●沈黙する里
そこに広がっていたのは、不思議な光景だった。
テーブルに並べられたペアの湯呑茶碗。
畳んでいる途中の洗濯物と、広げられたままのスポーツ雑誌。
それらはあまりにも自然すぎて、もしかしたら住民達は『見えていない』だけで、今も変わりなく日常生活を送っているのでは……と思えてくるほどだ。
「誰も……何処にもいませんでしたね」
何ひとつ。遺体さえも。
アリス・シンデレラ(
jb1128)がため息を漏らす。
この里を訪れた撃退士達が真っ先に行ったのは、生存者の捜索だった。
家屋はもちろん、ガレージや農作業用の物置小屋まで隈なく探したが、望みに繋がる痕跡は見つからない。
「生存は絶望的……この手の依頼は初めてだけど、やっぱりやりたくないもんだね」
床に転がった飲み掛けの哺乳瓶を見つけた桜花(
jb0392)は、握った拳に力を込め、唇を噛みしめる。
生存者捜索のために訪れた家で、腹が減ったと必死に訴える子猫のため、cicero・catfield(
ja6953)は失礼を承知で戸棚を物色し餌を与えた。
飼い主にとって、ペットは家族も同然の存在である。それを放置したということは、彼らが尋常でない状況に置かれたという証拠だろう。
「罪の無い人たちが犠牲になるなんて……許せないな」
貪るように餌を食べ始める子猫を撫でながら、ciceroは静かに怒りを滾らせる。
「やはり悪魔の仕業なのかしら? まだ近くにいるのかもしれないわね」
高く澄んだ声で淡々と言葉を紡ぐファレン(
jb2005)。
「仇討ち、ってわけじゃないけどォ……敵が居るなら潰さないとねェ……」
それが悪魔であろうと天使であろうと関係はない。自分達はただ任務をこなすだけ。そう黒百合(
ja0422)は言い放つ。
「Davil……ボク、まだ見たことないのだ……」
フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)は息を殺し、神経を研ぎ澄ませた。
静まり返った里に人々の語らう声はなく、木々の合間を抜ける風の音だけが鳴り響いている。
「もう一度、探しにいきましょう」
風の中に赤子の泣き声を聞いた気がして、桜花は腰を上げた。
無理と判っていても、諦めたくはない。納得などしたくはなかった。
●嘆きが奏でる狂死曲
撃退士達がそれに気づいたのは、何度目の巡回の時か。
ぽっかり空いた家一軒分の空き地。そこに黒いローブをまとった人影が5つ、屈みこんでいた。
ヴェールで顔を隠しすすり泣く姿は、親しい者の死を悼む遺族のようにも見える。
行方不明者の身内か、それとも……
――娘たちは嘆いているのだ。消えゆく魂を憐れんでな。
頭上から聞こえた声に、撃退士達はとっさに振り返った。
いつの間に現れたのだろう? 黒衣に身を纏った女性が1人、民家の屋根に腰を掛けていた。
「きみは一体……」
「私を潰す、と言ったのはお前達ではないか? 偽善なる愚者の下僕よ」
目を細めて嗤った女は、撃退士達の目の前で背に一対の黒い羽を現した。人間非ざるものの証を。
「悪魔っ」
桜花はとっさに矢を番えた。鏃の切っ先を向けられても、女悪魔は微動だにしない。
「お前達は何を望む? 責苦なる生か、それとも安寧の死? 代償を支払うなら、望みのものを授けよう」
挑発するように語り掛ける女悪魔に、ファレンが答える。
「何? 貴様に何も求めないわ、お互いやりたい事をやるだけ。手は出さないわ、死ぬつもりはないの」
「お前とは気が合いそうだな。コマドリの娘よ。私もお前達に手を出すつもりはない。だが……」
女悪魔が指を弾くと、黒ローブ……嘆き娘達がすっくと立ち上がった。
「せっかく舞台を用意したのだ。少しぐらい楽しんで行っても良いだろう?」
戦え。そう言って女悪魔は舌なめずりをした。
「私と遊んでくれるのねェ。嬉しいわァ」
真っ先に動いたのは黒百合だった。無邪気な笑みを満面に浮かべ、一気に肉薄する。
彼女が放つ圧倒的な存在感に、バンシー達は引き寄せられずにはいられない。
ほぼ同時に投げられたファレンの苦無は、バンシーの頭部に深く突き刺さった。
大きくのけ反りはしたものの、致命傷には至らない。直後、ゆっくりと体勢を立て直したバンシーの、不気味に光る双眸がファレンを捉えた。
「――っ」
バンシーが手を差し伸べた瞬間、鮮血が花びらとなって飛び散った。射出された鋭い爪がファレンの腕を切り裂いたのだ。
「大丈夫。掠っただけよ」
焼けつく痛みに顔色を変えることなく、ファレンは改めてバンシー達に向き直る。
「離れていても気は抜けない、ってことか」
困難な戦況だからこそ、ciceroは楽しそうに笑い、銀色の銃身を十字架のように掲げた。
「我が手は審判を得る。我が敵に裁きを下し。これを倒すであろう。父と子と聖霊の御名において」
口早に祈りの言葉を捧げ引き鉄を引く。
フラッペは蒼い風を脚に纏わせ、撃鉄を打ち鳴らすように足踏みをする。
黒百合が敵の視線を引き付け、皆で1体ずつ確実に仕留めていく――出発前に交わした作戦の通り、黒いマントに身を包んだアリスは動きの鈍ったバンシーに大鎌を振るい落した。両断された体が地に落ち、黒いローブが風に舞う。
「あなた達『邪悪』とは違う、純粋たる『闇』の力を見せてあげるわ!」
「何を見せてくれるというのだ? 本当の闇も知らぬくせに」
ふふふ、と得意げに笑うアリスの宣言を、女悪魔は一笑に付す。
「それよりも……」
幼子の根拠無き強がりより彼女が興味引かれたのは、4体のバンシーの攻撃を一身に受けている黒百合の方だった。
各個撃破など教えていないはずなのに、なぜあの娘だけを狙うのか? そのために他の撃退士達が野放しとなり、徒に数を減らすことになってしまったではないか。
(……面白いことをする)
「あの娘、このままでは死ぬぞ」
新たな命を与え、バンシー達の行動を修正しても良いのだが――撃退士達の『力』に興味を持った女悪魔は、敢えて彼らに語り掛ける。
「良いのか?」
助けてやろうか、とでも言いたげな女悪魔を一瞥し、桜花は戦場に向き直った。
女悪魔の言う通り、黒百合の分が悪いことは理解していた。バンシー達の動きは予想以上に素早く、囲まれている状態では援護射撃が誤射につながりかねないのだ。
桜花はじっくりと狙いを定め、攻撃のチャンス逃さず矢を射る。
「まだまだ足りないわァ。もっと遊んでよォ」
幾度目かの攻撃を受けた黒百合は、己を奮い立たせるように声を上げた。
視界が急激に鮮明になり、バンシー達の動きが見えてきた。同時に、失いかけていた体力が漲ってくる。
まだ行ける。
斬撃を制服に身を写してかわした黒百合は、仲間の攻撃の邪魔にならないよう、バンシーと僅かに距離をおいた。
「主よ、我に力を与えたまえ」
ciceroの銃が咆哮をあげる。
祈りを込めた弾丸は、違うことなくバンシーの背中を捕えた。
微かな笑みを浮かべるcicero。遠距離反撃を警戒し突素早く位置を変え、次の狙撃に備える。
『アァ―………ッ』
1体のバンシーが泣き声を上げた。
死に行く者を悼む声は低く重く、心の底から凍りつくような響きを秘めている。
「おぅ!?」
フラッペは頭が割れるかと思うほどの激しい痛みとめまいを感じ、耳を抑えた。
周囲に目を配ると、他の仲間達も同様に頭を押さえ、苦しみに耐えている。
そんな中、アリス1人だけは大鎌を構えたままじっと立ち尽くし、ブツブツと何かを呟いていた。
何かがおかしい。そう思った瞬間、フラッペの頭上に大鎌の刃が振り下ろされた。
「おおおおぅっ!」
「大丈夫……お姉ちゃん……守るから。……安心して……」
虚ろな瞳で、抑揚のない口調で、大鎌を構えたアリスは呟き続ける。
「さぁ……どう出る、撃退士達よ」
アリスが受けたのは、命を賭してでも守らなければという、強い刷り込みだ。
仲間だからと言って躊躇っていれば危ないぞ? と女悪魔が笑う。
「イライラするわね。本当に……」
小さく舌を打ち、ファレンが走る。その手にあるのは燃えるような赤い刀身の太刀。
立ち塞がるアリスの横を素早くすり抜けると、いまだ『声』を上げ続けるバンシーの頭上に振り下ろす。
「一気に終わらせましょう……」
満身創痍の黒百合を背に庇い、ファレンは仲間に呼びかける。
戦闘開始から時間が経った今、さすがにバンシー達も黒百合の挑発に乗ることはなくなってきた。
残るバンシーは2体のみ。
「これ以上犠牲を増やさない為に、お前達には早く消えてもらわないとな」
ciceroは肩に突き刺さった爪を抜き捨て、早々と勝利を宣言した。
引き絞られた弦が解放の歓喜に震える。耽々とこの機を狙っていた桜花の放った矢がバンシーを射抜いた。
蒼い炎が地を駆ける。フラッペはアウルの全てを破壊力に変え、強力な回し蹴りで胴を薙いだ。
バンシー達の攻撃をその身に受けつつも、撃退士達は銀の銃で、緋の太刀で闇を穿ち、斬り払っていく。
撃退士達の集中攻撃を受け、最後に残ったバンシーは断末魔の叫びすらなく、地に崩れ落ちた。
●空舞う黒鳥
手下がすべて倒されたというのに、女悪魔は満足そうに撃退士達を見下ろしていた。
「目的は何なのだ?」
押しつぶされそうな沈黙を破り、フラッペが問いかける。
「……キミはどうして、あんな約束をしたのだ? あのヒトを悩ませることに、何の意味が?」
「あのヒトだと? ……あぁ、恥知らずの空け者か」
一度怪訝な表情を見せた後で、女悪魔は、鮮血のような赤い唇を三日月の形に歪めた。
撃退士達が演ずる余興を見物しているうちに、すっかり忘れ去っていたらしい。
「野良猫の頭を撫でたようなもの。愛でただけだ。それに……」
女悪魔の声質が低く、威圧的に変化した。
「あ奴の行為は理解しているのだろう? なぜそこまで気に掛ける必要がある?」
「ボクには、分からないのだ……何が正しいか、なんて。それでも出来れば……ボクは誰も死なせたくないって思うのだ」
見捨ててしまえ。そう囁きかける女悪魔の誘惑を、フラッペは必死に振り払った。
「で、けっきょく村の人はどうなったのかしら?」
アリスが気にしたのは、蛇塚が見殺しにした者達の行方だ。
ただ命を奪うだけでは悪魔にとって何の足しにもならない。どこかに捕えられているなら、助けられる可能性はある。
「そこに居る。たった今、お前達が切り捨てたではないか」
残酷な宣言にciceroが眉をひそめ、桜花は射殺せそうなほど鋭い視線で睨めつけた。
その反応が面白かったのか、女悪魔は甲高い声を上げて笑う。
「ただの冗談だ。彼らは我らが国の新しき民ゆえ、丁重に扱っている」
ぽとり、と撃退士達の前に何かが放られた。
黒百合が訝しみながらも拾い上げる。髑髏の飾りがついた鈍色の指輪だ。男性用ということは、蛇塚が身に着けていた物なのか。
「お前達に敬意を表し、あの男からは手を引こう。――私の言葉を信じるかどうかは、お前達次第だが」
さんざん人を言葉で惑わせた後で、女悪魔は空へ身を踊らせる。
「我が名はベネトナシュ。嘆きを司る黒鳥……撃退士達よ。いつの日か、また相見えよう」
黒衣の女悪魔――ベネトナシュは、撃退士達の上を大きく旋回した後で、ゆっくりと北の空へ姿を消した。
●闇に射す救いの光
厳重に隔離された病室に、その男は居た。
『集団失踪事件』の遠因を作り、真相をもたらした蛇塚 悟。
逞しかっただろう身体はげっそりと痩せこけ、窪んだ両眼は何処までも暗く沈んでいる。
たった数日でここまで人間は変われるものなのか?
まさに死神に取りつかれた者の形相を目の当たりにして、彼を見舞った撃退士達はベネトナシュの所業に改めて怒りを覚えた。
「もう安心だよ。悪夢は去ったのだ!」
見知らぬというだけで、自身の三分の一も生きていないアリスにさえ怯える蛇塚に、フラッペはできるだけ明るい口調で、任務の終了を告げた。
手を引く、と言ったベネトナシュの言葉を伝えた後、黒百合はその証として渡された指輪を蛇塚の手に押し込めた。
「自分を大切に、他人はそれから、ってものだわァ」
死にたくない、関わりたくないという思いは、人として当然の感情だ。だから責められる謂れもないのだ、と。
「久遠ヶ原学園に、保護を求めた方がいいわよ。私なら、あんたを狙うわね。あと、下らない罪悪感を持ってるなら棄てなさい。無意味だわ」
生来の美声で歌うように告げたファレンに、蛇塚は暗い闇を湛えた瞳を向けた。
「そうすれば……助けてもらえるのか? 守ってもらえるのか? 何時まで? ……一生?」
蛇塚はひどく興奮してファレンに縋りつき、枯れ木のような指を彼女の白い腕に食い込ませた。
見かねた主治医が鎮静剤を投与し、撃退士達に退室を促す。
「行きましょう……」
元々絶対安静だった蛇塚に、無理を言って面会させてもらったのだ。負担を強いてまで長居するわけにいかない。
医師に一礼をして踵を返した桜花に続き、撃退士達は静かに病室を出た。
去り際、ciceroは静か十字を切った。
彼の心が救われ、扉1枚隔てた光溢れるこちらの世界へ戻れることを祈って。
男は未だ深い暗闇に囚われたまま、終わることのない死の影に怯え続けている。
それでも、撃退士達と交わした僅かな言葉が、一条の光となって彼の心を解き放つ時がきっと訪れるだろう。