どんな学園を揺るがすような大事件であっても、それは日常の中の一コマから始まる。
俺も伝説をたくさん作ったものだがあの時も‥‥
(とある学園在学7年目の生徒の言葉)
●一幕
昼間の飲み屋街を二人の撃退士、断神 朔樂(
ja5116)と大谷 知夏(
ja0041)が歩いていく。
学園内部であればさすがに昼間から酒を飲んでいる者は‥‥少なくとも表通りではそれほど目にすることはないが一歩学園から外に出てしまえば、勤務形態の多様化がうたわれえる昨今である。
探すところを探せばまだ太陽の高いうちに酒を出す店もみつけることは容易であるし、酔っ払っている人間を見つけることも同様にそれほど難しいものではない。
「酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言ったものでござるな」
これも仕事の内と、酔っ払いを介抱しながら朔樂羽は口元を僅かに緩ませる。酔っ払い生徒4名の制圧という今回の事件、平素天魔ばかりを相手にしているが、こうして戦った成果として平穏な暮らしが守れていると認識すると、僅かではあるが張り合いもある。
「このままだと、撃退士の評判が墜ちて、いろんなお店から出入り禁止をくらっちゃうかもしれないっす。‥‥ここはちょっと、張り切らないといけないっすね」
知夏はまだ慣れないアルコールの匂いが鼻にさわったのか、眉を僅かに動かす。
警察から入手した情報をもとに、早々に加害者らしき生徒の出没情報を聞きつけてた知夏をはじめとする撃退士たちは、警戒心を解かないままに巡回範囲を狭めていく。
天魔との戦いをはじめ、多くの修羅場を経験している彼女たちである。警戒を解かずにこのまま数時間巡回を続けていけば情報は十分に集まり、あとは騒ぎを起こす撃退士にお灸を据えるだけである。
「しかし‥‥」
「どうしたっすか朔樂先輩。先輩もお酒の匂いが苦手なんすか?」
視界に映った酒と知夏の言葉、そして依頼書を渡した警察署職員、たしか『夏目』と名乗っていた者の指の震え。そして聞き込みをした際の警察署員の微妙な距離。朔樂の頭に、わずかに違和感が浮かぶ。何か大切なことを忘れていないか? そう、ひどく当たり前で気づきもしなかった水準のことを。
「知夏殿、そもそも光纏すれば拙者たちは酒に‥‥」
(『コリトスさんから連絡が届きました。ターゲットを発見。交戦を開始したようです。場所を指定しますので向かってください』)
頭の中の引っかかりを取り除こうとした朔樂の考えは、木嶋香里(
jb7748)からの連絡によって遮られる。連絡によって即座に動く2名。
そう、いかに問題があろうと、相手は『たった4名の新入生実力相当の撃退士』なのだ。排除さえしてしまえば問題はない。
‥‥この依頼に臨んだ8名の撃退士、誰もがそう考えていた。
●二幕
「大丈夫か真一。一体何が起こった?」
香里を通して依頼を受けていた撃退士に連絡が送られて数分後、コリトス=ポリマ(
jb8030)は頭から血を流して膝をつく千葉 真一(
ja0070)に声をかける。
真一が出血している箇所から敵の攻撃地点を割り出し、敵の姿を割り出そうとするが、『そちらの敵の姿は見えない』。
「っ、なるほど。どうにも食わせ物の依頼だったようだな。‥‥だが望むところだ! この力は皆の笑顔を護るために! 敵が大きければ大きいほどゴウライガァの腕の見せどころだっ」
言葉の熱意と共に拳を握りしめ、ついで指先を動かす指先を動かす真一。彼の視界には緒戦で倒した『酔っぱらいの撃退士一名』と、まだ倒れていない三名がいる。
敵の‥‥少なくとも依頼書にあった四名の実力は新入生レベル。まだそれほど実践経験を積んでいないコリトスでも十分に相手になるし、百戦錬磨といってもいい彼からすれば、4対1でも十分に倒せるレベルといえる。事実一人はコリトスとの協力攻撃であっさり撃破した。
「どうしましたかね先輩ィ? 俺たちもこいつみたいに倒してくれていいんですよ」
「‥‥ずいぶん安っぽい挑発だな。少しは授業に出た方がいいんじゃないのか?」
倒れた仲間を足蹴にしながら真一とコリトスを挑発する『撃破対象』。だが二人はその言葉どころか、視線すらそちらに向けはしない。
「奏美、香里。他のメンバーに連絡してくれ確かなことがある‥‥『こいつらは酔っていない。もっと違う何かだ』」
周囲を見渡しながら秋月 奏美(
jb5657)らに連絡するコリトス。呟き終えようとした時に、彼女へむけて強烈な一撃‥‥『超遠距離からの正確な射撃』が捉えようとする。
「撃退士の印象を悪化させるような飲酒と思いきや、もっと悪質のようですね。これはもう四肢をズタズタにするお仕置きだけは、済まないかもしれませんね」
射線とコリトスの間に入り、漆黒の衣装とシールドでダメージを軽減させる天羽 伊都(
jb2199)。酔っ払い事件と想定して動き、こういった事態は想定しておらず、後手にまわってしまった感は否めないが、この程度の想定外で慌てふためくほど浅い経験は積んでいない。
聞き込み範囲を狭めておこなっていた関係上、迅速に到着し現在のこの『誘い込まれた』状況の打開を打開しようとする。
「どうにもV兵器の一撃は効きますねえ。ソーニャさん、長くもちそうにはありません。敵の位置の割り出しをお願いします。あと奏美さん、香里さん、聞き取りをお願いします」
「‥‥うん。ちょっと数が多いけど大体の場所はわかる。狙撃手の数は‥‥だいたい、10!』
絶え間なく続く射撃の中、市街地であるため十分に効果が発揮できないながらも索敵をおこなうソーニャ(
jb2649)。
狙撃手という言葉、そして10という数字に、その場にいた4名の撃退士はいずれも目を見開く。
「依頼書の内容がまったく異なるというわけですか。これはいっぱい食わされましたかね‥‥さて、どうします皆さん。非常に難しい判断ですが、一度体制を立て直すべきかと」
伊都は黒獅子の衣装の外側からでも感じ取れるほどの憤怒を浮かべる。人々を守るためにある撃退士の力が、少なくとも24、『何らかの実験のために、一般人を巻き込んで使われている』。
伊都にとってその事実は看過しがたいものであったが、だからといって熱くなっても状況は一切よくならない。高レベルのインフィルトレイターが約10。まずはこの包囲から抜け出す方法を考えなければならない。
「包囲状態からの脱出方法は、薄い部分を突破することだが‥‥真一、できるか?」
誘い込みに成功したと判断したのか、この短い会話の中でも絶え間なく繰り出される攻撃。コリトスはできるだけ人気のない方向を向きながら、片膝をついたままの真一に尋ねる。
「‥‥決まっている。一般市民を巻き込む悪は見逃しはしない! ソーニャ、サポートを頼む!」
「わかったよ。敵の数は多いから気をつけて」
膝をつき、姿勢を低く、その脚に力を蓄えていた真一はソーニャから寄せられる敵の位置情報を頼りに、その身体を視界の先の雑居ビル屋上へと一気に躍動させる!
一般人からすれば視界にすら入れられないその動き、握り締めた拳から繰り出される一撃は、けたたましい破壊音と共に、アスファルトの破片の煙を巻き起こした。
「BOOST!」
身体を動かす前に放った言葉が遅れて聞こえる感覚。そして同時に動き始める残る撃退士3名。
炸裂音は周囲に響き渡り、本当の戦いが始まろうとしている。
●幕間 (警察署)
「なにやっとるかぁああああああああああ!」
奏美の大声と共に、『スパーン』という小気味いい音が警察署に響く。
「奏美さん、危ないですって、警察署ですよ」
「‥‥私もまさかハリセンをここで使うとは思わなかったよ。でもね、今回レベルの依頼書の誤り、洒落じゃすまないよ」
香里の静止にハリセンをしまうも、尚息の荒い奏美。
依頼書をもらった際の指の震え、そして夏目という警察署職員。今思い出せば不審な点はあったが、10人の腕利きの撃退士を酔っ払い退治にきた撃退士にぶつけるなんて、とてもではないが個人にできることはないし、警察が知らなかったわけがない。
「正直ここまでの規模で動き出すとは我々も想定外だった。‥‥すまないが守秘義務がある。話なら直接襲撃班から聞いてくれ。罪滅ぼしというわけではないが、救出に全力は尽くそう」
頭を抑えながら、夏目と名乗った男は申し訳なさそうに、しかし目は逸らさずに彼女の目の前で光纏をおこなう。襲撃場所は署からほど近い。救出に向かえば間に合う可能性はある。
「夏目さん、ひとつだけ教えてくれませんか? ‥‥今回の襲撃犯。警察ではないですよね?」
「それは当然だ。警察庁‥‥いや、撃退庁として保証しよう」
奏美の質問に、夏目はひどく落ち着いた口調でそう答え、部下に『酔っぱらいの制圧』を命じたのであった。
●終幕
「抵抗はするな……撃つのは簡単なんだ」
頭から流れる血を拭いながら、コリトスはもう片方の手で狙撃手へ銃を向ける。
戦闘が始まって数分。真一らの活躍によって、包囲網は突破したものの、未だに戦いは続いている。非常識な敵の配備に忘れがちになっていたが、ここは市街地。一般市民を避難させなければならない。
10名にのぼった狙撃手たちは、撃退士たちからの反撃行動に対して速やかに撤退行動をとり、すでに戦闘は小康状態になっているが、まだ混乱は収まっていない。
「暴れるのにもなにか理由があると思うの‥‥なんでこんなことするの?」
周囲の状況を確認しながら、ソーニャは男に問いかける。ほんの小さな酔っ払い退治だったと考えていたこの事件。
それが蓋を開けてみれば、罠にはめられたとしか思えないような流れになってきている。
「全部吐くでござる。お前たちの仲間はもういない。じきに増援も到着する。これ以上抵抗することは、利益にならぬと思うが?」
コリトスとは別の方向から、刃を握り敵との距離をはかる朔樂。頭の中の小さなひっかかり、『強い毒耐性を持つ撃退士は光纏すれば酒にそもそも酔わない』。
もちろん雰囲気で酔ったふりをすることはできるし、気分の問題で酩酊状態になることはある。だが、その事実を伏せた状態で、さもただの酔っ払い事件のような依頼書が届いた。その意味するところは‥‥
「‥‥それは知る必要のないことだよ先輩ぃ!」
朔樂の考えを中断するように、床がけたたましい音をたてて砕け、階下から当初の依頼ターゲットであった生徒ひとりが現れる。狙撃手のひとりが『これ以上暴れると保護できなくなる』という内容の言葉をかけるが、目を血走らせた生徒はその言葉を聞きもしようとせず、上階の撃退士を狙いもつけず滅茶苦茶に攻撃する。
「いくらなんでも‥‥ちょっと迷惑っすよ!」
唐突に建物の内部が閃光に包まれ、攻撃を中断する生徒。隣のビルから跳躍し、砕けた窓を利用して戦闘領域に乱入してきた知夏は、移動の最中破片を蹴り上げ、敵の状態を起こすと、軽々と跳躍して上半身に拳を叩きつけ、あっという間にこの場を制圧する。
「さあ新入生! あんたは一体どう‥‥っ!」
「まあそうせっかちに真相に至ろうとするなよ後輩。そんな間抜けな新入生でも大切な保護対象なんだ。‥‥なんとも間抜けな仕事についてしまったもんだが、少しばかり戦わせてもらう」
圧倒的な実力差を背景に、生徒から情報を聞き出そうとする知夏であったが、側面から放たれた一撃にのけぞって拘束を解く。狙撃した男は歴戦の撃退士に囲まれながらも悠然と距離を縮める。
「ますますわかりませんね。なぜこんな酔っ払いもどき一人を救出しようとするのか? OBかもしれませんが、現役の学園撃退士をこれだけ相手にして、足手まといを抱えて逃げられると思っているんですか?」
魔具を向けながら、たったひとりの撃退士OBとの距離を縮める伊都。
一般論からいえば、ゲートの加護を受けている天魔であればともかく、どれだけ優秀なOB撃退士であろうとも。この依頼に挑んだ8人の撃退士の内、一般人救出を対応している千葉とこちらに向かっている2人を除いても現役撃退士5人を前にして、逃走することは至難の業といえる。まして相手にするなどあり得ない。
「この場はおとなしく投降して、貴殿の目的をすべて晒すでご‥‥!」
「先輩に対してその口のきき方はなんだオラァ!」
朔樂の言葉は敵の動きに遮られ、抜かないと決めていた片刃の大太刀が鞘からわずかに顔を出す。警戒を怠っていたわけではなく、強烈な攻撃に不安定な足場でふみとどまることができず、朔樂は後方に弾き飛ばされる。
「往生際が悪いっすよ!」
「悪いがこんなところで不要扱いを受けるわけにはいかないんでなあ!」
朔樂が壁に激突するより前、行動を読んでいた知夏が、杖を手に敵との距離を一気に詰めるが、一撃はギリギリのところで緊急活性化された盾によって受け止められる。
「‥‥っ、さすがに5人がかりはきついか?! OBはいたわるもんだぜ後輩。お前はさっさと穴から逃げろ!」
知夏の攻撃によりのけぞった敵の男は歯を噛みしめながら新入生を逃がそうとするが、撃退士の攻撃は終わらない。
「合わせますよ朔樂さん! コリトスさん!」
「‥‥承知だ!」
「了解!」
伊都は壁に着地し、刃を抜き攻撃姿勢を朔樂とコリトスとに声をかけると、三方向からの一斉攻撃を仕掛ける。
すべて命中すれば致命傷は必至の攻撃、敵はバックステップを踏んでコリトス、不十分な体制から放った朔樂の攻撃は回避するが、伊都の振りぬかれた長剣を避けきることができず、ステップを踏んでいた方向とは別方向の壁に叩きつけられる。
「逃がさないようにしてください! 新入生もです!」
係員の指の震え、ベテラン撃退士が新入生に敗北‥‥酒という事実以外にも見落としていた事柄が多く、十分な体制が築けたとはいえない今、せめて最低限の「情報」を逃してはならない。
彼は敵が飛ばされた場所に駆け寄るが、もともと脱出口が用意してあったのか、そこには綺麗に切断された壁面と、わずかばかりの敵の鮮血が残るばかりであった。
(「大丈夫ですかみなさん、もうすぐ到着します! って、ソーニャさん?」)
(「新入生はなんとか追跡して捕縛したよ。‥‥今のところ、他に反応はないみたい」)
光信機から届く香里とソーニャの声。
学園OBを名乗っていた敵を取り逃がした伊都はその報告を聞き、大きな脱力感の中にかすかに達成の感触を得ることができたのであった。
‥‥その後依頼は『酔っ払った新入生を撃退士が捕縛』として扱われ、翌日の紙面に小さく、本当に小さく掲載された。
※依頼の結果、同一記録官の依頼が再度出ることが決定しました。