●闇夜の劇団事務所
誰が言いだしたのか分からない。だが劇団の事務員が帰った後で、噂の『おまじない』を実行してみる。それはいつの間にか、決まったことになっていた。
(知り合いの人が居なくって良かったです)
実行を約束した時間まで、真面目に警備につきながら。雫(
ja1894)は内心、そう考えていた。自分が『恋のおまじない』に参加しているなど、親しい者たちに知られたら。
(笑われるか心配されますね。きっと……)
平野 渚(
jb1264)は無言で、モーニング・スターを手にしていた。長い間、常に一緒にいた相棒のような武器だ。
今夜のこれは遊び。時間つぶしの遊び。けれど。
「伝えられない……わけじゃ、ないけど」
小さく呟く。
心の整理をしたい、ことがある。言葉にすることで、それが少しでも叶うなら。
顔を上げると。赤と青のオッドアイが、壁の鏡から自分を見返した。
(不思議な本……儀式と言うべきなのかの? も、あるものじゃな)
アヴニール(
jb8821)は、そう思っていた。
(人が書いたものであれば、なんとも人間というモノは面白き事じゃな)
彼女はまだ、『恋』というものは知らない。
それでも。求め、乞うことは、ある。
柔らかな赤い瞳を、彼女はそっと伏せた。
何か面白そうな事やるみたいだし、乗っかってみよっかなー。
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はそんな気分で参加していた。
時間まで、建物内を適当に見回りながら。ふふふ、と不吉に笑ってみたり。
「どこかで悪寒で背筋ぞくぞくしても良いんだよ? 矢松センセ♪」
呟いた言葉は『恋』とはほど遠い気もするが。
そして、真夜中近く。姿を変えた撃退士たちが、真っ暗な事務室に集う。
儀式の中心となる大きなロウソクに再び火が灯された時。暗闇に浮かぶのは。
黒ヤギの面。謎の仮面。トラ猫の着ぐるみ。そして白い……白い……何?
真っ白で四角い、人間大の物体に、手足が生えている。これはいったい何物だ?!
「あ、豆腐の着ぐるみです」
白いは豆腐。豆腐は四角。そんな子供の遊び歌があったが。確かに白くて四角い。
だが、顔すらないこれは……着ぐるみと言ってしまっていいのか。正直、異様な物体である。
そういえば、『豆腐の日』に購買で売ってたね……と、生温かい空気が全員の間に流れた。
気を取り直して、四人は儀式に取り掛かった。劇団に迷惑をかけないよう、用意して来た模造紙を会議用テーブルの上に広げ、手順通りにかわるがわる魔法陣を描いていく。
それからテーブルを囲んで座り、手持ちの小さなロウソクに火をつける。トラ猫はおしゃれなアロマキャンドル持参だ。
他の参加者に比べてひときわ背の高いトラ猫は、椅子の上にちょこん、と正座した。ちなみに、そのせいでいっそう座高が高くなった。
「では……誰から?」
抑えた声が言う。この場では、皆『名ノ無キ者』。誰が誰なのか。発言したのは誰なのか。考えてはならない。穿鑿してはならない。
ぴっ、とまっすぐに手が上がった。
顔には子供に大人気、黒ヤギさんのお面。首には真赤なマフラー。頭には猫耳カチューシャ。その横にはピンクのツインテールが揺れているような気がするが、暗いから見えないよ! 穿鑿しちゃダメ。
「私……いい……?」
少しぶっきらぼうに、小さな声が言う。全員がうなずいた。
ホッとしたように、黒ヤギは静かに語り始めた。
●黒ヤギの話
「私は。恋愛と言うのは、男女で。ゆくゆくは夫婦となる、男女でするものだ……と習った」
その声は小さく。部屋を照らすロウソクの炎のゆらぎの中、静まり返った部屋に響く。
「けど、今私の胸にいる人は……」
そこまで言って。黒ヤギの声は途絶える。それから、小さな小さな声で。
「……同性」
付け加える。
しんとした室内が、更に静まりかえったような。それは黒ヤギの気のせいだろうか。
そのことに一番とまどっているのは黒ヤギで。何度も何度もそのことを考えて。
意識しないように。相手に悟られないように。努力し続けて。
寂しくは、ないと。自分に言い聞かせて。
「私がこの学園に来て。気にかけてくれたのはその人だけだったから。……ううん、はぐれ悪魔によく会うときもあった、けど……」
親しい相手は。ひとりじゃなくて。彼女の他にも、いたけれど。それでも。
「他の人を……見てても」
やっぱり。胸の中に大きな場所を占めるのは……たったひとり、で。
「誉れと思った。私の自慢の……友人だって。でも……そうじゃない気持ちも、芽生えた」
ロウソクの炎が揺れる。それと一緒に、声も揺れる。
「どの気持ちも、本当。……本当」
言葉は。自分の気持ちを探るため。途切れ途切れに、でも、深く深く。
「同性での……子供って、どう、するん……だろ……」
ポロリとこぼれた言葉に。咳払いのような音が聞こえた気がして、黒ヤギは顔を上げる。
「乙女のハート、純情。笑うのは、めっ!」
ムッとした声に、いや握りしめられたモーニング・スターに? すぐに。
「笑ってないよ?」
「真面目にうかがっています」
「笑ってはおらんぞ」
周りから声が返ってくる。
黒ヤギは暗がりを見回して。また、話を続ける。
「どう、したらいいのかな、って。告白、とか、お付き合い、とか、思い描いてたのとは、違う……から」
異性だったら。きっと問題はなかったのに。
同性だったから。悩みは深くて。
「だから……よかったら、みんなのお話も、聞かせて?」
そう言って。
黒ヤギは手に持ったロウソクを、フッと吹き消した。
●仮面少女の話
少しだけ暗くなった部屋で。次は、仮面少女が小さく手を挙げた。
劇団の代表作、『アンティークな恋はロココのすれ違い』の主人公が纏うドレスを身に付け。マスカレードのシーンで使われる仮面を着用。
しかしこの仮面。水の都のカルナヴァーレで使用されるような、本格的なものであった。
きらびやかではあるのだが、暗がりで見ると正直怖い。
「次は我に話させてくれるかのう」
細い声が言う。繰り返しますが、このしゃべり方でも仮面少女の正体は謎です。
「しかし、我は『恋』というモノは分からんのじゃ。『恋』とは、求め、乞い、願い、叶うモノ……なのであろうか?」
黒ヤギの方に、すまなそうに仮面を向けてから。
遥か、遠くに思いを馳せるように。そっと。
「恋と言うモノは分からんが……求め、乞うことは、ある」
幼い声が言う。
この、夏。仮面少女は大切な家族と再会し。
同時に、他の家族を永遠に失ったことを知った。
「生きていると、元気で居ると、思い込んでいた……けれど、もう……二度と会えない」
少女の声は沈む。
「会いたい……」
吐息のような声。かすかなかすかな。静まり返った室内でも、ロウソクが燃える音にかき消されてしまいそうな小さな声で。仮面少女は、想いを口にする。
「この気持ちは、恋い焦がれるのは、『恋』とは違うやも知れんが。それに、家族の一人だけには生きて会う事が出来た。それで満足せねばならんのじゃろうが……」
報せを伝えてくれた彼に、再会できて嬉しい。また一緒にいることが出来て嬉しい。
やっと取り戻せた大切な相手の顔が曇るのを、見たくはない。
「それでも。会えぬと分かると、より会いたくなるもの……じゃな……」
再会できた喜びと。再会できなかった悲嘆と。二つの間で、心は揺れる。
それから。仮面少女は顔を上げ、自らを叱咤するように明るい声を出す。
「人界の事は知っているつもりじゃが、『恋』は知らぬ。我にも、求め、乞う者が、何時か出来るじゃろうか……?」
家族ではないモノを。何時か家族になるかも知れないモノを。
今、家族を想うこの心のように強く。いつの日か、自分も。
「そう考えると『恋』というのは、本当に難しいモノじゃの」
今の彼女には。そんな未来はあまりに遠い気がして。
呟きながら、ロウソクを吹き消す。また少し、室内の闇が濃くなった。
●豆腐の話
明るく燃えるロウソクを手にしている者は残り二人。最後のひとりになりたくなかったのか、豆腐が勢いよく手を挙げた。
豆腐……。正体がどうとか以前に、やっぱり、存在が異様すぎる……。何故これを作った購買。
私には好きな人がいます、と生真面目な口調で告げてから。豆腐は明らかに、しょぼんとした。
「いま、あの人が大変な状況に在る事は理解しているんです。無骨な私ですが、彼の状況を打破するお手伝いさせていただいているのです……」
語尾が小さくなる。しばらくためらってから。豆腐はまた、話を続ける。
「ただ、彼の一件には、私と同じく彼に想いを寄せている人も一緒に関わっているんです」
ひと息に言葉にして、少し楽になったのか。豆腐はどんどん話し始めた。
「彼女は彼と同じ種族ですし、その……私よりも女性らしい体躯をしているんです」
その言葉で、何となく皆の視線が豆腐に集まる。……豆腐は豆腐。豆腐は四角。
うん、何というか。豆腐にあってはならないふくらみとか、そういうのはあまり目立たない。年齢的に、まだまだ成長の可能性はあると思うが。
「彼に想いは告げてあります。そして、彼の抱える問題事が終わるまで答えは待つ、とは言ったのですが……」
語尾がまた。自信を失ったように小さくなる。
「待つと言った手前、変にアピールは出来ませんし。戦闘も行う事があるので余計な気を回す余裕はないのですが、このままで良いのかとも……思うんです……」
あの日。揺れるゴムボートの上で、海風の中で。告げた気持ちに嘘はない。
その後も、自分にできるのは武器を振るい、彼を敵から守ること。そう思って前線に立ち続けた。
それでも。ふと振り返った時に、彼の傍に別の女性が立っているのを見るのは……辛い。
豆腐は下を向き、白い膝の辺りを白い手でギュッと握りしめる。どこもかしこも白いので分かりにくいが。
見返りを求めているわけじゃない。
けれど、好きだから。好きになったから。
彼の笑顔を、失うのが怖い。ただ、それだけ。
周りの誰にも言えない不安。それを抱えたまま。
豆腐はそっと、ロウソクを吹き消す。
●トラ猫の話
「じゃ、最後になっちゃったけど」
トラ猫は、明るいトーンで言った。室内は暗さを増しているが、彼は明るい。参加者の男性は一人だったな……とか思い出してはいけない。
ちなみに、着ぐるみは劇団の『ハト郎くんと遊ぼう』のキャラクターのものである。いつも元気なしまトラくん、時々おともだちのハト郎くんの首をカプッとやってしまうお茶目さんだ。
「さてさて悩みだけど……。気になる人がいるんだけど、超つれなくて」
あぁ……! とオーバーな動作で顔を覆うトラ猫。
「僕が話しかけても無視で、でも聞いてない訳じゃないからちゃんと反応はしてくれるんだよね」
今度はうんうん、とうなずいている。
「その人のこと考えると、どう『いじって』やろうかなーって、ソワソワして……」
と、胸に手を当て。
「素っ気ないと、『どう圧力かければ』……じゃなくて、どうすれば振り向いてくれるか、ドキドキしながら考えちゃう。色々と仕掛けてみて、なかなか心を許してはくれないけど。僕を見る時の、『嫌そうな』顔を見るとゾクゾクしちゃうんだ♪」
多分、着ぐるみの中は満面の笑顔。そんな調子でトラ猫は続ける。
「今は他の子の事で頭がいっぱいみたいだけど、いつか僕の事も忘れられなくなって欲しいな……。『夢でうなされる』くらい」
ハートマークが三つくらいついていそうな告白の後。その場に流れる白々とした空気。
「失礼ですが。ふざけてませんか?」
豆腐がツッコんだ。
「絶対……ふざけてる……」
武器を握る黒ヤギの手に力が!
「我は言える立場ではないかもしれんが。それは、『恋』とは違うのではないじゃろうか?」
仮面少女も首を傾げる。女子たちから総攻撃だ!!
「あれダメ? 結構本気なんだけどなー、半分くらいは」
サラリとかわして。トラ猫は明るく続ける。
「『恋』って、『人を好きになって、会いたい、そばにいたいと思う、満たされない気持ち』って辞書に書いてあったから。そう思うと、僕間違ってないんじゃない? 嫌がられるの好きだし、会ってちょっかい出したいし。うん、満たされないわー。……と、そんな想いが『彼』に届きますように♪」
あくまで軽く。少女たちのジト目にも動じることなくトラ猫はアロマキャンドルを持ち上げ、フッと吹き消す。ベルガモットの香りが暗闇に漂う。
その香りに。トラ猫はふっと思い浮かべた。
愛しい愛しい、大切な相手の笑顔を。
それは。言葉にするには大切すぎて。
恋と呼ぶには貴くて。
儀式に託すには儚すぎる。
だから、トラ猫は。その面影をそっと、深く深く胸の奥に沈める。
甘い香りだけが、その場に残った。
●儀式の終わり
「さ、最後のロウソクだよ。みんなで消すのが、作法なんだっけ?」
トラ猫に促され。全員が席を立つ。
真ん中で明々と燃える大きなロウソク。これを消したら、儀式は終わりだ。
再び、室内に沈黙が訪れる。
誰もが、言葉を発せぬまま。ロウソクは静かに、吹き消された。
暗闇の中。撃退士たちはひとり、またひとりその場を離れる。
仮装を解いてしまえば、全ては夢物語。『自分自身』に戻ったら、何もかも忘れる。それがルール。
魔法陣を描いた模造紙は。朝の光の下で見れば、ただの落書きになるだろう。
だから今のうち。魔力が残っている、今のうちに。
耳を澄まして。心の深淵から囁く、自分だけの言葉に。
雲は厚く、闇は深く。夜明けはまだ遠い。
けれどきっと、いつか……。
〜其ノ願ヒガ、叶ヒマスヨフニ〜