja7147)も加わり。斡旋所は緊急会議室に早変わりした。
四人を前に、千晶はたどたどしく事情を語る。
「傘を間違えたくらいで、嫌う人など私は会った事ありませんよ」
紗雪は、明るい声で言う。やわらかいウェーブのかかった、光の当たり具合で金色にも見える長い髪。緑の瞳と白い肌、細い肢体、柔らかな雰囲気。森の妖精みたい、と千晶は思う。髪に付けた向日葵の髪飾りも、雨の降り続く、薄暗い室内に明るさを添えている。
「その思い込みは彼にも失礼だと思うのですよ? 貴女が思いを寄せる方はそんな小さな人ではないでしょう?」
優しく千晶を諭す紗雪。
でも、と千晶は思う。自分はわざと持ってきてしまったのだし。
「嫌われたらどうしよう。嫌われたくない! ……そう思うのは、やっぱりそれだけ好きって証拠だもんね」
黙り込んでしまった千晶に、とりなすように雪彦が言う。
「傘も、行動に移せたってプラスに考えよう。間違えて持ってっちゃった、って事で〜。お詫びに何か作ってったら? 料理上手って言ってたよね」
「上手ってほどじゃ。ただ、好きなだけで」
と小声で言う千晶は、やっぱりまだネガティブモードだ。
「あなたはどうしたい?」
渚の声がした。
「好きになったら、付き合うことが全て? 隣で友人として居るのは嫌?」
ぶつりぶつりと。投げつけられる言葉は、ぶっきらぼうだけれど。
「私も、大切な人が居る。その人は、私を気に掛けてくれて。他の人にも同じように気にかけていて。でも、その人と一緒に居て、話せることはすごくうれしい。私は、その人の幸せを見ていたいと思う。それが隣ではなくても、それでいい。その時は寂しいけど、その人の幸せは何物にも代えがたい」
そこには渚の真心がこもっていた。
色違いの瞳には、千晶への気遣いが浮かんでいる。
「自分の事を決めるのは自分。でも、背中を押してほしい時は頼ってほしい」
「謝りも告白も、あなた次第です」
和菓子が淡々と言う。
雪彦と紗雪も。じっと、千晶の答えを待っている。
千晶は。大きく息を吸った。
自分の答え。それはずっと、胸の中にある。最初から、やりたいことは決まっていた。
でも、臆病で情けない自分が。そんなこと、出来っこないって諦めそうになっていた。
けれど。集まってくれたみんなが。うずくまっている自分の手を取って、優しく背中を押してくれる。
それならば。立ち上がって、向かって行かなければ。
元気が取り柄。野森千晶は、そういう女の子のはずなのだから。
「わ……私」
千晶は。四人の視線に応えるように、みんなの顔を見回す。
「告白したい……です。傘のことも、ちゃんと謝る」
その言葉に。全員の顔に微笑みが浮かぶ。
「三日もかけて作ったクッキーは、ちゃんと渡さないとですね」
紗雪の優しい声。
「失ったり、嫌われたりするのは怖い。でも、このままで居るのも辛くなってくる。好意……好きって言われて嫌な気持ちになる人はいないよ。失敗しても、一生懸命な想いは伝わると信じてる。がんばれ!!」
雪彦が笑いかける。
「さて、奇跡と言うからには流々と細工をする必要があるでしょう」
千晶の決意を受けて。和菓子が少し、前に身を乗り出した。
「僕の案としては、そうですね。 時間も有りませんし、ドラマティックを演出したら、と思うのです」
●細工は流々、結果は……?
放課後。怜治は借りていた本を返すため、図書館に向かっていた。
すると。廊下にポツリと、落ちているものがある。
「生徒手帳?」
拾い上げて、中を見てみる。高等部一年、野森千晶。見覚えのある、ショートカットの元気そうな少女が、明るい笑顔で写真の中からこちらを見ている。以前、ある依頼で一緒になった相手だ。
怜治は少し考えた。もう、教室にはいないだろう。どうすればいいか。
すぐに、そこがある斡旋所の掲示板の前、ということに気付いた。何かの依頼に参加したかもしれない、と思って、怜治は斡旋所に入ってみた。
「ああ、その子なら来たけど。今日はもう、ここへは来ないと思うわ」
応対した女性職員は、素っ気なく言った。
「悪いけど、届けておいてくれる?」
困惑した様子で、斡旋所を出ていく怜治を。和菓子が、物陰から見ていた。
この一幕は、彼の演出である。女性職員にも、「乗りかかった船です、よろしければご協力を」ということで、口裏を合わせてもらったのだ。
「あとは吉と出るか凶と出るか、といった所でしょうか」
彼は小さく、呟いた。
●ガールズトーク
これに先立ち、雪彦と紗雪の二人が、怜治の嗜好や今日の予定などについて友人たちから情報収集を行っていた。怜治の友人たちは、朴念仁の彼を陰ながら慕っている女の子がいるという話に憤り、「リア充爆発しろ!」と言いながら、いろいろなことを教えてくれた。
「彼の好きな物はイタリアンなんだって〜☆ 好物で作れそうな物あったら作っていってあげようよ。そしたら多少は持ってきちゃった後ろめたい気持ちもお詫びしやすいんじゃない?」
雪彦の提案で。千晶は材料を調達し、調理室に向かった。
千晶は焼きサンドイッチを作ることにした。あまり時間もない。簡単なものしか作る時間はない。
たっぷりのモツァレラチーズをスライスして食パンに挟み、卵・牛乳・小麦粉を混ぜた液に軽くひたした後、パン粉を軽くふるって、最後にオリーブオイルでこんがり焼く。チーズの香りたっぷりの軽食だ。
千晶に教わりながら、紗雪と渚も一緒に作る。渚は料理上手だ。小学校の成績は、行進曲が聞こえてきそうな一、二、の嵐だった彼女だが。調理などの実技系は大得意だ。
紗雪も手際は良いのだが、つい心が違う方に飛んでしまう。日本酒とチーズの組み合わせというのも、実はなかなかなのである。自室で美味い酒との相性を探ってみるのも楽しそうだ、と。うっとり考える彼女であった。
「ねえ」
卵液をまぜながら、渚がたずねた。
「どうして、その人のこと、好きになったの?」
千晶はドキッとする。赤くなりながら、雨の日の出会いのことを語る。
渚はうなずいた。
「……うん。吊り橋効果もあるかも知れないけど、その気持ちはすごく大切。 忘れないで、刻み付けて」
手早く卵液にひたしたパンにパン粉を振って、それをオリーブオイルを流し込んだ熱いフライパンに入れる。
「分からないなら分からないなりに、好きなら好きなりに、相手の幸せを、願ってほしい。私はあなたの幸せも願ってる」
彼女の言葉はいつも不器用さを感じさせる。だけれど、なぜか。千晶の心に、一番深く染み入った。
この人たちと出会えて良かった。そう思った。
「うん。私、この想いを大事にしたい。紗雪さんたちみたいな、互いを想いあえる関係になれたら、って気持ちはあるけど。今は、自分の恋より長崎の幸せを願いたい。それに、さ」
ちょっと照れて、短い髪をかき上げた。
「ありがとう。あなたたちの幸せも、私、ずっと願うよ」
チーズとオリーブオイルの、食欲をそそる香りが上がる調理室で。女の子たちはそっと、微笑みあった。
調理室の外に、たたずむ影があった。
長崎怜治だった。
生徒手帳を託されて。困った彼は、悪いと思いつつ中をめくって見た。その中に、今日の日付の入ったメモがあり。「放課後、斡旋所→調理室→道場」と書いてあったのだ。
それで、彼はとりあえずこの場所に来てみた。来てみたのだが。
色白の頬に、赤みが差している。
思いがけず、盗み聞いてしまった女子たちの話。
今は、とても。顔を出すことが出来ない。
心臓の鼓動を乱し、自分を混乱させる、その感情が何だか分からないまま。怜治は足音を殺して、その場を立ち去った。
●どしゃぶりロマンス
怜治は。道場の見える軒下で、雨を見ていた。雲は厚く、雨はまだ降りやむ気配もない。そういえば、あの日もこうだった。そう思う。降りしきる雨の中、味方の姿はかすんで。敵の姿ばかりが、大きく見えた。
「あの……」
後ろから、声がした。ドキリとして振り返る。野森千晶が、そこに立っていた。
「前に、依頼で一緒したよね」
「ああ。覚えている」
怜治も緊張している。返答がぎごちない。
ほんの少し、沈黙が落ちた。
それから。千晶は小さく息を吸って、後ろ手に持っていた緑のチェックの傘を、差し出した。
「ごめん! アタシが傘を持ってきちゃったんだ。アタシ、あの日からずっと、長崎のことが好きで。物でもいいから、長崎に触れてみたかった。そこにちょうど、アンタたちが通りかかって。出るに出られなくなって、そのまま……。ホントにごめんなさい」
あの斡旋所で。千晶が謝罪をためらっていた時。
『無理なら、私が代わりに返しますよ。告白と傘返却をセットにする必要ないでしょうし』
と、紗雪が言ってくれた。
『傘が無いほうが貴女の傘に誘いやすいかもですが。それでは貴女の罪悪感が消えないでしょうし、今後しこりとなることでしょうから』
その通りだ。彼と一緒の傘で歩くのが自分の夢だったけれど。それより。
『相手の幸せを、願ってほしい』
そう言った渚の言葉に背中を押され。千晶は自分で傘を返すことを選択した。
頭を深く下げ、うちしおれる千晶の手から。怜治は、傘を受け取った。
「いや。戻ってくれば、別にいい」
その言葉に。千晶はちょっとだけ、顔を上げる。
視線が合って。怜治は、また少し赤くなった。
「僕も、その。顔を出そうにも出せない状況があるということは分かる。お互い様だ」
「え、お互い様?」
きょとんとする千晶。
「いや、気にしないでくれ」
咳払いをして誤魔化す。あの会話を盗み聞きしたなど、絶対に知られるわけにいかない。
「その。君の気持ちは、正直嬉しい。君のことをもっと知りたいと、そう感じた」
その言葉に。千晶の心臓も高鳴り出す。
「あの日も雨だったな。みんなが希望を失った中、君だけは戦意を失わず、敵に立ち向かい、味方をかばおうとしていた。その姿に勇気づけられた。男の僕が、先に諦めるわけにはいかない、そう思わされた」
その言葉に、千晶はドキッとする。
『彼にもきっかけとなったあの日を思い出してもらえるといいですね』
そう言って、雨の見えるところを告白場所にするようアドバイスをくれたのも紗雪だ。
「あ、あの。今日、アンタに告ろうと思ってて。これ、渡したくて作ったんだ」
クッキーの包みを取り出す。可愛くラッピングされた袋に、男っぽい口調と裏腹な女の子らしさを感じて。怜治は何だかどぎまぎした。
『クッキーごと……君の心を届けてあげなよ☆』
千晶の心に。そう言った雪彦の笑顔が浮かぶ。
「それから。これは、傘のお詫び」
焼きサンドイッチも出す。こちらは時間がなかったため、アルミホイルにくるんだだけだが。これも雪彦のアイディアだ。
「モツァレラチーズの香りだな。好物だ」
怜治は相好を緩める。
「ありがとう。今すぐ食べたいけど、いただくのは少し運動をしてからにしようかな」
「え?」
「ちょうど、道場のすぐ傍だ。手合せをお願いしたい。君の戦う姿は、その……とても輝いていた、から。もう一度、見てみたい」
『稽古をしている野森さんの姿を魅せましょうか。自分が自然体であることが、一番良いですよ』
そう言って、告白場所に道場の近くを提案してくれたのは和菓子だ。涼やかな表情が目に浮かぶ。
「ああ、その前に」
怜治は気が付いたように、内ポケットから千晶の生徒手帳を取り出した。
「これ。斡旋所の前で拾った。何だか、不思議な縁だな。今日、君に会うことが決まっていたみたいだ」
「うん……それはさ」
生徒手帳を受け取りながら、千晶は小声で言った。
「きっと。この学園が、奇跡を起こすために作られた場所だから……」
みんなが力を貸してくれたから。この笑顔にたどり着けた。
千晶の胸は、感謝で満たされていた。
●奇跡の行方
並んで道場に向かう二人を、少し離れたところから四人は見守っていた。
「後は、千晶ちゃんの頑張り次第かな。そうじゃないと意味がないしね」
そう言う雪彦の目は、とても優しい。
「自分にないところに惹かれる……それは彼の方も一緒なんじゃないかな?」
その言葉に、他の面々もうなずいた。
それから紗雪は、アルミホイルの包みを雪彦に差し出した。
「雪君も食べますか? 千晶ちゃんと一緒に作ったのです」
雪彦が包みを開けると。焼きサンドイッチの香ばしいにおいが漂う。
その様子を見て。渚は、自分の手の中にある包みをじっと見下ろした。その中には、二人分の焼きサンドイッチが入っている。
それから、彼女は無言で。ぶっきらぼうに、その片方を和菓子に差し出した。
「おやおや、これは」
和菓子は少し驚いたが。ありがたく、いただいた。
カリカリしたパンの間から、とろりと流れ出るチーズの味を楽しみながら、彼らは雨の中を歩いていく。雨粒が、傘や、紗雪のレインコートの上を流れていく。
「雨が降って、地固まるとなると良いですな。これもまた奇跡」
和菓子が呟く。
下駄をはいた足を、地面に落ちて跳ね返った雨粒が濡らす。
紗雪のレインブーツが、水たまりに波紋を作る。
雨はまだ、やみそうもない。