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「次の得物が来たな……ほぅ」
ヴァナルガンドは感心したような声をあげ、すっと目を細めた。
「そう来たか。ならば、こちらは……」
撃退士たちの堅実な陣形を眺め、手持ちの駒を使ってどう切り崩してやろうかと考えを巡らせる。
その表情は実に楽しそうで、そして残忍なものだった。
「この辺りのはずだな」
強羅 龍仁(
ja8161)は、電子タバコを加えながら周辺の地形を見渡した。
国道を挟むようになだらかな丘が広がり、周囲には所々に雑木林がある。
斜面は強羅の膝丈ほどの雑草が生えていて、足元の状況は把握しづらくなっていた。
「手っ取り早く、林を焼いてもよさそうだね」
藤白 朔耶(
jb0612)が冗談でつぶやく。
雑草の先端がチクチクと不快に太ももを刺激する。強羅にとっては膝丈の雑草でも、背の低い彼女にとっては侮れないほどの深さだ。
今回、彼らはチームを2班に分け、相互にカバーし合える程度の距離をあけて進軍していた。
その為に依頼主である市役所から先に全滅した撃退士が使っていたのと同じインカム通信機を人数分用意してもらい、メンバー間の会話はそれを使って行っている。
A班の殿をつとめる若菜 白兎(
ja2109)の表情は、作戦開始を前にして硬い。
市役所で聞いた録音の生々しい音声が耳から離れない。
そんな彼女の様子をB班の殿の春塵 観音(
ja2042)は、少し心配そうな表情で眺めた。
怯えながらも、耳を塞がず必死に聞き続けた若菜の姿が忘れられない。
もっとも、このとき頭の中で考えていた事は「兎ちゃん、妹にしたいなあ」なのだけれど。
「餌が無くて……下りてきたのかな……」
思案顔で呟くのは、B班の柏木 優雨(
ja2101)だったが、
「あ……餌は私たち……だったの」
すぐにその事実に思い当たり、ぽんと手を打った。
「狩るつもりが狩られない様に気を付けないと」
雫(
ja1894)は、いつ襲ってくるとも知れない敵の襲撃に備えながら、進行方向を睨みつづける。
隊は6名ずつ2班に分かれ、それぞれの班が最も打たれ弱いメンバーを中央後部に配置し、残りの5名が四方を固めるという楕円形の陣形を組んでいた。
A班の先頭をつとめる雫は、敵が正面から襲ってきた場合、真っ先に矢面に立つことになる。
「いつもとは逆の立場になりましたねぇ」
雫の後ろでは、テレジア・ホルシュタイン(
ja1526)が穏やに言った。
「まぁ、狩られる気は毛頭ないのですけれど」
そして、にっこりと微笑んでつけ加える。
B班前衛のシャルロット(
ja1912)は、随所に香水に振りまきながら進軍している。
相手の嗅覚を少しでも攪乱させようという意図がある。
どれほどの効果が期待できるかは不明だが、少しでも期待がもてる手は打っておきたいというのが本音なのだろう。
そのすぐ斜め後ろでは、レイル=ティアリー(
ja9968)が周囲の異変に目を光らせていた。
相手はただの野良狼だけじゃないのではないかというのが、彼が音声記録から受けた印象だ。
「今回も……苦戦しそうですね……」
A班の側面。ちょうどB班のレイルとやや距離を置いた隣に位置する冬樹 巽(
ja8798)は、やや緊張した面持ちで周囲の警戒に当たっていた。
先任者がどうやって倒されたのか、市役所で聞いた音声記録を思い起こし、侮りが命取りにつながることを改めて心にきざむ。
B班の右側面の虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は、遁甲の術で気配を消しながら周囲の警戒にあたった。
もし奇襲攻撃があるとしたら、陣形の側面か後方からになるはずだからだ。
「フリー3名が死亡か。安いレートでは無いな」
アスハ・ロットハール(
ja8432)はつぶやいた。
彼の位置は、A班の左側面、虎綱とは陣形の反対側になる。
「彼らの骸も拾ってやれると良いので御座るがな」
インカムを通して虎綱の声が聞こえた。
そうだなと答えつつ、周囲の音に耳をかたむける。
雑草が揺れ擦れる音と多数の獣の足音が急速に接近してくることに気付いた。
「どうやら現れたようだ」
アスハはパイルバンカーを展開しつつ、全員に周知する。
「さて、それでは狩りの時間と参りましょう」
レイルも臨戦態勢をとった。
●
疾風怒濤。
押し寄せる狼の群れを言い表すのに、これほど適した言葉はないだろう。
雑草のせいで全体を把握しきれないが、恐らく3〜40体は居ると思われる。
それが正面から一挙に押し寄せてきた。
強羅と冬樹が狼の群れに向かってコメットを撃ちこみ、若干だが敵の戦力を削ぎ取ることができたが、狼の勢いはとまらない。
当初、敵はこちらを誘い込んでくるのではないかと予想していたが、まさかこのような大攻勢で攻めてくるのは予想外だった。その為、対応がやや遅れてしまった。
狼たちは、まるで水が流れ込むように班と班の間へと殺到し、隊列に楔を打ち込むように少しずつ両班の距離を押し開いてくる。
その動きにはまるで統一性がなく、あぶれた狼は各班の外側へと回りこんできた。
「燃えちゃえ……」
柏木が生み出した青白い炎がまるで蝶のように舞い、1体の狼を焼き尽くす。
雫は用意していた香辛料を狼に向かって投げつける。
だが、それは目の前の狼には透過されてしまい、目立った効果はあげられなかった。
「一体、一体の能力は低いですが、連携を取られると厄介ですね」
香辛料攻撃の効果が薄いとみるや、すぐさまフランジュベルを展開させる雫。
幸い、群れの動きは連携をとっているというものではなく、隙間があればそこへ殺到し、無差別に攻撃しているにすぎない。
「ふむ……敵を甘く見たか」
大剣で狼を屠りながら、虎綱はひとりごちた。
高い敏捷性と攻撃力こそ侮れないが、個体の能力は非常に低い。
事実、今回のメンバーの中では比較的経験が浅いレイルやシャルロットでも、攻撃さえ当たれば容易に倒すことが出来ている。
だが、星の輝きなどで敵を牽制しながら戦っても、無秩序かつ無差別な攻撃に多方向から連続で曝されると、どうしても攻撃は避けきれなくなる。
前衛を担っているメンバーは、瞬く間に体力を奪われてしまい、チーム内のアストラルヴァンガードたちは回復におわれていた。
「そこっ! 危ないっ」
藤白は、テレジアの回復に気を取られていた冬樹の死角から迫っていた狼の額を撃ちぬく。
「ありがとう……ございます」
「足元にも注意してね」
礼を言う冬樹に妖艶な笑みで答える藤白。
春塵は、少しずつ距離が離れていくA班の若菜を気にしつつも、A、B班の間に殺到している狼をアサルトライフルで1体ずつ確実に仕留めた。
だが、倒したところで新たな狼が穴を埋めてくるだけで、まるで焼け石に水だ。
「狼の特性上、群の長がいるはずだが……やけに無秩序だ」
アスハは狼の動きに違和感を覚える。
数の違いや先任者の驕りがあったとはいえ、とても撃退士3名を屠った敵とは思えないのだ。
「この感じ……」
強羅もまた、心に何かひっかかるものを感じていた。
確かにこの数は脅威だったし、予想外の苦戦を強いられている。
だが、冷静な対応さえすれば何てことのない相手だ。
もう一度、頭の中で音声記録を推考してみた。
「伏兵がいるのか?」
一向に緩まない狼の攻撃を盾でいなしながら、生命探知で周囲の状況を探ってみる。
すると、隊列に食らいこんでいる狼の群れのほかに、まるでこちらの隙を探るように周囲をぐるぐると回っている別の群れがいることが分かった。
「見つけた……伏兵がいるぞ注意しろ!」
叫ぶのと同時に、その群れにアウルで作り出した彗星をぶつける。
こちらの射程ギリギリだったこともあり、効果は上げられなかったが、こちらが伏兵の存在を悟ったということは知らしめることは出来ただろう。
「基本に忠実だけど……ここまで徹底されると面倒だね……」
シャルロットは苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。
「嫌な戦術を取って来ますね。前情報が無ければ危なかったかも知れません……」
雫がごちる。
伏兵の存在が分かったところで、目の前の狼をどうにかしなくては対応のしようがない。
1体1体、確実に仕留めてはいるが、まだまだ半分以上の狼が残っていた。
「一か八か、敵の別働隊を誘い出してみようと思うのだが」
そう言って、アスハはメンバーに作戦を説明する。
「隊列を崩したら『テープ』のようになるよ」
藤白は難色をしめしたが、アスハが「味方の射程圏外へは出ない」と断言したため、この流れを変えるために一石を投じるという理由で皆が了承した。
「決して無理はしないでくださいね」
テレジアはアスハに彼を気遣う言葉をかける。
雫、テレジア、冬樹は隊列の左側面へ狼が回りこまないように牽制し、藤白は別働隊の動きに即応できるよう銃を構える。そして、若菜は生命探知を使って別働隊の動向を監視した。
アスハは隊列からやや離れ、自らの掌を軽く切りつけ、ウィンドウォールが生み出した風の障壁を使って血を散霧させた。
「チップは払った……奥の手、見せてみろ」
他のメンバーが狼を押さえてくれているおかげで、アスハは敵の伏兵に集中することができる。
「左前方から来ますっ!」
若菜の声がひびく。
それと同時に10体ほどで構成された新たな群れが現れ、アスハと藤白へと襲い掛かった。
「下がって!」
藤白が叫んだ。
テレジアは、すぐに二人のカバーへと回りたかったが、ここを動けば背後から藤白が狙われてしまう危険性がある。
射程に入ると同時に即射した藤白の銃弾が、そのうちの1体を1撃で屠っているところから、別働隊の狼も、いままでの狼と実力に大差はないようだ。
だが、明らかに違っていたのは、動きがしっかりと統率されていることだ。
アスハにまとわり付いた狼は、執拗に彼の側面や背後を狙ってくる。
「た、大したこと無いケド、牽制にはなるよね」
得物をグルカナイフに変え、近接戦闘に備えた。
アスハはウィンドウォールで必死に対応するが、その身体はみるみるうちに傷だらけになり、身に纏っているトレンチコードも血に染まっていく。
藤白もまた、慣れない接近戦に奮闘するが、みるみる自分の血にまみれていった。
「回復が間に合わないよぉ!」
若菜が悲鳴を上げた。
「くっ!」
アスハは小さく呻く。
驕りがあったわけではない。決して油断もしていなかった。
ただ、敵が予想以上に狡猾だったのだ。
狼たちは、他には目もくれず、アスハと藤白の二人のみを集中的に狙ってくる。
明らかに陣形の分断を狙っているのだろうということが見てとれる。
分断されまいと、必死に耐えるアスハと藤白。
だが、狼たちによって恐ろしいほど効率的に体力を奪われたアスハは、別働隊の狼を半分ほど倒したところでがっくりと膝をつき、鉄杭を地面に付きたてて何とか体をささえた。
全身から血を滴らせる彼に、もはや戦う力は残っていない。
「アスハ!」
「アスハ殿!?」
柏木と虎綱の叫びがハモる。
A班とB班の間には、なおも20体近い狼が残っていた。
A班との合流も容易ではない。
藤白もまた、窮地に陥っていた。
別働隊の攻撃が、彼女ひとりに集中したのだ。
「これは、ヤバイかも……っ!」
苦悶の表情を浮かべる藤白。
若菜が必死に回復しているが、藤白の打たれ弱さと敵の攻撃の執拗さが相まって回復が全く間に合わない。
必死に回復を行っている対象がみるみる血に染まっていく姿に、若菜は半ば泣きそうになっていた。
ここを突破されると、次は若菜が孤立することになる。
「倒れる……わけには」
朦朧とする意識のなか、気力を振り絞って必死にもがき、反撃を試みる藤白。
「中央の狼を処理するまで……なんとか耐えてください……」
冬樹は最初の群れが殺到している両班の間にコメットを打ち込む。
それに応呼するように強羅も最後のコメットを打ち込んだ。
一瞬だけ、A班までの進路がほぼクリアになる。
「俺に構わず、あっちと合流しろ!」
強羅が叫んだ。
レイルが動く。
タウントを使って進路上に残る狼の注意をひく。
「私たちが気を引いている間にあちらの救援をよろしくお願いします」
レイルはクリアになった進路に新たな狼が侵入してこないよう、狼の群れの前に立ちふさがった。
「狼の群れに飛び込んでやったぜぇ〜、ワイルドだろお〜」
得物を大鎌に切りかえ、進路上に数体残った狼の中へと踊りこんむ。
藤白の気力も尽き、がっくりと膝をつく。
「赦しません」
仲間2人を戦闘不能に追いやった狼に、純粋な殺意のみを抱いたテレジアの光纏の光りが赤黒く変化した。
若菜に迫る狼が、大きく横に吹き飛ばされる。
「遅くなって申し訳御座らん!」
狼を吹き飛ばしたのは、虎綱が放った影手裏剣だった。
「さよなら……なの」
別働隊の最後の1体は、柏木が生み出した炎の蛾に焼き包まれて消し炭になる。
その後、ほどなくして狼は殲滅された。
●
「終わったな……」
アスハには、自力で立っている力すら残っていない。
「やれやれ、やはり戦争には質より量ですね。まあ今回は質が勝ちましたが」
レイルは、そう言いながらアスハに肩をかした。
「僅かな慢心が命の明暗をはっきりさせる。戒めとしないと」
雫は胸元で拳を握り締める。
決して慢心などなかった自分たちですら2名の仲間が倒された。先任者は恐らく成すすべなく倒されてしまったことだろう。
「野生でこの動きはせぬ……やはり糸引くものがおるな」
虎綱が指摘するのは、狼の別働隊のことだ。
「群れの何処かにリーダーさんが居るかと思ったのですけど 、それらしい狼さん居なかった……みたい。 なら、狼さんたちを操ってた人がこの近くに……?」
緊張の糸が切れた若菜は、その場にぺたんと座り込んでいる。
「これだけの事をこなす……。いったい……この白狼の群れの後ろにはどんな悪魔がいるのだろう……」
シャルロットは深刻な顔でつぶやく。
「統率された動きで撃退士を狩る白狼の群れ……まさかね……?」
シャルロットの頭をよぎったのは、少し前に牧場で戦った白狼の群れだった。
「今回も……冥魔は姿を現さないのでしょうか……。僕達に興味がない……のでしょうか……?」
冬樹は裏で糸を引いている悪魔と話をしてみたいと思っていた。
だが、悪魔が彼らの前に姿を現すことは無かった。
「キーヨ」
「はい、マスター」
遠く離れた丘の上から撃退士たちの様子を眺めていたヴァナルガンドが口を開いた。
「あいつ等には、天使どもや熟練戦士にありがちな驕りや慢心っつーもんが無ぇ。個々の力はたかが知れてるクセに互いの欠点を補い合って、時には実力以上の力を出しやがる」
ヴァナルガンドは何とも嬉しそうな表情を浮かべている。
「だからこそ、潰し甲斐があると思わねぇか?」
「…………」
「キーヨ、力をつけろ。そして、俺に尽くせ」
「マスターの仰せのままに」
キーヨは恭しく頭をたれた。