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スタート地点に無造作に立てかけられた棺おけ。
その中から人の声が漏れ聞こえる。
「ああ、今回は翼が使えないのですね……」。
棺おけの中身は、棺(
jc1044)だった。
普段は飛行能力を駆使して行動しているのだが、今回は撃退士としての能力を全て使用禁止されている。
このままでは走ることすらままならない。
「仕方ありません」
諦めて棺おけから出て、その姿をさらすのかと思いきや、棺は「ふんっ!!」という掛け声とともに棺おけから両手足を突き破って伸ばした。
「こいつ、動くぞ!?」
誰が言ったか分からない言葉とともに棺おけは悠然と立ち上がり、会場を騒然とさせた。
「腹減った」
会場内の雑踏には興味のしめさず、ぼそりと素っ気無い口調でつぶやいたのはラヴィン・アルバトレ(
jb9038)。
彼の出場動機はチョコではなく、早食いで提供される食事のほうにあった。
あの筋肉教師が通常のメニューなど用意するわけもないことは容易に想像ができる。
どんなメガ盛りメニューがあるのか、それが楽しみだった。
今回の特別なチョコを得ようと闘志を燃やしているのは、第一回チョコレースの優勝者にして高峰の恋人の犬乃 さんぽ(
ja1272)だった。
なんとしても手に入れてやろうという意気込みは、表情にも表れていた。
「そろそろ準備良いですかー?」
スタート台に乗った高峰が叫ぶ。彼女はスターティングピストルを持った手を振って参加者に合図を送っていた。
スタートラインに並ぶ参加者。
「この勝負、いただきます……!」
ライバルたちの顔に視線を流し、雁鉄 静寂(
jb3365)は闘志を燃やした。
高峰と同じクラブの代表として、正々堂々と全力で勝ちを奪い取るつもりでいた。
楯清十郎(
ja2990)もまた、高峰のクラブ仲間だ。
チョコレース常連の彼には、まだ一度も優勝経験がない。
昨年は僅差で優勝を逃してしまった。
だからこそ、今年こそは1番に新作チョコを食べたいと思っていた。
そして、その時はきた。
「位置についてー」
高峰が合図を送る。
「チョコは渡さない……」
向坂 玲治(
ja6214)は、どんなことをしてでも優勝を狙うつもりだ。
早食いに備えて朝食は適度な量におさえた。準備は万端だ。
「よーい……」
スターティングピストルを高らかと掲げた。
気付いたらチョコを上げる相手がいなかった。だから、アティーヤ・ミランダ(
ja8923)は貰うほうにワンチャンスをかける。
しかも、貰えるチョコは、彼女好みの女子が作ったものだ。
チョコも良いが、高峰を狙ってみるのも面白い。
自分が持っている衣装の数々を高峰に着せたら、きっと萌え死してしまいそうなくらい似合うに違いない。
アティーヤは、可愛らしいショコラガールの衣装を着た高峰に自分の妄想を重ねて、思わず「ぐへへ」という笑みをこぼしてしまった。
レーススタートを告げるスターティングピストルの乾いた音が響きわたる。
様々な感情が渦巻くなか、各選手は一斉にスタートした。
「今年も楽しくなりそうですね」
個性的な面々をみて、犬川幸丸(
jb7097)はゆったりと走りだす。
プロマイドに写った遠野の爽やか(?)な笑顔を思い浮かべ、この学園に来たころの初心を思いだした。
今年のバレンタインは、遠野にチョコを渡せなかった。学園七不思議のひとつ『有機物の鉄くず化』が起こってしまったことが原因だ。
だからこそ、優勝賞品を勝ち取り、遠野にプレゼントしたいと思っていた。
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スタートダッシュを決めたのは、犬乃だった。
銃声が鳴るのと同時に全速力で駆け抜ける犬乃。
視線の先には、簡易更衣室が8つ用意されていた。
「折角だから、ボクはこの更衣室を選ぶもん!」
迷うことなく最短コースにある更衣室へ入った。
「ちっ!」
同じ扉を目指していたアティーヤは舌打する。
そして、目標を隣の更衣室に変更した。
後続の選手たちも次々と更衣室へ入っていく。
棺が更衣室へ入ることに手間取ってしまった以外は、混乱もなくスムーズな流れで進行した。
最初に更衣室から飛び出してきたのは、向坂だった。
その姿は、コントなどに出てきそうな昭和のお父さん。
真剣な表情と禿げカツラがミスマッチすぎて笑いを誘った。
次いで飛びだしたラヴィンが全身黒タイツなものだから、会場は笑いの渦に巻き込まれた。
顔色ひとつ変えない二人は、色んな意味でイケメンすぎる。
女子選手のアティーヤと雁鉄は、ほぼ同時に更衣室から出てきた。
ふたりの姿は、それぞれゴスロリドレスとメイド服。
先ほどとは一転、会場には男性人の歓声がこだまする。
特に雁鉄は、普段の男装姿と違って非常に可愛らしい。いわゆるギャップ萌えというやつだ。
2人から1拍遅れて飛びだしたのは、ウェディングドレス姿の犬乃だった。
トップで更衣室に入った彼だったが、なるほどこの衣装なら着替えに時間がかかったのも頷ける。
そして、違和感もなく似合いすぎていた。
この衣装は、もしかしたらアティーヤが選んでいたかもしれないものだ。
結婚したくても出来ないギザギザハートは、ギリギリのところで守られたようだ。
「あんまり見ちゃ、駄目だもん」
黄色い歓声を浴び、涙目で赤面する犬乃。
(やばい、萌える)
犬乃にも色々な衣装を着せてみたいと思うアティーヤだった。
十二単の楯と甲冑姿の犬川もほぼ同時に着替えが終わった。
このふたりの場合、『着替え』というより『装着』に近い。
ゴシック式の甲冑は、重厚な見た目と違って思ったより動きやすいものだった。
意外といけるかもと犬川は思った。そして、何より鎧姿の今の自分は、もしかしてカッコ良く見えているのではないかと思った。
犬川は、無意識に遠野の姿を探す。
実行委員席にいる笑顔の遠野と目が合った気がした。
「先生、僕がんばりますから!」
やる気をみなぎらせる犬川だった。
楯はやれやれという表情で先行グループを眺めた。
十二単なんてひとりで着るものじゃない。予想以上に時間を浪費してしまった。
「まさか女物の衣装は、高峰さんが用意したのでは……?」
女装男子を見て鼻血を流していた高峰の姿が脳裏にうかぶ。
どうやらゴスロリドレスとメイド服は、無難にも女性陣が引き当てたようだ。
今回の女装被害者は、犬乃と楯だけで済んだ。
8人目の選手が更衣室から出てきたのは、それからすこし経ってからだった。
その姿に会場が騒然となる。
棺おけから突き出ているのは、手足だけではない。
蓋――位置的に股間のあたり――からは、白鳥の首まで突き出ている。
観客たちは、何をどこからどうつっこめば良いのか、ツッコミどころが多すぎて困惑したのだった。
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先行グループは、借り物走エリアにたどり着いていた。
一番手でカードを引いた向坂は、ニッと笑みを浮かべる。そして、くるりと踵を返すと、まっすぐ実行委員席にいる遠野のもとへ向かった。
向坂にやや遅れ、犬乃、アティーヤ、雁鉄がほぼ同時にカードを拾う。
3人のカードには、それぞれ別のことが書いてあった。が、しかし、3人の視線はひとりの少女へと注がれた。
「好みのタイプのコ……な」
ニィと笑みを浮かべるアティーヤ。
「あら、『高峰真奈』と書いてありますね」
雁鉄のカードには、ストレートに個人名が。
一斉に高峰のもとへ向かう3人。最初に高峰の手をとったのは、犬乃だった。
「まっ、真奈ちゃん一緒に来て」
「え、ほわっ!」
高峰が驚きの声を上げた理由は、犬乃が彼女を連れ去ろうとした瞬間、反対側の手をアティーヤに取られたからだ。
「まーなーちゅわーん!! あたしにも借りられてくんない?」
カードに書かれた内容をひらひらと見せながらアティーヤ。
「困りましたね。私も彼女に用があるのです」
カードを見せながら雁鉄も歩みよった。
チェックポイントには4人で向かうことになった。
その途中、まるで丸太でも担ぐように向坂を担いだ遠野が、上機嫌のまま全力疾走で4人を追い抜いていく。
あれでは、借り物走というよりも借りられ走だ。
その頃、カードを拾ったラヴィンは途方にくれていた。
「『下着(自分の以外)』って何だよ……」
幸か不幸か性別の指定はないようだ。
そこへ楯と犬川がやってきた。
ふたりを交互に見比べるラヴィン。甲冑よりは着物のほうが良いだろう。
ラヴィンは、おもむろに楯の下袴の裾を捲り上げた。
「ちょっ!?」
「寄越せ」
思わず声を上げる楯。ラヴィンは楯が状況を把握する前にパンツを剥ぎ取り、チェックポイントへ向けて駆け出した。
唖然とする楯。だが、すぐに我に返った。
以前のレースでは、もっときわどい格好で走った。アレに比べれば恥ずかしさは隠れているだけマシだ。
気を取り直してカードを拾った。
「これは……」
楯のカードに書かれていたのは『元撃退士の漁師』。ピンポイントで指定しているだけに、難易度は最高だろう。
観客たちの中から該当する人物を探す楯。そこである人物とであった。
その頃、犬川は校舎の隅で福寿草を探していた。
現時点で向坂が独走している。借り物競争で『ガチムチ兄貴』というカードを拾った彼は、遠野のもとへ行き『ナイスガイな大人』が必要だと伝えた。
そして、遠野ブーストである。当然、チェックポイントは問題なく通過できた。
向坂からやや遅れ、高峰御一行がチェックポイントへやってきた。
3人ともすんなり通過するかに見えたその時、雁鉄が犬乃のカードを指してこういった。
「犬乃さんは、どっちのつもりで高峰さんを連れてきたんですか?」
カードを覗き込む高峰。そこには、『腐女子or可愛いお嫁さん(未来形でも可)』と書かれている。
「さんぱ君とは、一度ゆっくり話したほうが良いみたいね……」
「はわわわ」
高峰のジト目に怖気る犬乃。
「も、もちろん後者だよ!」
「証拠見せろよ!」
ニヤニヤと茶化しながら、チェックポイントを通過するラヴィン。
「えっ、しょ、証拠……!?」
高峰は、無言のまま犬乃を睨みつけた。
「ま、真奈ちゃん、すこし目を閉じて……」
犬乃に言われるまま、高峰はしずかに目を閉じた。唇をすこしだけ突き出したのはご愛嬌。
生唾を飲み込む犬乃。
しばしの沈黙のあと、ふたりは唇に重ねた。
赤面するふたりを尻目に犬川と楯もチェックポイントを通過した。
「うむ。娘をよろしく頼むぞ!」
「お、お父さん!?」
声の主は、高峰の父、高峰俊昭だった。
高峰パパは、娘がショコラティエとしてデビューするという連絡を受け、はるばる北海道からやってきて、借り物競争で借りてこられたのだった。
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これまでトップを独走していた向坂は、ここへきて思わぬ苦戦を強いられていた。
彼が引いた早食いメニューはパエリア。
一口の量を少なくし、口に運ぶ回転数を上げてペース良く平らげていく。
トップ独走でかなりの時間を貯金したおかげで、なんとか一番に完食することができた。
続けて早食いを完食したのは、通常サイズのメロンパンを引いたアティーヤと水のみだった雁鉄だ。
当たりメニューを引いたおかげで、向坂との差を一気に縮めることができた。
早食いメニューを普通に堪能している選手もいた。
ラヴィンと犬川だ。
早食いメニュー目当てで参加したラヴィンが引いた『フレンチコース料理』は、彼にとって一番の当たり籤だといっても過言ではない。
行儀良く両手を合わせてから食べ始めるラヴィン。ジェームス・富原氏特製のフレンチ料理は、絶品だった。
ラヴィンは一口が大きくペースが速いので、ものの10分程度でコース料理を平らげた。
いっぽう、犬川が引いたメニューは遠野特製野草粥。
粥の中には、どこにでも生えていそうな複数の雑草が入れられていた。
「どんなものなのか、一度味わってみたかったんです」
軽く塩気が利いた粥は、例えるなら七草粥に近い味だった。
毒草なんかが入っていないか少し心配ではあったけれど、ちょっとだけ遠野に近づけた気がした犬川だった。
早食いの先は、単純な体力勝負になった。
引き当てた衣装や早食いメニューだったかが大きな決め手となる。
トップを争うのは、向坂、アティーヤ、雁鉄の3人だった。
「無理だろー」
プールの直前でアティーヤは戸惑いを見せる。
しかし、向坂と雁鉄は迷うことなくプールへ飛び込んだ。
男の向坂はともかく、雁鉄まで躊躇なく飛び込むとは。
しかし、よく見ると彼女は衣装のしたに水着を着ていた。
準備万端な雁鉄の作戦勝ちである。
振り返ると、犬乃、楯、犬川、ラヴィンもプールに迫っている
アティーヤは、意を決してプールへ飛び込んだ。
プールでは、楯と犬川が苦戦した。もちろん、衣装が原因だ。
犬乃は泳ぐ前に衣装の裾を縛って少しでも泳ぎやすくした。しかし、それで時間を浪費してしまった。
クライミングボードの前では、アティーヤが再び立ち尽くしていた。
「無理だろー」
二度目のセリフである。
しかし、ここで挫けるわけにはいかない。残りの1000mで挽回できるかもしれないのだから。
諦めて登り始めたアティーヤは、心の中でスカートの中を見せて妨害したろかとか、蹴り落とすとかありなんかなとか、黒いことを考えたりしていたことを付け加えておく。
皆、それぞれ巻き返しをはかったのだが、トップ争いが向坂、雁鉄、アティーヤなことは変わらなかった。
水泳やクライミングでとった作戦が裏目に出てしまった選手も多い。
結局、一進一退の1000m走を制したのは向坂だった。
遠野ブーストの影響が大きい。あれが無ければ優勝は出来なかっただろう。
表彰台で高峰からチョコレートを貰った向坂は、その場で頬張ってみせた。
柑橘系の香りが口の中に広がる美味しいチョコレートだった。
「チョコ貰うのって、むずかし……」
表彰式のあと、アティーヤはげんなりした表情でそうつぶやいた。
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棺は悠々とゴールを目指していた。
「まったく、なんで皆そんなに急いでるのさ〜」
周囲の歓声が棺の頭の中に響きわたる。
まるで凱旋パレードだ。
助言をくれたおっさんキューピットは言っていた。
――真打は最後に登場するものさ。
なるほど、こういうことだったのか。
早食いは、白鳥の頭が邪魔だったけれど何とかなった。
水泳は正直焦った。手足の稼動範囲が少なすぎて、なかなか水をかけなかったからだ。
だが、そんな困難を乗り越えてきたからこそ、この歓声なのだろう。
沸き立つ会場を駆けぬけ、観衆に手を振りながら棺はついにゴールした。
「みんな、ありがとう! 私がゴールできたのは、みんなのおかげです!」
そう叫びながら、棺は棺おけの覗き窓をあけた。
「……あれ?」
そこには観衆はおらず、ゴールも撤去されたあとだった。
彼が聞いていた歓声は、脳内再生された幻聴だった。