●女湯掃除
中島 雪哉(jz0080)が手を挙げたことにより、施設側は急遽清掃員を募集することとなった。
女湯、男湯ともに清掃の必要があり、人手不足が心配されたがそれは杞憂であった。
「おっふろ♪ おっふろ♪ ほーかほっかお風呂〜♪」
腕まくりをしながら大狗 のとう(
ja3056)は鼻歌交じりに上機嫌で脱衣所で掃除道具を用意する。
「おっふろー! なんだね! のと!」
勢いよく走って大狗を追いき真野 縁(
ja3294)が一番乗りで女風呂に駆け込んで…盛大に滑って転んだ!
「ちぎ…孔〇の罠…なんだよー…」
そんな真野に蒸姫 ギア(
jb4049)は手を差し出して助け起こした。
「人界では、濡れた床で転ぶ事を孔〇の罠というのか。ギア覚えた」
ひとつ知識を得たことで納得する蒸姫であったが、それは間違いです。誰か訂正してあげて!
「大きなお風呂なんて滅多に洗う機会ないですよね、焔さん」
雪成 藤花(
ja0292)は星杜 焔(
ja5378)に笑顔でそう言った。
「そうだね〜、将来の為にもいい経験になりそうだよ〜。藤花ちゃん、指導よろしく」
にっこり笑って頭を下げた星杜に雪成は慌てて頭を下げた。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
星杜と雪成はお互いの夢を胸に秘め、頑張ることに決めた。
「むむ、これが普段入ることが出来ない秘境…ゴクリ」
清掃という大義名分で堂々と女湯に入った森田良助(
ja9460)はあらぬ考えを頭にちらっとよぎらせて頭を振った。
そんな森田の前を菊開 すみれ(
ja6392)がTシャツにショートパンツと濡れても大丈夫なような服装で現れた。
「掃除、頑張ろうね」
森田、菊開の笑顔とその姿にKO! …女湯を選択してよかった…。
「お風呂好きとしては気合が入るね…!」
「凪先輩、手伝います!」
澤口 凪(
ja3398)が気合いを入れてホースを持ち出したので、中島もそれを手伝った。
「なんだか久々に雪哉ちゃんとお仕事だねー」
「はい、よろしくお願いします! …えっと、このホースどうしたらいいですか?」
中島がそう訊くと、澤口はお湯の蛇口に繋ぐように指示し、中島はそれに従った。
「まず、ざっと汚れを流すのと洗剤が泡立つようにお湯で全体を濡らすんだよ」
「水じゃダメなんですか?」
「水よりもお湯の方が汚れが落ちやすいんだよ。最後に水で流すとカビさんが出にくくなるらしいです。おばあちゃんから教えてもらいました!」
エッヘンと胸を張る澤口に中島は感心した。
「よぉし! じゃ、やろー!」
そして2人は女湯全体にお湯をかけて回る。これでさらに床は滑りやすくなった。
香奈沢 風禰(
jb2286)は兄と慕う鳳 静矢(
ja3856)と共に掃除を開始した。
「…気をつけておかねば」
香奈沢の性格をよく知る鳳は自らも掃除をしつつ、香奈沢の動向を伺う。
そんな香奈沢は、デッキブラシで豪快に走り回る。
「シズ兄、フィー上手なの!」
調子に乗って走り回る香奈沢に悪い予感を覚えた鳳は警戒を強める。
と、案の定、足元が滑りバランスをかろうじて保ったまま香奈沢は鳳へと勢いよく突っ込んでいく。
「ああ、シズ兄どいてどいてなのー!!」
「風呂場で走るなー!」
スパーンと一発、香奈沢に鳳のハリセンが炸裂した! もちろん手加減はした。
お仕置き兼ブレーキとなったソレで、香奈沢はようやく止まると「ごめんなの、シズ兄…」としょぼんとした。
何 静花(
jb4794)は首に汗拭きタオルを掛け、儀礼服から体操服へと着替えると戦闘態勢に入った。
「どれだけ汚れを溜めたのか」
敵は風呂場の汚れ。容赦はしない。容赦はしない…はずだったのだが…
「落ちない」
隅の鋭角になった場所の汚れがなかなか落ちない。強敵である。
「そういうとこの汚れは…これを使うと落ちるよ」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が横から棒にスポンジを巻きつけた物を差し出した。
「なるほど」
受け取った静花は強敵にそれを擦り付ける。敵はあっさりと陥落した。
「感謝する」
「いいよいいよ。気にしないで。これ使って細かい所まで綺麗にしちゃおうか」
にこっと笑ったソフィアに静花は頷いた。ごしごしと細かいところを綺麗にしていくその後ろでは、デッキブラシの澤口とタワシの中島が仲良く掃除している。
「滑るから注意しろな」
「はい!」
静花の言葉に素直に返事が返ってくる。真面目なのはいいことだ。
「焔さん。酷い汚れは洗剤を使って少しおいておくと、落としやすくなるんですよ」
「なるほど〜。じゃあ早速…」
雪成と星杜はお互いに教え合いながら、デッキブラシで仲良くゴシゴシしている。
「皆でやると、やっぱり早いですね」
森田はタワシを使い、洗い場の排水溝や蛇口などを掃除していく。それは見事なほど綺麗になっていき、森田は少しだけ調子に乗ってしまった。両手にタワシを持ち2丁拳銃ならぬ2丁磨きで洗い場を磨いていく。
大狗や真野、蒸姫も最初は真面目に掃除していた。だが…
「のーと!」
「ん? …って、ぎゃわー!?」
突然、大狗の悲鳴が聞こえた。見るとスポンジで洗っていた真野が泡を流すためのホースを持ったまま笑みを浮かべている。
「縁、後で覚えてろよっ!」
大狗の言葉に、真野はさらににっこりと笑う。
「えーい! ギアくんにも!」
「わっ…ギアも負けないんだからなっ」
3人の水かけ大会は、ここに開催を宣言された。
そしてその空気は同じように泡を流すためにホースを持っていた香奈沢にも伝染した。
(これは…ありうるな)
鳳の嫌な予感、再び。香奈沢は真野たちに気を取られて蛇口を全開にしてしまった!
舞い踊るホースからは水が雨のように降りかかる。
「ああ、やってもうたなの! シズ兄、ごめんなの」
「やると思った…さすがフィー…」
謝った香奈沢だが、鳳は盾を緊急活性させたおかげで水に濡れずに済んでいた。しかし、被害は甚大であった。
「きゃあ!」
風呂場全体に降り注いだ水は、その場にいた全員に降り注いでいた。
「濡れちゃった…」
風呂の中を中腰で洗っていた菊開が、タワシをおいてTシャツの端を絞ると太ももに水が滴り落ちた。
「見よ! このタワシ捌き! ぬはははっ…はべらっ!!」
調子に乗っていた森田が一瞬菊開の姿に気を取られ、したたか膝をカランに打ち付けた。
「? こっち見てどうしたんです?」
「…な、なんでもないよ」
ハハッと笑って、森田は煩悩を捨て掃除に専念することにした。膝が…痛かった。
「誰かアイツラ縛っとけな」
真面目さゆえから静花が利き手を震わせながらボソッとそう言うと、ソフィアが笑った。
「まぁまぁ。皆頑張ってるよ? ほら、だいぶ綺麗になってるし」
ソフィアが言うとおり、女湯は大方綺麗になっていた。掃除がすべて終わったら記念に写真を撮っておこうと静香は思った。
●男湯掃除
「俺は掃除してでも温泉に入る!」
温泉に入るモード全開で龍崎海(
ja0565)はデッキブラシを片手にドンと男湯に入った。
女湯の掃除もできるということだったが…
「女性のバイトもいるんだし、掃除とはいえ女風呂には入りずらいしねぇ」
男・龍崎、真面目一直線。
しかし、そんな龍崎とは逆に男湯に入ってきた女の子2人組。駿河紗雪(
ja7147)と落月 咲(
jb3943)は物珍しげに男湯を観察する。
「おぉー、男湯初めて入りましたねー」
髪を高い位置に束ねた2人はジャージにTシャツとお揃いの姿でデッキブラシとホースを手にした。
「はてさて、どうやって遊び…キレイにしましょうかァ」
「咲ちゃん…頑張ろうね?」
「もちろんですよォ」
にっこりと笑いあった2人は、真面目に掃除をし始めた。
せっかく温泉に来たのに、掃除中で入れないとは残念だな。…どうせヒマだし、俺も掃除を手伝うか。
と、若杉 英斗(
ja4230)はデッキブラシ片手に男湯の掃除に来て駿河と落月という女の子2人を発見。
「これは…いいことをしようとした俺へのご褒美だな」と涙した。こんないいことが待っているなんて思いもよらなかった。
風呂垢もカビもどんとこい! エネルギー充填OK。若杉、行きます!
「慎殿! どちらがより綺麗に! 素早く! 掃除できるか勝負で御座る!」
静馬 源一(
jb2368)が緋野 慎(
ja8541)に挑戦状を突きつけると、九十九 遊紗(
ja1048)は目を煌めかせた。
「あはは! 2人ともガンバレー! 遊紗はカントク・カントク♪」
「よーし、負けないぞー!」
速さの緋野か、技の静馬か!? 小6男子、いざ尋常に勝負!
「うおりゃー!」
「わふ〜! 見敵必殺後! 汚れは残さぬで御座るぞ〜!!」
「がーんーばーれー! あ、すべって転ばないように気をつけてねー!」
九十九の声援を背に受けて、緋野は浴場内を駆け回り、静馬は目にも留まらぬ速さで一点集中に床を磨いていくのであった。
「うをぅっ!?」
「あ、慎君転んだ!」
影野 恭弥(
ja0018)はラズベリー・シャーウッド(
ja2022)に指示された場所を掃除していた。
「早く終わらせてのんびりしよう」というラズベリーの意見に賛成した。
デッキブラシでゴシゴシ、汚れが浮いてきたらホースで流す。それを繰り返す。
…ちょっと飽きたので、ラズベリーを見た。ラズベリーはいつもの格好とは打って変わってTシャツにジャージ、長い髪は高く結い上げられている。そして掃除に全力で取り組んでいる。
「…ふむ、こんなものかな…恭弥君、ホースの水で此処を流してくれないか」
影野は手に持った水の流れ出るホースとラズベリーを見比べた。そしておもむろにそのホースの先をラズベリーに向けた。
「ひゃっ!? ち、違う、僕を狙ってどうするんだい!?」
突然の攻撃にラズベリーは逃げるが、戦い慣れした影野は標的ラズベリーを的確に狙って水をかける。
「ぬ、わーー?!」
右往左往と逃げ回ったラズベリーは、濡れた床の餌食となった。
「………」
「恭弥君…君ってやつは…」
ラズベリーの目が怒っている気がしたが、特に謝るでもなく満足した影野は再び掃除を再開したのであった。
アダム(
jb2614)は初めての温泉に感動した。そして走り回った!
「ひろいっ、ひろいぞーっ!」
「アダム、そこ滑るから危ないよー」
「こら、アダム! 走り回ったら転ぶわよ」
クリフ・ロジャーズ(
jb2560)とシエロ=ヴェルガ(
jb2679)がアダムにそう忠告すると、ハッとアダムは我に返った。
「そうだった! 掃除だ! 俺がこの風呂を輝かせてやる!」
メラメラと燃えるアダムに、クリフとシエロは洗い場を中心に動き始める。
「しーちゃん、備え付けの物が少なくなってたら教えてね」
「クリフ、この中身少なくなってるみたい。ボディーソープね」
「ん。えっと他には…」
「クリフー、シエロー。これは? これは?」
まるで子犬のような目で洗い場に置いてあった全部の容器を持ってきたアダムに、クリフとシエロは「ありがとう」と苦笑いをした。
「よぉし! やるぞー!」
アダムは洗い場を徹底的にキュッキュと磨き始めた。
「やっぱり、綺麗なお風呂に入りたいわよね」
アダムの頑張りに、シエロが優しく微笑んだ。
「ふむ。日々の温泉はこの様な作業で支えられているのですね」
イリン・フーダット(
jb2959)は皆の作業を見ながら感心した。温泉の裏方作業に興味があったので参加してみたが…これは確かに大変な作業だ。
掃除道具の一通りの説明を受けた後、イリンは走り回る緋野を飛んで避け風呂の配管に目を付けた。
がっちりと湯垢でガードされたそれをまず、シャンプーとタワシで根気よく綺麗にする。
「浴槽や床等の汚れはもともと人から出る垢等が主成分と聞いた事があります」
真面目にコツコツ、地道な作業にもめげずただ己の信じる道を進むのみ!
そのかいあって、湯垢はきれいさっぱりと無くなった。しかし、問題はそこだけではないはず。
イリンは給水管、排水管に目標を定め実直に掃除をやりぬく覚悟であった。
駿河と落月は最初こそ真面目にやっていたが、今や水の掛け合いできゃっきゃっと遊んでいた。
「…あっ、手が滑っちゃった〜」
落月がわざとらしく駿河にそう水をかけると、駿河もうっかり落月に水をかけてしまう。
「ふふー。咲ちゃん、びしゃんこですよ? おぉー、私もですね」
若杉はそんな2人の流れ弾…ならぬ流れ水を浴びながらも、無心に掃除に励む。
「こうして風呂場の汚れを落としていくと、なんだか俺自身の汚れも洗われて行くようだな…」
邪念が消えていくようだ…いや、そんな邪念など最初から存在しない。…後ろの2人が気になってしょうがないなんてことはないんだ。
「勝負終わりー! ん〜慎君はいっぱい床のお掃除したしー、静馬君はぴかぴかだしー…両方とも勝ち!」
九十九が采配を下すと、緋野と静馬はお互いを讃えあった。
「次の勝負は負けないよ!」
「自分も負けないで御座る!」
「お疲れ様☆ それじゃ、お掃除しようね」
九十九と緋野と静馬は仲良く並んで掃除を始めた…かに見えた。
「のわっ!」
「きゃっ!?」
泡が九十九と静馬めがけて飛んできた。「にしし」と笑っていたのは緋野だった。第2回戦の始まりであった。
龍崎とイリンが黙々と掃除をすすめ、クリフとアダムとシエロの頑張りで洗い場が整備され、影野とラズベリーのちょっとしたハプニングもありながら、なぜか誰も止めることのない水かけ大会や泡かけ大会のなか男湯の掃除は終わったのであった。
●男湯入浴
掃除が終わると、施設の職員の点検の後にフロントで少し待たされた。
「皆さんのご協力で、温泉再開です! ありがとうございます!」
その声と共に、温泉は再開された。
星杜は温泉に入っていく人の流れに紛れて早々に体を洗い、男湯の隅っこに陣取った。
「気持ち良いね〜」
「あ〜、働いたあとの温泉は格別だな」
「…若杉さん?」
「あれ? 星杜さん」
2人が顔を見合せた時、隣の女湯から声が聞こえた。
『焔さん、気持ちいいですねえ』
「え、あ…うん、気持ちいいね〜…」
雪成の声に答えながら星杜が笑顔のまま若杉の方を見ると…
「大丈夫、今日の俺の煩悩は洗い流されたんだ…」
本当だろうか? 信じていいのだろうか? 星杜はそれ以上訊くことはできなかった。
「くはぁ〜温泉がしみるぅ〜」
森田は湯船にヒヨコを浮かべてご機嫌で演歌を歌いだした。心地よい疲れを心地よい温泉で癒す。なんていい気分なんだろう。今日の煩悩がすべて洗い流されていくのを森田は感じていた。
そんなおっさんぽい森田を横目に、のんびりと風呂につかる影野と温泉に入れた達成感に包まれている龍崎。龍崎は痴漢行為を警戒したが、どうやらその心配は杞憂であったようだ。
一方、掃除から一向にテンションが変わらない2人がいた。緋野と静馬の小6コンビである。
「よっしゃー! 泳ごうぜ、源一!」
「わふー! 了解で御座る! 泳ぐで御座るぞ慎殿!」
バシャバシャと泳ぎまくる小6コンビ。そんな2人を鳳が静かに諌めた。
「風呂は泳ぐ場所ではない。わかるだろう?」
「は、はい…ごめんなさい」
「すまぬで御座る」
素直な2人に鳳は優しく微笑んだが、謝った小6コンビは泳ぎこそしないもののまた騒ぎ始めた。
鳳がもう一度注意するか悩んでいると女湯から可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
『慎くーん、静馬くーん! 聞こえてるかな〜? 遊んでないでちゃーんと中に入ってるかなー?』
「お、おう! 泳いでなんかいないよー!? 遊紗もちゃんと温まってねー!」
「わ、わふ! 本当で御座るぞ!?」
…なんでわかったんだろう? …もしや遊紗殿は超能力者で御座るか!?
小声になった緋野と静馬に鳳は今度こそのんびりと湯船に浸かった。
クリフはアダムにタオルを渡し、タオルが落ちないように確認したうえで男湯に入った。
「ちゃんと腰にタオル巻いておきなよ?」
「う? なんでだ?」
「そういうもんなんだよ」
ほっぺポヨポヨしながら、クリフはアダムと共に温泉に入った。
「にゃ〜」
『クリフー。ちゃんとアダムの面倒見てる?』
シエロの声にアダムとクリフは「シエロだー!」「大丈夫!」とそれぞれ返した。
蒸姫は濡れた服を乾燥機に突っ込んで、最後に入ってきたころには浴室はそれはそれは賑やかであった。
●女湯入浴
雪成は隣の男湯からの星杜の声を聴いて安堵した。
今日はとても良い経験になった。将来の夢がひとつ近づいた気がした。
「藤花先輩だ! お疲れ様です!」
中島が元気よく声をかけたので、雪成は微笑んだ。
「お久しぶりです」
「藤花先輩! わ、お疲れ様です」
中島と一緒に澤口が雪成の傍に身を沈めた。
「体動かして働いたあとのお風呂は気持ちいいね〜」
「雪哉君、お疲れ様」
ラズベリーが少し遅れて、湯船に入った。
「シャーウッド先輩こそ、お疲れ様です」
にこっと笑った中島に、ラズベリーは苦笑した。
「最終的に温泉に入るという目的があるとはいえ…雪哉君もお人好しだね。掛け値なしに困っている人を見過ごせなかったのだろう?」
「う〜ん…お人よしかな? ボク、皆に笑っててほしいだけなんですけど…」
考え込んでしまった中島に、ラズベリーは笑う。
「君のそういう所が、僕も好きなんだけどね」
ラズベリーの言葉に中島は一瞬顔を赤くして、力説した。
「だ、だったらボク、一緒に頑張ってくれるシャーウッド先輩も藤花先輩も凪先輩も好…って凪先輩!?」
隣にいた筈の澤口がいつの間にか湯船の中に沈んでふやけている。ラズベリーと雪成と中島で澤口を引き上げると「ふきゃー…」と澤口は赤い顔で呟いた。
「湯あたりかな? 一度湯から出るといいよ」
「そうします〜…」
茹でウサギ澤口はふにゃ〜っと洗い場へと歩いて行った。
心配そうに澤口を見送る中島に、雪成はふと思っていたことを口にした。
「中島さん、最近前よりも可愛くなった気がしますよ?」
「…え!?」
雪成の顔は茶化すでもなくいつもの優しい笑顔で、中島は赤くなりながら「ありがとうございます」と言いながら湯船に沈んでいった。
「あ、雪哉ちゃんだ! 雪哉ちゃんもお疲れ様〜! …ってなんで沈んでるの??」
中島を見つけて駆け寄ってきた九十九が不思議そうな顔で訊いたが、中島はどう答えていいものか返答に困っていた。
雪成はのんびりとすぎる時間に感謝した。
駿河は落月とゆったり湯に浸かっていた。
「はふ〜…。たまにはこんな時間も必要ですよねぇ…」
「んぅー、極楽ごくら…」
落月が駿河のその言葉にニヤリと笑顔を見せた。
「…ぃえ、何も言っていないのです。それより咲ちゃん、肩まで確り浸からないと風邪引いちゃうですよ?」
「? 浸かってるよぉ? 沙雪ね…!?」
落月が言い終わる前に駿河に抱きつかれ、一緒に湯船に沈んだ………ぷはぁ!
「紗雪ねぇまで沈んでどーするのぉ!?」
「おぉーこれはうっかりですー」
2人はふふっと笑いあい「紗雪ねぇ、お背中を流しますぅ」と洗い場に移動した。
菊開が湯船の縁に両手をついて洗い場を眺めている。
「この学園ってスタイル良い子が多いよねー」
にこにこしながら他の女の子たちを見て、幸せそうである。
そんな幸せそうな菊開の横でほどいた黒い髪を縦横無尽に湯に浮かべて「ブクブクブク……」と静花が沈んでいる。
「お疲れ様。きれいにした後のお風呂は気持ちいいよね」
静花が湯船でしていると声をかけたのはソフィアだった。のんびり笑ったソフィアに静花も無言で頷く。
「掃除の疲れもここでとっちゃおう」
「かぽーんなの、かぽーんなのー」
香奈沢は持ち込んだアヒルとひよこを楽しそうに風呂に浮かべて温泉を堪能していた。
「シズ兄ー、そっちはどんな感じなのなのー?」
『良い湯加減だよ』
「そっかぁ」
アヒルとひよこが仲良しこよしで揺れている。それが大好きな2人と重なって見えて香奈沢は嬉しそうに笑った。
「はぁ…最高ね…気持ちいい…」
シエロは1人、ゆったりとタオルを巻いて湯に浸かる。
「クリフー。ちゃんとアダムの面倒見てる?」
『こっちは大丈夫だよー』
『楽しいぞーシエロー』
楽しそうな2人の声に、シエロの疲れもゆっくり流れていった。
大狗はくてーっと足を伸ばして温泉を満喫していた。
「ふぁ〜…気持ちいいのにゃあ 」
「うにー、労働後の一風呂は身に染みるー! なんて!」
大狗と共に掃除した真野もその隣で体を伸ばす。
「…縁の髪の広がりは、軽くホラーであるな…」
真野の長い髪が湯船に広がり、緑の髪はまるで…。
「そうだ! 縁、髪の洗いっこしよう!」
ざばーっと大狗は勢いよく真野と共に洗い場の前に陣取る。
お互いの髪にシャンプーを付けて、まずは大狗がやってもらう番である。
「目がぁ、目がぁぁ…! ってならないか、すっげー不安なのよな…」
「そ、そんなことはしないんだよー」
縁はそう言ったが…
「やっぱり入ったぁ!」
「うにぃ! ごめんなんだよー」
慌てて桶にお湯を汲み、大狗の目を洗い流す。
「大丈夫ー?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
覗き込んだ大狗の目は多少赤かったが、開かないほどではないようだ。
ほっとしたのも束の間、縁は見てしまった。
大狗の隠されたバストの本来の姿を…!
ふと見れば菊開や雪成…周囲を見渡し、思わず自分のを見た。
これが…胸囲の格差社会…!
「そういえば、男湯の声聞こえてたのな。ギアー、そっちはどうだー?」
大狗がそう声をかけたのを聞いて、真野は思わず言ってしまった。
「ギアくん…! 蒸気で胸おっきくならないかなー!」
返答は直ぐに来た。
『そんな事、万能蒸気にかか…って、な、は、恥ずかしくないんだからなっ』
蒸姫の語尾が明らかに動揺している。きっと壁の向こうで赤くなっているに違いなかった。
そんな会話が聞こえてきて、体を流していた澤口は思わず自分の胸を見降ろした。何年も見慣れた風景に軽く涙した。
「あ、あの大丈夫? …気にしちゃダメだよ?」
澤口の様子に気が付いた菊開がフォローに走ったが、菊開との胸の差にさらに澤口はがっくりと項垂れた。
●温泉フロントにて
「ラズ、これやる」
温泉のフロントには温泉を堪能して出てきた者たちで溢れかえった。その中で影野はラズベリーに冷えたフルーツ牛乳を差し出した。
「これは先ほどのお詫びのつもりかい?」
ラズベリーがそう聞いたが、影野は特に肯定するでもなく否定するでもなく表情からは何も読めない。
「…ありがたく受け取らせてもらうよ」
微笑んだラズベリーに、影野もフルーツ牛乳を一口飲んだ。
雪成と星杜は仲良く温泉卵を食べている。雪成の提案だ。
「牛乳もあるみたいだね〜」
「後で見に行ってみましょうか」
星杜がそう言うと、雪成は優しく微笑んだ。
「日本のお風呂マナーなのな! いいか? 風呂上りはコーヒー牛乳を飲むんだ!」
大狗の言葉に真野と蒸姫はコーヒー牛乳を手にした。それを満足げに見て大狗はさらに続ける。
「腰にこうやって手を当てて…ぐびっとー!」
『ぐびっ!』
大狗と真野と蒸姫…の他にも、龍崎、鳳、香奈沢、菊開…。
いたるところで伝統ある腰に手を当てコーヒー牛乳の儀がつつがなく執り行われた。
「風呂上りはやっぱりコーヒー牛乳でしょ」
龍崎はやり切った感に大満足で頷いた。
牛乳を飲み終えた香奈沢に、鳳は頭を撫でて言った。
「まぁ色々あったが…今日は良く頑張ったな、フィー」
「フィー、頑張ったなの!」
ベンチで森田と若杉が少し湯あたりしたようで、赤い顔でくたんと座っている。
「牛乳冷たそうだなー…」
「美味しそうだよねー…」
2人の意見は一致していたが、湯あたりで動けそうもない。
「んぅー? 大丈夫ですー?」
「紗雪ねぇ、大丈夫じゃなさそうですよぉ? 冷たい物いりますぅ?」
駿河と落月が気を利かせて、森田と若杉に冷たい牛乳が差し入れられた。
「助かった…ありがとう」
「美味しいよ〜! ありがとう!」
飲み干してお礼を言った若杉と森田に駿河と落月はにっこりと笑って「いえいえですよー」と去っていった。
残された若杉と森田。鼻の下が伸びてますよ!?
「…これもきっと煩悩を洗い流したおかげだな」
「煩悩って捨ててみるものですね」
洗い流したはずの煩悩が、煩悩が…!
「はい、いちごみるく!」
アダムがシエロとクリフにいちごみるくを渡すと、さらにじゃじゃーんと取り出したある物。
「すごいストローみつけたんだ! いちごみるくがもっとおいしくなるんだ!」
「これはちょっと恥ずかしい…」
「このストロー何処で買って来たの…」
アダムが持ってきたのはハート形のストローで、どん引きのシエロとクリフにアダムはしっかりと手渡した。
「あ、雪哉ちゃん。いちごみるくどうかな?」
通りかかった中島にクリフが声をかけると、中島はぱぁっと顔を明るくした。
「いちごみるく! ハートのストロー!」
どうやら中島はストローを気に入ったようだ。
「それじゃ、かんぱーい!」
ストローで飲むいちごみるくはなんだかとっても甘い気がした。
「ご馳走様でした! あ、お金…」
ガサゴソとカバンを探り出した中島をクリフは止めた。
「頑張ったご褒美だよ」
「え!? でも、でも…」
中島がワタワタしている間に、シエロはごそごそと何かを取り出した。
「あ、そうだ。この前のお礼なんだけど…どうかしら?」
シエロが綺麗にラッピングされた小さな包みを中島に差し出した。
「ボクに…ですか?」
中島がそれを受け取って開けると…花の形の金属が付いた髪ゴムだった。
「受け取ってくれるかしら?」
「も、もちろんです! 嬉しいです! ありがとうございます!」
中島はさっそく髪にそれを着けた。
「うん、似合うよ。よかった」
シエロが微笑んだのを見て、中島は深々と「ありがとうございます」とお辞儀した。
「ボク、温泉来てよかったです。疲れなんて吹っ飛んじゃいました」
疲れも吹っ飛んだが、いちごみるくの代金のことも中島の中から吹っ飛んでいた。
イリンは温泉の施設について色々訊いていた。
「温泉の成分によって汚れも違ってくるものでしょうか? 利用者の年齢によって汚れの具合などは違うのでしょうか?」
質問は様々なもので、施設の人は多少言葉に詰まりながらも懇切丁寧に説明を続けていた。どうやら温泉に入らずに掃除以後もずっとこうして質問を続けていたようだった。
風呂から上がり、儀礼服に着替えた静花がふと目の端に何かをとらえた。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
ソフィアが静花にそう声をかけると、静花は「いや」と答えた。
「一戦交えていこうと思っている」
「一戦?」
そして、その視線の先をたどると…卓球台が置かれていた。
静花とソフィアは顔を見合わせると、ニコリと笑いお互いに卓球台へと向かっていった…。