●ヴェガとフィーナ
「分かっていると思うが、これはお前が天界へ忠誠を示す最後のチャンスになる」
ヴェガの言葉には、冷徹な響きが伴っていた。
ここを占拠していることは、既に撃退士側の知るところとなっていた。
彼らがここに来て、既に5日が経過している。
じきにここは戦場になるだろうことは目に見えていた。
「俺はお前の忠誠心を見定めるため、戦闘の行く末を見定めさせてもらう。良いな?」
「……はい」
フィーナは、表情を曇らせ、ケーンを持つ手にきゅっと力を込めた。
「お前の性格は良く知っている。他人を傷つけることが辛いのだろう。しかし、これは戦争なんだ。お前が天使として天界に仕えている以上は、避けて通れない」
「分かって……います」
語尾が消え入るフィーナを見て、ヴェガは小さなため息をついた。
「幸い、攻撃はドラゴンが全てやってくれる。お前は、全力でドラゴンのサポートをしていれば良い。これなら、少しは心の痛みもマシになろう」
ドラゴンは、任せておけとばかりに咆哮をあげた。
しかし、周りがやる気になるほど、フィーナの心はどんどん沈んでいく。
「…………」
彼女にとって、この任務がかなり無理難題であることは、ヴェガも良く理解していた。
しかし、今ここで精神的に追い込むことは、フィーナにとって必要なことなのだ。
少なくとも、ヴェガはそう思っていた。
不意にドラゴンが首をもたげ、南方へ視線を向ける。
「来たようだな」
ヴェガの言葉に肩を震わせるフィーナ。
「では、俺は後方で戦況を眺めながら待機させてもらうぞ」
そして、ドラゴンへと視線を向ける。
「フィーナを頼んだぞ」
ドラゴンは、首肯して答えた。
「フィーナ……」
名を呼ばれたフィーナは、はっとしてヴェガを見つめた。
「……いや、なんでもない。気をつけろよ」
ヴェガは、それだけ言い残すと、サービスエリアが見渡せる丘の上でと飛び去った。
●会敵
天使たちが陣取るサービスエリアまで200mほどまで近づくと、前方にドラゴンが飛び立つ姿がみえた。
ドラゴンは彼らを視認しているようだが、向こうから仕掛けてくる様子はみられない。
「やれやれ、だねぃ」
皇・B・上総(
jb9372)は、ドラゴンを見上げてため息をつく。
ドラゴンから仕掛けてくれれば、サーバントと天使を分断させることが容易かったのだが、相手は思っていた以上に堅実なようだ。
「やっかいな相手だね」と天羽 伊都(
jb2199)。
いつもなら全力で殺りに行くところなのだが、今日は仲間の強い意向で天使には手を出さないことにした。
雑魚相手ならともかく、相手が上級サーバントと天使で、彼らに本気で守りの布陣をされるといささか骨が折れるというものだ。
ブリーフィングで示唆されたとおり、これは本当に罠なのではないかという空気がかすかに流れる。
「罠じゃない」
それを敏感に感じ取ったのは、蓮城 真緋呂(
jb6120)だった。
「私はクピードさんもヴェガさんも信じる!」
もし、この戦いでフィーナが堕天したら、上司であるヴェガの立場はかなり悪くなるだろう。しかし、それを差し置いてまでこの提案したのは、彼女を本気で思ってのことに違いない。
ならば、蓮城が取るべき道は、その想いを受けて立つことのみ。
「フィーナさんか……」
強い意志を漲らせる蓮城の姿を見て、陽波 飛鳥(
ja3599)は小さく微笑んだ。
「話に聞いてる限りだと本当に良い子なのね」
敵味方から、これほどまで愛されてるのがその証拠だ。
「仲間が信じてるなら、私も信じる」
そして、皆の想いが届いてほしいと心から願う陽波だった。
「いずれにせよ、すべてはあいつをい片付けてからだ」
不動神 武尊(
jb2605)は、天獄竜を召喚。ティアマトとの連携が強まった不動神の身体には、ティアマトの頭部を模した装甲が現れた。
時間は少しさかのぼって、彼らが臨戦態勢に入る15分ほど前。米田 一機(
jb7387)と並木坂・マオ(
ja0317)は、別経路でサービスエリアへ侵入するべく行動を開始した。
彼らの目的は、フィーナの説得。仲間がドラゴンの相手をしている隙にフィーナと接触するつもりなのだ。
「気をつけてくださいね」
天羽がふたりに声をかける。
ドラゴンを討伐するにあたり、フィーナとドラゴンの分断は必須条件になるだろう。
フィーナのことを米田と並木坂に任せきるかたちになるが、もし説得が失敗したり気が変わった大天使が介入してきた場合、ふたりは完全に孤立することになる。
それに、単独行動中をドラゴンに狙われてもただではすまないだろう。
いずれにしても、最悪死ぬことだって考えられる。
「まあ、任せておいてよ」
並木坂は、明るくこたえた。
彼女なりの秘策を用意しているのだ。
それとは対照的に米田の表情は真剣なものだった。
これは、彼にとって絶対に引けない戦いだった。
そして、それは皆も理解していた。
「ああ、米田氏。待ちたまえ」
隊列を離れる米田に皇が声をかける。
「譲れないものを一つ持っておくことをお勧めしよう。それだけでも不思議と倒れない」
立ち止まり、振り返る米田。
「それさえあれば、あとは想いを乗せてどれだけ深く抉り込むかだけさね」
皇はうんうん頷きながら、自分は良いこと言ったと満足げな表情を浮かべた。
実際に良いこと言ったのだが。
「俺が片づけてやる……は不可能な話だが」と不動神。
「こちらは皆で力を合わせて何とかする。お前は成すべきことを成せ」
不動神なりの激励だった。
米田はブレスレットのように身につけた左手の手錠の片割れを握った。
その手錠は、彼がフィーナと初めて出会ったとき、ふたりを繋いだもの。米田にとっては、絆の証のようなものだった。
仲間の視線が米田に集まる。
「皆揃って真面目なんだから」
しばしの間のあと、米田は笑っていった。
「もうちょっと俺みたいにズボラでいいんだよ」
軽口をたたいて歩き出す米田の背中からは、強い意志と想いが溢れ出ているように見えた。
●撃退士とフィーナ
フィーナの前に姿を現した撃退士たちの中には、見知った顔がいくつかあった。
いずれも以前に出会ったとき、親切に接してくれた者たちだ。
フィーナは微かに動揺した。
人類と刃を交えるということは、いずれこういう事も起こりえると理解はしていた。
しかし、まさか今日それが実現してしまうとは予想していなかった。
ドラゴンは、心配そうな視線をフィーナにおくった。
「分かっています」
フィーナはケーンを掲げ、ドラゴンにアウルの鎧を纏わせた。
フィーナの加護を受けたドラゴンは、飛翔したまま撃退士たちへ接近した。
まず、先制攻撃を加えたのは、鏑木愛梨沙(
jb3903)だった。
「とりあえず、アンタは邪魔だからとっとと沈んでね」
ドラゴンの針路を予測して、そこにコメットを撃ちこむ。
しかし、ドラゴンは紙一重で針路を変えたため、鏑木の攻撃は不発に終わった。
「今回の俺の役割は城壁。ルークということだ」
不動神は、天獄竜をドラゴンの迎撃に向かわせた。
不動神は天獄竜をドラゴンに掴みかからせる。
しかし、それは紙一重で避けられた。
龍崎海(
ja0565)は、ドラゴンの動きに合わせ自らも飛翔し、追撃をかけた。
槍を展開させた龍崎。狙いはドラゴンの翼だ。
すれ違いざまにドラゴンの牙を受ける。
「くっ!」
龍崎も負けじとカウンターでドラゴンの翼に槍の刃を刻み込んだ。
確かな手ごたえは感じられたが、致命傷には程遠いようだ。
影野 恭弥(
ja0018)は茂みに身を潜め、射程距離ぎりぎりの位置からスナイパーライフルでドラゴンを狙い続けていた。
進入のスキル効果のおかげで、ドラゴンには認識されていない。これなら不意打ちを狙えそうだ。
スコープで翼を狙いつづける影野。ドラゴンが龍崎と交差した直後を狙ってアシッドショットを撃ちこんだ。
翼に強酸性の弾丸を撃ちこまれたドラゴンは、苦痛の咆哮を上げた。
狙撃を終えた影野は、すぐに別の狙撃ポイントへ移動した。
その動きに合わせ、天羽も守備位置を変える。
天羽は、前の依頼で重症を負った影野を庇護の翼で守るため、彼の近くに居る必要があったからだ。
「仲間が増えるのは歓迎だしね。何が相手でもぶち抜くわよ、SR−45!」
陽波は、負傷のために飛行がぐらついたドラゴンに追撃を加えた。
できれば翼を狙いたかったのだが、回避行動をとりながら飛ぶドラゴンの翼に照準を絞りきれず、諦めて胴を狙う。
陽波は部位狙いを狙えるほどの命中精度は持っていないが、破壊力だけなら影野や龍崎をも凌ぐ。
弾丸はドラゴンの腹部に命中し、鱗を砕いて鮮血をほとばしらせた。決して浅い傷ではないが、それでもドラゴンの巨体からしたらたいした傷ではなさそうだ。
翼に腐蝕効果のバッドステータスを受けたドラゴンは、後退してフィーナの支援を求めた。
フィーナは、すぐに腐蝕の効果を打ちけす。
「厄介な……」
奥歯を噛む鏑木。
やはり、フィーナの支援をどうにかして引き剥がさないと、ドラゴンを倒すのは難しそうだ。
「お願いです。立ち去ってください」
フィーナの透き通った声がパーキングエリアに響きわたる。
「私は誰も傷つけたくないんです!」
だが、立ち去ろうとする者はひとりもいなかった。
フィーナの表情は、いっそう曇る。
でも、フィーナとしても彼女が今まで守り続けてきたものを守るため、ここで負けるわけにはいかない。
フィーナは覚悟を決めるしかなかった。
戦場となるパーキングエリア周辺が一望できる小高い丘の上。クピードと接触したあの場所から、ヴェガはフィーナの戦いぶりを見守っていた。
ヴェガは、他の大天使と比べて少しばかり戦闘力が劣る半面、優秀な探索能力があった。
故にクピードが身を潜めながら近づいたときも、彼を見つけて接触することができたのだ。
真剣に戦うフィーナの顔には、苦悩の色がにじみ出ている。
撃退士が傷つくたび、彼女は微かに眉をひそめていた。
撃退士たちは傷つきながらも良く戦っている。少なくとも、ヴェガが予想していた以上の戦いぶりだ。
改めて戦局を分析する。
フィールドで戦っているのは7人……いや、8人。そのほかに別働隊が2名、こそこそと行動しているのが確認できた。
別働隊はフィーナ狙いか。撃退士たちの中にクピードの姿はないようだ。
人数配分は完璧のようだ。
もし、彼らがクピードからの依頼を受けた撃退士ではなく、事情を知らないクピードとは無関係の撃退士だとしたら、戦況によっては手助けしてやる必要がある。
みすみすフィーナを討たせてやる気など、ヴェガは持ち合わせていない。別働隊の動きには特に注意したほうが良さそうだ。
ドラゴンは苦戦を強いられているようだった。
茂みに潜みながら、常に射撃ポイントを変えながら狙撃している者がいる。
どうやら重体しているようだが、それにしても舌を巻くほどの射撃の達人だ。
ウィークポイントのひとつである翼を確実に狙ってきている。
彼をカバーするため一緒に動いている者がいなければ、気付くのがもう少し遅れたかもしれない。
「ふむ、悪くない」
相手がドラゴンじゃなかったのなら、このまま潜伏し続けられたかもしれない。
「だが、相手が悪かったな」
ドラゴンは非常に高い知能を有している。そのうえ、上空から戦場を一望できるのだから、いつまでもその目をごまかしきれるものではなかった。
新たなターゲットを見つけたドラゴンは、狙撃手が潜む茂みに急行した。
「来ましたよ!」
天羽は身構えた。
ドラゴンは、不動神の天獄竜をかわし、他にわき目も振らずにまっすぐこちらのほうへ飛んでくる。
影野の居場所が知れてしまったのだろう。
影野は心の中で舌打をした。
影野の射撃精度は、重体中にもかかわらずドラゴンがどんな体勢でいようと射程ギリギリの位置から翼にクリーンヒットさせられるほどの腕前だ。
翼は身体のほかの部分と違って鱗に覆われていない。
いくらフィーナの支援を受けられるからといっても、ドラゴンにとっては、翼を集中的に狙われることは、煩わしいことこの上ない。
だが、それは同時にドラゴンがフィーナの支援範囲から出るということでもあった。
ドラゴンの口が赤く光る。
身構える天羽。すると、影野の身体は淡い光に包まれた。その直後、ドラゴンが吐き出した紅蓮の炎は、天羽と影野を飲みこむ。
「……っ!」
庇護の翼で影野を守る天羽は、2人分のダメージを請け負うことになった。
炎が消えると、そこには所々に火傷を負った天羽と、ノーダメージの影野の姿があった。
「熱っ……っ! でも、この程度なら」
それなりのダメージは食らったが、そこはたぐい稀な防御力を誇る天羽。これなら、あと数発食らっても問題ない。
影野は、ふたたびアッシドショットをドラゴンの翼に撃ちこんだ。
フィーナの支援範囲から外れた今が、ドラゴンを地面へ叩き落とす最大のチャンスだ。
それに、存在を認識されてしまっては、潜伏し続けるのは難しい。
わざわざ支援範囲から出てまで仕掛けてきたのだから、ここで落とせなければ集中的に狙われかねない。
そうなれば、天羽の負担も大きくなってしまう。
影野は心を落ち着かせ、冷静に次弾を装填した。
そこへ、不動神の共感によって能力の底上げをされた天獄竜が、ドラゴンの背後から押さえ込みにかかった。
「お前を主のもとへ返すわけにはいかぬ」
天獄竜は、ドラゴンの首に鋭い牙を突きたてる。
その牙は硬い鱗に遮られ、ドラゴンにはかすり傷しか刻み込めなかった。
しかし、退路を断つという意味では、十分は効果を発揮した。
さらに皇のライトニングが追い討ちをかける。
雷撃がドラゴンを襲う。だが、さほど効いているようには見えなかった。
「ふむぅ、硬いのは情報通りか」
鼻を鳴らして考える素振りを見せる皇。
相手が強ければ強いほど、状況が困難であれば困難なほど、彼女の胸は躍動する。
皇には、どんな状況でも楽しもうとする悪癖があった。
霊符を構えた蓮城は、ドラゴンの動きを予測して攻撃を放つ。
放たれた雷刃の軌道は、ドラゴンから逸れるようなものだった。
しかし、外れると思われた雷刃は、ドラゴンの身体に命中する。
まるで、ドラゴンのほうから雷刃に飛び込んだようにも見えた。
攻撃を命中させた蓮城は、横目でフィーナの様子を確認した。
フィーナの表情は辛そうだった。きっと、彼女にとってはドラゴンが傷ついていくことも苦痛なのだろう。
「くっ」
蓮城の心がズキリと痛む。
ヴェガが出した条件は、力ずくで奪いにこいというもの。それは、ドラゴンを倒して撃退士の力を示せということ。
少なくとも、蓮城はそう理解した。だからこそ、米田とは行動を共にせず、あえてドラゴン討伐班に加わったのだ。
ドラゴンを支援すべく、フィーナが動いた。
「ちょーっと待ったーーーーッ!」
そこへ、タイミングを見計らっていた並木坂が、まるで獲物に飛び掛る猫のごとき猛ダッシュをかけて飛び込んできた。
フィーナの行く手を遮るように飛び出した並木坂は、手に持っていたパーティー用クラッカーをフィーナに向けて炸裂させた。
「!?」
目を真ん丸くして驚くフィーナの頭から細い紙テープが降り注ぐ。
呆気に取られ、思考が停止するフィーナ。
小さくガッツポーズをとる並木坂。
狙いどおり、フィーナの行動をキャンセルさせることに成功した。
「は……へ? な、何が……」
突然の出来事にフィーナは状況を飲み込めないでいた。
「いや、あはは。仲間がきみと話をしたいみたいだったんでねー」
並木坂は、頭を掻いて場の空気をごまかした。
「フィーナ」
その声は、フィーナの背後から聞こえてきた。
振り返ると、そこには米田の姿。戦場を大きく迂回した米田は、コンビニエンスストアの裏口から店舗を抜け、フィーナの背後にまわったのだ。
「あなたは……っ!」
米田の顔は、フィーナの記憶に鮮明に残っている。彼の手首に嵌められた手錠とかいう鉄の輪のことも良く覚えている。
あのとき手錠の片割れを繋げた右手首をぎゅっと握るフィーナ。
フィーナにとって米田は、彼女が戦場で最も出会いたくなかった相手のひとりだ。
「米田さん……何をしに……」
「決まってる」
米田の瞳の奥に強い意志の光が宿る。
「きみを説得しにきた」
「説得……?」
「平たく言うと、堕天の勧誘?」
言葉の支援を送る並木坂。
「堕天って言うと、悪いことをそそのかしちゃってるみたいだね……」
並木坂は、言葉面の悪さに思わず微妙な表情を浮かべた。
天界側と人間側では、堕天という言葉に対する意味合いも違ってくるだろう。
でも、それが誰かを苦しめる『正義』なら、それはもう正義なんじゃかない。
なら、たとえ天使から『悪』と断じられようと、誰かの笑顔のためなら信じられる。
戦闘中、ずっと心苦しそうな表情を浮かべていたフィーナを見て、並木坂は心のそこからそう思えた。
「私には……」
「きみのシュトラッサー……クピードのことなら心配ないんだ」
「…………っ!?」
久しく耳にすることがなかった名前。確かにクピードは、フィーナのシュトラッサーだ。
まさか、人間の口から彼の名前を聞くとは思いもよらなかった。
米田の前でクピードの名前を出した覚えはない。
「今日、僕が来たのも、彼が接触してきたからだ」
「クピードが……?」
彼らにクピードの名前を教えた記憶はない。恐らく、彼らの言うことは本当なのだろう。
少なくとも、フィーナが知る限り、米田はそんな姑息な嘘をつく男ではない。
フィーナは、心を激しく揺さぶられた。
いっぽう、並木坂がフィーナの支援を止めたことによって、ドラゴン戦にも大きな動きが見られた。
ドラゴンは、フィーナの支援を受けられないまま、両翼に影野のアシッドショットを食らった。
ブレスの反撃は、全て天羽が庇護の翼のせいで影野には届かない。
龍崎は、翼の負傷で動きが鈍るドラゴンの側面から槍の一撃を加えた。
アシッドショットによって著しく防御力をそぎ落とされた翼は、この一撃が決めてとなって羽ばたく力を失った。
片翼を失ったドラゴンは、残ったもう片方の翼で何とか姿勢制御を取りながら、ゆっくりと地上へ降り立った。
天羽は、ドラゴンに追撃を加えた。
漆黒の焔を纏ったような刀身がドラゴンの身体を刻む。
ドラゴンの身体は深く斬りつけられ、硬い鱗と鮮血が飛散した。
「その装甲の下はどうかな?」
不動神は、鱗が剥がれたその傷を狙って天獄竜のハイブラストを叩き込もうと試みる。
しかし、それはわずかに傷口を逸れ、硬い鱗にはじかれてしまった。
「流石は上級サーバントといったところか……」
天界にいた頃は気にしたこともなかったが、敵としてまみえてみると予想以上に強敵だ。
「まったく、相当なしぶとさだねぃ……」
皇もまた、ドラゴンの固さに辟易していた。
いくら攻撃を叩き込んでも思うようにダメージを思うようにダメージを与えられない。
「まあ、それならそれで……」
皇はチャンスをうかがう。
地上に落ちたのなら、近接攻撃ができる。そして、その瞬間がきた。
ドラゴンの口が再び赤く光る。
口を開け、ブレスを吐こうとしたその瞬間、
「中から潰せばいいだけの話さぁ」
皇はドラゴンに駆けより、ドラゴンの口内に直接ライトニングを叩き込んだ。
陽波もまた、同じことを考えていたらしく、ドラゴンの正面に立って口の中に弾丸を叩き込んだ。
その直後、ドラゴンの口から紅蓮の炎が吐き出される。
炎は皇と陽波を飲み込んだ。
決死の攻撃は十分な効果があった。しかし、彼女らもまた、龍崎の『神の兵士』のおかげで気絶や重体こそ免れたが大きなダメージを負うこととなった。
ドラゴンは、まだ倒れない。
ふらふらした足取りで、ゆっくりとフィーナのもとへ向かおうとした。
ドラゴンが落とされたことにより、フィーナは我に返った。
見ると、ボロボロになったドラゴンがゆっくりとこちらへ近づいてきている。
「あ……っ」
思わず駆け寄ろうとするフィーナ。
しかし、その動きは並木坂によって阻まれてしまった。
「ごめんよ、行かせるわけにはいかないな」
「…………っ!」
フィーナは唇を噛んだ。彼女にとっては、ドラゴンもまた大切な仲間なのだから。
「フィーナさん、天界の都合で作り変えられたこの子をこれ以上戦い続けさせないで!」
蓮城は、光纏を解除してフィーナに訴えかけた。
ここで攻撃を食らえば、死んでしまうかもしれない危険な行為だ。
「お願い、もう休ませてあげて!」
必死に訴える蓮城。
フィーナは胸元で拳を握りしめ、硬く目を閉じて苦悶の表情を浮かべたあと、ガクリと膝をついた。
「ありがとう。待ってて……そこに行くまで絶対待っててね!」
それを見届けた蓮城は、再び光纏してドラゴンに挑む。
ドラゴンは、牙や尻尾で反撃しながらも、フィーナに助けを請うような表情を浮かべてゆっくりと歩みを進めた。
もはや満身創痍だった。
「せめて、最後は私の手で……」
蓮城の魔具に白い光が集束される。
フィーナの表情が心に刺さる。
あの表情をさせたのは、恐らく自分だ。
フィーナにとっては、ドラゴンも愛情をそそぐ対象に違いないのだ。だからこそ、ドラゴンに止めを刺すことは、自分の役目だと感じていた。
「おやすみなさい」
蓮城が放った白光は、ドラゴンを永遠の眠りにつかせた。
●それぞれの想い
蓮城は、ドラゴンを倒してすぐにフィーナを抱きしめるため駆け寄ろうした。
だが、それより先にフィーナがドラゴンへ駆けよった。
「ごめん……なさい……」
フィーナは涙を流し、優しくドラゴンの顔を撫でる。
「フィーナさん……」
蓮城は複雑な気持ちになった。
「フィーナ、さっきの話の続きをしよう」
米田は、ゆっくりフィーナに近づいた。
「久遠ヶ原学園は、きみとクピードを同時に保護することができる」
フィーナは、涙で濡れた顔をあげた。
「彼は、フィーナが堕天すれば自分も堕天するそうだ」と龍崎。
一度は断られた堕天の話だが、今回はかなり勝算がある。
「フィーナが堕天しない理由は使徒が理由なのだから、その使徒が堕天しても生きていけると分かれば問題ないはず」
「それは……」
フィーナの心は揺れる。
「縛るものがない上で、改めて問う」
米田は、フィーナの瞳をじっと見つめた。
「今、きみはどうしたい?」
「私は……」
「堕天使仲間が増えるのなら嬉しいかな」
鏑木はニッコリ笑って後押しした。
「あなたが使徒と堕天した方……?」
「あ、いやいや、あたしじゃないよ」
思わず苦笑い。そして、言葉を続ける。
「貴女の性格で今の天界の方針の中やっていくのは、きっとこの先破綻すると思うわ。その前に堕天することをお勧めするんだけど?」
それはフィーナも自覚していた。しかし、このまま堕天すればヴェガに迷惑をかけてしまうのは目に見えている。
そもそも、なぜ、彼は姿を見せないのだろうか。
「僕は……」
色々と頭の中で言葉を整理する米田。
「いつしか天使も悪魔も人も一緒に笑える日の為に――それを言うと良く笑われるんだけど――そんな日を信……」
米田は、言葉の途中でかぶりをふった。
「……違うな」
気恥ずかしさで思わず笑みがこぼれてしまう。彼が伝えたいことは、もっと単純なことなのだ。
「俺はフィーナと一緒に笑っていたい」
優しい笑みを浮かべ、優しく手を差しだす。
「だから、手を伸ばすんだ。あの日の思い出を、笑顔を頼りに」
彼が差し出した左手には、ふたりの絆の証が光っていた。
フィーナの瞳から、再び涙があふれてきた。
そんなとき、不意に冷徹な声が近づいてきた。
「全く、人間と言うのは……」
声のほうを一斉に振り返る撃退士たち。
ヴェガだ。クピードから聞いていた容姿と一致する。
「さっきから聞いていれば、恥ずかしげもなく、よくそんな臭いセリフが次々と出てくるものだな」
ヴェガは、撃退士たちの前に静かに降り立った。
「だが、悪くない」
「ヴェガ……」
フィーナの表情に緊張がはしった。
この時点でヴェガが敵なのか味方なのか、判断しかねる。
「やれやれだねぃ……我々よりも長生きのクセに随分と気の短いお客人たちだよぅ」
皇の言葉を合図に、全員が身構えた。
ヴェガは冷たい視線を一同に向けた。
「フィーナ……笑ったんだよ」
米田は、必死に感情を抑えて声を震わせた。
「仲間が死んだ後だってのに、それでも人の優しさに……笑ってくれたんだよ」
米田の脳裏には、フィーナと初めて出会った群馬での思い出がよぎる。
「なのに何で……なんで今、こんな面してんだよ!」
フィーナが堕天に踏み切れない理由があるとしたら、それはこの男が原因だろう。
「ヴェガ……私は……」
差し伸べられた手を取りたい。ヴェガを裏切りたくない。
両立することができない2つの感情に押しつぶされそうになるフィーナ。
天羽はふたりの様子をじっと見守った。
いつでも戦闘態勢に入れる心の準備をする。
成り行き次第では、もう一戦やらなければならないからだ。
「お前はどうしたいんだ。フィーナ」
ヴェガの言葉で一同の視線がフィーナに集まった。
「すべては選択だ。そして俺は……選択をした」
だからここにいると不動神。
「さぁ選択せよ天の僕よ。お前の意思……魂は……今どこにある」
思い悩み、フィーナは言葉も出せなかった。
「内緒だけどチャンスをくれたヴェガさんの為にも一緒に来て、幸せになろう」
「ヴェガが……?」
はっと顔をあげたフィーナは、ヴェガの顔を見つめた。
何故ばれたのかと動揺する蓮城。
ナイスドジとサムズアップを送る米田。
「絶対幸せにしますから、ヴェガさん、フィーナさんを私に下さい!」
ばれたのなら仕方ないと開き直った蓮城は、真剣な目でヴェガをみつめた。
「全く……人間という生き物は……」
ヴェガは、なかば呆れたようなため息を漏らした。
「全ては彼女が決めることだ」
そういってフィーナを見つめるヴェガの視線には、暖かいものが込められていた。
「クピードは、今どうしているのですか?」
「久遠ヶ原学園と協力体制にあるよ。彼の声、録音してきてるけど聞く?」
貴女と分かれた頃とは、大分変わっちゃってるみたいだけどねといいながら、鏑木は事前に用意しておいたボイスレコーダーを取りだし、再生ボタンを押した。
『フィーナさま……』
ボイスレコーダーからクピードのしゃがれ声が聞こえてくる。
彼が語る内容がどんな意味を持っているのか撃退士たちには分からない。
ただ、龍崎から受けたアドバイスどおり、ふたりにしか分からない内容だということだけは理解している。
「クピードは、本当に元気なんですね」
数十秒の短いメッセージではあったが、フィーナには十分に伝わったようだ。
「改めて問う。フィーナ、お前はどうしたいんだ」
ヴェガの語気は、柔らかいものに変わっていた。
「私は……」
瞳を閉じ、心の整理をするフィーナ。
そして、ゆっくりと瞳をあけた。
「私は、クピードと共に生きたい」
「そうか」
「でも、そうなるとヴェガ……あなたは……」
皆の視線がヴェガに集まる。
「俺のことは心配しなくて良い」
「本当に良いのかい?」と皇。
飄々とした態度をとるが、内心ではヴェガとの戦闘が回避できることは大歓迎だと思っている。
「ヴェガ」
米田は、内に秘める強い想いを視線に乗せてヴェガにぶつけた。
「俺が……必ずあいつを笑わせてやる」
「…………」
「あんたが出来なかったこと、絶対に叶えてみせる」
「俺が出来なかったこと……か」
ヴェガは自嘲の笑みを浮かべた。そして、再び瞳に鋭い光を宿し、撃退士たちにいった。
「フィーナはお前たちに託そう。しかし、お前たちがフィーナを託すに値しないと感じたとき、今度は俺がフィーナを力ずくで奪い返しにいく」
「そのときは、受けてたつさ」
不敵な笑みをぶつけ合う、米田とヴェガだった。
「あんたはこれからどうするの?」
ヴェガの去り際、龍崎はそう声をかけた。
「大天使が堕天した事例もあるし、よければ一緒にどう?」
この天使となら分かり合えそうだと、龍崎は思った。
しかし、ヴェガは首を左右に振ってこたえた。
「何事にも責任を取るものが必要だ。これは人間界も同じなのではないか?」
「それはそうだけど、何もあんたが……」
ヴェガは龍崎の言葉を手で制した。
どうやら、意思は固いようだ。
「そうか、残念だよ」
次にまみえるとしたら、恐らく敵同士だろう。
戦いにくい相手になりそうだ。できればそうならないで欲しいと願う龍崎だった。
●エピローグ
久遠ヶ原学園に連れてこられらフィーナは、色々と手続きがあるとかで一時的に学園預かりになることとなった。
その前に撃退士たちの配慮でクピードと再会することができた。
「フィ……フィーナさま……」
涙と鼻水を垂れ流しながら声を震わせるクピード。
「何十年振りでしょう……相変わらずお姿麗しく……」
撃退士たちが見守るなかで再会するふたり。
「クピード……」
フィーナは、優しく声をかけた。
「……のお父さんですか?」
「…………」
「…………」
一瞬、何が起こったのか誰も理解できなかった。
クピードも目を点にしたまま固まっている。
「んなわけあるくぁああああ!!」
クピードの涙のツッコミが久遠ヶ原の空に響きわたった。
ちなみに、そのあとすぐ、フィーナはクピードのことを正しく認識したことを付け加えておく。
こうして、新たな天使が久遠ヶ原学園の仲間に加わったのだった。