●捜索開始
駐車場で保護したワタルを地元警察に託した撃退士達は、後方に聳え立つ山に目を向けた。
サーバントが潜む山。そこには未だ四人が取り残されているという。
「喪服の女悪魔さん……確かナハラさんのお友達……?」
ベネトナシュという名前に、水無瀬 文歌(
jb7507)は覚えがあった。
何度か会った事がある。某高級温泉旅館で、そして埼玉の地底湖で。
「悪魔さん達が守ってくれてるなら、ひとまず安心だね!」
状況を前向きに捉える私市 琥珀(
jb5268)の横で、鈴代 征治(
ja1305)は慎重に悪魔の思惑を探る。
「どうしたんだい、具合でも悪いのかい?」
俯いたままの浪風 悠人(
ja3452)に気付いた狩野 峰雪(
ja0345)。心配そうに覗き込まれ、悠人は何でもないと笑顔で取り繕った。
(……胸の傷痕が疼くけど、抑えなきゃ)
山の中には、きっと『彼』もいるのだろう。
黒鳥の騎士・アルカイド――ベネトナシュのヴァニタスが。
悠人はかつて彼と剣を交えた事があった。数年の時を経た今でも、それは苦い記憶だ。
やはり当の悪魔達と何度も邂逅を重ねてきた雪室 チルル(
ja0220)は。
「さっさと敵をやっつけて助けてあげないとね!」
両の拳をギュッと握り、気合に満ちた鬨の声を上げた。
●東班と黒鳥の騎士
チルルと峰雪、悠人が捜索するのは、谷川を挟んだ東側の地域だ。
早春の恵みを享受する人々が訪れる山も、今は静けさに包まれている。
そんな山道を、コアトルが興奮するという黄色い旗を振って歩くチルルは、まるでツアーコンダクターのよう。
「いないみたいね!」
「いるとすれば、もっと上の方だろうね」
峰雪の呟き誰ともなく頷いて、一行は更に上を目指す。
「……これは」
ふと、悠人が足を止めた。道端に残る雪が不自然に抉れている事に気付いたのだ。
「動物じゃないですね。これは明らかに『靴』の跡です」
「もしかして大学生の子達かい?」
「一種類だけですから、たぶん違うと思います」
足跡は本道を外れ、林の中へと続いていた。忍んでいる様子はない。
何かを追っていたのか、それとも追われていたのか、二度三度、足跡は乱れた。
その軌道をなぞるように立つ樹々の幹には、鋭い爪で抉られたような傷が刻まれている。
「ねぇ、これって血よね? ……!」
薄紅色に染まる痕跡を辿ったチルルは、そこに広がる光景に息を飲んだ。
倒木の枝に絡みつくように、コアトルが垂れ下がっていた。
「これは……悪魔達の仕業なのかな?」
血がまだ乾いていないという事は、他のコアトルも近くにいるかも知れない。
索敵を行使した峰雪の目が、木陰に佇む満身創痍の人影を捉えた。
「アルカイドッ!」
反射的に警戒態勢を取るチルルと悠人。
アルカイドは目を細め、撃退士の爪先から頭まで観察するように視線を巡らせる。
我彼を見定める緊迫が十数秒ほど続いた後。
「…………撃退士?」
沈黙を破ったのは、やや緊張感に欠けたアルカイドの呟きだった。
●西班と無垢なる幼女
征治、琥珀、文歌が向かった西側は、ありのままの自然を残していた。倒木や落石が残雪の下に埋もれていて、非常に歩きづらい。
「立入禁止になっているだけありますね。……きゃっ」
聴覚に意識を集中させた直後、すぐ頭上で響いた野鳥の雄叫び。文歌は思わず肩を竦めた。
「反応はいっぱいなんだよ」
ほんの少し遠ざかり、じっと身を潜める。そんな動きから、生命探知に掛かったのは野生の動物だと琥珀は思う。
「コアトルはいないの?」
「動物が逃げ回ったような痕跡もありませんね」
そう言って、征治は頭上に目を向けた。
数年前に崩落した崖は想像以上に大規模で、未だに生々しい土色を曝け出している。視線を東側に向ければ、土砂に削られた谷の対岸に、避難小屋が確認できた。
ここからでは内部の様子を確認する事はできず、征治は残念そうに双眼鏡を下ろした。
結局その後もコアトルの痕跡は見つからず。一行は捜索場所を沢へと移す。
雪解け水の交じる沢は冷たく水量も多い。
「川の中に何かあるんだよ!」
琥珀が声を上げたのは、浮石に足を取られて落水しかけた、そんな時だった。
橋が架かるように倒れた樹に引っ掛かった塊。それが小さな女の子だと認識した時には、驚きのあまりカマーと叫んでいた。
「君はヴァニタスの子かな?」
救出した少女を怖がらせないよう、バナナを手渡して。
「はい、上総です」
それを受け取った少女が礼儀正しく頭を下げたので、征治も思わず会釈を返す。
「お兄さん達は、撃退士ですか?」
「おにーさん達はカマキリ探索隊なんだよ!」
そうだと答える前に、琥珀が横から口を挟む。何やら恰好よさげな名称に、純真なお子様は瞳を輝かせた。
「上総ちゃんは、どうしてここにいるのかな? 他の人達は?」
優しく問いかける征治。
「姉様と兄様は、さーばんとと戦っています。上総は……落ちてしまいました」
「落ちた?」
「はい。後ろからどーんと。あれはきっとイノシシです。前にもありました」
イノシシは勢いよく突進し、直線状にある全てを撥ね飛ばす。そう身振り手振りで説明する上総。
それは本当だろうか?
騙そうとしている訳では無さそうだが、判断に困り、撃退士達は顔を見合わせた。
●嘆きの黒鳥と愚かな学生
「若い子たちが捕まっているって聞いたのだけれど……」
峰雪が最初に確認したのは、捕らわれている大学生の安否だった。
「……はい。無事です。サーバントに見つからないよう、隔離しています」
アルカイドは指で避難小屋の方向を指し示す。
――悪魔勢が目撃したコアトルは三体。
ベネトナシュが頂上から、アルカイドが麓から追い立て、戦っていた。
斬りつけても何故かあまり効いている様子はなく、攻撃を受けてもいないのに、何故か自分が傷を負っていた。
一つでも多く有益な情報を引き出すため質問を重ねる悠人。
アルカイドは促されるまま淡々と答え続ける。それは学園が把握している物と大差ない。コアトルの特殊能力などは、むしろ自分達の方が詳しいぐらいだ。
(何か、苦手なタイプだな。この人)
重傷を負わせられた相手という先入観を切り捨てても、どうもテンポが掴めない。
悠人はため息を吐きながら、別行動をしている仲間と情報を共有するため、光信機の手にした。
『アルカイドと接触しました』
『こちらきさカマ、上総ちゃんっていう女の子を保護したんだよ!』
『兄様? 兄様ーっ』
『ちょっ……あんた、場所も知らないのに行く気なの?』
『コアトルはこちら側にいるようだね。すでにアルカイド君が一体倒したそうだよ」
『分かりました。すぐに合流します』
『では、楠のお地蔵さんで落ち合いましょう』
少々賑やかな定期報告を終えた、十数分の後。
無事に合流を果たした撃退士達は、アルカイドに先導される形で山を登る。
「……なんか変な動きをしてる反応があるんだよ!」
琥珀の生命探知に引っかかった、奇妙な動きの反応がふたつ。
文歌は目を凝らして林の中を索敵する。
「確認しました。コアトルです。……あぁっ!」
視界に入ったのはコアトルだけではなかった。
頂上へと延びる登山道、その先に登山服姿の男女が四人。
そして彼らの後ろには、黒いドレスに身を包んだ妙齢の女性――嘆きの黒鳥・ベネトナシュの姿。
「あ、悪魔が俺達を……!」
助けを求めた大学生達は、撃退士の後に立つ上総の姿に気付き、表情を凍らせた。
悲鳴をあげ、林の方へと逃げ込んでいく。
「そっちは危ないんだよっ!」
しかし琥珀の制止が男達の耳に届く事はない。
「はぅっ……」
雪に足を取られてバランスを崩したリナ。その拍子にどこか痛めたのか、起き上がる事ができない。
「ちょっと、まさか私まで見殺しにする気?」
「おねえさん、大丈夫ですか?」
「何で、生きて……」
残されたリナの元へ真っ先に駆け寄った上総。リナは差し伸べられた小さな手を振り払う。
「あ、あんた達、撃退士なんでしょ? 早くこの天魔を倒してよっ」
「この方達は『友軍』です。心配は要りません」
(……何か、変、かも?)
文歌が感じたのは漠然とした違和感。それが形となる前に、再び男達の悲鳴が上がった。
黒い羽を散らし、男達の前方に瞬間移動したベネトナシュが行く手を阻んだのだ。
「逃げるなら命の保障はない。そう言ったはずだな?」
「待ってください。撃退士が来るまでって約束だったんですよね? 私達が来たので、この人達の身柄は私達が預かります」
「解放すると言った覚えはないぞ? そも、先に約束事を反故にしたのはそ奴らの方よ」
痛い所を突かれ、文歌の顔に朱が差す。
「ベネトナシュさん、一方的な事は約束と言えないよ」
口添えをした峰雪にベネトナシュは意味ありげに笑みを浮かべて。
「この者達は私が見ていよう。なに、壊しはせん。貴公らは疾く己が任務を全うするが良い」
殺しはしない――その視線に偽りがないと判断した峰雪は、力強く首肯すると、仲間達を促して林へと向かった。
●獅子奮迅
一条の光が風を切る。
峰雪が放った矢は、前衛で押し留めるチルルとアルカイドの狭間を抜け、コアトルの胸元を穿った。
「効いてくれれば良いけれど……」
命中した瞬間、その部分に虹色の波紋が広がった。
被ったダメージを半減するコアトルの能力も、そこに込められた影響まで無効化する事はできない。波紋を追うように、じわりと腐敗が広がっていく。
「何かヒリヒリする! これが毒息ってやつ?」
コアトルが纏う瘴気。それは生温い湿気を含んだ空気のように周囲に蔓延し、近づく者の肌を刺激する。
「あたいを近づかせないつもりなら、ムダな努力ってやつよ!」
しかしチルルは少々のダメージに構う事なく、真正面から飛び込んでいく。
氷剣を薙ぐ。両腕に伝わる確かな手応えとは裏腹に、コアトルは何事もなかったように空を泳いでいた。
征治が編んだ星の鎖がコアトルを絡めとる。
しかしそれは一瞬の事。コアトルは戒めを難なく引きちぎる。
「では、こちらはどうです?」
鋭い爪をギリギリまで引き付けて、征治はランスを翻した。
その切っ先が掠めると同時。アウルのスパークと共に、コアトルは大きく身体を痙攣させた。
「カマキリ流星群、ふぃーばー♪ なんだよ!」
琥珀が叫ぶ。
直後に降り注ぐ無数の彗星。即座にスタンから回復したコアトルを、今度はコメットが生み出した重圧で捕らえた。
「身体能力自体は高くないようですね。問題は……」
文歌も己が歌声をチカラに変え、もう一体のコアトルの意識を刈り取った。
とはいえ、地の抵抗力が高いコアトルはほんの数秒で復帰してしまう。半ばいたちごっこの状況に、峰雪が唸る。
「やはり攻撃を集中させた方が良さそうだね」
「えぇ。少しの間、足止めをお願いします」
共に後方で狙撃に徹していた悠人がライフルを構えなおした。
この一瞬に、勝負を。
征治のスタンエッジをまともに受けたコアトルが動きを止めた。
「今です!」
「いっけぇー!」
両手に六花を咲かせ、チルルが白き突剣で子アトルの胸を貫く
勢いで高く跳ね上がったコアトル。
「見えた……!」
悠人が引き金を引く。放たれた弾丸は光と闇を纏いながらコアトルの頭を撃ち砕いた。
「お待たせしました!」
一呼吸おいて、征治は残るコアトルの方へ向き直った、その時。
「きゃあっ」
奇跡的な確率でスタンエッジに耐えたコアトルが、反撃の牙を文歌へ向けたのだ。
避けきれず、衝撃に耐えるため身構えた文歌。
その前方にアルカイドが割り込み、剣で牙を受け止める。
『シャアアア……ッ!』
吐き出されたのは魂を握りつぶすような威圧の声。
あれは危険。触れてはならないモノ―――本能が鳴らす偽りの警鐘を、撃退士達は歯を食いしばって振り払う。
時が止まった一瞬の隙を突き、コアトルは空高く舞い上がった。
「申し訳ないが、逃げられては困るのでね」
天頂へ達する前に、峰行きのイカロスバレットがコアトルを引きずり落とす。そして……。
今度こそ完全に動きを封じられたコアトルは、撃退士達の怒濤のような連撃を前に、文字通り八つ裂きの状態となって地に転がった。
●戦い終えて
大学生達は可哀想な程に怯えていた。
「誓って言うが、私は何もしておらんぞ?」
勝手にどこかへ行かないよう、ただ『見ていた』だけ。それを相手がどのように受け取るかは、ベネトナシュの預かり知らぬ所。
それを聞き、峰雪は首を横に振った。
「助けてくれた事にはお礼を言うよ。 でも、それだけじゃ駄目なんだ。
悪魔にも色んな性格の子がいるように、人間にも色んな性格の子がいる。相手の性格を知ろうとするには、脅す以外にも、色んな方法があるよ」
「……心に留めておこう」
一度大学生へ視線を向けたベネトナシュは、契約の証にと差し出されたバナナを受け取り、大人しく身を退いた。
それを見届けた琥珀が大学生へと向き直る。
「もう大丈夫なんだよ! 僕らに連絡くれた人も無事だよ、良かったね!」
「なっ」
本来なら喜ぶべき所だろうに、大学生は息を呑み、視線を泳がせた。
(どうすんだよ)
(まて、まだバレたって訳じゃ……)
「どうかしたんですか?」
不可解な反応に、文歌が眉を顰める。
「……何か訳ありのようですね。少々、事情を聞かせて頂けますか?」
悠人に問い詰められた大学生は表情を硬くして、互いに罪を擦り付け合うように全てを吐き出した。
任務完了の報告を終えた後、撃退士達は町内の病院を訪れた。
先に搬送されたワタルを見舞うためだ。
滑落の際に受けた打撲と擦り傷は特に問題なく。一時は失明も危ぶまれた両眼も、手術による回復が見込めるという。
「そうでしたか。……お世話になりました」
文歌から事の顛末を聞いたワタルは、ベッドの上に横たわったまま、静かに頭を下げた。
「……やっぱりショックだったようですね」
それきり口を閉ざしたワタルの様子を思い出し、悠人が息を吐く。
無理もない。唯一の拠り所だった仲間達に裏切られた事を知ったのだから。
「でも、何も知らないよりマシです」
文歌自身、よく考えた上での判断だ。
ワタルには真実を知る権利がある。
その上で、これから彼らとどう向き合うのか――それはワタル自身が決める事だと思ったから……。
ふと足を止めて仰ぎ見た視線の先。
遠く聳え立つ山々は、町を見守るよう静かに座していた。