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興奮した乾の金切り声が疲れた身体に突きささる。
「犬の捕獲ですか」
宮野 千歳(
ja0260)は、指で眼鏡を押しあげた。
まさかディアボロ討伐のあとに、こんな仕事を押し付けられるとは思ってもみなかった。
それは、他の仲間も同じ思いだろう。
「……まぁ、少しくらいなら可愛いものであろう」
その割りに中から聞こえてくる犬の鳴き声が多い気はするが……。
アリシア・リースロット(
jb0878)は、やれやれといった表情をうかべた。
精神的にも肉体的にも疲れきっている彼女の頭にはいった情報は、乾が説明した肝心な部分がすっぽりと抜け落ちている。
ゆえに、その程度のことを撃退士に押し付けおってという思いがこみ上げてくる。
だが、その考えはすぐに「まあ、小型犬4〜5匹撫でて癒されて帰ろう」という前向きなものへと置き換えられた。
「わんこらんど! なんて素敵なネーミングとコンセプトなんだろう」
入り口に掲げられた看板を見て、ひとり目を輝かせているジェニオ・リーマス(
ja0872)。
犬は彼にとって友達……いや、半身も同然。
ちなみにもう半身は猫だ。
実際に彼は犬と猫を飼っていて、全力で愛情を注いでいる。言い換えれば溺愛している。
犬の扱いには期待が持てそうだ。
「結構疲れとるんやけど。ま、もう一仕事がんばろかぁ〜」
頭の後ろで腕を組み、軽い口調で木南平弥(
ja2513)が言う。
彼はケラケラと笑っているが、体中につけられた生傷や血を吸って黒ずんだ着衣を見れば、疲れているという言葉が嘘じゃないことは一目瞭然だ。
ともあれ、乗りかかった船である。
皆は疲れた身体を引きずるようにわんこらんどへと足を踏み入れた。
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「って、なんなのだね、この物量は!?」
思わず及び腰になるアリシア。
「すごい!犬が沢山いますね〜!」
紅葉 公(
ja2931)は素直な感想を口にした。
指先を動かすのが億劫なくらいに疲れていたが、この状況をみて犬猫が大好きな彼女のテンションは少しずつ上がってくる。
中はあまりにカオスだった。
大中小、さまざまな犬が興奮して暴れまわっている。
その数も1匹や2匹ではない。
目に見える範囲でも数十匹はいるだろ。
「ワンちゃんがいっぱい……疲れが吹き飛びますね!」
久遠寺 渚(
jb0685)の顔がぱぁっと明るくなった。
この状況を見てそれが言える彼女は、もしかしたら物凄く大物なのかもしれない。
「おお……これはまた楽し……厳しい戦いになりそうですね」
言葉の中に本音が漏れ出てしまう鈴・S・ナハト(
ja6041)。
この戦いが楽しいものになるのか、厳しいものになるのか、はたまた恥ずかしいものになるのか、これからゆっくりと思い知っていくことになる。
「どうしようか」
廻魅(
jb1337)は、興奮する犬たちの様子を眺めながらぽつりと呟いた。
簡単な話し合いのあと、とりあえず固まって行動しても仕方ないので、散開して捕まえようという事になる。
アーレイ・バーグ(
ja0276)は、やれやれといった表情で重い胸――ではなく、腰をあげた。
「あとはお任せください、犬は私たちが必ず保護してみせます」
乾にそういい残し、宮野は行動を開始する。
心強い言葉に、乾はよろしくお願いしますと頭を下げた。
これが高感度を上げるための彼女の策略だとは思いもよらずに。
宮野は自身の体格などを考慮し、主に小型犬を捕まえることにした。
目の前を全速力で駆け抜けていく大型犬はとりあえずスルーし、小型犬の姿をさがす。
ほどなくして、建物の陰でキャンキャン吠えているシーズーを見つけた。
「怖く無いよー」
しゃがんで手を差し伸べ、優しく語り掛ける宮野。
シーズーは牙をむき出し、敵意をしめす。
「おいでー」
少しずつ距離を縮める。
指先が触れそうになった瞬間、
「――っ!」
シーズーは彼女の人差し指に牙を食い込ませた。
唸り声をあげながら噛み続けたシーズーだったが、やがて落ち着き、自分が噛んだ宮野の指を舐めはじめる。
「まずは1匹」
シーズーを優しく抱きかかえて、宮野は落ち着いた犬を集めておく檻に向かった。
「えーっと……狗のくせに良い声で啼いてるじゃないの……とか言えば良いんでしょうか?」
アーレイは半眼で頭を掻きながら言った。
どちらかといえば、ぼやきに近い。
「うーん……堅実に一頭一頭保護するしかないですかねー」
言葉にため息が混じる。
横を駆け抜けようとしたカナーン・ドッグを瞬間的に捕まえる。
当然、犬のほうは唸りながら噛みついてきた。
「いたくないですよー? 撃退士は結構頑丈ですからね」
アーレイは動じることなく、腕を噛まれるのも気にせず胴を撫でながら優しい声をかける。
「そう、落ち着いて。そんなに強く噛んだら、牙が痛んじゃいますからね」
次第に噛み付く力が緩んできた。
ジェニオが最初にとった行動は、落ち着いた犬たちを集めておくための檻を確保することだった。
それも体格に合わせて数種類用意する。
「落ち着いた子は、暴れてる子たちから隔離しておかないとね」
犬にこなれたジェニオならでは準備といえよう。
「う〜ん、100匹越えるんだっけ……」
用意した檻を眺めながら、頭のなかで計算をした。
「足りない分は野外かなぁ」
園の片隅にある柵で囲まれた広場を眺め、ここを使うころには混乱も落ち着いてきているだろうと予想をたてる。
ジェニオはあらかたの準備が終わると、軍手をはめ、腕や脚部に布をまき、タオルや太い紐、犬のえさなどで完全武装をほどこして自身も犬の捕獲に参加した。
「うだー、アカンわぁ。体が動けへん……」
木南は満身創痍の身体を引きずりながら、犬の捕獲に奮闘している。
だが、蓄積されたダメージが大きく、思うように身体が動かない。
大型犬を捕まえようとすると、逆に突進をくらったり噛みつかれたりし、そのたびに彼のイライラはつのっていく。
「ええい、もう捕獲しまくったる!人間なめんなやぁーー!!」
イライラも限界値を超えたとき、両手の拳を振り上げて雄たけびをあげた。
超人系格闘アニメなら、全身から気が放出されているようなエフェクトがかけられる感じだろう。
危険を察知した犬たちは、蜘蛛の子を散らすように彼の周りから退避していく。
「…………!」
わなわなと身体を震わせる木南。これから本気を出すぞと意気込んだ矢先にこの反応である。
そんなとき、ふと足を引きずった1匹のチワワを見つけた。
恐らく、この混乱のなかで怪我をしてしまったのだろう。木南は、すぐに駆けつける。
「ほら、じっとしときぃ」
威嚇する犬を抱き上げ、用意していた消毒液を傷口にかける。
そのあと、ジェニオが用意した小型犬用の檻に連れて行った。
「ここでじっとしとくんやで。外に出るとまた怪我してまうからな」
ニッと笑う木南を見上げるチワワは、もうすっかりと落ち着いていた。
「沢山いすぎてなにから手をつけていいやらですね〜」
救急箱を片手にぼんやり歩く紅葉の目の前を、胴に怪我を負ったグーバースが通り過ぎる。
「大丈夫ですか?」
即座に駆けよる紅葉。警戒心を犬はむき出しにしているが、そんなものはお構いなし。
「あぁ、痛そうですね……」
傷口を触ろう手を出した瞬間、犬が噛み付いてきた。
「大丈夫、大丈夫ですから」
手を噛まれてもめげずになだめ続ける紅葉の姿に、犬も少しずつ心を開いていく。
「おお……よしよし、ここがいいのですか? そうですか〜」
鈴が相手しているのは、ゴールデン・レトリーバーだ。
もともと温厚で友好的な犬種で、この騒動も興奮して走り回るというより、呑気に散歩している感が強かった。
そんなところを鈴が発見して、現在にいたる。
「あぁ……もふもふして癒されますね……」
毛がふさふさで抱き甲斐のある大型犬を全身で堪能する鈴。犬も舐めまわしで応えた。
「ふふ……くすぐったいですよ」
舐めまわしの匂い確認がエスカレートしていく犬。
「ひゃあ!? そんな……ところに……顔を埋めちゃだめ……そこはだいじ……はぁぁ」
いつのまにか立場が逆転し、犬に堪能されていた鈴だった。
「わんちゃーん、おいでおいで〜」
笑顔で呼びよせる久遠寺。
ほとんどの犬が彼女を無視するなか、1匹の甲斐犬が動きをとめる。
見詰め合う久遠寺と犬。
(うくっ、き、きっと見詰め合えば分かり合えるはず……!)
久遠寺は犬の鋭い眼光に怯みながらも、自分に言い聞かせる。
「だ、だから、そんなうーうー唸らないでください。怖いですからっ!」
唸り声を響かせる犬に涙目になる久遠寺。
(で、でも、これはひょっとして憧れのあれをやるチャンス……?)
この状況下でなぜそう思い至ったのかは不明だが、久遠寺は慎重に犬へと近づき、おずおずと手を伸ばし……噛まれた。
「って、い、痛ーい!? がぶって、がぶって音が聞こえましたよ!?」
顎に力をこめてくる犬。
「でも、が、我慢我慢……っ! 怖くない、怖くないですよ〜」
久遠寺は血が滲んでいる手を我慢しながら、必死になだめた。
やがて、彼女の気持ちが通じたのか、犬は噛み付いた手を舐め始めた。
アリシアは、建物内の捜索にあたる。
園内を走り回る大量の中型犬、大型犬にドン引きした彼女は、「施設内に逃げ込んだかもしれない犬を探してくるのである」と、早々に建物内へと離脱していた。
まさか、犬がこんな場所にまで居るまいと高をくくってアリシアが足を踏み入れたのはドッグフードコーナー。
入るなり、複数の気配と息づかいを感じとる。
表情が引きつるアリシア。
ドッグフードをむさぼっていたのは、5匹の中型犬。
アリシアの気配を感じ取った犬たちの10個の瞳が一斉に彼女へと向けられた。
「うむ、邪魔をしたのである」
アリシアはぎこちない動きで回れ右をする。
その瞬間、複数の犬の足音が背後から迫ってくるのが聞こえた。
「わ、我はエサではないのである〜!」
アリシアは涙目で全力脱兎。追いすがる犬たち。
何もない直線なら撃退士のアリシアが追いつかれることはなかっただろう。
だが、棚やら壁やらがある室内では、小回りが利くという点で犬の方に軍配があがった。
結果、アリシアは犬に足をすくわれ、バランスを崩して転倒したところに他の犬が一斉に群がってきた。
「ああぁぁであるぅう!」
アリシアは、犬たちの食後のデザートとして堪能されてしまった。
「怖くないよー?」
パピヨンを高い塀の角まで追い詰めた廻魅は、優しく声をかけながらゆっくりと近づく。
犬は牙をむき出して威嚇したが、逃げられないと悟ると突撃をかましてきた。
廻魅は、屈んでそれを胸で受けとめる。
「痛いじゃない、ひどいなーもー」
のんびりとした口調で優しく犬をたしなめる廻魅。
腕の中で落ち着くのを待って、保護した犬たちを集めていく檻に連れていった。
金咲みかげ(
ja7940)は、興奮した犬が檻に近づかないよう監視をしている。
「うむ、ご苦労なのである」
5匹ほどの犬を連れてきたアリシアが声をかけた。
着衣に乱れがみられ、若干顔が赤らんでいるのは気のせいか。
あのあと、撃退士としての意地を見せたアリシアは嘗め回されて犬の唾液だらけになりながらも全て保護したのだ。
「監視も立派な任務である。がんばるのであるぞ」
「えと…その〜…がっ頑張りますっ」
金咲の返事を聞いたアリシアは、「うむ」と言い残すと再びフラフラと犬の捕獲へ戻っていった。
時間の経過とともに犬も落ち着きをみせはじめてきた。
皆の活躍によって、大部分の犬は保護できた。
あとは、徒党を組んで暴れている一部の犬たちを捕まえるだけだ。
宮野はそんな犬たちと遭遇した。
数では相手の方が遥かに有利だ。
「これだけは使いたくありませんでしたが……」
意を決する宮野。
両手を広げ、片足を上げる。
超必殺『荒ぶる鷹のポーズ』だ。
犬というのは、予期できない不規則な動きにストレスを感じる性質がある。
結果、挑発されたと判断した犬が一斉に宮野へ襲い掛かった。
彼女が体力的に万全の体制だったのなら良かっただろう。
しかし、戦闘直後のダメージがそのまま残る今、襲いかかる全ての犬の対処は不可能だった。
「や、ちょっ!」
揉みくちゃにされる宮野。
それでも数匹捕まえたことは賞賛に値するだろう。
保護した犬を隔離しておく檻の前には、数名の撃退士が集まっていた。
「そろそろ餌で釣りますか?」
アーレイが提案する。
「そうだね、いい頃合かも」
落ち着いた犬たちに餌をやり終えたジェニオが答える。
少し犬と戯れてきたのだろう。その表情はご満悦だ。
数匹のために広い園内を無闇に歩き回るよりは、おびき出したほうが建設的だろう。
「わっ、私が売店からドッグフードを貰ってきます!」
久遠寺は、すぐに売店へと走った。
そして10分後、犬缶を抱えて戻ってくる。
手分けして中身をあける撃退士たち。
園の中央広場にそれを用意した。
待つこと数分、腹をすかせた犬たちが集まり始める。
「そろそろ良さそうだね」
ジェニオの言葉を合図に動き出す撃退士たち。
逃げられないよう四方から犬を取り囲むように接近を始めた。
異変に気付く犬たち。必死に逃れようと悪あがきをする。
「ひかえおろうひかえおろう!このプロマイドを何方と心得る!このプロマイドは久遠ヶ原学園長、宝――」
学園長ブロマイドを掲げるアーレイに犬たちが一斉に襲いかかった。
揉みくちゃにされるアーレイ。
「もうお嫁に行けません……」
犬たちが通り過ぎたあとには、着衣が乱れたアーレイが両手をついてしくしく泣いていた。
「にっ、逃げちゃだめですよ!」
自分の横を抜けようとしたランドシーアに飛び掛る久遠寺。なぜかそのまま押し倒された。
「ひゃっ、やだっ!」
そのまま着物の裾や掛け襟の中に鼻を突っ込まれ、匂い確認と嘗めまわし攻撃をくらう。
こういうシチュエーションでは、着物は大変けしからん(誉め言葉)ものへと変化する。
多少の事故は起こったが、おびき出し作戦は成功を収め、全ての犬の保護が終了した。
最後の最後でエロ犬に襲われた久遠寺は、着物が着崩れたままわんわんと泣いた。
犬たちもつられて遠吠えを始める。
久遠寺の泣き声と犬たちの遠吠えが虚しく響き続けた。
「犬と戯れるのは好きですが……同じような依頼があったら、今度は万全の状態で臨みたいですね……」
紅葉の言葉に皆が同意をしめす。
怪我をした犬は、紅葉や木南がその都度治療していた。
怪我の具合が酷かった一部の犬は、全ての犬が落ち着いたあとに久遠寺が治癒膏をほどこした。
撃退士たちは、乾のはからいで戦いの疲れと犬の唾液を温泉でゆっくりと洗い流したあと、わんこらんどが流行ることを祈りつつ帰途についた。