●開戦の一手
木枯らしと呼ぶにはぬるい、しかし肌寒い乾いた風が吹く。
赤々と夕日に照らされた木々に、枯葉と土の匂い。散策には程よい気候だろう。
だが、8名の撃退士は秋の空気を楽しみに来たわけではない。油断なく辺りを見回し、『気』を配り、戦の予感に心身を研ぎ澄ませていた。
そんな中、戸蔵 悠市 (
jb5251)は油断なくも緊張のない話をしている。
「『金枝篇』は中々面白いぞ」
読書の秋というわけか。
「ねえ戸蔵くーん。フレイザー、今度貸してよぉ」
ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)にも緊張した様子はなく、そしてやはり油断もない。
行く手に開けた場所がある。そこに、小屋程度の大きさの古びた教会と、2本の巨大な欅があった。
「いくぜ」
限定偽装解除、及び光学迷彩を展開……ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が動く。
撃退士たちは戦場に入ってゆく。
「これで見つかれば良いがのぅ」
心中で呟き、最初に足を止めたのは鍔崎 美薙(
ja0028)だった。一瞬の瞑目、そして吐息。
「……」
生命探知に反応あり。
美薙は黙ってペンライトを点灯し、すぐに消す。
点滅1回。それは敵の正体が欅であることの合図。
その時には、影野 恭弥(
ja0018)はすでに狙撃の姿勢になっていた。彼もアウルを込めた索敵能力で、敵の擬態を見破っていた。
美薙と恭弥はまた、向こう側の木立に紛れた人物も発見していたが、それについては特に反応しなかった。擬態に劣らぬ見事な隠形だが、あれは、角河トホルは敵ではない。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
獅堂 武(
jb0906)が、彼にしては珍しく静かな声で刀印を切る。四神の力で仲間たちを守護する陰陽道の技だ。
「遠距離攻撃は得意じゃないし……」
いつでも飛び込めるよう、気を蓄える蓮城 真緋呂(
jb6120)。
「しかし、みんなすげぇな。あれだけの情報で」
風羽 千尋(
ja8222)は呆れと感心の混ざった口調で呟きながら、やや後方で待機。彼は美薙に力を貸すことで索敵を補助したのだが、事前の予測が的中したことに驚き半分だった。
同じ程度の位置に悠市とルドルフもいるが、それぞれが意図する戦法は異なる。
悠市はストレイシオンを召喚し、続けて「念のためだ」とホーリーヴェールを使用した。
そして、GAMBIT(開戦の一手)は放たれた。
充分に接近したラファルは、巨樹に向けて対天魔用煙幕を散布。
「もうバレてんだよ!」
ほぼ同時にディアボロは姿を現し、撃退士たちは動き、静の空気は一気に動の流れへ変化した。
擬態が解けるのを待ったりはしない。
それは双方ともに。
体を変化させながらもディアボロは攻撃を始め、撃退士たちも応戦した。
「Begynnelsen(はじまりはじまり)」
ルドルフが風と化して疾走する。戦闘域外からの強襲は、彼の得意とする強力な戦法だ。敵はたとえ先手をとっても攻撃が届かず、主導権を強引に奪うことができる。
だが、敵は弾幕を展開し接近を阻む。容易く突き破れるものではない。
そこへ、追い風のように恭弥の弾幕が吹き荒れた。
「弾幕で俺が負けるかよ」
巨大な銃身が唸りをあげ、純白の拳銃が翻る。紫電、魔の力を帯びた輝きに、漆黒の豪雨が破壊のパレードを創り出す。指揮者のバトンは凶悪なライフルだ。
弾幕と弾幕が撃ち合わされ、瞬間、森は近代戦の戦場に似た様相をなした。
「……」
恭弥は口元の血を拭った。
銃撃は確かに届いた。弾幕の精度は間違いなく彼のほうが上だった。
だが、敵はザラザラと金属めいた巨大な葉を降らせて、弾丸の多くを逸らし、はじき落とした。
恭弥も同様にアウルを活性化させて攻撃を防いだが、削り合いとなれば明らかに不利だ。
銃撃じゃ埒があかん……恭弥は武装を入れ消え、隙をうかがう。
「どこが蓬莱の枝だよ」
斬撃を軽々と躱しながらぼやくラファルの眼前にそびえる、巨大なディアボロ。
シルエットは欅にも見えるが、太く巨大な幹は黒く、毒々しい黄金色の触手を無数に生やし、鋭く剣呑な刃物のような葉を生い茂らせて、その隙間から白い弾丸を絶え間なく放つ殺戮兵器。そこから繰り出されるのは百の打撃、千の斬撃、万の銃撃。
全身に凶器を備えた、正しく怪物だ。
「と言って金枝のヤドリギにも見えんしな」
悠市はストレイシオンの防御効果を発動し、味方の損害を減らす。敵の弾幕はでたらめだが、とにかく数が多い。小さな銃弾も急所にもらえば命取りだ。
充分な準備をしていたにもかかわらず、戦いは厳しいものとなった。
「接近戦を嫌うのは間違いない」
大剣を盾に弾幕へと身を躍らせる真緋呂だが、尋常ではない衝撃に歯を食いしばる。
「ぶっとばしてやる!」
と勢い込んでみたものの、武もまた、敵の弾幕に難儀していた。それでも前を見る。弾幕には弾幕だと言わんばかりに、ショットガンを連射してじりじりと距離を詰めてゆく。敵の武装を狙った射撃は、味方の前進を縁の下から支えていた。
そんな彼らを美薙が癒す。
「正体を見破ってからが本番じゃな」
活性化させた治療のスキルは、すぐに気力が尽きそうだった。
千尋も治療と援護に徹する。
(俺にできることをするだけだ)
経験が足りないのは承知のうえ、だが、彼はここにいる。仲間と共に敵と向かい合っている。
死なないし、死なせない。
そのための俺の力だ。
●赤の霧雨
霧雨から全く身を濡らさないことは難しい。
コードネーム『蓬莱』の弾幕は、秋の霧雨のように撃退士たちの身を赤く濡らしてゆく。
後方で援護に集中していた千尋は、敵が一度に狙えるのは3名までと見抜き、皆に伝えた。
無秩序にばらまかれる弾幕は接近を阻むのが狙いであり、ある程度離れていれば恐れることはない。だが、その弾幕に踏み込まなければ近づくことはできない。
その膠着を破ったのも、ラファルだった。
彼女は指向性煙幕が薄れるたびに追加を打ち込み、それ以外では囮となって、敵の一手以上を必ず引きつけていた。
「一線越えてみっか」
内心で呟き、敵の間合いへ深く踏み込む動線を探る。
真緋呂のコメットが切っ掛けとなった。
アウルで作り出した無数の彗星をぶつけるスキル、仲間を巻き込む恐れのある難しい術だが、誰も接近できないなら問題はない。
「余計なお世話でごめんなさい? おじ様」
2体の『蓬莱』を上手く巻き込む、最適な位置に撃ち込んだ。
「助かった!」と、やたらと通る声が響く。
真緋呂の位置から、流星雨を凌駕する連撃を叩き込むトホルが見えた。いつの間に接近したのだろうか。
「今だ」
ラファルの心に何者かが囁く。
心に響く己の声に導かれ、全開にしていた機動力を一気に低速に、散歩するような足取りで敵の領域に踏み入れる。
武装が一斉にラファルを向いた。
だが、ラファルに攻撃の意思はない。避けながら全速後退。かなり際どい射線もあったがギリギリセーフ。
それと入れ替わるように、撃退士たちが次々と飛び込んでいった。
ルドルフはフラッシュライトを設置する。夕暮れともなれば闇に沈む森の中、戦場がまざまざと照らされた。
刃の閃きが、弾け飛ぶ銃弾が、アウルの輝きがいっそうの光を生む。
接近しても敵の攻撃は緩まない。そして厄介なのが金の触手による打撃だ。受け止めると押し戻されてしまい、また接近が必要になる。
だが、千尋は気付いた。攻撃の手が緩まないからこそ、敵は己自身にも武装を向けている。
「避けろ!」
軽い弾幕は受け止めて、危険な金銀の一撃は躱すか、いなすか。それが最適解だった。
警告の声を聞いても、ルドルフは巨大な幹から手を離さなかった。
毒手……害毒となるアウルを送り込むスキル。動かない巨大な相手に、外すはずがない。
妨害さえなければ。
彼の背後まで覆いかぶさるように伸びた太い枝から、無慈悲な弾丸が放たれた。
瞬間、ルドルフの姿が掻き消える。ふわりと残されたスクールジャケットがズタズタになり、貫通した弾丸はそのまま巨木の幹を抉った。
「死ぬつもりも無しで、撃退士なんて出来ると思う?」
北風のような笑みを浮かべ、ルドルフはさらなる攻撃を誘い、走る。
「急急如律令勅……ああもう面倒くせえ!」
符による攻撃を止め、武は鉄数珠を鞭のように振るい、金の触手に絡みつかせた。味方を後退させないため、最重要と判断したのだ。
それは間違いではなかった。だからこそ、敵は彼を第一の障害と見做したのだ。
立て続けに襲い来る触手を受けても、武は怯まなかった。抱え込み、巻き付け、踏みつけ、挙句の果てには噛みついて、単身で10本ほどを抑え込む。
さながら、邪鬼を踏み抑える四天王のごとく。
「封印カッコ物理、てか」
血を吐きながら不敵に笑う。
……次なる障害と見做されたのは、ラファルだった。
彼女は囮に徹し、それこそが戦果を挙げていた。
銀の葉に似た刃の乱舞が、渦を巻いてラファルを襲う。それを紙一重で避ければ、狙いを誤った刃は巨木の幹に食い込んだ。カオスレートの差もあって、効果は絶大だった。
問題は弾幕だ。装甲に難のある彼女にとって、小さな弾丸すら命取りだ。そしてこればかりは、彼女をもってしても躱しきれるものではなかった。
膝に違和感を感じたとき、続けて脇腹に2つの穴が穿たれた。
(しくじったぜ……)
弾幕の中、たった3発を避け損ねただけで、走行出力62パーセント低下。どこか他人事のように自らの状態を確かめながら、疾走の勢いのまま転がって手近な木立に身を隠す。足を奪われた彼女に、できることはほとんどない。
だが銀の乱刃を利用したのはラファルだけではなかった。
接敵した真緋呂は執拗に銀の葉を狙っていた。一振りごとに数枚の刃(葉)を切り払い、弾いた刃がそのまま幹に食い込むことも多々あった。
大剣一本で捌ききれる数ではない。真緋呂は一呼吸ごとに斬撃を浴びた。
「私ひとりで戦ってる訳じゃないもの」
「無茶をしよる」
「死なせねえよ」
美薙と千尋が治療の念を送り続けなければ、壊滅した先達の二の舞だっただろう。
傷だらけになりながら、少女たちは必死に道を切り開いた。
「……頼むぞ」
悠市はストレイシオンに帰還を命ずる。召喚獣の傷を主も受けるため、悠市は前に出ることができなかった。同時に攻撃を受けたらそれだけで終わりかねない。
だがストレイシオンの防御効果が消えれば、仲間たちは持ちこたえられない。
「決めてくれ」
ティアマットを召喚。
悠市の言葉は、いま呼び出した相棒と、そして仲間に向けられていた。
ティアマットの『天の力』が、仲間たちの闘志をさらに高める。防御効果はもはやない、ここで決めなければ弾幕に呑み込まれ、壊滅する。
強烈な足技で『蓬莱』の幹を削り続けていた恭弥は、攻撃の手を休めることなく、空気の変化を感じ取っていた。
……これは/おれの領分だ。
何が/あろうと……
守る! / 斃す
金の根が、銀の葉が、数を減らしたその一瞬。
恭弥は敵の体を蹴って高く跳躍し、その頭上……巨樹の頂点に当たる部分へ、白のアウルを纏った踵を叩き下ろした。
稲妻が落ちたような音が響いた。
落ちた先は、大きな欅。
幹にあった無数の罅が少しずつ大きくなってゆく。
それが限界まで広がったところで、ディアボロは黒い光を放ち、動かなくなった。
後には、朽ち果てた巨樹が2本、寄り添うように傾いていた。
●泥まみれの手
「負傷者を」
トホルが携帯機器に連絡すると、すぐに救急隊員がやってきた。待機させておいたという。
意識も呼吸も正常なので、怪我人たちは担架に自力で乗りこんだ。
「おう、オッサン」
担架に寝ころんで、ラファルはトホルを呼んだ。「どー●いで悪かったなこのタコ助」
トホルは思わず噴き出した。
「悪くねーよ。こっちこそ悪かった、大活躍だったな」
「ああ、こんな体だから、できたんだぜ」
ラファルも笑う。「天魔にやられて8割機械の体だ、それでもやれる、つーかだからこそ、やれた」
男は笑みを消して、少女を見つめた。
「痛かったか」
「……さあな、忘れちまった」
曖昧な表情を浮かべ、ラファルは運ばれていった。
武のほうも、怪我人とは思えないほど明るい。
「あいつらに伝えとくぜ、ぶっとばしてきた! ってな」
それがせめてもの救いになると信じて、トホルは「頼む」と頭を下げた。
「んじゃ、お先に!」
重傷者を見送ってから、トホルはハンカチの包みを取り出した。
包まれていたのは、歪な泥まみれの小枝……ではなく、人間の指だった。
「これ、たぶんあの子たちの誰かのやつ、くっついたりしない? アウル的な何かで」
「……」
最初に視線を合わせた恭弥は、きっぱりと首を振った。
トホルは疲れたように笑い、ボロボロになった欅の根元に穴を掘り始めた。
真っ先に手伝ったのは、美薙だった。
「子供といえども戦わねばならぬ時がある。その理由は他者から見れば愚かしい事であってもじゃ。おぬしとて、そうして齢を重ねたのじゃろう」
白い指先を泥塗れにしながら、言う。
「少なくとも、あたしは未熟である事を戦わぬ理由には出来ぬ」
「……僕は痛いの嫌だから、ずっと逃げ回っていた。でも、彼らが戦ったのは、そういうことなんだろうな」
呟くトホルの隣から、新たな手が伸びる。
「自分が傷ついても、他の誰かが傷つかなければ御の字だ。それはおっさんも一緒だろ」
千尋は手元だけを見て、言う。
「だが全ての天魔をこの手で防げない以上、防ぎ方を教えるのも大人の務めだ。乳母日傘で危険から遠ざけてばかりでは己の身を護る術すら学べん」
悠市が入る必要はなかったが、それでもやらずにはいられなかった。この指の主とその仲間たちは、紛れもなくこの勝利の貢献者なのだ。
穴の中央に置かれたハンカチ包みに、撃退士たちは順番に土をかぶせてゆく。
ルドルフの言葉は、仲間たちと少し違っていた。
「これ以外に生き方が無いからこうしてる、そんなやつだっているんだよ」
それこそ、老若男女。
こうでなければ生きられないという、矜持、執着、誓い、呪いにも似た何か。
「憎しみに大人も子供もないのよ。心の底は闇……その戦いを止める権利なんて、誰にも無い」
真緋呂は冷たく言いながら、穏やかな手つきで土を盛った。
「……」
恭弥に言葉はない。だが、彼は戦いに来た。そしてここにいる。それが全てだ。
うん。
土を払って、トホルは頷いた。
「例えば、無敵のベイビーがいて。超強くて、最強の武器とか魔法とか、なんかそいつにしか使えないのがあって、まあつまり最強で……それでも、やっぱ、危ない目に遭ってほしくないなあ」
欅を見上げる。
「これは僕のわがまま、おじさんの幻想だ」
欅は元からここにあったのだろうか? だとすれば、この欅こそ最大の被害者と言えるだろう。
誰だって痛い思いはしたくない。大人も、子供も、そして敵も味方も。
でも戦うのだ。
大切な何かに痛い思いをさせないために。
トホルは泥だらけの拳を握りしめ、一人一人の顔を見た。多くを語りたかったし、聞きたかった。けれども、彼はあまり良い言葉を知らない。
「すまん。ありがとう」
だからそれだけ言って、頭を下げた。
目尻から涙がこぼれ、誰にも見られずに消えていった。