●序ノ舞
色とりどりの花が咲き乱れる絢爛な花園、そこは黄昏に浮かんだ雅なる舞台。
甘く涼やかな華の香に包まれ、仕手(シテ)と連(ツレ)が舞う。
三役もいないというのに、黄鐘調の音色が聞こえてくるような幽玄の美。
永遠の花園。
永久に咲き誇る美の舞台。
そこは紛れもなく戦場だった。
(連携……いや、連舞か)
麻生 遊夜(
ja1838)は声も出せず、咳き込んでいる。
虎落 九朗(
jb0008)が癒しの力を遣い、遊夜はどうにか危険な状態を脱した。
先手を取られた。
細かく言うなら最先手を取ったのは遊夜だ。
遊夜は先を制し、グラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)と連携して攻撃にかかった。仲間たちもそれに続く、はずだった。
敵がいきなり動きを変えた。
「なら、まとめて焼き切るまでだ!」
グラルスが魔術を放つ、だがその炎を浴びながら、『蝶の装束に身を包む骸』は一気に間合いを詰め、大扇を放ってきた。
「身意転剣……っ!」
光纏した九朗が辛くもそれを弾き、衝撃に呻く。まるで刃の風車だ。
佐藤 七佳(
ja0030)が疾走る。
「足止めをお願いします!」
「承りました」
同じく自らの役目を果たすために、香月 沙紅良(
jb3092)は静かに回りこむ。
「ふふー、花園ごと焼き払って差し上げますワっ!」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)がオーロラのような翼を広げ……
そこに薄紫色の花吹雪が襲ってきた。
『花の装束を着た骸』の動きは緩慢だった。無論、撃退士たちも油断していたわけではない、「遠近両方の攻撃」と情報にもあった。
だが範囲が広すぎた。
甘い香の花吹雪はポイズン・ミストに似ていたが、花園が毒香を更に拡めていた。
巻き込まれたのは五名。
グラルスと九朗は持ち前の魔力と打たれ強さで堪え、ミリオールは空へと躱す。
呼吸を乱さぬよう努めていた向坂 玲治(
ja6214)も問題なく防ぐ。
だが、遊夜は思わぬダメージに膝をついてしまった。九朗が癒しのスキルを使い……
それが今の戦況だ。
後衛を狙う飛び道具、集団を巻き込む術式、ディアボロの連携は的確なうえ強力だった。
永遠を渇望した執念か。
美しき花園に冷たい風が吹く。
だが、若者たちの心は変わらず、止まらない。
彼らとて百戦錬磨の撃退士、このくらい序ノ口というやつだ。
●破ノ舞
「散りゆくからこそ美しい、ってな」
似合わないなと自分で笑いながら、玲治は無造作な歩みを止めない。
「来いよ」
手招きする先には、『花』。挑発につられたか、大太刀を玲治へと向ける。
『蝶』の動きがわずかに歪んだ。
(この隙に)グラルスが遊夜を見やる。先にベリル・レジストで解毒を……
だが、遊夜は首を振った。
「いこうぜ」
咳き込みつつもニヤリと笑うその瞳が、赤い光を帯びてゆく。
グラルスが狙われたのは、彼の魔術が最も効果的だったからだ。
扇が再び風を裂いて青年魔術師へと迫る。
だがそれは銃撃を浴び、狙いを大きく逸らした。
「そいつは防がせてもらおうか」
まさしく絶望の拒絶者、遊夜の目は勝利を疑っていない。
グラルスは彼の思いを酌んだ。
「押し流せ、太陽の炎よ」
溢れる魔力が炎の結晶となる。
ミリオールも、太陽を模した火球を形作る。
「綺麗なお花は嫌いじゃないですワ」
小さな天使の感想はシンプルだ。「でも、この世界には合わないのですワっ」
「……」
機を計る七佳にも、その言葉は聞こえていた。
彼女はそこまではっきりと否定出来ない。命は生きる為に存在する、ならば永遠に生き続けたいというのは当然の欲求……
だが、今は戦いの刻。
意識を集中させた七佳の瞳が無機質めいて輝き、全身の神経回路を光が駆け巡る。
グラルスのヘリオライト・ウェーブ、ミリオールの偽りの陽、二つの太陽が花園を爆炎に包み込んだ。
アウルの炎で無残に燃えてゆく花々、つまりそれは、自然のものではない。
炎の中、『蝶』が後衛へと迫った。絢爛たる装束が凶鳥の翼のごとくはためく。
機!
「仕掛けます」
七佳が跳ぶ。体中を駆け巡るアウルがバーニア炎のように背後へ吹き上がった。
かなりの距離、だが光翼を起動させた彼女には一瞬の距離だ。爆炎の中を光となって駆け抜ける。
「くぅっ」
毒に呻きながら遊夜は拳銃を連射、援護する。
『蝶』は扇を開いて盾に……そこが死角となった。
一己の戦闘機械と化した七佳は、その死角を正確に捉えた。
すかさず『花』が迎え撃とうとするが、視線が動かせない。
タウントの効果だ。
玲治は、骸の眼窩が悔しげに歪むのを見た。
「悪いがその場所、空けてもらうぜ」
使い慣れない剣を手首で返し、意識を集中する。
七佳と玲治、背中合わせに放った二人の技が、爆炎と花吹雪を舞い上げた。
烈風の一撃が『蝶』を吹き飛ばす。
光の波が『花』を押し戻す。
分断。
まさしく風に煽られる蝶のように、同名の敵は吹き飛んだ。得物を盾に辛くも直撃を免れた『蝶』はふわりと地に着くや、再び舞い上がる。
そこに、チタンワイヤーが絡みついた。
「黄昏の花園……花の香が、偽りなのだと教えてくれますわ。『聞く』までもない香で御座いますね」
燃え散る花は灰にもならず消滅してゆく。香道の家元に生まれ、香に慣れ親しんだ沙紅良には、擬物(まがいもの)だとはっきり知れていた。
如何にその姿が美しくとも、擬物に心動かされる事はない。
ギリリとワイヤーを引き絞る繊手の右手甲に、月落ち桜の紋が浮かんだ。
「役者は揃いました、終焉の舞台を始めましょう」
●キリノ舞
九朗のコメットが『蝶』に重圧を与え、沙紅良のワイヤーと合わせて機動を奪う。
こうなれば合流は至難の業だ。
咳を呑み込んで遊夜が拳銃を連射、鱗粉を貫いて数発が命中するが、敵の動きは鈍らない。
『蝶』は七佳をいなしつつ片方の扇を遊夜へと放つ。
それを九朗が受け止める。ほとんどストロークのない投擲だというのに重く、鋭い。
「ぃってぇ」
「ゴホッ……悪いな……」
「大丈夫です!」
しびれる腕を振って胸を張る九朗。弱っている遊夜では一撃も耐えられないだろう。
回復まで後少し……遊夜は呼吸を整えながら、戦況と戦場を確認する。
作戦は上手くいっている、だがこちらの組には決定打を放てる人員が少ない。彼が出なければ、舞は長引くばかりだ。
「ふぅ」
それは胎息か嘆息か、彼自身にもわからない。
見せ掛けだけの美に永遠の灰色……本当にこんな物が望みだったのかね?
「!!!」
七佳は拳脚の連打を囮にパイルバンカー撃ち込んだ。だが連打は扇に防がれ、本命の一撃はひらりと躱される。
飛び回る姿からは信じられないほど巧みな接近戦、扇がひらめき、七佳の腹から胸を切り上げた。
激痛!
だが致命傷ではない。機動力を全開にして距離をとる七佳。あまりの速度に足元の花が舞い上がり、血と花弁の軌跡を描いた。
追いかけようとする『蝶』を、ワイヤーが邪魔する。
「その見えぬ翅、引きちぎって差し上げましょう」
沙紅良のワイヤーは着実にダメージを与えていた。普通なら輪切りになっているはずだが、膂力の違いから引き切ることが出来ない。
この強さ、分断をしてからが本番ということか。
無論、連携をしのいだくらいで終わるとは誰も思っていなかった。
片側の戦舞台でも、激闘が繰り広げられていた。
撃剣、爆音、風の鳴き声……激しい楽の音が剣呑に響く。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込め」
グラルスのジェットヴォーテックスに花吹雪が渦を巻いた。
それでも『花』の剣筋は鈍らない。
血の花を求めて打ち下ろされる大太刀。
そこへ躊躇なく踏み込む玲治、距離を潰して大太刀の根元を我が身に受ける。
「効かないぜ?」
だが、反撃の剣は逸らされてしまう。慣れない得物ということもあるが、そも剣術が敵に及んでいない。
そこに、オーロラの揺らめきが舞い降りる。ミリオールの翼だ。
「次はわたしと踊るのですワ……」
戦の悦びに瞳を潤ませ、誘うように囁く声は、幼いくせに背筋をなぞるような艶があった。
武器を技を入れ替えながら、幼い姿体が無邪気に踊る。
紅い花吹雪は収まる気配を見せない。
●仕ノ舞…蝶の段
扇を構える『蝶』の前に、赤瞳の死神が立ち塞がった。
「……いい加減、終わらせよう」
赤黒い霧を漂わせ、遊夜は舞うような足取りで進み出る。舞い踊る死の渦へ。
扇と拳銃の連舞が始まった。
二組の拳銃と扇が共に相手の死角を狙い、同様の軌跡をたどる。動きに付き合うつもりはない、互いの狙いが噛み合うため、どうしても軌跡が交叉するのだ。
左右の扇に左右の拳銃を。
右の銃撃に左の斬撃を。
上から狙えば下から潜り、旋回すれば逆側に廻る。
優雅とも呼べる穏やかな気の流れ、しかし殺意に満ちた、容赦なく無駄のない動き。
先程から、援護なしで攻撃を当てられるのは遊夜だけだった。
それゆえの危険な賭け、彼には一撃が命取りだ。
逆に遊夜は、一撃で仕留める攻撃を持っていない。だからこそ彼の狙いは……
「虚ろなる花園に……」
仰け反るように斬撃を躱し、一つ二つと距離をとる。
ディアボロは気づいただろうか、己の装束に、いつの間にか華の模様が加えられていることに。
「腐れ蕩けて咲き誇れ、爛の華」
蕾として撃ち込まれた血色の華は、舞のさなか、毒々しい花弁を美しく広げていた。
腐爛の懲罰……それは護りを腐らす死の華を咲かせる。
禍々しい遊夜の唄が、幕引きの合図となった。
……終わる。
『蝶』の装束に穿たれた華を、一条の光が貫く。
「闇に生きる哀れな蝶よ」
鶺鴒を手にした沙紅良のスターショットだった。
「此れで終演に御座います」
さらに一射。
三重十文字に息合い乱さず、引分けから……離れ。
脆くなった防御を貫かれ、『蝶』の動きが苦悶に歪んだ。
舞の終わりを感じて、九朗は呟く。
「永遠なんて、言い換えりゃ停滞だ」
永遠の虹だの花園だの、天魔は永遠ってのが好きだね……
わからないわけではない、人間にだって永遠を求める者はいる。
けれども。
九朗は走る。その背で激しく回転する太極図は、光と闇、終りと始まりの印。
「俺は変わる方が好きだけどな!」
信念というほど確かなものではないけれど……気合の乗った一撃が『蝶』の片腕を飛ばした。
ふらりふらり、風に煽られる一羽の蝶。
最後の力で大扇を振りかぶり、放つ。
それと同時に。
光が、哀れな羽を縫い止めていた。
「……貴方を討つ事が正義だとは、言いません」
光の名は、佐藤七佳。
破陣……多重魔法陣によって増幅した力を撃ち出す光纏式戦闘術の技。
それを光翼の速度と併せた、今の彼女にできる最大の一撃。
七佳は、己のすべてを撃ち込んだ。
すべてを込めて、殺した。
「これはあたしの罪です」
呟き、腕を引く。
少女の全身を巡るアウルの光が消える。
その光とともに、永久の舞手は蝶のように儚く、散った。
●仕ノ舞…花の段
敵の攻撃は玲治へと集中したが、それこそ望むところだった。
広範囲の毒花の術も、グラルスはオブシディアン・シールドで防ぎ、ミリオールも直撃されない立ち回りを心得ていた。
舞は明らかに精彩を欠いていた。
玲治が攻撃を引き付け、ミリオールが撹乱し、グラルスが大火力を叩きこむ。
「炎の術はまだ終わりじゃないよ」
グラルスの放った柘榴石のような結晶が次々と炎を上げ、弾ける。
『花』が音もなく苦悶する。
その隙に切り込む玲治だが、太刀に弾かれ剣はあらぬ方へ……と見せて、身を翻して勢いを載せたアイアンシールドを叩き込む。使い慣れた得物だ。
だが、直撃したのは防ぐまでもないため。
敵の体は花弁となって崩れるが、すぐに再生してゆく。
「おしまいですワっ」
そこにミリオールが偽りの陽を撃ち込んだ。
炎が燃え移った。絶叫するように『花』が仰け反る。
花の香が毒気と呼べるほど濃くなった。
文字通り己が身を燃やし、『花』が最後の力を振り絞る。
「踊ろうぜ、燃え尽きるまで」
踏み込む玲治。合わせるように大太刀が打ち下ろされ、ざくりと食い込んだ。
致命傷に近い一撃。
だがそこに、癒しの力が流れ込む。
射程ギリギリから届いた九朗の力だ。玲治とて狙っていたわけではない、が、信じていた。
これが撃退士の連携。
膝をつくかと思われた玲治は、落ちた重心をそのまま次の踏み込みに変えた。
「終わることの美しさを知れ」
太刀の間合いの内側から、玲治の輝く掌が『花』の顔面を撃ちぬく。
「……なんてガラじゃないか。ま、悪くなかったぜ」
そして、どこか寂しそうに笑った。
ゴウッと強風に煽られたように花弁が散る。
舞手の体は花弁となって崩れ……崩れ、崩れてゆき。
花弁は風に舞い、炎に煽られ、燃え尽きる。
……そしてそのまま、二度と芽吹くことはなかった。
●留
舞台が炎の中へ消えてゆく。
後には、夕闇わだかまる公園の、何事もなかったような静けさ。
仄かに漂う香りも、やがて消えてゆく。
いや、消え去ることはない。
草木の匂い、夜風の香……
やっと本来の香を聞き、沙紅良がほぅと息をつく。
舞手が失われた舞台なれど、この静けさが本来の香。
「お眠りなさいませ、永遠に」
それは紛れもない永遠。誰も望みはしないだろうけれど。
「安易に他人から与えられる願いなんぞたかが知れてる」
努めて冷たい声で、遊夜は言う。
「一瞬の虹だけが尊いって訳じゃねぇが……コレは間違いだろう?」
願いはよほど強かったのだろう。
だからこそ、許せない。
後悔はないけれど……
ふと、彼女に逢いたくなった。
無口な恋人は、ただ頷くだけだろう。
けれど、それを抱きしめたい。
「……終幕か」
一人離れて呟くグラルスも、花園を焼き尽くしたことに後悔はない。
「いいところだ、昼間に来たいね」
何事も無くそう言えるのは、そのままを受け入れているから。
「だぁ〜!」
疲れ果てて芝生に寝転ぶ九朗は、回復に防衛に攻撃にと、あまり花園を見ている余裕がなかった。
ちょっと勿体無かったと思わなくもないが。
「とっても素敵ですワっ」
ミリオールが小さな野花に感激するのを見て、九朗は思わず笑った。
「だよな、散って咲いてのサイクルあってこそだし」
「俺はそれより団子だ」
呑気な玲治の言葉に、少年たちの笑いが大きくなる。
玲治にも、自分なりに貫くものがある。美学なんてもんじゃない、強いて言うなら自分らしさ、だろうか。まあ、疲れた時には甘い物だ。
「……」
七佳は静かに目を閉じた。
絢爛たる花園が、凄絶なる舞が鮮やかに蘇ってくる。
目を開く。
もうそこには何もない。
けれど。
「……忘れません」
七佳は思う。
忘れない。
偽りの花園でも骸の舞手でもなく、そうまでして永遠を求めた人たちを。
冬を乗り越え 春に芽吹いて
夏に咲き誇り 秋には枯れる
たとえ半ばに朽ち果てても
思いは誰かに伝わるだろう