日が落ちた途端、街には不気味な気配が漂い始めていた。
立ち並ぶ家々の窓にはカーテンが引かれ、物音一つしない。だがかすかに漏れ出ている人工的な光が、中に住民がいることを示していた。
何かがある。
そう思わせる静けさの中。
「ぎゅぎるゅりゅ」
どこからか奇妙な音が聞こえてくる。頼りない街灯に映し出された音の正体は、異形。
獲物を求める飛び出た目はぎょろぎょろと動き、赤い赤い身体には白い模様がまるでサンタクロースの衣装であるかのようについている。そこだけみるとコミカルなものに思えるが、右手に持った白い袋……いや。巨大なハサミに染み付いた赤黒い何かを見れば、それがどういう存在であるか察せられる。
ソレはまるで人間のように2本足で街を歩いていた。巨大な右のハサミを地面に引きずり、不気味な音を響かせながら。
血走った赤い目は空腹を訴えるように宙をさまよい続け、そして――。
警察から入手した情報を元に捜索エリアを大きく4つに分け、2人ずつチームを組み、班それぞれで地形やルートの確認、準備を昼間のうちに行った。
そして夜7時に再び集合して作戦を確認後、班ごとに捜索を開始。静かな住宅街に、8人の足音だけが響く。
「綾瀬だ。接敵した。現在地の確認を頼む」
綾瀬 レン(
ja0243)がスカイプでその情報を知らせたのは、そろそろ日付が変わろうとしていた時だった。スカイプ越しに、誰かが息を呑む音が聞こえてくる。
すぐさま落ち着いて返答したのは、或瀬院 涅槃(
ja0828)だ。
『作戦通りに誘導場所へ。いけるか?』
敵へと背を向けて走る玄武院 拳士狼(
ja0053)は、涅槃に返事をしようとしたが
「ぐっ」
予想以上に素早いカニの突撃に足を止めた。巨大な白いハサミを腕を交差して受け止めた玄武院に、別の足が鞭のようにしなって迫る。
「玄武院! くそっ」
気配を消していたレンだったが、やむを得ずピストルを撃つ。静かな住宅街に不釣合いな発砲音が響き渡った。カニが音に驚いたように飛び退り、1つの目が綾瀬を捉えるも逃げる様子はない。
口からはぶくぶくと泡が出、赤く充血した目は爛々と輝いている。相当腹が減っているようだ。
『おいっどうした?』
「予想以上に敵の動きが素早い」
南雲 輝瑠(
ja1738)が異変を察知して声をかけてくる。拳士狼は体勢を整えつつ答えた。その間も敵から目は離さず、レンにカニの背後へ回り込ませる。
『なら場所をAの3へ変えましょう。玄武院さんは敵をひきつけて、そこから右に』
「分かった」
石田 神楽(
ja4485)が誘導場所の変更を全員に伝えている間に、拳士狼はカニへと拳を当て注意を自分へひきつける。再びカニの目が自分へと向いたのを見て走り出した。カニはその後を追いかける。さらにカニの後ろからはレンが追い立てる様ピストルを撃つ。
「綾瀬、次はどっちだ!」
「左……しゃがめ玄武院!」
レンの指示通りに道を曲がろうとした拳士狼に、ブォンと音を立てながら左のハサミが振られた。レンの声でいち早く気づいた拳士狼がしゃがむと、頭上を通り過ぎたハサミが住宅地の壁に深々と突き刺さった。しかしカニの攻撃はそこで終わらない。急にしゃがみこんだ無理な体勢のままの拳士狼に、カニが身をかがめて噛み付こうとしてきた。拳士狼は地面を転がってそれを避ける。
カニがその後を追うように他の足をめちゃめちゃに振り下ろそうとするのを、レンが援護射撃で阻止した。その間に拳士狼は立ち上がり、カニから目を離さぬままじりじりと後退していく。誘導場所まで、あと少しだ。
その様子を、誘導場所で待機していた雪室 チルル(
ja0220)とアーティア・ベルモンド(
ja3553)が見つけた。だがまだだ。包囲完了の声は聞こえない。チルルが悔しそうに唇を噛み締め、アーティアが息を整える。2人はまだかまだかと耳へ意識を向けた。
「ついた! 包囲は?」
『もう少し……今敵の姿を確認した』
誘導場所として決めていた十字路にカニがやってくる。スカイプから輝瑠の声がした。拳士狼は防御に徹し、ひたすらにその時を待つ。カニが唐突にハサミをめちゃくちゃに振り回し始めた。
受け止めた拳士狼だったが、その巨体が宙を浮き、吹き飛ばされる。しかしその時、
『こちらD班、すまない、たどり着いた』
『C班もオッケーだぜ』
「待ってたわ! いくわよカニサンタ」
一番最初に飛び出したのはチルルだった。勢いよくカニの頭上へと一撃を加える。
「ぎゅるり?」
「嘘、効いてないっ?」
しかし硬い甲羅に阻まれ、カニはただ不思議な声を上げてチルルを見た。
カニの充血した目が拳士狼から新たな獲物へと移り、攻撃後の無防備な彼女に巨大なハサミが向かう。
「させません!」
アーティアがそうはさせじと、光弾をハサミに当てて軌道を逸らせる。
「りりりりりゅっ!」
カニが痛みを訴えるように悲鳴を上げのた打ち回った。その間に後ろへ下がったチルルがショートソードを構えなおして頷く。
「魔法が効くのね。ならあたいが気を引くから、ベルモンドは後方からお願い」
「はい」
「こっちよ、カニサンタ! あたいがかにすきにしてあげる」
チルルがしゃがんだ後、全身のばねを使って飛び上がり、足の一本を狙って武器を振るう。
攻撃は見事に当たったものの、足の表皮もまた硬い。カニはチルルを追いかけて攻撃を加えようとするが、その一瞬をついてベルモンドが光弾を当てる。
「やりぃどんどん行くわよ」
再び悲鳴を上げたカニが、ひどく暴れた。巨大なハサミ、触覚、何本もの足が滅茶苦茶に振り回され、追撃しようとしていた2人の身体を遠くへ弾き飛ばし……カニはすべての足を地面につけ、逃げ出した。その先にあるのは
「マズイっ。マンホールをふさげ!」
意図に気づいて叫んだ輝瑠だが、彼の位置はマンホールとは逆方向だ。
「ああ、逃がしてたまるか」
そんな輝瑠に応えた涅槃がリボルバーを敵の足元へと射ち込み、ひるませる。その隙に紫藤 真奈(
ja0598)が回り込んでカニの突撃を刀で受け止めた。
が、その顔は苦しげだ。地面についた彼女の足がじりじりと後ろに下がっていく。
「ぐぅっカニのくせに馬鹿力、ですね」
涅槃が援護しようと、カニを攻撃するが甲羅に弾かれる。
「ぎゃりるりぁ!」
口から噴出している泡を周囲へ飛ばしながらカニが再び大きく暴れた。ハサミを受け止めた状態で身動きできない真奈の左脇腹に、もう1本のハサミが突き刺さる。
「紫藤!」
「このっぐらいっ」
悲鳴をぐっとこらえた真奈は足を踏ん張り、耐える。しかしカニは口を大きく開けて彼女に迫った。カニの口からはなんとも表現しがたい腐臭が漂ってくる。何の匂いかなど、考えたくもない。
それでも真奈は目を閉じなかった。なぜならば、
「はあああっ」
仲間がいるからだ。
気合の声と共に加えられた輝瑠の一撃はカニの横に入り、体勢を崩させる。その隙に真奈は激痛に耐えてハサミから己の身体を抜き取り、飛び退った。カニは逃すものかと再び彼女へ向かおうとするが、
「ふふ……ようこそ、私の射程圏内へ」
事態に似合わぬ微笑みを浮かべた神楽の射撃に阻まれる。動きを止めたカニの足に、今度はレンのピストルが命中する。関節に当たった弾は弾かれることなく、カニの体液と足をアスファルトに落とさせた。
「さすがに関節は効くらしいな」
冷静に呟くレンは、味方の位置を確認して、ニッと笑った。
「紫藤、大丈夫か」
「これぐらい、問題ありません。玄武院さんの方こそ」
真奈の隣に立った拳士狼が、ムッと口を閉じて拳を構えた。会話は苦手なのだ。そんな拳士狼に真奈は笑った。
「ありがとうございます。でも今は」
「倒すのが先、か」
2人の目が真っ直ぐカニへ向かう。
「やるじゃないの、カニサンタ! あたい怒ったんだからね!」
「すみません。私たちは大丈夫です」
「カニだけあって、上から狙うと的がでかくなるってな」
チルル、アーティアが戻り、涅槃は壁を登って射線を確保していた。包囲は出来上がっていた。
「包囲はできましたが、皆さんくれぐれも油断はなさらないように」
神楽の言葉にみな頷いた。
「今日はかにすきって決めたのよ!」
一番最初に突撃したのはチルルであった。小柄な体格を活かし、敵の死角をついて攻撃している。
「あれは食べられないかと思いますが」
本気なのか冗談なのか。少し判断に迷う言葉を呟いた真奈は刀を構えなおし、チルルに迫っていた足を受け止めた。
「…………」
拳士狼は無言のまま、さらに動いた別の足を掴み、動きを止めた。そこにベルモンドの光弾が当たる。
「離れてください」
暴れ出そうとするカニへ神楽は容赦なく攻撃を加えて足がまた1本、地面に落ちる。カニの2つの目がバラバラに動き、後方で意識を集中させているベルモンドの姿を捉えた。殺気が彼女へと放たれる。
少なくなった足で跳躍しベルモンドの前に立ち上がったカニは、凶悪なハサミを振り下ろす。
「させるか! ぐっ」
輝瑠がハサミを受け止めたものの、他の足が彼の身体を捕捉する。硬い足の先が身体に突き刺さり、逃げることを許さない。再びカニの口が開かれて今度は輝瑠を飲み込もうとする。
「南雲、身体を反らせ!」
涅槃がそんな輝瑠に指示を出し、輝瑠は痛みを堪えながら身体を反らした。先ほどまで輝瑠の頭があった位置を銃弾が通り過ぎ、カニの腹へと突き刺さる。カニの腹から血が吹き出た。
カニの拘束が緩んだ瞬間に、輝瑠は素早く拘束から逃れ自分の状態を確認する。血は出ていないが、あばらがいったかもしれない。呼吸をするたびに痛みが走る。
それでも、
「もう犠牲者は、出させない」
カニを睨みつける輝瑠の赤い目から、戦意は消えなかった。
「ああ。もう誰も」
静かに同意する拳士狼の拳が力強く握られた。レンはそんな彼らの様子を見て息を吐き出す。
「……ま。俺は仕事をこなすだけさね」
再び動き始めたカニの動きに、最初の俊敏さは無い。それでもまだ体力があるのか。かちかちとハサミをうちならしている。
「あのハサミが厄介ですね」
「ならあたいが切り落としてやるわ!」
「お手伝いします」
チルルが神楽の言葉を受けて、突撃していく。真奈もその後を追いかけ、刀を振るう。どこか落ち着いた雰囲気をもつ真奈だが、戦い方はその雰囲気とは真逆でがむしゃらだ。そしてチルルもまた、頭で考えるよりも先に身体が動くようだ。
そんな2人へ迫る攻撃を拳士狼の拳が、輝瑠の刀が阻止する。
カニの動きが止まればアーティアが確実に光弾を当て、射撃班の3人は前衛のフォローをし、余裕があればハサミや足の関節、腹を狙った。
最初はぎこちなかった連携も、次第になれたのか。声をかけずとも互いの動きが読めるようになってきた。
そして、チルルの攻撃で重々しい音共にあの巨大なハサミが地面に落ち、
「終わりです」
アーティアの光弾がカニの腹に命中した。カニは耐え切れずひっくり返り……そのまま立ち上がることはなかった。
「やったのか?」
「分からない」
涅槃のいまだ緊張した声に、輝瑠は警戒したままカニへと近寄り。飛び出た目玉が淀んでいるのを確認した。輝瑠が全員を見渡して頷くと、あちこちから安堵の息がこぼれた。
「紫藤大丈夫?」
「ええ、なんとか」
さすがに体力が限界だったらしい。座り込んだ真奈にチルルが駆け寄る。輝瑠もまた、苦痛を思い出してうめく。
「…………」
「ん? どうしたんだ、玄武院?」
目をつむり、被害者へ黙祷をささげている拳士狼の様子を勘違いした涅槃が、心配そうに駆け寄った。その涅槃を見たアーティアが口元を押さえ、なぜか目線をそらし肩を震わせている。
「ベルモンドさん? どうし」
神楽がどうしたのかと声をかけようとし、黙り込んだ。微笑みはそのままだったが、なんとも言いがたい雰囲気をまとう。
おかしな2人の反応にチルル、真奈、輝瑠が駆け寄ると、まずチルルが遠慮なく噴出し、真奈は納得し、輝瑠が困った顔をした。目を開けた拳士狼は、ひたすら無言を貫いている。
「どうした。おれの顔に何かついているか?」
当の本人はわけが分からず、目を瞬く。周辺を警戒しつつみんなの下へとやって来たレンが、冷静に。しかしどこか笑いながら言った。
「ああ。懐中電灯が頭に、な」
手ぬぐいで固定された懐中電灯が、夜の街を元気に照らしていた。
その後、一行は数日間あたりを巡回したが、どうやらあの一体だけだったと判明。行方不明者は残念ながら見つけられなかったものの、誰も欠けることなく任務を終えて無事に帰還した。
そんな彼らの元に、ある日手紙が届いた。あの街の住民たちからだ。
「ありがとう、か」
「クリスマスについてない、と思ってたが」
「ふふ。いいプレゼントがもらえましたね」
「サンタもいい仕事するじゃない」
「ああ、そうだな」
「これはたしかに嬉しいですね」
「ふっスタイリッシュに決まったな」
「スタイリッシュは関係ないような……でも嬉しいことです」