●きゅんへと続く下拵え
水無月 ヒロ(
jb5185)は自室の机で考え込んでいた。
「きゅんって、どういうのなんだろう?」
マラソンの後の息切れの感じかな? ……首をかしげながら、ふと思い立って引き出しの奥から一通の封筒を取り出す。
「こんなので、いいのかなぁ……」
一方同じ頃、日ノ宮 雪斗(
jb4907)は友人の伝手を利用して、文芸部が発行した冊子を手に入れていた。
あらかじめ依頼人の作品の傾向を理解しておけば、集まったエピソードをまとめて話のプロットを作成する際に手助けになるのではと考えたのだ。
パラパラとめくっていき、調べていたペンネームにたどり着く。
主人公の少年が両親の離婚をきっかけに、これまでの生活、アイデンティティを崩壊させていく過程を、丁寧に丁寧に描いている――読んでいて、少しばかり気分が滅入ってしまうほどに。
こんな作品を書く少年が、恋愛小説を描くなんて。
そりゃネタ提供に依頼も出したくなるってものか。
「別れ話とかストーカーの狂気! なら、すごく得意そうだよねー」
それだって恋愛小説には違いないが、なんだってテーマは“きゅん”なのだから。
「……よくはまぁ、ないよ、ね?」
●集えきゅん!
翌日の放課後。
使われていない教室のひとつを集合場所に指定した理は、部屋を開けて目を瞬かせた。
邪魔な机はすべて後ろに下げられ、残された机が中央に集められてひとつの大きな机となっていた。
その周囲には人数分の椅子が並んでおり、理は、自分が準備するまでもなく舞台が整えられたことを知る。
理の戸惑いにこたえたのは今回の年長者である鴻池 柊(
ja1082)だ。
「とりあえず、何かあった方が話が弾むだろ? 女性も多いし」
人数分並べた紙コップに手際よく紅茶を注いでいく柊のとなりでは、常塚 咲月(
ja0156)と雪成 藤花(
ja0292)が同じく袋から取り出したお菓子を広げていく。
お菓子に熱い視線を送る咲月に、「月」柊の声がかかる。
「食べすぎるなよ? 自分が持って来たからって」
「う……。分かってるよ……? ちゃんと我慢するし……」
「常塚先輩、わたしのお菓子も食べてくださいね」
「ありがとー……」
お誕生日席、な。と柊に指定された理は、緊張した面持ちで教卓を背にした位置に腰を下ろす。
なんだこのアウェー感――思わず理はつばを飲み込んだ。小説を書きあげるためとはいえ、身の程知らずな依頼をしてしまったのか、そんな後悔すら頭をよぎってゆく。
そうこうする間に残る雪斗、ヒロ、御堂島 流紗(
jb3866)が部屋にやってきて、理から時計回りで、流紗、ヒロ、藤花、雪斗、柊、咲月の順に席に着く。
自己紹介を終えたところで、そう言えばと柊が理に向かって話しかけた。
「どうして恋愛エピソードを聞きたいと思ったんだ?」
聞かれる、とは思っていたがいきなりか!
つまる理に、咲月の言葉が追い打ちをかける。
「苦手、なんだよね……何で書こうと思ったの…?」
ほかのメンバーも同様の疑問を抱いていたらしく、うんうんと頷いている。
本音を言うなら話したくない。
けれども彼らだって自らのエピソードを提供してくれるのだから、と腹をくくって顔をあげる。
今回の話の発端は、己の同級生の少女であること。
一度言い出したらきかない少女に恋愛小説を書けと迫られ承諾したがネタがなく困っていること。彼女を満足させる“きゅん”とくる話を書き上げる必要があること。
「お友達さんは、よほど貴方を信頼しているんですね」
藤花が微笑めば、「恋愛小説は大好きですの」流紗も瞳を輝かせ胸の前で両の掌を組んで言う。
「素敵なお話、創るお手伝いしていきたいですの」
私まだ地上に来たばかりだし恋愛経験もないけど、と流紗は続けた。
「憧れのシチュエーションとかはいっぱいありますの」
「……えぇと、簡単なのから教えてもらえますか?」
●萌え転がれ
小さいころから仲が良く片時も離れず暮らしてきた幼馴染。
けれども成長するにしたがって、彼らは気づく。
いつまでも昔のままではいられない、と。
今のまま、この関係がずっと続けばいいのに――互いに付かづ離れずの距離感を保ちつつ過ごしてきた暮らしと淡いその願いは、あっけなく打ち砕かれる。
「……あのね、私、彼のことが好きなんだぁ」
だから、ね? 手伝って!
「なんて、友達が空気読めないこと言い出してすったもんだしたあげくやっとお互いの気持ちに素直になれるとか……」
もう、これだけで一粒100mな感じで萌え転がれますの。
うなずく女性陣たちをみるに、なるほどこれは王道なエピソードなのかもしれない。しれないが――理解できない。
理は頭を抱えた。
友達は実は主人公のことが嫌いで――なんて展開なら大好物だが。
「やっぱりお互いの距離が近すぎて相手の大切さに気が付かずにいるとか、男の子の方は気の置けない友達と思っていたけど女の子の方は好きになっていてそれを気づいてほしくて色々試してみるけど怖くて思いきることができない……とかも王道だと思いますの」
「そ、そうですか……」
何か異様なプレッシャーを流紗から感じながらうなずくと、理はノートに使えそうなネタを書き込んだ。
・幼馴染→距離が近すぎて相手の大切さに気付かない
「ありがとうございます。えぇと、せっかくなので、このまま時計回りにお話をきかせてもらっていいですか?」
「そうすると、次は僕ですね」
理の言葉を受け、ヒロがカバンの中をさぐり、はにかみながら一通の封筒を理に差し出す。
「僕もきゅんってなるお話を考えたんですが……これがそれっぽいかなぁ、って」
それは、出されることのなかった手紙だった。
少年の飾らない言葉でつづられた、今はもういない人へと宛てた贖罪と、感謝の気持ち。
「ごめんね
さいご いっしょに いられなくて
ありがとう
いっしょに すごした じかんが あった」
すべてを読み終え、理は息をついた。
自分がこれまで描いてきた感情とは真逆すぎて、まぶしさに思わず眼を細めてしまう。
「……優しい、手紙だね」
どうして出さなかったのか、尋ねようとした声は、文中に書かれた「ごめんね」の言葉に押しとどめられる。
これは彼女が求める“きゅん”とは違うのかもしれない。
けれどもこの手紙にこめられた感情は、きっと、誰かを愛する心情を描くことに必要なはずだ。
「参考に、なりましたか?」
不安そうに窺うヒロに、理はそっと微笑んだ。
「あぁ、とっても」
●何の味?
藤花が初恋の相手と出会ったのは、三歳の時だった。
相手の少年は五歳、互いに七五三の時である。
別れを惜しみ泣き出す藤花に「お母さんがしてくれるから」と、少年が落としてくれた小さなプレゼント。
「……千歳飴の味でした」
ほぅ、とこぼれた吐息に、黄色い声が歓声を上げる。
「ね、ね、それからどうなったの!?」
雪斗とヒロの続きをせがむ声に、ふふ、と微笑んでから少しばかり表情を曇らせて藤花は口開いた。
「その人の家はその後天魔に襲撃されて……命は取り留めたもののご両親を亡くされて」
え、と周囲が息をのむ。
「わたしも幼い頃の出来事で、親もわたしにそのことを伏せていたから、ごく最近まで忘れていたのです。……その人のことも」
「……それじゃあ、その男の子は……?」
咲月の問いかけに、曇っていた表情を一変、頬を赤らめて藤花はこたえる。
「嘘みたいな話ですが、お互い知らずにこの学園で再会して。恋人になってくれて、やがて過去がわかって……今は、許婚です」
初恋って実らないというけど、そうとは限らないんですね。
そう結んだ藤花に、おぉ〜と歓声と拍手が送られた。
・実る初恋
・千歳飴の
キスと書こうとしてためらい、けれども半ばやけのように書き加えると、理は藤花の隣に座る雪斗を見た。
視線を向けられ、小さく雪斗がうなる。
「こんな素敵なエピソードの後に話すのは気が引けるけど……笑わないでね?」
「結構平凡なんだけど、中学生の頃、憧れた先輩がいたんだよね」
ムエタイ部に所属していた先輩。何事もひたすら努力して達成していくような人で、その努力してるところがとても格好いいと思った。
追いかけるようにムエタイ部のマネージャーになって。
「運動部といえばレモンのはちみつ漬けだよね」
ヒロの言葉に「勿論作ったよ! 部員の人全員分ね!」赤い顔で雪斗が返す。
「ちょっと先輩の分多かったけどね!」
――事態が進展したのは、9月のことだという。
放課後、先輩を呼び出し思い切っての告白。
けれども返ってきた一言は。
「おれ小学生はちょっと……ごめんな?」
この学校、部活に学年は関係ない。
おまけに雪斗の当時の身長は120センチ。
先輩の雪斗への認識、推して知るべし、である。
なんともいえない空気が部屋の中に漂う中、ぐすんと膝を抱えだしそうな雪斗を、隣に座った藤花がなだめにかかる。
理もすぐに柊に話を振った。
意外と早くきたな、と頬をかいて、柊は姿勢を正したのだった。
●愛しているのは
二十年生きてきてそれなりに恋愛経験もあるし、今回依頼を受けるにあたって、披露できそうなエピソードも見繕ってはいる。
しかしあまりにかけ離れたエピソードを披露しても依頼人の混乱を生むだけだろうと、本日発表された内容を反芻する。
(歪んでたら駄目だよな)
思って、柊は口を開いた。
「みんな付き合うにいたるまで、の話をしていることだし。実際のデートでどこにいったか、ってことを話そうか」
「デート、ですか」
「ああ。とはいっても、一緒に映画見たり、手を繋いで歩いたり、か――なんか、在り来たりなエピソードしか思い出せなくてすまないな」
「いえ。とても参考になります」
言いながら、理がノートにペンを走らせる。
・デートコース 映画/手を繋ぐ
書き終えるのをまって「あとは」と付け加えた。
「恋愛感情抜きで良いなら、愛してるのは月だな。もう1人の幼馴染は男だから……愛してるって言って良いのか分からない所だけどな」
苦笑すれば、「おー……」と隣から咲月の声があがる。
「確かに……ひーちゃんの事は愛してるし……もう一人の幼馴染も大好きー……」
咲月自身、恋愛感情がどういうものかよくわかってはいない。
高校の時に告白された経験はあるものの、赤の他人に告白されるということが気持ち悪く感じ、断っていたからだ。
それでも友人や知人から聞かされた話はちょっとした憧れとともに記憶されている。
「恋をすると、胸がきゅーってなったり、その人を思うだけで、ぽかぽかするんだって……」
実際に恋をしたエピソードを披露した、藤花と雪斗をみれば、それぞれ照れくさそうにうなずき返してくれる。
「姉さんは、この人ならありのままの自分で居れる……笑って貰えるだけで幸せだって……この人の為なら、頑張れるって……」
そんな感覚は、まだ、咲月のもとに降りてきたことはない。
いつか降りてきてほしい、そんな感情を、物語として追体験することができたら。
「どう、かな……参考になった……?」
●素直に、なれ?
咲月の言葉に、理は考えながらゆっくり答えた。
「そう、ですね。……まだ、登場人物の構想などはまとまっていませんが……」
「絵も文章も似てると思う……。誰かに触れ合って…感じる事が多くなれば作風も少しずつ変わってくる、から……」
それなら、と雪斗が手をたたいた。
「これはその女の子のための話なんだよね? その子にふれあって、感じることを書くっていうのもありなんじゃない?」
(は?!)
理が我に返るより先にヒロが「そうそう」とのっかった。
「こういうのは、読み書きしてて恥ずかしいぐらいがある方がきゅんとくると思うんだー」
だから、主人公の名前は「理」さんで。
理が頬をひくつかせている間にヒロはさらに爆弾投下する
「ヒロインの名前は、そのお友達の名前で書いたら、それだけできゅんとくるんじゃないかなー」
絶句する理の反応をみて、藤花が「うーん」と小首をかしげて見せる。
「でしたら、お友達さんをモデルにする、というところのはいかがでしょうか」
「ちょーっとだけさ、その子が他の誰か男の子と並んでいるところを想像してみてごらんって!」
あまりの想像できなさ加減に普段使わない部署まで総動員して――理は、少しだけ、眉根を寄せた。普段さんざん無茶振りして人を困らせる彼女が、まるでこちらのことなど忘れたかのように誰かに寄り添っていたとしたら。
(いやいやまてまて!?)
胸中をかすめた苛立ちは、彼女の傍若無人っぷりへの怒りだと頭をふって顔を上げる。
顔を上げた先の期待に満ちたまなざしたちを真正面から受け止めて(しまった!)理はようやく己の失態に気が付いた。
「ほらほら、やっぱり主人公たちの名前は理さんとお友達さんだって!」
「だから、そんなことできませんって!」
真っ赤になってすべてに噛みつく理を見ながら、柊はそっと苦笑した。
(女の子の為に小説書こうって思える、それも一種の愛情だと思うんだけどな)
とはいえ理がこの場で認めることはなさそうだし、これ以上つつくと意固地になってしまうかもしれない。
「まあ、いきなりべたべたの恋愛小説っていうのは、難しいよな」
助け舟のつもりで声をかける。
「『愛すること、愛されること、それだけだ。それが掟だ。そのために我々は存する。愛に慰められた者は、物をも人をも怖れない』─―って。そんな言葉がある」
柊の落ち着いた声音に全員の視線が集まったところで、
「物をも人をも恐れない――そう思うにいたるまでの話、っていうのも、書きやすい例ではあるんじゃないか?」
「そう、思うに至るまで……ですか」
考えてみます。
小さくつぶやく理のまなざしは、何かを創造しようとする人間のそれへと変わっていた。
「今日は本当にありがとうございました。みなさんの意見をもとに、考えてみます」
書きあがった作品は必ず見せる。そう約束して、理は立ち上がると、深く、その場に頭を下げた。
●素直な、結果?
ぽいと放られた紙束に、けれどもすぐにそれが見慣れた字体であることに気づいて彼女は眼を瞬かせた。
「きゅんは保証しないけどな」
頬杖をついてあさっての方向を向きながら、そう告げられた言葉に彼女は笑みを浮かべて紙の束を抱きしめる。
彼の耳が赤く染まっているのは、絶対に、見間違いじゃない。
「うん」
たとえきゅんな内容から斜め上の方向に飛んでいても、きっと自分はこの小説にときめきを覚えられるだろうと彼女は思う。だって恋愛なんて欠片も興味ないこの友人が、自分が喜びそうな内容を考え書き上げてくれたのだから。
執筆中のその姿を、想像するだけでたまらない。
「ありがとう、理!」
その声に少しだけ視線を彼女にやって、理は言った。
「――どう、いたしまして」