●集合
木嶋香里(
jb7748)は地図を見ながら歩いていた。今日は勉強会なので私服姿だ。抜群のプロポーションが人目を引く。
角を曲がると、目指す学生寮の前に少女が立っていた。
「坂森さん?」
相手が振り返る。香里は微笑みかけた。
「木嶋です。今日はよろしくお願いします♪」
「あっ、お、お忙しいところありがとうございます!」
真夜はやたらに頭を下げた。どうやら緊張しまくっているようだ。
(これは……落ち着いて試験に取り組める様にしてあげたいですね)
香里が思ったところへ。
「坂森さん?」
今度は、眼鏡をかけた青年が声をかけた。緑の瞳の女性が一緒だ。浪風 悠人(
ja3452)と、浪風 威鈴(
ja8371)である。
「浪風です。こっちは嫁」
「……よろ……しく……」
「よろしくお願いします!」
挨拶され、また頭を下げまくる真夜。
更に。
「坂森さん、今日はよろしく」
黄昏ひりょ(
jb3452)がやって来た。真夜が挨拶を返す前に、他の面々がひりょに声をかける。皆、彼と友人のようだ。
「あ、あの……」
どう話に入ったら良いのか? いや入ったら失礼なのか? と、真夜がグルグル考えている内に。
「勉強会はこちらでしょうか? よろしくお願いいたします」
長い金髪の美少女がにっこり真夜に微笑みかけた。レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)だ。そして、
「や、坂森ちゃん。今日はよろしくね」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)も到着。
「よ、よろしくお願いしますっ。砂原さん、お呼び立てしてすみません。ああっ、黄昏さんに挨拶できてない!」
来客をさばき切れない真夜は、
「と、とにかく中へ……」
寮内に招き入れようと慌て。敷石につまづいて、見事に転倒した。
「うん、テンパってそうだなとは思ってた」
ジェンティアンはため息をついた。
●さて、勉強会
皆は『集会室』に通された。可愛らしいパステルカラーの室内はいかにも女子寮という感じで、悠人は少し緊張し、威鈴を振り返る。緑の瞳は部屋の中を珍しそうに見ていた。今日は妻にもしっかり勉強を教えないと、と彼は気を引き締め直す。
ひりょは給湯室を借り、カモミールティーをいれた。
「はい、坂森さん」
手渡されて真夜は恐縮する。お客様にお茶を入れてもらったのでは立場が逆だ。
「気にしないで。リラックス効果があるからね」
口にしたハーブティーは、優しい香りがした。
「真夜ちゃん、って呼んでいい?」
香里が明るく話しかけた。打ち解けるため、まずは雑談だ。
「普段は何してるんですか? この前の騒動は大丈夫でした?」
「あ、普段は斡旋所でバイトを。この前は……」
鎮圧を手伝うべきか、でも勉強も……と迷っている間に。勉強すらしないうちに全ては終わった。
香里は負傷者の救護を行っていたそうだ。悠人と威鈴、ジェンティアンも暴徒鎮圧に参戦していたという。
皆はそれぞれ自分のやるべきことをやったのだろう。オロオロしていただけの自分を恥ずかしく感じ、せめてこれからはしっかり勉強しよう、と真夜は思った。
隣に座ったレティシアが真夜を見る。
「過去問はコピーしてあげますよ」
にっこり微笑む。去年も一昨年も中学二年生だったので、試験問題はばっちり持っている。
「あ、ありがとうございます」
ドキドキしながら真夜は言った。アンティークドールみたいに綺麗な子なので、何だか緊張してしまう。
一方。レティシアからは、真夜の姿は生まれたての小鹿(足元ぷるぷる)のように見えていた。見た目は美少女、中身は年経た古きモノ。そんな彼女の世話焼き心が燃え上がる!
「分からないことがあったら聞いて下さいね」
中等部二年の進級試験の権威、という顔で微笑みかけるのだった。
「じゃ。どれくらい勉強出来ているか、教えてもらえるかな」
悠人がたずねた。
「苦手な教科があったら言ってくださいね♪」
香里も言葉を添える。
威鈴は文系は得意だが理系は壊滅的、レティシアは国語と美術が苦手だと言った。真夜は不安が先に立ち、どの教科もダメな気しかしない。
「勉強ならばまかせなさい」
ジェンティアンは得意げに微笑む。地元ではトップクラスの公立高校を卒業した。(期待をかけられるのも面倒で成績は平均ラインを維持したが、理解はバッチリ)
「勉強……苦手……」
威鈴は小さく言った。座って勉強するのが苦手な彼女は、少し逃げたいとすら思っている。そんな妻を見て、悠人は苦笑した。
「うちの嫁、普段ちゃんと授業受けていないんです。猫とか犬とか、見慣れないものを見付けるとそれを追いかけてどこかに行っちゃうんで」
夫にカミングアウトされ。
「だって……! だって……気になったら……追い掛ける……ものでしょ?」
困ったように言う威鈴に。悠人はしようがないなあと苦笑し、優しい目を妻に向ける。
「それでも進級してこれたのは、こうして勉強会を行って試験に備えた結果です。だから坂森さんも、ここでしっかり押さえれば大丈夫ですよ」
「はい」
とうなずいて。幸せそうだなあ、と真夜は思う。大切な人と出会い、寄り添う。その姿は見ている者にも安心感を与える。
悠人が理系を中心に、ジェンティアン、ひりょ、香里が分担してそれ以外を教えることになった。
「むぅ……わから……ないよ」
数学を前に、威鈴はもはや涙目だ。
「大丈夫。ゆっくりやろう、な?」
そう言う悠人の顔には、『嫁が可愛くて仕方ない』と書いてある。
「……悠……」
やっぱり幸せそうな二人だ。
その横で。ノートを一通り眺め、ジェンティアンはポイントになるところを出題する。
「うん、ここまでは大丈夫そうだね」
真夜はホッと息をつく。しかし。
(後は、本番で実力発揮出来るかだな)
この子の場合、そこが問題なのだ。
「では必要な範囲を確認しながら進めて行きましょうか♪」
香里はにっこり笑った。きちんと教えるためのポイントは事前に確認済みだ。こまめに質疑応答の時間を設けて疑問解消に努め、前向きに取り組めるようにほめて伸ばす。
気遣いの行き届いた指導に、初対面の緊張も解れてきた。
レティシアも、
「どこの参考書を使ってるの?」
「英語教科書の登場人物では誰が好み?」
と気軽に話しかけてくれる。先生方の面白エピソードも教えてくれ、楽しい。
そんな彼女は今年も時の輪を廻る(訳:留年)気なのだが、それはそれ。苦手な科目については頭を下げても得意な人からどんどん吸収するよー、という姿勢が真摯だ。
自分も頑張らねば、と気合を入れ直した真夜の後ろから。
「ノート見てもいいかな」
ひりょが声をかけた。
「うん、地道な努力はしっかりしてる。地道な努力はね、誰もが出来そうで、実は出来ない事なんだよ? なかなか続かないものなんだ。でもそれがちゃんと出来てる。だから、自信を持つんだ」
温かい言葉に真夜はホッとする。プールでもそうだった。水が怖かった自分を辛抱強く励ましてくれた。
ひりょもプールの時のことを思い出していた。
(あの時と同様、少しずつだけど自信に変えていってくれるといいな)
一緒に頑張ろう。そう思った。
●休憩タイム
しばらく勉強は続いたが。時間が経つに従い、威鈴が落ち着かなくなってきた。
「威鈴」
悠人が声をかけると、彼女はあわてて目をこする。
「……ん……ボク……寝てた……?」
悠人が厳粛にうなずく。威鈴はすまなさそうだが、やはり落ち着かない様子だ。
レティシアが席を立ち、熱い紅茶をいれて戻って来た。
「私も疲れたので、ちょっと休憩にしませんか?」
と申し出る。
「昨日焼いていたクッキーで恐縮ですが、皆さん楽しんで頂けると嬉しいです♪」
香里が用意しておいた抹茶クッキーをスッと出した。彼女の営む「和風サロン『椿』」で評判の手作り菓子に、皆の手がどんどん伸びる。
レティシアも手土産にと持参した檸檬の蜂蜜漬けを出した。甘さと酸味が疲れた頭を癒やしてくれる。
真夜も購買の烏龍茶とケーキを用意したのだが。もう少し気の利いた物にすれば良かったと、地味に後悔している。
と、甘いものは苦手なジェンティアンが何も食べずにいるのが目に付いた。そう言えば、彼にはブラックコーヒーを頼まれていたのだが。
「砂原さん、すみません。購買でコーヒーが売り切れで」
「ん、だったらいいよ。あ、僕の分のケーキは、坂森ちゃん食べて」
何だか申し訳ない。そこでひらめいた!
「今、コーヒーいれて来ます!」
気付くのが遅い。
コーヒーが抽出されるのを待っていると、ジェンティアンが給湯室をのぞいた。
「悪いね。気を遣わせちゃった?」
真夜は全力で首を横に振る。
「あのね」
ふと思いついたという調子で、ジェンティアンが口を開く。
「進級したいと思うのはきっと普通で。でもしなかったからといって撃退士が出来ない訳じゃない。どの立ち位置でも『理想の撃退士』にはなれるんじゃないかなー」
「え?」
真夜はきょとんとして彼を見上げた。進級しなければ、と思いこんでいて。そんな風に考えたことはなかった。
ジェンティアンは微笑する。
「それとも完璧超人じゃないとダメ? なら、僕に憧れとかダメだよ。一度も進級した事ないから」
「え?」
もう一度、ぽかんと口を開ける真夜に。
「別に理解も共感もしなくていいけど」
ジェンティアンは背中を向ける。
「僕は僕の意思で『今の僕』でいる」
それから。振り向いて、いつも通り優しく笑った。
「ま、留年お勧めする訳じゃないからしっかり勉強は教えるよ。試験ではわざと間違えてるだけで、正解は分かってるので」
じゃ、と片手をあげ集会室へ戻っていく。その姿は。
初めて会った時と変わらず、鮮やかで眩しかった。
●頑張りは続く
休憩が終わり、勉強会も後半戦に入った。勉強のちょっとしたコツを悠人がみんなに伝授する。
「効率良くやれば、一日三十分程の予習で十分ですよ」
ひりょは皆の進み具合を見ながら少しずつ問題のハードルを上げて行く。威鈴も得意な文系で真夜に知っていることを教えてくれた。
「これで合ってますか?」
真夜の答えを見て、威鈴は破顔した。
「えら……ね……! もっと頑張れる……よ」
自分と同じく、人見知りであるらしい威鈴の優しい言葉は、真夜を嬉しくさせる。笑顔がとっても可愛い人だなあ、と思った。
勉強の合間に、情報を与えて未知への恐怖を払拭せんとレティシアは以前の試験の様子を話して聞かせた。
「それから。坂森さんは頑張り屋さんですが、焦りやすいタイプでしょう?」
見抜かれて愕然とする真夜。まあ、会えば分かる。
「不安なのはわかるけれど、無理はダメですよ。急に生活のリズムを変えて体調を崩すのは怖いから、しっかりご飯を食べて、あったかいお風呂に入り、ふかふかのベッドできちんと睡眠を取ること。普段通りの一日を過ごし自分のペースを保つのが大切です。無理は短期的には効果があっても、どこかで破綻しますからね」
じっくりと諭す。
確かに、頑張ろうと無理してしまう傾向が。と、深く反省する真夜に。
「いつも通りが一番ってことですよ♪」
香里がフォローする。
「私は、試験は普段の積み重ねがどこまで身に付いているのか確認する物だと思ってますよ♪」
レティシアもうんうんとうなずく。
最後に悠人が問題集を取り出し、簡単な小テストを行う。その結果を確認して、お開きとなった。
「小テストの結果も良かったし、間違えたところを復習しておけば大丈夫だと思いますよ。試験日はしっかり就寝して、起きてから範囲の再確認をして下さい。頑張ってね」
妻と並んで靴をはきながら、悠人は真夜に言った。
「はい。どうもありがとうございました」
「これ、プレゼントです」
悠人は学業成就のお守りを渡した。
「あ……ありがとうございます!」
真夜はもう一度深々と頭を下げた。後ろでひりょが複雑な顔をしていた。
●その先
香里とレティシアを見送った後。帰り支度を終えたジェンティアンに、
「髪、さわっても大丈夫?」
と聞かれる。よく分からないままうなずくと。彼は真夜の髪を優しくすくい、ハーフアップにする。ぱちん、と後ろで髪を留める音。
「うん、似合う」
前に回って、満足そうにうなずく。
「別に鬱陶しくはないんだろうけど、視界をスッキリさせると落着いて前見れるかな、と」
今の自分で落ち着けないなら、ほんの少しだけでも『違う自分』になればいい。そう思って、用意した。
「それ、あげる。桜色のリボンのバレッタだよ。不本意ながら安物だから、安心して」
真夜は赤くなる。男の人からアクセサリーをもらうのは初めてだ。
「浴衣ピンクだったし、好きなのかなって。桜咲く。これで大丈夫だよ」
ぽんぽんと、軽く頭をなでる。
ありがとうございます、という真夜の小さな声を聞いて。ジェンティアンはうなずいた。
「じゃ。幸運を祈る!」
そう言って彼は去って行った。まあ、彼は留年するつもりだが。
「俺も帰るよ」
最後に、ひりょが寮の玄関に立つ。
「試験前日の夜は、しっかり次の日の準備をしてから早目に寝るんだよ。当日の朝に慌てると精神的に疲れて、本来の力が発揮できないかもしれないから」
アドバイスをしてくれる。
「それと頑張りすぎて、当日眠くて本領発揮できないのでは本末転倒だからね」
はい、と真夜は返事をする。みんなに同じことを言われるから、ちょっと恥ずかしい。
玄関の外まで見送る。と、彼のポケットから何かがはみ出しているのに気付いた。
「黄昏さん。それ、落ちそうですよ」
「え? ……あ」
ひりょは苦笑して、ポケットから学業成就のお守りを出した。
「実は、俺も渡そうと思ってたんだ」
さすがに皆の前だと照れ臭く感じたので。帰り際、皆がいない所で……と思っていたのだが。
「二つも要らないよな」
しまおうとするのを、
「あの。いただけませんか」
真夜が止めた。
「もしかして、効果二倍に……」
「うーん、それはどうだろう」
ひりょは笑い。それから、うなずいた。
「うん。もらってくれると嬉しいな」
「ありがとうございます」
真夜も微笑んだ。
「坂森さん」
お守りを手渡し、ひりょは言った。
「いや、真夜さんは、プールの時でも不可能と思えた事を可能にしてきた」
眼鏡のレンズ越しに、黒い瞳が真夜を見下ろす。
「君はちゃんと成果を残せる子だよ? まだもしかしたら、君は君自身を信じる事が出来ないかもしれない。でもな、俺は信じてる。だから、君を信じてる俺達を信じて欲しい」
優しいその言葉は、真夜の心にしみとおる。だから気負うことなく、
「はい」
とうなずけた。
「無事に試験が終わったら、皆で打ち上げしよう」
その後ろ姿が、見えなくなるまで見送った。今日は皆から、いろいろな物をもらった。見えるものも、見えないものも。
それを忘れずにいこう。試験も、その先も。自分で自分を誇れるように。
お守りを胸に当て。真夜はそう思った。