決戦日早朝、マリナの住む寮の前で本人を含む十名の撃退士が集結していた。
「今日はこのバカのためにありがとうございます!」
「掃除なんかのためにお呼び立てして申し訳ありません」
声を張り上げるサチと、小さくなっているマリナに出雲 楓(
jb4473)が片手をひらひらと動かして言う。
「女の子の片付いてない部屋っていうのも見てみたいし、掃除は僕も参考にしたい」
「あら、他にも軍手やマスクを準備してくださった方が。しかもお二人ともジャージ姿とは、さすがですわ」
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は衣装カバーを手に、掃除に必要な物を持参してきた瀬戸 入亜(
jb8232)とユウ(
jb5639)に近寄り、朗らかに声をかける。
「シュンスケに連絡しておいたか?」と江戸川 騎士(
jb5439)はサチを見ながら確認する。
「はい、時間を少し遅らせてます」
「まずは現状確認と必要な物の手配ですね」と、木嶋香里(
jb7748)が先陣を切り、全員が部屋へと入っていく。
リビングは部屋を中心にしてすり鉢状になっている。壁に向かってゴミがどんどん高く積み重なっているのだ。
「これはまた片付けがいのありそうな」と瀬戸が感想を述べ、続いて鴉乃宮 歌音(
ja0427)が呻く。
「カオスすぎる」
「まさに汚部屋ですね……」
雫(
ja1894)は自らの背丈の倍はあるゴミを見上げながら言葉をもらす。
ピッピッ……ユウは部屋の要所を写メしながら、他のメンバーからの意見をまとめているようだ。
「木嶋さん。これが間取りを書いた紙です」
木嶋はサチからそれを受け取ると「手配していた物は良い感じに設置できそう」と満足げな表情を浮かべる。
「部屋の見取り図と写メって、みんな計画慣れしてるなあ」
「アンタが何も考えなさすぎなのよ」
「バルサンを焚きたいけど、寮だし、殺虫剤をぶち込むから皆部屋から出て」
瀬戸は両手のスプレー缶を見せながら言った。
「換気をしてる間に、分担を決めよう。衣類、リビング、キッチン、この三つに分かれたほうが良さそうだな」
江戸川の提案に皆が頷く。
「男子禁制の物がちらほら見えたね」
「それらに関しては女性の手でなんとかしましょう」
瀬戸がやんわりと指摘したのを、シェリアが女性陣の顔を見ながらウインクする。
「服の虫食いとかは女の子に任せよう」
見目麗しい鴉乃宮がそう口にするのはどこか不思議なものがある。
事前の計画が功を奏し、掃除の分担はすぐに決まった。
「リビング班が江戸川さん、出雲さん、鴉乃宮さん。衣類班がシェリアさん。キッチン班がユウさん、雫さん。遊撃班が瀬戸さんと木嶋さんかな」
「基本はその形で、でも臨機応変に進めましょう」
サチが確認し、ユウが笑顔でそう付け足す。
「前に似たような依頼を受けたことがありましたが、危険物はありませんでしたよ。ですが今回は包丁をはじめとして割れたグラスやお皿が満載でしたので、それらを処理しますね」
感知のスキルを使っていた雫が注意を促しながら、危険な役割を買って出た。
「サチ、私は何をすればいいかな」
「アンタは捨てるものと残すものを判断するのよ」
「マリナさん、半年使ってないものは思い出がない限り捨てちゃう方向で」
「はい!」
出雲が指摘し、マリナは威勢良く返事をする。
「それじゃあ、協力して頑張りましょう♪」木嶋の言葉に続き、
「allones-y(さあ)戦闘開始ですわよ……」とシェリアが決戦開始の合図をする。
次々とゴミを袋へ詰めていく作業の中、江戸川は奇妙に思いながら民芸品を指した。
「おい。こんなのいらないだろ?」
「わわわ。どうかザンデ族の仮面だけは温情で…一点物なんです」
「その木彫りの仮面、どこのもの?」
ゴミ収集日一覧表を貼りながら瀬戸が興味深そうに聞く。
「アフリカです。一目惚れして、ネットで買いました。可愛らしいと思いませんか? えへっ」
沈黙が流れる。
「この通りマリナのセンスは壊滅的なので、家具に関しては木嶋さんにお任せしちゃいます」
サチはため息を混ぜながら木嶋を見やった。
「えっと、頼んでおいた家具が後で届くけど、その仮面があるだけで部屋の印象が変わりますよ?」と木嶋が戸惑いを見せながらマリナの方を見る。
そんな仮面は捨てろ……という周囲の圧力がマリナを襲う。
「わっ、私、この仮面を付けてシュンスケ君に告白したんです!」
「それでオーケーしたシュンスケは何者だよ!?」
思わず江戸川は突っ込んだ。
「色んな意味で貴重なわけですね」と、ユウが苦笑する。
「仮面のインパクトが強くて他のところに目が行かなかったのかも知れませんね。汚部屋に汚面ですか(ぼそっ)」
「雫さんっ!?」
「一応確かめておきたいんだが、なんで掃除しないんだ? 理由でもあるのか?」
「部屋が散らかるってことは、心が散らかってるってことだから、知らずに溜め込んでるストレスとかには注意したほうがいいよ」
原因を確認したいと思っていた江戸川に続き、出雲が核心を突くことを言う。
全員の視線がマリナへと注がれる。
「それはその……私、サチみたいに頭良くないし……アウルに目覚めたことくらいしか人に誇れることがなくて、でもまだ見習いで、ここに来てもうすぐ一年になるのに、天魔の一匹も倒してないんです……最近はそのことばっかり考えちゃって……本当に撃退士としてやっていけるのかどうか、不安になってばっかりで……」
マリナは言えなかった悩みをついに口にした。
撃退士であれば誰もが通る苦悩。思いの多寡に違いはあるだろうが、それぞれの初心を想起させるには十分な一言だったようだ。
依頼を受けた八人の表情が、どこか柔らかくなる。
「一つの悩みで他のことがおろそかになってしまうタイプですわね」と、シェリアはフォローを入れる。
「それを差し引いたとしても、アンタが衣食住に弱いのは確かなんだけどね」
同じ悩みを持っているサチだったが、それを隠すようにして気丈に振舞う。
「違いない。部屋を片付けながら悩めばいいと思うぞ」
鴉乃宮の言葉に、部屋に笑い声が沸いた。
「それじゃあ一気に片付けてしまおう」
出雲のセリフが作業再開の合図となり、高まった士気のおかげか、掃除のペースもぐっと速まっていく。
「その剣どうにかしたら?」
「そうだね」
サチに言われ、マリナが剣の柄を掴んで、逆手に持ち上げた。
そこへユウからの声がかかる。
「マリナさん、キッチンの方にも来て洗い物も見てくださいね」
「はいっ」
マリナはユウと木嶋の空けてくれたスペースに顔を突っ込む。
「木嶋さん、何かコツってあるんですか?」
「洗い物は順番に気をつけてポイントをおさえると簡単で綺麗になりますよ。汚れには種類がありますし、色々と試してみてくださいね」
「なるほど」
「こっちのカビ落としも見て覚えておくんだよー」
今度は瀬戸がマリナを手招きする。
「はいっ、今いきますっ」
「マリナさん、この焦げたフライパンどうすればいいですか? 正直、これは買い直した方が良いと思いますよ」
雫がマリナに近付いて、手に持ったフライパンを差し出して見せる。
「じゃあそうしますか……あれっ? 棚にあった私の貴重な食料は?」
ユウは洗った皿を拭きながら、衝撃的事実を告げる。
「当たり前ですけど、あのハンバーガーは全部処分しちゃいましたよ。整理整頓はもちろんですが健康面に対する注意もしないとですね……あっ?」
ユウは体調管理について指摘するが、不意に言葉を詰まらせた。
「どうしたんですか?」
「そっちに今、アレが二匹……」
カサカサカサッ。黒い影が二つ、リビングへ向かって高速移動をしていく。
「うっ、うわあああ! 黒い悪魔が出たああ!」
マリナは反射的にアウルを迸らせ、持っていた剣を振り下ろした。
ガギィン!
マリナの剣は、雫が即座にフランベルジェを出してそれを弾く。それだけではない、黒い悪魔ですらも今の一瞬で仕留められていたのだった。
「え、なに今の、早……」
サチは目を見開いたまま声を漏らした。
「今の気迫と一撃なら、雑魚天魔は倒せますね」
雫は無音でフランベルジェを収める。
「ご、ごめんなさい、私ったら」
「アウルはちゃんとコントロールしましょうね」
木嶋は笑いを含んだ顔で、全員の思いを代弁した。マリナとサチ以外の面子は苦笑混じりに作業を続ける。
「は。はは……これが本物の撃退士かぁ。……遠いなぁ」
マリナとサチは呆気にとられながら、そう呟いた。
ゴミが片付けられて下着が出現し、鴉乃宮がそれを拾う。美少女と違わぬ容姿に加えて淡々とした動作に惑わされ、マリナが気付いたのは数秒後である。
「それっ、私の下着っ……」
「知っているが?」
鴉乃宮は大真面目に答えた。
慌てたシェリアと瀬戸が鴉乃宮から回収し、ネットに入れて洗濯機へと放り込む。
「使った衣類はちゃんと洗っていて? コートやセーターも、毎日とは言わず定期的にクリーニングに出すなり、ちゃんと清潔にしておくこと。淑女なら当然の役目…いいえ、義務ですわ!」
「は、はい! シェリア先生!」
江戸川は乾燥機から戻ってきた衣類をマリナに押しつけながら言う。
「収納法を教える。季節はずれは奥、前に洗濯したものは中、洗ったばかりは前、とかやれば同じ靴下とかない」
「衣類は1シーズン着てないものは思い切って捨てるのも手だよね」と、出雲も口を出す。
「でも、虫食いの服を処分したらほとんど残らなかったぞ。制服は無事だったが、普段着のバリエーションがこれじゃ物足りない」
鴉乃宮の言葉にシェリアが頷き、マリナへ告げた。
「部屋を綺麗にしても本人の生活態度に変化が無ければ意味がありませんわ!」
「マリナさん、これからは頑張るんだよね?」
木嶋がマリナの意思を確認するように尋ねる。
「今日を人生の分岐点にする心構えです!」
「でもかなり形になってきたよね。一度片付いたらそれをキープすること。散らかりそうになったら、今日せっかく手伝ってくれた人たちのことを思い出して」
出雲はマリナに効きそうな言葉を選びながら言った。
「心に刻みます!」
「マリナさん。雫さんと私から指導がありますので、こちらに来てください」
それまでずっとキッチンに徹していたユウと雫に呼ばれ、マリナは背筋を伸ばす。
「おっ。あのとんでもない台所が綺麗になってるな。早く行かないとあの大剣で真っ二つにされるぞ」
「聞こえてますよ、江戸川さん」
雫はこほんと小さな咳払いをしつつ、三角コーナーを指さした。
「虫が嫌いなら水回りは小まめに掃除して下さい。特に夏場は注意してないと一日放置するだけでも虫は沸きますよ」
「えっ、たった一日で?」
「後で纏めてやる考えは捨てて下さいね。絶対にやらないですから」
雫はマリナを見上げ、ここで甘えを許すわけにはいかないと強めに言い放つ。
「は、はいっ」
雫の隣でユウがクリップボードに紙を挟み、ペンで書き込んでいる。
「ユウさん、それは?」
「今日の指導内容をプリントアウトしたものに皆さんのアドバイスを書き足しています。ゴミの分別を怠らないようにしてくださいね。それと……シュンスケさん、いつまでそこに立っているんですか?」
優しい笑みをたたえたユウの顔が、ドアの方へと向く。
「えっ!?」
ドアがそろそろと開かれると、ばつの悪そうな顔のシュンスケが部屋へと入ってきた。
「ごめん、マリナちゃん。手伝うなら早い方がいいかなって」
「やっぱり気付いてなかったんだね。二十分くらい前からいたよ」と瀬戸は皆の顔をぐるりと見渡しながら言った。
「ちょっ! みんな気付いてたんですか? そんなぁ」
「彼にも手伝ってもらうのが前提で、依頼の主旨は成長するあなたを知ってもらうっていうことだったからね」
瀬戸の真っ当な言い分に、マリナはぐぅと呻く。
「つまり私がお説教されてるのは……」
「聞こえちゃった」
「うわあああん!」
「シュンスケ、そういうことだから、ちょくちょく来て点検してあげて」
鴉乃宮が淡々と言う。
「そうそう。いつ彼氏さんが来てもいいようにしておけば、自然にキレイを保てるんじゃないのかな?」と、出雲も言い添えた。
「一度に教えても覚えきれないですよね? シュンスケさん、お手数ですが定期的にマリナさんへアドバイスやお手伝いをしてくれませんか?」
雫の申し出を「わかりました!」とシュンスケは快諾し、掃除指導は終わった。
そこへタイミングよく木嶋の手配した家具類が運送屋によって運び込まれる。
「見てアクセントになる収納は女の子らしさに繋がりますよ」という木嶋による助言を基本にして、元はゴミ部屋だったとは思えないほどの可愛らしい部屋へと変貌する。
鴉乃宮に教えを受けながらマリナはサンドイッチとサラダを完成させた。どこに準備していたのか、持ち込まれた茶器と茶葉で、鴉乃宮が絶品のお茶を淹れて振舞う。その完璧な姿と作法を見たサチ曰く、自分の女子としての自信が瓦解したらしい。
「そして最後はシェリア様の身嗜みこ・う・ざ♪」
眼鏡を装着したシェリアがマリナへ迫る。
「お二人とも素材は良いのに勿体ないわ。恋人さんの目を掴んで離さないくらいの最高のコーディネイトでマリナさんを本物の女性にして差し上げます♪ 折角ですからサチさんもぜひぜひ!」
「ちょ、シェリアさん掃除のときとキャラが違っ……うわあっ!?」
「あたしまでーっ!?」
服の組み合わせと少しのメイク、適度な露出で二人の印象は激変した。
シュンスケはマリナを見て耳を赤くする始末で、反応としては上々だ。江戸川と出雲、鴉乃宮も素直に拍手を送り、シェリアもご満悦である。
仕上げと言わんばかりに、瀬戸はシュンスケに今日の顛末をこっそりと耳打ちする。
「みんなにお説教されて成長した彼女を見ただろ? あなたのために一生懸命になっているから、長い目で見て応援してあげてね?」
「はいっ」
シュンスケの声は半分裏返っていた。効果覿面といったところだろう。
この時点で「片付けられない女」は見事討伐され、マリナとシュンスケとの恋仲は進展さえ見せた。
依頼は達成されたのだ。
最良と思われる結果をさらに後押ししたのは、木嶋が教えた圧力鍋を使った調理法と、江戸川の買い物&食品管理術である。特に「残ったら三日後に捨てろ」はマリナにとって分かりやすく、今も継続して実践している。
後日談ではあるが、サチは鴉乃宮の影響なのか紅茶にハマり、木嶋のスタイルを目指してダイエットをしている。無愛想だったサチの表情が柔らかくなったのはユウの笑顔がきっかけだろうか。
出雲の力の抜き加減、雫の強さと凜とした佇まい、江戸川の緻密な計画性、瀬戸が見せた先見の才、シェリアの身嗜みテクニックは、先の見えないマリナの大いなる目標となったのである。