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「皆……来てくれたんだね!」
深夜、次々と緊急車両から降りてくる学園生達を見て、神代 深紅 (jz0123) は胸を撫で下ろした。
「ナハラさんって、『あの時』のヒトですよね?」
袋井 雅人(
jb1469)は数年前、深紅と共に挑んだ調査依頼を思い出していた。
「マサトさん、戦った事あるんですか?」
「いえ。敵意は向けられませんでした。むしろ見逃してもらった感じです」
ザジテン・カロナール(
jc0759)に問われ、雅人は簡潔に当時の状況を語った。
「やっぱりおかしいですよね。ナハラさんがこんな強硬な作戦でくるなんて……」
真冬の別荘、小学校の校庭、植物園――これまでナハラが関わった事件の多くには、他の冥魔の影が見えた。
今回もその流れと切り捨てる者もいる。
それでも実際に会い、言葉を交わした事のある水無瀬 文歌(
jb7507)は、違和感を捨てきれなかった。
「……パペットは全部確認済みか?」
「ううん。昼間のを含めて七体だけ」
水無瀬 快晴(
jb0745)の問いに、深紅が即答する。
「残りはあと一つ? もし埋め込まれているとすれば、人質のうちの誰かでしょうか?」
もしかすると人質の中に、ナハラにとって大切な人が混じっているのではないか?
だからガラにもなく、こんな強硬な行動をせざるを得ないのでは?
有り得ない事ではない。
かつてザジテンが仕えていた上司――カッツェの性格とよく似た性格のあの男なら、きっとそうするから。
「色々と気掛かりではあるが……まずは救助だな」
「頑張りましょう、全ての問題を解決するために!」
鳳 静矢(
ja3856)が鞘に紫のアウルを纏わせ、その横では佐藤 としお(
ja2489)が眼鏡を上へ放り投げる。
としおの全身を金色の龍が咆哮を上げるように包み――戦いの始まりを告げた。
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建物全体が白いヴェールで覆われている。それは幻想的な光景だった。
その天幕の一つに、複眼の悪魔・ナハラは腰を掛けていた。撃退士が六人増えても表情一つ変える事なく、静かに見下ろして。
「お久しぶりです、ナハラさん」
礼儀正しく話しかけると、ナハラは雅人に視線を向け僅かに口元を緩ませた。
「……カメラ小僧、だっけ?」
「袋井 雅人、です」
認識のされ方は微妙だが、覚えていてくれたらしい。
だったら少しは話をしやすいかも知れない。
そう思って雅人が一歩踏み出した時、ナハラは鉤手甲を顕現させ、切っ先を突きつけた。数メートルの距離を隔てていても、喉元を抉られるのではないかと感じる程の殺気を込めて。
「近づけば死ぬ。そう言ったはずだけど?」
直後に吹いた口笛。それを合図とし、パペット達が弾けるように動きだした。
愛嬌のある外見とは裏腹に、荒々しく嘶くポニー。
服を噛まれ、ザジテンは力づくで引き倒された。蹄で頭部を踏み潰されそうになるも、としおが放った回避射撃に紛れ、素早く態勢を整える。
ドーベルマンの動きを止めるため、静矢はあえて牙を腕で受け止めた。
噛まれた腕はそのままに額へ手を伸ばすと、ドーベルマンは静矢の思惑を悟ったように腕を離し距離を保つ。
猫や九官鳥も、それぞれの間合いを取って襲撃のタイミングを狙う。
「無駄に殺しはしたくはないが……場合によっては止むを得んか」
たかが動物。しかし誰かにとっては掛け替えのない家族の一員に他ならず。それでも人命を前にすれば、同列に並べる事はできるはずもない。
極めて冷静な判断を下すと、鳳凰が刻まれた鞘から刃を抜いた。
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「やっぱり操り人形程度じゃ役不足だったみたいだね。少しは躊躇ってくれると思ったんだけど」
斃れた動物達を前に、ナハラはわざとらしく肩を竦めて見せた。
そしてボロの被膜を広げると、静かに地上へと舞い降りる。
「人を攫うにしてはやけに派手に事を起こしたものだ。……それともこの場で何かを起こすつもりか?」
念を押すように問う静矢に、ナハラは曖昧な笑みを浮かべた。
「君達が知る必要はない」
明確な拒絶。しかし、視線の動きや立ち位置は、常に後方の建物を意識している。
無意識か、わざとか?
どちらにせよ、その場所に何かがある事は確かだと思う。
「ならば力づくで確かめさせて頂こう」
地を蹴った静矢。ナハラは当然のようにそれを阻む。繰り出された鉤手甲の一撃を、静矢は冷静に見切った。
雅人も大剣を振るって応戦する。
「どうですかナハラさん、私も強くなったでしょう?」
「……強く?」
背後からの奇襲は軽々と受け止められた。雅人は即座に間合いを取り、反撃に備える。
その間、としおはナハラの反応を観察していた。
報告書から読み取った振る舞いと比べ、今は余裕がないように感じられる。
対峙している撃退士が実力者揃いという理由だけではないだろう。何か別な事に意識を割き、戦いに集中できていないのだ。
(皆の言うように、何か理由があるのか?)
としおはスナイパーライフルを構えた。
放たれた弾丸は狙い通りナハラの肩を掠め、上着を飾る金具を弾き飛ばす。
「困り事は思い切って言えば良いのにな。お前たち悪魔ってのは嘘つきだな?」
真意を口にできないなら、嘘で報せてくれ。そんな願いを込めて言葉を投じる。
「……俺達ほど欲望に忠実な存在はないよ。自分に都合の良い事だけを真実とする君達に、嘘つき呼ばわりされる筋合いはないね!」
『ナハラさん、私です。誰かに監視されているかもなので、直接語りかけてます』
『守りたい人がいるんだよね? だったら僕達にその人を守らせて!』
文歌は霞声で、ザジテンは意思疎通を用い、直接ナハラへと語り掛ける。
カッツェに戦いを強要されているのか。最後の爪は誰に埋め込まれているのか。
言葉で表せないのなら、何かしら合図を送ってくれれば……と。
真摯な言葉をぶつけてくる撃退士達に、ナハラは意味ありげな視線を向けると、徐に自身の首を飾るチョーカーを外した。
その喉元に見えた、硬質の赤。
「やっぱり……ナハラさん」
悲痛な声を上げる文歌にナハラは口元を歪めて、
「言っておくけど俺は操られているわけじゃないよ? 抜こうと思えばいつでも抜けるしね。
俺は自分の目的を果たす為にあいつのゲート作成に協力し、その見返りとして魔力を増幅してもらっている」
冷徹な『言刃』を返す。
そして爪を抜くため背後から忍び寄ったヒリュウを、振り向きもせずに鷲掴みにした。
「だから……余計な世話を焼かれても困るんだよね」
「あ、ぐはっ」
召喚獣の感覚はダイレクトに術者であるザジテンへと伝わる。
喉を絞められ唇から泡が垂れる。苦痛から逃れようと爪を立てても、振りほどくべき掌はどこにも存在しない。
拷問にも等しい時間は、としおの狙撃が断ちきった。
「ここは僕に任せて皆は早く先へ!」
(今の言葉は『偽』、そうだろう?)
確証はない。
ヒリュウをその手で引き裂かなかった事がヒント――その直感だけを頼りに。
「お願いします!」
としおの言葉に頷いて、最初に雅人が走り出す。
「ザジ、あなたは後でね?」
義弟に癒しを与えた文歌と快晴も続く。
「行かせないと言っただろう」
「貴様の相手は私だよ」
三人の行く手を塞ぐナハラを静矢が押し留める。
「さぁ、しばらく付き合ってもらうぞ」
刀に纏わせた紫の閃き。
刹那に繰り出された斬撃がナハラの左腕を捉え――次の瞬間、静矢の左腕から鮮血がしぶいた。
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――in emat on amas laireb ah etebus usorok usorok ihsiatikeg……
張り巡らせられた巣幕を震わせ、低く高く響き渡る声。
何かしらの罠はないかと警戒する雅人の横で、快晴は心を研ぎ澄ますように目を閉じた。
「……この先、だな」
辿り着いた先は食堂だった。
視線で確認を取り、雅人は開け放たれた戸口を覆う巣幕に手をかけた。
そっと様子を窺うと、最初に目に入ったのは陰の混じる茶髪。その前方に繭が一つ、意味ありげに置かれていた。
「あの繭の中にいる人を助け出せば……ナハラさんは自由になれるのかな?」
「……俺がカッツェを引き付けてみるよ」
快晴は気配を殺し、詠唱を続けるカッツェの背後へ忍び寄った。
零距離からの夜想曲。眠りに誘った上で間髪入れずにDDDを叩き込む……つもりだった。
「またあんた? バカの一つ覚え、見え透いてんのよ」
何の執着もなく詠唱が途切れ、反撃の拳が快晴の腹を抉る。
吹き飛ばされた快晴が壁に叩きつけられる前に、闇を渡った雅人が受け止めた。
「抜けたの二人だけ? あいつ、意外とマジメなのね。薫殺した奴はいみたいだけど、ま、いいか」
――で、あんた誰よ。
「カッツェさん、はじめまして、私は袋井 雅人といいます。どうかお見知りおきを」
慇懃に自己紹介をして、雅人は大剣を構えた。
守りの力を授けたかったが、それではカッツェに気付かれてしまう。
愛する人の傷みを心で感じながら、文歌は繭の陰に隠れ、一心に刃を当て続ける。
しかし繭は鎧のように固く、なかなか傷がつかない。
「フミカ姉様、僕も手伝います」
窓から回り込んだザジテンも、ヒリュウに爪を立てさせる。
そうして二人掛かりで続けるうち、次第に綻びてくる。
僅かな隙間から垣間見えたのは柔らかな髪の女性。
文歌の霊視によればカオスレートは中立。それでも念のために髪芝居で動きを封じ、ザジテンは確認のためクラウディルを繭の中へ送り込んだ。
カッツェに肉薄する快晴と雅人。
雅人は闇を渡り続ける事で位置を特定させず、常に死角から攻撃を繰り翻弄し続けた。
すでに受防一択。深い傷を幾つも負いながらも、カッツェは未だに狩りを楽しむ残虐な笑みを浮かべている。
「……何が可笑しい?」
「だってあんた、ホント学習能力がないんだもん。……忘れたの?」
吐息が掛かる程に顔を近づけ、快晴の目を覗き込んだカッツェ。その眼の色は、青。
(……風かっ!)
その瞬間、衝撃が走った。
四方を閉ざされた狭い部屋の中、殺戮の旋風は人も物も容赦なく切り刻む。
激しい衝撃に晒され、切り開いた部分から繭が崩れていく。文歌がアウルで包み込んで守るが、崩壊は止まらない。
やがて嵐が去った後、変わらず立ち続けていたのは、術者であるカッツェ、そして文歌。
雅人は剣を支えに立ち、物理防御に飛しい快晴は体力の殆どを削ぎ取られた。
それは相反するカオスレートのザジテンも同様で。生命を共にするヒリュウが直撃を免れなければ、気を失うだけで済まなかっただろう。
そして繭は――全壊した。中にいた女性を最後まで守り抜いて。
「たくみ、くん?」
うっすらと瞼を開けた女性は、何かを求めるように虚空へ手を伸ばす。
(この人、もしかして脱出ゲームの時にいた……?)
率先して弱者に手を差し伸べ避難を援けた。確かムツキと呼ばれていた。
(じゃあ、あの時私達を守った『盾』は……もしかして)
「……で、そこは何してくれているワケ?」
点と点が繋がりかけた時、カッツェの嗜虐的な声が心臓を穿った。
「……はァ?」
睦月を庇う文歌の前で、カッツェが疑問の声を上げた。
「撤退しろってどういう事よ!」
「ゲート? そんなのどうでも良いじゃない。まさか、あんたあの話マジで信じてたの?」
「ふん、その前にこいつらブチ殺す。まだ炎が残ってるんだから」
カッツェの瞳が紅く染まる。
とすれば、巻き起こるのは魔力の業火。今度はもう……きっと誰も耐えきれない。
せめてこの人だけはと睦月を抱きしめたその瞬間。
不意に足元が揺れた。
阻霊符の影響下、物理的に床を破り現れたのは、巨大なミミズ型ディアボロ・ノヅチ。
「……ナハラ、あんた最初からこのつもりで? ……覚えておきなさいよ!」
完全なる伏兵はカッツェを一瞬で飲み込むと、撃退士に目をくれる事なく、再び地中へと消えた。
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「……何かの技でしょうか?」
これで二度目だ。ナハラへ攻撃を叩き込んだ直後、鏡のように傷が返るのは。
としおの回避射撃が間に合わないという事は、静矢を傷付けているのは間違いなく彼自身の力。
「これが『視線』の影響か? それとも別の……」
初めて戦う相手である。情報の不足は仕方ない。だからこそ静矢は次に剣を交える時のため、余す事なく能力を見極めようとした。
「ナハラさん!」
その時、戦場に響いた声。
振り向けば、そこに見えたのは文歌ともう一人、三宅睦月の姿。
「睦月さんは無事です。農園の皆さんも、今、カイ達が解放しています。そのためにカッツェさんを引き離してくれたんですよね?」
だからもう戦う理由はない、と訴える。
「拓海くん? ……拓海くん、だよね?」
睦月にそう呼びかけられ、ナハラはチッと舌を打った。
「余計な事を……。トマト娘。君達は何か勘違いをしていないか? 人間は単なる獲物。利用価値があれば戯れに飼いもするが、邪魔になるなら始末するだけだ!」
魂も凍るような視線で睨まれ、文歌は身を竦ませた。
ナハラが鉤手甲を構える。
狙った先は睦月。
「ナハラさん、ダメだ!」
凶刃は、ヒリュウ決死の顔面タックルで防がれたけれど。
「……呼んでいるな。まぁ、当然か」
喉元の爪に指を添え、ナハラは自嘲するように呟いた。
「茶番は終わりだ、撃退士。あいつは執念深いからな。狙った獲物はいつまでも追い続けるぞ。精々頑張って守り抜くといい」
そして、僅かに目を細めると、ボロの被膜を広げ、空高く舞い上がり……消えた。
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悪魔の脅威が去った民宿から、繭の中に捕らわれていた人々が搬送されていく。
民宿経営一家、農園関係者、そして……行方不明となっていた、ディバインナイトの少年も。
しかし、『南原拓海』の姿だけは、ついに見つける事はできなかった。
「南原君が夜遅く、その男の子を運んできたんだ」
民宿の主人が重い口を開いた。
「すぐに連絡しようとしたんだけどねぇ……拓ちゃん、必要はないって」
そして目の前で『南原拓海』から『ナハラ』の姿へ変わり、笑みを浮かべながら人々を傷付け、抵抗を封じていったのだと。
人々が受けた傷は比較的軽く、撃退士の術で全て回復した。
しかしズタズタに引き裂かれた心を癒す事はできず。殊に三宅睦月に対する凶行は、恋人だと聞いていただけに、文歌はショックを隠せない。
「……そこまでして果たしたい『目的』って何だろうな」
ナハラが人々を守ろうとしていると感じたのは、彼が指摘した通り、都合の良い思い込みだったのだろうか?
ため息を吐いたとしおに、ザジテンがぽつりと呟く。
守り、殺し合う。欲望のために誰かを騙し、利用する。そんなの天使だって同じだ。
でも、どれだけ嘘を纏おうと自分の本心を騙せる者はいない。だから。
「僕は……違うと信じたい」
彼の眼に漂う悲壮感は確かに本物だった。
……そう思うから。
天を覆っていた雲はいつの間にか消え、見上げた空は瑠璃色に染まっている。
夜が明けるまでは、もう少し……。