●トラックに揺られて
遠野が運転するトラックは、過員状態のままで温泉旅館へ向けてひた走っていた。
悪魔たちの支配から開放されたとはいえ、その傷跡はまだ至るところに残されており、路面の亀裂や段差を通過するたびに車体を大きく揺らしていた。
乗り物に弱い麻生 遊夜(
ja1838)は、既にグロッキーだった。
荷台に乗り込んですぐ眠ろうと試みてはみたが、すし詰め状態のせいでなかなか寝付けず、ウトウトしはじめると段差で揺れて目が覚める。
それでも、幌にあいた小さな窓や隙間からは、常に新鮮な風が入り込んでいた。
そのおかげで、リバースすることだけは、なんとか避けられていた。
そんな麻生とは対照的に、彼を抱き枕にして安らかな寝息を立てているのはヒビキ・ユーヤ(
jb9420)。
大好きなおとーさんと密着することで、完全に安心しきっているようだ。
麻生を挟んで反対側に座っているのは来崎 麻夜(
jb0905)だ。
麻生が完全に弱りきっているのを良いことに、無抵抗な彼の頭を抱きかかえてスリスリしている。
「サークルで移動してたら出来なかったからねぇ」
クスクスと笑う来崎の肌は、まるで麻生から元気を吸い取っているかのようにツヤツヤしていた。
麻生の天国と地獄を往復するような時間は、このあと数時間続いた。
幾度かの休憩をはさみ、温泉旅館に到着したのは14時くらいだった。
群馬有数の温泉郷のひとつで、その旅館は温泉街からすこし外れた場所に建つ老舗の温泉旅館だった。
旅館のすぐ横には、碓氷川がせせらいでいる。
「酷い傷痕だねぇ……けどよく耐えてくれたねぇ」
旅館の惨状を目の当たりにしたジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)は、思わず嘆息をもらした。
「まったくだ。あんまり旅館と言える状態じゃないねえ」
ウェル・ウィアードテイル(
jb7094)も同意する。
ところどころ壁がはがれ、窓ガラスはほとんどが割れている。
心霊スポットに出てきそうな廃ホテル然としたものが、そこにあった。
「これを使える状態にするのが、お前たちに課せられたミッションだ」
富原はいう。
「建物は損壊しているが、温泉は枯れていない。周囲の景観だって悪くない。復興には時間が必要だろうが、いずれは客が戻ってくるだろう」
都会から離れ自然に囲まれたこの地は、日々の疲れを落とし心を落ち着かせるには絶好の場所だったろう。
「このミッションは、この地の復興の足がかりとなる重要な任務だと思ってくれていい」
「仕方ない、ちょっと本腰入れて作業しようかなぁ」
富原の言葉を聞き、ウェルは温泉のために精一杯つくす決意を固めた。
●安全確保
「ふぅ、乗り切ったか……」
生まれたての小鹿のような足取りで、やり遂げた表情を浮かべる麻生。
それは乗り切れたと言えるのだろうか。
その様子をみて、来崎は大変だったねーとクスクス笑っている。
「さあ、温泉地の安全を確保するわよ!」
雪室 チルル(
ja0220)はあ、元気いっぱいにいった。
「これがディアボロの生息地だ」
温泉郷周辺の地図を広げた遠野は、天魔討伐に向かう生徒を集めて説明をはじめた。
ディアボロの生息地は、温泉郷からやや離れた山の中。群馬開放作戦の進軍ルートからも外れていて、これなら討ちもらしがあったとしても納得がいく。
「こいつらが残っていては、温泉が復興しても客が寄りつかないからな。徹底的に叩き潰してこい」
説明を終えた遠野は、地図を生徒たちに託して自らの役割に戻った。
遠野が乗ったトラックの助手席には、資材の搬入リストに目をとおしている雫(
ja1894)の姿があった。
「さて、温泉を楽しみに一仕事と参ろうか……」
バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)は、クールにいう。
内心では温泉が楽しみでならない。
「おい遊夜」
「あん?」
ディザイア・シーカー(
jb5989)に呼び止められ、麻生は足をとめた。
「無茶すんじゃねぇぞ?」
ディザイアは、そういってスポーツドリンクを投げわたす。そして、来崎とヒビキを交互にみやりながら、麻生のことをしっかり見ておくようにいった。
いっぽう、旅館の修繕作業も始まっていた。
「まずは、瓦礫の撤去からだねぇ」
廃墟寸前の旅館を眺め、ジーナは頭を掻いた。
使えるものと使えないものの選別だけでも、骨の折れる作業になりそうだ。
エミリオ・ヴィオーネ(
jb6195)とヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は、この旅館を建築したころの図面を見ながら富田と修繕に関する確認事項のやりとりをしている。
温泉施設を確認しにいった星杜 焔(
ja5378)とミハイル・エッカート(
jb0544)は、現状を目の当たりにして思わずため息をついた。
屋内風呂を抜けた先にある露天風呂は、やたら見通しが良いことになっていた。
男湯と女湯を分けている壁が崩壊していてるのだ。
だが、そのおかげで露天風呂はかなり広く見える。
これを修繕するとなればとてもじゃないが期日までには終わらないだろう。
「どうしたもんかね」
碓氷川の流れを眺めながらつぶやくミハイル。
腕をくんで思案していた焔は、何か思いついたようにふむと鼻をならした。
「いっそのこと、中途半端に残っている壁を撤去して、混浴にしてしまってはどうだろう?」
「それは……」
ふむと鼻を鳴らすミハイル。
「なかなかクールだぜ」
思わずサムズアップをかえした。
御手洗 紘人(
ja2549)、黒井 明斗(
jb0525)、雪之丞(
jb9178)の3名は、ディアボロに作業の邪魔をされないように旅館周辺の警備を行うことにした。
「もう秋が近づいてきている……」
川面に卵を落とすトンボを眺めて雪之丞がいった。
蝉の合唱が響き、まだまだ暑い日が続く北関東。だが、秋の足音は少しずつ近づいているようだ。
木の幹に太い釣り糸を結びつける藤井。そこに旅館で拾ってきた空き缶をくくりつけている。
「何をやっているのです?」
「これですか?」
御手洗に問われ、藤井は作業の手をとめた。
「鳴子を作っているのですよ。ディアボロが近づけば音で分かります」
知能が高い天魔には無意味な仕掛けだが、動物並みの知能しか持たない低級天魔なら、透過で回避するという発想が生まれないので十分な効果が期待できるだろう。
とはいえ、旅館の周囲すべてに鳴子を設置できるわけもないので、3人は散開して引き続き周辺警備をすることにした。
ディアボロ討伐チームは、事前にブリーフィングを受けた生息地周辺にきていた。
木がうっそうと茂り、決して視界が良いとはいえない。
「生息地ってのはここか?」と麻生。
乗り物酔いからは復活したようだ。
「私が偵察してきますねェ」
黒百合(
ja0422)は陰影の翼を使った機動力を活かし、先行して上空から周囲の様子を探ってみることにした。
「聞いて、きょうかちゃん」
真珠・ホワイトオデット(
jb9318)は、元気な声で木賊山 京夏(
jb9957)に話しかけた。
二人は今日が初対面。ディアボロ退治で偶然一緒になり、すぐに意気投合した。
「真珠お勉強してきたの! 褒めて褒めて!」
「お勉強?」
「どぼくこうじってシャベルで敵をぶん殴る事なのですにゃ!」
「……はい?」
「シャベルぶんぶんですにゃ!」
「いやいや、違うから!」
木賊山は、嬉しそうにバトルシャベルを振り回す真珠に思わずツッコミをいれる。
そんなやり取りをしていると、討伐チームに動きがでた。
「温泉地の安全を確保するわよ!全員突撃ー!」
雪室 チルル(
ja0220)の掛け声とともに、仲間たちが突撃を開始する。
「ほら、敵が見つかったみたいだぜ」
ソウルサイスを展開した木賊山は、嬉々として仲間のあとに続いた。
生息していたのは、熊や猪といった陸上型の野獣系のディアボロばかりで飛行系のディアボロはいないようだ。
「きゃはァ……温泉を堪能する前に一仕事しましょうかァ」
黒百合は2体の猪に狙いを定めて降下し、アンタレスで先制攻撃をこころみた。
劫火に包まれる猪。
「飛んでいっちゃえにゃん!」
火だるまになって木々の隙間をのたうち逃げまわる1頭を真珠のバトルシャベルが襲った。
殴られた猪はくるくると宙を舞い、木に激突して動かなくなる。
もう1体の猪は、木賊山の大鎌が両断した。
「あんたもやるじゃん」
血振りした大鎌を肩に担いで木賊山。
「にゃは☆ 褒められちゃったにゃ」
褒められた真珠は、尻尾をゆっくり振りながら顔をほころばせた。
「ん……右から2体……」
如月 優(
ja7990)は、回復要員として後方に控えつつ、生命探知を使いながらバルドゥルと共に戦闘の支援を行っていた。
「左からも1体だ」
ふたりは互いに索敵や回復がかぶらないよう息を合わせ、ディアボロ殲滅の支援を行った。
「温泉……万全な状態で……満喫する、推奨……」
「異論なし」
ふたりとも、温泉が楽しみで仕方ないようだ。
ディアボロ殲滅は、順調に進んでいた。
敵の強さや数にたいして、味方戦力が多い。
そのうえ連携がしっかり保たれていては、有象無象の低級ディアボロなど敵ではない。
「さぁ、かかってこいやぁ!」
麻生に挑発された熊が咆哮をあげて突進してきた。
麻生の二丁拳銃が火をふく。嵐のような弾幕は、彼の姿をかき消した。
銃撃を受け、標的を見失った熊は、あたりをきょろきょろと見回した。
「私はこっち、こっちだよ?」
微笑を浮かべて手招きするヒビキ。
熊は標的をヒビキに換える。
相手の挙動が変わったことを確認し、ヒビキはくすりと笑った。そして、熊が間近まで迫った瞬間、
「はい、ドーン♪」
高く飛び上がって宙返りをして、急降下の勢いを乗せた強烈なピコピコハンマーを熊の頭部にめり込ませた。
ゴスッという鈍い殴打音と間の抜けたピコッというハンマーの音が入り混じる。
それでも熊は息絶えない。頭は弱くても体は打たれ強いようだ。
だが、そこは来崎がきっちりと止めを刺した。
雪室は無双していた。彼女の実力に対して、ディアボロが弱すぎるのだ。
雪室の勢いを止められるようなディアボロは、ここにいない。
しかも、雪室は無秩序に暴れているようで、その動きはかなり計算されていた。
複数の咆哮から縦横無尽に攻撃することよにって、ディアボロたちは混乱し、逃亡を図ろうにもなかなか退路を決められない。
ディアボロたちは、右往左往しているあいだにどんどん数を減らし、最後の1体は真珠と木賊山の連携によって倒された。
戦闘終了後、如月とバルドゥルは生命探知を使って周囲に討ち漏らしが居ないか確認した。
「ディアボロの……撃滅を確認……」
如月は、感情のこもらない声でいった。
「こちらも問題なさそうだ」
とバルドゥル。彼らは終始戦況を確認していたので、この場からの離脱に成功したディアボロが居ないことは把握している。
しかし、黒百合は怪訝な表情を浮かべていた。
何度も入念にディアボロの死体の数を数えている。
「どうかしたの?」
「足りなくないですかァ?」
一緒に周辺探索していた雪室に問われ、黒百合は素直な感想を口にした。
言われてみたら、たしかに聞いていたより少ない。
だが、周囲にディアボロが潜伏している様子は見受けられない。
「ふむ、ずっとここにいてもしかたないであろう。とりあえず、戻らないか?」
バルドゥルの意見に反対する者もおらず、今日は旅館へ戻ることにした。
それは、黒井がそろそろ旅館へ戻ろうかと考えていたときに起こった。
陽も傾きかけ、森の中は薄暗くなりはじめている。
そんなとき、設置していた鳴子の一つがカラカラと音をたてた。
ただちに現場へ急行し、生命探知を試みる黒井。
生命反応は複数あった。
生命探知では対象の大きさまでは分からない。しかし、その中に明らかに他とは違って秩序を持った行動をする生命反応が5つ見受けられた。
黒井は得物を展開させ、仲間に連絡を入れる。
討伐組みは、ちょうど任務を遂行したところだったらしく、事前に聞いていたより数が少なかったことも確認できた。
目の前の5体を入れると、ちょうど数が合う計算だ。
黒井はディアボロの監視を続けながら、御手洗と雪之丞が合流するのを待った。
「ディアボロです?」と御手洗。黒井は首肯をかえした。
「まったく……ディアボロも温泉に入りたいのか……?」
雪之丞は、やれやれと肩をすくめながら武器を構えた。
「腕は……鈍ってないといいのです」
不安げにつぶやいた御手洗は、自らのアウル力を活性化させた。
姿を現したのは、コヨーテ型のディアボロだった。
彼らは、すでに狩りの体勢にはいっている。
先手を取ったのは、御手洗だった。
己の魔力を銃の姿に変化させ、そこから一筋の雷撃を放つ。
雷撃は先頭のコヨーテに命中し、弾き飛ばした。
コヨーテたちも一斉に動き出した。
2体ずつ左右に展開したコヨーテは、撃退士たちを挟撃するつもりのようだ。
その動きに合わせて、黒井と雪之丞も左右に分かれる。
ふたりがコヨーテたちを足止めしているあいだに御手洗は最初のコヨーテに留めを刺し、すぐに雪之丞のフォローにまわった。
最初は拮抗していた雪之丞とコヨーテたちの戦いも、御手洗が加勢することによって一気に形勢が逆転する。
いっぽう、黒井はコヨーテが接敵する直前にコメットで先制攻撃を加えた。
それでも怯まないコヨーテ。2体は連携を取りながら黒井に襲いかかった。
槍で応戦する黒井。コヨーテの攻撃を何度か食らうが、ダメージはさほど通らない。
戦闘経験が豊富な黒井は常に冷静に戦い、2体のコヨーテを相手にしながら、雪之丞の回復までこなしていた。
やがて、コヨーテを倒した御手洗と雪之丞が加勢し、残ったコヨーテは瞬く間に殲滅された。
戦闘が終わると、辺りはかなり薄暗くなっていた。
「さて、戻りましょうか」
指で眼鏡を押しあげ、黒井は笑顔で振りかえった。
●修繕作業
「それはここに乗せてください」
この日3度目のピストン輸送中の雫は、資材を搬入する作業員にてきぱきと指示を出していた。
「お前が来てくれて、本当に助かるぞ」
「なるべく店と旅館の往復回数は減らしたいですからね」
がははと豪快に笑う遠野には視線を向けず、雫はリストを眺めながら淡々と作業を続けた。
実際、彼女が同行したおかげでかなりの無駄が省けている。
ずぼらな遠野ひとりに任せていたら、こうはいかなかっただろう。
「はい、先生。トレーニングマシンは降ろして下さい」
遠野の肩がビクンと浮く。
「温泉旅館には必要ありません」
「いや、入浴後に体を動かしたくな――」
「要 り ま せ ん !」
「……はい」
しぶしぶケーブルクロスオーバーを荷台から降ろす遠野。
それを確認した雫は、ふたたび資材業者とのやり取りに戻った。
「これとこれ、注文していたより数が少ないです」
遠野の行動を管理しつつ、大人相手に全く動じる様子を見せない雫は、まるで遠野の秘書のようだった。
資材業者もたじたじである。
「って、子供じゃないんですから、目を離した隙にプレスベンチなんて積まないで下さい!」
完全に遠野を尻に敷く雫は、かなり大物になるかもしれない。
旅館では、廃材が山のように積み上げられていた。
ラウール・ペンドルミン(
jb3166)は、搬入された資材や運び出された廃材の整理をしていた。
「温泉かぁ……楽しみだよなぁ……」
温泉は旅館の地下通路を抜けた先、碓氷川の流れを一望できる場所にある。
川のせせらぎをBGMに、ゆったりと湯に浸かれる温泉だったに違いない。
それを自分たちの手で復活させようとしているのだ、温泉好きのラウールは楽しみでならない。
テンションMAXで廃材を抱えて走りまわるシルヴィア・マリエス(
jb3164)。
廃材置き場に廃材を置いて、資材置き場から必要なものを取って再び旅館へ戻る。
温泉では、星杜 藤花(
ja0292)とミハイルが新しい浴室のレイアウトについて話し合っていた。
「和風で統一。これでどうだ?」
ミハイルの考えは、枯山水風の小庭を作るというものだ。
「ワビとサビだ。日本人にも外国人観光客にも受けがいいぜ!」
「良いと思います!」
藤花にも異論はない。
「それなら、脱衣所などに飾る書画を私が書きましょう」
書家の家系に生まれた藤花は、自身も幼い頃から書画を修練していた。
「それはクールな考えだ」
温泉施設の方向性は、概ね決定したようだ。
中途半端に残った露天風呂の仕切り岩を砕いていた藤花の夫の焔は、そんなやり取りを微笑みながら眺めていた。
霧島イザヤ(
jb5262)は、エミリオと手分けして温泉の天井を修繕していた。
温泉の天井は高く、梯子では届きそうもないので、ふたりは仕方なく光の翼を使って作業をしている。
「いっそ忍者の壁走りが使えれば……」
霧島はひとりごちた。
天魔被害地で天魔スキルを使いたくないというのが本音だ。
それはエミリオも同感らしく、彼は壁走り的なスキルに誤魔化そうと不自然な体勢で作業している。
彼らなりの被害地住民への配慮だった。
「しかし……」
藤花とミハイルに視線を落とすエミリオ。
「よくこんなにいろいろ思いつくな……」
彼らの発想力には関心させられる。
「こうやって一つ一つ作っていくんだよな……」
「そうだな。一から全部一人で創造するのとは違うけどさ、ちょっとずつ、自分の手からでも何か生み出せるのっていいよな……」
「もう……壊されないといいな」
エミリオは、感慨にひたりながら修繕作業を続けた。
外はすっかり暗くなっていた。
「忍龍召喚☆」
犬乃 さんぽ(
ja1272)は、壊れた柱を新しい柱にかえる作業を行っていた。
召喚したティアマトに柱を支えさせ、犬乃は固定作業をおこなう。
そこへ、白い割烹着姿の高峰がやってきた。
高峰は、旅館の人たちと一緒に全員の夕食を作っていた。
「あ、ここにいた」
「うん、お疲れ様。真奈ちゃん」
「夕食の準備が整ったよ」
「ありがとう。ボク、この柱の固定が終わってから行くね」
「じゃあ、私もまだ仕事が残ってるから、先に戻ってるね」
食事のあと、男女それぞれに割り当てられた大部屋で雑魚寝することになった。
こうして、初日の作業は終了した。
●みんなで力を合わせて
2日目は、前日にディアボロ討伐へ向かった者たちも修繕作業に加わって作業が再開された。
遠野は、雫をつれて朝早くからトラックを走らせた。
荷台には、廃材が大量に積み込まれている。
「今日も1日がんばろうや!」
山のように積まれた資材を前に、ディザイアは大きく伸びをした。
「力仕事なら任せてくれや」
手近にあったセメント袋をかつぐ。
富田は生徒たちをそれぞれの作業場所に振り分け、矢継ぎ早に指示を飛ばしている。
「良い所ですな」
指示を出し終わった富田に声をかけてきたのは、ヘルマンだった。
「そう思いますか?」
「これ程に、人々の熱意が傾けられる場所ですから」
熱意あふれる若者たちを眺め、ヘルマンは目元を和らげた。
「創る喜びは何物にも代えがたきものかと。こうやって作られたものが、数十年、数百年を閲して尚存在し続けることもあります」
富田はヘルマンの話に耳をかたむけた。
「我等天魔の族の命数は長い。年経てなお続くものを知ることは、先々において大切であろうかと」
「ゆくゆくは、それが我々人間と天魔との和平の礎になれば、どれほど素晴らしいものかと私も思います」
「そうですな」
それはほんの一部なのかもしれない。だが、ここに集まった者たちは、人間、天使、悪魔の垣根を越えてひとつのものを作り上げようとしている。
自分がそうであるように、ほかの天魔もきっかけがあれば人間と分かり合えるはずだ。
この宿が、その象徴になればとヘルマンは微笑みながら思っていた。
「出たごみはこっちにね〜」
ジーナは、温泉の図面を片手に現場監督のようなことをやっていた。
こういう作業は、仕切る人間が1人いるだけで作業能率が大幅にあがるものだ。
「ここの構造はどうするんだい?」
「ここにはな、小さな滝を作るんだ」
打たせ湯として使うんだと、ミハイルは得意げな顔で答えた。
「なるほどねぇ。だれか、手伝っておくれよ」
滝は、それなりの落差になりそうだ。誰か飛べる者に手伝ってもらったほうが効率が良い。
「はいはーい。私が手伝うよ!」
元気に挙手したのは、シルヴィアだった。
光の翼で滝に上がったシルヴィアは、打たせ湯の製作に取り掛かった。
焔は露天風呂の内装工事に取り掛かっていた。
バイト時代の経験が存分に活かされている。
湯船の深さは焔の腿から腰くらいの深さで統一し、低身長にも対応した構造にした。
湯船の入り口や段差がある場所など、各所に手すりも取り付ける。
大破していた男女を区切っていた壁は完全に取り壊され、広々とした空間の演出に一躍買った。
温泉施設は、着実に命を吹き返してきていた。
「冷たい飲み物と塩飴はいかがですかァ?」
黒百合が持つトレイには、器に入った塩飴とペットボトルに入ったミネラルウォーターが載せられていた。
暦の上では秋とはいえ、まだまだ暑い日は続いている。
いくら撃退士が病気や怪我に強いとはいえ、熱中症には気をつけなければならない。
黒百合は作業現場のひとつひとつをまわり、水と塩飴の差し入れを続けた。
木賊山は、割れた窓ガラスの交換を行っていた。
換える必要がある窓が大量にあり、この作業だけで数日は掛かりそうだ。
そんな木賊山のあとを真珠がついてまわる。
「良いか、慎重に運べよ!? 落としたり割ったりしちゃダメだかんな?」
「大丈夫にゃ。そんなドジっ娘じゃないにゃ!」
たしかに今のところそんな失敗はしていないのだが、動作が大雑把で常にハラハラさせられる。
「復興お手伝い、私も頑張るですにゃ!」
「だから、走るなって!」
なんだかんだで、ふたりは良いコンビなのかも知れない。
昼になり、遠野が資材を積んで戻ってきた。
大きな資材は昨日のうちにほとんど運び終わり、今日は小型の資材や備品がメインだ。
「交通網が復旧しているだけでも助かりますね」
トラックを降りて雫。所々でアスファルトが剥がれていたりするが、この温泉郷までの幹線道路は、ほとんどが通行可能になっていた。
「先生運転お疲れ様なのです」
トラックに駆けより、御手洗は淹れたてのコーヒーを差しだす。
「おお、サンキューだ。気が利くな、御手洗!」
笑顔で受け取り、コーヒーを一気に流し込む遠野。
「荷卸し、お手伝いするのです!」
「助かるぜ」
昨日は、久しぶりに会った遠野とあまり接することが出来なかったので、この貴重な時間を精一杯満喫しようと思う御手洗だった。
「全部俺達に任せるって、勇気あるよなぁ」
麻生は、ハンマー片手にしみじみ言った。
富田が現場監督として派遣されているとはいえ、これはかなりチャレンジャーな試みとっても過言ではないだろう。
「個性的な人が多いからねぇ」
クスクスと笑う来崎。
その個性が暴走すれば、収拾がつかなくなることは目に見えている。
「大丈夫、真面目な人も、多い」
そういって、ヒビキはコクリと頷いた。
「変な所も、旅館の目玉に、なる…ん、たぶん」
語尾がだんだん小声になるヒビキだった。
藤花は客間のひとつを借りて、書画の製作に取り掛かっていた。
納得がいく作品が出来上がるまで、何度も書きなおす。
おかげで、部屋は丸められた半紙が大量に転がっていた。
藤花は一度筆をおき、静かに瞑目する。
和の装い、群馬のイメージ、旅館のイメージ、温泉。頭の中に様々なイメージを浮かび上がらせ、瞑想しながらひとつのイメージにまとめていく。
そして、再び筆をとった藤花は、ついに納得のいく1枚を書き上げることに成功した。
温泉旅館の復興は、こうして数日が過ぎ去っていった。
そして、ついにその日がきた。
●撃退温泉完成!
女湯の湯船に水柱が立ち上がった。
一番風呂を勝ち得たのは、全力ダッシュで風呂場へ飛び込んできた雪室だった。
「極楽だー!」
広い湯船に仰向けで浮かんでみる。
「こら、走んなってっただろ?」
声の主は木賊山だ。雪室に言ったわけではない。
「あったかいプールですにゃ?」
小首をかしげる真珠。
「泳ぐですにゃー!」
「待て待て待て!」
真珠の肩をがっしり掴む木賊山。
「にゃっ!? 泳いじゃダメなの……?」
「ここは、プールじゃなく風呂なんだよ」
「わかったですにゃ! ここはおっきなお風呂ですにゃ!」
ようやく理解したらしく、愛用のアヒルちゃんを浮かべて大人しく湯船に浸かる真珠。
「はぁ……報われるし救われるねぇ……」
小さな枯山水庭園を酒の肴に、ウェルはお猪口を傾けていた。
黒百合も湯船に浮かべたお盆を囲んでお風呂酒を楽しんでいる。
ちなみに黒百合は、外見とは裏腹に飲酒可能な年齢であることを付け加えておく。
「ま、今回は大したこともしてないが癒されるものだな」
湯船でまったりと過ごす雪之丞。
全身の疲れがお湯の中に溶け出ていくような感じだ。
男湯では、ディザイアが感慨に浸っていた。
「うむ、これこそ醍醐味ってもんだ」
肩までしっかり浸かり、頭に手ぬぐいを乗せている。
心配していた旅館の風情もしっかり残っている。
露天風呂の壁の撤去作業は、それなりに骨の折れる作業だった。
彼がぼんやりと眺めるその先に、露天風呂がある。
湯煙の中、仲良く肩を並べているのは星杜夫妻だった。
入浴施設の修繕担当だったふたりは、感慨もひとしおだろう。
そこから少し離れた場所にいるのは、麻生、来崎、ヒビキの3人だろうか。
麻生は女子二人に挟まれている。
彼らは予想以上に素晴らしい温泉が出来上がったことを称えあっていた。
「我……満足である……」
バルドゥルは、口元まで温泉に浸かって蕩けていた。
「たまにはこういうのもいいな」
首肯するエミリオ。
「ホント、いいねぇ温泉ってのは♪」
ジーナはふはぁと満足げな息をもらす。
「……いい……」
肩まで浸かった如月もふにゃけ顔になっている。
そんな如月の表情が、だんだんと殺気だっていく。
歯軋りしながら人を殺せそうな視線をジーナの胸に注ぐ。
次に視線を向けたのは、シルヴィアの胸。まるで喧嘩でも売っているかのようだ。
最後はエミリオ。何故かエミリオ。
「うむ……優殿が何か鬼気迫る表情であるな」
そんな彼女の様子をみて、バルドゥルは誰にも聞こえないような声でつぶやいた。
なぜエミリオがとばっちりを受けているのか、最後まで謎のままだった。
犬乃が温泉に入ったのは、皆より少し遅れてからだった。
炊事をしていた高峰の仕事が終わるのを待っていたのだ。
「温泉楽しみだよね♪」
ふたりは更衣室の前まで手を繋いでやってきた。
「じゃあ、また後でね」
「うん。先に上がったら待っててね」
笑顔で手を振り合って脱衣所に消えていく。
「真奈ちゃんと一緒に温泉旅行♪」
鼻歌まじりで服を脱ぎ、浴室へ入る。
奥に広がる広々とした露天風呂は、犬乃を心から感動させた。
そんな露天風呂をスルーするなどという選択肢は、彼の中に存在しない。
目の前に広がる景色に胸躍らせながら露天風呂へ歩いていくと、男女を隔てていた浴室の壁が不意に消えた。
そして現れるの高峰。彼女の思考も犬乃と全く同じだったようだ。
「はわわわ、まっ、真奈ちゃん」
「さ、ささ、さんぽ君? なんで!?」
ふたりは知らなかった。露天風呂が混浴に作り変えられていることを。
一糸まとわぬ高峰の姿にうろたえた犬乃は、後ずさった拍子に足を滑らせる。そして、咄嗟に彼の手をつかんだ高峰と一緒に盛大にすっ転んだ。
そのあと、ふたりがどういう状態なったのかは、ご想像にお任せしようとおもう。
御手洗は、口元まで湯船に沈んでぶくぶく言っていた。
勇気を振り絞って遠野を温泉に誘ってみた結果、遠野と富田、それにミハイルの3人に囲まれるかたちで入浴している。
彼の中のこれじゃない感は、計り知れないものだろう。
「なかなか良いセンスだな」
遠野はミハイルに話しかけた。
「ふっ、俺の手にかかればこんなもんさ。外国人でも和のテイストはちゃんと分かってるんだぜ」
自慢げなミハイル。
「ところで――」
彼は今まで疑問に思っていたことを口にした。
「日本人が風呂場で、股にタオルをスパーンとやるアレは何だ? 何かの儀式か?」
真顔で問うミハイル。
「半分外国人の俺には分からん。サエ、答えてやれ」
遠野にスルーパスする富田。
「あれはな……」
遠野は、神妙な表情になった。
「魔よけの儀式だ」
「魔よけ?」
「風呂に入っているとき、不意に背後で気配がすることがあるだろ? あれは、風呂場に住まう悪霊が近づいてきているんだ」
「日本の風呂……恐ろしいところだな」
生唾を飲むミハイル。遠野の話に心当たりがあったのだろう。
「だから、タオルの股叩きで気合を入れなおし、魔を払うんだよ」
「ありがとう、先生。きっと、俺は命拾いしたに違いない」
そんなふたりのやり取りを、富田は背を向け肩を震わせながら聞いていた。
脱衣所の前にはあ、小さな座敷の待合スペースが設置されていた。
ラウールと霧島、それにシルヴィアは、フルーツ牛乳片手に並んで立っていた。
「この一杯の為に生きてる気がする」
蓋を勢い良く開けて霧島。
「奇遇だな。俺もこれが楽しみでな!」
ラウールは、乾杯だと牛乳瓶を掲げた。
「かんぱーい!」
3人は、互いに瓶を当てあい、腰に手をあて一気に飲み干した。
この旅館が人間と天使と悪魔の平和の象徴になることを切に願う。