●剣士たち
古風な庭園は、そよ風すら聞こえそうなほど静かだった。
開けた空間は寂しいほど広いが、足元には白砂が敷かれている。誰かが動けば音はするはず。
撃退士と敵、七人と三体は睨み合ったまま、いや、見つめ合ったまま時だけが過ぎていた。
「何とも趣味的なディアボロだな」
千葉 真一(
ja0070)は開口一番に言ったものだ。
口のきける相手なら、言えた義理かと反論したかもしれない。確かに敵は古風な剣士といった出で立ちだが、真一の姿はまるでモニター内のヒーローだ。
「現代に蘇った剣士との戦」
神雷(
jb6374)が己の狐面に手をかけ、静かに滑らせる。
「……胸が高鳴ります」
面の下には無垢な童女の笑みがあった。戦を心から楽しみにしているのだ。
「相手にとって不足は無いんだよ」
そよ風に流れる髪をかきあげ、異口同音に呟く桐原 雅(
ja1822)。
それから風が二度吹くほどの間が過ぎて。
どちらともなく動き出す。
踏み出す足が白砂を鳴らし、衣擦れ、鞘走る音などが続く。
各々、敵はすでに決まっていた。
(剣士のディアボロ、か)
久遠 仁刀(
ja2464)は視線と気だけを相手に留め、静かに横へ進む。
知識を元に作り出した人形か、あるいは本当の剣士を素材にしたのか……いずれにしても、悪魔の玩具にさせておくわけにはいかない。
剣はただの道具ではないのだ。
●松葉
「流儀はあわせていこうかしら」
暮居 凪(
ja0503)の腕に光の文字が踊ったように見えた。それは一瞬で形状を固定し、盾となる。
「論理型近接戦闘術士、暮居凪。お手合わせ願うわ」
一刀を正眼に構えた敵から応えはない。達磨の面に『葵』の御紋が入った着物、見るからに気難しそうだが、実際は会話する力を持たないだけだ。
双方、会話をしに来たわけではない。
「私は我流で申し訳ないけれど」
風切り音すら淑やかに、フローラ・シュトリエ(
jb1440)の繊手から銀光が舞う。光纏と同時に放ったのが輝く鞭だと気づける者は余程の達者。
無論、敵は張り子ではなく、刃を動かすことなく躱された。
同時に凪が踏み込み、遠間から槍を牽制程度に突き出す。
躱され、刃で流され……刃はそのままスルスルと槍を遡り、凪の手首へと迫った。
「!」
凪は咄嗟にヒヒイロカネを起動。槍が数字の羅列となり、剣へ変化する。武器を入れ替えたのだ。
どうにか鍔元で受け、盾をつき出すが、敵の体はすでに遠間にあった。
合わせた刃を滑らせて、相手の指を切り落とす技……
「……新陰流・松葉、ね」
骨が折れそうだわと、凪は視線を逸らさぬまま、後ろへ肩を竦めてみせる。
フローラは苦笑交じりに返した。
「少しずつ確実に削っていきましょうか」
鞭を舞わせながら、それが容易くないと百も承知で。
●有構無構
「二刀流って言ったら二天一流ぐらいしか知らないんだけど」
小首を傾げるエルフリーデ・クラッセン(
jb7185)に、真一は力強く応える。
「当たりだぜ」
当たって良いのかどうか……だが、彼の言葉は皆を前向きな気持にさせてくれる。
二人が相対しているのは『明王』の面を被った剣士。両手に大小をそれぞれぶら下げている。
文字通りダラリと剣先を下げているのだが、二天一流の型にはここから始まるものが数多くある。かの有名な剣士の肖像も、脱力した立ち居姿だ。
有名であり高名なる剣士、いや、剣豪。多くの少年が憧れたであろう存在。
「変身っ!」
真一が叫び、アウルの光を纏う。
その瞬間、彼は撃退士・千葉真一であると同時に、弱きを助けるヒーローとなる。
天拳絶闘ゴウライガ。
『ROOT OUT』
ビュートモード……鞭状の蛇腹剣が稲妻のように駆ける。
だが伝承にある剣豪は鎖鎌を降している。その動きを真似たものか、小刀の一閃がゴウライガの剣先を弾く。
「わっ!」
合わせて踏み込んだエルフリーデは慌てて踏みとどまった。大刀が彼女を見つめている。
格闘にとって、刃はそのものが防御であり攻撃だ。剣先を突きつけるだけで良い。
「なるほど、よくできてる」
素直に強さを認め、真一はさらなる闘志を燃やす。
「でもな、小さい頃に憧れた剣豪をこんな形で使われるままにしとく訳にはいかないぜ。行くぞ!」
「はい!」
ヒーローとヒーローに憧れる少女は、剣の英雄を模倣する不届き者へ向かっていった。
●初太刀
三対一で睨み合いが続いていた。
仁刀が一言、「離れるな」と言ったのだ。
分かれた瞬間に敵は斬りかかってくる。『般若』の面をつけた剣士、群から外れた獲物を狙う獣。
取り囲むのは得策ではない、各個撃破の的になる。
「それでは、お願いします」
大包丁を手に、神雷が半歩を踏み出し、そのまま切っ先を相手に向けた。得物はともかく正眼の構え。
「気をつけてね」
静かに言って、雅が側方へ進み出る。ふわりと天女が舞うように、その手足に輝く羽が見えた。
動かない。
『般若』は蜻蛉の構えのまま、七歩の距離を保っている。
正面に神雷。彼女の斜め後ろに仁刀。左に回り込もうとする雅。
神雷の瞳が金色に輝き、一歩、踏み出す。
動かない。
神雷は、駆けた。
滑るように仁刀が続く。
雅が跳ぶ。
最接敵する神雷に攻撃の意思はない、彼女は受太刀だ。
「ィエッ!」
敵が動いた! 左足で踏み出し、右足で踏み込んで必殺の斬撃。
(?)
「走れ!」
仁刀の声を背に、神雷はそのまま走った。敵の脇を駆け抜けざま、胴を斬った。
斬撃は? 示現流必殺の初太刀は……
神雷が振り返る間に、仁刀の太刀と雅の蹴りが二度ずつ『般若』へ打ち込まれていた。蹴りは入ったが、仁刀の斬撃は斬撃によって弾かれていた。
神雷の追撃は、果たせない。
(そういうこと……)
ふっと金色の瞳が沈み、紫暗へと落ち着く。
「ふられてしまいました」
仁刀の左半身が血に染まっている。
あの状況、あの位置取りで、『般若』は無理やり仁刀へ踏み込んだのだ。神雷、雅の攻撃は当たるに任せ、最も強い敵を狙った。
二歩の踏み込みはそれだった、神雷への迎撃なら一歩で良かったのだ。
直撃ではない。久遠仁刀は学園でも屈指の実力者だ、だが彼をして、受け止めきれるものではなく、見切ることもできなかった。
「お下がりください」
珍しく凛とした声で、神雷は言った。
まとわりついて大振りを封じるやり方もある、だが示現流は余人の云うほど乱戦に弱くない。細かい技も多い。
それに……
(わしに魅力がなかったということなんでしょうけどねぇ)
神雷は先とは違う色合いに瞳を光らせた。
(悔しいじゃありませんか)
見かけによらぬ艷やかな笑みは、親しい者しか知りえない、悪戯を仕掛けるときの顔だった。
●折れた刀
神雷の当意即妙の策、いや悪戯は的中した。
手負いの仁刀を使って、敵を誘い込んだのだ。
邸に。
「!」
雅は小柄な体躯を活かし、常に低い体勢から踏み込んでいった。
畳に手をつき、足払い、低空の後ろ回し蹴り、中段への足刀という足元から昇る連撃を見舞う。
動きに精彩を欠く『般若』はその連撃に対応しきれず、被弾し、距離を取ろうと下がったところに神雷がいた。
「御免遊ばせ」
からかうように袖を振る。袖の閃きに大包丁の刃が重なる。
神雷の攻撃に敵を追い詰めるほどの威力はない、だが目眩ましには充分だ。
「っ!」
無言に放った雅の旋回蹴が『般若』の面を蹴り飛ばす。無情な一撃に首が曲がった。
雅は終始冷静だった。傷ついた恋人を的に晒し、淡々と『般若』への妨害に集中した。それが却って仁刀の被刃を防ぎ、そして邸に侵入と同時に阻霊符を使った。
……その昔、リュウキュウという王国が、示現流剣士の襲撃を受けた。
リュウキュウの戦士たちは狭い建物へ敵を誘い込み、満足に剣の振るえぬようにして戦った……カラテという武器で。
真偽は定かで無いが、敵の動きは明らかに鈍った。
特に仁刀を見失ってからは、神雷と雅のどちらを狙うか決めかねる有り様だった。
「こっちだ」
声がした。
『般若』は砂壁を砕きながら廊下へまろび出た。
そこだけは天井が高い。
仁刀がいた。
諸肌を脱ぎ、たすき掛けに布を巻いて止血した姿で、太刀を手に立っていた。
『般若』に感情など無い。造られた情報のままに構え、向かっていく。
仁刀も太刀を構える。右脇をしっかりと締め、左腕も自身に押し付けるほどピタリと構え、刃を立てて柄頭を握りこむ。
奇しくも同じ構え。
チェスト!
……どちらが叫んだか、空耳か。
けれども、とにかく、勝負はついた。
『般若』の脛から爪先へ、太刀が深々と食い込んでいた。
仁刀は深く踏み込み……先の雅と同じくらい低く、深く踏み込み、かなり前方で太刀を振り抜いたのだ。
敵刃は仁刀の頭上で止まっていた。
片足を完全に破壊され、『般若』は文字通り膝をつく。
「雲耀には、届かなかったな」
「……」
誰にともなく呟き、壁により掛かりそうになる仁刀を、雅が黙って支えた。
剣速だけなら、初太刀のときに負けていた。
けれども……
廊下の逆から現れた神雷は、静かに『般若』を見下ろす。
「介錯承りますが」
応えはなかった。
それは動きを止めていた。
使えなくなった時点で、折れた刀に価値はない。
「……」
神雷は黙って狐の面を被った。
●目に入らぬか
「遠山の目付、だったかしら。やらないよりはマシね」
凪が呟いたのは、一部ではなく全体を見るという武術の基本となる目の置き方。
その肩口から血が流れている。
「凪さん」
世間話のように声をかけるフローラも無傷ではない。突きが脇腹を掠めたせいで、服のスリットが更に際どくなっている。
「まだ大丈夫よ」
短いやりとりは、治療の必要を問うものだ。
不要と判断。
敵もまた無傷ではない、いや、損害は向こうのほうが大きいはず。
……今から少し前、不意に凪が口にした作戦に、フローラですら一度は聞き返した。
「今なんて?」
「肉を切らせて骨を断つ、よ」
まさかの力押し……だが、そう見せかけて、凪のロジックは最も合理的と判断していた。
チェックメイトのために犠牲は必要、駒が自身なら否やはない。
フローラが四神結界を二人に使い、波状攻撃。時にCODE:LPを発動し、強引に敵の動きを抑えこむ。
動きを読むのは容易かった。当たり前のことだが、無傷で勝とうとするのだ。
無論、動きが読めたところで勝てるというものではない。それでも、凪の直線的な攻撃に併せたフローラの鞭は細かくダメージを与え、一度は氷の結晶に敵を包み込んだ。
そして。
「Checkmate」
盾を消した左手で眼鏡を直し、凪はふっと息をついた。
その隙を逃す『葵』ではない……だが。
「お待たせ、だよ」
風に運ばれた羽のように、雅が舞い降りる。
慌てたように『葵』が止まった。
そこに美女たちの洗礼が容赦なく降り注いだ。
勝負は見えていた。
彼女たちは無傷で勝つ必要など無かったのだ。
「一人では分からなかったけれど……仲間を信じたこちらの勝ちね」
さようなら。
敵の消滅を確認し、凪はようやく痛みを感じたように苦笑した。
●敗れたり
負けるはずなかった。
理由ならいくらでもある。
少なくとも真一は、最低三つは挙げられる。
まずは格闘戦だ。
「流れ掴ませたら危ないって分かってるからね!」
エルフリーデの乱撃は荒削りだが、とにかく手数が多く、休まなかった。
もちろん危険な場面もあった、しかし一刀ずつ二人で相手取るよう仕掛けていたため、互いに必殺の一撃を受けずに済んだ。
「振りかざす 太刀の下こそ地獄なれ 一足すすめ 先は極楽」
真一の心に古い詩が浮かんだ。
彼もまた白刃を掻い潜り、格闘の間合いにいる。武器を飛ばされたとき、逆にそれを機として飛び込んだのだ。エルフリーデも鋭い踏み込みで続き、今の乱打戦に持ち込むことができた。
戦いの中、少女はヒーローの動きを見ていた。
そこに神雷が大剣をかざして飛び込み、『明王』の動きが崩れる。
「よし! ゴウライ、ナッコォッ!!」
真一の攻撃が苛烈さを増す。
(もっと限界まで! それ以上!)
エルフリーデもそれに続く。
『明王』が武器を木刀に持ち替えたが、間合いの優位は変わらなかった。むしろ長くなっては余計に邪魔だ。
「あれって、ガンリュージマ、だよね?」
「格好だけだ、気にするな!」
エルフリーデの呟きへ、真一の応えは簡潔だ。
かの剣豪が真剣勝負に木刀を遣った理由には諸説あるが、ひとつには「稽古で日頃から扱っているため」という。手に馴染むということだ。
最初から技術を持って造られた剣士に、稽古という概念はない。つまりせいぜい軽くなる程度で、無意味なのだ。
それに比べ、このヒーローに憧れる少女はどうか。今まさに強くなっているところではないか。
『稽古をば 疑うほどに工夫せよ 解たる後が悟りなりけり』
強さを与えられたものと強くなろうとするものの違い、これが二つ目の理由だ。
そして、最後に。
「セィァッ!」
真一の回し蹴りが『明王』の側頭部を捉えた。
エルフリーデの腕、拳からジャキンという金属音が響く。
続いて、爆発のような音とともにエルフリーデの拳が『明王』へ打ち込まれた。
腕を振り回すように体重を載せた一撃は、敵を吹き飛ばすに十分な威力だったが、大振り故に直撃にはならなかった。
「あ……」
間合いが開いてしまう……
そのとき、エルフリーデの隣から一陣の風が舞い上がった。
風は天空を突き抜け、流星となって大地を抉った。
「ゴウライ、流星閃光キィィィィックっ!!」
轟音は先程の比ではなく、抉られた大地に、消えてゆく敵の姿があった。
●武
ボロボロになった庭園で、同じく無傷ではいられなかった撃退士たちが、しばしの休息をとっていた。
「多少は武術かじった方がいいのかな?」
エルフリーデの呟きに、傍にいた真一が応える。
「悪くないと思うぜ」
笑顔だった。
「どういうのがいいですか?」
「何でもいい。大事なのは、強くなりたい気持ちを忘れないことだぜ」
彼は変身しなくてもヒーローだった。
『力とは 手足体のことでなく ただ一心の内にこそあれ』
強くなるだけなら強い武器でも使えば良い。
なぜ剣なのか、なぜ武術なのか。
武とは、弱い者が強い相手に立ち向かうための、工夫と努力そのものなのだ。
それを知らない形ばかりの模造品に、彼らが負けるはずがない。
そんな会話が聞こえて、神雷は、笑みともつかぬ切ない瞳で風を追った。
「では、ご開祖の太刀はもっと速かったんでしょうか……」
それは人の持つ強さ。
最初から強く生まれついたものには、決して辿りつけぬ境地。
けれども、そういうことならば。
(わしも、いつかは)
神雷は庭を眺めた。
人がいる。様々な強さを持つ人が。
愛する想い、自由な思考、囚われない心、ヒーローの決意、憧れ……
彼らは強さを育てている。
今、この瞬間も。