●敵の正体は
「これより中ノ瀬航路へ侵入する。エンジン出力を最小までしぼり、半慣性航行へとうつる。乗組員は所定の作業が終了後、速やかにブリッジ階層へと移動せよ」
船内放送を終えた船長は、スピーカーマイクを静かに置き、ヘリ格納庫の様子が映っている画面へと目を向けた。
「死の危険がある任務に、このような少年少女を引っ張り出さねばならんとはな……」
そこに映っているのは、自分の子供とそう年齢が違わない若者たち。天魔に対抗しうるのは、アウルの力を操れる撃退士だけなのは分かっているが、普段の彼らは普通の子供たちと何ら変わらない。それが彼のやるせない気持ちを余計に刺激した。
「そろそろ時間です……」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は、格納庫の片隅で仮眠を取っている並木坂・マオ(
ja0317)の肩を揺り動かす。
巡視船の格納庫は、夜間でもヘリの整備を行えるようにするためか、非常に明るかった。
壁には整備用の設備や道具のほか、担架などの救命具も備え付けられている。
眠りの縁からゆるゆると覚醒した並木坂は、マキナに礼を言うと大きく伸びをしてから立ち上がった。
格納庫には、黒瓜 ソラ(
ja4311)が事前に借りて持ち込んだラジカセから流れるクラシック音楽が大音量で流れている。
「絶対赦せないもん!」
船に乗り込む前、過去6件の事件資料を見せてもらった犬乃 さんぽ(
ja1272)は、その残忍さに拳を握りしめて闘志を燃やした。
床に座りって本を読みふけりながらリンゴをかじっているゼロノッド=ジャコランタン(
ja4513)の隣では、八東儀ほのか(
ja0415)も座して瞑目しながら、剣の鞘を床に定期的に打ち付け、精神を研ぎ澄ましている。
「よ、ほのか」
彼女の頭にぽんと手を置き、そう呼びかけてきたのは、ウォーミングアップを兼ねてバスケのドリブルをして体を動かしていた諸葛 翔(
ja0352)だった。
偶然、久遠ヶ原で出会った2人の間には、少なからぬ因縁がある。
そして、お互いがお互いのことを守るべき存在として認識していた。
「ふん、デカイな。今回の襲撃、俺たちの読み通りに行ってくれりゃいいんだが……」
格納庫を出て、周辺の索敵にあたっていた蔵九 月秋(
ja1016)は、自分たちが乗り込んだ船の大きさに一抹の不安を覚えるが、数分後それが杞憂であったことを知る。
漆黒の深海を4体の天魔が今宵の獲物を見定めた。
首を囲む大きな胸鰭と背びれと両手足についた水かきは、水の抵抗を極限まで減らし、まるで魚雷のようにまっすぐ突き進んでいる。
いつもの獲物に比べると、若干物々しさを感じなくもないが、仮に相手が人間のソルジャーだったとしても問題はない。彼らの攻撃など一切通用しないはずだからだ。
彼らは、一方的な殺戮という名の狩りに胸を躍らせながら、いつものように艦尾船底へと近づき、透過能力を使って船内への浸入を試みた。
そんな彼らが船内で最初に見たものは、無人の機関室。人間が居た形跡はあるが、人の気配がない。遠くから聞こえてくるのは様々な音階が組み合わされた音。
どうやら、この船の人間は、自分たちが狩場へと侵入してしまった事も知らずに馬鹿騒ぎをしているらしい。
そう思った天魔は、あまりの滑稽さに目を残忍に細め、ゆっくり音のするほうへと歩き出した。
最初に天魔と遭遇したのは蔵九だった。
無人なはずの船尾方面から人影が近づいてくる。
その人影には、普通の人間なら付いていないような突起があり、ひと目で天魔のものだと理解できた。
彼が確認できた数は2体。
「peekaboo!」
頭上で手を2回叩き、天魔を挑発した。
最初の獲物を発見した天魔は、ニタリとした笑みを浮かべ歩くスピードを上げる。
「へっ、付いてきやがれベイビィ」
きびすを返した蔵九は、格納庫までの最短距離を全力で駆け抜けた。
『機関室に侵入者を確認、数は不明』
蔵九が天魔と遭遇する少しまえ、格納庫にもブリッジからの通信が入っている。
報告を聞いたマキナは、黙々と具現化したナックルダスターを両手に嵌めた。
「いよいよだね」
トラップ用のワイヤーを設置していた犬乃が言った。
そこへ、蔵九が駆け込んできて格納庫のシャッター開閉スイッチを入れる。
「魚野郎を連れてきてやったぜ」
そう言いながら飛行甲板のほうを親指で指し、リボルバーを具現化させて黒瓜のとなりへと歩み寄った。
格納庫のシャッターが閉まりきる直前、それを透過して2体の天魔が姿をあらわす。
「幽霊船の、正体見たり半漁人……字余り、って感じでしょうか」
ピストルの引き金を引きながら、黒瓜が呟いた。
「翔君は私が守るから、自分の仕事に専念してね」
八東儀は、刀身の付け根部分を刃引きし、そこに革紐を巻いてリーチを調節できるようにした大太刀を構えながら、最後部に控える諸葛に言う。
「敵の実力が未知数だ。みんな、気をつけろよ」
阻霊陣をいつでも展開できるよう準備しながら、仲間に注意を促す諸葛。
「そろそろ暴走ともケリをつけないとな……!」
「無茶する方は私が殴ってでも生き返らせて差し上げます」
自身が二重人格だと思っているゼロノッドは、仮面をつけながらぶつぶつと独り言で会話している。
「得物は槍かぁ。リーチは向こうのほうが上だよね」
並木坂は、武器を構えながら言った。
●戦闘開始
天魔は、2手に分かれて攻撃を仕掛けてきた。
それぞれを、マキナ、並木坂ペアとゼロノッド、犬乃ペアが対応し、蔵九と黒瓜が中衛位置から支援を行う。回復要員の諸葛は後方から戦況の把握に専念し、八東儀はいつでも諸葛のカバーに入れるよう気をつけながら、遊撃にまわる。
「ともかく、亡くなった方たちの無念は晴らさねばなりません。絶対、赦しませんよ」
黒瓜は、そう言いながらゼロノッドと切り結んでいる天魔に狙いを定めて撃った。
「くらえっ、光ふぁへん光ひゅりへーん!」
黒瓜の攻撃を紙一重で回避した天魔に向かい、スクロールをくわえて印を結んだ犬乃が光の玉を放つ。
それは確実に天魔の体をとらえ、天満を弾き飛ばした。
マキナが放った苦無を避けた天魔は、勢いを殺さないまま並木坂へと肉薄しようと試みる。
「ハッハー、TriggerHappyだ、派手に逝こうぜ、BABY!」
並木坂に肉薄する直前の天魔に向かって蔵九がリボルバーを乱射した。
不意の攻撃に足を止めた天魔に、並木坂が急接近して積極的な攻勢に出る。
それに対応するため、天魔は槍を横薙ぎに振り回すが、並木坂はそれをしゃがんで回避し、逆に足払いを放った。
足払いを飛んで回避した天魔は、そのまま尻尾で並木坂を叩き飛ばす。
諸葛は心の中で何かが引っかかっていた。
戦況はこちら側が若干押し気味に展開している。
しかし、天魔には焦りが見えない。むしろ余裕すらうかがえる。
「不意打ちに気をつけろ!」
諸葛がそう叫んだのとほぼ同時に、左右の格納庫の壁を透過して新たに2体の天魔が乱入してきて、ゼロノッドと並木坂に襲い掛かった。
常に奇襲攻撃を警戒していたゼロノッドは紙一重で回避に成功したが、並木坂は槍の一撃を肩口にくらい、鮮血を散らせながら吹っ飛ぶ。
やや押し気味だった戦況は、新たな天魔の参戦によってふりだしに戻った。
一進一退の攻防が続き、前衛4人の傷がみるみる増えていく。
「阻霊陣展開……みんな、頼む!」
これ以上の増援は無いと判断した諸葛は、阻霊陣を床に押し当て霊力を送った。
その瞬間、阻霊陣を中心に波紋のような波動が広がるような感覚が空間を駆け抜ける。
地面や壁の感覚を確かめ、透過能力が封じ込まれたことを確認する天魔。
人間を追い詰めたのではなく、自分たちが誘い込まれたのだということを悟り、彼らの表情から余裕の色が消えた。
「さぁ、円舞曲をもう1曲如何ですか?」
ゼロノッドは、仮面越しにクスリと笑って言う。
それを合図にするように、天魔が一斉に動いた。
槍の突進を受けながしたゼロノッドは、そのまま相手の力を利用するように回転し、無防備なわき腹へナイフを突き立てる。
バランスを崩し、前のめりになる天魔に黒瓜の弾丸が襲いかかった。
「狩りはさぞ楽しかったでしょう? でも、柔らかいものばかりじゃ顎が弱くなりますよ?」
頭を撃ち抜かれた天魔は、床に青い血だまりを広げて動かなくなる。
「……ハンティング・オーバー。謹め、そして死ね」
まずは1体――。
槍の攻撃を掻い潜り、天魔の懐にもぐりこんだマキナは、人間にたとえるなら肋骨にあたる部分へ強烈なフックを叩き込む。
マキナの攻撃を食らった天魔は、明らかに嫌な表情を浮かべ、彼女を蹴り飛ばして距離をとった。
並木坂は、不意打ち時に食らった肩口の傷が原因で思うように動けないでいる。
「くっ、ちょっとヤバイかも……っ!」
「マオ! 無理すんな! 回復すっからこっち来い!」
阻霊陣を展開中の諸葛は、押され気味の並木坂に向かって叫んだ。
「HEY BABY! テメェら血でここをブラッドバスに変えてやるぜ!」
カットラスを具現化させた蔵九は、並木坂と切り結んでいる天魔へ攻撃をしかけ、彼女が後退するための隙をつくる。
並木坂は、その隙に諸葛のもとへと駆け寄った。
並木坂へ治療をほどこすため、諸葛は阻霊陣から手をはなし、回復スクロールの力を解放する。
回復作業のあいだ、八東儀が剣を構えて天魔の攻撃を警戒しつつ、阻霊陣を足で踏んで阻霊術の代行を行う……はずだったが、なぜか阻霊術の効果が途切れた。
「え、どうして!?」
犬乃と対峙していた天魔は、その一瞬を逃さず透過能力を使って床下へ逃れようと試みる。
「そうはいかないよ!」
犬乃は、事前に仕掛けておいたワイヤーを阻霊陣と一緒に握りこみ、阻霊術を展開した。
腰まで沈み込んでいた天魔は、不意に床上へと吐き出されてバランスを崩す。
「足元がお留守だよっ!」
そのまま手にしたワイヤーで天魔の足元をすくいあげ、仰向けで転倒させた。
そこへゼロノッドが倒れこむように天魔の上半身へ覆いかぶさり、首にナイフを突きたてて捻り、天魔が動かなくなるまで押さえ込む。
2体目――。
「八東儀ちゃん、阻霊陣は手を使ってじゃないと術の展開が出来ないみたいだね」
ワイヤーを握ったまま、犬乃が言った。
「犬乃くん、そのまま阻霊術の代行おねがいっ!」
そう言うと八東儀は、大太刀を上段に構えてマキナを蹴り飛ばした天魔へ斬りかかった。
袈裟に振り下ろされた斬撃を槍でいなした天魔は、返す刀で鋭い突きを八東儀のわき腹にみまう。
「ぐあっ!」
服が裂け、肉を抉られ鮮血がほとばしる。
回復作業を終えた諸葛は、再び阻霊陣に手を当てて霊力を注ぐ。
「今度はアタシが相手だよ!」
戦線復帰した並木坂は、八東儀のフォローへ回った。
天魔が放った足払いを飛んで回避し、そのまま顔面を蹴り倒す。
「ガードがお留守だぜ、魚野郎!」
並木坂に蹴り飛ばされ、バランスを崩した天魔を蔵九のカットラスが襲う。
「とっどめ〜!」
腕を斬りおとされ、地面に転がった天魔の頭部に並木坂がダガーを突き刺した。
3体目――。
残り1体となった天魔は、起死回生をはかるべく阻霊術を展開している諸葛に攻撃を仕掛けた。
槍を突き出し、一気に接近を試みる。
そこへ、マキナが割って入った。
槍の切っ先が頬をかすめるが、表情ひとつ変えずに懐まで接近する。
その姿は、まるで機械のようだ。
強烈な左のボディーブローが炸裂し、天魔の足を止める。
並木坂、蔵九、犬乃、ゼロノッドも加勢に加わり天魔を取り囲んだ。
取り囲まれ進路も退路塞がれた天魔は、槍を長めに構えて周囲をなぎ払うように回転させる。
マキナたちが咄嗟に飛びのき、諸葛までの進路が再びクリアになったとき、ロザリオをくわえた八東儀が突進してきた。
牽制するように放たれた槍の攻撃を大太刀でいなし、懐深くまで飛び込む。
この距離では槍で攻撃するのは不可能だ。だが、大太刀を持った相手も条件は同じはず。
そう考えた天魔は、八東儀の首筋に食らいつこうと牙を剥いた。
「翔君に指一本触れさせるもんか!」
そう叫びながら、八東儀は刃引きして皮紐を巻いた剣身付け根をにぎり、自分に食らいつこうと迫ってきた天魔の首を斬り飛ばす。
頭部を失った天魔は、そのまま2、3歩たたらを踏み、前のめりに倒れ伏した。
討伐完了――。
阻霊術を解いた諸葛は、カメラに向かってサムズアップを送る。
『久遠ヶ原学園生徒諸君の任務完了を確認。乗組員は速やかに所定の持ち場へ戻れ』
そんな船内放送が流れ、クルーがあわただしく移動を開始した。
しばらくして、エンジンの振動が激しくなる。
●帰還の旅路
『当船は、これより横浜港へと針路を変更する。撃退士諸君は、短い時間ではあるが、ゆっくりと休んでくれ』
スピーカーからそんな言葉が流れたあと、巡視船はゆっくりと左へ針路を変更した。
ゼロノッドは、へたれ込みながらも、新たな襲撃があるのではないかと緊張感を持続させている。
何も言わず、表情も変えず、天魔の死体を一箇所に集めているのはマキナだ。
犬乃と並木坂は、仮眠を取ることを選んだらしい。
「お疲れ、ほのか」
瞳を閉じ、まるで祈っているように両手でロザリオを握りしめている八東儀の頭をポンとたたいて諸葛が声をかけた。
「翔君、怪我はない?」
「見ての通り」
そう言って両手を広げてみせる。
「良かった……」
八東儀は柔らかい笑顔を浮かべると、再びロザリオを握りしめて額に当てる。
「兄ぃが救った命、ちゃんと護りとおしたからね」
諸葛には聞こえないほどの小声でそっと呟いた。
「お二人とも、お疲れ様でした」
そんな二人に、黒瓜が声をかける。
「あの魚人、驚いてましたね。【ギョッ!】って」
『…………』
「あぁ、ダメですか……」
デッキでは、蔵九が夜風に当たっている。
漆黒の海に三日月が映りこんでいる。ぼんやりと明るく浮かび上がっているのは、眠らない街、東京の町並みだろう。
横浜港へ到着するころには、空はうっすら白んでいた。
人々が活動し始めるには、まだ早い時間帯だ。
港には、稀にジョギングや犬の散歩をする人が歩いているだけだった。
船が岸壁に到着し、船長が副長を伴って格納庫へやってくる。
「彼らを起こしますか?」
戦闘の疲れから、8人は格納庫で眠っていた。
「いや、もう少し寝かせてやろう。毛布をかけてやれ」
それが船長なりの最大の労いだった。