●希望の使者
林の中を二つの影が走っている。
息を切らす母親が呆然とする娘の手を引っ張っている。
母親は周囲の気配を探るようにあたりを見回し、息を潜めた。
靴も途中で壊れてしまったので裸足である。
ガサガサと周囲の木々が揺れる音を聞き、母親と娘を抱きしめた。
「2人は無事のようね。何とか間に合ってよかった。」
柴島 華桜璃(
ja0797)が茂みからでてきたことで、親子は息をつき、肩の力を抜く。
しかし、華桜璃の背後に向かって影が飛ぶ。
「あ……ああっ」
少女が怯えた様子で声をあげる。
「蒸気迸る式よ、我らの足元に形なし、疾風の車輪となれ」
しかし、華桜璃を襲い掛かろうとした黒い影の間に脚部に風神を纏わせた蒸姫 ギア(
jb4049)が割って入り親子を体で守る。
「待て、お前達の相手はギアがするんだからなっ!」
続いてやってきた風間 夕姫(
ja9863)が転がる黒いモノを見てげんなりとした顔をみせる。
「うげぇ、よりによってこんなのが相手かよ」
「……って、こ、この黒光りする特徴的なフォルムは……ひぇぇ」
ギアが倒した時には気づかなかった敵の姿をまじまじと見た華桜璃は汗をダラダラと流す。
華桜璃が一瞬固まっていると、さらにもう一体の黒いディアブロが姿を見せ、撃退士達の足元をカサカサを動き回る。
その素早い動きはみているものに不快感を抱かせた。
空から翼を生やしたロジー・ビィ(
jb6232) がゆっくりと降り立ち、後続の撃退士も現れた。
「……パッと見た分に、きっと外殻は硬いでしょう」
怪物を見ても動じない6人を見た親子は彼らが父親の言っていた『助け』であると二人は感じていた。
「あれが……パパを……」
少女が黒いモノを震える指で差す。
それ以後はぎゅっと目をつぶって俯き震えだしてしまう。
鈴木悠司(
ja0226)が震える少女に近づき、頭を撫でる。
「分かったけど、まずは君たちの安全確保から……だね」
手馴れた様子で娘の方を抱きかかえ、愛知県側へと駆け出す。
捜索後に引渡し予定だったポイントへと向かうためである。
脚部にアウルを集中させ、爆発的加速度で戦域を離脱しにかかる。
「……面倒だな。だが、コレが作戦であるならば遂行しよう」
不機嫌とも不遜とも取れる態度をみせる雨倉 華耶(
jb5107)は母親を抱き上げると丹頂鶴のような翼を顕現させて空を飛び、悠司の後を追いかけた。
娘と離れて不安げな母親が華耶の顔と残された撃退士達を交互に見る。
「残る奴らが餌だ。後は知らん」
母親と目を合わせることなく華耶は踵の部分かアウルをジェット気流のように噴出させて飛んだ。
●その悪夢をぶち壊す
一方、残された撃退士達は黒い1mくらいはある昆虫のようなデイアブロと対峙していた。
夕姫が天魔の透過能力を妨げる祖霊陣の術符を地面に貼り付ける。
ふわっとした気配が夕姫を中心に半径500mまで広がった。
「流石にあの大きさじゃ別物だな、アレは小さいからこそ背筋が凍るんだ」
「そ、そうだよね! よしっ」
華桜璃は夕姫の言葉に勇気付けられた華桜璃は術符を構えて、魔法を撃つタイミングを計る。
「ギア聞いた事がある、彼奴らは1匹見かけたら100匹はいるって……でも、ここは行かせない」
ガサガサと茂みが揺れる音のなる中にギアの両篭手が蒸気を吐き出し、駆動音を響かせた。
「100匹もいたら、流石に私たちじゃ対処しきれないかも」
ゴクリと喉を鳴らした華桜璃にロジーが微笑んで答える。
「来る時に空を見て回りましたが、敵の気配は多くありませんでしたわ。まずはこの尖兵を倒して救出を最優先しましょう」
自らの背丈ほどもある両刃の直剣を『ヒヒイロカネ』より呼び出し装備したロジーがカサカサなる茂みの音に集中する。
音が止まった。
ブルルルルルと羽を振るわせた黒い悪魔が二匹が昆虫独特の噛み砕きに特化した口をもって襲い掛かった。
「おらおらぁっ! このゴキブロがっ!」
夕姫が飛んできた敵に自己流の名前をつけて、アッパー気味に殴りつける。
ボディーブローを受け、空中で動きを一瞬止めたゴキブロの触覚をもう一方の手に持つ鞭で絡めとる。
「いけっ、ライトニング!」
そこへすかさず華桜璃の放つ雷が敵を屠る。
硬い表皮に覆われた昆虫型のディアブロには魔法攻撃が有効なようだ。
多数の足を痙攣させたかのように固まらせたのを見計らって、さらに華桜璃が薄紫色の光の矢を飛ばす。
頭部が半壊し、触覚がもげて緑色の体液が当たりに散った。
「うへぇぇ、グロッ!?」
純白のチャイナドレスを汚されてはたまらないとばかりに夕姫が回し蹴りを叩き込んで敵を吹き飛ばす。
蹴り飛ばされたソレは地面に二、三度ぶつかりながら転がって腹部を上にヒクヒクと足を動かす。
一方、もう一体のゴキブロはロジーとギアが相手をしていた。
素早い動きで噛み付いてきたところをロジーは両刃の直剣の幅広さを生かして防ぐ。
ギチギチと口を動かし噛み付こうとしているところをフルスイングをして剥がす。
「今ですわ!」
ギアはプシューと蒸気の吹き出るブーツで地面を踏みしめ、ギリギリと歯車が回る音をして広がる扇を構える。
「石縛の粒子を孕みかの者を石と為せ、蒸気の式よ!」 ギアの蒸気式陰陽術(自称)の詠唱と共に弾き飛ばされたゴキブロの回りの空気が変質する。
よどんだオーラが敵の周りにまとわりついて砂塵を巻き上げた。
砂粒がゴキブロを包み込んで、その体を石にしようとするが相手はそれを振りほどき、羽を広げて飛行する。
「逃がさないよ、ギアは空中戦だってできるんだ」
ギアは不可視状態だった万能蒸気の翼を広げてゴキブロを追いかけた。
●迫り来る影
前方にいた悠司は見えなくなり、飛行する華耶は周囲に配る気をより強めた。
敵の数が明らかでなく、援軍の予定も無い現状では不確定要素が多すぎるからだ。
「どうやら、予想通りになったか」
「予想通り?」
抱きかかえられていた母親が華耶の言葉をオウム返しする。
「少し片手をあけたい、首に手を回してくれ」
疑問符を頭上に浮かべた母親は華耶の言うとおりに首に手を回して掴む。
フッと羽を広げてブレーキをかけたかと思うとリボルバーを抜いて、後方に発射した。
同時に飛び掛ろうとしたゴキブロの外皮にあたり、失速する。
悪魔の尖兵であるために、天使である華耶の攻撃は大きな傷となっていた。
口元には赤黒い何かがついているのが失速した瞬間に華耶と母親の目に映る。
「あれが……あの人を……」
「そうか」
黒い怪物の存在に怯え、目をそむけた母親に答えると華耶は続けざまに銃弾を撃った。
空を切り裂く音がなり銃弾が飛ぶも、空中で母親を抱えた状態では中々当たらない。
カサカサと地面に這い蹲るようにして動く敵は大きさから言えば的にはなりやすいにも関わらず素早い。
「面倒だ……」
当たれば優位に運べるにもかかわらず、手間取っていることに華耶は一言漏らした。
「くぅ……」
戦闘機動に耐え切れなくなったのか、母親の手が緩む。
「ちっ!」
落とさないように華耶が支えて攻撃の手を緩めた瞬間に敵は一気に間合いを詰めてきた。
醜悪な黒い存在の姿が目の前に広がり、赤黒いものがついた口で次なる餌を求めてくるる。
「はいっっと、セーッフってやつかな?」
ガギンと黒いアウルをまとった円形の盾を持つ悠司が華耶と敵の合間に入って攻撃をふさいだ。
「丁度巡回していた愛知県の人達にあってね。娘さんはそっちに預けてきたよ。よいしょーっ!」
闘気を纏った毒々しい色合いの曲刀を使い悠司が敵を斬り飛ばす。
「そうか……」
華耶は無愛想に答えると悠司が斬り飛ばして転がるゴキブロめがけてリボルバーの弾丸をありったけ叩き込んだ。
ぐちゃぐちゃといたるところが吹きとび、跡形もなくゴキブロは滅せられる。
一息ついたところで、悠司の無線機からロジーの声が聞こえてきた。
『悠司そちらはどうですの? こちらは敵を片付けたところですわ』
「巡回中だった愛知県の人と合流できたから親子の引渡しは直ぐに出来そうだよ」
知り合いということもあり、やり取りは実に気楽である。
二人が話し合いっているところ、華耶に抱きかかえられていた母親が華耶に対して話しかけてくる。
「ありがとうございました……あの一つだけ、お願いしたいことがあるのですが……」
彼女の願いは彼女の夫の遺品を取ってきてもらうことだった。
●残された想い
彼女の願いを聞き入れた撃退士達は惨劇のあった山小屋へと来ている。
血が飛び散り壁や床を赤黒く染めているため、一休みをすることができない有様だった。
「ごめんなさい。保護担当だったのにこんな風になっちゃって……」
遺体に向かって悠司が手を合わせて謝った。
『たられば』を今語っても仕方がないのは分かっているにもかかわらず、言わずにはいられない。
リュックの中身を調べていた夕姫が額縁に入った家族写真を見つける。
「大事にしてたんだな……二人のこと」
幸いナマモノにしか興味がなかったゴキブロはリュックの中の食料や水に触れていない。
変わりに遺体の状態は口に出来ないほど酷いものだった。
夕姫の取り出した写真を眺めた華桜璃がふと呟く。
「とっても仲がいい夫婦か……」
家族写真の中では身を寄せ合い笑顔を向けている三人が映っていて理想の家族に見えた。
華桜璃の両親もラブラブであったこともあり、華桜璃に思うところがある。
夕姫は写真をリュックにしまうと背負い立ち上がった。
「流石にこの荷物だけにしておくか。遺体の方はさすがにもってけねぇよなぁ」
遺体の状態の酷さからすればもって帰ったところできっと少女はショックを受けるだろう。
兄弟の多い夕姫としてはなるべくショックを受けさせたくない気持ちがあるようだった。
悠司が顔を上げると笑顔を二人に見せる。
「じゃあ、戻ろうか」
彼の笑顔に頷きを返した二人は最後に両手を合わせて黙祷をした。
***
県境の三国山を下り、愛知県の市街へと向かう移送車。
その中は重い空気が充満していた。
山道を走っているためガタガタと揺れる間、ギアはぬいぐるみを手放さずうつむいている少女と、その少女の頭を撫でる母親をじっと眺めている。
(「女の子凄く悲しそうな顔してる…って、別にギア心配は……そもそも人界で騒ぎをおこす同族が許せないだったんだからな」)
はぐれ悪魔と呼ばれる存在は複雑な心境を持っているようだ。
「今回は間に合わなくて申し訳ございません。ですが、お父様のお陰で貴方達はこうして無事にいられた。それだけは間違いないですわ」
ロジーが二人の前にしゃがみこみ、優しい笑顔を見せる。
その表情は彼女が天使であることもあってか慈愛に満ち溢れているように思えた。
少女はコクリと言葉なく頷く。
小刻みに体を震わせ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて離す事のない姿をみるとまだ時間がかかりそうに撃退士達は思った。
「また困ったらギア達をよぶんだぞ。べ、べつに心配しているわけじゃないんだからなっ! 本当に本当だからなっ
!」
ギアの慌てふためく姿を見て固い表情だった少女がくすりと笑った。
その姿に撃退士達は自分達のしたことの成果を感じる。
悲劇はまだ続くも、今はこの笑顔のために戦えたことがよかったのだと……。