●1日目
「緑がいっぱい‥‥!本家のみんな元気かなあ」
紅葉 虎葵(
ja0059)は若葉の隙間から見える家の屋根を眺めながら、今は遠い本家のある田舎の風景を思い出していた。
若葉のトンネルを抜けると急に視界が開けて、田んぼが段々と階段状になっているのが見えた。
「空気が美味しいです♪土の香り、久しぶりです」
車を降りると市来 緋毬(
ja0164)は、深呼吸した。
楯清十郎(
ja2990)も深呼吸して「久遠ヶ原の潮の匂いに代わって緑と土の匂いがしますね」と微笑んだ。
辺りを見回した鳳 静矢(
ja3856)は「遠く離れた親か‥‥依頼を出すくらいだから大事なのだろうな」とポツリと呟いた。
車から下り立った三神 美佳(
ja1395)「そういえば」とミリアム・ビアス(
ja7593)に訊ねる。
「撮影用のビデオカメラって借りられました?」
「それがね、壊されると困るからって借りられなかったんだよ。ビデオ撮るなら携帯かな。あ、使い捨てカメラは持ってきたよ」
ミリアムは荷物の中から携帯とカメラを取り出すと手始めに到着したばかりの面々を写真に収めた。
「おんしがとう、和夫の生徒さんかのん?」
立派な一軒家から少々腰の曲がった女性が出てきた。どうやらこの人が林キクのようだ。
エステル・ブランタード(
ja4894)は「初めまして〜」と手を差し出した。
「初めまして、林先生から頼まれてきました」と鳳も握手をしたが、その後にヒソヒソと三神に訊ねる。
「三神さん、『おんしがとう』って…どういう意味だろうか?」
少し焦って三神は返事をした。
「えっと、『おんしがとう』というのは『あなた達』という意味です」
鳳が納得したように頷く横で、市来がなにやらメモを取っている。
「撃退士ってのはこんなのを持ち歩くのんかい?!」
と、キクのびっくりしたような声に振り向くと、寸胴鍋を肩に乗せた阿岳 恭司(
ja6451)が笑顔で首を振った。
「これは俺の私物た〜い。鞄代わりっちゃ〜」
「和夫がやらせとるのかと思って、びっくりこいたわ」
それからキクは各々に丁寧に挨拶をした。
「初めましてだに。よう来てくれたわ。大層なもてなしは出来んけど、ゆっくりしていきんね」
そう言ったキクの後ろでは布団が8組、天日に干されている。
「あの布団、僕たちのだよね?取り入れるのお手伝いするよ」
紅葉がそう言うと三神と市来が頷いた。
「ほうかい?ほんだら、頼むかね。玄関入って左側が女の子、右側が男の子の部屋だでね」
キクがそう言うと「力仕事は任せてくれんね〜」と阿岳が布団を取り込むのを手伝いに向かう。
「そういえば僕、お土産を渡すの忘れてました。先生からお好きだと聞いたので‥‥」
楯が差出したのはバナナ味の東京名物カステラである。
「わぁ、嬉しいのん。あとで皆で食べまい」
「あと、田植え機が故障していると聞いたんですが‥‥」
「ほんなら裏に置いたるけど」
「じゃ、ちょっと直してきます」
「私も行くよ」
そう言うと楯とミリアムは一礼して家の裏へと歩いていく。
「キクさん、田植えは明日やろうと思ってますが‥‥今から何か注意しておくことなどあれば教えてもらえるだろうか」
鳳がキクに訊ねるとキクは田んぼに目をやった。
「田植え初めてだら?等幅に塗った紐で植える目安を作っておいた方がいいかも知れん」
「等幅で塗った紐?」
エステルがそう聞き返すとキクは頷いた。
「植える間隔が狭くても広すぎてもダメだら?ほいだで、定規代わりに使ってみりん」
ほいから=それから ほいだで=だから だら=でしょう みりん=みなさい
三河弁の難しさに直面しながら、鳳とエステルはキクにいわれたとおりに等幅に塗られた紐を作ってみることにした。
「おばあちゃーん。お布団できたよ」
部屋に布団を片付けに行っていた紅葉たちが戻ってくると、キクはご苦労様と労った。
と、先ほど阿岳たちが車で登ってきた道を誰かが登ってくる。
「キクさん!この子らかね、教え子っちゅーのは」
現れたのは老齢の男性と女性。どうやらご近所さんのようだ。
「若いもんが泊まりにくるっちゅんで、畑の野菜もってきたでね。お食べん」
「ありがとうございます。分からない事があったら御指導お願いしてもいいですか?」
市来が野菜を受け取って深々と頭を下げると、じいちゃんはニカッと笑った。
「おいでんおいでん、こういうのは持ちつ持たれつだら?」
「ジェットが詰まってるだけかな。掃除したらいけそうです」
田植え機を分解しながら、楯は部品をチェックしていく。どうやら壊れている部品はなさそうだ。
その横でミリアムは田植え機が収納してある小屋をざっと見回す。
「機械油があるかと思ったんだけど‥‥きみ持ってる?」
「必須です」
ウェストバックから何事もないかのように楯は機械油を取り出した。
「用意がいいね。私も手伝うよ」
2人で並んで田植え機を掃除していく。
「そういえば、この辺ってクワガタムシとかいないかなー」
「ちょっと時期が早いけど、探せばいるかもしれませんよ」
「ほんとに!?それは楽しみだね」
楯の言葉に、心なしかミリアムはウキウキしているようだ。
「お疲れ様です。一息ついてください」
おにぎりとお茶とおしぼりをもった市来がひょっこりと現れた。
「修理、できそうですか?」
「大丈夫です。明日には間に合いますよ」
楯とミリアムはおしぼりで手を拭いておにぎりを食べ始めた。どうやら知らぬ間にお腹が空いていたようであっという間になくなった。
「他の人たちは?」
「紅葉さんと三神さんはキクおばあちゃんとお料理を。エステルさんと阿岳さんは田植えの準備をしていました。鳳さんと私は近くの小川を見に行きました。たくさんお魚が泳いでましたし、水も綺麗でした」
「川か。‥‥私も明日行ってみようかな」
その日夜遅くまで、田植え機の修理の明かりがついていた。
●2日目
翌日は快晴。絶好の田植え日和。
朝早く起床し、阿岳は苗床を田んぼに運び、エステルは水筒にスポーツドリンクやお茶などを用意した。
汚れてもよい服に着替えて紅葉も楯も準備万端。市来は髪をきゅっと結って気を引き締めた。
と、家の裏手から機械音が近づいてきた。
「田植え機、修理できました。どうします?これで全部やれば時間短縮になると思うけど‥‥」
楯がそう問うとキクは言った。
「せっかく直してくれたで、3枚は機械でやって、あと1枚は皆でやるかね。ほいでいいかん?」
キクの言葉に頷くと、鳳とエステルは昨日作っておいた等幅に塗られた紐をキクの指示を仰ぎながら、田んぼに張った。
それぞれは田んぼに苗を少量持って、入っていく。
「懐かしい感触た〜い」
「きみ、農業経験者なの?」
ミリアムの疑問に阿岳はニカッと笑った。
「親戚のじっちゃんが農家じゃったけ、田植えには自信あるば〜い」
「ちゅ、中腰…うう、腰とか痛めないかなぁ。お婆ちゃん、頑張ってるんだね」
紅葉が苗を1つ1つ泥の中に埋めていく。田植えの大変さを身をもって知ったようだ。
「これで良いでしょうか、キクさん?」
そう聞いた鳳にキクは笑顔で頷く。
「なかなかこういう経験はした事が無いが…頑張ってみるか」
「鳳さん、とても上手だと思いますよ」
市来は作業していた手を止めて、にこりと笑った。
「まだそれほど暑くないとは言っても、油断は禁物ですよね〜。喉が渇いたら水分補給を。キクさんも無理なさらずに」
エステルがそう言うと三神が「いただきます」と田んぼから上がった。
1枚目の田んぼは既に半分ほど緑の小さな苗が植えられた。調子は上々だ。
「っ!?うわ!」
突然声は上がった。見れば、田んぼのど真ん中でバランスを崩している者がいる。あわや顔面から田んぼに突っ込むかと思ったその時、羽根が突然生えて飛び上がった!
「子供の時に足を滑らせて落ちたことがあるもので」
楯は恥ずかしそうに、そう言うとふわっと降りてきた。
「‥‥撃退士ってのは空も飛べるんかね?」
「いえ!あの、飛べる人もいるけど、よう飛ばん人もいるので‥‥」
キクのびっくりした顔に、三神は慌てて説明した。
ミリアムはそんな和やかな雰囲気をまた1枚写真に収めた。
小休止のあと、皆コツを掴んだのか一気に進んでいった。鳳とエステルの作った紐のおかげで綺麗な田んぼが1枚出来上がった。
「昼食食べたら、後は自由にしておいでん」
少し早めのの昼食はコロ(冷たい)うどんとメロンの漬物だった。
ミリアムは紅葉を誘って川の上流へと行ってみた。
途中腐りかけのクヌギの木を見つけてそっと皮を剥がしてみたが、クワガタは見つけられなかった。
「うわ、冷たい!」
川に足を入れた紅葉の第一声だ。
「水浴びには早いかぁ‥‥なら魚とか探そっか。あ、この辺サワガニいるかも。虎葵ちゃんおいで」
紅葉がミリアムに近づくと、ミリアムは川辺の大きな石を動かした。
「あ、あそこ!」
紅葉が指差す先に小さなカニが動いている。
「いいね〜。写真に撮っておこう」
ミリアムはパチッと1枚写真を撮った。ついでに紅葉の顔も。
「なんで僕まで?」
「いい顔してたからね」
にこりと笑ったミリアムは、カメラを仕舞うと今度はキクから借りたモリを取り出した。
「岩魚とか獲れたらいいんだけどな」
「僕も負けまないよ」
紅葉も負けずに持ってきた釣り道具を取り出した。
鳳は紅葉達よりも少し下の緩やかな流れの川辺にいた。
石の裏などにいる川虫を餌にして釣りをしてみようと考えた。
「さて、釣れるかな?」
鮎、岩魚、アマゴ‥‥出来れば夕飯に食べられるものが望ましい。
神経を研ぎ澄ませて、釣り糸の先に集中する。
気分はまさに太公望。鳳の心に一点の曇りなし。
「これゼンマイですかね?」
「おぉ、清十郎ちゃんなかなか筋がよかね〜」
山に山菜採取に来た楯と阿岳は、寸胴鍋の半分ほどに山菜を摘んでいた。
「タラノメも発見たい」
「まさに自然の恩恵ですね‥‥でも、まさか筍の季節が終わっていたとは」
「あれは旬が短いけん。しょうがなか〜」
残念そうな楯の背中をバシバシッと叩いて元気付ける阿岳。
と、その時!ずどどどっと山鳴りのような音が鳴り響いたかと思うと楯が吹っ飛んだ!
「な!?ぐふぅっ!」
とっさに小天使の翼を使ってダメージを最小限にしたが、いったい何が!?
「イノシシ!」
阿岳の顔がなぜか嬉しそうに微笑む。これだ。この時を待っていた。
「俺の晩御飯を横取りしようとは良い度胸じゃね〜‥‥かかってきんしゃーい!」
ぶつかり合う殺気と殺気!
それは撃退士としてではなく、プロレスラー対イノシシの命がけの死闘が待っていた。
「とりあえず僕、邪魔しないほうがいいですね」
浮かんだままの楯はそう呟いた。
キクに田植え機の指導をされながら、最後の田植えをしていた市来と三神は戻ってきたエステルに気がついた。
「エステルさん、お散歩は楽しめましたか?」
市来がそう聞くとエステルはにっこりと笑った。
「とっても素敵な風景でした。都市部、特にフランスのだとここみたいな川は珍しいですからね〜。眺めているだけでも楽しいです〜」
「ほうかい、ほうかい」
キクはエステルの言葉に嬉しそうに何度も頷いた。
「ところで、今は何をしているところですか?」
エステルが聞くと、三神が苗を持って答えた。
「機械で植えられない部分を手で植えているんですよ」
「なるほど。なら、私も手伝いましょう」
袖を捲り上げて再び田にエステルは足を踏み入れる。
「ほいじゃあ、あとちょいだに、頑張るまい!」
それでは、もう少しだから、頑張ろう!とキクが気合を入れた。
田植えを終えて家に戻った市来たちは感嘆の声を上げた。
「わぁ 食材いっぱいですね。皆さんお疲れ様です」
並べられた食材は寸胴鍋に入った山菜とイノシシ、岩魚にアマゴ、鮎。
「イノシシと山菜たっぷりのちゃんこ鍋でもこしらえちゃおうかね〜。山菜がイノシシの臭みを消して良い感じになると思うちゃ〜 。あ、山菜は天ぷらもいけるかもしれんね〜」
「料理か‥‥私も手伝おう」
「お魚はオイル焼きでも美味しそうです。あと酢の物も作りましょう」
「私たちに台所は任せて、キクさんはゆっくり休んでください」
エステルに促され、キクは居間にちょこんと座ってにぎやかな台所を眺めた。
「お婆ちゃん、お疲れ様。肩、揉むね」
紅葉が優しく肩を揉んだ。
ミリアムは台所の手伝いの合間に、台所やキクのその様子を写真に収めていく。
「キクさん、えらかったら横になっとってね?無理しちゃいかんに?」
三神の優しい言葉にキクは微笑んだ。
「和夫はええ生徒さんに恵まれとるだね」
●3日目
「最後は綺麗にしていかないとですよね〜」
エステルは綺麗になった部屋を見つめた。立つ鳥跡を濁さずだ。
「他にあったら言ってよかよ〜。プロレスラーは力使ってなんぼじゃけんね〜」
部屋を片付けながら阿岳はキクに出来ることを訊ねた。
「充分やってもらったに‥‥ほんでも、ふんとに撮るんかね?ビデオレターとやら」
キクはそわそわと、小さく呟いた。朝食後に鳳からそう勧められたのだ。
「もちろん!元気なとこ、先生に見せなきゃね、お婆ちゃん!」
紅葉は笑った。それでも恥ずかしそうにするキクをカメラに収めて、ミリアムは微笑む。
「動いている姿で先生を安心させてあげてください」
「そうそう。キクさんからの電話のあと、すぐに僕たちに頼んでしまうくらいキクさんのことが心配なんですよ」
楯は笑ってそう語った。キクは「そうかのん」と呟いた。
「ほんだら、ついでに手紙を預かってもらえんかのん?」
別れ際、楯はぺこりと頭を下げた。
「僅かな間でしたが、大変お世話になりました。また田植えの手伝いをさせて下さいね」
「また、おいでん。待っとるに」
それぞれ握手をして車に乗り込む。ミリアムは最後にキクの笑顔の写真を1枚撮った。
紅葉達の車が見えなくなるまで、キクはずっと手を振っていた。
●故郷の思いを知る者達
「先生、依頼の報告です。あと、手紙を預かってきましたよ」
エステル達は林に携帯で撮影されたビデオとキクに頼まれた手紙を渡した。
ビデオレターは早速再生された。
映し出されたのは、懐かしい故郷の姿と生徒達に囲まれ少し恥ずかしげな母の姿。
ビデオを見終えると、林は手紙の封を切った。
手紙を読み終わると林は「少し待っててくれ」と言い席を外すと、すぐに戻ってきた。
烏龍茶とおにぎりを抱えて。
「手紙にお前達に世話になったから、なんか買ってやってくれと。まぁ、小腹の足しにはなるだろう」
それらを手渡しながら、林は「ありがとう」と1人1人に頭を下げた。
生徒たちが去ったあと、林はビデオレターを最初から見直す。
『無事に田植えは終わったでね。‥‥家は私が守るで、和夫は世界とこの子らが死なんように頑張りんね。待っとるでね』
林は、何故母が久遠ヶ原に一緒に来なかったのかを知った。