●ご挨拶
ラズベリー・シャーウッド(
ja2022)は、先の事件について思いを巡らせる。
当時の依頼関係者としては、彼女…フロル嬢がどういう経緯で傷つき倒れていたのか、ヘルハウンド達との関係など気になる事は多くあるが…学園の一員となるのならば、彼女も僕達の学友だ。無粋な事は尋ねるまい。
「久しぶり…といっても、君はあの時意識を失っていたのだから『初めまして』が正しいな。僕はラズベリー・シャーウッドだよ。気軽に『ラズ』と呼んでくれたまえ」
「はじめ…まして? ラズ」
そうか、この前中島が頑張って保護した天魔か。噂には聞いてたけど…。
相馬 カズヤ(
jb0924)は中島 雪哉(jz0080)をちらっと見ると、小さく呟いた。
「友達になりたいな。なぁ、中島」
「うん!」
中島の笑顔に相馬も微笑む。次にフロルに挨拶をしたのは深森 木葉(
jb1711)。
「はじめましてぇ〜。深森木葉なのですぅ。よろしくなのです。木葉って呼んでくださいねぇ〜」
「はじめましてぇ? 木葉」
笑顔で右手を差し出した深森に、フロルはきょとんと右手を見る。
「握手なのですよぉ。これから仲良くしましょう〜って合図なのですぅ」
木葉はフロルの右手を取ってぎゅ〜っと握手する。
次にフロルの前で『相馬カズヤ』と紙に名前を書いて胸のポケットに引っ掛けて名札にする。
「ボクは相馬カズヤ。友達になりに来たんだ。よろしく」
握手を求めた相馬の手をフロルはぎゅ〜とした。
「初めまして。相馬」
「カズヤでいいよ」
相馬の後、ジェンティアン・砂原(
jb7192)はフロルの傍にしゃがんだ。
「んーと、中島ちゃんが助けた悪魔なんだっけ…?」
自分の事を覚えてないのは気の毒だけど、まっさらなとこからスタート出来るのはある意味良かったかもよ? そう、前向きに考えれば悪いことではないのだ。
「ではでは学園生活を送る為のお手伝い、させて頂きましょ? レディ」
「初めまして、レディ?」
「いや、僕の名前は『ジェンティアン・砂原』だよ。レディは君のこと」
「そうだ、いい名前ないですか?!」
中島がそう呼びかけるとドロレス・ヘイズ(
jb7450)が「うふふ」と笑った。
「雪哉様のお名前から『雪』を頂いて『フロル・ネージュ』というのはどうでしょうか?」
と、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)がにやりと笑う。
「こいつの名前は『フロル・フロマージュ』なんてどうかな? ごろもいいし何より美味しそうじゃないか」
とラファルは口では言ったものの、食べ物なら平和なイメージで在校生も親しみやすかろうと考えて発言だった。…だが、この依頼を受けた理由が『悪魔に刷り込みが出来るなんて得難い機会だから』だとは、誰も知らない。
「『セッカ』は?」
相馬が言うとラズベリーも案を出す。
「花の痣と新緑色の瞳、やわらかな栗色の髪…彼女自身が華のようだから『此花(このはな)』というのはどうかな?」
「そうですねぇ〜。雪哉ちゃんの『雪』の字と花のアザから『雪の花』。その意味を持つ『六華(りっか)』なんてどうかなぁ?」
深森の提案を聞いて、ジェンティアンも提案する。
「識別コードとは言え花の名は既に持ってるから、『シュネー』なんてどうかな? 言語混じっちゃうけど、ドイツ語で『雪』の意味だよ。皆も考えてるように中島ちゃんの名前にちなんで、お揃いで」
「え、ボク?」
中島がオロオロし始める。今まで黙っていた最上 憐(
jb1522)が頷いた。
「‥‥ん」
「いいから早く決めようぜ」
相馬がなぜか中島を急かす。中島は慌てて言った。
「じゃ、あみだくじで決めます!」
●学園へ
帰路、フロル…もとい『六華』も連れて車に乗り込む。
「今日から六華ちゃんですよぉ〜」
深森の提案した名がフロルの名前となった。車の中で六華に話しかける仲間たちを見ながら、饗(
jb2588)は煙草を1本取り出す。
…人の世で気を付けることか。私は結構ありましたっけねえ。
同じ悪魔として人間の世界に降りてきた饗は過去に思いをはせ、煙草に火をつけようとした。
「すまん。車内は禁煙だ」
先生の声が饗の手を止めさせた。
「申し訳ありません」
注意されたら謝る。それも自身の経験から得た人の世で生きる知識のひとつだ。
「学園に着く前に、少しだけいいでしょうか?」
饗はそういって六華に向き直る。
「まず、学園には人が大勢います。人と会った時、朝は『おはよう』。昼は『こんにちは』。夜は『今晩は』です。寝る時は『お休みなさい』ですね。これらを挨拶と言います」
「挨拶は大事なのですよぉ〜。『はじめまして』も挨拶ですねぇ。それからお別れ時の挨拶は『さようなら』ですよぉ〜」
深森の言葉に、さらに相馬が付け加える。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』も大切だぜ」
「他人に何かをしてもらったら『ありがとう』とお礼を、嫌な思いをさせたり自分が悪いと思ったことは『ごめんなさい』と謝るといいですよ」
饗の言葉に、六華は少し考えてから言った。
「ありがとう」
六華は1週間ほど学園に滞在し、一旦諸手続きのために学園を離れた後、入学となる。
着いて早々、ラファルは六華を校庭へ連れ出した。
「俺について来い!」
そう言うと、ラファルは勢いよく校庭を走りだし飛び跳ねる。六華はそれについていく。体全体を伸ばし、曲げて…3周ほどした。さすがは悪魔。記憶はなくとも体力はある。
「記憶が無いからって引きこもっていたら、ろくなことにはならねー。いいか? 1日1回やってみな。…行為そのものに意味はねーよ。だけれど習慣がつけば色々変わってくるもんさ。ま、頑張れよ」
「ありがとう」
「…あ、それからいじめてくる奴もいるかもしれねー。老婆心かもしれねーが一言だけ言っとくぞ。気持ちを強く持って嫌なことは嫌ってはっきり言ってやれや。いいなりにだけはなんなよ」
「気持ち?」
六華はトレーニングを覚えた! 気持ちについて疑問を持った!
その日の放課後。ドロレスと深森、ジェンティアンに連れられて購買部へ。
「学生になるのですから制服が必要です。身だしなみは大切です」
ドロレスは、制服を一式持って試着室へと六華を招いた。
「人前では着替えず、周りから見えないところで着替えるのです。むやみに人前で肌を晒してはダメです」
制服に着替え、試着室を出ると深森とジェンティアンが六華の姿を見て微笑む。
「可愛いですぅ〜」
「うん、六華ちゃん。似合う似合う」
「六華様の髪を結いたいのでアクセサリーを探したいのですが…ジェンティアン様、深森様。手伝ってもらえますでしょうか?」
「もちろん。女の子なんだからおしゃれに興味持って欲しいしね」
「文房具も一緒にみましょうかぁ。お勉強をするには文房具がいるのですよぉ」
深森は六華に文房具を見せながら籠に入れていく。
「鉛筆に消しゴム、お絵描用のクレヨン〜」
「お、これなんか似合いそう。どう?」
ジェンティアンがアクセサリーを持って六華を呼んだ。
「どうかな?」
六華はキラッと光るアクセサリーを興味深げに見つめた。
「うふふ、色々試してみるのもよいと思います」
ドロレスは自らの好みであるロリータっぽい洋服やアクセサリーも籠に入れた。
「あたしは和装が多いのですぅ。六華ちゃんが和装に興味があるなら、着付けますよぉ〜」
くるりと一回転した深森に、六華は「ありがとう」と言った。
「それでは、お買い物のお勉強ですよぉ〜。お店の人に挨拶をして、顔を覚えてもらいましょうねぇ〜」
深森はレジに籠を置くと、六華をその前に立たせた。
「人間の世界では、お店で何か手に入れる時はお金を払うんだよ」
ジェンティアンは六華に久遠を渡す。
「初めまして?」
言葉に詰まる六華の後ろでドロレスが助け舟を出す。
「『お願いします』です」
「お願いします」
六華は制服と洋服とアクセサリーと文房具を手に入れた! 買い物の方法を覚えた!
その後ドロレスにツインテールに結ってもらい、基本的な肌のお手入れ方法を学んだ六華。
うなじのアザは気にならないようで、六華はドロレスの可愛らしい手鏡を覗き込み嬉しそうに笑った。
六華の女子力が少し上がった!
●施設案内
翌日、ラズベリーは六華に学園の中を案内した。主要な教室を巡り図書室へと差し掛かった時、ラズベリーは足を止めた。
「本というものを紹介しようか」
「本?」
図書室に並んだ何千冊の本に、六華は驚いたようだ。
「先人の知恵や考えがたくさん詰まっているんだ」
そう言って絵本を1冊取り出した。絵に囲まれ文字は少しだけの本。理詰めより、六華が何かを感じる事も大事だと思うからこその1冊だった。
「あ、いた!」
「シャーウッド先輩!」
そこに相馬と中島が紙袋を持って現れた。
「探したのかい? それはすまない」
「図書室なら丁度いいや。これ、やろうと思ってさ」
そう言って相馬と中島は紙袋からドリルやら書き取りノートやら算数セット、百科事典などを取り出した。
「カズヤ君が六華ちゃんにって」
中島がなぜか自分のように威張った。相馬は算数セットからおはじきを取り出した。
「読み書きや計算ができないと不便だし、これ使って勉強しよう。文字読んだりできないと本も読めないし不便だろ? こっちの算数セットは算数の基本や時計の見方がわかるから、持ってて不便じゃないし…いじるのも楽しいしな」
おもちゃのようにそれを並べて、相馬は楽しそうに笑う。
「少しずつ教えるよ。ゆっくりやろうぜ」
コロコロと、1つおはじきが転がった。中島がそれを拾おうと手を出す。相馬も同時に手を出して中島の手と触れそうになった瞬間、パッと手を引いた。
「…ふむ」
ラズベリーが何やら頷いた。真似して六華も頷く。
六華は勉強の仕方を教わった! 謎の空気を覚えた!
「息抜きに学食に行こうか」
ラズベリーは学食へと案内する。道すがら相馬は召喚獣であるヒリュウのロゼを紹介したり、スマホの基本的な使い方を教えた。
「多分支給されるから覚えておくといいぜ。ボクのメアドは後で教えるよ。何かあったら連絡していいから」
学食に着くと、ラズベリーはパイ菓子を勧めて持参した紅茶を人数分注いだ。
「苺という果物の風味の紅茶だよ。六華君の口に合うだろうか?」
食事を取る必要性が今までなかったろうから、少々戸惑うかもしれない。
「…ありがとう」
1口飲むと六華はラズベリーに微笑んだ。
六華は紅茶の味を覚えた!
●学食の使い方
別の日、ジェンティアンは学食で簡単なテーブルマナーを教えていた。
「お食事の作法は大切なのですぅ。お箸の持ち方を教えるのですよぉ〜」
一緒にいた深森の箸の持ち方に、ジェンティアンは「中指は動かさないんだよ」と笑う。
「…えへへ〜、あたしも一緒にお勉強するのですよぉ〜」
ジェンティアンの生徒は2人になった。
「ふふふ、残念。右と左が逆でーす」
箸にスプーン、ナイフ、フォーク。基本的で他人が見て不快にならないようポイントを押さえて教える。
そして、一通り教え終わると「よくできました」とジェンティアンは六華に腕時計をプレゼントした。
「僕達は時間と共に生活しているからね。相馬ちゃんから算数セットで時間のことは習ったかな? 今日ここに来る前に聞いた音はわかるよね? あれがチャイムだよ。学園の生活はチャイムによって行動する事が多いんだ。朝はチャイムが鳴るまでに、教室に行くんだよ? …僕は行かない事が多いけどね」
「チャイム…時間…?」
六華はテーブルマナーを身に着けた! 腕時計を手に入れた!
そのチャイムが鳴り、午後の授業が始まる。教室に向かっていた3人。そこに現れたのは…
「‥‥ん。六華。一緒に。行こう」
最上は六華が今行ってきた学食へと連れて行く。
「‥‥ん。学食の。使い方。教えるよ」
カレーは飲み物と断言する最上は、人の減った学食でカレーをありったけ頼む。
「‥‥ん。甘口で」
テーブルを埋め尽くしたカレーを前に、最上は「いただきます」と飲み始める。
「‥‥ん。カレーは。飲み物。飲む物。飲料だよ。そして。前菜であり。主食であり。おかずであり。デザートでもある。万能料理」
最上は会話中も手を止めない。六華は最上を真似してカレーを持つ。
「‥‥ん。いきなり。飲むのは。意外と。結構。危険なので。カレーに。慣れてからの。方が良い。まずは。毎日。カレーを。食し。鍛錬すれば。いずれ。飲めるよ」
『鍛錬』という言葉に、六華は顔を輝かす。
「トレーニング?」
「‥‥ん。そう」
埋め尽くされていたカレーが空になった。最上は皿を重ねる。
「‥‥ん。おかわり。大盛りで。うん。大丈夫。費用は。経費で落ちる。コレは。あくまで。実演。決して。経費を。大義名分に。カレーを。貪り。飲んで居る。訳では無い」
最上のおかわりが終わると、六華は最上の学食攻略法を伝授された。
「‥‥ん。昼食時。ココは。戦場になるので。全力で。挑むのが。吉。光纏して。教室から。跳びおり。最短経路を。通って。スキルを。使ったり」
饒舌な最上に六華は目を輝かせた。
六華はカレーは飲み物だと覚えた!
●始まりの別れ
そして、準備期間は終了した。
ラファルはその日、顔面ガブフェイスで六華に重圧を与え疑似的な悪意に晒した。いじめ対処の最終試験だ。
「俺。逃げます」
六華はラファルから瞬く間に逃げ出した。トレーニングの賜物である。
「人の世界では『殴ったら負け』ですからね。相手が殺しに来たり殴り掛かってこない限り、逃げるのも有用だと思います」
饗が六華を見て目を細めて付け加えた。
「我ら特有のスキルも、普段は使わない方が良いでしょう。驚かしてしまうことがあります。特に意思疎通や物質透過は下手に使用すると訴えられるのでお気をつけ下さい」
「俺。気を付けます」
ラファルはトレーニングの結果が出たことに喜ぶも、一抹の不安を感じた。
「困ったら一人で悩まずに自分達や近くの人に相談するのも大切です」
ドロレスはそう言うとメモを取り出す。
「わたくしの連絡先です。ご自分で御洒落を愉しむようになって、服や下着で困った事があれば連絡してください」
「一番大切なのはやはりお友達なのですよぉ〜。六華ちゃん、お友達になりましょう〜。あたしの連絡先ですよぉ〜。何かあったら連絡くださいねっ」
「ありがとう」
深森とドロレスの携帯番号とメアドを渡され、六華は微笑む。
饗は幼児向け道徳絵本とDVDをプレゼントした。
「人の世での善悪やルールを簡単かつ簡潔にまとめているシリーズです。見ておいて損はないし、物語としても楽しめるでしょうよ」
「俺。もっと勉強します」
「デジカメで記念撮影しようぜ! 友達だもんな」
相馬の言葉で、1枚の集合写真が撮られた。
それは、終わりではなく始まりの記念。
「ようこそ、久遠ヶ原学園へ。僕達は君を歓迎するよ。分からない事や不安があれば、いつでも頼ってくれたまえ」