●熱死線
夜が照らされた。
一つ、また一つと、無粋な光の帯が静かな夜を切り裂いてゆく。騒々しく、不愉快で、目障りな光景。
イスラ・ザバーニーヤにはそう思えた。
一つ残らず壊してやりたいが、それを邪魔する者がいた、たくさんいた。
「夜を脅かすものたちよ、去れ」
届くはずもない言葉を放つ。
久しく味わっていない凶暴な感情に、イスラの表情が歪む。
それは笑顔に似ていた。
夜が、人工の光に満たされていく。
角河トホル(jz0314)は複雑な思いでそれを見ていた。
そこに音を立てて迫ってきたのは、天魔、そして弟の駆るSUVと、
「遅くなりました。まだ、生きていますか?」
久遠ヶ原学園の撃退士たち。
桜庭愛(
jc1977)の元気な笑顔に、トホルは疲れた笑顔で返した。
「このとおり」
駆けつけてくれたのは愛だけではない。
「後はこちらが引き受けます!」
鈴代 征治(
ja1305)が阻霊符を発動する。
さらに、花火のような一斉放火が、迫る天魔を押し留めた。
「トホルさんがお呼びだとのことで参上なの……ですよ」
華桜りりか(
jb6883)の術式がいかに強烈かトホルはよく知っていた。だから安心して背を向けて、SUVに飛び乗った。
「悪いね、りんりん」
「行ってらっしゃい……」
りりかもトホルを振り返らず、ナイトビジョンを装着する。
その隣で、ナイトビジョンの貸主である雫(
ja1894)が拳銃ソムニウムD99を連射していた。
「最悪、救出が終わるまでの時間は稼がないといけませんね」
ところが、聞きようによっては真逆の声もある。
「さっさと雑魚敵を掃討してあの天魔を喰わないとねェ」
口調も表情も楽しそうに、黒百合(
ja0422)が夜空へ舞い上がった。幼い少女にしか見えないシルエットが禍々しく翼を開く。
「私達の相手は」
蓮城 真緋呂(
jb6120)が携帯用ライトのスイッチを入れ、その手を振ると、火を纏う刃が現れる。視線の先には赤い翼の奉仕種族、イフリータ。
二体のイフリータとイスラによる波状攻撃は、目標が増えたことにより散発的なものとなる。
学園生たちは地上から打ち上げる形になるのでどうしても不利だが、精度に欠ける天魔の攻撃も決定力がない。数名が傷を負うも、征治がたちまち癒やしてしまう。
決定力にかけるのはお互い様だが、学園生たちの動きは正確だった。彼らには明確な狙いがある。
イスラはそれに気づいたか、どうか。
牽制しあうような銃弾と術の応酬の中、彼我の距離はジリジリと縮まってゆく。
「……」
決意を秘めた瞳でリアン(
jb8788)が飛び、神谷春樹(
jb7335)が銃口をイスラに向けた時、弾けるように状況が動いた。
本当の意味で、戦いが始まったのだ。
●氏名と使命
イスラが右手を左胸に置き、左手の指先を天に掲げる。
「家畜泥棒め、砂と消えろ」
ごうと渦を巻いて烈風が降る。固く鋭い音が響く。
真空裂波に合わせてイフリータが舞い踊る……いや、巻き込まれながら火焔を放つ。
赤黒い炎の嵐が学園の撃退士たちへ迫ったが、半分以上が範囲から逃れた。
巻き込まれた者たちも、対応の準備ができていた。無傷とはいかないが、陣形や狙いを乱される程ではない。
警告を発する者がいたのだ。
「御機嫌よう、ザバーニーヤ……いえ、イスラ」
リアンはイスラと同じ高さに浮かんでいた。彼はあの恐ろしい攻撃を知っていた。自分の味方ごと巻き込むだろうということも。
「此度の騒動……『王』に何か御座いましたか? それとも」
「……」
無言の火炎を、リアンは魔道書の炎で防ぐ。防御に向いたものではなく、手痛いダメージを被りながら、それでも彼は反撃しない。
「それとも、貴女に何かが在ったのでしょうか」
傷は大地の恵みで癒やす。素早い回復は望めない。畳み掛けられたら終わる。
けれどもリアンは引かない。
何が狙いだ? イスラは視線を走らせ、気づく。分断されている。二体のイフリータと距離が空いてしまった。
身を翻そうとした背中を、狙いすました銃弾が掠めた。
「そっちに行くならどうぞ」
その代り無防備な背中を徹底的に狙わせて貰うけど……神谷春樹のスナイパーライフルが警告と挑発の気を放つ。空中の敵を叩き落とすスキルだ。落とせぬまでも痛撃を与えることはできる。
「邪魔をするために生まれたような連中ね」
瞳に、声に、怒りが滲む。イスラは急降下して春樹を狙った。
リアンが落下するような速度で割り込む。長身の彼が翼を広げれば無視はできない。
「貴女と戦いたくは御座いません」
「ならば邪魔をするな!」
イスラの怒りがリアンを生きた松明にする……寸前、春樹の銃弾が二人の間を通過した。炎の術は不発に終わったが、イスラの怒りはさらに燃え上がった。
「邪魔なだけ、奉仕種族の材料にもならない、本当に人間なの?」
「人間のつもりだけどどっちでもいいよ。大事な人達を守れるなら」
自分には天魔の血が混じっているらしいと春樹が知ったのは、さほど昔の話ではない。そして知ったところで、彼の言動に変化はなかった。
憧れた力はそんなものではなかったから。
黒い夜空に踊る、千紫万紅(せんしばんこう)の華吹雪。
その名は華桜りりか。
イフリータは火の剣を振りかざし、りりかを狙う。
一振りにて手折らんと繰り出された刃を、より紅き刃が受け止めた。
「まずはお近づきになりましょう」
蓮城真緋呂は円月のような軌跡で愛刀、火輪を操る。
イフリータの身体がぼやけ、刃は空を切った。
左に殺気、頭を下げると、後れ毛を焦がすように火の剣が通り抜けていく。
りりかの光弾が舞い乱れるが、イフリータは翼で防ぐ。
トンボを切って宙に躍り上がるイフリータに、真緋呂は火輪を持たぬ方の手を向け、アウルを開放。星の鎖が当たる、が、地面に引きずり下ろす前に輝きは千切れてしまった。
もう一撃……
繰りだそうとした手が、重い。頭がぼやけ、足がもつれる。
「蓮城さん!」
我に返る。
イフリータの魔術だ、りりかの声がなかったら危なかった。
直前にまで迫っていた刃に、火輪を合わせる。とんでもない衝撃と熱波に、真緋呂は歯を食いしばった。
「炎の刃なら……私も友がくれたこの刀がある」
負けはしない。
だが、勝てない、このままでは。
「……」
りりかは一瞬だけ、周囲の戦に視線を投げた。
視線の先を、同じく桜の名を持つ少女が、駆けていた。
●私闘は死闘
夜の街を颯爽と駆ける。黒髪の美少女レスラー、桜庭愛。
蒼いチューブトップのハイレグ水着、戦う戦装束。これは少女にとって試合と同じ、見目麗しい全裸の女悪魔となれば申し分ないカードだろう。
ここは最前線、彼女たちこそ作戦の要だった。
「じゃあ、悪魔と踊ろうか」
自分に聞かせるように言って、イフリータを手招きする。りりかたちの戦うものとは別の個体。
……敵は挑発に乗ってこなかった。
「時間はかけたくないですが」
淡々と呟く小さな少女、雫の手から、アウルの銃弾が絶え間なくイフリータを追いかける。
「下手な深追いは厳禁」
敵は上空、両手で握ってしまうと視界が狭まるので片手で扱う。小さな手に不釣り合いな大きさの拳銃は、正確に相手を追い込んでゆく。雫のアウルは奉仕種族も無視できない威力を備えていた。
それに比べ、巨大なフリーガーファウストG3を散発的に撃ってはフラフラ宙を漂っているだけの黒百合。
「うふふ」
だが、先ほど銀槍の一閃で天魔の連携を分断したのは彼女だ。大打撃を与えておいて逃げまわり、あっという間に一体を引き剥がした。
そのため執拗に狙われてしまい、火の剣の一撃を食らってからは、かなり大きく距離をとって適当な援護射撃に徹している。
これほど離れてしまうと敵の攻撃はもちろん、味方の回復も届かない。
だからこそ鈴代征治は攻撃作業に集中できたとも言える。
爆炎を纏う薙ぎ払いで味方が崩れた時、彼は自身の回復を後回しにして、危険域にあった雫と愛を回復し、延々と星の鎖を放つ作業に戻った。
(あと少し)
地道、基本、正攻法……最強の普通は、シンプルだからこそ迷わず、強い。
ついに星の鎖が敵を捉えた。星の鎖はこの星の鎖、引力の束縛。アウルに囚われたイフリータが落下する。
「ちゃ〜んす」
黒百合の銀槍が再び昏い輝きを放つ。禍々しいアウルはイフリータを突き抜け、地上へと伸びた。
先には愛がいた。
いや、少しずれている。左に、横歩きで一歩分。
最高の位置だ。
「いくぞぉ!」
愛は右手を突き上げてから、恐れ気もなく黒百合のアウルへ踏み込む。落ちてくる目標から目を逸らさずに。
レッグラリアート。爆発のような飛び回し蹴りがイフリータの首に炸裂した。
アスファルトに弾むように叩きつけられたイフリータが、赤い翼を広げることは二度となかった。
そこには雫が控えていたのだ。
「第一段階、成功です」
小さな銃弾が、在り得ない重力を帯びて、イフリータを圧し潰した。
「そちらは大丈夫ですか!?」
征治の通信が届いた時、りりかと真緋呂は、戦いの中央というか、真ん中くらいの辺りにいた。
位置的にもそうだし、戦力としても、作戦の要因としてもそのくらいの位置。
そこに連絡と援護射撃が届くのとほぼ同時に、
残るもう一つの戦場で……
天魔のハーフたちは見つめ合っていた。
斑羽の女は何度か目を閉じたけれど、二つの印を持つ執事は決して逸らさなかった。
「イスラ、貴女の心の夜は今宵で終わりに致しましょう。朝を……迎えるので御座います」
執事、リアンは言った。
「私めすら抱擁して下さった学園、で」
青い瞳には静かな火があった。
イスラは、困ったように、笑った。
「地位も力も捨ててあえて苦労する……できる人にはできるんでしょうね」
彼の顔を見て、別の彼の顔を思い出して、笑った。
「私には無理」
「……」
リアンの口が動いた。声は出なかった。
彼は決して甘い男ではない。戦いのさなか、理想にかまけて手を抜いたりはしない。その証拠に、急所には一つの傷もなかった。
両手、両足、そして背中を大きく抉ったもの、以外には。
声の代わりに血を吐いて、青い瞳から火が消えて……リアンは、落ちた。
地面に叩きつけられる寸前に、征治が受け止めた。回復スキルを全開にする。長い手足が千切れかかっていた。
そのすぐ脇では、穴だらけの右半身を血に染めた春樹が倒れていた。そちらにはりりかが駆け寄った。
死闘は始まったばかりだった。
●明かつ来
雫は温存していたスキルを次々に発揮した。
「ザバーニーヤ……確か、地獄を管理する天使の事だったはず」
先ほど、リアンがそう呼んでいたのを思い出す。なるほど、ここはまさしく地獄絵図だ。
その隣で、りりかが式神を解放する。
「感じること、おなじだと思うの……見た目がすこし、ちがうだけ……」
少女たちは癒し手としても優れていたが、今は全力でその力を破壊に注いでいた。二人が回復に手番を取られては決定力が低下する。
もう一方のイフリータが落ちる。全開にした雫の一撃とりりかの束縛で、二度と空に舞い上がることなくズタズタになった。
その間もイスラの猛攻は続いていた。
真緋呂が真っ向から刃を合わせ、黒百合が死角から仕掛ける。
そして愛はステップワークに重点を置いて、決して無理しない攻めを徹底する。
(もっと、皆と合わせないと!)
飛び込みたくなるのを、半歩の踏み込みに抑える。連打したくなるのを一撃離脱に。思い切り打ち込んでも、撃破役の威力には及ばない。けれどいつかそれを追い越すために、この戦いを無駄にはしない。
「貴女、ヤル気なさそうと聞いてたけど頑張るじゃない」
風炎渦巻くイスラの腕を愛刀で防ぎ、真緋呂は斬撃に思いを載せる。
「何か目的でも見つけたのかしら、命をかけてまで欲しいものでは無さそうだけど」
返答が、あった。
「……命は」
翼が、開いた。「大切だもの」
白と黒と灰色と、一部茶色にも見える、薄汚れた羽。
そこから一斉に棘が突き出された。一本一本が槍のように長く、鋭く、さらに細かい棘にまみれている。
少女たちの血が舞った。
愛は悲鳴を上げた。
黒百合は眼の光をなくして笑みを深くした。彼女でさえ無傷ではないのだ。黒百合の防壁陣がなければ、愛は悲鳴を上げるだけでは済まなかっただろう。
そして、真緋呂は。
立っていた。
全身のアウルを使う防御で、棘の一切を防ぎ、逸らした。
「もう喪いたくないの。だから邪魔させないし邪魔をする」
棘を掴み返し、発雷。
イスラの身が仰け反った。
「……邪魔よ」
ぎりぎりぎりと首が戻ってゆく。
「ここは、私のもの」
「違う」
銃声が一つ。
イスラが跳ねる。
銃声がもう一つ、もう一つ。
イスラが、跳ねて……崩れ落ちた。
「ここはこの地で生きた人達の物だ」
膝立ちの姿勢でリボルバーを撃ち終えた春樹が、ゆっくりと立ち上がる。
「返してもらうよ」
イスラは、動かなかった。
学園生たちが集まる。
その中央には、イスラ。
「お疲れさま〜」
楽しそうに舞い降りた黒百合が、イスラを片手で掴み上げる。
「ねぇほんとに疲れちゃったの、血をちょうだぁい?」
笑みの形に開かれた口を、イスラの首筋に。
それが届く前に、彼が言った。
「以前、貴女は御自分を『要らない』と仰いました」
「……」
イスラの身体に動きはない。それは掴んでいる黒百合にもはっきりと分かる。
けれど、彼は、リアンは言葉を続けた。
「ですが……今は……」
言葉を続けても、それ以上は続かない。痛みは傷のせいだけではなく、無力感も疲労ばかりではない。
……ここで死ぬのも、同じなのではないのか。
この女にとって、これ以上の生に、どれほどの意味があるのか。
誰もが、イスラ自身でさえそう思っているかもしれない。
その中で、真緋呂は言った。
「生きる意味、見つからなければ探せばいい」
言って、携帯ライトのスイッチを消した。
「世界は広いわ」
東の空から、青い輝きと、風が届いていた。
あ。
トホルは振り返り、手を振った。
青年は手を振り返し、駆け寄った。
「お互い酷い有様ですが、協力させて下さい」
征治だった。
追いかけるようにして次々と学園生たちが現れる。
「敵影なし」
春樹が辺りを見渡して告げる。アウルによる視力強化だ。
「あと生存者らしき影が向こうのビルに」
「お、助かる」
トホルは弟に連絡した。生存者は怯えて疑心暗鬼になっている場合もある。そうなるとなかなか姿を見せてくれない。
連絡を終え、歩き出しながら、トホルはひとりの友人を振り返った。
「ヤツは?」
友人、りりかは、首を振った。
「行ってしまいました」
彼女にしては驚くような、はっきりとした声だった。
トホルは「そう」と言って、足を早めた。