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「先生は、何と言うか」
リューグ(
ja0849)は遠くのほうを眺めた。
「見事にやる気がないが……」
ブリーフィング中の遠野の姿が頭をよぎる。
もしかしたら遠野を想う人がいるかも知れないと想像するが、すぐに「ないな……」と首を振って否定した。
「話だけ聞くとキューピッドに似てるな」
だが、キューピッドはおっさんだったか?
ミハイル・エッカート(
jb0544)は、すぐに自分の台詞に疑問符をなげかける。
「ところで、あなたのその格好は何ですか?」
イリン・フーダット(
jb2959)は、横でなにやら仕込んでいる蒸姫 ギア(
jb4049)に素朴な疑問をぶつけた。
「ロングのかつらと、人界では胸に入れると聞いたこれで……」
その手には、蒸気でふかふかに蒸されたあんまん2つ。
「準備は万全だ……って、こんな格好するのは作戦だから、仕方なくなんだからなっ!」
視線に気付いた蒸姫は頬を染め、ぷいっとそっぽを向く。
どうやら、女装をして敵の注意を引こうというつもりらしい。
同じはぐれ悪魔仲間のアッシュ・エイリアス(
jb2704)は、その光景を指差してケラケラと笑った。
「しかし、残念ながら恋人はいねぇけど……想ってる相手がいる場合はどうなるんだろうな?」
そして、急に深刻な表情を浮かべる。
彼が久遠ヶ原に学園に入学しようと思った理由は、とある学園生に一目惚れしたからなのだ。
もちろん、片思いでしかないが、もし自分が敵の矢を受けてしまったら、彼女にどんな感情を抱くようになるのだろう。
「まったく、厄介なことになりそうだ」
アッシュはやれやれと首をふり、天魔を撃退することに専念することにした。
「矢に心臓を射抜かれると愛しく感じている相手に対して猛烈な嫌悪感を抱いてしまう……か」
幸いにも、コンチェ (
ja9628)には恋人はいない。
そもそも恋愛感情というものすら持ち合わせていない。
敵の矢を食らってもさほど被害は無さそうだが、
「愛しいと思う対象は人間でなくともだったら……いや、考えるのはよそう」
一抹の不安は拭いきれなかった。
「変な天魔もいたもんだねー」
と言うのは武田 美月(
ja4394)。
今回は天魔の意図がまったく見えてこない。
たんなる愉快犯なのか、それとも嫉妬にかられた行動なのか。
いずれにしても、異色の敵である事に違いはない。
「とりあえず、俺と組まないか?」
自分と同じようなファッションのグロリア・グレイス(
jb0588)に声をかけるミハイル。
グロリアは「ええ」とだけ答えた。
黒服のペアは、どこぞの諜報員にしか見えない。
「カップルというよりビジネスパートナーみたいだな。少しくらいは仲良さそうに見せるか? 腕でも組んでみるか?」
「……そうね。エスコートお願いするわよ、ダーリン?」
そっとミハイルの腕に腕をまわし、ふっと笑みを浮かべるグロリア。
普段はエスコートする側の彼女だが、たまにはこういうのも悪くないと思った。
「じゃあ、私はチョコを買いに来たふりをして敵をひきつけるよ」
と武田。女装中のギアも同じ方法をとるらしい。
「私は別の方法でアプローチをかけましょう」
そういうイリンの手には綺麗にラッピングされた手作り風チョコレート。
「俺とコンチェさんは、それぞれ別方向に潜行して、敵に奇襲をかける。それで良いか?」
「ああ、かまわん」
アッシュに問われ、言葉少なく答える。
「なら、一般人の誘導は、人ごみでも目立つし邪魔になることで定評があるおにーさんが適役だな」
比較的長身なメンバーの中で、ひときわ抜きん出ている体躯のリューグが避難誘導に立候補した。
武田など、初めてリューグを見たときは、ほぇ〜という表情でただただ見上げたものだ。
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現場となった商店街は、あまりにもカオスな状況だった。
携帯電話で相手に向かって罵声を浴びせている者や恋人と口論をしている者をいたるところで見うけられる。
その全てが女性だ。
しかも、かなり一方的に怒り狂っているようにみえる。
まず、リューグが動いた。
この状況でテンパっている警察に声をかけ、避難誘導の協力を要請した。
既に矢で射抜かれてしまったと思われる被害者は、強制的にご退場してもらうしかないだろう。
しかし目立つ。人ごみの中にあってもすぐに彼の居場所が分かる。歩くランドマークとは良く言ったものだ。
コンチェとアッシュは、この混乱に乗じて潜伏を開始した。
遁甲の術を使ったコンチェは、まるで掻き消えるように群集の中へと消えた。
「弓さえなけりゃ避難も攻撃もしやすいか……気合の入れ所だな」
自らに課せられた役回りの重大さに、アッシュは思わず唾を飲む。
そしてまるで黒猫のように音もなく群集の中へと消えた。
「さ、私たちも行きましょう」
「ああ、そうだな」
ミハイルがグロリアをエスコートするかたちで移動を開始する。
その姿は、この混乱の中にあっても異質で目立つ。
何より様になっていてカッコいい。
しばし見とれていた武田だが、
「私たちも行動を開始しよう!」
イリンとギアに行動の開始を促した。
ギアは武田とは違う店に入ってチョコレートを眺めはじめる。
もちろん、恋人へ贈るチョコレートを選んでいる女の子を装っている……はずだったが、流し見していた目がぴたりと止まる。
「――人界には、こんな素敵な……」
ボトルや工具の形をしたチョコに目を奪われ、真剣な眼差しで物色しはじめた。
武田は店先でチョコを眺めるふりをしながら、弓を持っているという敵を探す。
「あぁーどうしよー、これじゃあチョコ……変なのいたぁあっ!」
それを見て思わず叫んだ。
その姿は、彼女が予想していた以上に変態ちっくに目立つものだった。
平時であっても、こんな格好で歩いていたら即通報ものである。
探すまでもなく一目でそれと分かる。
その声に天魔が反応した。
「む、恋する乙女ぇええ!」
問答無用で放たれる矢。
無駄に正確無比な矢は、武田の胸を刺し貫いて消えた。
武田はきょとんとした表情を見せる。
「……あれ? なんとも無いの?」
「えっと、彼氏とかいないです、はい。あと、好きな人もいないです、はい……」
ぽりぽりと頬を掻く。
「ものが『好き』だけに、私に『隙』は無かった!ってね」
自分で言うほど物にも執着していない。
仲間から一斉にそそがれる哀れみの眼差し。
「な、なんだよー……そんな目でこっち見るんじゃないってのー!」
敵までもがそんな眼差しを向けていた。
「好きな人がいないくら、別に良いじゃんかよーっ!」
武田の声が震えている。
「シュトラッサー……ですか」
イリンがつぶやく。しかし、何という自堕落っぷりだろうか。
「同じ堕落でも、向こうの方がまだ強いんですよね」
腐っても使徒だ。堕天した間もないイリンが力でおよぶとは思えない。
今は近づくのはまだ危険と判断したイリンは、対話のタイミングをはかることにした。
「なんだ、まるでリストラされた冴えないサラリーマン親父みたいな風貌だな」
半裸の小さいおじさんを表現するには、あまりにも控えめな表現だ。
「なにぃ!?」
だが、怒りと嫉妬で顔が真っ赤に茹で上がっている彼を挑発するには十分だった。
「職場を干されて拗ねていたのか」
「お前に俺の気持ちが分かるかぁ!」
怒りのこもった矢が何故かグロリアに迫る。
だが、命中する直前でミハイルが彼女を庇った。
矢はミハイルを貫き、散霧した。
「くっ、平気か? グロリア……」
「……ありがとう。見た目通りの紳士なのね。けれど、相手は選んだほうがいいわ。私はか弱いレディではないもの」
グロリアはくすりと笑って答える。
「おかげで禁酒ができそうだ……」
不敵にニヤリと笑う。
「お、おお、、お前もか!」
「愛する人がいないのが寂しいなんて思うなよ。俺には必要ないだけだ」
痛々しい目を向けてくる使徒。
「強がりじゃねーぞ!」
言えば言うほど強がりに聞こえてしまうのが不思議だ。
「くっそー、寂しいやつらばかりが集まりやがってぇ!」
せっかくの破恋の矢も、これでは威力が半減である。
「そこまでだ天使の使者、ギアはこの事あるを予想して、人界に来て3世紀、友人も大切な人も作らなかった、だからお前の矢など効きはしない……けっして、誰もなってくれなかったわけじゃないんだからなっ!」
びしっと指差し、大声で叫ぶ蒸姫。
使徒から注がれる暖かな眼差し。
「……そっ、そんな仲間を見るような目で、ギアを見るなっ」
ギアは少し涙目になった。
「へっ、隙ありだぜ!」
避難している人波の中からアッシュが飛び出す。
狙うは使徒が持っている弓だ。
金色の大剣が空を切る。
「あ……れ?」
その攻撃は、見事にファンブル。
「不意打ちとは卑怯だぞ!」
使徒はゼロ距離で弓を引きしぼる。
(相手は俺の想いを知らない、俺にどう思われようが彼女に害は……ない)
まるでアッシュの周囲の時間だけがゆっくりと流れるような感覚に襲われた。
使徒が放った矢は、アッシュのハートを射抜いて消えた。
「これで良い、これで良いんだ……今の感情は、ただの気の迷――あンのクソアマがぁ!!」
先ほどまで、あんなにも恋焦がれていた娘のボブカットが、憂いのある瞳が、感情をあまり表さない淡々とした口調が、彼女を彩る全ての要素が嫌悪の対象となった。
「ああ、腹が立つ! 俺はなんであの女のために、この学園に在籍しなきゃならねぇんだ!」
アッシュは明後日の方角に向かって悪態をついた。
誤解が生まれないように、アッシュは『その娘』に一目惚れし、それ以来一方的に想っていただけにすぎないとだけ付け加えておく。
アッシュに向かってドヤ顔をしている使徒の背後から、コンチェが斬りかかった。
「ぬおぅ!?」
咄嗟に弓で受ける使徒。弓はまだ壊れない。
「落ちつけ、アッシュ・エイリアス。お前の敵は目の前の変態だ」
「誰が変態かっ!」
その場にいた全員が視線でツッコミを入れる。
「馬鹿にしやがってぇえ!」
顔を真っ赤にして弦を引きしぼる。
その瞬間、弓に銀色の軌跡が当たった。
使徒の弓が砕け、弦が弾けとぶ。
「弦を切り裂いちゃえば矢も撃てないよねっ!」
隙を突いて間合いをつめた武田の攻撃だ。
矢に穿たれ、怒り狂っていた者たちが正気に戻る。
「あの巨漢のもとへ走れ!」
すかさずコンチェが叫ぶ。
人ごみの中にあって、リューグの姿は一目でわかる。
避難が遅れていたものたちが、リューグ目指して一斉に駆けだした。
「ぬぐぐ……、俺の、俺のラブアローが!」
破壊された弓を見て、わなわな震える使徒。
「赦さん、赦さんぞぉ!」
使徒の身体がみるみる炎に包まれる。
「俺の純情を踏みにじった罪は重い。全力で、いく……がはぁ!」
正気を取り戻し、使徒に向き直って反撃の意気込みを口にしようとした瞬間、炎を纏った使徒の突進に轢かれた。
アッシュだけではなく、武田やミハイルなど、直前上にいたメンバーが次々と巻き込まれた。
「ふふふ、見たか。嫉妬の炎、バーニングラブファイヤー!」
愛の炎なのか、嫉妬の炎なのか、わけが分からない。
「悲しきお前には、替わりに熱い蒸気の抱擁を……受け取れ!」
死角から炎陣球を放つギア。
「ぬぁちぃ!」
炎に包まれた使徒は、派手に飛ばされた。
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その後、避難誘導が終わったリューグも加わった総力戦が展開された。
使徒は攻撃を食らうたびに派手にぶっ飛ぶが、その割にはすぐに起き上がって反撃してくる。
激しい攻防の末、ついに使徒が膝をついた。
「く……っ、数多くの愛を成就させ、あんなにも尽くした人間たちからは存在を忘れられ、主からも見限られたうえ、最後まで自分の存在を示すことなく俺はここで果ててしまうのか……」
うな垂れる使徒。
「なんていうか、すまない、ありがとうって言えばいいのかな? でも時代は変わって、あんたの仕事はなくなってしまったんだなぁ」
リューグはやるせない気持ちでいっぱいになった。
「よろしければどうぞ」
イリンはそっと近づき、綺麗にラッピングされた手作り風チョコレートを使徒に渡し、
「ちなみに貴方はチョコレートは紅茶とカフェオレ、どちらで召し上がる方ですか?」
そして、紅茶とカフェオレも一緒に差し出した。
「実は私も堕落した身でしてね。すっかり弱くなりましてね、よろしければお話をお伺いしますけど」
イリンからカフェオレを受け取った使徒は「これは女が男にやるもんだぜ」と笑ってみせてから、ぽつりぽつりと身の上話をはじめた。
「過去の栄光を失ったキューピッド……哀愁を感じるわね。……私は貴方を憐れむわ」
グロリアは、哀れみの眼差しを向けた。
「ああ、俺も仕事を取り上げられて、突然学生になれと言われて……お前の気持ち少し分かるぜ」
どうにも他人事とは思えないミハイル。
「本来の仕事が出来ない苦しみ、わかるだろ!」
「ああ」
彼はもともと、大企業のサラリーマン。まさか学生になれなどという辞令が下るなんて思いもしなかったものだ。
社会から期待されているんだと思わなければやってられない。
「良い能力だと思うし、人気もあるはずだ……なぁ、学園に来れないのか?」
アッシュの言葉は切実だ。
「それは出来ないな」
「そんな主に義理立てしなくても良いだろう?」
「俺たちシュトラッサーは、感情の供給を止められたら緩やかな死が待つだけ。仲間になることは出来ない」
「すまない……俺たちに力がないばかりに……」
悲しきさだめに男泣きするアッシュ。
「恋のキューピットみたいなことって、天使の許可が無きゃできないの?」
武田は心に沸いた素朴な疑問を口にしてみた。
それはとても簡単なことなのに、今まで彼が考えもしなかったことだった。
「今生きてるってことは、感情の供給が止まってないってことでしょ? 見捨てられたんじゃなくて、好きにして良いってことじゃないの?」
光明が点した気がした。
「角が立たないように、立場とか気にしなくていい所で自由に力を使え、ってことなんじゃないかな」
そうだ。この力を使うなと言われたわけじゃない。
諦めずに使い続けていたら、その価値が再認識されて、再び主が自分の前に現れてくれるかもしれないじゃないか。
「お前、良いやつだな……」
使徒は瞳をうるうるさせて武田の手を握る。
「ハートを射止めたい男が出来たら、いつでも俺に言えナ!」
YESともNOとも言えず、苦笑を浮かべる武田。
「どうやら、落とし所が見つかったようですね」
イリンは微笑みを浮かべる。
「俺、ちょっと自分に自信が出た」
使徒は清々しい表情ですっくと立ち上がる。
「自分の道を貫いてみるよ」
いつか自分の能力が再認識される日がくるかもしれない。
その後、使徒と撃退士は別れた。
排除とまではいかなかったものの、脅威が去ったことには変わりない。
撃退士たちは晴れ晴れしい気持ちで帰途へとついた。