●韋駄
D寺が揺れている。
震源地は巨大なサーヴァント、黒像。D寺のどの建物よりも巨大な怪物。
黒像が書院に近づくたび、そこから衛三和尚が飛び出して法力(スキル)で追い払う。すると火鼠が彼に飛びかかり、衛三は書院に引っ込む。すると黒像が再び書院に近づく……その繰り返し。
疲労はつのり、衛三の大きな背中が荒い息で揺れる。
だがその背中を見守ってくれる瞳がある。
和尚さんがんばれという声が聞こえる。
護られているのはおれのほうか……衛三は気力を奮い立たせた、その時。
「!」
火鼠が一斉に身を翻し、どこかへ走り去った。
一瞬、怪訝な表情でそれを見送った衛三だが、やがて笑みを浮かべ、手を合わせた。
仏は彼を見捨てなかったのだ。
撃退士たちの動きは静かで、なおかつ迅速だった。
余計なやり取りもなく、計画通りに疾走する。
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)と華桜りりか(
jb6883)は脇目も振らず五重塔へ飛び込んだ。
木戸を押し開け飛び込んできた二人を見て、僧侶たちは思わず声を上げた。
「だいじょぶ、です」
りりかは短く言って、結印。抗天魔陣と呼ばれるスキルが発動する。これで低級天魔は彼らの気配を読みづらくなる。
「……」
ヒュッと短い指笛が響く。皆の視線を集めた彩は、書院の方向を指さしてみせると、塔を飛び出し、反対側へ走った。
その後を三匹の火鼠が追う。囮になったのだ。
りりかは即座に決断した。
「行きます、です」
僧侶たちは頷くと、年嵩の住職を支えるようにして塔を飛び出した。
別ルートから書院に向かう三人へ、行く手から五つの火影が迫る。だが彼らは足取りに乱れを見せず、むしろ加速した。
「さて、早いとこ助けに行くとしようか!」
足を止めぬまま、奇術めいたあざやかさで麻生 遊夜(
ja1838)の掌に拳銃が現れる。
銃声。
飛びかかった火鼠の一匹が、弾かれるように空中で姿勢を崩す。立て続けの銃声がリフティングのように火鼠を翻弄し、赤い螺旋を纏う一撃が止めとなって、地上に落とすことなく消滅させる。
「急いでるんでな、邪魔せんでくれや」
動き回る小さな目標を、移動しながら連射で仕留めきる神業の銃弾。遊夜の腕にかかればただの鼠も同然だ。
「黒像を、来させない為に、火鼠は、必要」
ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が、自分に言い聞かすように情報を反芻する。だがその顔は裏腹に、「おとーさん(遊夜のこと)」に火炎をぶつけようとする火鼠へ、殺意の笑みを向けていた。
「貴方は、要らないわ、ここで、さよならしてね?」
白い指先から弾き飛ばされたコインが、弾丸に劣らぬ凶器となって火鼠に突き刺さる。
彼女は遊夜ほどの達人ではないが、数発を命中させて動きの鈍ったところを、南條 侑(
jb9620)の放った蛇を模したアウルが喰らいついた。
「二体撃破!」
蛇に食われる鼠のように消える火鼠を確認し、侑が仲間へ通達する。
「少しは残さんとな」
言いながら、さらに拳銃を翻す遊夜に向けて、二条の炎が吹き上がった。
とっさにユーヤが飛び出す。スキルで防壁を張って我が身を盾におとーさんを庇う。
「……?」
熱い、が、思ったほどの痛みがない。
怪訝そうなユーヤに、遊夜は親指で行く手を示す。
書院の前に、数珠を手にした明王のごとき青年の姿があった。今のは彼の加護……スキルによる防御だ。
撃退士たちは彼と並び、書院の防衛を開始した。
●不動
「それじゃ行ってくるねー」
来崎 麻夜(
jb0905)は翼を広げ、一気に黒像へ接敵、さながら獲物を見つけた猟犬の如く。本当に耳と尻尾が生えているように見えるが。
黒像は麻夜には見向きもせず、書院へ向かおうとしていた。
「今のところ問題なし、かな?」
危機感のない笑みを浮かべる麻夜の右腕が、赤黒く変色し、ずるりと膨らむ。
醜悪な巨腕が、毒蛇が跳ぶように黒像の額へ伸びた。
額にある禍々しく輝く白い石を掴みとる……瞬間、白い石が輝き、赤黒い腕は掻き消えた。
「足止め開始ー」
無論、一発で上手くいくとは麻夜も思っていない。彼女の攻撃は足止めも兼ねている。
その間に黒像の足元へ潜り込んだSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)が、気を研ぎ澄ましていた。
「堅すぎるのは、長所で、欠点……」
銀のヴェールに似た輝きが、凶悪な得物へと満ちてゆく。五本の鉄杭を打ち出す重厚な凶器が、小さな少女の腕で唸りを上げた。
速度も角度も申し分ない一撃。
巨大な足首の隙間へ叩き降ろされた五本の凶器は、しかし、一つとして食い込むことはなかった。
ダイヤモンドは削れない、傷もつかない。
この巨体の前に、Spicaの一撃は引っかき傷と同等だった。
「……」
焦りはない、だがもう一撃を打ち込むには、様子を見なければならない。
「さすがに大きいだけはありますねぇ」
仮面の下はいかなる顔か、少なくとも神雷(
jb6374)の口調にも焦りはなかった。
黒像の足元からやや離れた場所で、着物を翻し、身の丈を越す斧槍を手に、少女は火の舞を舞っている。
ツレ方は三匹の火鼠。
意識を活性化し、攻撃の気配を先読みすることで辛くも攻撃を捌いてはいるが、いつまで保つか。
でも、今回はいつも以上に頑張らないといけない。
「トホルオジサマのご家族の方がいらっしゃるのですから」
無機質な仮面の下で、彼女は明らかに笑っていた。
「ボクだって先輩が見てるんだから」
麻夜も笑って、愛する先輩へ冷徹なお願いを伝達する。
「足止めは大丈夫ー、皆殺しにしちゃってくださーい」
彼女たちがここにいる限り、黒像は向こうへ行かせない。
詭道なる忍びの動きで、彩は火鼠を翻弄していた。
直線だけなら追いつかれていたかもしれない。だが彩は壁を駆け、宙を駆け、屋根から屋根へ飛び移り、それでいて火鼠の視界に残るよう努めた。
一度だけ火炎が直撃しかけたが、運命の女神が微笑んだようで、前髪を焦がされるに留まった。
その時、声が聞こえた。
「五体撃破!」
敵の撃破を知らせる侑の声だ。
それを聞くや、彩は宙返りの角度を変え、地面に着地。その勢いのまま足を止めず疾走する。
当然、火鼠は追いかけるが……
「三匹追加」
言って、彩は高く跳躍し、壁を蹴って建物の壁に着地した。
書院の壁に。
「キッ!」
一瞬、彩を目で追った火鼠たちに、容赦無い攻撃が雨あられと叩きこまれた。
先ほど到着していた、りりかの呪縛陣が炸裂する。
それを待って、遊夜、ユーヤ、侑……さらに彩が仕掛ける。
「ハハッ、俺の目から逃げれると思うなよー?」
朗らかな口調は遊夜のものだが、そこにいるのは赤黒いボロ布を纏った死の怪人だ。
血のように輝く瞳が、赤い螺旋を纏わせた無慈悲な弾丸を正確に運ぶ。
「ありがとう、それじゃ、さようなら」
わざと数を残しておく必要もなくなった。ユーヤはゴミを捨てるように言って、止めの一撃を放つ。
「怨讐より生まれし蛇よ、行け。俺の敵を喰らえ」
侑の呪術はこれで打ち止めになるが、彼の目に迷いはなかった。
「Style change」
彩が呟くと、彼女の魔具が青い輝きとともに変形した。スピードを重視した形態だ。
「すっげー」
小さな呟きを、彩は逃さない。書院の中、窓にへばりつくように戦いに見入る小学生たち。
……Good luck。
いつも無愛想な彼女が、微笑んだように見えた。
あえて大きく身を屈めてから、翔ぶ。
空中で魔具を再度変形、パワー形態へ。
「ィヤァッ!」
鎧兜すら叩き割るような彩の手刀が直撃し、火鼠は空中で唐竹割りになった。
●文殊
その日、D寺の書院は難攻不落の要塞だった。
多少の傷を負った者も、ユーヤと衛三の治療で足りる程度だった。
予定通り、避難を開始する。
「避難する時間位は稼がんといかんしな」
言って、遊夜、ユーヤ、彩は、震源地と化している黒像との戦闘域へ向かった。
「もう大丈夫なの……もう少し頑張りましょう、です」
りりかは笑顔を心掛け、怪我人の手当をしながら、子供たちにチョコを配る。
連れてきた僧侶たちに怪我はなく、衛三は皆に深く感謝した。
「……多いな」
避難者の数に、思わず呟く侑。
「老人もいます」
衛三は現実を告げる。
侑は衛三を見た。
「それでも全員一緒に行くんだろう、和尚?」
「はい。無謀でしょうか」
「俺でもそうする」
言うが早いが、侑はりりかと共に避難のための人数分けを開始する。
人を助く(たすく)と名付けられたのだろうか、また、英語で牙の意味もある。
「華桜さん、ご老人を背負うのは俺がやる。女性のやることじゃない」
うちの兄貴みたいな物言いだな、衛三は笑った。
りりかは素直にそれを受け、もっとも大事な作業にとりかかる。彼女にしか出来ない、この作戦の要。
「護ってみせるの、です……!」
念のために抗天魔陣をもう一度使う。最後の一回だ。
「華桜、りんりんさん?」
「え?」
りりかは振り向いた。
ああ、やはり。衛三は微笑んだ。
「兄から聞いていました。これも何かのご縁、及ばずながらお手伝いいたします」
どれほどの効果があるのかは分からない。彼の無意識に使っている法力も、学園で教わる最新メソッドで高められたスキルほど、使い勝手は良くないだろう。
だが、それでも、守りたい気持ちは同じ。
「それでは、お二方」
やはり仏は見ているのか、縁というものは確かにあった。奇しくもりりかと、そして侑も、陰陽師の訓練を受けていたのだ。
「はい、です」
「俺で良ければ」
三者は並び立つと、まずは人差し指をたてた普賢三摩耶印を結ぶ。
次に大金剛輪印……外獅子印……
『臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行(ノゾメルツハモノ、タタカフモノ、ミナジンツラネテマエニイク)』
流派によって印が違うことなど問題ではない。
三人の思いは一つだった。
少女たちが苦戦する黒像の足元へ、強力な応援が到着した。
遊夜の弾丸が火鼠を捉える。ウルフパックは三匹以上必要な戦法、これで囲まれる心配はない。
神雷は囲みを抜け、一気に黒像へと詰め寄った。
「さて、決めていただきましょう」
追いかけてくる火鼠を斧槍で引っ掛けると、黒像の足元へ放り投げる。
ずっとこれを狙っていたのだ。
「焼いても、叩いても壊れる。ある意味、脆いもの……」
待機していたSpicaが武器でそれを受け、黒像の足首へと叩きこむ。巨大な関節に挟まった火鼠は、悲鳴とともに炎を吹き上げた。
ダイヤモンドは火に弱い。
千数百度を超えれば融解し、800度ほどで劣化が始まる。せいぜいタバコの温度だ、火鼠の火がそれより低いことはない。
めきめきと嫌な音がする。
「チャージ解放……」
その音の中心目掛けて、Spicaのアウルが奔った。
「撃ち抜く……っ」
鉄拳の着弾とともに五本の鉄杭が開放される。速度の倍加、衝撃の集中。破壊力はいかほどか。
空気が割れるような音が響いた。
黒像が傾いでゆく。最初はゆっくりと、徐々に速度を増して。
その真下に、本堂があった。
「Hey!」
そこに飛び込む一陣の風。
一呼吸で黒像の体を登りきり、顔面に到達した彩は、息が切れるまで連打を叩き込んだ。
「ヒョァァァタァァッ!」
不安定な姿勢を逆に利用し、拳を、蹴りを敵の顔面に『着地』させる。
重力を利用した連打に、黒像の傾いでゆく角度が変わった。
「ォアタァッ!」
ひときわ強く蹴りつけ、宙返りして着地する彩。それから少し遅れて、黒像の巨体が横倒しになる。数メートルの差で、本堂は無事だった。
「!」
激しい音に、衛三は走りながら振り返った。
黒像が倒れている。
やったのだ。
「さぁ、きちんと並んで避難なの……」
「華桜さんについて走れ」
りりか、侑が皆を励まし、避難は順調に進んでいた。
もうすぐ全員が入口を抜け、石段へ到達する。
よかった……
その時。
黒像の巨大な顔が、避難者たちへ向いた。額の白い石が、奇妙な輝きを帯びている。
「あ……」
衛三は何も考えず、立ち止まり、両手を広げた。
自分の体ごときで盾になれるかどうか、わからない。けれども。
「 」
白い輝きが迸った時、彼が口にしたのは、仏ではなく妻と子供たちの名前だった。
麻夜は、その白い石にずっと注目していた。
「壊れないなんてズルイもの、ボクに頂戴?」
黒い涙に似たアウルを流しながら笑う少女の手のひらに、錆色の拳銃が『生まれて』ゆく。
白い石が光線を放つ寸前、麻夜の放った憎悪の弾丸が割り込むように命中する。
光線はあらぬ方向へ飛んだ。
そこからはもう、撃退士たちによる得意技の祭典だった。あらゆる武器とスキルを使い切るように、黒像へ叩き込む。
「仕舞といたしましょうか」
神雷の繰り出す炎が白い石を直撃した。
「硬いんだってな? ちっと腐れて綺麗な花を咲かせてくれや」
遊夜が動かない的を外すはずがない、正確無比の射撃が白い石を捉える。
「ダイヤモンドは、衝撃に、弱いの」
愛するおとーさんの隣で戦えるのが嬉しいのか、ユーヤは笑みさえ浮かべて、脆くなった石を叩き落とした。
それが止めとなり、黒像はついに砕け散ったのだった。
衛三……マモルはまず、妻にメールを送った。
それから、連絡しないと一番うるさい相手にもメールする。
『無事だよ』
すぐに返信が来た。
『お前が無事なら皆も無事に決まってる、お疲れ様』
「……うん」
兄弟だから、分かる。
余計な言葉も必要ない。
事実、火鼠に囲まれかけた神雷が火傷を追っていたが、スキルによる治療で全快する程度だった。
その神雷が声をかけてきた。
「お疲れのところ申し訳御座いません。トホルオジサマにお世話になっている、中等部三年の神雷と申します」
「ああ、どうも。こちらこそ兄がお世話になっております」
奥ゆかしい感じの娘さんだとマモルは思った。ただ、どこか人と違う感じもする。
天魔の生徒もいると、兄が言っていたのを思い出した。どういう付き合いをしているのだか。
「兄は馴染めていますか? あの通り、自由な気質なので」
だいぶ言葉を選んでいる。はっきり「気まぐれ、わがまま、ナルシスト」と言ってしまえればどれほど楽か。
しかし神雷は笑顔で応えてくれた。
「オジサマはいつも楽しい所に連れて行ってくれるんです。くらぶ、という所に連れて行ってくれたりします」
「そうですか、それは良かっ……」
……クラブ?
たしかこの子、中等部とか言って……
「この前は夜の公園で……凄く激しかったです」
赤くなって頬をおさえる仕草はとても可愛らしい、が、反対にマモルの顔は青ざめてゆく。
その後も神雷の「楽しい思い出話」は続き、頭の先まで青くなったマモルは、静かに携帯機器を取り出した。
「もしもし、お兄ちゃん。いや大丈夫、何でもないんだけど……」
だからお兄ちゃんは結婚しないんだね。
……後日、神雷の住む『ことほぎ荘』に、オジサマがカチコミをかけることになるのだが、それはまた別のお話。