――うーん、そうだねぇ。
休みがなかなかとれない、そうぼやいた店主にかつて聞いたことがある。どうして自分のほかにバイトを雇わないのかと。
そうしたら彼は言ったのだ。こともなげに。
「だってもう、君がいるもの。他にバイトはいらないよね」
その言葉がどんなに自分を救ったことか。
その言葉がどんなに――
依頼を受け、カルラ=空木=クローシェ(
ja0471)たち6人は依頼人の待つ本屋へ向かっていた。
万引き犯を捕まえてほしい。そして、盗まれた文献の確保を。
斡旋所で聞いた依頼内容を思い出して、「ハッキリ言って」巫 聖羅(
ja3916)が、猫のようなその瞳を眇めてみせた。
「本来なら警察に通報しなくちゃいけない位に悪質よ? ……まぁ、警察沙汰にはしたくないから私達に依頼が回って来たんでしょうけれど……」
それにしても甘すぎる、と彼女の顔が雄弁に語っている。
「ただの遊びか、買う金が無いのか、それとも買う事を知らないのか。 ……まあ、どれにせよ褒められる事ではないね」
井筒 智秋(
ja6267)が静かに言うのをみて、巫はずっとひっかかっていた疑問を口にした。
「そもそも、大学部の研究員が発注していた文献までどうやって盗んだのかしら?」
「それにぃ」羽鳴 鈴音(
ja1950)も巫のあとに続く。
「女の子向けの雑誌が盗まれてるからって、女の子とは限らないですよねぇ。男の娘かもしれないしぃ、天魔かも?」
天魔ならば保管されているだろう文献が被害にあったのもうなずける。
車イスを器用に動かし後に続いていた御幸浜 霧(
ja0751)も、同じことを考えていたらしい。カルラと顔を見合わせ、羽鳴の意見に同意してみせる。
「天魔にしろ、学生にしろ、法社会において物を盗むのは犯罪です! 捕まえて懲らしめないといけませんね」
エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が拳を握りしめ決意を新たにしたところで、目的の店が姿を現した。
その、わずか十分後。
「はぁぁ?!」
巫の声が、静かな店内に盛大に響いていた。
あっきれた。呟くというよりは吐き出すように言った巫ほどではないにしろ、6人の心は概ね一致していた。井筒などはデフォルトのような不機嫌顔が、驚きのあまり解除されているほどだ。
まぁそれも、一旦息を吐き出すと冷静さが戻ってきたのか、すぐにまた眉間にしわを寄せ始めたのだが。
――店について依頼人と合流した6人は、店を一時休業にし裏の事務所で依頼内容と犯行当時の状況を確認していた。
いわく、犯行は平日の放課後に集中しているということ。
該当の時間帯の常連は学校帰り、特に中等部の学生が多い。店長が不在後から急に現れはじめた客もいないため、依頼人自身、犯人は中等部の学生ではと疑っていたらしい。巫が斬って捨てた学園へ依頼するという判断もそこに起因しているようだ。
それだけならば想定の範囲内だったが、彼女らの予想を裏切ったのはそのあと、大学部の研究員が発注していた文献に話が及んだ時のことである。
「そもそもの入荷が遅れていた文献だったんです。相手の方も首を長くして待っていて。だから……」
だから、を繰り返す依頼人の背がどんどん小さくなってゆく。
はぁ。井筒が吐き出した息にびくぅと依頼人の肩が反応した。
「だから、無防備な店内の作業台の上で、わざわざ貴重な文献を箱から取り出し、あまつさえ目を離したと?」
「あれだけ被害にあっていたのに、危機感がなさすぎます」
カルラの言葉に、返す言葉もないとうなだれる依頼人。
ただでさえ顔が整っているカルラだ。その彼女に表情も硬く言い捨てられれば、そこに込められた迫力はいかばかりか、である。
「それに」と続いたのは御幸浜だ。
「万引き、という言葉はそろそろお止めになりませんか」
これは盗み、窃盗。犯罪です。
はじかれたように顔を上げた依頼人と目を合わせ、御幸浜はにこりとほほ笑む。
「大事になさりたくないお気持ちはわかります。ですが、大事にすることと物事を正しく理解することは違いますわ」
犯人に対して本当に反省を促すのならば、まず己の仕出かした事実をきちんと認識させなければ。
御幸浜の言葉に、依頼人は胸の前で手を握りしめ、小さく、けれど確かに「はい」と囁いた。
状況を把握すれば、あとは実行あるのみ。
張り込みと捕獲、そして捕獲した後に、盗品のありかを吐かせる――作戦が確定し、役割分担の段取りになったところで、まずエリーゼが挙手をした。
「私はアルバイトとして働かせてもらおうと思っています。人間社会で働いてみたいと思ってたので良い機会かなと!」
本屋さんの業務を行いたいのですが、と依頼人を伺えば、かまわないとの返事がかえってきてエリーゼの顔に喜色が浮かぶ。
まさしく天使の微笑みにも表情を変えず、続いてカルラが手をあげた。
「では、私は学生に扮して……と言うか本物の学生なんですけど。立ち読み客を装っての張り込みを行います」
「わたくしも。……あとは、近隣の地理を事前に把握しておく必要がありますね」
逃走経路をいくつか想定しましょうと提案したのは御幸浜だ。
「恐らく、人通りの少ない路地を使うでしょうね。確認して、追う際の参考として皆さんへお渡しいたします。ケツを割らせなどさせません」
「ケツ?」
首をかしげる羽鳴に「何か聞こえましたか?」と笑顔で返す御幸浜。
「う、ううん?! え、えっと、鈴も立ち読みでもしながら店内巡視しましょうか!」
「バイトになるエリーゼはともかく、張り込みはローテーションで行わない? 急に同じ顔ばっかりいても警戒されるでしょう?」
「確かに」
巫の言葉に頷いた井筒が手を挙げる。少しだけ愉快そうに、口の端を歪めながら。
「それから、罠の提案をしたいのだが。……たとえば被害にあったものと同種の希少本を取り寄せ書籍と共にレジ裏などにおくとか、ね」
判断を求められた依頼人は、数瞬考えた後、その提案を受け入れた。希少本の選定は井筒と依頼人で行おうと、一緒に店内の奥にある事務所の中へと消えていく。
残るメンバーといえば、手分けして死角を確認してまわることになった。個人経営ということもあって、防犯カメラは実際には配線が繋がっていないデコイだったが、ないよりはマシといったところ。
一応天魔の可能性も捨てきれないということで、カメラの裏などに阻霊符を罠として隠したところで犯人捕獲の下ごしらえを終え、張り込み自体は翌日の放課後からと決めて解散した。
それから一週間後、本屋にはエリーゼの元気な声が響いていた。
「いらっしゃいませ〜♪」
常連たちはみな新顔のバイトに一瞬びっくりするものの、何事もなく店の中へとはいっていく。
放課後を迎え、小さな店内はそれなりのにぎわいを見せていた。
雑誌のコーナーでは週刊誌を立ち読む小柄な女生徒の姿があり、恋愛小説の新刊を物色しているのはクールビューティな女生徒だ。そして古典文学の棚を物色する青年――いわずもがな、羽鳴にカルラ、井筒である。
ちなみに御幸浜と巫は外で張り込みしている。ふたりとも、不審人物が現れたらすぐに応援に駆け付けられる体制だ。
もちろん店内には一般人の姿もあれば生徒の姿もある。
彼らの間をぬって、エリーゼがパタパタとはたきをかけていた。ゆったりした服を着た者や大きく口のあいた鞄を手にしている客には、さりげなさを装いながらチェックをいれることを忘れない。
今日で一週間、大体の客は把握したが、いまだ犯人と思しき人物は現れないでいる。
『女子生徒がひとり入るわ』
ワイヤレスのヘッドホンから聞こえてきた巫の声に、エリーゼが入口の方へ意識を向ける。
この狭い店内は、入口のすぐそばにレジのスペースがある。
目を向ければ、黒髪で気の強そうな少女が入ってきたところだった。
「こんにちは、里花ちゃん」
レジから発せられた依頼人の笑顔にふいと顔をそらす少女。
事前に依頼人から聞いていた情報と照らし合わせれば、中等部2年の常連客に違いない。張り込み開始してから把握していった常連客の中では、一番最後に現れたといっても過言ではなかった。
「いつも買ってくれてる雑誌、入ってるわよ」
「もう買ったわ。ふろくの鞄までもってるのに気づかないなんてどこ見てるの?」
……もっとも、関係は良好とは言い難そうだが。
極寒の冷気をそのままに漫画の棚へ行く少女とすれ違い、エリーゼはレジへと戻った。
「なんか、怖い人ですね」
依頼人に対して敵意を向けている、すなわち動機がある人物で、いつも買ってるはずの雑誌を既に手に入れている。しかもその雑誌は被害に遭ったものだ。
あやしいとにらむエリーゼを、しかし依頼人は笑って否定した。
「ふふ、でもね、彼女は違うわ」
「そうなんですか?」
あまりにもきっぱり断言する依頼人に目を見開くと「だってね」彼女はそっとエリーゼに耳打ちした。
里花ちゃんは、うちの店長に恋してるのよ。
聞こえてきた声にレジへと目を向けると、ひとりの男がレジ前で店員とやりとりをしているところだった。
何やら男が店員に向かってしゃべると、笑みの形は維持しているものの、店員が困った表情で首を横に振っている。何か無理な注文でもいったのだろうか、と思ったところで、彼女の思考は中断する羽目になった。――男が、店員の手を握ったのだ。
熱いまなざしで見つめられて、店員の頬が赤くなる。
その光景をみた瞬間、自分の思考回路が、一瞬にして真赤に埋め尽くされたのがわかった。苛立ちと、くやしさと、憎しみが混ざり合う感情を、持て余したまま棚を移動する。
この店の死角は全部把握している。
レジから向かって左奥、参考書の棚。
ここは学期始めでもない限り、久遠ヶ原の学生は絶対に近寄らないし、そもそも学生以外の他の客はここに近寄る意味もない。
普段だったら忘れないはずの警戒さえも行わず、目の前の棚から本を一冊ぬきとり、雑誌のふろくだった鞄へ突っ込もうとして――その手が、しっかと、何者かに捕まれる。
「現行犯です。観念するんですね」
「っ!」
銀髪の髪、黒い瞳に射ぬかれて、とっさに捕まれた手を振り払う。強く掴まれていたはずの手は、しかし当人たちの予想に反して振りほどかれ、自由になると同時にその場から走り出した。
が。
どがっ
何かに躓き体制を立て直そうとした瞬間「ひっ」無数の手が自分の身体にまとわりついて離れないことに気付いて息をのむ。
一瞬後、冷たい少女の声が届いたと同時に、己の意識は無理やり消失させられることとなった。
鈍く大きな、痛みとともに。
「……大辞林の、お仕置きです」
あ〜あ、出番なかったわね。
残念そうに呟いた巫は、しかし一転、にやりと凶悪な笑みを浮かべて見せる。
「さて、年貢の納め時よ? 泥棒さん……!」
巫が指を鳴らした瞬間、羽鳴が嬉々としてくすぐり攻撃を開始した。周囲に犯人――里花の悲鳴に近い笑い声が響くが、かまうものはいない。
突然の逮捕劇のあと、店は一時休業。
今この空間にいるのは、カルラたち6人と依頼人、そして犯人である里花だけだ。
エリーゼのグレイプニルによって捕縛され床に寝転がされた里花に、羽鳴のくすぐり攻撃から逃げる術はない。
その奥にはいまだにショックから抜けきれない依頼人と、その横で若干疲れた表情をにじませる井筒の姿がある。
巫は自分の前でくすぐり続ける羽鳴に視線を走らせて、大したものだと嘆息した。
――ん〜とぉ、井筒さん、依頼人さんに迫ってもらえますかぁ?
ワイヤレスの通話機からそんな言葉が聞こえてきた時は一体どうしたのかと思ったが、依頼人の「里花が店長に恋をしている」という話を聞いた羽鳴は、里花を挑発するように提案をしてきたのだ。
里花にとって「店長に留守をまかされている」依頼人の状況は、非常に面白くないのではないか、そう羽鳴は考えたのだ。
もしかして騒ぎを起こせば、店長ははやく帰ってくるかもしれない、と。
里花はそう考えはしないかと。
そうして犯行を実行に移しても、店長が帰ってくる予兆はないし、依頼人にいたっては気にせず自分に笑いかけてくる始末。
なら、そんな里花がもっと苛立つにはどうしたらよいか?
そう考えた末の挑発が、先の発言につながったらしい。
「……里花ちゃん」
ようやく落ち着いたのだろう、依頼人の声を聞き、羽鳴がくすぐり攻撃をやめる。
「いったい、どうして……?」
「どうして、ですって?」
きっと、眦を釣り上げ、里花は依頼人を睨み上げる。
「あんたなんかより、私の方がよっぽとあの人の役に立つのに! それなのにあの人はあんた以外バイトにしないなんていうし、留守なんてまかせるし、あんたはあんたで調子にのって、ヘラヘラヘラヘラ!」
思い出しているうちにだんだん感情が止まらなくなったのだろう、里花の声に、涙の色が滲み始める。
「だから、あんたなんか役に立たないって! 万引きもふせげないバカ者だって、証明したのに! ――なんであの人は戻ってこないし、あんたはヘラヘラしてんのよ!!」
「それでも」
す、とカルラは里花を見下ろし言う。
確かに最初は、叶わぬ恋心からくる嫉妬心だったのかもしれない。
けれど。
「里花さんがしたことは、あなたが好きな人の場所を貶める行為です。たとえそこに、どんな気持ちがあったとしても、決して肯定されるものではありません」
「更生の余地が有ろうと無かろうと窃盗を働いたのは事実、だが僕達は警察でも風紀委員でもないからね、君を罰する権利は持たないよ」
君は君のしたことを、きちんと理解することだね。
顔をそらし口をつぐむ里花に、羽鳴のくすぐり攻撃が再開される。
「きゃははははははははやめてゆるして本は無事だからちゃんと返すからきゃははは!盗んだものは全部寮の部屋においてあるからぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ぇ?吐いたからって許すわけないじゃないですかぁ?」
「やめていやぁぁぁぁぁぁきゃははははははははは!」
こうして。
くすぐり地獄がひとしきり終わったところで、再犯はしないと念書をかかせ、巫の監視とエリーゼの捕縛の下、盗品を無事依頼人へ届けさせるのを見届けて事件は終わった。
店を出てうーんと伸びをするカルラに、御幸浜が声をかける。
「カルラ殿、この後の予定は空いてますか?」
「……大丈夫です、けど」
「なら、一緒にお買い物などいかがでしょう。わたくし、新しい服を数点見つくろいたいのです。見立てていただけると幸いなのですが……」
御幸浜の言葉に、カルラも笑顔でうなずく。
他のメンバーと別れを告げ、ふたりは商店街の方へと歩みをすすめたのだった。