●温泉行こう! 清掃しよう!
「時間は、ただいまの13時から17時までです。こちらは余裕を持っていただいた時間ですから、いいですかみなさん、くれぐれもはやく、はーやーく! 清掃を終えるように!」
撃退士の名にかけて!
拳を握りしめてそう締めた担当教師は、血走った眼差しで参加した生徒たちを見回した。
「先生?」
「はいっ! 音羽さん、なんでしょーかっ」
「アメニティの補充をするにあたって、普段の様子を伺いたいのですが……」
音羽紫苑(
ja0327)の言葉にも首を傾げる教師に、音羽はさらに言葉を続ける。
「過剰に置きすぎても、スタッフの方の迷惑というもの。目安があるなら把握しておきたいのです」
「あぁ、なるほど。それじゃあ音羽さんは私と一緒にきてください。担当さんに確認しましょう。……あとの方は、清掃開始してください」
担当者から話を聞くことができた紫苑は、浴槽エリア毎にアメニティを確認し、補充が必要なものの数をリスト化していた。
サウナはおしぼりが常時五本必要で、三本しかないから二本補充。露天風呂にはアメニティは置いていないからよしーーと。
ひとつひとつチェックしながら、ふとよぎるのは今回の依頼のこと。
一応合宿だから、参加するに越した事はないと考えたのだが……
(如何に順序立てて効率よく作業をおこなうか、という訓練という事かな)
だからこそ、通常のスタッフが行うよりも余裕を持った時間を与えられたことに、あの教師は怒ったのだろうと。
(とはいっても一つ一つ確実に行うしかないし)
まさか、ただただ温泉でゆっくりする時間を確保したかっただけとは思わない紫苑は、そう己の中で結論づけると、再度エリアを見回した。見落としがないことを確認し、次の檜風呂エリアへと足を進めたのだった。
●そうだ、撃退士らしく!
作業着の作務衣に身を包み、黒百合(
ja0422)がぐるりと肩を回した。
「久しぶりの非戦闘依頼だしィ……健全な肉体労働に励みましょうかァ♪」
「表向き合宿等と偽っている部分は少々あれだが、気持ちの良い汗をかき気持ちよく汗を流すか」
頷く蘇芳更紗(
ja8374)の隣で、この現状を先輩ふたりほどには割り切れずにいるのは黒井明斗(
jb0525)だ。
強化合宿だと聞いてきたのに、いきなり言いつけられたのはなんと掃除。はたしていったいどういう意図がここにはあるのかーー
まさか、ただただ温泉で以下略思わない明斗、
「なるほど、まずは精神修養ですか」
真面目に、前向きに結論を出した。
三人違うエリアを清掃するか、一つ一つ三人で一気に清掃するか。
三人は後者を選び、まずは露天風呂から手を付けることにした。
「まずは、湯を抜きながらあらかたの汚れを落としてしまいませんか」
「ふむ。だが、汚れを落とすにしても一定の水位が下がるまで待たねばなるまい。その間に椅子や洗面器の類があれば洗っておくか」
雨除け用の屋根をみて、じゃぁ私は……と、黒百合が光纏を発動すると嫣然と微笑んだ。
「屋根の掃除からはじめましょうかァ。掃除のセオリーは上から下にィ……ですからねェ♪」
モップを手に取った黒百合は、そのままスキル壁走りを用いて屋根へと昇ってゆく。
乾いている今ならともかく、掃除を始めれば屋根も濡れる。気を付けるように、と口を開こうとした更紗だったが、黒百合が新たにスキルを発動したのを見とめてやめる。
「水面とは即ち液面ゥ、故に液面の上を走れる水上歩行なら床面が濡れていようが滑る事無く移動する事が可能だわァ、風呂場でよく発生する滑って転倒は私には通用しないィ♪」
「黒百合さん、このままほかのエリアの天井もお願いしますー!」
せっかくだからと明斗が声を上げれば、黒百合から了解の声が返ってくる。
「……では、わたくしたちも始めるか」
「はい」
さて、同じく露天風呂にやってきたRehni Nam(
ja5283)、隣のギメ=ルサー=ダイ(
jb2663)を見上げて口を開いた。
「私たちもお掃除はじめましょうか」
「これが人間界の温泉、であるか……!」
あれ。聞いてない。
人間界の温泉、しかもザ・ジャパニーズ温泉露天風呂を前に、感動しているギメの腕を、ぺちぺちとRehniは叩いた。
漢らしいふんどし姿のおかげでむき出しにされた素肌は意外ともちもちだ。あれ、うらやましい。
「ギメさん、ギメさん」
「む。声をかけたであるか?」
「お掃除、はじめましょう〜」
まずは浴槽付近の壁を仕上げようと考えていたが、黒百合が屋根や天井の清掃を行うのなら、天井の汚れが清掃した壁に伝い落ちて二度手間になってしまう。
ということで、浴槽班の動きに合わせながら清掃を行うことにした。さしあたってここ露天風呂ならば、建物側の壁と洗い場の仕切りからか。
「はっはっはっは、高所の作業は我にまかせるのである……!」
ギメの笑いにかぶせるように「あはははァ、これが撃退士らしい清掃方法よォ♪」黒百合の高笑いが聞こえてくる。どうやら向こうも絶好調なようだ。
「壁はよろしくお願いしますねー」
お掃除お掃除らんらららん♪
黒百合とギメの高笑いをBGMに、鼻歌を歌いながらRehniは仕切りの汚れ落としに精を出した。
一方その頃脱衣所では。
猫野・宮子(
ja0024)が持参した水着を身に着けくるりと一回転していた。黄色基調のツーピース水着に、猫耳尻尾がまぶしく輝いている。
「まずは……水着に着替えて、マジカル♪ クリーニングにゃ♪」
最初は普段着で清掃しようと考えていたフローラ・シュトリエ(
jb1440)も、宮子に引っ張られ水着に着替えている。こちらはボトムがスカート型のホルタ―ネック水着だ。
「大掃除とのことだから、徹底的にやらないとよね」
「二人で手分けして効率的にやればきっと早いにゃ♪」
ささっと終わらせて長く温泉楽しむにゃ〜♪
相好を崩す宮子に、フローラもくすりと笑みをこぼす。
「そうね、気持ちよく入るためにも、掃除をがんばりましょう」
部屋や棚の隅はもちろん、物が置いてある場所の陰や下、高い場所などの埃の溜まりやすそうな場所。
それから洗面台やその下、浴場の出入り口付近などの湿気の多そうな場所。
清掃をふたつのポイントに分け、掃除用具入れに収められた道具も確認する。さらに高所を掃除する際の足場になりそうなものということで、脚立も発見した。
「これで届かないところは、壁走りを使うにゃ」
宮子の提案にフローラもうなずく。
いざとなったら壁走りが使える宮子が埃の溜りやすそうな場所を、フローラが湿気の多そうな場所をと分担することにした。
「細かい部分や見落としやすい箇所には注意が必要だから、しっかり確認しないと」
「目指せ温泉! にゃ!」
ぐるりと各エリアを一周し、補充分を倉庫から運んできた紫苑は、男性用脱衣所の前で立ち止まっている宮子の姿を見つけ声をかけた。
「どうした? 宮子」
「うに、中に人がいないとはいえ男性用更衣室に入るのはちょっと戸惑うのにゃ〜」
フローラはと問えば、女性用更衣室の最終点検を行っているらしい。
苦笑して、紫苑は宮子の背中を軽く叩く。
「裸の男共が中にいるわけでもないのだし、気楽に入ったらどうだ?」
「うう、お仕事、お仕事にゃ!」
気合だっと勢いよく脱衣所の扉を開いた宮子と紫苑は、その姿勢のまま固まった。
――裸の男は確かにいなかったが、ふんどし姿のギメが鏡の前でポージングを決めていた。
扉を開けたら筋肉ピカリな艶々ギメ。
どうしよう。ただの裸より濃いかもしんない。
「みよ、我の素晴らしき肉体美!」
「…………」
「…………」
「む? 美しさのあまり声も出ないか、はーっはっはっはっは!」
「もう〜ギメさん、どこに行ってたんですか〜。最後のお掃除に行きますよー」
呆然とするふたりをよそに、Rehniがギメを回収していく。
あれ。Rehniってこんなんだったっけ。
それはともかく。
「……どうしたの? ふたりとも」
「「はっ」」
あまりの濃さに、フローラに声をかけられるまで立ち直れなかった二人だった。
●さぁ、温泉だ!
天井も掃除した。
壁も掃除した。
床ももちろん掃除した。
浴槽だって掃除した。
脱衣所だって、アメニティだって完璧だ。
「はい。チェック完了です。お疲れさまでした」
担当者の言葉に、わっと歓声があがる。
時刻は15時半。17時まで1時間半もある。よし、と思わず教師もガッツポーズだ。
「では、この後17時まで、どうぞお寛ぎください」
「「「「「「「「「ありがとうございます!」」」」」」」」」
脱衣所で着替えた明斗は、まずはと眼を付けていた薬湯へと向かった。
身を清めた後ゆっくりと湯につかり、ぐるりと周囲を見回す。天井から床まで。全員で力を合わせた成果が、確かにここにある。
「キレイにするのは、気持ちの良い物ですね」
ふぅ、と息をついて、この後はジャグジーかなと考える。
あとは……
(やはり、フルーツ牛乳は外せないな)
風呂上りの楽しみも待ち遠しいが、このお湯からも抜けがたい。幸せなジレンマに、明斗は顔をほころばせた。
脱衣所でタオルを身に着けた宮子は、う〜んと腕を組んで考え込んだ。
「色々とある見たいだし出来れば全部のお風呂に入りたい所だね……時間大丈夫かな」
許された時間は1時間半。
エリアは6つ……ひとつあたり15分。
「15分で出ちゃうのももったいないなぁ」
先に脱衣所を出ようとしたRehniと紫苑にどこから入るのか尋ねると、檜風呂だという。
「よし、ボクも檜風呂からにしようっと♪」
「ふふ。楽しみですね」
連れ添って檜風呂に到着した3人。
身に着けていたタオルを置いて、肩までしっかりと湯につかる。
「んー、気持ちいいね♪ やっぱり温泉は生き返るよー」
「檜の香りがたまりませんね〜」
「生き返るな……」
先にサウナを堪能した更紗は、ジャグジーを堪能していた。
「地中海風か……サウナと趣が違って、これもなかなか」
前を隠していた手拭いを畳んで頭に載せ、うっとりと目を閉じる様は頬に集まった熱と合わさり妙に艶めかしい。
ふと人の気配を感じて目を開けると、ちょうどエリアに入ってきた明斗と目があった。
「す、すすすすすすみません!」
瞬時に真っ赤になった明斗は慌てて回れ右をしてエリアから出て行ってしまう。
ぽつんと残された更紗は、ぱちくりと眼を瞬かせた。
「なんだ……背中ぐらい流してやろうと思ったのに」
いやそれは無理だろう。
ツッコんでやれる人間は、悲しいかな、この場にはいなかった。
まずはと露天風呂にやってきたフローラは、先客を発見して声をかける。
「黒百合さん、楽しんでる?」
「おかげさまでねェ♪」
「お仕事の後は一層気持ちいいわよね」
フローラちゃんもやる?
にやり、と持ち上げられた熱燗に、あらあら、と目を見開くフローラ。
「私は遠慮しておくわ。……先生には見つからないようにね」
「そうねェ。ま、あの先生も温泉が待ち遠しいって感じだったし……大丈夫そうだけどねェ」
ギリシア風座湯のエリアの、さらに奥に腰掛けたギメは、肩からかかるお湯を堪能していた。
うぬぬ、と思わず感嘆の息を漏らす。
天界にはなかった、とは言わないが。ここまでバリエーションに富んだものをつくりあげるとは。これも人の身ならばこそ、か。
「にしてもこのデザインは、どこか懐かしさを感じるのである」
そして何よりうちより湧き上がってくるこの欲求をどうしたものか。
誰もいないようだし、少しぐらいならしてもいい、か……?
「いやいや、落ち着くのである」
かぶりを振ってギメは立ち上がりかけた腰を下ろす。
ポージング練習の欲求をぐっとこらえ、ギメは再びお湯の流れに身を任せたのだった。
「温泉……実に面白い!」