●徒花の姫
黄昏深まり、宵の口が迫る。
甘い風に乗って、ひとつ、ふたつと、白いものが舞う。
春の淡雪という季語がある。
文字通りに淡く降り注ぐ花びらを受けながら、トホルは大きく息を吸った。
甘い。
寺の外周を見回ろうと考えていたのだが、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)に呼ばれ、ここに来た。
寺の中心である境内の、さらに中央。
伏比女桜。
「姫、今年も拝謁つかまつる」
それなりに普通と違う生き方をしている、来年は逢えないかもしれない。
けれどそれを言うなら、彼らだって。
「今宵は御身(おんみ)がため、八名の士が集い……」
パッと閃光が迸り、トホルは目をやった。伏比女桜の向こう、裏手の墓地だ。
トホルは笑い、伏比女桜に背を預けて、足元に大きなケースを置いた。保温ケースだ、飲み物や食べ物が入っている。
シャロン・エンフィールド(
jb9057)から預かっていたランチボックスもその上に置いた。
今宵、そこはこの世で最も安全な場所になることを、トホルは疑わなかった。
「すばしっこいなぁ……けど、俺も速さには自信あるで?」
軽い口調とは裏腹に、ゼロは圧倒的な速度で戦場を舞う。狙いのあまい電撃を嘲笑うように、漆黒の翼が風を切る。
「雷使うならもっと派手にやらな盛り上がらんで!」
ギィッと牙を向いて電撃を放つ雷獣へ、ゼロは攻撃を避けざま強烈なボレーシュートを見舞った。サッカーボールのように吹っ飛んだ雷獣は怒りの声を上げ、仲間の雷獣が一斉にゼロを向く。
「……」
そこを、紅蓮の炎が薙いだ。
セレス・ダリエ(
ja0189)が無言のままに放った炎は、並ぶ墓石の合間を縫うように夕闇を彩った。
ギャッと弾かれた雷獣たちは、こぞって土中へ逃げ込もうとする。
だが、阻霊符によって透過を封じられた状態で、土中へ逃げこむのは容易なことではない。
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は一体の雷獣へ無造作に歩み寄ると、銃口を押し付けるように引き金をひいた。哀れ、雷獣は焦げた臭いを残して宙へ消えた。
「数が少ないと思ったわ、残りは向こうの土の中ね」
その白い背中に音もなく広がる紫の焔が、揚羽蝶の羽を形作る。
このメンバーにとっては、戦闘というより駆除作業だった。
敵の多くは墓地ではなく、広い境内に集まっていた。
「かくれんぼ、得意なのかしら? でも、悪戯は、いけないわ」
上空から放たれた白磁 光奈(
jb9496)の矢が地面を抉る。
バッと玉砂利を蹴散らして雷獣が飛び出した。怒り狂って電撃を撃ち返すが、光奈はふわりと身を翻し、躱す。
それと絡みあうような軌跡を描いて、北條 茉祐子(
jb9584)の翼がはためいた。
「じっとしていて下さい……ね?」
茉祐子もまた空に居た。さながら伏雷(ふせいかずち)、雲間に潜む雷のごとく。大地に向けて放った雷撃は見事、敵に突き刺さる。
「まだいるか」
佐々部 万碧(
jb8894)の眼と義眼は、不自然に動く地面を見据えていた。一つ、二つ……かなり多い。
幸い、場所は広い。桜にはあのいけ好かない依頼人が陣取っている。
……フィールドはここ、ゴールは伏比女桜。
ディフェンスが決まったのならば、あとはオフェンスだ。
万碧の背から、宵闇を切り裂くような碧い輝きが広がった。
同時に義眼から痛みが広がってゆく。
表情も変えず、万碧は言った。
「シャロン、ここでやる。二匹以上から狙われないよう気をつけろ」
「はい!」
空へ舞い上がる万碧へ応えたシャロンも、すでに翼をひろげている。
上空からの容赦無い連携に耐え切れず、土に潜んでいた雷獣たちは次々と飛び出した。
それを見て、唯 倫(
jb3717)が驚いたように声を上げる。
「いっぱい出てきた」
どこか嬉しそうな響きがあるのは気のせいではあるまい。
墓地にそこまでの人数は必要ないと判断し、伏比女桜の防衛にまわっていた倫は、ようやく相対した雷獣に瞳を輝かせている。
「一匹残らずモフるから」
「物凄く固そうだよ、毛皮……」
桜の根元で、トホルは思わず突っ込んでいた。
●稲妻のように
宵闇迫る境内で、連続してストロボが焚かれたように、光が乱舞する。
白い桜の雨が、それを浴びていっそう輝いた。
「雷遣い(サンダラー)が集うのも、因果か、縁か」
華々しくも苛烈な戦いぶりに、トホルは目を細めた。
視線の先には、宙を舞う撃退士たちと雷獣の狂宴。雷のアウルやそれを元にした∨兵器が閃いて、夕闇を彩る。
「あうっ」
シャロンが小さく悲鳴を上げた。電撃に当ってしまったのだ。
「シャロン!」
続く二条の電撃を、万碧は前に出て、敢えてその身で防いだ。
「大丈夫、驚いただけです!」
「よし」
元気な声に頷きを返し、万碧は戦斧を閃かせ急降下した。カワセミが魚を捕らえるように刃を一閃、玉砂利の下に居た一体に深手を負わせる。
花吹雪が飛沫のように散った。
シャロンは声だけでなく、撃ち返す稲妻にも元気が溢れていた。言うなれば若雷(わかいかずち)か、深手を負った一体にとどめを刺す。
これが初の戦闘任務というが、位置取り、連携ともにしっかりしたものだった。
「そこです」
茉祐子は投擲型の∨兵器を発動し、刃のアウルを発現させる。そして大きく手を振って、春雷からの時雨のように無数の刃を降らせた。
剣呑な春時雨が玉砂利を穿ち、雷獣たちを燻り出す。
さらに墓地の戦闘を片付けた三名が戦列に加わり、縦と横からの連携で雷獣たちを追い詰めていった。
「ここなら」
セレスの炎が勢いよく大地を奔る。墓地での繊細な炎から一転、激しい爆炎。玉砂利の下に潜ろうとしていた数体がもんどり打って転がる。
「Verschwinde(消えなさい)」
それらが地に足をつけるより早く、ケイの銃弾が一体を抉った。
「夏の雲、見えていたら」
光奈は呟く。
雷獣たちが飛べたら話は違っていたかもしれない、彼女たちとて苦戦は免れなかっただろう。
「でも、違う、違うのね、あなた達」
それは雷獣を模しただけの兵器。誰かを傷つけるためだけに作られた、かわいそうな牙。夏が来ても飛べたかどうか。
少なくとも、友達には、なれない。
淋しげな声と瞳、それでも上空から狙い撃つ光奈の弓に躊躇いはなく、一体が串刺しになって動きを止めた。
「は! 無粋な真似はさせへんよ?」
今宵この場に、漆黒の翼を止められるものは無い。
ゼロは機動力全開、縦横無尽に戦場を飛び回り、短き春の夜を駆け巡る。
地に摺るような低空飛行から、掬い上げるような大鎌の一閃。雷獣がまた一体消し飛んだ。カオスレート差もあって、撃退数は群を抜く。
その勢いをふわりと殺し、前宙しつつ舞い降りた先は伏比女桜。黒いアウルを外套のように揺らし、依頼人の隣へ並ぶ。
「どないや?」
「悪くないね」
質疑応答は一瞬だが、意味と意図は通じていた。
ゼロはニヤリと笑うと、再び戦場へと身を躍らせた。掻き消えるような速さだと、トホルは思った。
入れ替わるように倫が駆け寄る。
「依頼人さん、一匹、こっちに来ます」
その雷獣に攻撃の意図はなかったのだろう、だが逃げ惑ううちに伏比女桜へ近づいてしまったらしい。
倫はすかさずタウントを発動した。「こっちこっち」と手を振っただけにも見えたが。
牙を向いて飛びかかる雷獣を、倫は一旦アウルと装備で受け止めて、それからなんと素手で抱きついた。
「捕まえた!」
「おお!?」
思わず声を上げるトホル。
すると、バチッと火花が散り、倫は小さな悲鳴を上げて雷獣を離した。
「やっぱり、モフモフです」
「え、マジで?」
思わず雷獣を覗きこむトホル。小さな獣はキシャーと叫んで再び飛びかかるが、倫の剣とトホルの蹴りに叩きのめされた。
「また来ないかな」
そんな倫の言葉を聞きつけたか、この後、境内の戦列に加わった彼女は雷獣からの電撃や体当たりを三回も防ぐことになった。だが防衛に向いたスキルと装備、カオスレートが近いのもあって、ほとんどダメージにならなかった。
(今時のJKはタフだな……)
トホルは額の汗を拭った。
野生動物は、余程のことがない限り、自分より強いかもしれない相手からは逃げる。直接戦うまでもなく逃げる。自然の摂理に裏付けられた本能だ。
その点では、雷獣たちは確かに自然の獣ではなかった。同数の撃退士たちに最初は襲いかかったのだから。
けれども、文字通り敵ではなかった。
M山G寺には、元の静けさが戻りつつある。
昏い山門から下る急な石段、ナミダ石の付近にて。
「見つけました」
セレスが呟き、魔術を放つ。
「八匹目……Letzt(最後ね)」
ケイが引き金をひく。その銃声が戦いの幕となった。
●甘き夜風
トホルは境内を見渡した。
伏比女桜には毛ほどの傷もない。柵がわずかに折れたが、元々なくても良いような古びた竹の柵だ。
境内に飛び散った玉砂利や墓地に空いた穴をならせば、後はほぼ現状回帰だった。
率先して手伝いを申し出てくれた一同に、トホルは深く頭を下げた。
掃除も一段落して、トホルは皆を集めてそれぞれ労いながら、大型ケースからペットボトルや水筒や、色々取り出して配った。仕切りのある保温ケースだから温冷いろいろ入っている。何気に大学時代から愛用していた。
乾杯。
ゆるやかな風が吹いた。
花びらが舞う。
この花見は皆で騒ぐたぐいのものではない、自然と分かれ、それぞれが居心地の良い場所へ落ち着く。
トホルはビニール袋に飲食物を移し替え、彼らの輪を巡った。
「無事でした!」
嬉しそうに、シャロンはランチボックスを取り出す。
「ん?」
万碧が不思議そうな顔をする。
「お弁当作ってきたんです!」
「シャロンが作ったのか」
「はい!」
「頑張ったな」
万碧に頭を撫でられて、シャロンはますます嬉しそうだ。
「はい、あーん」
当然のようにサンドイッチを万碧の口元へ持っていく。
万碧は困ったように笑い、「ありがとう」と受け取って、口に運んだ。
「美味い」
「やった!」
……そんな調子だったから、トホルは近づく気にもなれなかった。
だから声も聞こえない距離から言った。
「ありがとう、君たちは本当に、頑張ってくれた」
言葉に代わるように、花弁の波が、翼持つ二人に降り注いだ。
二人と桜を挟んで反対側に、光奈がいた。
花の散る大樹に片手を添えて、ただただじっと見上げ続ける。
トホルは、最初、気が付かなかった。
陰にいたというのもあるが、彼女はまるで、樹と同じ生き物であるかのような空気を纏っていたから。
騒がず、語らず、そこに在るだけの命。
「とても、大切にされてきたのね……よく、分かる。だって、とても嬉しそう……ね?」
萌ゆる季節の温度が、戦い抜いたミツハを優しく包む。
「……」
ありがとう。
心のなかで声をかけ、トホルは黙ってその場を離れた。
少し離れた芝の上に、茉祐子が佇んでいた。
「もう少し、近く行けば?」
「……いえ」
倍の年齢差、気が合うはずもない。
だからトホルは、伝えなければならないことだけを言った。
「ありがとう、助かった」
トホルが缶ビールを捧げると、茉祐子はやや儀礼的に、開けてもいない飲み物を合わせてくれた。
「桜は好き?」
「はい」
何気ない質問にはっきりとした応えがあって、トホルはビールを飲む手を止めた。
「……はい」
茉祐子はもう一度、頷いた。
彼女の視る(みる)桜は、どこにあるのか。
トホルは、それを知りたいと思った。
倫は色んな所を見て回っているようだった。
「依頼人さん、お疲れ様です」
「おう、今日はありがとう」
倫のほうから飲み物を掲げ、乾杯。
「すっごい桜、ですね!」
「だろ?」
「雷獣も可愛かったし」
「……」
それについては、曖昧な返事しかできない。
やはり今時の子は苦手なトホルだった。
Du, du liegst mir im Herzen,
du, du liegst mir im Sinn...
歌が聞こえて、トホルは足を止めた。
「我が心の花……」
鐘つき堂の低い壁に腰掛けて、ケイが歌っていた。
少し高いその場所から、少女は境内を見下ろしていた。伏比女桜と、その向こうに墓地と染井吉野桜も見える。
ふと、ケイの視線が動く。
トホルと目が合った。
「なにか?」
「Ich sehe nur Blumen aus(花を見ているだけだよ)」
咄嗟に零れたドイツ語は大学以来だ。合っているだろうか。
ケイは何も言わず、微笑んだ。
安心して、トホルは母国語に切り替える。
「ミス・ダリエは、帰られた?」
「セレスでいいです」
ボソッとした返答が思わぬところから来た。セレスはケイの座る壁の向こう側に、座っているようだった。そこからでは桜など見れないだろうに。
「ここにいるわ、一休みしてから帰るみたい」
「そうか……ともかく、ありがとう二人共」
「Bitte schon(どういたしまして)」
ケイは優雅に微笑んだ。
セレスからの返事はなかったが、気持ちは伝わったと、トホルは思った。
「で、一番の功労者は……」
飛び回っていたからそのまま何処かへ行ってしまったか? トホルがそんなことを考えていると、
「よう、ここやここ」
本堂の屋根を仰いだトホルの目に、下へと手を差し伸べるゼロの姿があった。
トホルは笑い、その手をとって屋根へと跳び上がる。
「いつもと違う景色で見る桜もおつなもんやろ?」
「確かに、ここが最高だ」
伏比女桜が近い、手で触れられそうな距離だ。しかも上からなので全体が目に入る。
トホルは袋からお気に入りのトラピストビールを出し、ゼロに差し出す。
「今日はありがとう」
「あんたもな、お疲れさん」
乾杯。
拳と拳がぶつかった。
度数の高いビールを一息に半分ほども煽って、トホルは深く息をついた。
ゼロのほうはというと、あっという間に一本を飲み干して、二本目を取り出していた。
「これ旨いな」
「だろ? 北欧のやつ」
どちらともなく屋根に座り、桜を見下ろす。
大きく、美しく……儚い。
どれほど大きくとも、今宵が盛り。それが過ぎれば散りゆくだけの花。
トホルは安堵の溜息をつく。
「これで今年も集まれる。皆のおかげだ」
「この桜を守ったんはあんたや」
ゼロは笑顔で、きっぱりと言った。
「あんたが依頼してくれな、この景色は見れんかったかもしれん」
男臭い笑みを向けられ、トホルは照れたように顔を背ける。
「花見の場所取りみたいなもんさ。不出来な兄貴の精一杯だ」
音もなく、花弁が流れる。
それくらいの小さな風が吹いた。
「ええ兄貴や」
その時、トホルはゼロを見ていなかった。
声に何かを感じて振り向いても、ゼロは桜を見ているだけだった。
「……」
伏比女桜は何もかも忘れそうになる美しさだった。
けれど。
それでも忘れられないことなんて、いくらでも、誰にでも、あった。
甘い夜風が皆を包む。
人と、天使と、悪魔と、桜、彼らの痛みもぬくもりも、生まれたての春風に護られて。
せめてこの時、この場所だけは、安らいでいられるように。