●闇
眠らない街という安っぽい文句がある、だが街が眠ろうが起きようが光のない場所が暗いのは当たり前だ。
その廃ビルは都会にあっても周囲からの見通しが悪く、入り組んでいるため昼でも暗い。夜ともなれば足場すら危うい。
これから先も、ここに光が差すことなどあるのだろうか。藤宮睦月(
ja0035)はそんなことを思う。
「はぁい、音声は良好かしら?」
青木凛子(
ja5657)の場違いに甘い声に、睦月はハッと顔を上げた。睦月は索敵担当だ。
「敵影はございません」
「こちら二斑、異常なし」
通信を担当するグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が睦月の言葉を継いだ。
「りょうかぁい、怪我をしないで帰りましょ」
一班の通信担当は投げキッスのように締めくくった。
二斑は睦月、グラルス、ユリア(
jb2624)、樋熊十郎太(
jb4528)という顔ぶれ。
「暗いし、足場も悪いか」
別方向に視線をやりながら、グラルスは頭部のスナイパーヘッドセットを確かめた。一見不似合いだが、銀糸のような髪に無骨な近代装備は意外に映える。
「ほんとにね、奇襲には気を付けないと」
ユリアは陽気に周囲を照らす。
その後ろ、通信機器に映った地図を見ていた十郎太が、ふと声を上げた。
「ちょっとすみません、そっちを照らしてもらって良いですか?」
「は〜い」
ユリアの照らした一角は、不気味な廃ビルの中でも特にごみごみした区画。
十郎太は地図をリュックに戻し(妙に可愛らしいリュックだと皆が思った)、廃材や朽ちたシートを押しやりながら踏み込んでゆく。
やがて蓋のないマンホールが見つかった。
十郎太は音もなくパイオンを伸ばすと、このビル唯一の地下への逃げ道に十文字を張った。肉を切り裂く糸の扉、無理やり押し通れば残酷なトコロテンの気分を味わうだろう。あとは阻霊符を使えば完璧。
ビルの地図データを手に入れてきたのは凛子だ。
地形把握の得意な十郎太がそれを参照し、敵の逃げ道になりそうな場所を次々に埋めていた。
完了の合図に十郎太が親指を立てると、ユリアも真似をして親指を立てる。小さな笑いが起きた。
……
睦月は静かに息をつく。
正直なところ蛇は苦手だが、発見の呼びかけが悲鳴では話にならない。
「参りましょう」
変化した睦月の気を感じ、グラルスは「ああ」と笑顔で頷いた。
その時、通信が入った。
「向こうに出たか」
皆が一斉に周囲を見回す。逆サイドの方角で光が小さな輪を描き、消えた。
発見の合図だ。
「先行くね!」
ユリアが黒い翼を広げた。
「お願いします!」
睦月も後を追う。
グラルスも走りながらヘッドセットを外し、サークレットに付け替えた。
十郎太も笑みを消し、駆け出す。
(さて初仕事。みなさん無事に帰っていただきますよ)
時間はわずかに遡る。
一斑もやや離れた場所で索敵を続けていた。
「嫌な建物だな、ほねがおれるぜ」
渋くボヤいた小学生は一斑の索敵担当、Sadik Adnan(
jb4005)。
「キュー、次はあっちだ」
小柄なヒリュウが「キュー」と鳴き、鉄骨の間を縫うように飛んでゆく。相棒と意識を共有しつつ、Sadikは反対側を確認していた。
彼女が視ているのは敵だけではない。崩落の危険も考え、頑丈そうな場所を探している。
その足が止まる。
それを見て、凛子は囁くような声を投げかけた。
「ファリスちゃん」
数mほど先行していたファリス・フルフラット(
ja7831)が静かに振り返る。
「上ですか?」
「……」
ファリスの問いに、Sadikは頷きを返し、小さな指で右手側を示した。
「あの辺なら暴れられそうだぜ」
「了解」
ファリスは愛用の双剣アヴェンジャーの小ぶりな刃を確かめ、移動する。
凛子は甘い声で二班へ通信を送る。そして上から見えない位置でペンライトを振って合図し、逆の手で阻霊符を取り出した。
一斑が先に接敵したのは必然だ、ファリスは服の内側に大量の懐炉を貼り付けていた。
敵は気づいている。
というより彼女たちを狙って近づいている。
「蛇は悪魔の象徴だ、排除しなくちゃいけねぇな」
Sadikはキューを呼び戻した。小さな相棒は戦闘に向いていない。
凛子が阻霊符を展開し、ライフルへと持ち替えた。手近な瓦礫に身を預け、ナイトビジョンをオン、コキングレバーを引く。
そして。
鞭のような風切音とともに、廃ビルの主が……巨蛇が彼女たちの頭上から、逆落としに襲い掛かった。
●死角
多くの動物にとって頭上は死角となる。見えていたとしても対応できず、逃げるしかない。
撃退士たちもそれは心得ていた。
狙われたのはファリス、だが彼女は危なげなく攻撃をかわし、巨蛇から距離をとった。
奇襲はしのいだ。
「まだ起きだすのには寒い時期なんじゃなくて?」
速攻となればインフィルトレイターに敵うものはない。瓦礫から半身を乗り出した凛子は素足もあらわに片膝をついて、狙撃鏡を覗くなり引き金を引いた。
装甲を溶かす特殊な一撃だ。禍々しい鱗に血の花が咲き、爛れてゆく。
「出番だぞヒヒン!」
スレイプニルのヒヒンがSadikに応え、側面から巨蛇に突撃した。巨体が打撃に揺れる。
しかし、巨蛇はどちらの攻撃も気に留めた様子はない。高所に尾を巻きつけ、ぶら下がった姿勢のまま鎌首をもたげる。ひらがなの『し』のような体勢だ。
ファリスは間合いを詰めれずにいた。横に回ると、巨蛇の頭は彼女を追う。
(作戦通り、ですね)
だからこそ自分からは近づけない。
ヒヒンが飛び掛り、Sadikが自らも矢を放つが避けられた。
揺れた鎌首が戻るのに合わせて、凛子は再びアシッドショットを放つ。命中、しかし敵は揺るがない。
ちょっとした膠着状態を崩したのは、文字通り飛び込んできたユリアだった。
ユリアが無手を振ると、巨蛇の鱗にタタンと穴が穿たれる。月明かりのようにおぼろげな矢が姿を見せたのは目標に刺さってからだ。
巨蛇が鎌首をめぐらせた。
狙いはユリア。大口を開けて、飛ぶような速さで首を伸ばす。
「こっち来た? ってことは、効いてる証拠かな」
慌てず、ユリアは高度をとった。充分に距離をとって、手近な鉄骨に着地する。
が、巨蛇はその首をさらに上に向け、ユリアには目もくれず上っていく。高所に尾を巻きつけているため、他に足がかりがなくても上れるのだ。
「逃がしはしない、ってね」
ユリアは足場を蹴って再び飛翔した。
巨蛇と平行して上昇する。
すると上昇していた巨大な顎がカッと開かれた。
ユリアはその攻撃を予測していた。
クロクビコブラは牙にある毒を数mも飛ばし、獲物の顔に吹き付けるという。
この巨蛇は自然の生物ではありえないが、それゆえに不自然なほど強力な毒を持っていた。
ユリアが咄嗟に隠れた鉄柱を毒液が抉った、へばりついていたビニールシートが白煙を上げる。自然界の毒ではありえない。
そして、毒の顎が下を向いた。
しまった!
「みんな下見て避けて!」
ユリアの叫びは、一瞬、遅い。
毒液が雨のように下界へ降り注ぐ。
「!!」
次々と悲鳴が上がった。
うっかり上を仰いでいたら毒液が目に入っていたかもしれない。ヒヒンとSadik、凛子、ファリスは、肌を焼く激痛に呻いたが、目に入った者はいなかった。
だが、これでは真下から見上げることができない。
皆が手を出せずにいるうちに、巨蛇は体に見合わぬ素早さでするすると上昇してゆく。
その姿が、やがて完全な闇の中へ消える……刹那。
「お待たせして申し訳ありません」
飛燕の如く風を切る扇が、闇色の鱗を掠めた。
無論、その程度では足止めにもならず、巨蛇は闇の中へと消えてしまう。
しかし、これでヤツはもう逃げることができない。
どこへ逃げても、『彼女』がマークを追いかけ、探し出す。
舞い戻る扇を優雅な仕草で受け止めたのは、藤宮睦月。
グラルスと十郎太も駆けつけた。
さあ、反撃だ。
●反撃
十郎太が火を焚いたおかげで、暗闇がだいぶマシになった。
その明かりの中、毒液を水で洗い流し、手荒く包帯を巻いている小さな手。
タフな応急処置をしながら、Sadikは忌々しそうに舌打ちした。
「やっこさん、そこそこかてぇな」
そこそこというレベルではない、宙にぶら下がったワイヤー束を切るようなものだ。グニャリと衝撃を吸収し、するりと矢弾を滑らせる。
蛇の鱗はそもそも硬い。
「ぶつ切りにして焼いても、なかなか噛み切れなかった記憶が」
軍人の経験談としてはありがちだが、語っているのが金髪碧眼の戦乙女見習いというのがシュールだ。
「小骨も多いですからね」
こちらは見たまんまのマタギ発言、十郎太。
「あ、だから黒焼きとかにしちゃうんだ」
「ダシとったりねぇ。ハブ酒とか、キくわよぉ?」
ユリアと凛子が楽しそうに語り合う。
「この国の食文化はやはり独特だね」
グラルスの指摘がどこかずれているのは、故意なのか本気なのか微妙なところ。
こんなふうに無駄話をしつつ、彼らは待っている。
「動きました」
睦月の声に、各々が得物を確かめ、気力を調整する。
夜目、気配感知、マーキング……今の彼女からターゲットが逃れることは不可能だ。
もう一度、睦月が言った。
「ファリスさん」
「やはり来ましたか」
メンバーは全体的にやや散開しているが、ファリスはもう一回り外側にいる。狙われるために。
巨蛇はファリスへと向かっていた。
十郎太が、珍しく固い声を出す。
「無事に帰るのも、任務の内ですからね」
「はい、無理はしません」
ファリスがどちらともとれる返事をした、その時。
「来ます……!」
睦月の声と重なる、鞭のような風切音。
巨人の腕が伸びるように蛇体が飛び、顎がファリスに迫る。
空気が一斉に動いた。
「おちてもらうよっ」
ユリアの声とともに空間が月光色に凍てつき、炸裂する。巨蛇の背が裂けた。
避けざま、ファリスは双剣を振りぬいたが、強固な鱗を滑っただけだ。
凛子は残りのアシッドショットを放つ。全弾命中。
それでも巨蛇は尾を高台の鉄柱から外そうとしない。
そこにダメ押しが加えられた。
「貫け……」
グラルスの言葉に合わせて、雷の欠片が次々と迸った。狙いは巨蛇の掴んでいる鉄柱だ。
激しい電流が流れ、火花が奔る。
ついに巨蛇が転落した。
苦し紛れに毒液を撒き散らすが、十郎太が足元のビニールシートを捲り上げて防ぐ。後ろのSadikと睦月には届かない。
「よし、いけヒヒン!」
Sadikの意思を受け、ヒヒンが縦横無尽に飛び回り、突撃する。
睦月は風をまとう扇を放ち、器用に軌道を変えて巨蛇の死角から命中させる。
爛れた傷が血を吹く、凛子のアシッドショットが鱗を弱らせていた。
しゃあああ!
巨蛇が吠えた。退くと見せて方向転換し、撃退士たちの周囲を旋回する。
速い。特急電車が延々と目の前を横切っているような圧力だ。
誰もが敵の頭の位置を見失いかける。上空から見ているユリアやマークしている睦月以外、鱗の壁が動いているようにしか見えない。
撃退士たちは術や刃を繰り出すが、巨木のような胴体には決定打にならない。
その矢先、ファリスの背後から巨大な顎が飛び出した!
誰かが声を上げたが、ファリスは振り返りもせず、身体を丸めるように縮めて背後に跳んだ。
そして……飲み込まれた。
(この食事は高くつきますよ!)
ゴクリと巨蛇の喉が動く、その瞬間。
ファリスは闇の力を纏わせたアヴェンジャーを捻るように動かし、一気に刃を伸ばした。この双剣特有のギミックだ。
その最小の動きが最大の一撃となった。
刃が、嗅覚をつかさどるヤコブソン器官と赤外線を感じ取るピット器官を、深々と抉る。
巨蛇はビクリと震え。
ゴクリと、喉を動かした。
そして凄まじい勢いで暴れだした。
ファリスの姿は、見えない。
●いきるもの
『暴発行動』……生き残るために命を振り絞る行動だ。生命の危機を感じたとき、動物は命がけで暴れまわる。闘争し、逃走するために。
今の巨蛇はまさにそれだ。
暴れるなどという言葉は生ぬるい。鉄の巨大ネズミ花火が跳び回り、跳ね回るような有様。
所詮は暴走だ、近づかなければ問題ない。周囲の崩落なども考えれば、静観こそが最善の手段だろう。
だが。
彼らはふみこんだ。
さっきよりも大きく、強く、激しい攻勢に出た。
それもまた暴発行動に似ている。
己が生命ではなく、仲間の危機にこそ、命を振り絞る……
ヒトという動物にのみ起こりうる暴発行動だ。
グォ!
十郎太が、羆のように突進する。獣の影がまとわりついて見えるのは、彼自身のアウルだ。丸太のような尾が直撃しても倒れずに、逆にそれを抱え込んだ。
狙撃鏡を覗くのももどかしく、ありったけの弾丸を打ち込む凛子。ゴージャスなシャンパンゴールドのアウルが、暗闇を艶やかに彩る。
睦月の扇が風を切って宙を舞い、巨蛇の後頭部を切り裂く。
親友Sadikの思いに応え、ヒヒンが縦横無尽に跳び回り、爛れた鱗をさらに抉る。
総攻撃の中にあってもグラルスは冷静だ。彼はユリアのスキルが効果的であったことを見逃さず、自らの術を組み替えていた。
「灰簾(かいれん)よ弾けろ」
タンザナイト・ダスト……青紫に輝く氷の結晶が速射砲の弾丸となって、巨体を文字通り削ってゆく。低温は爬虫類にとって致命的だ。
「やっぱいいよね、人間てさ」
ユリアはどこか嬉しそうに笑い、必殺の吹雪を炸裂させた。
頬に当たる風を感じて、ファリスは目を覚ました。
身を起こすと、安堵の声が上がった。
「……」
まだ覚醒しきれず辺りを見回すファリスの頭に、ポンと凛子の手が乗った。
「蛇は獲物を消化するのに何日もかけるっていうわよねぇ……でもぉ、無 茶 し す ぎ」
「……すみません」
うなだれるファリスの頭をそのままの手で撫でながら、凛子は微笑んだ。
ファリスは座り込んだまま、皆を見渡した。
皆、目が合うと笑ってくれた。
ただ一人、十郎太を除いて。
「……」
結果的に、彼には嘘をついたことになるのだろうか。
ファリスが言葉を出せずにいると、十郎太は持っていたアヴェンジャーを差し出した。蛇の体内から取り返してくれたのだ。
「よかったです」
十郎太の表情はぎこちないが、それは怒っているのではなく、傷でひきつれた笑顔だった。
ファリスは頭を下げ、受け取った。
「ええ、全員無事です。はい、はい、了解しました」
グラルスの声に、皆が彼を振り返る。
再びヘッドセットをつけた彼は、学園に連絡をしていた。
通信を終え、グラルスは皆を見渡す。
「先生からだよ。ご苦労、あとでマムシ・ジュースを差し入れる、と」
「……っ!」
ユリアがたまらず笑い出した。
他のメンバーも思い思いの表情で顔を見合わせる。
苦笑、呆れ、興味、蒼白……
真っ暗な都会の片隅に、生き残った者達の明るい笑い声が響き渡った。