●突入
突入前の短い時間にミハイル・エッカート(
jb0544)は、葉守と以前戦った時の印象を仲間に話した。彼の感触では防御・回避が高いタイプであり、動物型のディアボロを連れていることも多い。
実況中の動画から撮ったスクリーンショットも見せた。画像の端に大きなボストンバッグが映っていた。
「明らかに大きすぎだろう。こんな騒ぎを起こしておいて、葉守単独で来るのはおかしい気もする。中に動物を詰めたのかもしれない」
ミハイルの話をアスハ・A・R(
ja8432)は目を閉じて聞いていた。彼にとっては初見の敵、味方からの情報は大切だ。だが、それにしても。
「全く以て、面倒くさい」
感想はそれに尽きる。
「また盛大なことをするね。駄々を捏ねる子供みたい」
アスハの呟きを聞きつけ、不知火あけび(
jc1857)が可愛らしく肩をすくめる。
「……本人にもどうしようもなかったりしてね」
付け加えた言葉とともに、赤い瞳が翳った。
「これまで葉守は攻撃らしいことをしていない。俺たちのスキルを受けたら返すタイプか? スキルを受けるにはタフさが必要だが……」
ミハイルの考察は続く。
それを聞きながら華澄・エルシャン・御影(
jb6365)の表情は憂愁にとざされていた。
ロジー・ビィ(
jb6232)も緑の瞳に哀しげな影を浮かべている。
(あたしは……葉守、貴方を……貴方の心を知りたい)
視線の先には鈴木悠司(
ja0226)がいる。無言のまま電車に揺られている彼の青い目は他の者を見ない。力を求めてあがくその姿が、これから対峙する敵に重なった。
『突入、お願いします』
通信機の向こうから指示が入る。それを合図に彼らは並走する車輌に飛び移った。
●対峙
開け放たれた扉から客車内に風が入り、轟轟と渦巻いた。隣り合って走る車輌の間に挟まれた空気が渦巻く風を起こし、両方の車体を大きく揺らす。
「……来たね」
真ん中あたりの座席に足を投げ出して座っていた葉守は、顔を上げて撃退士たちを見た。それから横に置いてあったデジタルカメラを彼らに向ける。
「はーい、動画をご覧になってる皆さーん。正義の味方、久遠ヶ原の撃退士さんたちが到着しましたー。撃退士さんの活躍に乞うご期待」
ふざけた口調でヘッドセットのマイクに話しかける。
浪風 悠人(
ja3452)が進み出た。その後ろから浪風 威鈴(
ja8371)が警戒するような目を葉守に向ける。
「おー眼鏡くん。早速やる?」
揶揄するような葉守の言葉に悠人は首を横に振った。
「いいや。まずは話がある。阻霊符だけは使わせてもらう、途中で逃げられないようにな」
胸ポケットに手を当てる。その間に葉守は威鈴に軽く手を挙げて挨拶する。
「ケモノ嫁じゃん、すげー久しぶり。元気? 仲良くリア充やってる?」
「ヴァニタス……にまで……なったの……」
威鈴の目にあるのは怒りと嫌悪だ。目の前の敵は大切な悠人を傷付けた相手。時が経っても決して許すことは出来ない。
「しばらく会わない間にずいぶん人を殺したようだな」
レンズの奥の悠人の黒い目が、葉守の持つ日本刀に向かう。
「あの橋の上の戦いを覚えてるか?」
答えはない。それでも悠人は続ける。
「俺は後悔してる。あの時は、お前が人だったから生かした。自分の無力を知れば悔い改めると思った。けど、それが結果的に大惨事に繋がった」
「本当に……後悔……する……」
威鈴が低く言った。緑の瞳は怒りに燃え上がり、貫き通さんばかりに鋭く葉守を睨み続けている。今の彼女は狂犬のように危険だった。
「あの時……人じゃ……なかったら……。……悠……振り切ってでも……殺してしまいたいって……今でも思う……」
日ごろ無口な彼女の舌は思うように言葉を紡いでくれない。それをもどかしく思いながら、自分が獣なら今の葉守は獣以下だと思った。
けれど何と思われようとも、自分はその獣を狩る狩人なのだ。
「悠……刺されるくらいなら……ボクが……撃ち殺した方が……良かった、の……!」
今にも飛びかかりそうな彼女の肩を、悠人がしっかりと押さえた。強いまなざしが葉守の昏い瞳をとらえる。
「あの時、俺が人殺しになっていればこんな事にはならなかった。だから問う。お前は今、人なのか」
まっすぐな問いに、葉守はただ嗤った。
●蛇とマイク
話が終わったと見て、ミハイルが代わって前に出る。
「はもりーん! ご好評にお応えいたしまして、俺が来たぜ。嬉しいだろう」
サムズアップしてにかりと笑う。葉守は嫌そうな表情になった。
「好評じゃねえし……。その呼び方やめろよ」
ぼやきに構わず、ミハイルは更に前へ出て巨大なバッグへ近付いた。後方でアスハが黙って眉を顰める。プーラーでないので爆発物ではないだろうがトラップの可能性もある。
ミハイルの狙いは葉守のつけたヘッドセットだった。最初の動画を思い出す。爆発は彼がマイクに囁きかけた後に起こっていた。しかし西橋旅人(jz0129)は、プーラーはケッツァーに属する別の悪魔の所有物だと言う。
複数の冥魔がこの事件に関与。ならばヘッドセットで連絡を取り合っているのではないか? 冥魔と電気製品はおかしな取り合わせだが、間に葉守が入るなら話は別だ。
「今日のお友達はこの中か?」
ミハイルはバッグをつま先でつついた。あえて挑発する。
葉守の視線がそちらへ向いた。何か言い返そうと口を開ける……。
その瞬間、葉守の頭部付近が爆発した。悠人のスキル『アートは爆発だ』だ。
狙いすましたその威力がヘッドセットを破壊する。同時に『時雨』を使用した悠司が設置してあったデジカメと、シートに置いてあったパソコンを破壊した。ロジーの持つ細い糸が葉守の右肩を切り裂いてスマホを取り落とさせ、死角に回った威鈴の『クイックショット』が葉守の頭部を狙う。
「あーっ! 何てことすんだよ、予備持ってきてないのに……」
きわどいところで威鈴の銃弾を避けた葉守が、機器の惨状を見て悲鳴を上げる。スマホは画面にひびが入っただけだったが、床に転がったそれをロジーが拾い上げそっと電源を切った。
「これで邪魔はなくなりましたわ」
艶めく銀髪を揺らして天使は微笑む。これで他の悪魔と連携することは出来なくなったはずだ。戦いの様子を逐一ネットに流されるのも避けたかった。
葉守は傷付いた肩をさすってため息をつき、窓を開けて壊れた機械を投げ捨てる。開け放しのドアと窓の間を風が抜け、狭い客車を激しく揺らした。
「物は大事にって小さい頃習わなかった? だけど知らないぜ。大方、俺とピンク頭の連携を切ろうってハラだろうけど、これで爆発させるもさせないもアイツの胸先三寸になった。俺よりあっちの方が読みにくい相手じゃねえの?」
誰もそれには答えなかった。代わりにロジーが、
「あら、今日はお供は連れていらっしゃらなくて? 随分な自信、ですわね」
明るさを装って挑発を繰り返す。
「あーそう。列車爆破されちゃってもいいんだ、撃退士さんたちは……。はいはい、そんなにコイツらとやりたいなら出してやるよ」
左手で肩を押さえ、右手をパチンと鳴らす。それを合図にボストンバッグが不気味に揺れ、中から二匹の巨大な蛇が姿を現した。
暗緑色と黄色。それぞれが素早く動いて列車の凹凸に長い体を絡みつかせ、鎌首をもたげて威嚇する。
だが撃退士たちも準備は出来ていた。
「もう騒動起こさずにおとなしく動物園やってろ!」
緑色に向かいミハイルのカルタゾーノスC28が火を噴く。素早い攻撃は回避射撃で牽制した。右腕から立ち上った青白いアウルが隼の姿となって銃口から飛び出し、敵に襲い掛かる。
スターショット『SS』。一時的にカオスレートを上昇させての一撃は、蛇の全身を引き裂いて動きを止めた。
「マジ?! 瞬殺?!」
葉守がうろたえた声を上げるが、ロジーは構わず手にした鉈を蛇の頭めがけて何度も執拗に振り下ろす。蛇の生命力は強い。侮るつもりはない。
あけびは黄色の大蛇に近付いた。能力不明の敵なので慎重に対応したい。手にしたレジスタチェーンで距離をとって攻撃する。
緑色を潰しきったロジーが身を翻し、香水を黄色の眼前で噴射した。蛇は嗅覚が発達しているという。このディアボロが現実の蛇を模写しているのなら、攪乱の役に立つはずだ。
蛇が嫌がるように体をのけぞらせた。その隙をつき、アスハが素早く敵の正面に立つ。手にした魔銃を基に氷の太刀を作り上げる。それは敵として出会い今は味方となった、ある使徒の技を元に編み出したもの。
氷の上を滑るように彼は一歩を踏み込み、大蛇の首を刎ねた。
「早っ! やられるの早っ! ったく、あのオッサンの作るものと来たら……ディティールにこだわりすぎで性能がなってないっての」
配下のディアボロの早すぎるリタイアに葉守が頭を抱える。
●蝶の舞
手駒を失った彼の前に華澄が進み出た。
「葉守さん」
優しい声で呼びかける。
「本当は、あなたを学園に迎えたかった。冥魔でもこんな事件を起こしていなければやり直せる……罪を償って刑を終えたあなたと、一緒に生きたかった」
「はあ……?」
葉守は顔を上げ、訝し気に華澄を見る。
「何言ってんのアンタ。ふざけてんの?」
「そうだぞ華澄」
ミハイルも表情を険しくする。
「こいつが人間だった頃にやった事件を思い出せ。救いが無い……しかも既にヴァニタス、悪魔に操られて動く屍だ。何をどう救うと言うんだ。俺はこいつに殺されてトラックに詰められた死体の山を今だって覚えているぞ」
「そーそー。分かってるじゃん」
葉守が軽口を挟むが、双方かまわずに睨みあう。
「罪は消えない。けどこの惨劇が彼の望み? 絶望した心は脆くて残酷よ」
華澄は言い募る。胸にあるのは愛する人の言葉。敵にも俺達と同じ心がある。それを考えて戦え。ただ倒しても同じ事の繰り返し……。
「自分に価値が無かったと思い続ける限り心は壊れて誰かが死ぬ。終わらなくなるわ」
緊迫する空気の中、撃退士たちの後方でアスハが動いた。ひとり列車の最後尾へ向かう。拉致された運転士はどうなったのだろう。車掌は乗務員室にいるのだろうか。
ガラス越しにのぞいたその場所は空だった。運行表を挟んだクリップファイルだけが置き去りになっていた。
すると葉守はわざわざ運転士を先頭車両まで連れて行って戻ってきたということか。ご苦労なことだ。
ごっと音がして車両が揺れた。車窓越しに何か大きなものが飛んでいくのが見えた。
線路に落ちたそれは、手足がついた人型のようだった。
もう一度同じ音。今度ははっきりと、人間の形をしたものが飛んで行った。頬の刺青までは確認できなかったが……落ちた後も原形をとどめているから、人間ではなくプーラーなのだろう。
別働班の作戦は順調に進んでいるようだ。
「バス事件の後、葉守さんの報告書は読んだ。寂しい人だなと思った。貴方の足掻いてる顔が好きです」
低い声がした。睨みあう華澄とミハイルから離れて、魔具を雨月に持ち替えたあけびが朱い瞳で葉守を見据えていた。
「はあ? 今度は何、告白? 十年早いって」
葉守は御免というように片手をヒラヒラ振るが、あけびは真面目だった。
「私は忍だから、任務を全うすること以外何も考えられない。貴方は弱いですが私よりは強い。それなのに悪魔の傀儡であることが腹立たしい。……支配されること、嫌いなんですよね? 終わりにしましょうよ」
紫の長い髪が、体の動きに合わせてなびいた。
「葉守庸市は誰の記憶にも残らず、ただの弱い人外として死ぬんです」
冷たく非情に、彼女はそう宣言した。
切っ先を上に向け構え、そのまま全力で敵に向け飛び込んでいく。
葉守の爪がジャキンと音を立てて伸びた。
その間に、華澄が割って入った。
葉守に狙いをつけていたロジーがあわてて攻撃を中止する。狙いを定め兼ねる様子で銀のワイヤーをしきりに動かす。
華澄の体から血が流れ、床にしたたり落ちた。咄嗟に展開した『シールド』にあけびの刃は阻まれたが、後ろからの葉守の爪は避け切れなかった。
「……どうして」
あけびは呟く。華澄はやわらかく微笑んだ。
「葉守さんの心はまだ人間よ。前に、『俺は人じゃない枠か』って言った。……殺せる時にも私達を殺さなかった葉守さんだから、人の心があるならヴァニタスでも全力で護るわ」
「……いい加減にしろ」
葉守はうなるように言い、華澄の細い体に食い込んだ爪を勢いよく引き抜いた。傷口から更に大量の血がこぼれ落ちる。
「馬鹿にしてんのかっ!! そんなきれいごとが聞きたいんじゃねえよっ!」
更に二本の爪が伸びる。三本の刃が華澄に向け振り上げられる。
「なめるなあっ!」
あけびが華澄の腕を後ろに引いた。
「お願いします」
後ろの仲間に彼女を預け、位置を入れ替える。手にした小刀に、アウルで出来た霞のような刃が作られる。
飛び込んだ彼女の一撃は、しかし葉守にかわされた。二十センチほどの長さになった黒い三本の爪が、すれ違いざまにあけびの肩を切り裂く。爪の長さは調節可能なようだ。
「出てくんなよ。邪魔だ、ガキ」
吐き捨てるように葉守は言った。
あけびはその場に膝をつく。意識が急速に朦朧として、立っていられない。
そんな彼女をかばうように悠司が前に出た。
「華澄さんはアンタを護った。それは一つの強さだ」
静かに言う。
「アンタが求めた力は結局……何かを護る、護れる強さだったんじゃないの?」
もしそうだとしたら、今の葉守の姿は悲しさを通りこして滑稽だ。
けれど、どんな力が欲しかったかは力を欲する者には関係ないかも知れない……そう悠司は思う。
(理由なんて、忘れて、忘れたふりをして……。そう、俺みたいに。葉守みたいに)
「葉守……貴方の欲しかったのはこんな力なのでしょうか」
ロジーも哀しげに言う。
「蹂躙する圧倒的な力……でも隠されているのは……貴方の弱い心。それを武装する為だけの力……違いまして?」
「俺は別にアンタがどれだけ死体の山を築こうと関係ない。アンタを殺す事だけが俺の意味」
もう一歩。悠司は葉守との距離を詰める。
「駄々っ子みたいな遊びは、もう飽きたよ」
手にした闇罔象の刃が、暗い輝きを放った。
●雨が降る
とにかく中てる。それだけを念じて、『時雨』から『十字斬り』へ。縦に振り下ろす一撃目は避けられたが、横に払う二撃目がヴァニタスの血を車内に散らす。
葉守は横に跳んで悠司の攻撃範囲から逃れた。だがそこには朦朧状態から立ち直ったあけびが待ち構えている。蒼鷹の爪で斬りかかると同時に靄が発生して葉守の視界を塞いだ。『目隠』だ。
認識障害を付与するスキルだが、葉守は身軽に飛びすさった。足取りにスキルの効果は感じられない。
異動した先には華澄がいた。黒い爪で葉守は突きかかる。
華澄はその攻撃を小太刀で受け流した。
「あなたとお母様みたいな親子も殺すの?」
その問いに葉守は嗤った。
「今度はかばってくれねえわけ? 支離滅裂だね。何がしたいわけ、お姉さん」
華澄は歯を食いしばる。詰られるのは覚悟していた。『神速』を使い全力で反撃する。
刃は届いたが、かすり傷を与えただけだった。葉守は更に暗く嗤う。
「結局攻撃するんじゃん。偽善だね。自分がいい子になりたいだけだろ? 認めちまいなよ、ワタシは正義の味方だから人殺しなんかしないんですーって言えよ」
嘲笑に歪んだ顔を、ふんわりとした金の髪の間から華澄は見返した。
「あなたの命は寿命じゃなく、主が消して終わる」
きっぱりとした、それは宣告だった。
「悪魔に利用させるなら私が倒し……苦しくても、あなたを一生覚えてる」
「それが偽善だってんだよ!」
銀の髪が揺れる。ロジーの細い体が援護のため、座席に挟まれた狭い空間に躍り込んでくる。
これまで葉守の戦法やスキルを見極めるため『見』に徹してきたロジーだが、仲間の危機に黙っているつもりはない。
「天使さんか。二対一は勘弁だよ」
葉守はひょいと座席に飛び乗ったが、
「そちらは行きどまりですわ、葉守」
ロジーの口元に寂しげな微笑が浮かぶ。
葉守の後退を妨げる位置にワイヤーが張り巡らされていた。先ほど、攻撃に迷っているふりをして細いワイヤーを操り作り上げておいた、美しい蜘蛛の巣。
「覚悟を」
白い指がワイヤーを引く。輝く鋼の糸は網となって葉守を絡めとろうと襲い掛かる。自身を共に束縛することも厭わぬ心中覚悟の攻撃だったが、ヴァニタスは座席のスプリングを使い高く跳躍してそれを避けた。
彼は撃退士のいない場所を狙って着地したつもりだったが、その背後を一瞬で青い影がとった。
急所である腋下を狙い、仄かな蒼焔を纏った強烈な貫手が葉守を襲う。
「危ねっ、腕ちぎる気か?!」
更にアスハは攻撃を撃ち込む。いかに硬いとはいえ人型である以上、急所は存在する。こめかみ、延髄、脇の下、鳩尾、脛、関節。今までに味方がつけた傷口もある。
「くっそえぐいな、この青髪野郎!」
叫んで葉守は日本刀の柄を握りしめる。
「力と強さをはき違えた阿呆、が」
呟いたアスハが突きを警戒して半身をずらすのを見て、
「ばぁーっかっ! 使わねえよっ!」
葉守はその顔に向けて刀を鞘ごと投げつけた。刀がフェイクであることも予想していたアスハはそれを片手で受け止めたが、その間に葉守は威鈴へ襲い掛かる。
悠人がその攻撃を防いだ。後ろに妻をかばい、黒い瞳はまっすぐにヴァニタスを睨みつける。
「ウザいんだよっ、眼鏡くん……!」
葉守の爪が伸びる。
「あの日のことは忘れねえよ……っ! 知ってるんだよ、あの時はわざと刺されてくれたんだよな?! そうでなきゃ?兵器でもないただの刀で撃退士が傷付くわけない……こっちだってそのくらい知ってんだ!」
不吉に光る黒い爪はまっすぐに、悠人の心臓を目がけ奔る。
「そういう格下扱いがムカつくってんだよ、馬鹿どもが!」
悠人がさっとかがんだ。その後ろにはヒポグリフォK46を構えた威鈴の姿があった。
策にはまったと臍を噛む暇もなく、『ストライクショット』の鋭い一撃が放たれる。それと同時に低い姿勢から悠人が攻撃を繰り出す。
腹に二発を食らって葉守はよろけた。さらに、
「死んでくれ」
ミハイルが、ディアボロを一撃で屠ったスターショット『SS』を葉守の肩にぶち込む。
「……ホント、毎回毎回あててくれるよな」
葉守はじりじりと下がった。肩にも腹にも大きな傷を負っている。ひとつひとつは致命傷ではないし、かすり傷に近いものも多い。だが数が多かった。今の彼は全身血まみれに近い。
もう一歩下がる。その後方には開け放たれたままのドアがあった。
葉守はにんまりと嗤う。
「好き放題やってくれたね、ホント。もういいや、俺はこの辺で消えさせてもらう。後は桃色悪魔さんが勝手にやるだろうよ」
ヴァニタスがもう一歩下がった時。
音がした。
聞き慣れたもの、当たり前のもの、日常的なもの。
それでいてこの場には全くと言っていいほどそぐわないもの。
携帯電話の着信音。
「もしもし。……ああ、僕、だ」
当然のように携帯電話を取り出して通話したのはアスハだった。
「そう、か。わかった」
うなずいて通話を切る。それから誰にともなく依頼仲間たちと敵を見渡して、
「別働隊の友人から、だ。プーラーの処理が終わった、と」
「はあ? はあー?」
一番に反応したのは葉守だった。
「何だそれ。何だあの悪魔、偉そうに知ったかぶって結局使えねー。どいつもこいつも、そんなのばっかりかよ!」
毒を吐く葉守を捕らえようと、皆はじりじりと距離を詰めていた。
だが悠人は何となく後ろを振り向いた。そこで。
アスハが微笑っていた。
白い手がかざされる。蒼白いアウルがそこに集まっていく。
「教えてやる……力、というのはこういうもの、だ」
静かな声がそう言うのと。
「みんな、この車両から逃げろっ!」
悠人が叫ぶのが同時だった。
車内を切り裂き、穿ち、割り、砕き。
蒼い光の雨が降る。
何もかもを破壊しつくそうと降り注ぐ。
ミハイルは咄嗟に、あけびと華澄の二人を両脇に抱えて列車を飛び降りた。二人をかばいながら反対車線の線路の上を転がる。その分ダメージを多く負うことになった。
叫ぶと同時に悠人はシールドを展開していた。後ろに威鈴をかばい、降りしきる光の雨に対抗する。
防ぎきれぬ雨のしずくが自分の身を切り裂いても、彼女には傷ひとつ付けはしない。
守り抜いて見せる、絶対に。
ミハイルと同時に葉守も列車を飛び降りようとした。彼は最も出口に近い場所にいた。確実に逃げ切れるはずだった。
だが、それを阻んだ者がいた。悠司だった。
後ろから葉守をがっしりと抑え込み、ワイヤーで自分に縛り付け離さない。
「離せよっ……! おい、アンタも巻き添えになるぞ、ご同類! さっさと逃げりゃーいいだろ!」
蒼い雨の中、悠司はほんのわずか……苦い微笑を浮かべた。
「胸糞悪いけどアンタになら殺されても良いと思った」
これで、良い。
見せ掛けでも偽りでも力は力。弱者と強者の理。
自分はここで、葉守と刺し違える。
「ちょ、マジかよ、あーっ、どいつもこいつもイカれてやがる!」
アウルの雨に打たれながら此のヴァニタスは絶叫し。
自らの作りだした雨の中で彼のヴァニタスを思いながら、アスハは静かに佇んでいた。
ロジーは雨に打たれながらそれを見ていた。彼女は飛び降りるべきか葉守を止めるべきか一瞬、迷った。その間に悠司が葉守に飛びついた。
体を穿つ光の雨より、その光景が痛かった。
降り注いだ雨は六号車の駆動装置を破壊する。すぐに緊急停止装置が作動し、悲鳴のような軋み音を上げながら列車は停止した。
●昏い鏡、燃える赤
雨がやんだ時、車内には奇妙な静寂が訪れた。
「敵も味方もねえな」
ぐったりした悠司を振り払い葉守が立ち上がった。ワイヤーはもう緩んでいた。
葉守が皮膚を鎧のように硬化させて防御したのを悠司は見ていた。そのため敵のダメージは軽いようだ。ノーガードで雨を浴びた自分はボロボロだが。
「死ねると思ったのにな……」
吐息のように呟く。その姿に、葉守は愕然とした表情を浮かべた。
「何言ってんだよ。つうか何やってんだよアンタ」
ぐったりした体を無理やり引きずり起こす。拳を上げ、だがそれを振るおうか迷うように止めたまま黙り込む。
「アンタが俺の鏡なんて嘘だ」
じっと悠司の顔を見て、ようやくそれだけをヴァニタスは言った。
「アンタは俺なんかと違う。本当は分かってるだろ……」
続けて何を言おうとしたのか、どうしようとしたのかは分からない。
ちょうどその時、
「葉守ぃ!!」
怯える威鈴を休ませた悠人が、傷付いた仲間を捕らえ襲い掛かろうとしている葉守に向かって吼えた。
「くらえええ!」
燃え盛る地獄の業火を身に纏い、まっすぐに右拳を突き出す。炎の玉を飛び散らしながら打ち出した渾身の一撃が葉守の腹を突き上げた。
「最後に言っとく。俺と妻は獣じゃない、狩人だ」
呻き声をあげて葉守は悠司の体を離した。支えを失った悠司はその場に倒れ込む。葉守もそのまま尻餅をついた。
「いてえ……」
その姿勢のまま、悠人を見上げる。
「前から思ってたけど、眼鏡くんって熱血なのな……俺のことなんかかまってないで、こっちの手当てをしてやれよ」
倒れている悠司を見てから、悠人は葉守に視線を戻す。
「お前を捕まえるのが先だ」
「もういいだろ……。俺も十分やられたよ。見れば分かるだろ」
葉守は軽く肩をすくめ。
「じゃあ。縁があったらまたな」
さっと車外へ飛び出した。
悠人は扉から半身を乗り出したが、葉守は既に防護壁を越えるところだった。
あっという間にその姿は視界から消えた。
しばらくして乗客の救出作業が開始された。
線路を歩いてきたミハイルは、『応急手当』で怪我の重い仲間の傷を癒す。
六号車に爆発物など仕掛けられていないか隅々まで確認した後、あけびは金色の長い髪を探した。
「華澄さん。申し訳ありませんでした」
彼女の前で、深く頭を下げる。
「これ……ありがとうございます」
差し出されたのは雨月だった。
華澄は小さく首を横に振る。
「いいえ、私が頼んだのだもの。ごめんなさいね、嫌な役をやらせて」
今度はあけびが首を横に振る番だった。
あの一幕は打ち合わせされたもの。
あけびが葉守を刺そうとすることも、それを華澄がかばうことも、あらかじめ決めていた。そのために借り受けたのが、この刃のない小刀である。
けれど。動き自体は打ち合わせたものでも、あの瞬間の心は本物だった。
あけびは全力で、本気で仕留めようと葉守に向かったし。
華澄は彼の中の『人』を本気で守ろうとした。
それだけは絶対に本当のことで。
伝わればいいと。それが伝わっていれば良いとあけびは心から思う。
華澄が暖かく包み込む太陽になるのなら、自分は彼の北風になろう。そう思ってやって来た。辛い気持ちは見せずに、忍らしく非情に演じきった。
忍ではないただの少女に戻ったあけびは、風に溶けてしまいそうな華澄の傍に寄り添う。消えたヴァニタスの行く末に思いを馳せながら、二人は空を覆う灰色の雲を眺めた。