●あの山を登れ
路線バスの待合室にいたのは、大きなリュックを背負った少女だった。
「都築 希さん、ですね?」
龍仙 樹(
jb0212)の問いかけに、少女はぺこりと頭を下げた。
よほどしつこく追い回されたのだろう。希の髪や服は泥だらけだ。頬や腕に刻まれたミミズ腫れが痛々しい。
大崎優希(
ja3762)は慰めるように希の肩に手を差し伸べた。しかしその腕は虚しく空を切る。
「……れ?」
それもそのはず。希はすでに立ち上がり、山へ向かって歩き出していた。
「待ってください」
慌てて呼び止めたのは鷹司 律(
jb0791)。
「まずはどんな状況で荷を奪われたのか、状況を聞かせてください」
先を急ぎたい気持ちは理解できるが、ここは作戦――全体的な方針を確認することが定石のはず。
「それに、傷の手当てもしないと。破傷風にでもなったら大変だ」
ミリタリールックが愛らしい鴉乃宮 歌音(
ja0427)が救急箱を開いて丁寧に応急処置を施す。
虎落 九朗(
jb0008)も背後から覗き込み、傷を確かめた。程度によってはアウルによる癒しも必要と考えたが、今のところ必要はなさそうだ。
「サルの群れ……ふふ、僕に知恵比べを挑むなんて百年早いね」
特殊兵器を用意してきた、とクイン・リヒテンシュタイン(
ja8087)が不敵に笑う。
「では、軽く戦場の空気を吸わせてもらいますか」
これが初陣である佐東 颯輝(
jb1238)は感情の読み取れない瞳で山を見上げる。
「それじゃ、一緒に頑張ろうかー」
来崎 麻夜(
jb0905)も、これから起こるだろう戦いに胸を高鳴らせていた。
●バナナはおやつに含まない
希を先頭に、撃退士達は道なき道を進む。
「……山登りには相応しくなかった気がするなぁ」
颯輝は制服に貼り付いた枯葉を払う。防御力に乏しい制服は藪の中で傷つき、擦り切れていた。
しかし今はそれを気にしている余裕はない。
「皆さん、気付いていますか」
律が押し殺した声で呟いた。
「木の上に2匹。少し前から、私達を追いかけています」
「右手の藪の中にもいるよー」
顔を動かさなくても、視界の端に茶色い毛玉が揺れ動いている。それで隠れているつもりなのか。気だるげな表情を見せながら麻夜は微笑んだ。
この辺りはすでに彼らの縄張りなのだろう。殺気にも似た空気が漂う中、撃退士達は無防備を装いながら足を進める。
立ち並ぶ樹木が一層濃くなったところで、1匹のサルが立ち塞がった。同時に他のサルも姿を現す。その数、およそ20匹――
姿形はニホンザルに似ているが、異様に鋭い爪と牙が、彼らが天魔であることを物語っていた。
「都築さん、一度後ろへ」
樹は希を守るように立ち、ファルシオンを構えた。
『ききーっ』
先に動いたのはサルの方だった。
地を蹴って一気に間合いを詰めると、歌音の腕にしがみ付いた。爪が食い込み、痛みが走る。
しかしサルはそれ以上攻撃を仕掛けることはなく、野菜ジュースを鷲掴みにすると、素早く木の上へ逃げた。
「こいつら、まさか……」
「どうやら餌が目当てのようですね」
ばら撒かれた携帯品をかき集める律も、頬や腕にひっかき傷を負っていた。
「食べ物だけじゃないみたいですねぃ☆」
優希が指し示した先には、眼鏡をかけて踊サルの姿が。
「僕の眼鏡を返せ!」
クインは大事なオプションを取り返そうと護符を放つが、サルは素早く逃げ回る。目標を見失った雪玉は、興味本位でキャッチした別サルの手中で弾けた。
『うきゃ?』
もちろん自爆。両手にダメージを受けたサルは、地団太を踏んで悔しがった。
「困った子達だねぇ」
麻夜は胸元から何かを取り出した。
漂う芳しい香り、黄金色に輝く魅惑の宝石、撃退士達を見つけて以来、サル達が求めていたもの――それは、1kgもあろうかという、一房のバナナだった。
『うっき〜♪』
サル達は我先にと放り投げられたバナナに群がる。騒ぎを聞きつけた他のサルも集まり、狂宴が始まった。
「風呂敷包みを持っている奴は……いないか」
撃退士達は奪回すべき品の所在を探るが、これだけ集めても風呂敷包みは見当たらない。
「……って、見つけました!」
視線を上に向けた樹は、枝に引っ掛かっている物体に気が付いた。薄汚れてはいるが、緑地唐草の風呂敷包みに間違いない。
サルの意識がバナナに向いている隙に、九朗は枝を撃ち砕いて風呂敷包みを落下させた。
「どこも壊れていないのです」
無事に戻ってきた風呂敷包みを抱え、希は胸を撫で下ろす。
「よかったねぃ☆」
「俺達のことは心配いらん。前だけ見て走ってくれよ!」
「判ったのです」
九朗に背中を押された希は、力強く頷いて走り出す。言葉通り、『前だけ』を見て。
数秒後。風呂敷包みは段差で躓いた希の手を離れ、高く高く天を舞い――サルのど真ん中へと落下した。
『ききっ、きーっ』
隠していた宝を奪われそうになったことに気付き、体の大きなサルが甲高い声を上げる。
おそらくはそいつがボスなのだろう。サル達は名残惜しそうにバナナを捨て、後に続いて林の中に消えていった。
「あぁ! 風呂敷包みが……」
「まだ大丈夫。いこう」
がっくりと項垂れる希の背を叩き、歌音が元気付ける。
万一に備え施したマーキングが功を奏した。サルがどこに逃げようと、マークが消えない限り、歌音はその位置を手に取るように把握することができるのだ。
●あの風呂敷包みを追え
どこに逃げても追いかけてくるニンゲンに、サル達は恐怖を感じ始めていた。
それでもボスに命じられたなら、たとえ消し炭になろうとも立ち向かわなければならない。
『ききーっ』
『……うっきー!』
ボスの一声で、逃げ腰だったサル達が波のように押し寄せてきた。
「近づく子は嫌いだよー、来たら……本気、出しちゃうよ?」
骨のような翼を大きく広げた麻夜は、腕に纏った闇のアウルを解き放つ。危機を察しても、サルは急に止まれない。直撃を受けた数匹が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
「……行きます」
身の丈より大きな剣を掲げ持つ颯輝。その銘が示す通り、彼女は切り拓かれた道を稲妻のように駆け抜けた。
「道を開けてもらいますよ」
アウルの投影である炎は草木に燃え移ることはない。だから律は遠慮なく火炎放射器を扱い、恐れ慄くサルを追い立てていく。
『きーっ、きーっ』
怪しげな腕に捕えられたボスが甲高い声を上げた。
「……ほらほら、こっちこーい。こっちこーい」
優しい声で囁きながら手招きを繰り返す優希。ボスは必死に走り続けるが、まったく前へ進まない。
「その風呂敷を返してもらいます!」
一気に肉薄した樹が炎を纏ったファルシオンを振り上げる。
大仰に驚いたボスは。弾みで風呂敷包みを放り投げてしまった。
樹は素早く落下点に向かう。しかし梯子のように重なり合ったサルに高さで負け、再び追いかけっこが始まった。
『うきき、うききき、うきききき』
九朗はサルの足元を狙い撃つ。
もちろん当たれば痛いので、サルも必死に避ける。歯を剥き出しにして踊る姿は滑稽なのだが、バカにされているように感じるのは気のせいだろうか。
次々と放たれる銃弾に、サルはバケツリレーのように風呂敷包みを投げ渡していく。
「ご苦労様です」
混乱に乗じ、何食わぬ顔で受け取った律。仲間達に合図を送り、打ち合わせた通りに戦場を離脱した。
●走れ、脱兎の如く
風呂敷包みを奪回したことを確認し、クインはついに秘密兵器――青地唐草の風呂敷包みを取り出した。
走り出した護衛班の後姿とクインを見比べたサル達は、迷うことなく目の前の得物を追いかける。
サル達を十分引き付けてからダミーを奪わせたると、フレイムシュートで仕込んでおいたトリモチをまき散らせた。
『うき?』
絡みついたネバネバが気持ち悪いのか、サルは仲間の体にそれを擦り、共にくっつき合う。
『うき、うきー』
助けに入った仲間も次々と巻き込んだ猿塊は、ガッツポーズを決めるクインを飲み込んで、坂道をどこまでも転がり落ちていく。
「目的地はあそこなのー☆」
木々の間から僅かに見える屋根を指し示す優希。撃退士達の足なら、そう時間をかけずに到着するはずだ。
希の意識を風呂敷包みに集中させるため、守りは護衛班がすべて引き受ける。
「このままではまずいかもしれませね」
律の火炎放射で半減したとはいえ、追っ手のサルはまだ10匹程残っていた。
走り続けながらの戦闘は難しく、特に樹は身を挺して希を庇っているため、負傷の度合いも大きい。このままでは到着前に力尽きてしまうかもしれない。
「歌音ちゃん?」
不意に足を止めた歌音に気づき、希は後ろを振り返った。
「ここは私が食い止める。先にいってくれ」
魔法少女のようにくるりと回転した彼の腕には、いつの間にか無骨な重火器が抱かれていた。
『うきき!』
火炎放射器の特性を学習したサルは、一列に並ばないよう散開する。
「考えが甘いっ。焼き尽くせ乙女の炎! マジ狩る☆なぱーむ!」
的に定めたサルは軽々と炎を避けた。逆立ちで尻を叩き、ノーコンを馬鹿にする。が……直後、波紋状に広がった爆炎に巻き込まれ、仲間共々吹き飛ばされた。
「さすがに一掃は無理だったか」
土煙の中から4匹のサルが飛び出してきた。歌音を危険人物(きょうてき)と判断したのか、忌避するように横を走り抜けていく。
「今度は希が行きますかねぃ〜☆」
殿を務めていた優希がサル達へ手を差し伸べる。
警戒してじりじり後ずさりするサル達。狙い通りの動きに、優希は満面の笑みを浮かべ、眠りの霧で包み込む。
「ねむーい、ねむーい、おサルさん、アナタたちは、ねむーい、ねむーい」
サル達はすでに夢の中。バナナに囲まれている夢を見ているのか、その表情は幸福に満ちている。
「突っ切りますよ」
前方に、枝を伝って先回りした子ザル1匹。
樹の言葉に頷いた希は、勇ましく立ち塞がる毛玉を無意識のうちに蹴飛ばして、一気に走り抜けた。
もう撃退士達を阻むものは何もない。
小屋はもう目の前に迫っていた。
「……来るなら来い、です」
シュガールを構えた颯輝が静かに告げる。
天魔の殲滅は依頼に含まれていないが、風呂敷包みを追う可能性がある以上、見逃すことはできない。
「まだまだ数は多いね、もうちょっと頑張ろうか」
舞い散る羽の量が増えているのは、麻夜のテンションが上がっている証拠。
「2人とも気を付けてな。数を頼みにこられたら対応しきれない」
戦いを前に、九朗は少女達の傷を癒す。
多大なダメージを与えられる分、被る一撃も重い。魔界に近い者にとって、サーバントは本来危険な相手だ。今回のように頭数に差がある場合は特に顕著……はずなのだが。
ボスを失ったサルの士気は低く、戦いの最中でさえ、バナナで簡単に動きを封じられる。
最後の1匹になったサルは、何を思ったのか、食べかけのカツサンドとチョコの外袋を差し出した。
最初の襲撃で、彼が撃退士から奪ったものだ。
貼りついた笑みで貢物を受け取った少女達に、サルは尻を向けて蹲った。
それは絶対的服従を誓う神聖な儀式。
少女達が彼の背中を踏めば、新たな主従関係が築かれるのだ。
サルはドキドキしながら運命の瞬間を待つ。
そんな彼に与えられたのは、魅惑のヒールではなく、大剣の重い一撃……
「やっと終わったー、数は脅威だねぇ」
麻夜はぐっと背伸びをして深呼吸をする。
周囲はおサルさんが死屍累々で、お世辞にも清々しいとは言えなかったけれど。
●秘伝の巻物とは?
「お疲れ様だな。奴らの相手は大変だったろう」
任務を達成させた撃退士達を、忍装束の青年――源三郎は気さくな笑顔で迎え入れてくれた。
彼の部下達も、女っ気のない修行場に現れた『華』を歓迎する。
「届け物は『秘伝の巻物』と伺ったのですが」
可能ならぜひ拝見したい、と目使いで尋ねる歌音。
初見なら少女と見紛う仕草だが、たぶん源三郎は騙されてはいない。
意味ありげに口元を歪める上司に、歌音を少女と信じて疑わない部下達は、見せてやれ、可哀そうじゃないか、と念を送り続ける。
「ぼ、僕にも読ませてくれないかっ! 興味深い、とても興味深いんだっ」
知識を欲するクインも必死に縋りつく。
「……まぁ、良いだろう」
無理なら潔く諦めるつもりだったが、源三郎はあっさりと了承した。
撃退士達が固唾を呑んで見守る中、漆箱の封が解かれる。
「これが……巻物?」
「確かに巻き物、ですね」
驚愕する九朗に、律は間違いないと宣言する。
漆箱の中にあったもの。それはしっとりとした黒い表紙が美味しそうな、極太の海苔巻きだった。
「俺の田舎じゃ、どの家でも代々受け継がれている。まぁ、家庭の味ってやつだな」
歌音や樹は『秘伝の巻物』をレシピと予想していたのだが、現実はさらに斜め上を飛んでいた。
「作り方が知りたいなら、姉上が教えて貰うといい。俺から頼んでおくよ」
真実を知った時の反応を満足げに眺めながら、源三郎は部下に茶を入れるよう、指示を出す。
「希は格闘料理部にも興味があるのですがー☆」
それは依頼を受けた時から気になっていたもう1つの疑問。
「……僕も興味津々です。何をする所なのか想像できない、的な意味で」
問われた希はパッと顔を綻ばせた。
「では、お魅せしましょう」
高らかに宣言すると、リュックの中から俎板と包丁を取り出した。
いつも持ち歩いているのか? ざわめくギャラリーの目の前で、希はMy包丁を閃かせ、
「秘技、穂弐羅々切り!」
素早い手さばきで、太巻きに描かれた美しい絵柄を崩すことなく、均等に切り分けていく。
そう。格闘料理とは、料理の見た目や味だけでなく、調理の過程もすべて含め堪能して頂くことを目指す、究極の料理道なのだ。
器に盛られ完成した芸術品は、その場にいた全員で頂くことになった。
郷土料理と言っても、やはり忍一族に伝わるものは一味違う。太巻きに織り込まれた様々な薬草が体に染み渡り、戦いの疲れを癒していく。
山の頂上に西日が沈む。
早めの夕食を頂いた撃退士達は、山で採れたキノコを土産にもらって岐路についた。