●出航
「謎の巨大イカ。海のミステリー。いいねー」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は上機嫌だった。
「あ、ちゃんと退治するから安心してよ」
秋の空にはいわし雲。カモメが港の上を飛び回っている。
矢松はそっぽを向いているが、嫌な顔をされるのは承知の上。だからこそ、ちょっかいを出す方向で。むしろ、それが主な目的である。(イカは?)
桟橋の上では、黒羽・ベルナール(
jb1545)が熱心に、地元の漁師と話をしている。これから向かう海域についての情報を集めているのだ。アンテナのようなくせっ毛が風に揺れ、ぴょこぴょこ動いている。
「今回は宜しくお願いします」
漁船では、長く美しい黒髪のユウ(
jb5639)が、矢松に丁寧に挨拶した。
「主は中々勘が鋭いらしいな、何か感じた事があらば遠慮なく話して欲しい」
白蛇(
jb0889)も金の瞳をまっすぐに向けて言う。真摯な口調に彼が答えようとすると、
「まあ、わしはもうひとつの『ぼーと』の方に乗るのじゃが」
あっさり落とされた。ちなみに悪気は全くない。
更に、見た目中学生女子の鴉乃宮 歌音(
ja0427)が現れる。
「船と自分の安全を優先してくれればそれでいい。船を沈めるわけにはいかないからな。私としては射撃が届けばそれでいい」
悠々と言い、白衣を海風にはためかせて去る。
何とも言えない顔でそれを見送る矢松を眺め。
「やー、いい顔だねー」
ジェンティアンは、完全に楽しんでいた。
少し離れた位置で。黄昏ひりょ(
jb3452)は、友人である坂森真夜の心配そうな顔を思い浮かべていた。
(矢松さんは友達の大事な恩人さんだもの、絶対に怪我なんてさせない。その前にカタをつけてやる。あの子の笑顔を守る為にも)
水平線を見据えるまなざしに、力がこもる。
もっとも彼女は、ひりょのことも気遣っていたのだが。自分より他人を優先してしまう彼は、そこに思い至っていないようだった。
出航した後。黒羽は情報を書きこんだ海図を皆の前に広げた。
「戦いやすそうな場所を決めておこう。もちろん、今まで敵が出現した場所からそんなに離れていないところね!」
明るく元気いっぱいな声が甲板に響く。
皆で話し合い、戦闘海域と、そこに標的を誘導することを決める。後は到着を待つだけだ。
「巨大イカか……」
海図を畳みながら、考え込むように黒羽は言った。
「自然生命体だったら、ちょっと食べてみようかな! もしかしたら、凄く美味しいイカの新種かもしれないし!」
「あんまり大きすぎると、食べられるものではないらしいぞ」
持参の紅茶を楽しみながら、茶飲み話の口調で答える歌音。本人は非情に塩辛いと予想している。
「だが、食べる気なら何か作ろうか」
ゲソをちょっと切って船のキッチンで焼けば、(見た目だけは)美味しそうに料理出来るだろう。
「喰らうのも良いな。大味だとしても、それはそれで肴になるし、の」
白蛇が話に乗って来た。『肴』と言うあたり、飲むのが前提のようだ。
「しかし、巨大な烏賊、のぅ」
金色の瞳が、どこまでも続く海に向かう。
「確認されている最大の生命は、白長須鯨じゃったか? 今回の烏賊が自然生命ならば、歴史が一つ塗り替えられるのぅ」
しみじみと言う。
「地球の神秘ですね」
ユウの黒い瞳も、憧れをたたえて海に向かう。
イカの話でずいぶん盛り上がった。これも海のロマンと言えるかもしれない。
●索敵
数時間後。目標地点の手前で、黒羽、白蛇、ひりょの三人が曳航してきたボートに移る。
「ひりょ先輩。お願いしますね」
黒羽に頼まれ。
「ま、まぁ。多分大丈夫でしょう」
ひりょは少し不安な顔で操縦席に腰を下ろす。ヒャッハー! と叫びながら、超高速でボートを走らせ……たりはしないと思うが。
(運転して性格豹変してたら、同乗している方に注意してもらおう。うん)
自分に言い聞かせ、操縦桿を握った。
荒い波を軽快に乗り越え、目的地に到着する。揺れるボートの中で黒羽は立ち上がった。
「マスカット!」
名を呼ぶ彼の声に応え、暗青色の大きな竜が召喚される。
「巨大イカを探して来てね! 見付けたら『威嚇』を使っておびき寄せてね」
黒羽の言葉に応えるように。水しぶきを上げ、召喚獣は海中に消えた。
しかし、目指す相手は簡単には見付からなかった。刻々と時間が過ぎていく。
黒羽は心配に眉を寄せる。
その時、暗い海の底から何かが高速で襲いかかった。
鋭い鉤爪が黒青の鱗を引き裂く、と思った瞬間。召喚獣がその場から消え失せる。効果時間を過ぎたのだ。
「マスカット、もう一度!」
黒羽は間をおかずに再召喚を行なった。標的を見付けたからには、おびき寄せなくては。
再び海中に潜った竜は、敵の気配を感じ取る。視認する前に『威嚇』を放って、主の元に戻った。
その頃、漁船チームは、離れた位置で待機していた。
歌音の周囲に、青色のモニタのような光が浮かんでいる。「幻視探査『通信士E』」。精度の高い索敵を可能とする、彼ならではのスキルだ。
「来るぞ」
命綱を確認しながら歌音が言った。ここからは通信士ではなく、狙撃手だ。
「センセ。激しくなるからしっかり避けてね」
ジェンティアンは矢松を振り返って言う。
「あ、もし逃走したら社会的に抹殺される様に、あーんな事やこーんな事、吹聴しちゃうからね? フリーって信用第一でしょ?」
素敵な微笑でしっかり釘差し。矢松は不機嫌にそっぽを向いて、答えなかった。
●戦闘
海面を突き上げ、巨大な鉤爪が飛び出した。漁船のすぐ傍だった。
大きく揺れる甲板で、ユウの背に黒い翼が開く。手にした銀の銃が雷鳴のように轟き、触腕の一部を吹き飛ばす。
歌音は洋弓を構えた。胴か頭、出来れば眼のあたりを狙いたい。
だが、巨大イカはすぐには全身を海上に出さなかった。目を凝らすと、黄金色の影が海水の下に揺らいで見えるだけだ。
その影を狙って矢を放つ。命中したらしく、海面が濁った。
ボートも激しく揺れていた。その中で、ひりょは黒羽と操縦を交代する。
(ここからは俺が戦闘要員だ)
触腕が波に潜った海面を見つめる。その瞳は青く輝いていた。
「勘とかでよけるの難しそうだから、マスカットよろしく!」
哨戒を任せた召喚獣から、伝わってくる肯定の意志に力を得て。黒羽は操縦桿を握った。伝えられる情報を利用し、水中の影との距離を巧みに詰めていく。
「翼の司よ、来たれ!」
白蛇の声に応え、白鱗金瞳の輝く生き物が現れた。その背に飛び乗り、彼女は天高く空に舞う。馬竜が力強い咆哮を上げた。その声が、ボートの仲間のアウルをたぎらせる。
ひりょは氷晶霊符を手に取る。式神で相手の動きを止めたかったが、距離が足らない。相手は攻撃する時しか海上に出て来ず、体のほとんどは波の下だ。
(大きいだけに生命力は半端なさそうだな)
そう思いながら、波間から姿を現した触手めがけて氷の刃を撃ちこんだ。
漁船の方では、ジェンティアンが触手が近付いた瞬間をとらえ、異界認識を発動していた。判定は?
「ふむ、ディアボロみたいね」
伊達眼鏡を軽く押し上げて、彼は呟いた。まあ、正体が何だろうが倒すのだが。
結果が皆に伝えられる。歌音は静かにうなずき、ユウは自然の生物を傷付けずに済むことに安堵した。ボートには、矢松が無線で黒羽に伝える。
これで存分に戦える。そう思いながら、ユウは再び触腕が出てくる瞬間を待つ。敵の最大の攻撃手段はあの鉤爪付きの腕だろう。それを無力化したい。
ジェンティアンは、海中を見通そうと目を凝らす。傷付いているはずの右眼を、完全に潰したい。
寒雷霊符から放たれる雷の刃に、蠱毒で味付けをして。雷光と、白いアウルの蛇たちが海上を奔る。
それぞれがそれぞれに計算をし。海上に姿を現しつつある黄金色の巨体に狙いを付ける。
だが、全員が射程の確保に苦しんだ。敵は海を熟知している。波の動きを利用し、射程の外に逃げる。間合いが尋常でなく長いので、軽々しく近付くのも危険だ。
結局。待ち続け、船が巨体に近付いた一瞬を捉えて攻撃を放つ。その繰り返しになる。
傷は確実に負わせている。が、巨大すぎて手ごたえが感じられない。それが全員に焦りを感じさせる。
巨大な眼球が。ギロリと漁船の方に動いた。
矢松は直感的に舵を大きく右に切り、スピードを上げた。鉤爪のついた触腕が海中から飛び出し、舷側の手すりをちぎり取る。漁船はそのままトップスピードで、イカから離れて行く。
「ええー! このタイミングで逃げるの!?」
ボートを操縦する黒羽は、ぽかんと口を開けた。
「撃退士としてここで逃げるわけにはいかないでしょー!? 敵もきっちり倒して帰ろう!」
小さくなっていく船尾に声を投げるが、答えはない。
この瞬間。巨大な敵に対するのはボートの三人のみ。どの表情も硬くなる。
ひりょの符が、再び触手を切断する。暗青色の竜は波の間を素早く泳ぎ回り、触手に向けサンダーボルトを放つ。麻痺が効いたのか、二本ばかりが動きを止め、ぷかりと海面に浮かんだ。
「司、すまんが頼む」
白蛇は馬竜の首をそっとなでる。
仲間への攻撃を減らすため、囮となり、気を惹くように飛ぶしかない。海面から現れ出た巨大な眼に睨まれながら、くるくると飛び回る。
攻撃を仕掛ける余裕はない。触腕や触手に捉えられないようにするだけで精一杯だ。
その中。エンジン音を高く響かせ、漁船が戻って来た。攻撃を避けた勢いで、目標から遠ざかっただけだったのだ。
黒い翼がひらりと舞った。ユウである。武器を大鎌に持ち替え、艶やかな黒髪を華やかに風になびかせ。漆黒の刃が、鉤爪を切断する。
舳先では、歌音が狙いを絞っていた。上下に揺れる船の中、いつ海中に沈むかもしれぬ相手の呼吸を読み切り、射程が届く一瞬を逃さず射つ!! その姿は決闘に臨むガンマンのようだ。
計器に落ちる影に、矢松はハッと顔を上げた。巨大な触手が操縦席に向かって降ってくる。
と、白光が操縦席を包み。触手は弾き飛ばされ、また海に戻っていった。
「何のつもりだ」
矢松は横を向き、言う。視線の先ではジェンティアンが微笑っていた。今のは、彼の放った防護陣だ。
「え、船操縦して貰わないと困るし。あと、坂森ちゃんが哀しむのもヤだし?」
「余計なお世話だ。こっちも撃退士だぞ」
矢松は更に不機嫌になる。
「あ、僕に借り作りたくないとか考えてる? だったら今、返してもらっちゃおっかなー。船を沈めず、思いっきりあいつに近付いたり出来る?」
返事の代わりに、船がまた加速した。了解したらしい。本当、面白い。そう、ジェンティアンは思う。
「生還した腕は、認めてるから」
声はエンジン音にかき消され、届いたかどうかは分からないが。別に、それで構わない。
イカの動きはかなり鈍くなっていた。泳ぐための触手と触腕のほとんどを刻まれ、本体も大きく傷ついている。
後は一息。誰もがそう思った時。
半ば以上切断された触腕が、急に動いた。召喚獣たちを押しのけ、追い払い。ボートに向けて、一直線に伸びる。黒羽の卓越した操船技術が直撃を避けるが。
衝撃が激しい波を起こす。大きな横波を食らい、更にかぶさってくるような大波が襲い。ひりょと黒羽は、海中に放り出された。
「救助を最優先します」
ユウが飛んだ。細い体が空をすべっていく。波間を浮き沈みするひりょの体を支える。黒羽の元には、マスカットが素早く泳ぎ着き、主を救い上げる。
「あちらは任せよう」
歌音が言った。今度の彼は敵陣深く入り込む猟兵。鋭く敵を見据える。
「同感。最後は派手に行こうか」
ジェンティアンもうなずく。
漁船が十分に標的に近付いた時。『幻視突破「猟兵」』と『ファイヤーブレイク』が同時に放たれる。
直線状に位置する全てを破壊する槍が敵を抉り。続いて巨大な火球が包みこみ、炸裂した。
ついに、巨体は力を失い水面に浮かんだ。体色が白く色褪せていく。
だが、ひりょは見た。その眼がまだ生気を失わず、反撃のチャンスを狙って光るのを。
「ユウさん。このまま、飛べるかな」
自分を抱えて飛ぶ少女に、すまなそうにたずねる。
「あいつにとどめを刺さないと」
ご一緒します、とユウは言った。
巨大な胴体に下りる。
ユウが周囲に淡い闇を発生させる。敵を凍てつかせ、常夜の眠りに誘う闇が、この巨体に通用するのか不明だが。目くらましくらいにはなるはずだ。
薄闇の中、揺れる巨体の上をひりょは走った。海水が跳ねる。
手にした刀は、友と同じ名。
(この刀で、俺は皆と共に戦ってるんだっ!)
だから、負けられない!
瞳はますます青く。背に、幻影の黒白の翼を広げ。
気合いを込めて。二つの巨大な眼の間に、深く刃を打ち込んだ。
それが、最後の一撃になった。
●戦いの後
ひりょと黒羽はびしょぬれで漁船に上がった。タオルで何度か拭くと、黒羽の頭にまた、ぴょこっとアンテナが立つ。
着替えようと荷物を確認して、ひりょは困惑した。ぺンギンの着ぐるみ……何故、ここにこれが?
「さて。烏賊を肴に一杯やるとしよう」
白蛇はさっさと座り込んだ。
「それにしても、改めて見ても大きいのう」
「あ、その前に。せっかくの大物ゲットですから、皆で記念撮影しませんか?」
ひりょは言った。デジタルカメラを持参している。そして気付いた。写真→裸はNG→ペンギン決定。
矢松もジェンティアンが連れ出し、巨体をバックに全員で撮影。続いて、一人ずつイカの上に立ってツーショット。
(大物とのツーショットなら、矢松さんの宣伝にもなるんじゃないかな)
あの子が心配しないで済む仕事が入ってくればいい、と思いながら、シャッターを押す。その瞬間、
(同じような依頼ばっか来たりして……?)
そんなことを思いつき、冷や汗が出たが。着ぐるみが暑いせい。そう思うことにした。
後処理を無線で学園に頼み、船はその場所を離れていく。
白蛇は酒を楽しみ、歌音は紅茶と手作りクッキーを広げる。
ユウは、遠ざかって行く巨大イカの体を見ていた。今回はディアボロだったけれど。
(もしかしたら。この海のどこかに、私たちがまだ知らない、巨大な生き物がいるのかも……)
そう思うと。不思議に胸が高鳴った。
帰港後。依頼主は撃退士たちに新鮮な海の幸を振る舞い、ねぎらってくれた。なぜかイカ刺し、イカ飯、焼きイカと、イカ尽くしだったが。
美味しくいただきながら、ジェンティアンは依頼主に討伐の顛末を報告し、最後に輝く笑顔で言葉を添える。
「的確な事前調査と操縦のお陰でスムーズに退治出来ました。矢松さんは素晴らしい撃退士ですね」
麗しい彼の気遣い、そしてひりょの撮った写真が。あるフリー撃退士のその後にどんな影響を与えたかは、定かではない。