●動画
撃退士たちは警察車両で現場へ向かっていた。
最初の動画から直に三十分が経過する。既に一人が殺された。二人目の命が断たれる時間も近い。
ミハイル・エッカート(
jb0544)はもう一度動画を再生した。血にまみれ、嬉しげに嗤う男。その姿は醜悪な道化だ。見たくもない映像だが、時間がない。敵の居所を特定するために分析が必要だ。
ネットが使える環境。
撃退士の到着を把握可能だと相手がほのめかしていること。
画像に映る死体が警備員のものに見えること。
動画は比較的静かで、背後で音楽などが流れている様子がないこと。
これは、バックヤードのどこかではないだろうか。
「とすると、一番怪しいのは警備員室でしょうか」
ロジー・ビィ(
jb6232)が輝く銀の髪を揺らす。
建物の見取り図で確認すると、スタッフ用の空間は商品搬入口付近に集中していた。警備員室は搬入口のすぐ横だ。
「みんな連れてっちゃう、とかほざいていたな」
ミハイルは更に眉根を寄せる。
「小規模なゲートを展開しているかもしれない。だったらそれも発見して破壊しないといけないぞ」
状況が不透明な分、最悪を想定しなければならない。そう、彼は思う。
現場では二人一組で行動することに決めた。施設の制圧効率を考えれば、敵は一、二階に分かれているはず。宣言通り虐殺が始まるなら、その被害を少しでも抑えるために分散して索敵し、撃破すべきだろう。
(少しでも被害を抑える、か)
鈴木悠司(
ja0226)は昏い瞳で窓の外を見る。
(面倒臭いけど……クソッ……)
「胸糞悪い」
自分だけに聞こえる声で、小さく呟いた。
車が目的地の敷地に入る寸前で、最初の動画から三十分が経過する。
また一人、犠牲者が出た。
●到着
現場では既に警察が、立体駐車場の出入り口封鎖と平置き駐車場・搬入口の一般車両の退避誘導を行っている。救急車も複数台到着し、待機していた。
建物ギリギリまで車を寄せる。撃退士が到着したことは可能な限り隠しておきたい。
降車と同時に、六人は素早く散開した。
向坂 玲治(
ja6214)と華澄・エルシャン・ジョーカー(
jb6365)は、正面入り口に向かった。
これ見よがしにひとつだけ開かれた口に、何もないわけはない。そこを通れば確実に敵に捕捉されるだろう。だが、内部にいる人間を避難させるためには突破しなくてはならない。
華澄の表情は固かった。葉守とは縁がある。
前に顔を合わせた時、相手はまだ『人間』だった。だが、今は。ディアボロを従えているならば。
あの時。彼に向けて説いた『力の意味』。伝わらなかったことが、悔しい。
(今度はこの刃をあなたに向けて必ず止める。これ以上殺させない)
彼女はそう決意した。
正面入り口には、人ほどの背丈のカンガルーが立ちはだかっていた。
背景にはクリスマスの飾りと賑やかな音楽。普段通りだから余計に、異様さが際立つ。これが『連れてきたディアボロ』に違いない。
太い尻尾が、ばしんと床を叩き。カンガルーが戦闘態勢に入る。
玲治は一気に相手との距離を詰めた。強烈な光を放つ掌が灰色の体を穿つ。
華澄も迫る。体に淡い桜色の光を纏い。金色の髪をなびかせて、輝く太刀で神速の攻撃を叩きこむ。
わずか二撃。それだけでカンガルーは動きを止めた。
●二階
橘 樹(
jb3833)とロジーは翼を広げ、透過能力を使用して二階に侵入した。
全力で飛行した樹は、中に入ったところでいったん息を整える。
ロジーは無線を試してみた。近くにゲートがあるなら、光信機しか使えないはずだ。
だが、意外にも無線は生きていた。ということは、ゲートがあるとしてもこの建物内ではないと考えるべきだろう。
ならば葉守を探したいが。ディアボロによる殺戮が始まっているなら、そちらが先である。
フロアは非常扉で分断されている。迂回したり、時にはやむを得ずそれを破壊しながら。二人は敵を探して走った。
大きなクリスマスツリーが見えた。その下に、怯えて動けない様子の親子連れ。
そして、それを見下ろす赤いカンガルー。長い尾が獲物を狙う蛇のように獰猛に動く。
「やめるんだの!」
樹は大声を上げた。阻霊符を発動させながら、親子と敵の間に飛び込む。
ロジーは青いロザリオを具現化する。無数の風の刃がそこから巻き起こり、カンガルーを襲う。挑発のための攻撃。目論見どおり敵の注意は彼女に向く。
苛立つ敵の周りを、ロジーは軽々と飛び回る。懐に入るチャンスを狙いつつ翻弄するように飛ぶ彼女に、パンチや尾の攻撃が飛ぶが。かすり傷にしかならない。
その間に親子を逃がした樹は、敵の後方に立ち混元霊符をかざす。
巻き起こる砂塵。八卦石縛風がディアボロを包み込み、瞬く間にその姿を石化させた。
まだ終わらない。石化が解ける前に完全に斃さなければ。
「カンガルーは尻尾が命なんだの!」
身長と同じほどの長大な尾。これがなければバランスを崩し、まともに動けないはずだ。樹は大鎌を振り上げ、切断を試みる。が、石化で硬度を増した敵の体は緑の刃を撥ね返した。
ロジーは鉈を構えた。嫋やかな彼女に似合わぬ、無骨な武器だ。その刃が敵の喉元に食い込む。天使と冥魔、カオスレートの差が攻撃力を増大させる。
動きを止められたまま、反撃することも叶わず。赤カンガルーは砕け散った。
●一階
悠司とミハイルは監視カメラの死角を狙い、建物内に侵入した。
柱の陰で怯えている客に、ミハイルは「カンガルーはどこだ」と聞く。怯える相手は、ろくに返事も出来ない。
(こうなると邪魔なのは、敵じゃなく一般人か)
うずくまっていたり、ただ右往左往していたり。そんな影たちを見ながら、悠司は呟く。いったいどれだけの人数がこの建物の中にいるのか。
十五分が経てば、あの男はまた人質を殺す。だが本当に厄介なのはディアボロだ。命令者をどうしようが、そいつらは一般人を殺害し続けるのだから。
早く、葉守とかいうクソを見付けてカタをつけたい。そう思った。
行く手を塞ぐ非常ドアを時には蹴破り、時にはこじ開けて敵を探す。
悲鳴が聞こえた。次の隔壁をくぐると、逃げ惑う人々の姿があった。情報通りの巨大カンガルーがいる。足元には、倒れ伏した人々の姿。
悠司は無言で敵に迫った。曲刀が閃き、敵の体に十字を刻む。
「撃退士……?」
その攻撃に。パニックになっていた一般人たちも気付く。
「邪魔だよ……さっさと行って」
無表情に無感動に、敵を見据えたまま悠司は言う。
……足元の死体も邪魔だ。
「胸糞悪い」
もう一度、彼はそう呟く。
避難路を教え、一般人たちを遠ざけてからミハイルは愛銃を構える。
「悪いが遊んでいる暇は無いんだ。コイツでさっさとくたばってくれ」
彼の周りで銃が次々と実体化し、浮遊する。合図を受けて悠司が下がる。
そして、全ての銃が同時に火を噴いた。嵐のように飛び交うアウルの光弾は、カンガルーの体を細切れにし尽くした。
●対面
安全な経路を示し、外に警察と救急車がいることを人々に伝えながら。華澄と玲治は、いち早くバックヤードへたどり着いた。
細い廊下には人影がなく、ひどく静かだ。
警戒しながら前へ進む。現時点で撃退士たちが斃したディアボロは三体。だが、葉守は動画で『四匹連れてきた』と言っている。
『発見出来れば、そいつの対応に俺は回る』
移動中の悠司がそう言った。それが暴れれば、また被害が広がる。野放しには出来ない。
突き当りが見えた。左が警備員室のドア、右が外に出る搬入口だ。
不意に左のドアが開き、葉守庸市が姿を現した。片手で中年の女性を、片手で自分の父親を引きずっている。
「おー。あんた」
二人が身構えるのと同時に。葉守は華澄に気付き、手を振った。
「久しぶりー。元気?」
久闊を叙す気はない。華澄は相手を睨み、口を開いた。
「葉守さん。力を得たら人は目的を持ってそれを使う。誰に向けて何を伝えようと刃を揮ったの? 私達は正義を語ったけどあなたの考えを聞いてない。身体張ってあなたの言葉を聞きに来たわ」
葉守は低く嗤った。
「正義? あー、聞いたねえソレ。でもさ、俺はやりたいようにやるだけだよ。前にも言わなかった? 力のあるヤツって、そーするもんだろ?」
「ずいぶんと粋がってるやつだ」
玲治は軽く眉を上げる。
「どれ、現実の厳しさってやつを教えてやろう」
呟くなり、一気に距離を詰める。両手の塞がった葉守の腹に、神輝掌を叩きこむ。
「うぐっ」
葉守はまともに受けて、うずくまった。だが、玲治は眉をひそめた。手ごたえがおかしい。固い盾を殴ったようだ。
「痛みも殺害も他人事ね」
華澄も迫っていた。鮮やかに髪をなびかせ。太刀に光を宿し、戦乙女の幻影をその身に重ね。陽に輝く真紅の花の鮮やかさで。
「人間でいて欲しかった。冥魔として人を殺めたら、あなたは殺されるしかないから。あの日からあなたのことは他人事じゃない。最後の痛みは私があげる」
目の前に迫る切っ先。葉守は咄嗟に、片手に持った中年女性を華澄に向けて投げつけた。攻撃が止まる。
葉守はホッとしたように嗤う。
「ちょっとさー、タコ殴りとかやめて。それに、俺ってヒトじゃない枠? ひどくねえ……」
軽口が途切れた。通路の奥から飛んできた弾丸が、その左肩を抉った。
「人間だった葉守庸市はいない。お前はヴァニタスだ。法律ではなく俺達が裁く」
狙いをつけたまま。現れたミハイルが言う。
「どうだ、お望みどおり来てやったぜ。ファンなんだろ? サイン欲しいか?」
揶揄の言葉を口にしながら、青い瞳は冷たく敵を見据えている。
「あー。新しいヒト来たか」
葉守は髪をかき上げた。と。
「庸市……」
物のように引きずられた葉守の父親が、細い声を上げる。
「もう、やめろ……。ちゃんと……罪を……償……」
「はあ? 何言ってんの?」
葉守は不愉快そうに下を見、父親を蹴りつける。
「父親面してんじゃねぇよ、ゴミが」
「子供っぽいな」
ミハイルは不快を隠さなかった。
「親に相手にされず、自己顕示欲が満たされないまま大人になった構ってちゃんだな」
引き金に指をかける。玲治が拳を構え、華澄も太刀を握る。
葉守は薄く嗤った。
「よその家の事情に首つっこむなよ。下手なことするとさぁ。アンタたちにこのゴミ、始末させるよ?」
父の体を持ち上げ、盾のように振り回す。
父親の哀しげな目に、華澄は気付いた。
きっと。あの人は息子にもう一度会いたかった。どれだけ変わり果ててしまっていても、それでも。
「もういいや。さっさと死ねよ」
葉守は飽きたようにそう言って。父親の頭を掴み、勢いよく床に叩きつけようとした。
●憐憫
薄紫の影が、撃退士たちの間を駆け抜けた。たどり着いた樹が、人質の下に飛び込んで自らクッションになる。
「何だよ」
葉守は獰猛にそれをにらみつける。
「邪魔すんじゃねーよ」
「満足かの?」
冷たい床の上で、樹は憐れむような視線を返す。
「可哀想だの、おぬし」
力を得ても、何も変わらない。
奪う事でしか、注目されない。
本当は自覚しているから。こんな事をするのだ。
葉守の顔から皮肉な笑みが消えた。
「何、上から目線で言ってんだよ。見下してんじゃねーよっ!」
日本刀が抜き放たれる。
「低俗な趣味。冗談が過ぎますわ」
鈴を鳴らすような声が響いた。ロジーが嫌悪を露わに立っている。もう一人の人質は、華澄から彼女に渡され、今は後方で震えていた。彼女はそれをチラリと見、また葉守に視線を戻す。
「何故こんなコトをしているのか、あたしには分かりません。けれど、幾ら小悪事を働いていたとしても、貴方に裁く権利はありません。もう、終りにしましょう」
刃を向ける。父親の目前で息子を傷付けたくはないが、今回ばかりはどうしようもない。
「また増えたし」
葉守は下を向いて嘆息した。顔を上げた時には、皮肉な笑みが復活している。
「もういいや。フルボッコはゴメンだわ。だからさ」
商品搬入口のドアが開け放たれる。
裏口に当たるこちらも、警察車両によって塞がれている……はずだった。
しかし、そこにあったのは玩具のように転がされたパトカー数台。リアドアの開いた大型トラック。その中には警備員や警官、動画に映っていた人質たちの動かぬ体が積み上げられて。
「コイツの相手でもしてろや」
立ちはだかる、ひときわ巨大なカンガルーを指して葉守は嗤った。
●終幕
「まさか、トラックで逃げるつもりじゃないだろうな?」
ミハイルは呆れた。意味がない。ヴァニタスならいくらでも逃走に使える能力があるはずだ。しかし葉守はリアドアを閉め、運転席に這い上がろうとしている。
進路はカンガルーが塞いでいると見て、ミハイルは素早く葉守の背にアウルの弾を撃ちこんだ。だが敵は無傷で、そのままトラックを発進させる。
追撃しようとした華澄を、カンガルーが蹴倒した。先の個体とは段違いの運動能力だ。
搬出口から広い駐車スペースに出ながら、撃退士たちは目を見かわした。一瞬で役割分担が決定する。
ロジーがスキルでカオスレート差を更に広げ、ディアボロに一撃を喰らわせた。フロアの確認を終え、合流して来た悠司が敵の足元を大きく薙ぎ払う。玲治が拳を構え、相手の懐に飛びこむ。仲間のダメージは全て受け持つ。
ミハイルと華澄は、動かせる警察車両を探した。先程撃ちこんだのはマーキング弾だ。効果が持続している間、敵の居所は手に取るように分かる。
カンガルーを味方に任せ、追跡する。三人に囲まれたディアボロが斃れるのは時間の問題だろう。
「大丈夫だの。わしが必ず護るゆえ、信じてほしいんだの」
樹は廊下に残り、戦いの推移に気を遣いながら人質の拘束を解いた。角がある彼の姿に女性は怯えたが。葉守の父にはそんな気力もないようだった。
「何か、手がかりになることを聞かなかったかの?」
問いかけてみる。相手は首を横に振り、ただすすり泣いた。
パトカーの中でミハイルは眉をしかめた。葉守の動きが一度止まった。少しして、また高速で動き出す。
何かあったのか、と訝しんでいると。先回りするように頼んでおいた地元撃退署から連絡が入った。
葉守の乗った大型トラックが途中の曲がり角で横転。大きな車体を扱いかねたのだろう、運転席部分は民家の塀に突っ込み、車体が完全に道路を塞いでいるという。
持ち去られそうになった遺体の回収は出来たが、葉守は野次馬に紛れて逃走。撃退署員が到着した時には姿がなかったらしい。
ミハイルは葉守の正確な位置を伝えた。横転したトラックを避けてそちらに向かうには、今いる場所からは時間がかかる。スキルの効果は十分間。既に半分近くが経過している。
タイムリミットまで緊密に連絡を取り合い、追い詰めようとしたが。
年の瀬で賑わう街という森の中で、ヴァニタスの痕跡は忽然と途絶えた。