●おなかが減っては楽しめません
「今日は、よろしくお願いしますぅ……」
浴衣姿の月乃宮 恋音(
jb1221)が、皆よりひと足早く現れ、おずおずと微笑んだ。
「月乃宮さん、今日もよろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げる坂森真夜(jz0365)。先日プールで世話になったのだ。
「坂森さん、お元気そうで良かったのですぅ……」
その言葉に、喜んで近況報告を始める真夜。
それを聞きつつ、恋音は自前のキャンプ調理セットを広げた。携帯用カセットコンロや鍋、飯盒などが次々に出てくる。更には、自家製の醤油だれ・味噌だれ・塩だれ等もばっちり準備。調理はまだ始まっていないが、既に美味しそうだ!!
集まる皆さんに食べ物を、という彼女一流の気遣いで早目に来てくれたのである。
恋音に調理法の解説を聞きながら、真夜は下ごしらえを手伝う。
ひとりだけ初対面の野森千晶は、少し離れて作業しながら、そっと恋音を見る。水仙を染め抜いた淡いピンクの浴衣は、透けるような白い肌に似合って、清楚かつ柔らかな雰囲気だ。
だが、胸! というか乳がスゴイ!
あまりの大きさに浴衣の胸元が開いてしまい、深い谷間が合わせ目からのぞいている。さらしで巻いているようだが、その迫力に圧倒され。声も出ない千晶であった。
そこへ。
「おお、皆早いな」
落ち着いた声に振り向くと、鳳 静矢(
ja3856)がこちらも大荷物を持って立っていた。
「月乃宮さんも同じことを考えていたか」
荷物の中味は調理器具である。
「まあ、せっかくの催しを飾る料理は多い方が良かろう」
穏やかに微笑む。
やがて、米の炊ける匂いが漂い始める頃。参加者たちが集まり始めた。
●巡らされる様々な陰謀
気の利く二人に食事作りを任せ。千晶と真夜は、参加者たちに花火セットを渡す。千晶の彼氏、長崎怜治もやって来て加わった。
「よろしくお願いします」
奇術士ことエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)はそう挨拶し、愛想よく微笑んだ。
「手持ち花火だけでは淋しいと思って、自前で少し買って来たんですが。よろしいですよね?」
「もちろん。にぎやかなのは大歓迎だよ」
その笑顔につられて。千晶は申し出を承諾する。大丈夫か?
ありがとうございます、と礼をして。エイルズレトラは去った。
その横で。
「ええと。果物ジュースは、ありませんかねえ」
飲み物の入った冷水の中をかきまぜる、十三月 風架(
jb4108)。中性的な容姿だが男性だ。
「あ、ミックスジュースがあると思います」
真夜が声をかける。
「ああ。それでは、これをいただきますね」
風架はミックスジュースを取り出した。
「今日は楽しませてもらいますね〜」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
頭を下げる真夜は。冷水の中に、見慣れぬペットボトルがいつの間にか紛れ込んでいることに気付いていなかった。
レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)は持参した瓶ラムネを他の学生におすそ分けしながら、やって来た。
もう風は涼しいが、気分だけでも夏を味わおう、という趣向である。瓶ラムネのビー玉は風情があって愛おしいし、冷たい飲み物で夏の気分に……なるかは分からないが。とりあえず『夏』を追い求める彼女であった。
「今日はお招きありがとうございます」
深々とお辞儀をした。今日は深い赤の生地に咲き乱れる八重桜の描かれた浴衣。金の髪と青い瞳の、西洋の人形のような顔立ちに、その赤が映え。何とも言えぬ妖艶さを醸し出している。
「楽しんで行ってくださいね」
花火セットを渡された時。その瞳の奥で乙女センサーがきゅぴーんと発動したことを誰が知ろうか。
千晶の気合の入った向日葵柄の浴衣、化粧のノリ、隣りの怜治へ向ける視線。これは、間違いなく恋する乙女!
(『夏』……見付けました♪)
こっそりとほくそ笑む。獲物を見付けた猫のようだった。
彼女と入れ違いに。背の高い人影が現れる。
「坂森ちゃん。浴衣、可愛いねえ」
さらりと言うのは砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)。
「こんばんは……」
挨拶をしかけて。彼の浴衣姿に真夜は見とれる。藍しじら織りの生地に縦に走るシボが渋い。洋服姿とは違う趣がある。
「あ、外見こうだし浴衣は意外だった?」
ハーフな彼は金髪、瞳は緑と青紫のオッドアイ。日本人離れしている。
真夜は大きく首を横に振った。
「と……っっっっても、お似合いですっ!!」
「そう? ありがと」
にっこり微笑み賛辞を受け容れ。それから彼は双眸を不吉に輝かせた。
「ところで、早速だけど。センセに連絡できる?」
「あ、はい」
真夜はすぐに携帯を取り出した。連絡先は、彼女が『先生』と呼んで慕うフリーの撃退士。彼女の初依頼に同行したジェンティアンも、その男、矢松と面識があるのだ。
「あ、もしもし、先生ですか? 坂森です。お忙しいところ……」
話の途中で。ジェンティアンはスッと彼女の手からスマホを取る。
「どうもー。『焼きそばパン』でーす」
明るく挨拶。電話の向こうは冷たく沈黙するが。その反応に彼は更にニヤニヤする。
「今日は忙しくって来られないんだって? 残念だねー。坂森ちゃん、ピンクのアサガオの浴衣でとっても可愛いのにねえ?」
思いがけずホメられ、赤くなる真夜。そちらは見ずに、ジェンティアンは続けた。
「でも、センセ来られないんだから仕方ないよね。坂森ちゃんは僕が楽しませるから、安心してね。じゃ」
一方的に話して、一方的に通話を切る。
「あ、あのー、砂原さん?」
スマホを受け取りながら、真夜は困惑した様子。
「これだけ言えば来るでしょ……ん、何でもない。坂森ちゃんが可愛いのは本当。じゃ、今日はお兄さんと遊ぼうね」
ジェンティアンはにっこり笑った。
●花火スタート
そんなあやしい気配を漂わせながらも。あちこちでゆるやかに、手持ち花火が明るい光を放ち始める。
「夏も終わりだわねェ……。きゃはァ、最後の夏気分を味わいましょうかァ♪」
黒百合(
ja0422)は、釣り道具と手持ち照明、そして『御酒』と書かれた壺を持ち、堤防下へ直行。
荒波に落下しない様に、堤防の固定物にロープで身体や道具を固定する。本格感満載だ。
「普段は物質透過して、海底でモリ突きだけどォ。たまには、こうやって釣竿を垂らすのもいいわねェ。ちょっと波が荒いけどォ」
そんな呟きが。本格以上の存在でした。それはもはや釣りではない、『漁』の域である。
エイルズレトラは持参したねずみ花火を地面に走らせ、楽しそうにケタケタ笑っていた。時折、近くを通る者が足元を走る火花に驚きの声を上げる。
ちょっと迷惑だが、にぎやかしとしてはこれもアリ、かもしれない。
手持ち花火をやる気はないらしく、花火セットは忘れられたように離れたところに置き去りにされていた。
「あ」
永連 璃遠(
ja2142)は、待ち合わせていた恋人の姿を見て思わず声を上げた。
「暁良は浴衣なんだ」
エロカッコいい系の年上彼女、狗月 暁良(
ja8545)は黒を基調にした浴衣をキリッと着こなしていた。銀色の髪と透き通った青い瞳の彼女に、モノトーンが良く似合う。
「何だよ。見惚れてやがンのかよ」
からかうような口調に。璃遠は大きくうなずいた。
「うん、凄く似合ってるよっ」
率直な言葉に、暁良は照れた。照れたから、もっと照れるような台詞で逆襲してやろう、と思う。
「折角、花火をするンだしな。デートなンだから、璃遠にいい女だ、って思ってほしいだろ?」
男っぽい口調で放たれる、女の子な台詞。璃遠の胸は高鳴る。
「戦い続きだったし、ゆっくりしよう。手持ち花火ってなんか懐かしいね」
花火を手に取り、二人並んで色とりどりの炎を見る。
「花火の匂いって、どことなく夏の夜を感じさせるよね。あ、派手そうなの、いってみようかな?」
照れたように早口で言いながら、大きな花火に手を伸ばす璃遠を見ながら。
(こういうの、恋人らしくてイイよな)
暁良は幸せな気分になった。
一方。恋音は見事な手際で大量のバーベキューをさばき、参加者たちに供していた。肉や野菜の焼ける香りが漂う。
静矢はおにぎりを握る。その一部は恋音に手渡され、香ばしい焼きおにぎりに。合間に、大きな鉄板では作れないおかずも作る。卵焼きが美味しそうだ。
時々、黒百合が現れて新鮮な魚をいくつも置いていく。それらは華麗な包丁さばきでお刺身に姿を変えた。大御馳走である。
「月乃宮さん、僕も手伝うよ」
神谷春樹(
jb7335)が恋音のフォローに入った。
「ありがとうございますぅ。助かるのですぅ」
「いえいえ」
春樹は笑顔で返す。寮長をしている寮で料理当番をした経験があるので、手際も良い。
「兄様、私も一緒にやるわ」
華澄・エルシャン・ジョーカー(
jb6365)は、兄と慕う静矢の隣りに立つ。
「ありがとう華澄。じゃあ、そちらをお願いできるかな」
人数が増え、調理組にもますます活気が出た。
●姉妹の時間
礼野 静(
ja0418)と礼野 智美(
ja3600)の姉妹が、鉄板の横を通り過ぎる。
「いい匂いね」
静が言うと、智美は。
「姉上は小食だから、焼肉とかそう食べれないじゃないですか」
と笑った。
この集まりがあると聞いた時。
『姉上、線香花火お好きでしたよね。一緒に行きますか?』
智美がそう言ってくれた。妹と一緒の依頼は、三月以来だろうか。他にも家族はいるけれど、今日は二人だ。
「はい、姉上」
智美が花火セットの中から線香花火を抜いて、渡してくれる。静は花火の火薬の臭いが苦手で、弟妹たちが楽しんでいる時もちょっと離れた場所から見ていることが多い。
「線香花火だけやって帰りましょ」
静が言うと。
「そうですね。そろそろ海風冷たいし、姉上はそんなに夜更かし出来る体質じゃないし」
妹はまた笑う。
いつも気を配ってくれて、有り難いのだけど。ちょっと申し訳なさもあったり。と、静は思う。
自分の体が弱いから。次女の智美はより強くあろうとするのではないのだろうか。
周りは楽しげに騒いでいる。ロケット花火のヒューッと飛ぶ音。辺りを明るく照らす噴出し花火の光。
だが会場の隅で、ひっそりと線香花火を楽しむ姉妹の間には、静かな時間が流れている。
「この前の大作戦……」
ぽつりと静は口にする。
「かなりきつい戦いだったんでしょう?」
この夏の、大きな戦い。戦闘に秀でた智美は最前線に赴き、静は後詰めとなった。
小さな頃。幼い智美の手を引いて歩くのは、自分の役だったのに。それが逆転したのはいつからだったろう。
心配してくれる姉の気持ちを知りながら、智美は思う。
(でもやっぱり、姉上みたいな人たちには前線に出て欲しくないし)
彼女たちには、今のままでいてほしいから。大切な人たちを、自分は守りたい。
言葉にすると、伝わらない気がするから。彼女はただ、苦笑する。
そうするうちに、二人の線香花火は燃え尽きる。
目についた相手に、智美が余った花火を押し付けて。楽しげな笑い声が響く会場を後にする。
「姉上。気を付けて」
「ええ。ありがとう」
夜に咲く白い大輪の花のような姉と。風を切って走る白刃のような妹。同じ漆黒の髪と青い瞳を持ちながら、それぞれの有り様が咲かせる違う華。
家族の笑顔を守りたい。同じ願いを持つゆえに、心配も気遣いも尽きることなく。
それでも、共に歩く今を大切に。姉妹は静かに、家路をたどった。
●夜空を彩る光と音色
桜 椛(
jb7999)はきょろきょろしながら会場を歩いていた。楽しみにしていた花火大会。藍色に赤の金魚柄の浴衣に、深緑の帯。桃色の髪には紅葉の髪飾り。もふもふの尻尾が揺れている。
慣れない浴衣と下駄はちょっと歩きにくいけれど、それも楽しみの内。どこで花火をやったらいいのかな、と思いながら、人が多く集まる場所にたどり着いた。
アルティミシア(
jc1611)もその中にいた。赤い長い髪をポニーテールに結い、紺色の地にピンクの金魚が泳ぐ可愛い浴衣を着て、ぼんやりと、だがほのかに微笑みを浮かべ、花火を楽しんでいる。
「一人でする、花火も、良いですが、少し寂しい、ですね」
呟いた時。
「わわ、とっても綺麗だね……!」
隣りで、嬉しそうな声がした。見上げると、桃色の髪の天使が目を丸くしてアルティミシアの持つ花火を見ている。
少し戸惑ったが。何の屈託もなく花火を楽しんでいる様子の椛に、背中を押されたように。
「季節外れの花火も、良いですね。線香花火が、ボクは、一番好きです」
ひとりごとのように、呟いてみる。
「そうなんだ」
椛は青い目を見開く。
「ボク、こういうのに触れる機会があまりなかったから、よく知らないんだ。どうやったらいいか、教えてくれるかな?」
アルティミシアは軽く息を飲んでから。おずおずと、花火の持ち方と注意事項を教えた。
派手なものより控えめなものを好むアルティミシア。ロケット花火にも率先して挑戦する椛。堕天使とはぐれ悪魔が、並んで人界の花火を楽しむ。偶然にも、二人とも金魚柄の浴衣。遠目に見るとまるで姉妹のようだ。
音を立てながらとんでもない方向に飛んでいくロケット花火を見上げて、椛が歓声を上げる。その姿に。
「良いですね、故郷を、思い出します。昔の数少ない、良い思い出、です」
アルティミシアはそっと。そう呟いた。
「あ、坂森さん、いたいた」
黄昏ひりょ(
jb3452)も同じ場所で真夜を見付けた。
「こんばんは、黄昏さん!」
火のついた花火を持ったまま、真夜が駆け寄る。(危険)
その浴衣に描かれたアサガオを見て。ひりょは一瞬だけ、ある庭を思い出した。
「どうかしましたか?」
問いかけられて、首を横に振る。
「いや、何でもない。浴衣、似合ってるね。これ、食べる?」
もらって来たバーベキューや焼きおにぎりを差し出す。真夜は礼を言って、皿に手を伸ばした。
「おいしいですね」
嬉しげに食べる真夜を見て、ひりょは何だか小動物みたいだな、と思った。餌付けをしている気分になる。
食事作りの手伝いを終えた春樹も、その輪の中にいた。いくつか花火を楽しんだ後、
「打ち上げ花火が無いのは物足りないですよね」
夜空を見上げ、口に出す。
「打ち上げ花火?」
椛が食いついた。
「持って来た……ってわけじゃないですよね?」
ひりょは手ぶらな春樹の姿を眺め疑問に思う。
春樹は悪戯っぽく笑った。
「なんちゃって打ち上げ花火ですけど。やりますか」
小天使の翼を発動させ、彼は地上を飛び立つ。最高度に達したところでスキルを入れ替え、真上に向けて素早くファイアワークスを撃ち放った。
その名の通り、花火のように。色とりどりの炎が美しく夜空を彩る。
「大丈夫?」
落ちてきた春樹を、ひりょが受け止めた。スキルを入れ替えてもう一度翼を出すより、落ちる方が早いのだ。
「ちょっとはしゃいじゃいました」
春樹は照れくさそうに笑う。
「あれ、先越されちゃった?」
ジェンティアンが後ろで呟いた。
「けど、華やかなのは続いてもいいよね」
腕を垂直に上げ、射程いっぱいを狙ってファイヤーブレイクを撃ち放つ。巨大な火球が天へ駆け上がり、炸裂した。鮮やかな炎が夜空に散らばり、皆の目を引き付ける。
ひとり、木の上で星空を見上げていた風架も、この競演に笑みを浮かべた。
「おおー。これが打ち上げ花火なんだね!」
目を丸くして感心する椛。
「ちょっと、違うの、ですけど、ね……」
アルティミシアは小さく言った。
「楽しいね、嬉しい」
椛は言って。持って来たソプラノサックスを取り出した。
「リクエストがあったら応えるよ」
夜の堤防に。美しい音色が鳴り響く。
盛り上がりも最高潮に達しつつあった。
木から下り、皆に交じって。
「はふむ、こういうのも久しぶりですね〜」
風架は呟き、楽しげに手持ち花火を手に取った。
●月明かりの二人
その少し前。璃遠は暁良を誘い出し、堤防沿いを歩いていた。風に乗って流れてくるサックスの音色に、二人で耳を傾ける。
目の前に広がる夜の海の上には、満天の星と明るい月が輝いていた。少し冷たい風が、火照った頬に心地よい。
「盛り上がっているみたいだね」
離れた喧騒に目をやり、璃遠は言う。
「戻りたい?」
絡めた腕に。柔らかな体を押し付けながら、暁良は囁く。
「ううん」
璃遠は首を横に振り。足を止め、彼女を見る。
「暁良って、いつもクールで尊敬する先輩だけど……」
彼女の腰に手を回し、耳元に唇を近付け。
「月明かりでのキミは、とても綺麗だ」
優しく、囁いた。
「大好きだよ……今も夢中になってしまうくらい」
近付く二つの息遣い。暁良は静かに目を閉じて。彼の唇を、受け容れた。
彩るのは波の音、ソプラノサックスの遠い旋律。
やがて、顔を離した璃遠を追うように。暁良はその耳元に唇を寄せ。
「今後ともヨロシク」
と。甘く、囁いた。
●涙の行方
同じ頃、皆から少し離れた暗がりで、ケイ・リヒャルト(
ja0004)と藤村 蓮(
jb2813)は向かい合っていた。
打ち寄せては引く波の音だけが近く響き。静寂が二人の間に落ちる。
ケイの手にした線香花火の、輝く玉が揺れ。涙のように、地に落ちた。緑の瞳が、消えて行く火種を虚ろに見つめる。
「蓮。何故この間はあんな危険な事を」
問いかける彼女の声は静かだ。
先日、一緒に向かった依頼。境界を見失った敵の足を、蓮は身を呈して止めた。
そして、止めた相手ごと味方に切り裂かれた。
その光景は今も。彼女の体を冷たくする。
すぐ傍にいたのに、それを止められなかったことが哀しくて腹立たしくて。寂しい。
蓮は耳にかかる青い髪をかき上げた。
あぁ、怒ってんだろうなあ、と思う。気まずい。
「いやねぇ……。あれなんだよ、身体が勝手に動いたっていうか、あれしかなかったと思ったし?」
言葉にしてしまうと、何だか弁解じみてしまう。
けれど、あの時は状況も状況で。
もう一度同じことになっても、やっぱりきっとああいう行動なんかなあ、と。そう思う。
「あたしが同じ事をしたらどう思うの?」
ケイの言葉は静かだが。哀しみに尖っている。
「そりゃ……止めると思う」
「何故、あたしだったらダメなの? 女だから、っていう答えは無しよ?」
「けど、だってそりゃやっぱり、ケイ女の子だし」
パン、と乾いた音が響く。
白い手が暗がりを舞い。蓮の頬を平手打ちした。ケイの頬を一筋、涙が流れていく。
「あたし以外の人にも、きっと蓮は同じ反応をするのね」
ケイのその声は暗く低く。夜の海に溶けてしまいそうに。
「あたしが……どんな想いであの瞬間を目にしたか考えて……」
叩かれた頬が痛むのを感じながら。
睫毛を濡らす真珠のようなきらめきに、蓮は手を伸ばす。
「ごめん」
自分の無茶で、泣かせてしまった。いつも落ち着いて見える彼女は、こうやって傍に立つととても小さく、華奢だった。
「すんごい心配かけたねぇ」
残った涙を、そっと指で拭う。
その感触に、ケイは身を震わせ。
「蓮は蓮なのよ。周りだけを見ず、蓮として生きて……」
低く、囁いた。
蓮の指の動きが止まる。
自分に向けてくれるケイの好意に、示せる答えも返せるものも、まだ彼の中にはないのだけれど。
それでも。
「ありがと」
思いやり、心配してくれる気持ちは伝わったから。それだけを、口にした。
それ以上、互いに話せることもなく。会場に戻ろうと歩く二人の前に、ケイにとって親しい影が行き逢った。
「ケイさん」
セレス・ダリエ(
ja0189)の声がした。来る、とは聞いていたが。今まで顔を合わせなかった。
それとも、蓮といた自分を見て。彼女の方で、遠慮したのだろうか。
「……セレス」
彼女の静かな優しい声に。押し殺していた様々なものがあふれそうになり、ケイは何も言えなくなる。
無言の歌姫に、セレスは黙って寄り添った。
●連鎖する罠
椛の奏でる音楽の中、花火大会は続いている。
自身も花火を楽しみながら、みんなも楽しめているかと周囲の様子に気を配る。そんなひりょの目についたのは、主催者である千晶と同行の怜治の様子だった。
雰囲気が、固い。というか、特に千晶が固い。傍目から見ても、ガチガチだ。
(あー)
察した。
そして、自分の横にいる真夜を見る。
(坂森さんは、『二人じゃ緊張しちゃうから……』みたいな感じで誘われたんだろうなあ)
「坂森さん」
ひりょは、そっと真夜を呼ぶ。
「はい? なんでしょう」
「野森さんと、長崎さん。こっちに呼んだらどうかな?」
真夜は首をかしげた。
「お二人はデートなので、あまり邪魔をしない方がいいのでは」
「えーとね。せっかくだから、俺も二人とも仲良くなりたいな、って」
その言葉に、彼の優しさを感じ取り。微笑んだ真夜は、すぐに千晶を呼びに向かう。
ひりょはホッとした。これで少しでもいい雰囲気になるよう、さりげなくフォロー出来る。
(皆でワイワイやって気持ち的にリラックスしてきたら、偶然を装って二人の時間を作ってあげるのも手だろうけれど。そこは状況次第かな?)
まずは、千晶の緊張をほぐしてやらないと話にならなさそうだ。
皆の笑顔を見ることが好きだから。彼は、人に手を差し伸べることをためらわない。
近くにいた面々と共に、千晶も含めて話が盛り上がるように持って行く。話をしている内に少し喉が渇いたので、もらってきた緑茶を開けた。そして……。
「に、苦っ?!」
あっという間に咳き込む。
一見、有名メーカーの緑茶に見えたそのペットボトル。よく見ると、なーんか違う。そして、パッケージの端に『極渋』の文字が。
「大丈夫ですか、黄昏さん」
「私、そんなの買ってないよ?! 何ソレ?」
咳き込み続けるひりょと、あわてる真夜と千晶。後ろでこっそりと笑いをこらえているのは……風架である。このイタズラの張本人であった。
ちなみに、もう一人この『極渋』を引いたのはアルティミシア。幸い開封前だった彼女は、この騒ぎを目にしてそそっと飲み物を元のケースに戻し、なかったことにした。
そしてその騒ぎの中。
レティシアが、今こそ作戦を発動すべき時と判断する。
皆の注意が極渋に集中した一瞬を狙い。彼女は超自然な動作で袂からねずみ花火を取り出し、千晶に向け投擲、もとい『うっかり落とす』。
千晶の足元で飛び散る火花。炸裂する花火に驚いた彼女が思わず隣りの怜治にすがりつけば、ひと夏の思い出が完成だ! すごく危険だよ!
しかしここで。これまで数々の依頼(主に戦闘)をこなしてきた千晶の血が騒いだ。
「危ない、長崎!」
反射的に、力の限り怜治を突き飛ばす千晶。不意を突かれて怜治は吹っ飛ぶ。違う意味で思い出になりそうだ!
「あらあら」
残念、と呟くレティシア。まあ、これはこれで面白いからいいか。そう思った時。
会場がパッと光に包まれ。あちこちで悲鳴が上がった。
ねずみ花火。この言葉で、思い出さないだろうか。エイルズレトラの存在を。
楽しげに遊ぶと見せた仮面の下で、彼もずっと狙っていたのだ。こちらは会場をパニックに陥れる、その瞬間を。
極渋と夏の思い出に皆の注意が向いた時。地面に置いた花火セットに向け、彼はねずみ花火を走らせた!
燃え上がるビニール袋。全ての花火が、一斉に引火する。音を立て吹き上がる火柱。低空を飛び回るロケット花火。噴上式の花火は美しい火炎放射器と化し、地面の上を回りながら火を吐き続ける。飛び出した大量のねずみ花火が一斉にそこら中を走り回る!!
会場は阿鼻叫喚の騒ぎに! 危険すぎるので、絶対に真似しないで下さい!
奇術士は素早くその場を離れ。右往左往する皆の姿を見て、ひとり爆笑。……していたのだが。
「何が、おかしいのかな?」
彼の目の前に、立ち塞がる影が。
そう。不意打ちに、一瞬は驚いても。皆、数々の戦闘をくぐり抜けてきた撃退士たちである。いつまでもパニックしてはいない。
「今の騒ぎについて、ちょっと話を聞かせてもらおう」
大勢に囲まれてしまった。
暗がりへ連れて行かれたエイルズレトラのその後の運命は、誰も知らない。
●黒いキューピッド
大騒ぎが鎮まり。とりあえず、花火はいったん休憩することになった。
この際、食事を片付けてしまおうということで、あちこちで飲み食いが始まる。
「坂森ちゃん、散歩しない?」
その中で。ジェンティアンは真夜に声をかけた。
「お供を出すね」
ジェンティアンは鳳凰を召喚した。朱色と緑に鮮やかに彩られたその生き物に、真夜はため息をつく。
水平線まで広がる星空を見上げ。鳳凰のほのかな光と共に、二人で堤防を歩く。
「はい、暗いから手出して?」
砂原さんは親切だなあ、と。差し伸べられた手に、真夜は手を伸ばした。
その瞬間。
「おいっ! 何をしている!」
宵闇に響く男の怒声。堤防の先に。背の高い男が立っていた。
「あれ、先生」
きょとんとする真夜。
「今日は、忙しいんじゃ?」
「急用が出来て近くまで来たんだ」
苛立たしげに言って。矢松はつかつかと二人に近付いてきた。
それを見て。ニッヤ〜と嬉しげに笑うジェンティアン。
「いやあ。見事に釣り出されたねえ」
「何?!」
矢松は殺気立った調子で言い、彼を睨みつける。
「やー、坂森ちゃん、センセと一緒に花火したいんじゃないかと思ってさ。と、いうことで」
真夜の手をとり、そっと矢松に渡し。
「後は二人で……」
優しい声で。
「とか言う訳ないよね」
爽やかに言い切った。
反対側の真夜の手を握り。引っ張ってスタスタと歩き出す。
「皆で線香花火生残り競争やろっか。勿論、センセの落すから」
キラーン☆ と目を光らせ、実にいい笑顔。当然である。斡旋所で募集の用紙を見た時から、この瞬間を彼は待っていたのである!
上機嫌のジェンティアンと、状況を理解していない真夜、不機嫌最高潮の矢松、そして鳳凰。おかしな一行が、星の下を進んで行った。
●夏の送り火
バーベキューセットは隅に寄せられ。調理道具も洗って片付けられた。
夜も更けてきた。そろそろ祭りも終わりの時間だ。
あちこちで、線香花火が灯される。一部ギスギスしている空間もあるが、まあそれは置いておいて。
「はい、月乃宮さん。働いてばかりで、遊んでいないでしょ」
ひりょは恋音に線香花火の束を手渡した。
「ありがとうございますぅ……」
恋音はおずおずと、だが嬉しそうに受け取り、花火に火をつける。
白い肌が火に照らされて美しい。ちょっと、いやかなり、乳が邪魔そうだが。
ひりょも自分の花火に火をつけた。真夜たちに合流しようかとも思ったが……チラリと見て、マズいと思った。何か、近付いてはいけない空間になっている。
最後くらい、静かに線香花火を楽しもう。そう彼は思った。
(儚くも美しいよな)
ぱちぱちと燃える、指の先の束の間の炎。その中に、この夏の様々な思い出が見えた気がした。
華澄は。一人静かに線香花火をする。
浴衣に描かれた水玉模様は。火影に照らされ、長く美しい金の髪を彩る珠のようだ。
思うのは、愛する人のこと。夜空の色の、彼女の背の君。
締めた帯は、彼の色。ここに彼はいなくとも。装う姿も、その髪も、薄紅を引いた唇も。彼女の全ては、彼のためのものだから。
華やかな炎に、彼女は彼と出会ってからの日々を見る。笑顔も、涙も、怒りも憎しみもあった。別れがあって、再会があった。
願いはいつも、ひとつだけ。最後の日まで、あなたのそばに。
宵闇に、焔が繊細な線画を描く。その火のように儚く、熱く。燃える願いが、華澄を焦がす。
(永遠に私を離さないで)
ため息のように。消えゆく花火に、願いをかけた。
「綺麗だね。でもなんだかしんみりしちゃうな」
椛はそう呟いた。小さな灯と人の命が重なって見えたからだろうか。
見上げる夜空の、満天の星に。
いつか、皆が笑い合える世界になるように、と。声には出さず、そっと願った。
アルティミシアは。隣に立つ天使が、黙って夜空を仰ぐのを見る。
何があるのだろう、と並んで顔を上げ。輝く月の光を見た。
「月を眺めながら、空の散歩も、したいものです」
小さな声を聞き逃すことなく、椛は悪魔の少女を振り返る。
皆が笑う世界はきっと。傍にいる一人から。
「後で、一緒に少し飛ぼうか?」
かけられた言葉に見開かれる幼い瞳に。椛は微笑んだ。
ところで。レティシアは何食わぬ顔で線香花火に参加していた。
タイミングの問題で、彼女が投げた……いや、『落とした』花火もエイルズレトラのせいになり。咎める者は誰もいなかったのだ。花火大会だけに、明暗が分かれたというところか。
のんびりと、いやしんみりと。線香花火が描きだす一瞬の美に見入る。
儚くて、でも懸命に輝く姿に。彼女も人の生を重ねる。それを素敵だ、と古き者は思った。
静矢は皆から離れ、寄せる波の見える場所に来ていた。
ひっそりと線香花火に火をつける。パチパチというかすかな音は、ともすれば波の音にかき消されてしまう。
この夏を振り返る。
秩父の作戦では、改めて上級天魔との力の差を痛感した。今後、戦いは更に激化していくことだろう。
家族や友人知人。大切な人の顔を一人一人、思い浮かべる。
「また来年の今頃……その先も、この景色を誰一人欠ける事無く皆で……」
その呟きは祈り。暗い海と空を、じっと眺める。
理想に描く、全ての者が手を取り合って生きていける世界にたどり着くには。どれだけの戦いを必要とするのだろうか。
足下で、水音がした。
のぞきこむと。消波ブロックの間で釣竿を振る黒百合の姿があった。
「大漁ねェ……。まだまだ釣るわよォ……」
楽しげな声が波間に響く。彼女の『夏送り』は、これからが本番のようだ。
これもまた、久遠ヶ原の日常。
ひとり微笑んで。静矢は新しい線香花火に、火を点けた。