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「――というわけで、筋肉ひとりでは対処しきれなかったらしいよ」
プールへ向かって歩きながら、高峰は集まった勇士に遠野から聞いた内容を話した。
「服がボロボロって、遠野先生よっぽどの大立ち回りだったんだね」
犬乃 さんぽ(
ja1272)は、驚いてみせる。
「自分で破いたんじゃないかって、私は疑ってるけどね。筋肉が子供のころ流行ってたアニメで、そんなのがあったでしょ?」
「しかし、プールを占拠した天魔か。何を考えているのやら……。 授業ができないのは問題だ。早めに倒して使えるようにするか」
呆れたように息を吐く高峰をよそに、コンチェ (
ja9628)は真剣な口調で言った。
彼は目に包帯を巻いていた。
厳しい修行の過程で、その目は光を失ってしまった。
今はその生活に慣れてしまったから不自由はないが、はたしてそれが吉と出るのか、凶と出るのか。
「この依頼が拗れたのは、どう考えてもあの先生の仕業か……」
戸次 隆道(
ja0550)はうなる。
「そうなんです! 本っ当めいわくですよねっ!」
彼の呟きが聞こえていたらしく、くるりと振り返った高峰は、語気を強めて同意をもとめた。
「真奈とは初めて依頼に行きますね、さんぽ君とも一緒ですし!」
ここにも何も知らない幸せな人間が一人。
風鳥 暦(
ja1672)である。
彼女は犬乃、高峰とは、同じ陸上体操部に所属していた。
クラブ以外で彼らと一緒に行動できる喜びに胸を弾ませている。
このあと、あんな激戦が待っていようとは、このとき微塵にも思わなかった。
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プールは、一見すると何の変哲もないように見えた。
「半透明でプールに隠れられると、よく分かりませんね……それを考えてここに来たのだとすれば案外頭が良いのでしょうか?」
神月 熾弦(
ja0358)は頬に手をあて、困りましたというようにため息をつく。
「手間が掛かりそうな依頼ね」
藍 星露(
ja5127)は、めんどくさそうに吐き捨てる。
「プールに浸食した天魔か……。 ふん、よかろうッ! 誇り高きディバインナイトの名に賭けて、私が貴様を滅ぼそうッ!」
水面に向かってびしっと大剣を突きつけ、ラグナ・グラウシード(
ja3538)は声高らかに宣言した。
「しかし、これでは見えにくいな」
鳳 静矢(
ja3856)は、プールを遠巻きにしながら言った。
「プールの水は抜いたほうが良いのでは?」
コンチェが提案する。
「水が深いとこちらが動きづらくなるだろうし、目視できないだろう。 ぼやけて見える程度の俺には、目で確認は難しい」
光纏すれば視力は回復するのだが、それでも輪郭がぼんやり見える程度である。
この状態で半透明の物体を水中で見分けるということは、彼にとって至難の業でなのだ。
「それに……俺は泳げん……」
そして、最後に水を抜いて欲しい一番の理由を付け加えた。
水を抜くことに異論を唱えるものはなく、速やかに排水作業が行われた。
水位が下がり、徐々に天魔の全容があらわになってくる。
犬乃は、様子を見てくると言って遁甲の術を使い、プールへ近づいて覗き込んでみた。
ビュルッと音を立てながら粘液が飛んでくる。
犬乃はさっと避け、すぐに戻ってきた。
「あんななりなのに、反応は素早かったよ。少しかかっちゃった……。何かぬるねばして気持ち悪い」
腕についた粘液をお尻で拭う犬乃。
この時、犬乃の衣装の変化に気付く者はいなかった。
「筋肉の言うとおり、肉体へダメージを与えるほどの攻撃じゃないみたいだね」
高峰は犬乃の腕が無傷なのを見て、楽勝といわんばかりのガッツポーズを見せた。
「真奈ちゃん、一緒にプールを解放しようね!」
犬乃もそれにあわせ、ぐっと拳を握り締める。
「うわ〜、結構大変なことになってますね〜」
プールの半分くらいを埋め、にゅるにゅるとうごめく半透明の軟体天魔を見て、風鳥が声をあげた。
プールには、深さ30cmほどの水が残った。
「詰まったか」
きわめて冷静な鳳。
それぞれが光纏し、臨戦態勢に入った。
「サクッと殲滅しちゃうよーっ!」
「ん? 待て……」
風鳥は、一人で突貫を始める高峰を制止する。
「相手の情報が少ない時は……って、聞いてないし」
だが、高峰に彼女の声は届いていなかった。
その様子を見ていたコンチェは、張り切っている高峰に感心している。
「高峰さんを支援します」
神月は高峰の突貫を支援すべく、プールへコメットを撃ちこんだ。
神月が生み出したアウルの流星は、次々と天魔へ突き刺さり、粘液を盛大にまき散らす。
壁のように舞い上がった粘液を突きやぶり、天魔の一角へと迫った高峰は、
「あぁぁあああっ!」
天魔に絡めとられた。
「な……に!?」
ラグナは声を絞りだす。
「ふむ、なるほど……服を溶かされる、ということで酸性のようですが、体が焼かれるといった影響はなさそう、ですね」
まるで他人事のように分析する神月。
「それであれば、ここは我慢して、退治を優先しましょう」
「…………」
神月の言葉に首肯する風鳥。
若干、頬が赤いのは気のせいか。
「とりあえず、あれをどうにかしてあげましょう」
戸次は高峰を絡めとる粘液に魔弾を撃ちこみ、彼女の手を引っ張って助け出した。
その際、袖についてしまった粘液を払うと、つなぎの袖が溶け落ちる。
「どう見ても危険な臭いしかしない……」
戸次は自分の服と、半分以上が溶けてヌルボロになった制服が究極のチラリズムを演じている高峰を見比べ、まあ、眼福ですがねと苦笑いを浮かべながら心の中で呟いた。
「よ、よくも真奈ちゃんを!」
四つんばいでプルプル震える高峰の姿をみて、犬乃は怒りの声をあげる。その怒りの半分以上は照れ隠しだけれど。
「これ以上、プールで好き勝手はさせないもん……幻光雷鳴レッド☆ライトニング!」
叫び、プールへ飛び込んだ犬乃は、底に残った水の上を走りながら2指で挟んだ霊符から真紅の雷光を放った。
雷光が当たった天魔が粉砕する。
派手に飛び散る粘液。
それは犬乃に降りそそぐが、そんなものは気にしない。いや、高峰の半裸を見てしまった彼に、そんなことを気にする余裕はなかった。
「倒さねばプールを使えないし……被害もやむをえんか」
溶けゆく犬乃の装束を眺め、覚悟をキメる鳳。
彼の心の中で決して入れてはいけないスイッチが姿を現した。
コンチェは影手裏剣で弾幕を張りながら天魔へ接近する。
近接戦闘へと持ち込んだコンチェは、飛び散り、降りしきる粘液などお構いなしに打刀を振るう。
光纏によって視力が回復したとはいえ、ぼんやりと輪郭しか見えない彼は、服が溶けきっていない高峰がどういう状態にあったのか知らないのだ。
動きが派手なぶん、溶け落ちかたも豪快だった。
「コンチェさん」
彼の状態を教えるべく、神月が近づく。
その瞬間、天魔が彼女目掛けて粘液を発射。
『危ない!』
二人の声がハモる。
コンチェは神月の前へ立ちはだかり、粘液を全身で受け止めた。
神月はその動きを察し、彼の前に星晶雪華を展開する。
コンチェの周りに舞う雪の結晶片が、まるでモザイクのように彼の大事な部分を隠した。
「あの、脱げてますよ?」
にっこりと微笑みかける神月。
そんな彼女の服も、部分的に溶け落ちかけていた。
「問題な……」
この距離でなら、ところどころ柔肌が露出した彼女の姿がなんとなく分かる。
「し、心配無用だ」
コンチェはしばしの硬直後、顔を赤く染め、ぎこちない動きで戦闘に戻った。
「燃え尽きろッ! リア充ッ!!」
小天使の羽で飛翔したラグナは、上空からリア充殲滅砲を放つ。
彼の嫉妬心が込められた光の剣が天魔を粉砕する。
燃え尽きるべきリア充は他にいる気もするが、彼はしっ闘士である前に撃退士なのだ。
「よし!」
一瞬の気の緩みを天魔が突く。
「うあッ!?」
飛来した粘液塊を避けそこね、派手に撃ち落された。
「く……な、何のこれしき!」
制服は溶け落ちるが、ふんどしは溶けのこる。
「大剣のみが私の取り柄ではないぞ……切り裂け!風よ!」
がばっと立ち上がったラグナは水着美女のグラビアをぱらぱらと捲り開き、魔力の刃を解き放った。
放たれた刃は、粘液散らす軟体天魔を切り刻む。
「……ふん、これでも喰らえ」
風鳥は、冷静さを保ちながら得物を振るった。
天魔は潰されるごと、切り刻まれるごとに、やたらと派手な粘液のしぶきを上げる。
広範囲に吹き散らかされるそれは、近接戦闘で全てを回避しきることは不可能で、撃退士たちの衣装を確実に溶かしていった。
それは風鳥も例外ではなく、ズボンもシャツも肝心な部分をかろうじて隠す布切れでしかなくなっている。
顔をしかめ、頬を染め、頭から粘液まみれになりながらも、風鳥は天魔を屠り続けた。
「ああもう、こんなの聞いてないっ」
藍の得物は、最も敵への接近を強いられるクロー系の武器だ。
当然、浴びる粘液の量も多い。
「前に同じ能力を持ったスライムと戦ったことあるけど、あっちより服を溶かす速度が速いし!」
彼女が纏った衣装は、もう服にあらず。その絶妙な溶けっぷりは、全裸のほうがマシと言える状態にあった。
「大体あたし、着替え持ってきてないわよー!」
心の叫びを拳にのせ、全力で天魔を殴り潰す。
気勢ある叫びに反応し、コンチェは藍を見た。
ぼんやりでも、しっかりとした肌色の輪郭が網膜に焼きつく。
なまじ見えないだけに、妄想が暴走した。
「……男はこっちを見るなぁ!」
「な、なぜ俺がぁああ!?」
恥ずかしまぎれに放った藍の掌底は、コンチェを天魔の真っ只中へと突き飛ばした。
「……ううっ、もう腹括ったわ!」
天魔に攻撃しながら、欄は真っ裸になる前に倒しきると決意を固めた。
「これ以上は!」
鳳は焦っていた。
敵を屠れば屠るほど、動けば動くほど、衣装がどんどんと剥がれ落ちていく。
真面目でドSな軍師として、これ以上イメージを崩すわけにはいかない。
ギリギリのところで命のやり取りをしているいつもの戦闘とは、明らかに違った緊張感があった。
しかし、自分や仲間の肌があらわになる度に、死闘と同等のアドレナリンが脳内で分泌されているようで、テンションは無意識に上がる。
不意に仲間が飛ばした返り粘液が鳳の顔にかかった。
その時、頭の中でカチリと音をたて、心の中のスイッチがONへと切り替わる。
「溶かせるものなら溶かしてみろ! ふはははっ!」
鳳の動きが変わった。
先ほどまで遠距離から返り粘液が噴き出す方向などを計算しながら攻撃していたのが、得物を近接武器へと変えて肉弾戦に切りかえる。
「私は自由だぁぁぁぁ!」
鬼神の如き鳳の働きは、天魔の殲滅速度を速めた。
粘液を浴びまくり、彼の素肌の自由がどんどん解放される。
「ドSに好き放題してタダで済むかコラァァ!」
タダで済んでないのは、天魔というより、どちらかといえば彼が今まで築き上げたイメージのほうな気がする。
「皆、もっとだもっと!」
細切れにされた天魔の破片を周囲に投げつけるあたり、もはやご乱心と言っても良い。
彼の乱心は、天魔殲滅と仲間の衣装殲滅に大いに貢献した。
魔装が溶けるのも気にせず、黙々と暴れ続ける戸次。
彼の上着は、既に襟部分だけとなっている。
別に服を溶かされても私なら誰得ですし。彼はそう思って服が溶けることも気にせず天魔駆除に励んでいた。
しかし、世の中には粘液塗れの半裸イケメンに反応する女子もいる。
戦いの最中、高峰と目が合った。
「……考えを改めた方が良いですかね」
天魔への攻撃も忘れ、全裸に近いの男性たちをガン見する高峰を見て、彼はぼそりと呟いた。
「ふふん! その程度か? 笑わせてくれるなッ!」
天魔が放った粘液をシールドで防ぎ、ラグナはニヤリと笑う。
天魔の勢いは健在だが、殲滅まではもう一息だ。
天魔の粘液が風鳥を襲う。
ラグナはプールの水を蹴散らしながら風鳥の前に立ち、粘液をシールドで叩き落した。
だが、彼は大事なことを失念していた。
プールには、なお30cmほどの水が残っていること。
そして、粘液が溶け出した水も既に溶解液と化していること。
何が言いたいかと言うと、
「なっ!? ふ、褌がー!?」
既に布切れと化したそれは、ラグナのラグナをかろうじて隠しているだけに過ぎなかった。
「む……」
風鳥は、慌てるラグナの腕を強引に引く。
その瞬間、乱心した鳳が飛ばした天魔片が飛来し、ラグナに当たる。
不意に引かれたせいもあり、そのままバランスを崩して突っ伏すラグナ。
褌だった布切れは、跡形もなく溶け去った。
「真奈ちゃん、あぶなーい!」
両腕を大の字に広げ、別の意味で戦闘に集中できていない高峰に飛来した粘液をかわりに浴びる犬乃。
「もう、大丈夫だ……よ」
犬乃は顔から粘液を滴らせ、にっこりと微笑みながら高峰へと振りかえり、彼女のあられもない姿をまともに見てしまって思わず顔を赤面する。
顔を背けながら、見えそうで見えない(角度によっては見えるんだが)高峰の素肌をマフラーで隠してあげようと近づこうとして、床に散った粘液に足を滑らせ、彼女を押し倒すかたちで盛大にこけた。
「わわわ、ごっ、ごめ……え?」
右の掌全体にダイレクトに伝わる、ふにっとした暖かく柔らかい感触。
布という無粋な隔たりはない。
『…………』
二人の無言がハモる。
数分後、彼の頬が紅葉型に腫れていたことを付け加えておこう。
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プールの水は、いつの間にか無くなっていた。
ラグナがうつ伏せで這いながら、排水溝に詰まった天魔を殲滅したおかげだ。
若干の桃色ハプニングはあったが、天魔殲滅は滞りなく終了した。
駆除もおわり、それぞれが素に戻る。
全員があられもない姿になっていた。
「うにゃーー! なんでこんな格好になってるのですか!?」
光纏をといた風鳥が悲鳴を上げる。
「見ないでください! はっ! そういえば寝袋がありましたね!」
常備品である寝袋の入り込み、流石に寝ませんよ? 寝ませんからね!? と言いながら、深い眠りについた。流石である。
「な、何でこんな辱めを……」
藍はさめざめと泣いている。
心に深い傷を負ったのは、彼女に限ったことではない。
「バスタオル、用意しておきましたよ」
腰にバスタオルを巻いた戸次が皆にバスタオルを配る。
「代わりの服は、遠野先生が持ってきてくれるはずです」
戸次は、戦闘が終わって真っ先に手配したのだ。紳士である。
とても眼福な依頼だったなどと、思っていても決して口に出さない。紳士である。大事なので2回言った。
この後、着替えた彼らはプールの清掃をした。
この戦いで彼らが失ったもの、心に負った傷は大きい。
なお、この戦いで溶かされた魔装は、後日、高峰に詰め寄られた遠野が『給料から天引きで弁償する』という形で再支給された。
遠野の極貧生活は続く……。