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「もうそろそろでしょうか」
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)は、手にした地図と周りの風景を見比べた。
毎度のことながら、ディメンションサークルの転送先には数kmの誤差があり、まずは現在地の把握という作業から行う必要がある。
「あの山がこれだと思うから……、本当ならあの辺りに街が見えてきても良いはずなんだけど」
那月 読子(
ja0287)は、彩の背後から地図を覗きこみ、山と地図を交互に指差した。
街があると思われる場所には人工物らしきものは見えず、どことなく黒くかすんでいる。
「連絡のつかなくなった街……なのですか……」
御手洗 紘人(
ja2549)は辺りを見回した。
道路から大きく外れた場所に転送されてしまったこともあり、人の往来までは確認できないが、少なくとも現在地周辺に変わったところは見当たらない。
「いったい何が起こっているんでしょうかー?」
櫟 諏訪(
ja1215)は、手をひさしがわりにして、那月が指差した方向を眺めた。
「あのモヤみたいなのは何かしら?」
那月は双眼鏡を覗く。
だが、この距離からだと霞みの正体が何なのかまでは判別できない。
「なにはともあれ、もう少し遠方からの偵察をしたほうが良さそうだよ」
木に登り、枝の上から双眼鏡を眺めていた雨野 挫斬(
ja0919)が言った。
那月同様、彼女にも霞みの正体は分からなかったが、気になる部分がひとつだけあった。
道路らしき側面に電柱は見えたのだが、電柱にあるはずの電線が見当たらないのだ。
そして、霞みにみえたものが電柱にもびっしり張り付いている。
「んー? あれは、虫さんなのですか?」
鳳 優希(
ja3762)は不規則にうごめく霞みを見て、小首をかしげてみせた。
「雨野さんの言うとおり、もう少し調査してからにしたほうが良さそうだな。不用意に近づくのは危険だ」
いくら山の中とはいえ、木々の間から民家が屋根の一つも覗かせていない景色に不自然さを覚えた鳳 静矢(
ja3856)は、コンパスを使って現在位置を再計測しはじめる。
「街の人が無事だと良いのですが……」
胸騒ぎを覚えた神城 朔耶(
ja5843)は、頬に手をあて表情をくもらせた。
あのあと、町道らしき道まで出ることが出来たが、行き交う人や車の姿がみえない。
「車も動いてませんし、誰も歩いてないですねー……これは、ちょっとまずいかもしれませんねー?」
櫟は唸った。いくら山奥の小さな街とはいえ、ここまで全く人と出会わないというのも不自然な気がする。
「それに何ですか、このバッタは。なんでこっちに飛んでくるんですかー」
御手洗は、飛んでくる蝗を手で払った。
最初はまばらだった蝗だが、街へ近づくにつれ、その数が増えてきている。しかも、普通の蝗に比べて大きすぎる気がした。
「この時期に大量の……妙な」
静矢は首をひねる。
周囲の様相は、みるみる変化していった。
電線は食い切られ、垂れ下がっており、蝗たちがそれに群がって食べている。
そのわりに、草花には目立った被害が見られない。
何かの倉庫らしき木造の建物や、バス停の待合小屋などにも蝗が張り付き、必死に食らって瓦礫と化している。
過去に発生した蝗害でも、建物に被害が出たという例はきかない。
遠方から見たときに、街並みが確認できなかったのは、これのせいだろうと予測できた。
「イナゴさん。恐るべしなのです」
優希は、デジカメで周囲の撮影をする。
「あれは何でしょう?」
神城は、地面の一部に群がる蝗を指差した。
撃退士たちが近づくと、群がっていた蝗が一斉に飛びのき、その下から性別が分からないほど食い荒らされた人間の死体が出てくる。
「これは…酷いのです」
御手洗は息を呑んだ。
「天魔被害の発生を確認〜。このまま偵察するって事でいいのよね?」
雨野は声を弾ませる。
「それにしても多いですね。多すぎます」
彩は眼鏡のブリッジを指で押しあげた。
「天魔は、魂または魂を抜かれた死体から作られる。 あれが全部天魔だとしたら、既知のルールを逸脱している、ということです」
彼女は思った。それなら、既知の天魔にない弱点や能力の欠落があるのではないかと。
「先を急いだほうが良さそうだな」
静矢は仲間に移動をうながした。
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街へ入ると、蝗のほかに蛾の存在も確認できた。
ここへ至るまでに住民のものと思われる自動車などが確認できたが、そのどれもがタイヤは食われ、ボディなどの鋼鉄部分も食おうと試みた形跡がある。
それは建物も同じで、木造の一般家屋は壁が食われ、鉄筋コンクリート製の建物にも壁や窓を食い破ろうとした形跡があった。
「まるで侵入する為に食い破った跡だな」
静矢は率直な感想を口にする。
「人っ子一人いませんかー……。もうちょっと早く何か分かっていたら、助けられたでしょうかー?」
櫟は、まだ原型が残る建物に入って生存者がいないか確認をするが、生きた人間を確認することはできなかった。
「何かしら……場所によって数が違うみたい……」
那月は飛びくる蝗を剣で払いながら、ふとそんな事に気付く。
「しかも、なんかさっきより攻撃性が増してませんか!?」
御手洗は若干涙目だ。
蛾のほうは、こちらから刺激さえしなければ飛んでくることはないが、蝗たちは文字通り牙を剥いて襲ってき始めている。
「目的の果樹園は、街の東はずれにあるようですが……」
彩は地図を見ながら言った。
静矢は、コンパスを使って方角を調べる。
「街の東の方に群れが……?」
東へ行くほど、蝗や蛾の数が多くなっているように見えた。
東の方角にあったものといえば、雨雲らしき巨大な黒い雲。
そういえば、そこには何があったのか。
そこまで考えが至る撃退士は、誰一人いなかった。
「行けるところまで行ってみよう」
「大丈夫なのですか?」
静矢の言葉に、御手洗が反応する。
「いざとなったら希が魔法で一気に蹴散らしちゃうから、きっと大丈夫ですよぉ」
優希は、心配そうな表情を浮かべる御手洗に優しく微笑んでみせた。
「優希さんと一緒の任務になれて心強いのです」
ぱっと表情を明るくする御手洗。これが後に彼へ悲劇を呼び寄せる複線となるとは、このとき思いもしなかった。
果樹園へ向かって進めば進むほど、蝗や蛾の数が増していき、撃退士へ飛び掛ってくる個体が増えていく。
周囲からは、カリカリと硬いものを齧る音がいたるところから聞こえてきて、それは蝗が外壁を食べている音だろうと予想できた。
これまで見かけた住人は、みな死体と化しており、そのどれもが性別も判別できないほどの状態だ。
「本当に酷い……」
彩は顔をしかめた。
彼女は蟲が多く集まる場所があれば、遁甲の術を使って奥を覗いたりしたが、特に巣や指揮官らしきものは見当たらず、あるのは人間の死体くらいだ。
いっぽうで、意図的なものなのかは不明だが、街路樹などの草木にはあまり被害が出ていない。
「街の被害に比べて、草木はそのまま残ってますねー……。人と人工物を優先的に狙っていたのでしょうかー?」
櫟は飛び掛ってくる蝗を叩き落としながら言った。
街の中心部らしきあたりまでくると、蝗の猛攻が勢いを増し、撃退士たちは徐々に対応しきれなくなってくる。
「これ以上は危険なのです! 一時撤退を!」
御手洗が提案した。
「そうだな。街の外まで退避しよう」
そう判断した静矢は、紫鳳翔で退路上の蝗を蹴散らす。
そして、撃退士たちは、今来た道を一気に駆けもどった。
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安全圏まで離脱した撃退士たちは、全身が傷だらけだった。
1匹の強さは大したことがなかった蟲たちだったが、それが何十、何百という数で一気に襲い掛かってくると、こちらの対応にも限界がある。
こちらの迎撃を切り抜けた個体が、じりじりと撃退士たちの体力を奪っていった。
「皆様、今の内に傷の手当をさせてください」
今回、唯一のアストラルヴァンガードである神城は、傷の程度でスキルを使い分け、皆の治療にあたっていた。
皆の傷は予想より深く、神城の治癒力はたちまちに枯渇する。
「……圏外」
この時間を使って、これまでの情報を一度学園へ報告しようと思っていた雨野は、携帯電話を閉じた。
恐らくこの辺りの電波を中継する基地局そのものか、中継所に何らかのトラブルが発生ているためだろう。
そのトラブルも、先ほどの街の状況から、何となく予想は出来る。
「小物潰してもつまんないんだけどな〜」
雨野は、撤退時に拾っておいた、比較的状態が綺麗な蝗と蛾の死骸を携帯していた箱に入れた。
本当は生け捕りにしたかったが、見た限りでそれは危険と判断した。
「ねえ、提案なんだけど、夜になるのを待って再突入しない? もしかしたら、何かしらの変化があるかもしれないし」
那月が提案する。
「異存はないですよー」
櫟はほのぼのした口調で答えた。
「私も異議なしだよ」
そう答えた雨野は、胸の内で解体しがいのある大物を欲している。
「では、日が暮れるまで休息としよう」
静矢は木陰に座り、傍らに優希を呼び寄せて休憩をとった。
それに習い、他の撃退士たちも思い思いに休息をとる。
夏の日差しとそよ風が彼らをつつみ、先ほどの光景をしばし忘れさせてくれた。
日が落ち、辺りを闇が支配した。
雨の心配もしたが、東の方角に見えていた黒い雲はこちらへ流れてくることはなく、月が煌々とあたりを照らしている。
街灯などの明かりはなく、月明かりのみが頼りだった。
「違う点が無いか気をつけねば……」
静矢は周囲を見渡す。そろそろ街へ入るころだ。
「蝗の姿が見当たりません。かわりに蛾が飛び回ってます」
ナイトビジョンを装備した御手洗は、他の仲間よりも周囲の状況をよく把握することができた。
「あ、いや、居ますね、蝗。壁やら茂みやらにとまって大人しくしてるみたいなのです」
蝗に昼間の勢いはなく、昼間は大人しかった蛾が活発になっている。
「蛾は夜行性ですし、虫の習性はそのままなのでしょうかー?」
闇の中を舞う蛾を見て、櫟はおっとりとした口調で言った。
口調こそおっとりしているが、彼の胸の内は悔しい気持ちでいっぱいだ。
それを押し殺して、出来る限り冷静に振舞っていた。
天界や魔界に昼夜の概念があるかどうか考えたこともないが、少なくとも目の前の蟲たちは人間界のそれと同じような習性がありそうだ。
静矢は試しに持参したブラックライトをつけてみた。
飛び交う蛾たちは、月明かりより明るいブラックライトの光をみつけると、それに向かって大量に飛び込んでくる。
(ライトに集まった……?)
危険を感じ、ライトはすぐに消した。
満月がが近いおかげで、ある程度は周囲が見渡せる。
蛾の数も蝗と同様、街の東へ進むほど数が増えているようだ。
数は蝗ほどではなかったが、それでも鬱陶しいことに違いはない。
全てが闇雲に飛んでいるわけではなく、当然こちらのほうへ飛んでくる個体もあった。
闇にまぎれて襲い掛かってくるそれは、蝗以上に脅威だ。
休眠中の蝗をなるべく刺激しないよう気をつけながら、奥へ奥へと進んでいく撃退士たち。
噛み傷、切り傷を増やしながら、それでも昼間よりは奥へと進んでこれらた。
静矢は、先ほどのブラックライトを再び点灯し、放り投げた。
蛾たちは光へ向かって一斉に動く。
「さあ、今のうちだ」
静矢は歩く速度を速めた。
廃墟となった街は、夜の静寂に不気味な威圧感を放っている。
聞こえてくる音は、虫たちの羽音と硬いものを齧るカリカリという音だ。
蛾も蝗も食するものは同じなのだろう。
「一斉に襲い掛かられることがないよう気を付けないといけませんね……」
神城は胸元で拳を握った。
今の彼女には、味方を治癒する力が残っていない。
神城が言うように、一斉に襲い掛かられたら危険極まりない。
「ミスタシズヤ、残念ですが、そろそろ撤退を視野に入れたほうが良いと思います」
彩は提言した。
「私も賛成。果樹園までは辿り着けなかったけど、私たちが戻らないことには――」
那月が言いかけたとき、
「……やばいかもです。囲まれてるのですよ!」
御手洗が声をあげた。
蛾の攻撃が激しさを増してくる。
御手洗は、咄嗟に前面で火球を炸裂させた。
蛾たちが焼きはらわれ、炎によって生み出された光に別の個体が飛び込む。
「今こそ静矢シールドの出番です!! さぁ! 全面的に前に!!」
びしっと指差し、御手洗が叫んだ。
静矢より先に動いたのは、彼の妻だった。
炎の光に集まる蛾を見て、そこへアウルの光を上乗せした。
「え゛っ!?」
指差したままの姿勢で固まる御手洗。
蛾が御手洗へ向かって一斉に飛び掛った。
「良くやった、優希! 今のうちに急速離脱だ!」
静矢は号令をかけた。
「ドS軍師ェ……」
御手洗の口から本音がこぼれる。
「あ〜! うっとおしい! 本気出すよ!」
体のあちこちを噛みきられた雨野は、得物を大鎌へと持ち替え、飛びくる蟲たちをなぎ払った。
「蹴散らしますよっ」
優希は、進路上の蟲たちを火球で焼きはらう。
那月は、クリアになった進路へ銃を撃ちながら走りこみ、雪崩れ込んでくる蟲たちを屠った。
だが、蟲たちの攻撃は、明らかに殲滅速度を上回っている。
この時点で蟲たちは、活動していた蛾に加わり、休眠していた蝗も混じっていた。
雪崩のように撃退士たちへと迫り来る蟲の壁。
蟲たちの猛攻を一身に浴びた御手洗は、既に意識を失いかけていた。
「遠野先生……」
涙の軌跡を描きながら後ろへ倒れゆく御手洗。
「良く耐えたな。離脱するぞ!」
静矢は、気を失って倒れる御手洗の腕を掴み上げた。
そして、退路上の蟲たちを紫鳳翔で薙ぎ払い、そのままの勢いで御手洗を担いだまま離脱を開始する。
「露払いはお任せください!」
神城は、背後から迫る虫たちを無数の彗星ですり潰した。
押し寄せる蟲の壁を突っ切り、体中を噛み千切られながら、撃退士たちは全速で離脱を試みる。
撃退士たちは満身創痍になりながらも、命からがら離脱することが出来た。
一人の脱落者も出なかったことは、奇跡に近かったといえよう。
一歩間違えれば全滅していたかも知れない。
学園へ戻った彼らは、調査で判明したことを学園へと知らせる。
雨野がサンプリングしていた蟲の死骸は損傷がすすみ、研究に耐えうる状態ではなかったが、目撃情報などと組み合わせた結果、魔界に生息する原生動物ではないかと推測された。
これが原生動物であるのなら、恐らく透過能力は持たないだろう。
だが、そこに原生動物が居たとすれば、地上のどこかに極めて魔界に近い環境が形成されているという可能性あるということだ。
「しかし、それは何処に……」
遠野は出来上がった報告書を手に、東の空に立ち込める黒い雲を眺めた。