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「広い牧草地……、風が吹いて、とても気持ち良い……」
牧草をなで吹く風をあび、久慈羅 菜都(
ja8631)は両手を頭上で組んで、大きく伸びをした。
「えっと、牛、元気ないかも……?」
牧草地は、かなりの広さを有しているのだが、今回の事件を受けて放牧エリアを狭めているせいか、牧草を食べている牛からはそんな印象をうける。
「菜都さん、いま、別のことを考えてなかった?」
久慈羅が浮かべた、まるで食べ物でも見るような眼差しを瀧 あゆむ(
ja3551)は見逃さず、鋭いツッコミを入れたあと、あははと笑った。
「しかし……、この広さは厄介だ……」
冬樹 巽(
ja8798)は牧草地を見渡し、淡々とした口調で言う。そして、1頭だけ不自然じゃない程度に少し離れた位置で放牧させている牛がいる方向をながめた。
「えっと、10ヘクタールだっけ……? 1ヘクタールは100アール……?」
久慈羅は頭の中で必死に計算をする。
だが、計算が苦手な彼女の頭が導き出した答えは、『とにかくだだっ広い』というものでしかなかった。
「上手く食いついてくれるといいんだけどね」
シャルロット(
ja1912)は、不安を口にする。
「動物しか狙わない天魔かぁ……」
テイル・グッドドリーム(
ja8982)は、人差し指を顎に当て、フムと考える素振りをみせた。
「確かになんか変な感じだよね」
彼女が言うように、今回の事件で人間への被害は出ていない。むしろ、人間を意図的に避けている印象すらあった。
「今は確かに人に被害はでていないかもしれない……、でも一連の事件がただの練習としたら……?」
シャルロットは、目を伏せて思案する。
「考えるのは後、後。むずかしい事は敵を倒した後に考えようっ」
「そうですね、事が起こる前に対処すれば良いだけですよね」
テイルの言葉で我にかえったシャルロットは、明るい笑顔を返した。
「何の罪もない牛さんや、牛さんを大切に育てている人達に迷惑を掛けるなんて許せないの。
だから、愛ちゃん達がきちんと退治をするの」
周 愛奈(
ja9363)は、子供ゆえの単純で明快な意気込みを口にする。
今回の作戦は、広大な牧草地に包囲網を敷くために、地元の猟友会にも協力を仰いでいた。
いくら今まで人間に危害を加えてこなかったとはいえ、追い払うのと討伐するのではわけが違う。
逃げ場を失った狼が、人間に牙を剥いてこないとも限らない。
とはいえ、背に腹もかえられず、猟友会のメンバーは己の中の恐怖心に鞭をうち、緊張しながら作戦に参加していた。
「……大丈夫なの。愛ちゃん達が付いているの。愛ちゃん達がきちんとおじ様達を護るの!」
周の存在は、そんな彼らにも少なからず勇気を与えた。
「小さな子供の言葉には、裏表が無くて良いね。なにはともあれ、行動を開始しないことには始まらないよん。僕は狼を追い込む係りだったね」
ヒンメル・ヤディスロウ(
ja1041)は、どこか演技めいた口調で一同に行動をうながす。
「大丈夫、やる事はきっちりとこなすさ」
仲間の視線が自分に集まると、ヒンメルは手をヒラヒラさせながら言った。
それから、待ち伏せをする撃退士と猟友会のメンバーは、包囲網を敷くためにキルポイントに選んだ雑木林周辺へと移動を開始する。
「村での狩りと同じ……。私の仕事は、狙い撃つこと」
九条 朔(
ja8694)はアサルトライフルを胸に抱き、瞳を閉じて己の集中力を研ぎ澄ませていた。
牧草地から数km離れた山中で、キーヨは群れを率いる1頭の狼と意識をリンクさせていた。
彼の額から流れる汗が、その行為の難しさを物語っている。
その姿を後ろから眺めていたヴァナルガンドは、牧草地の異変を感じ取った。
彼が感じた異変のことを、キーヨはまだ気付いていないようだ。
しかし、ヴァナルガンドはあえてキーヨにそのことを知らせようとはせず、ただ、ほくそ笑みながら彼の後姿を眺め続けた。
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「うー、まだかなっ。待つのってニガテなんだよねー」
テイルは茂みでうずくまり、目の前の葉の上を歩くテントウムシを見つめながら息をひそめていた。
牧草をむさぼる牛の耳がピクリと動く。
牛は首をもたげ、忍び寄る気配を感じ取ろうと辺りを見回した。
牧草がカサリと音を立て、それと同時に牛が走りだす。
その瞬間、草むらから白い影が飛び出し、牛に襲い掛かった。
間一髪で難を逃れた牛は、そのまま全力で駆けだすが、回り込むように現れた白い狼に行く手を阻まれてしまう。
「こちら冬樹……。獲物が現れました……。これより追い込みを開始します……」
冬樹は携帯電話を切ると、それをポケットへ放り込み、ケーンを展開させて行動を開始した。
既にバヨネット・ハンドガンを展開していたヒンメルは、牛に追いすがる狼に向けて発砲する。
それは、攻撃を意図するものではなく、あくまでも牛から狼を引きはなすためのもの。
弾は狼の足元にあたり、彼らを減速させるのに十分な効果を発揮した。
狼は方向を変え、揃って同じ方向へと走りだす。
「えっと、こっちはダメ……」
久慈羅は柳一文字を構え、更にその退路を断った。
「あーっ、菜都ちゃん、今、毛皮を剥ぎたいとか考えてたでしょーっ!」
ばっと茂みから現れ、テイルは久慈羅にびしっと指差す。そして、自分のほうへと向かってくる狼を威嚇する。
「よっし、いくよっ! ……がおーっ! ぎゃおーっ! 逃げないと食べちゃうぞーっ!?」
狼は急ブレーキをかけ、即座に進路を転換した。
この包囲網には1箇所だけ意図的に開けた包囲の穴があるのだが、次々と退路を立たれた狼たちは、そのことに気付く様子もなく、そこへとなだれ込んでいった。
「そろそろこっちに来るよ。身を潜めよう」
電話を切った瀧は、今回の作戦でペアを組んでいる周に声をかける。
「ん? 草同士を結んで何をしてるの?」
「……自然にないモノを使った罠だと、臭いとかで気付かれるかもしれないから、なるべくあるモノを使った罠の方が良いと思うの」
周は瀧のほうを振り返り、にっこりと微笑みながら説明した。
「なるほどね。阻霊陣を展開しておけば、十分有効かもしれないね」
「愛ちゃん、あったまいー」
瀧に褒められ、上機嫌の周。
そこへテイルの叫び声(というか咆哮?)が聞こえてくる。
「来たようだね。じゃあ、手はずどおりにね」
二人は、罠を設置した場所を挟むように展開している猟友会メンバーのもとへと向かった。
「ありがとう。引き続き、無理をしない程度におねがいね!」
瀧は猟友会の方たちにウィンクを送り、気合いを漲らせながらニッと笑う。
「よぉっし、いくよ! 狼と勝負なんて滅多に出来ることじゃないしねっ」
そして、狼を追うべく全速力で駆けだした。
猛然と駆けてくる狼の群れが姿をあらわす。
あまり統制が取れていないのか、陣形はばらばらだ。
先頭を走る狼が、不意に前足をとられて転倒した。
それを見た周は、小さくガッツポーズをきめる。
先頭が転倒したのを見た後続の狼たちは、四方に散会して逃げようとこころみた。
しかし、その先には瀧や周が率いる猟友会のメンバーたちが待機している。
「今だよ、おじさんたち! 思う存分撃っちゃってっ!」
牛に群がる狼を撃ったことはあったが、自分たちに向かってくるというシチュエーションは初めてで、若干怖気づいていた猟友会のメンバーだったが、瀧の言葉に、そして、幻想動物図鑑が生みだす魔法の幻影を使って迎撃をする周の姿に勇気をもらい、彼らは空砲の一斉射撃を行った。
ふたたび退路を絶たれた狼は、方向を変えてそのまま雑木林のほうへと向かう。
「狩る側がいつも自分達だと思ったら、大きな間違いです」
雑木林の木の上でアサルトライフルを構えていた九条は、先頭を走る狼に照準を合わせる。
発砲はすぐに行わず、射撃精度をあげるため照準をしぼりつづけた。
「ワンちゃんは大人しく鎖に繋がれてもらうよ!」
シャルロットは雑木林を背にして仁王立ちし、ホワイトナイト・ツインエッジを構える。
「もう逃がさないの! ここで倒れて貰うの!」
周は、さらに逃げようとする狼の退路を絶つように立ちはだかった。
他の撃退士たちも続々とキルポイントと定めた雑木林へ到着し、その包囲網は完全なものへと変わる。
「さあ、チェックメイトだよ」
ヒンメルは狼に向かって小馬鹿にしたような視線を送り、歌うように言った。
キーヨは、すがるような視線をヴァナルガンドへ送った。
「ん、どうした?」
涼しい顔で訊くヴァナルガンド。
「マスター……」
「ああ、分かっている。自分で何とかしてみろ」
主人に突き放されたキーヨは、少し悩んだあと、意を決したように頷いた。
狼たちは、唸り声を上げながら撃退士たちと対峙している。
だが、その目は、先ほどまで追い回していた狼と明らかに違う意志を宿していた。
「どうやら……、やる気になったようですね……」
淡々と分析する冬樹だが、自身初の本格的な戦闘に、内心ではとても緊張している。
先に動いたのは狼だった。
牙を剥き、シャルロットへ襲いかかる。
シャルロットは剣を交差させ、その攻撃をふせぐ。だが、それでがら空きになった胴を別の狼に狙われた。
「しまった!」
防御が間に合わない――と思った瞬間、その狼はこめかみから血をしぶかせながら吹っ飛ぶ。
撃ったのは九条だった。
十分すぎるほど照準を絞っていた彼女は、狼の頭部を正確に撃ちぬき絶命させることに成功する。
そして、何事もなかったように次の獲物へと照準を合わせた。
「いっくよ〜、そぉおれぇえ!!」
テイルのフルスイングな鉄拳が狼に襲いかかる。
「あらぁ!?」
しかし、その攻撃は狼のバックステップにかわされてしまった。
「えっと、もっと、こう曲線的に……」
久慈羅は、テイルの攻撃を避けた狼に斬りつけて倒す。
「どうも……やりにくい相手ですね……」
冬樹は、狼の攻撃をシールドで受けながらごちた。
狼たちは、一瞬でも隙を見せたらそこへ逃げ込もうとする。
「何だか狼達の動きが変。出現当時より統制が取れてきているっていうのも……引っ掛かるよ」
瀧は、率直な感想を述べた。
「僕も気になっていたんだ。動きが野生的じゃないなってね」
ヒンメルは積極的に戦闘へ参加せず、支援や援護をしながら狼の動きを観察しつづけていた。
「操られている……?」
「だとしても、統率者が外付け式の遠隔操作された群狼など笑止千万さ。 指揮官たるものが陣頭指揮も執らぬなど片腹痛いね。集団統率を覚える前に狩らせて貰うだけさ」
瀧が口にした可能性をあざけ笑うヒンメル。
彼女にとって、安全な場所から指揮だけを取る指揮官など、軽蔑の対象でしかなかった。
「これで倒れるのーーっ!」
周は、幻想動物図鑑で複数のフェアリーを生み出し狼に襲いかからせる。
フェアリーたちは、手にした槍を狼の体に突きたてて消えた。
手負いの狼が、テイルに体当たりを食らわせようと身構える。
だが、その攻撃はフェイントで、防御姿勢をとったテイルの脇をすり抜けて逃走をはかった。
「あっ、こらっ、逃げるなっ!ちょっとおとなしく……」
テイルが追おうとした瞬間、狼は横に吹っ飛び絶命する。
「手負いの獣を逃がすほど……甘くはありません」
九条は呟き、再び照準を覗きこんだ。
狼は、それまで積極的に攻撃をしてきていないヒンメルに向かって襲いかかる。
彼女の攻撃は、こちらのリズムを崩すようなものばかりだったが、その攻撃にはほとんど殺意が感じられなかった。
彼女自身、アシストやサポートが専売特許であり、戦闘に関しては、どちらかといえば消極的だ。
今回は、その隙を突かれたかたちとなった。
「ちっ」
だが、彼女は舌打をすると得物を即座に双剣へと変える。そして、剣で攻撃をふせぐと狼を包囲の中へ蹴り飛ばした。
「僕に剣を抜かせるな」
ヒンメルは、鬱陶しげな表情で吐きすてる。
シャルロットは、狼の攻撃を舞うようにかわした。
「燃え盛れボクの剣……人に仇なす天魔に断罪をせよ」
そして、それを予備動作として切り払い、切り落としへと攻撃を繋げる。
「そろそろ大人しくしてもらいましょう」
シャルロットによって生み出されたアウルの鎖が、狼を縛り上げた。
狼は、鎖がきえてもなお動けずにいる。
「ほぅ、冥魔のものでしたか」
それを見て、シャルロットはすっと目を細めた。
そして、動けないでいる狼に剣を突き立て、止めを刺す。
「今度こそおとなしく……しててよねっ!」
戦闘に終止符を打ったのは、テイルのフルスイング鉄拳制裁だった。
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樹上から様子を眺めていた九条は、仲間の重傷者が居ないことを確認すると、木から下りてひとり立ち去る。
怪我の具合はみな軽傷で、冬樹が治療を行っていた。
「冥魔は……、いったい何をしたかったのでしょう……」
冬樹がふとつぶやく。
「今回の個体は大した事なかったけど……これが仮に強力な個体だったとしたら……まさかね……」
シャルロットは、ひとつの懸念を口にした。
獣並みの知性しか持たない強力なディアボロが、何者かの意志で狡猾に動き回るなど、想像しただけでもぞっとする。
そこへ、地元猟友会の方々がやってきて、撃退士たちを称賛した。
「えっと、囮に使った牛は……?」
久慈羅の質問に、「ああ、無事だよ」と答える猟師。
撃退士の戦闘を生で見るのが初めてだったのだろう、猟師たちは興奮気味だ。
撃退士たちは、農場と猟友会の計らいで、食事を振舞われることになった。
極上のビーフステーキは、口溶けもなめらかで最高に美味しい。
だが、これが先ほどまで命がけで守っていた牛なのかもと思うと、なんとも言えない微妙な気持ちになった。
「マスター……、申し訳ありません。頂いたディアボロを全て倒されてしまいました」
よほど悔しかったのだろう。キーヨは唇を噛みながら震える声で言った。
だが、ヴァナルガンドの表情は、不思議なほど穏やかだった。
それは、まるで子の成長を喜ぶ親のような表情だ。
彼は、この戦闘でキーヨの能力が著しく成長したことを分かっていた。
むしろ、あの程度のディアボロで、よくあそこまで戦ったと褒めてやるべきだろう。
だが、ヴァナルガンドが口にしたのは「気にするな」という一言にすぎなかった。
かわりにキーヨの頭をぽんぽんと叩いてやる。
「キーヨ、これからも俺のために力を尽くせ」
「はい、マスター!」
キーヨの表情がぱっと明るくなった。
「それより、この地のキタカントーとか呼ばれている地方で面白いことをやってるやつらがいるらしい。そこへ遊びに行ってみようぜ」
「はい」
ヴァナルガンドは、まるで親が子にするようにキーヨの背中に手をまわす。
そして、二人は山林の中へと消えていった。