ちらちらと火粉が舞う。
消えない。失せない。人の意識に入り込み、魂を燃料に動くのだ。
それは蝕む冥界の赤。群れを成して動く魔性の火。
この地にある物を喰らい尽して動き出す。
戦乱の気配がする。死の足音がする。破滅の色が、ほらそこに。
――それでも否と、その眼を見開くならば。
●
冷たい風は命の気配を覆い隠していた。
冬とはそもそも、生物の活動出来る季節ではない場所とてあるのだ。
ある意味で死の象徴そのもの。これから先、長時間、外気に晒されていれば命とて危うい。
息を吐けば、風の一部が白く染まる。温もりなど何処にもなく、音は静まり返っている。秋の筈だが、もう冬の有様だ。
「紅葉の季節……の筈だが」
あるべき紅がない。ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)は口の中に苦みを覚え、表情を歪ませる。
季節の移ろいに赤は必須。だが、血の赤さは要らないと断じてはいた。だが、枯れ木と果てた樹木を見て、嫌な予感しかしないのだ。
遅かったのか。或いは、歩む道を踏み間違えたのか。
流血の予感。避けられないとさえ、感じてしまう。
だが、考える時間はない。渋川市のゲート攻略戦は既に始まろうとしており、人員を裂いてのこの救助部隊なのだ。求められるのは迅速さ。そしてゲート攻略へと戻らなければならない。
少なくとも戦力を低下させている状態で向かっている仲間がいる。何時ものように気楽に空を飛べる訳ではないのだと、ユウ(
jb5639)は瞼を落す。
一瞬の沈黙。だが、翼持つ天魔が先んじる為、上空へと飛び立つ。
「問答をする暇は、ありませんね」
その呟きを残して。本来であれば、翼を持つものが飛べない者を抱えて急行したかったが、人間ほどに重いものを抱えて移動しては逆に時間が掛かる。
故に、最短となるのは人々がいる場所の目星を付ける事。ユウが飛び立ち、山の中腹にある遠目にでも解る程、立派な旅館を見つける。地図通りだ。位の高い旅館はそう幾つもある訳ではない。
そこから昇る、食事を作る煙もこの地にはある筈のないもの。あそこだと、完全な確証を抱いて、地へと戻るユウ。
そこでは険悪な空気が流れていた。
いや、一方的な激発の気配というべきだろうか。少年である火明が睨みつけるようにしてゼロ=シュバイツァー(
jb7501)を見ている。
「ようクソガキ。少しは強くなったか?」
「……応える必要は、ないだろう」
視線を逸らして応える火明。
素直になれない子供の心理。そしてねじくれながらも、真っ直ぐに母親の元へと駆け付けたい、怒りに似た激情。本人もそれで解決するものではないと知りながら、だからといってありのままに受け止められない。
人に聞かれればまだまだ子供のように扱われていると感じるだろうと、ゼロは意思疎通を使用して呼びかける。
『……約束とリベンジ。やることがいっぱいやな。が、感情に任せて動くな。俺も、お前も』
返ってきたのは爆発寸前の怒りそのもの。睨みつけ、言葉として吐き出すようにして真正面からぶつける。
「俺を、信じられないのか……!」
信じて欲しいし、信頼されている自分でありたい。
いいや、だからこそとそんな火明の視線を受けて、ゆっくりとゼロは唇を動かした。
「いや……信じているから、応える必要はないだろう」
言わなくとも火明はそれ位出来て当然だ。足手まといなどならない。
助けたいという義の意志。決して軽いものではない。火の明りとは、母親もよく名づけたものだ。心の持つ熱量は火の如く、けれど明りのように周囲を照らす。
名は体を表すというが、これは育てた親の気質なのかもしれない。
「ま、親子の再開は任せておきなって。何もかもひとりでする必要ないからさ」
阻霊符を展開しつつの海城 恵神(
jb2536)だ。
人間は弱く、守ってやらなければならないと感じているが、ただ守られる存在でもあるまい。
いや、守られる事を良しとせず、己が二本の足で歩むからこそ、守るべき存在、守りたいモノであるのかもしれない。
渋川市。今や残っている人間の数は少なく、悪魔の園で働かせる侍女ばかり。
それでも残っている。助けを求めている筈だから。
「急がなきゃだよねっ。皆集まって♪」
僅かに抱いた念を振り払い、藤井 雪彦(
jb4731)が紡ぐのは俊足、韋駄天の法。
救い出す腕、届くに未だ遅い筈はない。例えそうだとしても、時の針が進むより早く駆け抜けるのみ。
だが、烈火のようにではすまないのだ。その熱、戦激の嵐に巻き込まれて飛び散る血が出ない為、そっと屈んで火明に視線を向けるユウ。手には火明ようの防寒具。柔らかなダッフルコートと、手袋。
言い聞かせるように、瞳を覗きこむ。
「貴方に何かあれば、お母さんと妹さん、そして生まれてくる赤ちゃんが悲しみます。だから自制は忘れないで下さいね」
返答は無言。けれど頷き、手に取られて纏われた防寒具が肯定の現れ。
そして駆け出す。最早、原型を保てない荒れ果てた地面と路を。かつて群れなす魔が蹂躪し、人から全て奪ったその場所で。
けれど、たった僅かに残った人を救う為に。
「……母さん」
火明の祈る言葉が、呟かれる。
●
最短、最速――戦場となった主戦力の撃退士の選ぶのはそれだ。
一条の矢の如く、怒涛の勢いで突き進むのは消耗戦など愚の骨頂という意志の現れか。
少なくとも、ゲートという城を攻め落とすに当って、疲労の上に能力を奪われ、削り殺されるという選択は賢いとは言えない。無尽蔵に敵が沸き、悪魔とヴァニタスが控えている場、そしてコアさえ破壊出来れば勝ちという観点を見れば、電光石火の迅こそが求められるのかもしれない。
故に敵の防衛を貫く鋭刃と化して突き進むのみ。刃毀れとして身から噴き出る血潮の熱さと痛みも是と見做すしかない。
よって今や乱戦。最短最速の攻勢は、逆に相手の最硬の防御陣系で迎え撃たれるという事に他ならず、三方から放たれる音波によって吹き飛ばされ、鷲頭の熊の爪撃で斬り裂かれる。少しでも孤立すれば、群れを成した狼が強襲して、その喉笛へと牙を――
「善哉善哉。世は押し並べて易きは無し、と」
――届けるその瞬間、鷺谷 明(
ja0776)が斬り払う直刀にて先陣を切る筈だった狼の肩口が斬り裂かれる。
「容易き死も生もない。戦ならばなおさらに。隙を晒せば虚無に転がり落ちるものよ」
鷺谷の言葉は激戦の中であればなおの事。今まで何度仲間の窮地を救ったか解らない。遊撃であり、援護。隙を晒したものから命を落とすであろう中、旋風を巻き起こす颯のように地を蹴る。
袈裟に斬り捨て、続く二匹目へと切っ先を向けた瞬間、壁を蹴って建物の上へと逃げる狼。このディアボロも決して深追いはせず姿勢を崩した者のトドメにと動いていた。
ようするに、拮抗している。役割は共に同じであり、牽制しあっていると言っても良い。
「遊撃と強襲、ね。お互いに考える事は同じって訳」
呟くと同時、異音を立てて伸びた蛙の衝撃波に肩を撃ち抜かれながら、神喰 朔桜(
ja2099)は漆黒の雷槍を無挙動で紡ぎ、放つ。感電して焼け爛れた蛙の体表。けれどトドメはさせないと五十匹から一群となる小蛙の群れが前へと殺到し、負傷した大型蛙は後ろへと。
文字通り決定打が足りない。ゲートに突入する前に完全な群れ、いや、軍と構築されたディアボロに迎え討たれている。火花と血は激戦の様を飾り、後退していくディアボロは撃退士の士気の高さと武の猛りを示している。
けれど。
「決定打が足りない……」
神喰が負傷の為に後退する中、誰しもが想う。討ち抜く為に束ねる切っ先が足りないのだと。
戦の正道は基礎だ。それを抑えていれば負けはしないが、逆に互いが奇策に走らないのであれば数と質の正面からの激突となる。質では撃退士が遥かに凌駕しており、討ち取られたディアボロの骸が散乱している光景が事実であると示している。
それでも突破出来ない。数で勝っている事を誇示するよう、半円に広がりつつ防御と迎撃に徹しているのだ。いずれは勝てるだろうが、避けたかった筈の消耗戦に持ち込まれている。
「贅沢を言えば、もっと戦力が欲しいのですが……」
熱い溜息。雫(
ja1894)とてそれがどんな贅沢かは解っているつもりだ。
今ある戦力、奮う武にして突き進むしかない。理解している。妥協も諦観も捨てているのだ。手にした巨剣の柄を握り締め、前へと躍り出る雫。
そして放たれる地を擦る斬刃。月の如し。冴え冴えとした飛翔斬は前へと出てきた小蛙の群れを纏めて斬り裂いて吹き飛ばす。
剛剣が唸る度、音波の作る壁を斬り砕いて、死骸を散らす。鮮血の赤を周囲に舞わせる。
「急いで下さい……もうすぐ、ゲート内部に突入します」
以前、こんな事があったと、雫とて覚えている。京都が封じられる前、ゲート前で戦力を削いで後退し、内部で決着をつけようとした使徒の男がいたことを。
疲労と負傷、加えてゲートによる減衰効果。それらが重なった瞬間、身体は酷く重くなる。気合を入れた所で無意味と笑われてしまう程。
未だ前衛と後衛を入れ替える防御主体の蛙は殲滅しきれていない。だというのに、本番ですらないのだという事は。
「成程。あくまでこれらは消耗狙いか」
ゲート戦を籠城戦と見立てれば神凪 宗(
ja0435)の呟きも最も。消耗させて消耗させて、疲弊させた上で城内に引きずり込み、地の利を活かして撃破する。
悪魔とて無策ではない。流した血を笑われた気がして、僅かに頬が歪んだ瞬間、横手から轟音を伴った腕が振るわれる。
反応は咄嗟。瞬間的に隙ありと見た鷲頭の熊の巨腕を避ける神凪。交差した瞬間に手にした双剣を振い、胸を十字に斬り裂くが、浅い。この程度では命へと届かない。
「だが、こいつを俺が引き付ければ……」
その間に仲間が討つ筈。故に神凪が対峙するは真正面より。荒い獣息は、腐臭に塗れている。剛力に優れた、ツギハギの化け物。
動く。その気配を感じた瞬間、空を滑るか細い何か。
「よう、テメェら自慢の力で、自分の首を斬り裂きな」
首に巻き付いたのが何なのか、何を意味かるのか知覚するより早く動く鷲頭。例え力が優れていようと、所詮は獣――ヤナギ・エリューナク(
ja0006)が手繰り、首に巻き付けた斬糸が喉元を斬り裂いて、頸動脈まで深々と食い込む。
「相手を利用してこそってもんだ。クールだろ? 余計な力なんざ、いらねぇよ」
致命傷を負い、膝を付いて崩れ落ちる鷲頭。飄々としたヤナギだが、ディアボロの力を利用したせいで指先が深く切れて血が滲んでいる。
「しかし、背面も側面も突けないとなると……真正面から、か」
神凪の手に持つ禍々しい双剣が火を灯す。
振うと同時に放たれる火走りは狂した蛇の如く、蛙の群れを飲み込んで燃え盛る。業火の前に共鳴による音波の壁は焼き張られて、威力を減衰するも即死を免れるのみ。
それでも僅か一部というのが悔しい。神凪を危険視した鷲頭が今度は二体合わせて強襲し、うち一体の豪打を腹部に受ける。全てを避けるというのは不可能。それは互いにである筈だと強く信じるから、口に溜まった血を吐き捨てて、双剣を構えた。
この1kmに渡る消耗戦の中、より削れたのはどちらだろう。
そして、雌雄を決する時、最後まで立って入れるのは。もはや半壊し、ゲート内部へと流れ込むディアボロ達だが、撃退士達の負傷とて軽くはない。これからゲート内部へ追撃を仕掛けると考えれば、一気に不利になるかもしれないのだ。
「それでも……威鈴がいるなら、戦える」
手にした武器は血に濡れ、刻まれた傷跡も少なくはない。浪風 悠人(
ja3452)ほどの手慣れであれ、身体は休息を求めていた。疲労に疲弊。真っ当に考えるなら後退して休息すべきだが、ゲートからは時間さえあれば時空を超えて増援は幾らでも来る。休息し、立て直す時間を与える事になってしまうのだ。
「……休息は、取れるかしら?」
御堂 龍太(
jb0849)も傷だけで、相手の後退と共に膝を付く。
範囲攻撃で押し潰す。それは間違った選択ではなく、正しいものだ。が、その後の狙うべきターゲットの分散。行ってしまえば連携が上手く成立せずにこの状況。誰が正しく、何が間違っているのか、解らない。
だが、隣りに立つ浪風 威鈴(
ja8371)という少女の温もりは判るし、悠人には信じられる。繋がれた手。結ばれる指先。もう一度、こうして繋ぎ合わせようと、強く、堅く。震える心を鎮める程、暖かい絆。
それこそが絶対の誓い。これこそが悪魔にも潰せぬ願い。
「悠と一緒なら、怖くない……戦おうよ、そして、勝とうよ」
戻る為に。そして全てが終わったら、この地に来て笑おう。
冬を迎え、春になれば桜と共に笑顔が舞い散る筈だと、威鈴は笑う。それを共に見たいから、戦って、勝つ。恐怖なんて、ない。
「カエルが引っ込んだって事は……次こそ、かねぇ」
味方から後方に離れ、索敵を続けていた矢野 古代(
jb1679)が唇を歪める。
あのヴァニタスは性悪な奇手打ちだ。乱戦の中での狙撃など狙ってくる可能性は十分にあったが、何故だかそれはなかった。では何故と問いかけ、思考を止めずに導き出したのは一つ。
「……ゲートの中に罠か」
苦戦している。苦戦しているが、押しているのだ。
奮戦して勝利を掴もうとしている流れと言い替えても良いだろう。だが、故にと気力を振り絞って突き進む瞬間を狙えば、動きは止まる。全力で動こうとした瞬間に躓けば、そのまま崩れるのは簡単だ。
――自分達が掴みとった勝利への道だと思えば、疑惑が抜ける。穴に堕ちる。
「が、俺もそう単純じゃない。罠があるなら、覚悟して挑むのみだ」
「ああ、思い出しただけで傷が疼くゼ……絶対、何かある気配だ」
矢野の隣に立つヤナギも口にする。ならば罠を確実に設置される前に、更に加速して挑むしかないだろう。
休息などない。傷を癒す暇など与えてくれない。
悪魔とその従僕と戦い、そんな余裕がある筈はないのだ。
――死にたくない
そう間下 慈(
jb2391)の胸の中で、リフレインが起きる。
手にした散弾銃も震えている。後衛前衛の区別などなく、深さの差はあれど誰しもが負傷していた。
無傷などあり得ない。それは更に苛烈なるものへと変じるだろう。命さえ、危うい程に。
けど。
――負けたくない。
その一年で奮い立つ慈。陽炎のような銀のアウルを纏い、仲間に続くように足を踏み入れる。
自分達が斬り拓けば、後に続く仲間とているのだ。
「負けたくない。皆と、共にだから」
己一人では成しえない事だからこそ、信じ、束ね、貫きたいのだ。
この地で群れ成す悪魔の脈動、その核を。
●
古き趣と時代を積み重ねて成り立つ旅館。
今まで擦れ違った、荒れた建物と違い、手入れは丁寧に。未だ人や主が訪れている事を示す庭へと入り込んだ瞬間、獣の呻り声が響く。
狼型のディアボロ。その数は、三。正面を警戒していただろうそれらが牙を剥く。
「君達に構っている時間はない、ってね」
光の翼にて上空に飛ぶ海城。手にした鞭には、破壊の力を秘めた黒光を纏わせるが、それより早く躍り出る影。
ジェラルドが手にした直刀は冷たく光を反射している。それこそ一瞬、一秒。仲間への警告と逃亡をする隙を与えぬ間にと、薙ぎ払われる一閃。
「女性がいるって聞いて来たんだけれどね……番犬はお呼びじゃないんだ♪」
煌めきと共に飛び散る血飛沫。神経の集まる喉の付け根近くを斬り裂かれ、一匹が意識を失う。その瞬間こそが好機と、ゼロが数多の血を啜った斧を振り翳ざし、ユウが突進と共に、勢いを乗せた馬上槍にて狼の胴を貫く。
「ここで有利になっておきたいし、ねっ」
そしてトドメとなる藤井の放つ魔炎から形成る剣の閃光。喉を貫き通し、燃え上がって口から火の粉を吹かせる程に苛烈なる炎だ。
一斉攻撃にて仲間が倒れたと解った瞬間、ディアボロ達に動揺が走る。
「そこだ!」
そして見逃さず、海城の鞭から放たれる黒光の衝撃波。
破壊の為に薙ぎ払い、打ち砕く技。黒き破滅が奔り抜け、身を打ち据えられた残る二体のディアボロが取ったのは、全力での後退だった。
「……ちっ」
合流する気かと即座に追撃へと走るユウ達。だが、それは本当に僅かな短時間で終わりを告げる。
走り抜けたディアボロの目の前に、先程の音は何だったのかと外に出てきた女性がいたのだ。
危ないと、声を出すより早く。
それこそ、有り得ない程の、それにとってはそれが当然さで――狼のディアボロは、撃退士に向き合う。まるで、人間を庇うように。旅館の入り口にいた女性を、守るように。
そして。
「あ、え……悪魔と、天使……!?」
困惑の声を漏らす女性。
光と闇の翼は未だ継続中。そしてこの地は閉ざされていた。
撃退士と知るよしはない。隠すべき事だったのに、ごく当然の利として発動させている。
故に敵か味方か。少なくとも自分を守るように立ち塞がるディアボロに害意も敵意もない事だけは解り……立ち止まる。
「逃げて下さいっ! 私達は撃退士です」
ここは悪魔に閉ざされた地。天魔が撃退士と認められた事を認知していない可能性を咄嗟にユウが導きだし、翼と武器を仕舞い、学生証を見せる。
「そうそう。久遠ヶ原の生徒、正確には撃退士の卵ってね。美しいものを失わせない為に来たよ……って、ほら、危険だ。助けると決めているから、今は逃げてくれないかな?」
少なくともディアボロに、女性への敵意はない。だからこそ逃走は容易な筈なのだが、状況を理解仕切れずに狼狽えるばかりである。
「人質とか卑怯な事はさせねぇし、そんな奴らには負け犬の称号くれてやるよ。だから、逃げな」
逃げろ。逃げてくれ。この位置は、攻撃を巻き込む可能性が高すぎて、このままでは戦闘など出来ないのだ。
重ねた言葉は、救助の知らせそのものだ。救いに来たと数分かけて理解した女性は、けれど、だからこその言葉を紡いだ。
「何処に、逃げれば良いのですか……?」
「……っ…!?」
この地は悪魔のもの。此処を出ても助からない。いや、もしも逃げようとして。
「そのディアボロが、お嬢様が、私達を捉えて殺さない、確証は……?」
助けるならば、完全に護衛をつけなければいけない。
だが、その安全を保障しきれていない。逆に冥魔の女性は、少なくとも身の安全を保障されている。
つまり――逃げる必然性がないのだ。逃亡するという事が危険過ぎて、出来はしない。
ならばどうするとゼロは考え、口にする。
「信用出来ないなら、この子を信頼してくれや。火明という名……この子の母親が此処にいると聞いてるんや」
「い、いますけど……」
「彼女は妊婦と聞いています。彼女とそのお腹の子の危険性を説いて、悪魔と交渉してでも助けますから」
「……お嬢様は」
そう告げた時、くすりと冷たく笑う気配。
「ね、なら……私がみんなこの場の撃退士をこんがり焼くのはどうかしら?」
まるで紅茶とスコーンを楽しむような、そんな緩やかな午後の時間にいるように。
悪魔たるルルーは、微笑みながらその姿を現した。
「ねぇ、たったその人数で、私と戦って、勝てる?」
敵意はなく、殺意はない。
ただ、ゼロの身体が震えた。藤井は距離を後ろへと後ずさり、海城は交渉するユウの横に並び立つので必死。
「……確証はありません。けれど、その女性たちに情があるなら、せめて火明のお母さんだけでも」
「そうよね。命って大切よね? なら簡単にしましょう。私も命は大切だから、あなた達は通信機を全て破棄して、此処に残りなさい。監視にディアボロは残してあげる」
「……え?」
「花火が上がるかどうかまで。一緒にみましょう。ほら、何しているの。私の焼いたクッキーを出してあげて」
くすくすと笑うルルー。悪魔の笑み。
つまる所、破滅と滅びへと転ずるのを喜んでいる。
激昂した火明をゼロが後ろから羽交い絞めにして止め、悪魔に単騎で挑むという自殺行為を止める。その間に、全てが解ってしまったのだ。
「……戦力を二分させて、その間に」
「その間に、撃退士の命で花火を上げる。楽しそうでしょう? それとも、此処で花火をあげる? 真っ赤な血で」
瞬間に吹き荒れた魔力の凶嵐。
全力で闘えば、全てが終わる。一瞬でくしゃりと潰れる。この人数で闘って、勝てたとすれば半数が死ぬ。
抗うのは簡単だ。ただし、紙切れのように一瞬でくしゃりと潰される。
その事実を踏まえて、藤井は言葉を紡いだ。
「くーやっばぁー悪魔だけど綺麗じゃーん☆ 判ったよ、それで、そこの女性全員が助かるんだな? なら、お茶でも一緒しようか。いや、俺もみんなも飲まないけど」
ただ、勝つのは自分達。戦力配分や、悪魔を納得させるだけの材料を持ち出せない儘に、時間が過ぎて行く。
悪魔は笑う。
可憐にして毒持つ花びらの色で。
少なくとも、女性たちを救う事には成功した。
悪魔がディアボロを連れてでも、これだけの人数の女性を連れ去っていく事など不可能なのだから。
いや、可能でも、お気に入りの一人の命が危ういかもしれないとなれば――此処は一度引くのがよいと、そう判断したのかもしれない。
「まあ、ゲート狙いの二つ取りではなく、完全に私を説得しようとすれば、或いはだったかもね?」
そんな思惑を見透かす言葉が、するりと流れた。
二兎を追う、その狙いさえなければ、或いはと。
●
故、全てはこの場に集約する。
戦乱の凄まじさたるや鋼鉄の激突。灼熱の鋼がぶつかり合い、砕けて割れながらも幾度となく絡み合う。
或いは血の旋風か。悪魔のゲートの中で、死が無尽に溢れて行く。
「潰れろよ……!」
横手よりヤナギの放った土遁が周囲の蛙を押し潰し、神凪の火遁は直線状の蛙を薙ぎ払う。
共鳴にて相殺し、生き残ったものが紡ぐ衝撃波。咄嗟に威鈴の放った回避射撃で悠人へ向かったそれが相殺した瞬間、彼の手にした武器に宿った黒光が断罪の黒刃と化す。
「もう、時間はないんだ」
いきなり救助班と連絡の途絶えた今、何が起きているか解らない――だから、自分達こそが、例え助力はなくとも本命を遂げるのだと、猛る武威が渦巻くアウルとなり、唸りを上げている。
残る蛙を全て射程に入れた一撃。鷲頭が間に割って入るが、意図などしない。邪魔するならば、そう。
「お前ごと、断ってやる!」
振るわれる黒光刃の一閃。地形ごと薙ぎ払って砕く悠人の一撃に、鷲頭は膝をつき、蛙は殲滅は残骸すら残らない。
更に旋回する剣閃。雫の巨刃が、痛烈なる撃として片膝を付いた鷲頭の首を跳ね飛ばす。
「……っ…!?」
嗅ぎ慣れた血の匂いに混じって、より濃い鉄と、そして粉塵の匂い。これはもしやと雫が視線を向ければ、闇色のゲート内に充満しているのは白い霧。いや、粒子。
「粉…戦場…奇策…! まさか『粉塵爆発』?」
それは咄嗟の判断。慈が思いついたそれは、確かに天魔に影響を与えず、ゲート内で身体能力の減少した撃退士達を狙うには十分なそれ。
「いや、待て!」
矢野が止めようとしたのは半ば勘だ。不屈の銘を彫られた銃が、そんな優しいものなのかと、不安に震えたのだ。
だが、慈を停止させようと矢野を貫いたのは遥か前方からの狙撃。常に警戒していた矢野を確実に仕留める為、冥魔の猛毒を帯びた狙撃だ。それは体内に留まり、爆散する紫色の欠片。外装の防御力を無視して内臓へとダメージを与えるもの。
そんな凶弾、放ったものが誰かなど、言うまでもない。
「あそこだ!」
が、矢野は己こそを餌に狙撃手であるヴァニタスの位置を特定する気だった。故に、意識を失うその寸前、コアの横手へと指差す矢野。
そこにいたのはかのヴァニタス。既に全体で五割以上の消耗を受けている状態で挑める相手ではない。
いや、それでも。不屈にて位置を特定した仲間がいるならば。
「……退けないの……悠人が…戦っている……」
そして威鈴には罠が一つとは思えない。一人が囮を用意してヴァニタスの位置を特定したが、それは早かれ遅かれ解る事。この粉塵のみではないだろうと、サーチトラップを発動し、その簡単な罠を特定する。
そして絶叫。慈が左手で見つけた発火装置に投げようとしとしたペットボトルを、制止が間に合わないからと銃撃で弾き飛ばして。
「駄目っ!? その発火装置、水に濡れたら感電して作動する……! それも、これは」
酸化鉄にアルミニウム。鉄の匂いがして当然。地面はゲートの効果で巧妙に隠されているが、テルミット炸裂形式のトラップがある。
軍用の爆裂装置。小麦粉に紛れ隠しての本命は、三千度を優に超える爆裂の『花火』だ。
「花火も鉄を使いますが、いやいや。奇手は二手、三手目が本命と。お見事……ですが」
ヴァニタスへと駆け寄ろうとする鷺谷が笑う。これは奇術というよりは詐術に近い。謀殺の技を戦場に用いるのは大抵が軍人である。元々が『そういう人種』で、それがヴァニタスになったのならば――。
「容易に往かぬものこそが愛おしい、と」
呟いた横、悠人と神凪も駆けている。それぞれ誰がヴァニタスを相手取り、コアを破壊するか決めていなかったが、此処までくればまずはコアを壊す事こそ肝心。
と、誰しもが想う筈で。
「なぞなぞだ」
コカトリスとバジリスクの結婚式。その話に鷺宮は沈黙する。
応える意義が見えない。正当を応えて起動するものなど、腐る程にある。
「250」
が悠人は律儀にも応えた。そして作動しない罠だが、笑うヴァニタス。まるでこちらの手を誘導しているかのような構え、気に入らない。
故に奔る雷撃は、鷺宮からヴァニタスへ。横走る稲妻はヴァニタスの身を捉え、更に感電させて麻痺させる。射手であるが、これで自由に移動出来ない。コアを途中で守れない。
「後でゆっくり相手してあげますから」
そう呟いた横、悠人がまずはコアへと一撃。罅の入った結晶。更に、250と呟いた神凪の一撃がそれを大きくする。
邪魔に入ろうとする狼。この時点で三体となっていたそれらを、零距離からの精密殺撃で延髄に弾丸を叩き込む威鈴。更に雫が痛撃を以て狼の動きを止め、慈も身を持って止めている。
既に戦闘不能までのカウントダウンは始まっている。だが、止まらないのだと、気配を消していたヤナギが二刀を構え、迅雷と化して刃を閃かせる。
赤と青の刃が全体にコアに亀裂を入れ、ヴァニタスの笑みがなくなった、瞬間。
「……なんてな。鬼の策ってのは、一枚目を捨てて二枚目破らせて、三枚目の欲で眩んだ瞬間を狙うんだ――問いかけはしたよな? 応えるか否かは、お前達次第だったのに」
その言葉に疑問を抱くより早く、ゲートより後方に跳躍するヴァニタス。此処は最早無用であると、冥界へと撤退したのだ。
麻痺に掛かったのも恐らくは演技。何かしらを誘っていたのだろう。先のなぞなぞ、応えずに、例えばコアを攻撃していれば……。
「なんて事、考える余裕、今はないですね」
無言を持って是と成す鷺宮。故にヴァニタスのいない今、やはり解っている筈の答えを口にせずに攻撃した瞬間――コアが砕けると共に、業火の炸裂と化す。
いわば、これが爆弾。火葬の花火。範囲に入っていたのは何名もいるが、なぞなぞへの答えを口にせずなコアを攻撃したもの認識し、識別して放たれる、悪魔の呪術陣。
ばちばちと燃える、群れる魔焔。コカトリもバジリスクも呪いを司る魔獣。なぞなぞにわざわざ出されたのは、正しい解答での解呪が求めるという意味合いがあったのかもしれない。
全てを蹂躪し、後には何も残さない虚無と死の塊。これこそ悪魔、破滅の調と、烈火が踊る。
盛大に終る、攻略戦。後一歩で、罠に掛かった代償は猛火の蹂躪だった。
代償がコアという貴重な分、それは凄まじいまでの紅蓮の炎を産み――一つのゲートの消滅と引き換えに、多数の重体者を出し、そしてゲートが消えた後も残った爆炎にて、地域一体が炎に呑まれていた。
恐らくはコアを破壊されない為の、悪魔の呪術。一定の手順を踏まずにコアを破壊したものを道連れにするものだったのだろう。が、完成度としては低い。むしろ、コアを囮にするなどあり得ない事であり、代償に見合う火力は編み出されていない。ルルーの紡いだ未完成の、そして完成する事のない呪術だろう。
負傷しきった撃退士を殺す事も出来ない程だったのだ。
だが、その猛火は自然現象ではない故に、威力に見合わぬ激しさを見せて――それに救助班が意識を向けている隙に、ルルーはするりと、まるで影のようにその場から抜け出していた。
もしもゲートのコア破壊を目的とするなら、これは成功だと言える。
だが、もう渋川市周辺は復興出来ないだろう。出来たとしても、破壊の爪跡が大きすぎる。魔性の火は灰の代わり、触れたものを悉く浸食させたのだから。
故に、この地を取り返すという意味合いで言うならば……これは失敗。
悪魔が容易した遊戯に乗らないという事は、悪魔が本気で殺しに来るという、その事実。契約の上でこそ悪魔は縛れるのだと、物語にあるように。
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「お嬢、なんであんな面倒な事したんです」
「だって、私は悪魔よ? タダで何かをあげたり出来ないわ。ああいう花火っていう見世物があったから、あの地はあげたの」
「だったら、誰か女性を救助しに来た時、何かを上げれば女性を渡したんです?」
「ええ、そうね。私に対して、数分目を閉じるだけでいい程度の、甘いお菓子とかで良いのよ。それだけで、渡してあげたのにね……例えば、マリの子の名づけ親にしてくれる、とか」
「……悪魔、ですねぇ」
「今更よ。さ、クッキーの次はスコーンでも挑戦してみようかしら? 今度も上手に沢山焼けるといいんだけれど」
(代筆:燕乃)