主が帰ってくるまであと5日となった金曜日の夕方。
なるべく営業に支障のない範囲で、と検討した結果、翌日は入荷もないからと少し早めに閉店となった店内には、依頼を受けた撃退士と依頼人が顔を突き合わせていた。
各々自己紹介を終え、口火をきったのは銀 彪伍(
ja0238)だった。
「どこまでやってぇぇんんか聞いてもええのん?」
どこまで? と首をかしげる依頼人に、にこにこ笑顔を浮かべて続ける。
「いやほら、ウチとしたら猫耳メイドな店員さんが「新刊だにょ☆」とか言うてくれたら喜んで買っちゃうんやけんど」
シーン。
「やめて! ワイをそんな生ごみを見るような目で見ないで!!」
ウチは正常よ―――!!!
両手で顔を覆ってゴロンゴロンと床を転がる彪伍。
気を取り直すように、ユーリ・ヴェルトライゼン(
jb2669)がその笑みをひきつらせながらいう。
「まずは自分の欲しい本を意見として出してみる、という事で良い、のか?」
とはいえ、とユーリは嘆息した。
(正直……人間の好みは若干解り辛いんだけどね)
小さく零して周りの様子を窺っていると、影野 明日香(
jb3801)が「個人的には」と手を挙げた。
「医学関連の書籍を増やして欲しいかな。前線で戦う学園生達も知っておいて損はない知識でしょうしね。他にも銃器を扱う学生も多いからミリタリー系の本も需要あるんじゃないかしら」
あとは歴史書や世界各地の神話に関する本かしらね。
明日香は一本ずつ指を折り曲げ数えていく。
「わりと天魔と戦う際のヒントになることも多いし。逆に最近こちらに来たばかりの天魔の学生向けに人間の文化に関する本を揃えてみるのもいいかもね」
「天魔の学生向けなら一般常識とか、基本的なマナーの本? 必要かな、と思うんだけど」
それから個人的に欲しい本をいうなら、スマホの使い方、かな。
自身の経験を照らし合わせユーリが意見を述べれば、再び元気よく「はいはいはいっ」と彪伍が手を挙げた。
「えっちぃ本! えっちぃ本は!?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
きらきらしい彪伍のまなざしに、訪れる痛々しい沈黙と視線×6。
「ちゃ、ちゃうねん! ワテはお茶の間の皆様に向けて、発信しただけやねん!」
せやからそないな目で見んといてえぇぇえ!
撃沈する彪伍と空気をなかったことにすべく、八握・H・リップマン(
jb5069)が咳払いをひとつする。
「6割が中等部の人間だと言う事を考えれば……本に対する購買意欲、加えて購買力の問題だろうな。8割が学生なら、実用書を少し減らして、雑誌の類を増やしてみてはどうだろう」
「お客様を選ぶ……と言っては何ですが、販売する書籍の多少の偏りは売上を重視するのであれば必要かもしれませんの」
今回唯一の高等部学生、紅 鬼姫(
ja0444)が八握に続く。
「統計的に売上の少ない書籍、例えばそれがエッセイやテレビ、ゴシップ雑誌、実用書なら、現状よりも多少減らしたとしても問題は無いかと思われますの。その減った少量の分ずつ、文庫や漫画等を増やしてみると宜しいかと思われますの」
ジャンルが均等なわりに客層が偏ってるのが問題ね、と明日香も頷く。
「中等部の客が多いなら中等部向けの漫画やファンタジー系の小説なんかを増やしてみるとか。もしくは小等部や大学部の客を引き込みたいなら児童書籍やさらに専門的な分野の本を増やしてみるといいかもしれないわね」
「馨さんはいかが思われますの?」
鬼姫に話を振られ、結城 馨(
ja0037)は「今の中高生のこと、あまり知らないので……」と断りを入れてから、依頼人に売上データを見せてもらえないか、と尋ねた。
「せやせや。何が売れて何が売れてないとか把握しとるん?」
撃沈するのも早ければ復活するのも早い男、銀彪伍。
馨と彪伍の視線を受けて、依頼人はおずおずと一冊のノートを差し出した。
そこに示されていたのは毎日の店全体の売上額――ただの会計台帳である。
思わず依頼人以外の全員が顔を見合わせた。
これは中々、予想以上かもしれない。
そんな空気を敏感に感じたのだろう、肩を小さくさせて依頼人は続ける。
「売れた本のスリップは別に保管していますし、新刊の発売リストに個別に入荷数や返品数を記載したり、というのはあるんですが……データと言われると……」
「ふーむ……胸もデータも無いんやね、よっしゃ虎さんが一から作ったるで!」
落ち込む依頼人の雰囲気を払拭するべくだろう、明るく彪伍が言うが彼女は恐縮しますます縮こまるばかり。
そんな依頼人の肩をたたき、「あの」と馨が柔らかく笑ってみせた。
「よかったら、一緒にやってみませんか」
「……え、で、でも」
データとか統計とかさっぱりで、えと、だから。
わたわたと手を振る依頼人を安心させるように、馨が笑う。
「難しいってイメージがあるかもしれないけど、やってみないと楽しいかどうかも分からないんですよ」
ね? と微笑まれ、彼女は視線を宙に泳がせる。
今までとったことのない統計データをつくり、分析する――ただ漠然と客、すなわち学生の意見を集められればいいやと思っていた自分の予想を超える、現実的な意見に思わずたじろぐ。
できるのだろうか、そんなこと。
店内のトラブルひとつ満足に片づけられなかった自分に?
彼女の脳裏にふと浮かぶのは、信頼を裏切りたくない大切な人。
――あの人に、成長した自分を。
一度ぎゅっと目をつむった依頼人は、決然と顔を上げる。
「やります。ご指導、よろしくお願いします!」
その言葉に、彪伍が口の端を持ち上げた。
「よっしゃ。これでデータ作り終わったら売り上げに応じてスペース配分したらあね?」
ちっちっち、と人差し指を左右に振り、
「配置についても単純に棚に入れるんやなくて横置きにしたりとかせなあきまへん」
新たな視点を提案すれば、八握も「これは売上に関係なくだが」と口を開いた。
「参考書や実用書は一番奥に配置した方が客は入るんじゃないかと思う」
わざわざそんな物を立ち読みしにくる人間は居ないだろうし、居たとしても少ないはず。
そういう物を探している人間は、基本的に最初から購入する事が目的だろう――だからこそ。
「店の前面に手に取り易いもの置いて、客が入っている様に見せるのが重要だな。釣られて入ってくる新規の客も居るだろう」
「ですが、依頼人様は所詮はバイトの身、店主に変わり勝手に蔵書を取り替えるというのは難しいかと思われますの」
鬼姫の言葉に依頼人も頷く。
「仕入れ内容や、棚の大きな配置転換は私の一存ではできません」
ですのでみなさんの意見を基に考えた案を、企画書にして店長に提案したいと思います。
依頼人の言葉に全員がうなずく。
「それなら、子供向けの書物の周囲にキャラクター物のポップをたてる事等をおすすめ致しますの。このレベルならば、依頼人様の一存でも可能かと思われますの」
「ポップ……ですか」
今のスペース、位置を変えない範囲内であれば飾りたてることは可能だ。
ポップについては彼女も考えなかったわけではない。ただ、どう手を付けていいのか、どこから、どんな風に手を付けたらいいのか、彼女にセンスがなかっただけで。
「一朝一夕で持続的に客足が伸びるなんて事は無いんだ」
苦く笑う依頼人に、八握も笑う。
「先ずは、ディスプレイから変える所からだな」
「一押しの本、目立つように置いてみる……というか、こう……目の高さくらいにディスプレイするとか?」
ユーリが近くの棚の本を手に取り、実際に置き換えてみる。
「さっきのポップだけど、本の内容もちょっとだけ紹介文書いてみるとか。読んでみたい、って思う文章……俺は書く自信ないけど」
「面倒だがポップ作りくらいなら手伝ってやろう」
「せやせや、何か言葉考えてーな」
八握の言葉に、彪伍も手を上げる。
相談の結果、依頼人と馨、明日香がデータ整理、八握・鬼姫、ユーリと彪伍がポップをと、二手に分かれて作業を行うこととなった。
売上データを整理する。
ディスプレイを飾るポップを作る。
ほかにできるのはなんだろう?
――作業を開始しながら出てきた話題に、声をあげたのは鬼姫だ。
「立ち読みを禁止し、長時間居座るだけの売上に繋がらないお客様を排除する……というのはいかがでしょう?」
「だけど、この店の客のほとんどは若い学生よ?」
鬼姫の言葉に明日香が首をかしげる。
「長時間立ち読みできない店には近寄らなくなるんじゃないかしら」
「代わりと致しまして一話限りの試し読みの小冊子を置きますの。続きが気になるので買ってみようか? という様に興味を持たせる事が可能かと思われますの」
「アンケート調査もやってみたらいいんじゃないでしょうか」
馨もキーを打つ手をとめ提案する。
どの作品が人気か、周辺で話題になっている作品は? よく見るアニメは?
メディア化された作品、されそうな作品を置いておけば、学生の購買意欲も刺激されるのではないか、と。
「答えた子に飴とかあげれれば、学生も気軽に答えてくれるんじゃないかと思うんです」
「飴程度の景品や、お試しの小冊子なら私の範囲内でできそうです!」
思わず、といった感じで依頼人は声を上げて手をたたくが、すぐに我に返ってスリップの分類作業に視線を戻す。
今の依頼人の作業は出版社別に分類されたスリップの、さらにジャンル毎の分類だ。
「そういえば、この店は希少本を取り扱ってるんですよね?」
馨の言葉に再び手を止め依頼人が頷く。
「えぇ。店長が依頼に応じて仕入れています」
「そういった取り扱いを、もっとアピールすることはできませんか?」
学園の座学担当や、研究員とか。
希少本はその価値もあって一冊売れればその分の収入は大きい。
しばし考えて依頼人は言った。
「こればっかりは、仕入れを担当するのが店長ひとりですから。なんともいえませんね」
「店長さんがどう考えているか、キャパにも限界がある、か……」
明日香が考え込んだ、その時だった。
「ふははははは! ついに……ちゅいに完成だ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
ポップを手に勝ち誇る彪伍と、再び訪れる痛々しい沈黙と視線×6。
「見んといてー! ウチを今見んといてー!!」
ごろごろと床を転がりまわる彪伍に、ぷっと誰からともなく吹き出し笑い声が店に響く。
ひとしりきり笑い終えた馨が、パチンとキーをたたいて言った。
「こちらも台帳のデータ入力、完了しましたよ」
「レジのレシートデータ、年齢別とジャンル別の売上、入力終わったわ」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。まだ、そのスリップの分類もデータ入力しないといけませんし」
年齢別にどのジャンルが売れているかを、売り上げのデータから割り出し、パーセンテージと絶対数の両方を書き出して、店全体のジャンル別売り上げランキングと年齢別の受けの良いジャンルを列挙する――後は、販売数のジャンル別ランキングができたところで、ようやく基礎データの作成が終了だ。
先は長いですよ?
微笑む馨と言われた内容のギャップに一瞬遠くなりかけた依頼人は、しかしぐっと持ち直し、こぶしを握り締めた。
「が、がんばります!」
「つっかれたー」
店の裏口を開け、ひとりの男が入ってくる。
まだ朝早い時間。さわやかな空気とは正反対の暗い茶色のリュックを背負ったその男は、ぼさぼさになった髪を右手でかきむしりながらあくびをかみ殺していた。
「おーい、いないのー?」
てんちょさまが帰ってきましたよー。
店内にいるのかと、男は事務所から移動する。数か月前には見なかったポップやディスプレイを見とめて眼を見開いたところで、耳に馴染んだ足音に視線を上げた。
「お、おおおおかえりなさい!」
「うん、ただいま」
「あ、ああああの!」
「うん?」
「あとで、お話があるんです!」
声が上ずる従業員の、そのあまりの必死さに男は少し微笑んで言った。
「うん。わかった、聞くよ」
でもとりあえずは。
「先に、お店を開けようか」
「――はい!」