●死神の跫
「自分を責めて楽になろうなんざ甘ェんだよ」
西ロータリーからは見えない場所で終電を待ちながら、一川 夏海(
jb6806)は呟いた。
「人間楽な方に流されるんだよ」
傍に立った不知火あけび(
jc1857)が肩をすくめる。
「死なんて楽の最たるもので、どんな理由を付けても自殺志願者は心の弱い人達なんだと思う。中々あこぎな商売してるね、葉守さんって」
紫の袴の裾をひるがえし、彼女は別の場所をチェックするために去った。
(イライラするぜ全く……まぁ、そんな事考えてても仕方ねェか)
夏海の金の瞳が、一般客を装い自由通路を歩いている白いロングコートの姿を捉える。ルチア・ミラーリア(
jc0579)、彼の天使。長く青い髪に乗せた戦闘帽は戦意の証だ。
その姿がささくれた心を和らげる。夏海は気合いを入れ直した。
「生きた人間を攫う……以前同様、ですわね」
向かい合う鈴木悠司(
ja0226)に、ロジー・ビィ(
jb6232)は問いかける。
「そこにどう言う意味が隠されているのでしょう」
悠司は答えない。ロジーは自問するように呟く。
「本当に葉守が関わっているのでしょう、か」
ならば、その哀しい力を止めなければ。
(彼は……きっと泣いている)
最終電車がホームに入る。
少しして乗客たちが改札をくぐり、閑散としていた通路に人が溢れる。
夏海はスマホを弄るフリをしながら西ロータリーに向かう人数を数えた。二十七人目で人の流れが切れる。後続はないと判断し、彼も西出口へ向かった。
日頃はがらんとした深夜のロータリー。だが今夜は街灯の光の下に影のように集まる者たちがいる。
エンジン音が聞こえた。暗闇にヘッドライトが光る。
瞬く間にそれは黒いマイクロバスの姿になった。挨拶のように軽くクラクションを鳴らして、人が一番多い辺りに停車する。
「こんばんはー」
赤い髪の若い男がバスから降り立った。葉守庸市(jz0380)に違いない。
「おつかれ。じゃ早速だけど、マジで死にたい人だけ乗って」
開け放したバスの乗降口を示す。参加者たちが互いに様子をうかがい、ためらいながら一歩を踏み出した時。
「ちょっと待ったぁぁぁーー!」
闇に響く大声に誰もが振り返った。そこに立っているのは段ボール、いや段ボールをかぶった何か。
大きな箱が宙を舞い、ミハイル・エッカート(
jb0544)の長身が現れた。
彼はこの時のため、階段裏の死角に一人ひそんでいたのだ。箱の中で長時間待機、気分は浮浪者だったが……段ボールは潜入任務の必需品。仕方ない。
「そのバスに乗って痛い目に会わないと誰が保障するか!」
ミハイルは言う。
「俺が保証するけど。不安ならやめていいよ皆さん」
葉守は落ち着いた調子で言ってから、改めて撃退士に視線を向けた。
「よう、久しぶりだ」
ミハイルが片手を上げる。葉守も黙ってうなずいた。
そのやり取りを聞きながら。パーカーのフードを深くかぶった影が薄暗がりをゆっくり進む。
十分に参加者たちに近付いたところで、悠司の『咆哮』がロータリーに響いた。
集まった者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
●ぶつかりあい
「やってくれたね」
葉守は悠司をにらんだ。フードを外した彼の傍に、翼を広げたロジーがひらりと降り立つ。階段の天井付近に息を殺してひそんでいたのだ。
「御機嫌よう、葉守」
澄んだ声が言う。
並んだ三人を葉守は睨んだ。
一般人はほとんど遠くへ走り去ったが、足の遅い老人や石畳で転んでしまった者がまだもたもたしている。彼らを巻き添えにするわけにはいかない。三人は葉守の足止め役だ。
「葉守サンやっぱりアンタか。元気してる?」
悠司はゆっくり言った。
「まあ、今日は折角だしゆっくりと色々話せればってね」
「上に大きなのが二匹いるぞ。気を付けろ」
ミハイルが低い声で言った。『索敵』のスキルに反応する影がある。
羽ばたきの音がした。上空から襲い掛かってくる。
逃げる一般人と入れ違いにロータリーに入ったあけびが影縛の術を放ったが避けられてしまった。
夏海とルチアも駆け寄る。キーンという音がして、耳から頭の芯に痛みが走る。二人は耳を押さえた。コウモリが口を開いていた。超音波を使った攻撃のようだ。
「相変わらず面白い事やってるね。いや、やらされてるの間違いかな。随分従順なモンだね」
悠司の言葉にロジーが和する。
「力を揮う機会は訪れまして? まさか、また貴方のマスターの言うが侭に動いているのでしょうか。貴方自身は……一体何を求め、何を為したいんですの?」
また羽ばたきの音がした。ひと回り大きなコウモリが現れ、あけびに向け超音波を放つ。耳から耳へ抜けるような衝撃が走った。強烈な頭痛に思わず彼女は足を止める。
固まっていると不利とみてルチアは夏海から離れた。他の仲間たちとも、周りに残る一般人からも距離を置く。彼らに危害が及んではならない。
小コウモリに向かい『挑発』を使用する。
「俺の目的? そんなの決まってんだろ」
葉守は唇の両端を吊り上げた。
「どいつもこいつも痛い目みろ、ってそんだけだよ」
「相変わらずだな」
ミハイルは話しながらもディアボロに注意を向けている。一般人に襲い掛かるなら阻止する。
「素敵なあだ名を考えてみたぞ。『はもりん』……どうだ、大好きな撃退士からのプレゼントだぜ」
「はも……?!」
絶句する葉守。
「……ふざけてんじゃねぇよっ!」
激昂と同時に、右人差し指の爪がジャキンと音を立てて伸びた。街灯の光の下、刀のように長く伸びた爪は不吉に黒く光る。
「あんまりナメてっと殺すぞ」
「一戦交えたいなら喜んで、だ」
ミハイルも銃を構える。
「技量を見せてくれ」
あけびはコウモリ対応に集中する。ひらひら飛ぶ影目がけ『火遁・火蛇』を使用。一直線に飛んだ炎が敵を焼く。
「巻き込まれるぞ! 駅構内に逃げろ!」
駅方面に逃散した人数が少ないと見て、夏海はそう叫びながら【ミズチ】を構えた。少し焦りがある。『タウント』を使用したのだが、効果が出ていないようだ。
羽根を狙った狙撃が功を奏し、小コウモリが地に墜ちる。
「駅に逃げて!」
あけびも叫ぶが参加者たちの反応は薄い。まだ恐慌状態にあるようだ。
ミハイルの盾がアサルトライフルに変化した。その銃身で彼は葉守の黒い爪を受け止める。
「変形はお前だけの専売特許じゃない」
夜の中笑う秘密工作員に、葉守は悔し気に奥歯をかみしめ一歩後ろへ下がる。
悠司はナイトビジョンを下した。大コウモリの超音波に耐えつつ『痛打』を使い曲刀で薙ぎ払い、大きなダメージを与える。
「単刀直入に聞くけど、何の為にコレ……面白ツアーなんてやってんの?」
尋ねると、苛立った様子の葉守が振り向く。
「命令に決まってるじゃん。人集めろって言われてんだよ」
「へえ。ご主人様のパシリにされるのも大変だね」
蔑んだ口調に葉守の目が険しくなる。
「力が全て。それは全て心の弱さを隠す為だとは思いませんこと?」
ロジーは静かに言った。
「貴方の『切望した』力を入手した……と現状を顧て心から思えるのでしょうか。あたし達の『力』は護る為の力。貴方の力は……何の為の力ですの?」
「護る為の力。物は言いようだな」
葉守はせせら笑った。
「結局力に頼るわけだろ。その通り、力が全てなんだよ、この世界は。あんたたち天使と悪魔がこんな世の中にしたんだ。だったらこっちもそれに合わせる。それだけの話だよ」
そして彼は叫ぶ。
「おーい! 死にたいヤツはバスに乗れ! 約束通り連れてってやるからさあ!」
その声が届く範囲には限りがあった。恐慌から覚めたわけでもないだろう。それでも逃げ場を見つけたかのようにバスに向かい出す人影がひとつ、ふたつ……。
ルチアは弓を構えた。自分の『挑発』も夏海の『タウント』も効いていないようだ。救いはディアボロたちが一般人に襲い掛からないことだろうか。孔雀の羽根を飾った矢が宙を奔るが、かわされる。
「効率のいい悪魔の餌の集め方を考えたものだが。死ななければ数百年、いや千年以上、このまま悪魔の使いっぱしりか。哀れなものだな」
ミハイルの『ブラックファルコン』が火を噴いた。
「痛ぇ……! 毎度毎度、人に弾丸当てやがって」
葉守はは顔をしかめて傷口を押さえた。
だがミハイルも表情には出さないが怪訝に思う。もっとダメージがあって良い一撃だったのだが。
大コウモリの超音波がルチアに向かった。カオスレート差が大きなダメージを与える。
「ルチア!」
「大丈夫です」
こめかみを押さえながら彼女は敵を見据えた。『遊撃軍』生き残りの誇りにかけ、こんな敵には屈さない。
その間に、数人が這いずるようにバスに乗り込んだ。
「この人達は連れていかせない!」
続く者たちを遮るように、あけびはバスの前に立ちはだかる。
「私は葉守さんのことはよく知らないけど、弱い人だと思う」
葉守を赤い目でにらみ、強い口調で彼女は言う。
「他人の力を誇って自分が傀儡になってることにも気づかない。自殺志願者は誑かし易かったでしょう。同類ですもんね。力を求めるのにどんな理由があったとしても、許されることじゃない」
葉守はあけびを眺め、そして周りを見た。
「聞いた? 俺たちは弱くて、許されないんだって! いいよね勝ち組は。負けて地に這いつくばってるヤツの気持ちなんか分からないだろ?」
その瞳に憎悪の火が灯る。
気付くと彼女の目の前に葉守の姿があった。
「生きたくてあがいて、それでも死ぬって選択肢しか残らないヤツの気持ちなんか分からねえよな? 何で俺のこと責めんの? 逝きたいヤツ集めて逝かせてやってるだけじゃん」
長く伸びた爪が襲い掛かる。
あけびはそれを後ろに下がって避けた。忍びの血、簡単には敵の刃は受けない。
葉守も舌打ちして彼女から距離を取る。
「いつまでも遊んでても仕方ないし、そろそろ撤収するか」
「行かせません」
ロジーの銀の髪がするすると伸びた。『忍法「髪芝居」』で足止めするつもりが、わずかなところで逃げられる。
「待てよ」
その後ろに悠司が迫った。どうしても聞きたいことがある。
「結局アンタ、何で力が欲しいの?」
悠司も力は欲しい。どんな手段でも、絶対的な力が。曲刀で斬りつけざまに問いかける。それをかわして、葉守は答えた。
「この世界では力が無い者には何も与えられないから。それだけだ」
視線がぶつかり合う。一歩下がって、葉守が嗤った。
「ご同類って顔してるぜ」
「結局は同じ穴の貉ってトコロ、か……」
同類嫌悪に苛まれながら、悠司は呟く。
「鏡を見るのが厭なのはお互い様」
葉守は肩をすくめ、懐から出した銀の笛をピュッと吹いた。新しい羽ばたきが聞こえる。
「こいつと遊んでな」
ひときわ巨大なコウモリが撃退士とバスの間に立ちはだかった。
「また厄介なのが来たね」
悠司は眉をしかめる。
「悪いけど、後の人は置いてくわ。じゃ縁があったらまたってことで」
葉守はロータリーに残っている人影に声をかけ、バスに乗り込んだ。少ししてドアが閉まり、エンジン音が響く。
「待ってくれ」
遠くで誰かが叫んだ。
だがバスは一度だけ軽快にクラクションを鳴らし走り去った。
ミハイルとロジーは階段の裏に走った。そこにはブルーシートをかぶせたバイクが隠してある。
夏海のリボルバーとルチアの混沌の矢が援護する。とどめを刺され、二体のディアボロは絶命した。
●闇を走る
乗車した客は五人に満たなかった。車内は閑散としている。
「飛び入りがいるみたいだな。一緒に来るかい、ご同類」
バックミラーに目をやった葉守が問いかける。
「まさかアンタとドライブとはねぇ」
悠司も薄く笑った。ドアが閉まる瞬間に全力移動で乗り込んだのだ。
「皆さん、撃退士さんが一緒に来てくれましたー。拍手ー」
ハンドルを離して叩く葉守の手の音だけが空ろに響く。それと同時に悠司は異臭に気付いた。
「こっち運転中だからさ。襲ってくるなら火をつける。皆さんいいよね、死にたいんだもんね」
葉守は嗤う。運転席の横に缶があり、開いた口から液体が漏れ出ていた。ガソリンだ。
悠司を振り返り、葉守は笑顔のまま尋ねた。
「で、どうする?」
スライドドアが開いた。走行中の車内から若い男が転げ落ちてくる。
バスを追跡していたロジーは急ブレーキをかけた。それが誰か、彼女には一目でわかった。
「悠司」
「……何でもない」
受け身を取ってダメージは最小限で済ませている。
連れ去られた人がすぐに殺されるとは限らない。だが走行中のバスに火をつけられたら救出は難しい。葉守の拠点を探りたかったが、苦渋の決断だ。
(葉守……未だに戦闘で本気を出さない。不可解だね……)
遠ざかっていくバスを見つめ、彼は思った。
駅近くの造成地の間の細い道を通り抜け、バスは県道をしばらく北東に向けて走った。
ミハイルは回り道を使いつつ、距離を取ってマイクロバスを尾行していた。逃げる瞬間、葉守にマーキングを撃ちこんである。見失う心配はない。周辺道路は待機中に道路地図で予習済みだ。
時折バスに近付き追加のマーキングを撃ち込んで追跡を続ける。だが進むにつれ彼の表情は曇った。頭の中の地図に最新の情報を重ね合わせる。
防衛ラインの手前で彼はバイクを止めた。常磐自動車道のインターチェンジにバスが入っていくのを遠目に眺め、葉守の気配を探る。それは茨城方面……『つくばゲート』に向かっていた。
上級悪魔のゲートに直接人間を連れ込む。葉守らしいと言えばらしい選択だ。
行先は見定めた。仲間のもとに戻ろう。
●いつか
足止め用のディアボロには三人が立ち向かう。この敵も撃退士しか狙わない。ルチアとあけびは武器を刃物に替え、近距離で戦う。
夏海とルチアが傷を負ったが何とか倒すことが出来た。すぐに夏海はルチアにライトヒールを使用する。彼女の回復を確認してから、あけびと自分の傷も癒した。
あけびは参加者たちが変な行動をしないか気を配っていた。震えている者を見つけ、肩にそっと手を置く。
「もう大丈夫です。安心して」
しかし救出者した女性を励ます一方で、どこか心が疼く。
(使徒、か……)
うずくまり号泣する女性を見ながら、仮初の生を与えられて使役される存在にどこか暗いものを感じていた。落ち着いたら、葉守のことを聞かせてもらおう。
「皆、もう家に帰りな」
他にディアボロの気配がないか探っていた夏海が戻ってきて、立ち尽くす人々に声をかける。
ハッとしたようにその影は一人、また一人と駅の構内に向かった。
「……死ななくて良かったな」
去っていく背に、彼は小さく呟いた。
死ねば嘆くことさえできない。生きてさえいれば、きっと違う朝も来る。
その日が来ることを願うのみだった。