●壊れた音
にちり。
「美味しいかい?」
にちり。
「ふふっ行儀が悪いよ。そんなに頬っぺたにつけて」
にちり。
「まだいるのかい? 美香は食いしん坊だなぁ」
にちり。にちり。にちり。
音がする。
壊れた音がする。
『日常』が壊れた音? ――いや、違う。
『ごはん』が壊れた音? ――いや、違う。
にちり。にちり。にちり。……ごくん。
「ああ、美香。美香。美香……アイシテイルヨ」
それは――ある男の愛が、壊れた音。
●愛の行方は誰も知らず
現場に急行した面々が見たのは、商品が散乱し、人っ子ひとりいない静まり返った商店街の姿だ。
衣服や食べ物は大勢に踏まれたのか泥にまみれており、恐慌状態に陥っていたのがよく分かる。静まり返ったその場所が、たった数十分前にはとても活気にあふれていたとは思えない。
ただまあ、それだけならばまだよかった。物が踏まれて汚れてはいるものの、大きな血痕がないということは、無事に逃げられたという証しだからだ。
「――これはまた、随分と好き勝手をした物だ」
奥へと進んだ先でソレを見た時にアレクシア・エンフィールド(
ja3291)が浮かべたのは、呆れであった。
目線の先にはマネキンの腕が転がっていた。血を流したマネキン人形が、虚空を見つめていた。
「酷い、どうして」
シャノン・クロフォード(
jb1000)が口もとを押さえる。マネキンに近づいた苧環 志津乃(
ja7469)はそっとその瞳を閉じさせた。
「海島さんと村井さんは……今、幸せなのでしょうか」
「分かりません。愛する人を失った時の気持ちも、私には……ですが、今回の事が間違った行為だということだけは分かります」
そう言ったのは御影 茉莉(
jb1066)だ。志津乃が目を伏せる。
(村井さんは、海島さんの助けを信じながら亡くなったのでしょうか。
サーバントとなっても、彼がそばにいることを幸福に感じているのでしょうか。だとしたら……いえ。だとしても)
「人には踏み外してはいけない道があります……ましてや撃退士であったのならば」
リョウ(
ja0563)が頷きを返した。
「自らの愛に負けたか。『生き返らせたい』と想うまでの愛は本物だろうが、喪われた命は戻らない。撃退士ならば何より知っていた筈の事だろうに……。
だから、それを護る為に俺達は――」
「……ああ美香、見てごらん。活きのいい『ごはん』が来たよ」
そんな声に顔を上げれば、写真で見た男と彼女がそこにいた。彼女――村井美香の口もとには血が見える。一体何をしていたのかは、先ほどの光景が物語っていた。
(あの血は……やはり食べたのか)
できれば外れて欲しかったと星杜 焔(
ja5378)は、悲しげに眼を伏せた。
「これはまた……食事のマナーがなってないことで」
クラウス・ノイマン(
jb1481)が男、海島拓真をあざ笑うかのようにそう言った。琢磨にも聞こえたはずだが、何の反応もなかった。ただ愛おしげに美香の口を綺麗にぬぐっていた。
「シーカー‥‥愛する者を‥‥‥‥でも、私は‥‥秩序を乱す者を‥‥でも」
小さく呟く夏野 雪(
ja6883)の心は、彼らの姿を見てもなお揺れていた。彼らは秩序を乱すものだ。それは間違いない。
だが
(私は彼を……悪とできるのだろうか)
もしも自分が同じ立場になった時。愛する人が亡くなった時、自分は――!
「愛するが故に人として道を踏み外す……切ないですね。外道に堕ちてしまった貴方を見て、彼女はどう思うでしょうか?」
「ああっ良く喋る本当に活きがいい『食材』だね。早く料理しなくちゃ」
カーディス=キャットフィールド(
ja7927)の声は、ただ拓真を素通りする。
もう拓真に言葉は届かないのだろうか。
そうして一歩踏み出し、銃を持つ手に力を入れた拓真に呼応したのか、美香がその姿を変える。ただの人であったその姿が、まるで白い鎧を着た戦乙女のように。
右半身は硬く盛り上がり、もう人のそれではなかった。
「美香も手伝ってくれるのかい? ありがとう」
「…………」
「嬉しいなぁ。2人で料理なんて久しぶりだから」
それを見た森田良助(
ja9460)の怒りが爆発した。
「自分が愛した人の気持ちを考えろ! 化け物になってまで生きたいと思うか!」
黒い瞳が拓真を睨む。彼にも大事な人がいる。だからこその怒り。
「――化け物?」
その声に、拓真は初めて反応した。浮かんでいた笑顔が消える。その目に浮かぶは怒り。拓真が良助へと銃を向ける。
それが、開始の合図だった。
「それ、でも‥‥私は‥‥私は、使命を‥‥全うしなくちゃ‥‥私は‥‥盾なのだからっ」
雪が駆け抜け、その銃弾を受け止める。震える手で、必死に盾を握りしめた。悲しみに揺れる瞳を、2人に向ける。
「憂いな、然しそれ故に愛い。
最愛の者を喪ったが故の選択。汝の想い、胸を打つよ」
アレクシアが言いながら飛びだした。手に握る鋼糸が、まるで生き物のように拓真へと襲いかかる。
「だが哀しいかな――撃退士として非日常を駆け抜けた分、人としての在り方を忘れてしまった様だ。
――死を想え。それは生に真摯であると言う事だ」
細く硬い糸が拓真を切り裂く……しかし
「……浅いか」
情報通り、防御が厚いようだった。拓真は身じろぎもしない。
「…………!」
「させないっ!」
その時微かにした物音に、地面を蹴った美香が気づく。その視線の先には、怯えた目がある。
焔が行かせてなるかと、オーラをまとった。美香の目が焔に向かい、槍が振られる。
「っ! 重い! だけどこれなら」
レートが天界側らしく、鋭い攻撃ではあったものの耐えられると焔は判断した。仲間に合図を送る。
全員頷いて作戦通りに別れて行動を開始する。まず倒すべきは情報の少ない美香の方。
「これ以上の被害拡大を防ぐ為にも、サーバントと化した彼女の体と魂を休ませて差上げましょう」
静かに息を吸い込んだカーディスがその気配を薄めていく。そうして美香の後ろへと回り込む。
茉莉はストレイシオンを召喚し、拓真班の援護をさせ、自身は志津乃と共に取り残された人の救助に向かう。
「行きましょう、苧環様!」
「はい! こちらです」
生命探知で要救助者の位置を掴んだ志津乃が先導する。志津乃の顔は厳しい。
(反応は少なくとも先ほどの方を除いて2つ……相手の方が近いですね。急がなくては)
そうして拓真をちらりと見た。
「海島さん、あなたには……踏みとどまって欲しかった」
それだけを呟き、あとはもう、振り返らずに駆ける。助けるために。守るために。この悲劇を終わらせるために。
だが敵も志津乃と茉莉の行動に反応する。
「――止めるぞ。これ以上犠牲を出さない為に。『海島拓真』と『村井美香』の愛を救う為にもだ」
なんとしてでも止める。
リョウの影が蠢き、美香に襲いかかる。
その身を捕らえることはできなかったが、避けた隙に2人は横を駆け抜けた。店内のその奥に、1人震えるその身を保護する。
「ひぃっ」
「もう大丈夫です。私たちがあなたを安全な場所へ連れて行きます」
「人間に害をなす天魔を退治するのが、あたしたち撃退士の使命。いかに人の形をしていようともサーバントは人間では在りません。
彼女をこのままにはできないのです……どうか。あなたにもそれを分かって欲しい」
シャノンが、悲しみを身体の奥へと押し込め、前に出る。拓真を止めるため。
「違う! 美香は、美香は生きてる! そこに生きてる! 化け物じゃないっ」
怒りに震える拓真は、たしかにシャノンの声を聞いたのだろう。だがそれを会話というには、どこかがいびつ。
「どこが違うっ? 良く見るんだ! 彼女の姿を」
良助のマーキングが拓真に命中する。ぎらりっと拓真の目が良助に向いた。
(人形を指して彼女とは、嗤わせてくれますね。外見が同じであれば貴方にとっては同じ彼女ですか。
私にはとても理解できない考えだ)
「失ったモノは戻らない。それが絶対の真理でしょうに」
クラウスが弓からハルバードに切り替えて美香に肉薄する。
「戻ってくるのは見るに堪えない紛い物だけ。……最も、もうそれすら見えていないようですが」
そう言って『人形』を破壊すべく、ハルバードを振り降ろした。
●愛に溺れて、求めた手の先
(たしか情報では海島には範囲攻撃があった……村井が範囲にいたら撃たないか?)
焔はその判断に迷いつつも、今は美香を先に倒すべきかと意識を向ける。
「…………」
ひたすらにまっすぐ向かってくる攻撃を受け止めた。攻撃力と移動能力は高いが、他はそうでもないらしいことが分かる。動きを見極めるのは難しくない。
そして知能もほとんどないようだ。
「今度こそ君に安らぎを」
「はいっ大人しく休んでください」
背後に回り込んでいたカーディスが影から生み出した棒手裏剣が美香へ向かう。避けようとした美香だが、リョウの影が今度こそその身を拘束した。
手裏剣が美香の身体を貫く!
そこから飛び出る赤い血が、まるで美香が生きているかのような錯覚を生む。
「美香ぁっ! どけっ」
銃口がカーディスへと向けられた。だがそんなことをシャノンが許すわけがない。
「大切な人だったんですよね。
だったら何故こんなことを、こんな思い出を汚すような真似をするんですか!」
「うるさい」
射線に入り込まれ、拓真の銃口は大きくそれた。スキルを切り替えていた良助の横を通り抜けて、その銃弾は地面に突き刺さった。
そして、炸裂する。
「えっ? はっ」
「ぁあっ」
さく裂した光が良助とストレイシオンに命中し、良助と茉莉が痛みに顔をしかめた。拓真が舌打ちしながら美香の方へと向かおうとする。
「そう簡単に行けると思うな」
「くっ邪魔を」
刀を抜いたアレクシアが動きを阻む。
「森田さんっ?」
心配げに声をかけるシャノンに、良助は「大丈夫」と返して走り出す。彼らを引き離すために。
「私は盾! すべてを征する盾!」
――そう。自分は盾でなければいけない。倒れるその瞬間までも。
雪が自分に言い聞かせながら美香に向かう。だがその心は、悲しみで震えていた。どうしても、もしも、の可能性が消えない。消えてはくれない。
心を震わせながら、盾を用いての攻撃をくわえる。クラウスはそれを見て一端後ろへ下がり、弓へと再び武器を持ちかえて放つ。
「やはり左の方がもろいか」
左肩に突き刺さったクラウスの矢を見てリョウが呟く。そして拓真を振り返った。
(上手く分断できたか。ならあとは――)
2人を倒すだけ。
「美香、待っててね。今すぐ助けるよ。邪魔な奴らを倒してから」
美香へと優しい声と目を送り、手を差し伸べる男の姿を心に刻む。
愛に溺れ、救いの手を待つだけの哀れな男の姿を。
男が建物の中へと消えていった。
「天使シーカーは……サーバントになった恋人でも愛し続けられるか、とでも問うているのでしょうかね?」
この場にいない天使のことをクラウスが考えた。味方と被らぬように細かく移動を繰り返しながら。クラウスは、首を横に振る。
目は真っすぐに、美香を……いや。
「だとしたら答えは否ですね。なぜなら、それは恋人ではなくただのサーバントだ。
別物を愛せるかなどと、前提から破綻しています」
サーバントを見つめ、クラウスはそう言い切った。そうして弓を構え、矢を射る。躊躇は、ない。
矢が左腕に突き刺さる。美香は衝撃に身体を揺らすが、痛みに声を上げることも、顔をしかめることもなかった。
ただ目の前の敵――焔へと槍を突き出すその姿は、人形。そう言い表すのが、たしかに正しいかもしれなかった。
「ぐぁっ」
その時腹に深く突き刺さった槍に、焔が膝をついた。すぐさま雪がライトヒールを、焔自身も炎の蝶を呼びだして傷をいやす。
回復をしている2人に襲いかかろうとしている美香の動きは、リョウとカーディス、クラウスが抑えこむ。
「彼も俺たちで止める。だから安心して、もうここで貴女は終われ」
杖に持ち借りたリョウが槍を受け止め、カーディスとクラウスの手裏剣が深く突き刺さる。
「…………」
だが美香もやられてばかりではない。標的をリョウへと変えて槍ではなくその肩に噛みつく。
魔の影響を受けている彼らの攻撃は美香に良く通る。だがそれは、美香の攻撃もまた彼らによく通ると言うこと。
「ぐぁあっ」
「……本当に、食事マナーがなっていませんね。良い機会ですから教えて差し上げましょうか? まあ」
意味はないかもしれませんが。
クラウスが横からハルバードを振るったことで美香がリョウから離れる。
「すまない」
「いえ、お怪我は?」
「大丈夫だ」
噛みつかれた右肩からは血が吹き出ていたが、手は問題なく動かせる。
「……傷が?」
カーディスが首をかしげた。美香の傷が、わずかではあるがふさがっていた。
「もしかして食べて回復する……?」
焔と雪が戦線に復帰し、口もとを真っ赤にさせた美香の姿にただ悲しげに瞳を揺らした。美香は視線の意味に気づくことなく、きょろきょろと『ごはん』を探していた。
そして落ちていた『食べかす』を発見して素早く手にし、それを口に放り込む。
その光景は、もう……彼女が『人』でないことを否応なしに理解させるものだった。
美香は食事を終えてもなお首を横に振って『ごはん』を探す。美香が負った傷はまだまだ深い。回復する気だろう。
どうやら食べかすでは大して回復しないようだ。
「させないのですよ! もうっこれ以上は!」
しかしそんなことをやすやすとさせるわけにはいかない。回復させるわけにも、そしてこれ以上彼女の身体を化け物であらせないため。
首をかしげた美香の額から流れた血が、まるで涙のように見えた。
●愛を待つ人
「しっかりしてください。大丈夫ですから」
「いやああああっ」
暴れ出した女性に、志津乃は困った顔をした。
涙をこぼす目は、言葉にならぬ声はただ恐怖を訴えている。無理もない。目の前で、どのような光景を見たのかと思えば、むしろ今までよく耐えた。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
「すみません」
そう謝ってから鳩尾に拳を入れて気絶させる。まだ他にも取り残された人たちがいるのだ。
(……あと1人……! いえ、もう1人)
3人と思っていた要救助者だが、奥へ進むにしてもう1人いることに気がつく。目の前にいる女性で2人目なので、あと2人ということになる。
「後の方はどちらに?」
「……あのオレンジの看板があるお店と……先ほど海島さんが入っていった店の隣です。かなり奥の方に隠れていらっしゃるようで、すぐには見つからないと思いますが」
茉莉が顔を曇らせる。
いつ戦闘に巻き込まれてしまうか。そして近くでする激しい音に、一体どんな精神状況に陥るか。今の女性のように暴れてしまえばすぐに見つかってしまう。
移動能力自体では茉莉の方が上だが、位置がつかめる志津乃が向かうべきだろう。
「では私がその方を避難させてきます……どうかお気をつけて」
一端2人は別れて行動する。
(大きな怪我はされてないようですが、早く安全な場所へお連れしなくては)
あらかじめ頭に入れておいた周辺の地図を思い浮かべる。一定の範囲内が立ち入り禁止となっているのだが、現在位置から最も近い境界で警察や消防が待機している場所をすぐさま判断する。
女性の身体を抱えて走る。
今この時も戦っている仲間がいて、まだ助けなければならない人もいる。一分一秒でも惜しい。
「うぅっ」
その時、茉莉はバランスを崩して倒れかけた。口から出るのは赤い血。
直接に攻撃を受けたわけではない。考えられる原因は1つ。召喚獣であるストレイシオンが攻撃を受けたのだろう。
視界が揺れ、身体がふらつく。
「こんなところで、倒れられません」
頭を振り、茉莉は耐えた。再び走り始める。
「放してください! 妻が! 妻がまだ中に!」
「駄目です。落ち着いて」
聞こえた声に顔を上げれば、そこでは警官ともめる一人の男性。男性は茉莉と目があい、そして茉莉が抱える女性を見て、歓喜に泣き崩れた。
「後はお願いします」
女性の身体を受け渡し、すぐに踵を返す。まだ待っている人がいる。だから休んでいる暇などない。
●愛が故に
何が原因だったかと聞かれ、男の友人はこう語った。
「……優しすぎたんだろう」
男はその日、別の依頼を引き受け、その後に故郷をディアボロが襲ったという知らせが入った。本当は自分で行きたかったろう。だが別の依頼先でも助けを待つ人がいる。
男は仲間を信じて別依頼へ旅立ち、なんとかその依頼は成功させた。故郷を襲ったディアボロの依頼も……形としては成功。依頼へ向かった撃退士の半数が重傷を負いながらもディアボロをせん滅した。
それでも犠牲者0とはいかなかった。
そして運が悪く――という表現は不適切かもしれないが――数少ない犠牲者の中に男の恋人がいた。
男は誰も責めなかった。むしろ謝る撃退士たちを励ました。
誰も悪くないことを知っていた男は、1人で悲しみを受け止めた。いや、受けとめようとした。
だが耐えきれなかった。
要は、ただそれだけのことだった。それは弱いということなのかもしれない。だがその友人は「優しい」のだと言った。
「もしもあの時、吐き出してたら……いや。悪い」
男の友人は途中で言葉を切った。包帯で包まれた両手で顔を覆う。声に震えが出ていた。
「今さらどれだけフォローしたってあいつがしたことは、消えない。
だけど、だから……頼む。
あいつを、止めてくれ」
●愛を越える
拓真が動いて、スーパーマーケットの中へと消えていく。
「右前方、気をつけ――っ」
だが良助には位置が分かる。そんな良助に向かって放たれる銃弾。良助の挑発が成功したのか、拓真はしきりと良助ばかりを狙っていた。
血が流れればすぐにシャノンがその傷をいやした。
作戦自体は成功と言えただろう。2人の分断。意識を自分たちへと向けること自体は……むしろ上手くいきすぎていた。
「己が尊く思うモノであればあるほど、唯一無二でなくてはならぬと言う物。
斯様な手段で取り返せる程度の物ならば――あぁそれはつまり、その程度の物と言う事であろう?
天使に懇願して得られる奇蹟で、満たされてしまう程度の、な!」
アレクシアがなんとかその狙いを逸れさせようと言葉をかけ、攻撃を仕掛けるが、拓真の目が良助から外れることはない。
(本当に硬いな。このままでは不味い。村井の方はまだか)
シャノンが体勢を崩し、アレクシアと良助が攻撃する。連携は上手く行っていた。攻撃は命中している。確実に削ってはいるが、消耗はこちらの方が激しかった。
何よりも拓真の狙いが良助から外れなかったのは、大きな誤算だった。
良助も距離をとろうとはしていたが、相手も射程が長い。また戦闘の経験値は向こうの方が上。そうやすやすと思惑通りにはいかない。
「それでもっ止める! 絶対に」
歯を食いしばり、思い浮かべるは最愛の人。最愛の人を失って悲しい気持ちは、分かる。でも、だからこそ拓真を理解できない。最愛の人が、それを望まないことを知っているから。
だから!
「……いや、悪いが無理だな。時間切れだ」
今まで怒りの表情で良助を見ていた拓真が、ふいに静かな声を発した。まるで、正気を取り戻したかのような穏やかな声と表情で。
「もっと強くなれ。そしてお前らは……こうなるなよ?」
「なっ――ぁ」
ふっ、と柔らかく拓真が笑い、そうして放たれた銃弾が良助の身体を貫通した。良助はしばし耐えるように前へと足を踏み出す。手を伸ばし、拓真に何か言葉を告げようとして、そのまま倒れ込んだ。
「森田さん! っ」
呼びかけに、良助は反応しない。
シャノンはそんな様を見て迷っていた。
拓真が元に戻ったのではないかと思って、その身を見上げる。
「失礼な人だ。美香を化け物だなんて……あんなに綺麗なのに」
けらけらと、何がおかしいのか笑う拓真を見て、シャノンは決断した。真剣を抜き放つ。
「彼女が死んだ現実を忘れてこれ以上利己的に罪を重ねるなら……あなたを倒します、必ず」
本心を言えば、今だって戦いたくはない。どうか心を、取り戻してほしいと願っていた。願いのもとに放たれた刀は、しかし受け止められる。
「汝は屑であれは塵だ。だがそうであっても愛してやろう」
すべてを愛そう。そうアレクシアは鋼糸を操り、拓真の身を切り刻む。
「汝が彼女に捧ぐ、己が狂気に至るまでの想いは確かな物なのだと寿ごう」
拓真が美香へと向けた想いをしっかりと受け止めた上で、「故に眠れ」と子守唄を紡ぐ。
「あああああっ来るなーー化け物っ」
そんな時に隣から声が響いた。志津乃の姿を見た男性が上げた声だった。
男性は見たのだ。人に見える化け物が、人を食らうその様を。
「っ」
すぐに志津乃が気絶させたために声は消えたが、拓真の耳はそれを拾っていた。嬉しげに笑う。
「ああっ美味しそうな声だ。美香が喜ぶ」
「させませ――え?」
拓真は笑っていた、ように見えた。口もとをゆがめたその顔は、たしかに笑みと呼ばれるものであったからだ。
(泣いてる?)
シャノンにはそう見えた。
声の方角へと放たれた銃弾は、アレクシアが間に入って防ぐ。シャノンもすぐさま身体をいれ込み、行かせないと刀を握る。
(早くっ早く外へ)
志津乃は自分よりも大きな身体を背負おうとして、男性が足を負傷していることに気がつく。
自分で処理したのか、服を破ってただ縛り付けている。
「これは……深いですね」
出血が多い。志津乃は隣をちらと見てから、素早く血止めを施す。
「すみません。今はこれだけで」
背負いあげて一歩踏み出した時、壁が破られる。
壁と同時に飛んできたのは
「かはっぁ」
「アレクシアさんっ?」
黒く美しい髪を自身の赤で染めたアレクシアが、志津乃を見て、それから目を閉じた。声に対する反応はない。
「行ってください!」
シャノンが叫び、志津乃が走り出す。だが拓真の銃口は容赦なく志津乃……違う。志津乃が背負った男性に向けられた。
「させま、せん」
とっさに志津乃は身体をひねり、男性を庇ってその攻撃を受けた。しかし無理な姿勢で受けたからか、それは急所を貫いていた。
「すみません!」
志津乃は力を振り絞って男性の身体を投げた。拓真の死角になる位置へと、そしてもう一撃! シャノンが駆け寄るが一歩届かない。
倒れる仲間を前にして、シャノンが刀を振り上げた。拓真は受け止めることすらせずにその攻撃をまともに受ける。
おそらく、その時だ。
拓真が、最後の最後まで越えなかった線を越えたのは。
拓真が銃口を誰もいないと思われた方角へと向ける。
いや、違う。
その方向は――。
●それはもはや愛ではなく
「っぐ……さすがに」
呻いた焔の周囲を蝶が舞う。術者にしか見えぬ虹色に揺らめく炎の蝶が、焔の傷を癒していく。
これでもう自力回復は望めない。一端下がり、スキルを切り替えなければならない。カーディスが前に出て手裏剣を放ち、焔を援護する。
それでも焔を追いかけようとした美香はもう、ボロボロであった。白い甲冑が自身の血で赤く染まっている。
「悲しい‥‥心が張り裂けそうなぐらいに、私は悲しい! あなたを見ていると、私は‥‥!」
雪が終わらせるために断罪の一撃を放つ。
「っ! みんな、下がれ!」
これで1つの悲劇が終わる。誰もが思っていた時、リョウが叫んだ。建物の中から一発の銃弾が真っすぐに放たれていたのだ。
――美香に向かって。
その弾は地面に当たってさく裂。雪や焔、カーディスの分身へと当たった。もちろん、美香自身にも。
「美香、おいで。まっすぐ……こっちに」
拓真の声と共に、美香がカーディスの方を向いた。槍が、血で染まった槍が、その身体を貫いた。
「ぐぁっは」
美香が槍を払ったことで、カーディスの身体が倒れていった。
「いい子だね、美香」
建物から現れた拓真が、その頬を撫でる。
しかしその拓真自身も無傷とは言えない。流れた血は多く、顔は青ざめている。
そんな拓真に、美香がヒールライトを使った。自身もまた傷つく中で、命令もなく行ったのは、愛のキセキとやらであったのか。そういう風に作られただけなのか。
拓真を追うように現れたのはシャノンただ1人。そして茉莉も戻ってきた。まだ全滅したわけではない。
相手は手負い、ならばまだ……。
「美香、さっさと倒して行こう。食後の運動はもういいから」
もはや目の前にいる男は拓真ではないのだろう。撃退士であることを、人間であることすら捨てた化け物。
もう海島拓真は死んだのだ。
だとしても、過去が消えることはない。
そう。
拓真が『経験を積んだ撃退士』であったという過去は。
美香という突撃力に拓真という知恵がついた2人を止めることは、仲間を欠き、大きく消耗した彼らには困難であった。
「分からないのですか? あなたの隣にいるのは――っ」
「貴方を悪だと、私は言えない。だけど! 貴方は秩序を乱した。その罪科だけは、断罪する!」
投げかけられる言葉に、拓真は笑うのみ。
(幼い頃。両親がディアボロにされてなければ――あれは俺だったかも)
焔はそんなことを思いながら、懸命に攻撃を受け止める。傷つけばシャノンや雪が癒し、茉莉のストレイシオンが防御を高める。
クラウスのハルバードが防がれ、その身を槍が貫く。
だが消耗は、残念ながら撃退士の方が早く、時間はあっという間に過ぎていった。
「ほら見てごらん。星がきれいだよ、美香」
「…………」
「もっとよく見えるところへ行こうか」
拓真が放ったひとつの銃弾が、破裂して強烈な光を生み出した。
その光が消えた時、そこには――誰もいなかった。
後の検証で拓真が致死量の血を流していたことが判明した。
そしてこれ以後、彼らの姿が目撃されることは、なかった。