●おかん……あ。お母さんという意味じゃなく。
「人形って作ったことないんだけど、大丈夫かな?」
そう不安を漏らしているのは雪室 チルル(
ja0220)だ。張り切って依頼を受けたはいいものの、人形など作ったことがない。いつも元気いっぱいのチルルも、さすがに少々不安らしい。
そんなチルルに鎌海 健人(jz0081)がプラカードを見せる。
【わわわっ分からない事は聞いてくだしゃい!】
どうやら励まそうとしているらしいが、急いで書いたからか字が大分歪んでいる。
一生懸命に張り切っている健人の姿を見て、志堂 龍実(
ja9408)が小さくつぶやく。
「さて、頼まれた以上しっかりこなさないとな……それに健人が頑張るんだ、自分も負けてられないさ」
龍実の気合いの言葉を隣で聞いていたフィン・スターニス(
ja9308)は、密かに今回の依頼を楽しみにしていた。
実は文化祭や合宿的な雰囲気を体験するのは初めてなのだ。
(それに龍実さんと一緒の依頼を受けられるなんて)
楽しげな空気を恋人と一緒に味わえる。それはとても幸せな時間。
「でも部員全員が体調不良って……もしかして第38手芸部隊、狙われてる?」
首をかしげながらの紺屋 雪花(
ja9315)に、フィンはすぐさま意識を切り替えて頷いた。顔が少し険しくなる。
「ええ……少し、用心したほうがいいのかもしれないわね」
「むぅ。邪魔する人がいるんですか。アサ、負けないでたくさん作ります!」
話を聞いていた小さな影、花石 麻七(
jb1335)の言葉に、みんな目を優しく細めてから頷いた。
健人の案内で第38手芸部隊の部室にたどり着く。
【材料がこちらに】
健人が説明途中で首をかしげた。
「どうかし……まさか!」
様子をおかしく思った龍実が健人の手もとを覗き込むと、そこには茶封筒のみがあった。布や糸、綿などは見当たらない。
「これで妨害があったというのは、ほぼ確実ですね」
水屋 優多(
ja7279)が眉間に少ししわを寄せて息を吐きだし、美森 あやか(
jb1451)を振り返った。
「あやかさんが部長に泊まり込みの申請してくれて助かりましたよ。この調子ですと、誰もいない夜にやられてしまいそうですし」
『妨害があったのなら、泊まり込みした方が良さそうですわよね』
そう考えたあやかがあらかじめ泊まり込みの許可をとっていたのだ。
いざという時のため、いつでも連絡を取り合えるように携帯番号も交換する。
「じゃああたいが買いだしに行くわ」
チルルがあらかじめ調べていた店へと買い出しに行っている間、健人は他のメンバーに部室の中を説明していた。
すぐチルルが帰ってきたので作業を開始する。
「特技で誰かの役に立てるのは、嬉しいです」
沙 月子(
ja1773)が慣れた手つきで針を動かしながら呟く。横で健人もコクコクと頷いていた。
(それにしても健人くんだけ無事なのは、何か理由があるのかな……キグルミ?)
雪花も、周囲を警戒しつつ人形を作る。
愛らしい動物たち。猫・犬・兎・豚・熊・もふら様。
3人はとても簡単そうに作っていた。まるで魔法のように次々と。
「アサ、ひよこさん作るです。黄色の布を切ってもらっていいですか?」
「えっと、こういう感じで切ればいいのね?」
チルルは麻七の隣で作業の手伝いをしていた。他のメンバーからも声をかけられれば型通りに布を切っていく。できた人形を袋にいれるのも忘れない。
「んんん〜ん〜」
小さく口ずさみながら作業をしているのはフィン。裁縫は得意らしく、動きに躊躇はない。龍実がそんなフィンを優しく見つめながら現在制作中の人形――デフォルメされた鯨を見下ろす。
「しかし文化祭か……成功させてやりたいな」
そう微笑み合いつつ、フィンは密かに彼へと渡すイルカの人形も作っていた。
「……やはりあやかさんは裁縫お上手ですね。お誘いして良かったです」
「そんなことっ。人並だと思います」
黙々と人形を作っていたあやかの手さばきを見て、優多が感心する。あやかは顔を真っ赤にして否定するが、実際その手際は良い。
だが当人は自信がないようだ。
優多も決して下手というわけではないが、型紙作りや今ある人形のラッピング作業で目を離したすきに可愛らしい人形が出来上がっていた。完成品の質も、良い。
(……とにかく私はあやかさんが体調を崩されないように気をつけましょう)
優多は時計を見上げ、声をかける。
「あ、みなさん。少し休憩しませんか?」
作業開始からすでに数時間がたとうとしていた。
そうして休憩時間、雪花と優多と龍実の3人は廊下を歩いていた。
ただ昼食を作りに行くだけなのだが、1人になるのは危険だからだ。
「季節的に温かい汁ものをっと言いたいけど、作業のことも考えると……」
『あらん、素敵な殿方(はーと)』
『お姉さま、私どの方にしようか迷ってしまいますわ』
ぞくり。
背筋を冷たく気持ち悪い何かが駆けあがっていく感覚に、3人は思わず後ろを振り返り身構えた。
何もいない。声や物音が聞こえたわけでもない。
(気のせいでしょうか……いえ。でもあの感覚は)
何かがいる気配は感じ取れないが、全員撃退士だ。3人同時に感じたそれが気のせいとは思いにくい。
(妨害者かっ?)
緊張が走る。
【ああ、まだこちらにいらしたんですね】
廊下の向こうからやってきた健人が首をかしげたことで寒気が去っていった。
「えっと……ケントくん、どうかした?」
【ボ、ボクもお手伝いできることがあればと】
健人が来てからは悪寒を感じることはなかった。
●
「すみません、最近こういう被害がありまして」
月子は間違えて咎釘を使ってしまった人に頭を下げてから、人形制作の妨害について説明した。相手は何とかそれで引き下がってくれ、ホッと息を吐きだす。
部室内の空気は少々ピリピリとしていた。
さきほど昼食をとったのだが、その飲み物に何かが混入されていたのだ。
だが健人と麻七のものには入っておらず、全員で首をかしげる。
偶然なのか。わざとなのか。
「他人がひと針ひと針真心込めて作ったものを穢すとするなんて、恥知らずにも程があります」
月子が怒って見下ろしているのは、破壊された人形だ。さきほど野球部のボールが窓から入ってきたのだが、そうして意識が逸れた瞬間に人形が入れられた箱が傷つけられていた。
「みんな頑張って作ったものを壊すなんて許せないわ!」
チルルも同意して怒っている。いや、全員の気持ちは同じだ。
「汚れ防止にはビニールで良いとして……こういった破壊防止はどうしましょうか」
「なるべく硬い箱……あとダミーを用意するのはどう?」
「そうだな。あとは俺たち自体を狙ってくる可能性も高いな」
「……そういえば、私を含め男子の方は悪寒を感じることもあるのですが、健人さんは大丈夫ですか?」
【悪寒? 風邪ですか?】
首を傾げる健人に説明する。どうもあの悪寒は男子(健人以外)だけが感じるらしい。
「だとすると……ケント君。キグルミの中に人形隠すのってできる?」
【えっと……できると思います】
「あと俺たちが着れそうなキグルミある?」
その後は雪花の提案で健人の中に隠せるだけの人形を隠し、雪花もキグルミを纏ってみた。
そうしてキグルミを着ている間、彼が悪寒を感じることはなかった。
「これだけの人数がいれば大丈夫だと思いますが、油断は禁物ですね……多少のオマケはゼロ久遠でサービスです」
月子は妨害にはとても怒ったものの、裁縫作業は好きなのだろう。飽きることなく楽しげに針を動かしている。
それだけでなく
「ウサギが20、熊が11……」
全体で出来上がった数と種類を確認し、それに応じて次に作る人形を決めていた。
こうして全体を見回せる余裕があるのも、月子が裁縫を得意な証しだろう。
「ひよさんいっぱい作るです〜。みんな喜んでくれるといいな〜」
「大丈夫よ! 絶対喜んでくれるわ! あたいが保証するわ!」
「ほんとですか。えへへ、なら嬉しいのです」
また1つヒヨコを生み出した麻七に、チルルが胸を張って答えた。なんでこんなに自信があるかは謎だが、麻七はそれで自信がついたらしい。
最初はその幼い外見から心配げに麻七の作業を見ていた他の面々も、そんな2人のやり取りに微笑んだ。麻七は裁縫が上手だった。時折チルルに教えている。
「ここはこう縫うと、外に糸が見えなくなるのです」
「え〜っと、こう?」
基本チルルはサポートに徹していたが、数にも余裕ができてきたので作業に参加していた。裁縫技術が少し上手くなったかもしれない。
「あたしも負けていられませんわ」
基本的に黙々と作業していたあやかも、やる気を再確認して縫いあげていく。
可愛らしい人形を作っているからか。その頬は自然と緩んでいた。
「さて、こんな感じでしょうか」
あやかの様子に注意しつつ、優多はダミーの箱に鈴を入れていた。誰かが触ればすぐに分かるように、だ。
それからようやく作業へ。優多自身、家で裁縫は自分の役目だったので苦手ではない。
部室内は仲良くみんなで助け合いながら作業を進めていった。
その後も警戒を続けていたが、2日目まで何事もなく終わった。ノルマはすでに達成している。
後はこれを守り続けるだけ。
●見張り
夜の泊まり込みは班ごとにすることになっていた。本日はフィンと龍実だ。
「夜の学校に泊まり込むのって新鮮」
「だね」
フィンは笑顔で龍実を振り返る。
「雪花さんが作ってくれた蒸しパンは美味しかったね」
「うん……でもその後飲み物に何か入ってて、ゆっくり味わえなかったのが残念だよ」
あれ? 今の季節ってなんでしたっけ? 春?
天の人が遠いところを見始めたころ、鈴の音が鳴り、2人は寝袋から飛び起きた。
「待て!」
暗闇の中、見知らぬ人影――かなり大きい――が2つ。追いかけようとするがすぐに消えてしまった。
今この場にいるのは2人。人形から離れるわけにもいかない。
「龍実さん、どうやら盗まれたのは偽物の箱だけみたい」
「そうか……良かった」
「でもあんなに近くでも気配が分からないなんて」
かなりのやり手だ。
(それにしても、先ほどの影……やたらとヒラヒラした服を着ていたような)
●あーゆーれでぃ?
さて最終日である。
……経過が早いのは気のせいだ。
「直接的な手段に出て来たってことは、逆に罠にはめられないかな?」
翌日、妨害者たちのことを聞いた雪花がそう言った。
「悪い人たち捕まえるです?」
【え? だだっ大丈夫ですか?】
麻七が首をかしげ、健人が不安げな顔をする。
「たしかに、このままでは毎年被害を受ける可能性もあるしな」
「しかしどうしますか?」
話しあった結果、雪花は自ら囮になると言った。龍実がそれを聞いて自分も行くと告げる。
「あたいも行こうか?」
「ああ……少し時間経ってから来てくれ。同時には怪しまれるだろうから」
心配そうな顔をする仲間たちに2人は大丈夫と笑い返し、廊下へと出て行った。
「……何事もないとよいのですけれど」
「アサはその間、このお人形さんたちを守るです!」
「ええ、そうですね」
残ったメンバーは、囮班のサポートに向かう者とこの場で守る者とに別れる。
ぞくり。
そしてこちらは囮班。早速、あの寒気が襲ってきていた。
神経を研ぎ澄ませる。
詳細な位置は、やはり分からない。しかし方角だけは何となく特定できた。
(あちらだな)
2人は同じ方向を見て頷きあった。
『え、恨まれる心当たり? さあ?』
部長に話を聞いた時のことを思い出す。最初は首を捻っていた部長だったが、1つ思い出してくれた。
『そういえば去年の文化祭で――』
その時の話と、フィンが見たという影の姿。それらは見事に一致した。
ぞくり。
気配が強まり、2人の視界を影が覆った時、雪花が声を発した。
「レディ達、何でこんな事を?」
ぴたり。
影が動きを止めた。
「……良かったら、訳を聞かせてくれないか?」
その言葉に影――河合物数奇子(かわいぶつ すきこ)と桃野香(ももの かおり)は、ごっつい。
げふん。失礼。
えー、引き締められた身体をくねらせながら、迫力ある……げふん。また失礼。澄んだ瞳を潤ませた。
「……ああん、だああありぃぃぃん」
男泣……愛らしい泣き声を上げながら……。
この後起きたことは、口にはできない。
●
「ごめん遅くなった。大丈……何その張り紙? 何かあったの?」
「いや、その」
部室へと戻ってきた龍実と雪花だったが、雪花はなぜか気絶しており、さらに背中に張り紙がされていた。
『数奇子と香のダーリンv』
尋ねるチルルに、龍実はただ言葉を濁すばかり。あやかが慌てて雪花に駆け寄ってライトヒールをかけているが、目覚める気配はない。
「ほんとに、一体何が」
「ふぇ、え〜〜〜んっ」
もう一度聞き直そうとした時、麻七が泣きだした。そしてチルルとフィンの後ろに隠れてしまう。
「麻七さん? どうし」
「お嬢ちゃん、どうしちゃったのかしらん?」
「酷いことしてしまったから、怒っているのねん」
低い声とともに、部室へ入ってきた巨漢たちに誰もがギョッとした。鍛え上げられた肉体を包むのは愛らしいロリータファッション。
「えっと……! 酷いことしたって、もしかして」
我へと帰った月子がいうと、2人の巨漢は申し訳なさそうにその身体を縮めた。
それから事情を説明し出した。
去年の文化祭。2人は第38手芸部隊の店に行った。2人とも可愛い人形に目がないからだ。
しかしそこで
『なにあれ、きもーい』
人形を手に取った2人へとかけられる心ない声。
見た目は、たしかに少々分厚いかもしれないが心は繊細。その言葉は2人の中でトラウマとなった。
それ以後人形を見ないようにしていたのだが、再び文化祭がきてしまった。今年はそんな思いはしたくない。
だからこそ、出店を阻止しようと妨害したのだと言う。
そして可愛いもの好きな2人には、着ぐるみの健人や幼い麻七は襲えなかったようだ。
部長はその話を聞いて、
「そういうことでしたか……頭を上げてください。私は怒っていません。他の部員も事情を聴けば同じことを言ってくれるでしょう」
部長は微笑んでそう言い、助っ人を振り返る。
「どうか許してあげてくれないでしょうか」
部長にそう言われてしまえば、何も言えない。
「周りの声など気にせず、今年も我が部の人形を楽しんでいってください」
「ありがとうっ本当にありがとう」
2人が涙を流しながら部長と握手した。
「……あの、紺屋さん。まったく目覚められないのですが」
あやかが困った顔をして言う。
【だだっ大丈夫ですか?】
健人がゆすっても反応はない。
「だーりんのことは任せて」
「わたくしたちが介抱するわん」
ちなみに大目にできあがった人形は、持ち帰っても構わないと言われ、各々好きなものを持ち帰ったり、大切な人にあげたりしたのだった。
めでたしめでたし?