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そこはのどかな公園だった。
地面には、散った桜の花びらが無数に舞い落ちていて、風が吹くたびに波のように流れていく。
やわらかい日差しが優しく降りそそぎ、京都市内で大規模な天魔事件が発生し、学園総出で対応にあたっているということを失念してしまいそうになった。
「芋虫ぃ〜? 余裕〜余裕〜♪ ぷちって潰しておーわりっと〜。あっ、帰りに観光とか出来るかなぁ?」
意気揚々と歩いているのは水無瀬 詩桜(
ja0552)だ。
思考パターンが高峰に似ているのは、春の陽気故か、もって生まれた本人の資質か。
「桜喰うバカ、梅食わぬバカって言うけど……天魔ももうちょっと風流を解してほしいわね」
「天魔に風流を解しろという方が無理ですか……」
雀原 麦子(
ja1553)の言葉に氷雨 静(
ja4221)がつづく。
「初仕事が芋虫退治とは……。まあ、終わった後には花見でも楽しめるかの」
ややげんなりしながら呟いたのは、叢雲 硯(
ja7735)だった。
「依頼が達成出来たら、簡単なお花見をしたいね」
叢雲の呟きを聞いた酒々井 時人(
ja0501)は、大部分が散ってしまった桜並木を見上げて言った。
花は散れど、大地に降り注いだ花びらを愛でるのもまた一興。
「良いっすね! 休憩がてらに、プチお花見したいっすね♪」
大谷 知夏(
ja0041)もその意見に賛同した。
今年はまだ『まともな』花見をしていない高峰も「賛成ーっ♪」と乗り気になっている。
ほのぼのとした会話を交わしながら歩いていると、不意に桜並木が途切れた。
もともと植樹していなかったというよりは、根元から引き抜かれているといった感じだ。大地に穿たれた穴だけが点々と続いている。
そしてその先、桜の木に張り付いてうごめく巨大な物体を発見した。
「ひぃぃぃぃぃっ! い、芋虫ってレベルじゃないよ!?」
「そ、そんなの聞いてないってばぁああ!!」
水無瀬と高峰は、お互いに抱きついて震えている。
「虫は特別苦手なわけではありませんが……巨大な芋虫ですか、さすがにいい気分はしませんねー」
澄野・絣(
ja1044)は、緊張感が欠けた口調で感想を述べた。
「こらまた、えげつないなぁ……何食うたらこんなデカなんのやろ」
「さ、桜……かな……?」
梅垣 銀次(
ja6273)の半ば呆れたようなセリフに、高峰は真顔で反応した。
彼女の中では、最初30センチ程度だった芋虫が、桜の木を食い荒らすうちにここまで巨大化したという風にイメージされている。
そのあまりにも残念な思考に、誰一人として彼女へツッコミを入れるものはいなかった。
撃退士が近づいても、芋虫は彼らのことを気にとめる様子もなくひたすら桜の木を食べ続けている。
「まずは、アレを桜から引き剥がさなきゃいけませんねー」
澄野は困ったわという素振りを見せながら言った。
「みんな、あっちの広い場所で待機しててよ。私が蹴り飛ばしてみるから」
軽くウォーミングアップをしながら雀原が言う。
「用意は良いっすか? いちにのさんで、一気に仕掛けるっすよ!」
「いつでもええで」
大谷の呼びかけに、梅垣が大剣を構えて答えた。
他の仲間もそれぞれの得物を構えて首肯する。
「麦子ちゃん先輩、いつでもOKっす!」
大谷は、雀原に向かって手を振って合図をした。
「方位よ〜し、風向きよ〜し……そいじゃ、いくわよ!」
自身の右足にアウルを集中させた雀野は、芋虫を蹴り飛ばすべく腹部めがけて全力で蹴撃を打ち込む。
しかし、その巨体が揺らぐことはなかった。
「ヤバ……っ」
そう自覚した瞬間、体をなぎ払われるような衝撃が雀原を襲う。
「雀原先輩!」
身体を大きく弾かれ、別の桜の木に叩きつけられた雀原の姿をみて、高峰が悲鳴のような声で叫んだ。
雀原を弾き飛ばした芋虫は、そのまま彼女に向かって突進を開始する。
その動きを見ていた水無瀬は、突進中の芋虫へと近づき、光の矢を放った。
体の側面に光の矢を食らった芋虫は、甲殻の一部を破砕されて体液をまき散らす。
突進が止まり、芋虫は水無瀬へと向きなおった。
「ひぃぃ! 来るな、来るなっ、来ないでよぉー!」
標的を水無瀬へと変えた芋虫は、彼女に向かって猛然と突進してくる。
「きゃー! 真奈ちゃん、パスっ!」
「パ、パスじゃない、こっち来るなぁあああっっ!!」
ブロンズシールドを展開した大谷が、パニックになる2人を庇うように立ちはだかった。
盾で突進を受け止めた大谷は、そのまま数メートル押し戻される。
「真奈ちゃん先輩、詩桜ちゃん先輩! 大丈夫っすか! とりあえず後ろに下がって平常心を取り戻して下さいっす!」
大谷は、苦痛で顔をを歪ませながら言った。
叢雲はハンドアックスに渾身の力を込め、芋虫の側面から強烈な一撃をくわえる。
「わしの初陣で狩られることを光栄に思うがよい!」
そして、冷たい微笑みを芋虫へ投げかけながらそう言った。
「さあ、一時退避しようね」
水無瀬と高峰を庇いながら、酒々井が後退を促す。
「支援・回復も立派な役割です。前線に立つだけが戦いではありませんよ?」
そう言ったは氷雨だった。
後方から光の矢を放って着実にダメージを与えている。
「なまら怖い、なまら怖いけど、が、頑張ってみる!」
「そう固くならずに。私達もいます。一緒に頑張りましょう」
氷雨は優しい微笑みを浮かべながら、緊張で動きが硬くなっている高峰に言った。
「ごめん、失敗しちゃった」
おどけた口調で戦線復帰した雀原だったが、額からは血が流れており、ダメージの大きさを物語っていた。
「タイ捨流、雀原麦子。お相手するわ♪」
そう言いながら大太刀をすらりと抜き放つ。
「仕切りなおしや。ほな、いくで!」
雀原と芋虫を挟むような形で梅垣も位置につく。
前衛の陣形が整うと、大谷は『アウルの鎧』を雀原と梅垣に使用して高峰がいる位置まで後退した。
その図体故か、彼らの攻撃が回避されるということは起こらず、一太刀ごとに芋虫の外皮を削っていく。
そのたびに体液をしぶかせるが、芋虫に動じる様子はなく、攻撃の勢いも衰えることはなかった。
当初の計画とは若干違ってしまったが、それでも桜から引き離して戦うという基本戦術は成功しており、撃退士たちは桜の木に気を使うことなく戦うことができた。
不意に芋虫が溜めのような姿勢をとる。
「何か来そうですよー、気をつけてくださいねー」
澄野がそう言った瞬間、芋虫は梅垣を轢き飛ばして氷雨のほうへと突進してきた。
「またそれっすか! 今度も止めてみせるっす!」
「今回は僕もいるよ」
盾を活性化させた大谷と酒々井が立ちはだかり、2人がかりで突進を止める。
それでも勢いを完全に殺しきることは出来ず、盾を通した衝撃が全身を襲った。
芋虫は、さらに追撃をかけようと体をのけぞらせ、酒々井めがけて上体を横なぎにする。
そこへ、澄野が放った矢が絶妙なタイミングで飛来し、攻撃の軌道がわずかにずれた。
酒々井は、そのおかげで紙一重で回避することに成功する。
「澄野さん、ありがとう」
「良いんですよー」
礼を言う酒々井にむかって、朗らかな笑顔で答える澄野。
「お前の相手は俺や!」
そう叫びながら、梅垣はアウルの力で加速した強烈な一閃を食らわせた。
「黙ってこっちをみてなさい!」
攻撃を食らって身をよじる芋虫へ、雀原が追撃を加える。
「くねくねと気持ち悪い奴じゃの〜……」
芋虫の動きをみて、叢雲は顔をしかめた。
「下がりますよ」
氷雨は、涙目になっている高峰の腕を引いて芋虫との距離をとる。
撃退士たちの集中攻撃を受け続けた芋虫の動きは、しだいに鈍くなっていった。
水無瀬が芋虫の頭部を狙って放ち続けた氷の錐は、頭部にこそ標的が小さすぎて当たらなかったが、その周辺の外皮を突き破って体液をしぶかせる。
のたうつ芋虫。
「さあ、高峰さん。止めを」
「……はい!?」
氷雨の言葉に素っ頓狂な声で答える高峰。
全員の注目を浴びて滝のような汗が滴りおちる。
みんなの視線が『止めを刺せ』と告げていた。
「いや、無理ですって……っ!」
震えた声を出しながら後ずさる。
「高峰さんにも、いつか自分自身の手で、敵を倒さなければいけない時が来るかもしれない。
その時に、勇気が絞り出せる様に、今ここで経験を積んでおくべきだよ」
酒々井は静かにそう語る。
そんな事を言われては、高峰も勇気を振り絞るしかなかった。
「わ、分かりました。頑張ってみますっ!」
ロッドを胸元で握り締め、高峰は心の底から勇気を振り絞る。
「大丈夫、万が一のために僕が一緒に――あっ」
「とぁああああっっ!!」
高峰は酒々井の言葉を最期まで聞かず、芋虫に向かって一気に駆け出した。
その時、澄野は芋虫の挙動に異変を感じ取った。
「何か来ま……」
澄野が注意を促そうとしたとき、芋虫は口から粘糸を吐き出した。
粘糸は見事に高峰を絡めとって簀巻き状態にする。
「見事にやられましたね……」
『…………』
氷雨がぼそりと言った呟きに、全員が無言になった。
「うひぃいいい!!」
芋虫は、粘糸で絡めとった獲物へ追い討ちをかけようとするところだった。
「もう1回いくわよ!」
雀原が割って入り、高峰に食らいつこうとしている芋虫の顔面を蹴り上げる。
「粘糸は厄介やな」
追撃を食らわせるべく滑り込んだ梅垣は、顔面を蹴られて大きく仰け反った芋虫の腹部をフルスイングで一閃した。
「口を潰したほうが良いかもですよー」
間髪入れずに澄野が放った矢が降り注ぐ。
「潰すとか言わんでくれんかの〜……」
叢雲は顔をしかめながら、芋虫の体液を浴びないように意識しながらハンドアックスを振るった。
粘糸で簀巻きにされた高峰は、大谷と酒々井の手によって助け出されている。
「当ったれぇ〜!!」
水無瀬が光の矢を放つ。
氷雨もそれに合わせて光の矢を放った。
2人の少女から放たれた薄紫色の光の矢は、外皮を破壊し、芋虫の動きを大きく鈍らせる。
「さあ、今ですよー」
澄野の合図が高峰に送られた。
芋虫は、文字通り虫の息になっている。
「む、無理無理無理っ! 無理ですってばぁ!」
高峰は今にも泣き出しそうな顔で大きく首を左右に振った。
「まあ、どうしても芋虫に触れるのが無理というなら仕方あるまいが… …だがこの程度は乗り越えねば。撃退士ならば、な」
妖笑を浮かべながら叢雲が言った。
(みんな優しいのか、鬼軍曹的なのか迷うとこかな〜?)
雀原はそんなことを思いながら、その様子を眺めていると、高峰からすがるような視線を投げかけられる。
「無理くない無理くない♪ 頑張ってみよ〜」
「どっちですか!」
涙を流しながらツッコミを入れてくる高峰に、雀原はケラケラと笑ってみせた。
「や、やりますよ! やれば良いんでしょお!?」
高峰は半ばやけくそ気味に言う。
「んにゃぁああああああ!!」
残念な掛け声と共に再び芋虫へと突進していきアウルを集中させた強烈な1撃を芋虫へと叩き込んだ。
高峰からの1撃を食らった芋虫は、激しくのたうち、やがて体を丸めて動かなくなる。
梅垣が大剣で芋虫をつついて、芋虫が死んだことを確認した。
「大丈夫や、死んどるわ」
サムズアップして告げる。
「割と強敵だったすね、知夏はもうお腹ペコペコっすよ!」
ふぅと息をつきながら大谷が言った。
「よう頑張ったなぁ、えらいえらい」
高峰の頭を無造作に撫でながら、梅垣は彼女をねぎらう。
「うぅ、怖かったよぅ……」
高峰はそう言うと、まるで張り詰めていた糸が切れたようにへなへなと膝をついた。
「進んで依頼に参加するようになるなんて、出会った頃と比べたら凄い進歩だよ。 蛮勇である必要は無いからね。自分の出来る範囲の事をこなせば、良いんじゃないかな?」
「ふえぇぇええ……」
酒々井から激励の言葉を送られた高峰は、安堵感と嬉しさから思わず泣き出してしまう。
「良く頑張ったわね」
雀原はそう言うと、泣いている高峰の頭を優しく撫でた。
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芋虫退治のあと、公園内に他に幼虫や卵がないか念入りにチェックをしたが、それらしいものは何一つ見つからなかった。
その後、氷雨は街の種苗店へ向かい、事情を説明して桜の苗木を分けてもらえないか交渉した。
その結果、店主は快く苗木を分けてくれることになった。
彼女が貰ってきた苗木は、撃退士たちの手で植樹された。
「時間はかかるかもしれないけれど、何もしないよりいいですよね」
汗をぬぐいながら氷雨が言った。
「今はまだ小さい苗木もいずれ立派に咲き誇る。 わしらもそんな風になりたいものじゃの」
叢雲は、自らの手で植樹した苗木を見つめてそう呟いた。
「プチお花見っす!」
大谷が元気良く宣言する。
「ジュースを買ってきたよ」
酒々井は園内の自動販売機で皆のぶんのジュースを買ってきた。
「私はコレがあるから」
どこから取り出したのか、雀原の手にはビールの缶が握られている。
「お花見にはコレがないとね♪」
そう言って、嬉々としながらプルタブを開けると、中からビールが勢い良く噴き出し、雀原へと襲い掛かった。
「そんなものを忍ばせながら、あれだけ激しい運動をすれば当然のことじゃろう」
叢雲はオレンジジュースをすすりながら言った。
澄野は紅色の横笛を懐から取り出し、桜の木の下で柔らかな音色を奏ではじめる。
そのメロディーには、皆がこれからの撃退士生活を無事に過ごせるようにという想いが込められている。
「めっちゃ風流やな」
梅垣は、その音色に聞き入る。
他の皆も澄野の演奏に耳をかたむけた。
「素敵な笛ですね」
高峰が言った。演奏も素晴らしかったが、奏でた笛も美しかった。
「ありがとうございますー。この笛には『千日紅』という名前がついているんですー」
「銘……ですか?」
「私が名付けましたー。千日紅はヒユ科の花のことで、終わりのない友情という花言葉を持ってるんですよー」
「わぁ、素敵ですね」
桜の花はほとんど無いが、高峰にとっては素敵な花見になった。
その後、たっぷりと桜を堪能したあと、撃退士たちは帰還の徒についた。