●雪の中へ
「街中に吹雪とは迷惑な」
黒井 明斗(
jb0525)は、雪煙に霞む駅方向を見て呟いた。
ジャケットを着ていてもひどく寒い。南国育ちとしてはコタツにでも潜っていたいところだが、困っている人たちを助けたいと思う心が勝った。
勝ったが……愚痴くらいは、許してほしい。
「状況によってはまだ生存者がいるかもしれない。迅速に行かなきゃね」
黄昏ひりょ(
jb3452)の言葉に、樒 和紗(
jb6970)もうなずいた。
「生存の可能性が低いと言われても、ゼロでなくば諦める訳ありませんよね」
駐車場が無人だったとは思えない。彼女は地元撃退署に緊急車両の準備を依頼すると同時に、救急隊と治療可能能力者を被害範囲外に待機させるよう要請していた。
「頼む事さえ無理と諦めたら終わりですから」
紫の瞳が強い意志をたたえ輝く。
数センチの雪が積もることさえ珍しい関東南部。用意された車はノーマルタイヤである。明斗はチェーンを巻く作業を買って出た。スノースパイクも欲しかったのだが署内に用意がないとのこと。都心周辺は雪に弱い!
「駅舎西口方面に敵……」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は呟いて少し考え、煙草をもみ消した。
「んじゃ、俺は東口方面から現場に行くワ。壁走りで一気に駆け上がれば、敵の後ろに回り込むことも出来るんじゃねー?」
「強風や雪の影響があると思いますが、大丈夫ですか?」
首をかしげる和紗に、ヤナギはニヤリと笑ってみせる。
「あ? ンなモン、根性だ……っつーのは嘘で。敵がいるのは西口方面なんだろ? 反対側なら、ちったぁ暴風雪もマシかもしんねーし。あとは……まあ、いろいろ考えてるゼ」
ひと足先に現場に向かう彼を見送りつつ、レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)は、むむむと眉をひそめた。
敵の目的が不明だ。外からあっさり結界の中心地点を特定されているあたり、迎撃に来るのは織り込み済みか、結界内の隔離対象にばれなければよしとの判断なのか?
「相手の意図にご用心ですね」
小さく呟き、気を引き締める。
出発前に、和紗はもう一度真夜に連絡を取った。到着したことを伝えてから、一緒にいる矢松に電話を替わってもらう。
「増援に来ました。そちらも現場へ向かって貰えますか?」
和紗は無自覚だったが、増援=『これは貴方の仕事だ』という念押しになっている。フリー撃退士に手痛い一撃だ。
「冥魔認識で敵のカオスレートを確認しておいてもらえますか。それ以上は無理せず、合流を待ってください」
三秒沈黙が続いた後、『承知した』とだけ言って、電話は一方的に切れた。
なんかシンパシーを感じるディバインナイトが居る気がするような、と謎電波を受信する逢見仙也(
jc1616)も加わり、五人が車に乗る。
渋滞する道路の脇を通り抜け、入口から問題の駐車場に向かった。進むうちに気温が下がり、車の周りを雪が舞い始める。チェーンを巻いたタイヤがぎしぎしと積もった雪を踏む。
目的地まであと少しというところで、車は雪に挟まれ進めなくなった。あとは徒歩だ。
●吹雪の駐車場
ヤナギは駅東口に立っていた。こちら側も風雪のため、隣のビルもかすんで見える。
「暴風雪……しかも天魔特製、か。幾ら冬っつっても限度が有らァな。んじゃ、氷の女王達を仕留めさせて貰いますか……っと」
視界を守るため防護マスクをかけ、鮮やかな緑色のワイヤーを取り出す。それをビルの凹凸に引っ掛け、登頂を開始した。
吹き荒れる風の中の壁走り。普段なら何事もなく走り抜けられる距離だが、足元をすくう強風が速度を鈍らせる。ワイヤーを命綱代わりにし、ヤナギは足を進めた。
駐車場の撃退士たちは駅ビルの連絡口に向かっていた。和紗は停まっている車の陰に隠れるように進む。
厚く雪が積もった車内に人がいるのかどうか、今は見えない。誰かいるなら一刻も早く助けたいが、そのためにもまずは元凶を取り除く。
連絡口に着くと、真夜が中から飛び出してきた。安心したような、申し訳なさそうな顔をしていた。
明斗が矢松に状況を尋ねる。スキル使用の結果、冥魔ではないことが判明していた。埼玉に現れたのはまたしてもサーバントのようだ。
ひりょは真夜と矢松に防寒着セットを差し出した。
「二人には突然の吹雪だものな。寒さ対策しておかないと」
和紗も少し背伸びして、むっつりしている矢松の首にマフラーをぐるぐると巻いた。
「……少しはマシでしょうか」
完成。その姿を眺め、納得したようにうなずく。矢松が抗議の声を発した時には、
「坂森。手袋を重ねてつけた方がいいです、良かったらこれを使ってください」
もう彼女は聞いていなかった。
別行動しているヤナギに連絡を取り、状況を伝える。こちらも行動を開始する頃合だ。
「俺は坂森と一緒に後方から支援します」
真夜を傍に呼び、和紗はそう矢松に言った。=貴方は前で頑張れ、というセリフになっているが今回も無自覚。
「坂森さん。射程の長い魔具は持っているか?」
仙也がたずねた。手持ちの武器の射程を聞いて、
「心許ないな。これを使うといい」
仙也は魔女の箒を差し出した。真夜は遠慮したが、援護射撃が届かなかったら意味がないと言われて、ありがたく拝借した。
レティシアが真夜に向かってにっこり笑い、ひらひら手を振ってからゴーグルを顔につけた。雪による視界不良対策だ。
ひりょは鳳凰を召喚した。朱色の鱗とクリーム色の羽毛、緑の尾羽の鮮やかな生き物がほんわりとした光を放ちつつ、彼の傍に出現する。降雪で薄暗い視界の中、その朧な明かりは頼もしく感じられた。
「坂森さん、いや、真夜さん」
真夜に声をかける。友人のSOSと聞いて駆けつけてきたが、少し気がかりだった。
(恩人である矢松さんの前、坂森さんが気負わないといいんだけど……、ちょっと心配だな)
空回りさせない程度に激励しようと思う。
「人は決して他の人にはなれない。君は君の帰りたい場所、守りたい大切なものがあるかな? それを守る為、そこへ帰る為、出来る事をやろう。君は出来る。俺は信じてる。君を信じる俺を信じてくれ」
眼鏡のレンズ越しにこちらを見る黒い真摯な瞳。語られる言葉には力があり。
真夜は少し赤くなってから、黙ってうなずいた。
明斗は先頭に立って歩いた。視界は悪いが敵を探すのは簡単だ。風雪が激しい方向に進めば良い。ひりょがそれに続く。明斗と連携を取り、前衛で動くつもりだ。
仙也とレティシア、仏頂面の矢松がその後を歩く。ひりょが全員に韋駄天を使ったので、積もった雪に足を取られることなく移動できた。
明斗は眼鏡のレンズに付いた雪を手袋の甲で拭った。人影が見えた気がして、大声で呼びかけてみる。
返答の代わりに肌を切り裂く冷たい風が彼を襲った。見つけた。ここに敵がいる。
●氷姫たち
フローティングシールドβ1が攻撃を遮るが、それでも皮膚が引き裂かれた。明斗は気に留めない。アウルの鎧を身に纏い、ぼんやり見える人影に向けまっすぐに進む。
自分が囮になって敵の意識を集めれば、味方の攻撃が容易になる。それでいい。
右側から石礫のような雪が吹き付け、彼の体を激しく打った。レティシアがライトヒールを使う。小さな光が彼の体に吸い込まれ、痛みが和らぐ。感謝の意を軽く手を挙げて表し、明斗は尚も前に進む。愚直なほどにまっすぐに。
骨の髄まで凍らせるような冷気が足元に這い寄る。風と雪、どちらの攻撃とも違う場所からだった。敵は数体いるようだ。一体が風、一体が雪。もう一体は。
(周囲を凍りつかせる力を持ってる奴がいるなら、かなり厄介だ)
風と雪も侮れないが、極度の低温は生命活動そのものを低下させる。冷気を操る相手が一番危険だ。ひりょはそう判断する。
後方で、和紗は歌っていた。透き通るような歌声が気分を奮い立たせる。やっぱり樒さんも歌がうまいんだな、と真夜はのんきに考えた。スキル『我が歌を聞け』の発動を終え、和紗はまっすぐに真夜を見た。
「直接敵を狙わずとも構いません。仲間への攻撃を知らせる等も十分な支援です。無論射程に捉えた時は遠慮なく」
生真面目に言った後、
「あと冷たくなったら手を握って貰えると温かいです」
と優しく微笑む。その表情が、可愛くて儚げで。年上で凛としてしっかりした人なのに、守りたい気持ちになって。
真夜は和紗の手をぎゅっと握る。
今の自分に出来ること。それをしっかりやろう。信じて、支えてくれる人たちに応えるためにも。
敵は三体、奥にいる冷気担当を最優先で攻撃、と前線から連絡が来る。
「では、他の二体を押さえなくてはなりませんね」
和紗は目を細める。吹雪のせいで視界が悪い。だが、仲間の位置は見て取れるし、敵の位置は風の中心、雪の中心を読めば見当がつく。
先に風だ。そう決断し、換装した弓を構えて炎のようなアウルを纏う矢を放つ。
和紗の攻撃が風を一瞬止めた。視界を覆う雪の勢いが和らぎ、白い衣をまとった三体の敵の姿が前線に立つ撃退士たちの目に映る。ほっそりした、女性めいたフォルムだ。
隙を逃さず、明斗が一気に距離を詰めた。アウルで作り出された彗星が風担当に降り注ぐ。重圧の効果を受け、敵の動きが鈍くなる。
ひりょも前に出た。他の二体と離れ、少し奥で雪の中に腰を下ろしている個体。長い白い髪が、積もった雪と同化している。
近付くと、ひときわ冷気が強まったような気がした。構わずに式神を呼び出し、それを敵に向かわせる。サーバントは抵抗するようなそぶりを見せた。だが、ひりょの式神がそれを抑え込む。束縛に成功した。
レティシアは死者の書を取り出した。雪の中での遠距離攻撃は誤射が怖い。後衛を務める二人の射線を遮らないよう気を付けつつ、動きを止めたサーバントに狙いを定め攻撃を放つ。
だがそれを、横から吹き付けた雪が止めた。『彼女ら』は互いに連携を取って動くようだ。雪担当がレティシアに攻撃のそぶりを見せた時。
「こっちだゼ」
声が響いた。敵の背後、少し離れた場所にヤナギが立っていた。三体のサーバントが一斉にそちらを見た。ニンジャヒーローを使い、自身に注目を付与しているのだ。
彼を狙って、雪・冷気・風の攻撃が次々に打ち込まれた。それを時に避け、時に影手裏剣・烈で反撃しながら巧みに動き回る。
狙いは、敵を連携させないこと。射線が重なる縦列になるよう誘いながら、蛇行し走る。
相討ちを狙うのも一興なのだが。さすがにそう上手くはいかなさそうだった。
ヤナギを援護するため、和紗は更に攻撃を撃ちこむ。魔女の箒の扱いに難儀していた真夜も、ようやく雪担当に向け一撃を放ち……反動でその場にしりもちをついた。
箒は仙也が手塩にかけて強化を重ねた品。更に和紗のスキル効果で、経験したことのない威力の攻撃が繰り出されたのだった。
その様子をちらりと見ながら、ひりょは前に出る。敵が真夜を狙うようなら、身をもってかばうつもりだ。あの子の傷付くところは見たくない。
無数の妖蝶が舞った。目の前の敵を忘れヤナギを狙うサーバントを『忍法「胡蝶」』が屠る。
冷気担当が斃れたのを確認し、仙也は風担当に向かった。切り裂かれるのは気にしない。耐久力は底上げしてある。
目の前まで近付き、大きく口を開けた顔を横から殴りつけた。華奢なサーバントは倒れこみ、風はあらぬ方向へ吹く。
仙也はにんまりと笑って、その口に斧の石突をねじ込んだ。
槍を構えた明斗がその横に立つ。押さえつけられ動きのとれない姿に抵抗を感じつつも、心を鬼にしてとどめを刺した。
雪担当の牽制は矢松が拳銃で行っていた。
冷気と風のアシストを失った『彼女』の力は半減していた。雪つぶての攻撃も切れ味が落ちている。
それでも彼女は逃げようとはせず、激しい雪をまき散らし続ける。
(どうせ、敵範囲内に入らねェと俺は有効な攻撃が出来ねェ。さくっと倒しちまえばイイ)
ヤナギは風のなくなった雪の上を一気に走り、敵の懐に飛び込んだ。
風遁・韋駄天斬り。強烈な一撃が戦いを終わらせた。
●戦いの行方
撃退署に討伐が終わったと連絡した後、彼らは生存者の捜索に移る。
車内に人がいると見れば、和紗は容赦なく車窓を壊して生存しているか確認した。助かるかどうかはわからないが、命の火が消えていないなら出来る事をする。
仙也は翼を広げ、駐車場を飛び回って生存者を捜索した。レティシアは運び出された生存者を暖かい場所へ移す。
最低限の回復をしてもらったヤナギは、被害者の救助を優先するよう申し出た。
救急箱を持って走りながら、明斗は真夜に、
「応急手当は必ず学んで下さい」
と言った。真夜はうなずいた。その技術は、確実に命を救う確率を上げる。
到着した救急隊が負傷者を搬送し、ようやく全てが終わった。
一息ついた仲間に、ひりょは携帯してきた新茶をふるまう。熱いお茶が冷え切った体に染み渡った。
「愚再従兄が失礼しているようで」
和紗は矢松に近付き、深々と頭を下げた。はとこの名を告げると、
「あいつか」
矢松が渋面になる。その様子に和紗は微笑した。
「何かありましたら連絡下さい。説教しますので」
住み込みでバイトをしているバーのカードを差し出す。
「……成程、血筋か」
そう呟いて矢松はカードを受け取り、コートの内ポケットにしまった。
「矢松さん」
入れ替わりに、ひりょが彼の前に立つ。
「今日の坂森さんの戦いぶり、どうでしたか」
「魔具に助けられていたようだが。どうしてそんなことを?」
聞き返されて、返答に少し時間がかかる。
撃退士は危険な仕事だ。傍にいられないだけに、心配も凄くあると思う。
でも、あの子も頑張ってるって所を見てもらえたらいい、そう思ったのだ。あの子はあの子なりの強さを身につけていけるはずだから。
「矢松さんの態度は親心にも似てる気がして。自分優先気味のあなたが心配する子ですから」
そう言われ、矢松の眉が軽く上がる。
「君とは前にも会ったな。確か……」
ひりょが改めて名乗ると、
「ああ。君が『黄昏さん』か」
矢松は不機嫌に嗤った。
「覚えておこう。それでは私は、依頼主への報告があるので失礼する」
背中を向けた彼に、
「学園ではこれからも俺、あの子の事を見守るつもりです」
ひりょはそう宣言した。
真夜は仙也に礼を言って箒を返却した。箒のパワーに感動したことを伝えると、金の瞳が悪戯っぽく笑った。
箱根土産の礼を言おうと、レティシアに近付く。
「……お疲れですか?」
思い沈んでいる様子にそうたずねると、彼女は首を横に振った。
「ちょっと気になることがあって」
誰も阻霊符を使っていなかった。サーバントは逃げようと思えば逃げられた。
だが『彼女たち』はそうしなかった。
道化芝居に付き合わされたのではないか。そう思い、レティシアの表情は曇るのだった。